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ソウルマン

「そもそもこの駿陽州(温暖な駿河国)は、東照大権現の垂跡(すいじゃく・現れでた所)なり」by徳川家光の寛永年間の鐘銘

ちょっと春休みをもらってました。
何かと怪しい動きも感じていますが、懲りずにもうちょっと頑張ってみようと思います。




「武家意外史」①八切止夫

1974年の書である。6つの短編小説で構成されている。
2回に分けて記す。以下、一部引用する。

*徳川三百年の間に作りかえられてしまった通史では、家康と信康は父子とされている。
そして信康がよく出来た若い武将ゆえ、織田信長がいみ嫌って、その娘の五徳をかたづけ、のちその告げ口をもとに家康をして、信康とその母の筑山御前を殺させてしまった・・・悪いやつは信長である、ということになっている。
もはや徳川幕府滅びてから百年もたっているのに、不勉強な人はまだそのままに踏襲している。
しかし駿府城に吊るされていた時鐘の、伝法沙門・釈春外の選んだ鐘銘の中にも、
「そもそもこの駿陽州(温暖な駿河国)は、東照大権現の垂跡(すいじゃく・現れでた所)なり」とはっきり明記された徳川家光の寛永年間のものが現在も残っている。

*それに徳川家康は「三つ葉葵」の紋だが、三河松平はまったく別で「桐」の紋である。
俗説では、松平広忠の伜の松平蔵人元康が現代のタレントのように姓名判断にこって、「徳川家康」と姓も名も次々に変えた。だから、この二人は同一人とされている。
が、これは『寛永系図の本多広孝譜』に、「永禄4年11月1日には『元康』の御名なりしが、翌5年8月21日よりは『家康』とかえられ給う」とあるのと、もう一つの
「永禄11年、家康公は改めて姓氏をば、徳川氏たらんことを奏請されて翌年正月、これより徳川を宗家とし、これまでの松平は族籍となされたまう」
という『大成記』の記載で、そういう恰好になっているのだが、なぜ徳川というのが俄に、「宗家」となってしまってそれまでの、
「松平」が族籍という臣下扱いにされてしまったのか辻つまが合わぬ。まことに謎にみちた世にも奇怪な話である。それに、『編年藩譜』や『大久保物語』では、
「天正7年8月29日、遠州二股城にて岡崎三郎信康さま自刃。城の山続きの小松林の庵室にて火葬、『騰雲殿』と追号し、その埋葬の地を「清庵寺」と名づく」とある。
が、この三郎信康だけには、徳川姓も松平姓もつけられず、岡崎という姓なのも可笑しいが、この墓はなぜか徳川宗家をおもんばかって、遠慮し、明治になるまで石を置いただけだった。
もちろん戒名も彫られてなく、その清滝寺の過去帖をみても、徳川家よりの参拝などは幕末まで一度もなかった。まるっきり他人扱いであった。これではどうも大衆小説やテレビの家康みたいに、
「わがいとしの倅の三郎信康を、いくら信長さまよりの命令とはいえ、これを殺せといわれ失うは無念のきわみぞ」と父性愛をみせるのと、本当のところは、どうも余りに違いすぎる。
なにしろ信長は、信忠・信雄・信孝の3人の伜と、この信康を同じに扱い、信孝の妹がうまれるにおよんで、
「5人で仲ようせいやい」と、火鉢の中に入れて薬罐(やかん)をのせる五徳の名をとり、その、
「五徳姫」を信康の妻にと縁づけていたくらいだから、もし不審な点があれば信康を直接によんで、信長のことゆえ詰問しただろう。自分は蔭にかくれ、家康に命じて、
「処分してしまえ」というのでは、あまりに信長の値うちを下げてしまうものである。
ということは、信康やその母の筑前御前を殺したのは、家康自身の都合とみるしかない。
『駿府華陽院文書』によれば、このときの事情は明記はされていないが、朧気ながら判るところでは、
「松平蔵人元康」とよばれる三郎信康の実父は桶狭間合戦の後で、何者かに謀殺されてしまって、信康と母の筑前御前だけが残ったらしく、そこで浜松で義軍をあげ曵馬(ひくま)城を奪ってこれを浜松城に名をかえた家康が、元康の身代りの形となって哀れな母子を初めは助けた。
そして家康は自分の家臣団を東三河衆。岡崎の三河譜代の連中を西三河衆とわけ、これで今川氏真と戦い、小田原の北条や、甲斐の武田とも戦って守った。しかし信康が成人するにつれ、
「家康は三河を奪うのではあるまいか・・・」と勘ぐった連中が、信康を擁し筑前御前をたきつけて、徳川にそむき武田に加担する動きをもみせてきたからして、
「放っては置けぬ。かくなる上は、禍根をたつためには母子もろとも・・・」というので、やむなく母子を消してしまい、結果的には、まるで外国の推理小説にでてくるような、
(後見人が財産を奪うために、成人した跡次ぎの息子とその母の未亡人を処分して、すべてを横領してのけた)ようなことになってしまったものらしいと想える。さて・・・、」



(管理人)
松平信康をウィキより抜粋する。

松平信康(まつだいら のぶやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。徳川家康の長男(嫡男)。母は関口親永(瀬名義広)の娘で今川義元の姪・築山殿。また、後に安祥松平家の居城の岡崎城主(愛知県岡崎市)を務めたため、祖父・松平広忠同様に岡崎 三郎と名乗った。
一般的には松平信康と表記されるが、父の家康は信康の元服以前の永禄9年(1566年)にはすでに徳川へ改姓しているため、生前は徳川信康と名乗っていたのではないかとする説がある。江戸時代に入ってから江戸幕府が「徳川」姓は徳川将軍家と御三家・御三卿のみに限るという方針をとったため、信康は死後になって「岡崎三郎松平信康」に格下げされたというものである。
だが織田信長が佐久間信盛に宛てた天正3年(1575年)6月28日付書状の中において、娘婿の信康を「松平三郎」と呼んでいることが明らかになり、家康が徳川姓に改称した後も信康は松平姓のままだったことが判明した。
『三河物語』に基づいた通説
信康の切腹については幕府成立後の所謂徳川史観による『三河物語』が通説化している。
それによると、織田信長の娘である徳姫は今川の血を引く姑の築山殿との折り合いが悪く、信康とも不和になったので、天正7年(1579年)、父・信長に対して12箇条の手紙を書き、使者として信長の元に赴く徳川家の重臣・酒井忠次に託した。手紙には信康と不仲であること、築山殿は武田勝頼と内通した、と記されていたとされる。信長は使者の忠次にただしたが、忠次は信康を全くかばわず、すべてを事実と認めた。この結果、信長は家康に信康の切腹を要求した。
家康はやむをえず信康の処断を決断。8月29日、まず築山殿が二俣城(浜松市天竜区)への護送中に佐鳴湖の畔で、徳川家家臣の岡本時仲、野中重政により殺害された。さらに9月15日、二俣城に幽閉されていた信康に切腹を命じた。



「家康が徳川姓に改称した後も信康は松平姓のままだった」そうである。
「岡崎 三郎と名乗った」というのもおかしい。
「信長は家康に信康の切腹を要求した」というのも「徳川史観による『三河物語』」によるものだそうだ。
「家康に都合がいいように史実がゆがめられた」としか思えない。
「松平信康の墓は明治になるまで石を置いただけだった」「戒名も彫られてなく、その清滝寺の過去帖をみても、徳川家よりの参拝などは幕末まで一度もなかった」とのことである。
家康が信長に命じられて“仕方なく”「実の息子である信康」の命を絶ったというのなら、家康が天下を取った後は丁重に祀られるはずである。
しかしそうでないということは・・・

八切氏以前に同様の指摘をした人物で、村岡 素一郎という人がいたようである。
村岡 素一郎が記した『史疑 德川家康事蹟』は、その著書の内容に憤激した徳川家一族や旧幕臣らが圧力をかけたために絶版になってしまったそうだ。
事実でないなら徳川家は根拠を示して抗議するべきであり、そうしないで卑怯にも圧力をかけて絶版に追いこんだということは、村岡 素一郎の説が真実であることを証明することになるだろう。
墓穴を掘るとはこのことだ。
そもそも明治維新以降も徳川家が都合の悪い書物を絶版に追いこむ権力を持っていたということは、明治維新が八百長だったことの証拠でもあるのだ!
維新勢力と徳川慶喜は、戦っているフリをしながら、実はグラバー等の外国人勢力に尻尾フリフリして仲良く日本を売り渡した”売国仲間”なのだ!
この「騙しの構造」は令和の今も続いているのだ!
噓八百の大河ドラマなんかに騙されてはいけない!
村岡 素一郎の孫である榛葉英治著「史疑 徳川家康」を紹介したサイトがあったので、その一部を引用します。
榛葉 英治は直木賞もとった人物です。その人物が書いた「史疑 徳川家康」の内容をいまだにひた隠しにしているこの国の学校教育・歴史学者・大河ドラマを「おかしい」とあなたは思いませんか?


https://shizuoka.veritas.jp/sigi/02keireki.html
祖母の源応尼(俗名於万)と娘の於大は、少将の宮の前町に多く居住していた「ささら者(三味線に合せ説教する賎民)」であるという。この境遇の中で家康公は育ち、老尼の慈愛と見識によって成長したと見ている。






八切止夫


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Posted byソウルマン

Comments 2

There are no comments yet.

mint

ソウルマンさん
お帰りなさいませ。本当に心配してました。
色々と攻撃もあるかと思いますが、安全第一で宜しくお願い致します!
得意分野が出て来たら、またコメントさせて下さい(笑)

2024/04/02 (Tue) 19:41
ソウルマン

ソウルマン

Re: タイトルなし

mintさん


> ソウルマンさん
> お帰りなさいませ。本当に心配してました。
> 色々と攻撃もあるかと思いますが、安全第一で宜しくお願い致します!
> 得意分野が出て来たら、またコメントさせて下さい(笑)


ただいま!(笑)
ご心配をおかけしてすみませんでしたm(__)m
安全第一でいきたいものですが、気が付いたら危険な方に向かってしまう傾向があるようです(;^ω^)
最近は八切氏に嵌っており、そればかり読んでいます。得意分野じゃなくてすみません。
得意分野でヨロシクです(笑)

2024/04/03 (Wed) 11:21
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