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ソウルマン

「過去を理解していない人間に未来はない」byソウルマン

「庶民日本史辞典」④(最終回)八切止夫


前回に続く。以下、一部引用する。


*飛鳥の酒船石、亀石や神奈川秦野の大山石尊、山形の結界石と各地にある巨岩が信仰の対象だったのは銅を移入の弥生時代に滅ぼされた縄文人の末裔の名残りでしょう。
インドの南部海岸ゴアはポルトガルの大航海時代には、その占領地となって後にオランダがバタビアを東洋経営の根拠地にする迄は、そこからマカオへ、そして日本の三角湾へと黒潮にのって大船団を送りこみ、モルッカス諸島の香辛料を積みこむだけでなく奴隷や、金を求めて南シナ海から日本までの海上権を掌握していたものです。という事は紀元前もゴアから日本へは来ていた者がいたのは事実でしょう。さてインドは紀元前七世紀にアヴァンティ王朝、前四世紀にはナンダ王朝。
やがて東北統一のマウリア王朝の時代を迎え、青銅文化時代に入るのですが、西南海岸地域には、ずっとクメール系巨石文化があって、今もブラクマギリを残しています。これは恐らくアラブ流民が黒潮暖流にのって漂着し、彼ら特有のアシュラとよばれ、ピラミッドを積みあげた石工技術をかわれ、軟らかい石をきり出して巨石をつみあげる使役に、次々と奴隷としてつかわれたものと思います。イースター島に今もある巨石像の謎も、そうしたアシュラ起重機の仕組みに熟練した石工難民によって築かれたものでしょう。が、日本でも大化改新によって、原住民の租である蘇我氏の曽我川畔の王宮が、唐韓連合軍みたいな新体制の軍勢に囲まれ、それまでの国史もろとも灰にされました時も、唯残ったのは夥しい巨石の像ばっかりだったと申します。

*白村江で大勝した唐が堂々と日本人を攻め、墨染めの衣をきた坊さんを矢面にたてて、石斧や石槍の縄文日本人を攻め、高梁をキビと称して主食にし、中国の桃の実を植えつける為に、捕らえてきた日本原住民に奴隷課役をさせていた名残りが、今の岡山ピラミッドともよばれる庚申山なのであります。江戸期になっても奴隷の子孫は苛められていたゆえ世直し願望の命名です。
また墨染めの黒の本場ですから、今でも岡山には、黒住教とか黒住焼などの名称があります。
明日香と同じ亀石や酒船石があるのは、戦勝品として捕虜奴隷に運ばせて持ってきて据えつけさせたもので、割れて散らばったのはそのせい。なお吉川弘文館刊国史大系日本書紀には「上桃原、下桃原」とある。

*本願寺派のように一寺の住職となれば妻帯が許される宗派は特別で、他は煩悩を絶つ色情戒として女色厳禁の宗義が殆どでした。それゆえ代用にと、人買いから稚児を集めさせていました。
今も祇園祭の時に「稚児行列」が着かざってねり歩きますが、昔は、あの先頭と後には人買いの親方がついていて、並べて歩ませて買手の目をひくために催したオークションの行列なのでした。

*浜田秀雄も薩摩湾から別府湾にかけて馬韓が侵入してきた有史前、邪馬、投馬国の日本原住民が彼らを追払ったと恰好づけますが、軍人さんだったせいでしょう。一度は反撃しても結局は馬韓の植民地にされてしまい、高麗の地となった後に唐に制圧されたからこそ、白村江敗戦後の<大宝律令>では天武帝より、薩摩隼人は官奴として更進され、食も与えられずホイト扱いでして御所門前で四つ這いに整列させられてワンワン吠える人工伴奏のカラオケ代りを課せられたのです。
ですから薩摩は徳川政権が仏教を国教にしても、「薩摩ほいと」と説教節でとく一向宗は明治まで入国させずでした。表向きは御政道で寺を厚遇しても、藤原王朝が持ちこんできた仏教を憎んでいました。廃仏稀釈騒ぎで寺々を襲って仏像をこわし放火して廻ったのも、隠岐と薩摩や肥後が、日本中で一番早かったと言われるのもその為です。後の熊本の神風連や、西南の役も新政府が寺側献金で変節したことによるもので、彼らは埼玉と同じ高麗系日本原住民とみるべきであります。

*「てまえ、生国と発しまするは・・・」と、相手も同じ黄色人種で見分けがつかないから、相手が四つかクダラ系の貴種かの区別をつける為で、昔は限定居住で生国でその人種が判るから訊きました。
つまりこれが「神祇を切る」(調べあう)事でしたが、日本人は過去や歴史にはロマンを求めたがるので、今では「仁義を切る」と綺麗事にしています。が要は、同族は討たずの「同門同火の禁」の掟から、うっかり同じ宗旨の者どうしの鉢合わせしてはいけないから、まず自分から名のりあげ、八の者である事を先に伝え、同族どうしであると断ってヤーさんの先祖は一宿一飯の厄介になるのです。

*日本人の85%をしめる庶民の血脈は、騎馬民族の四ツとその倍もいる古代海人族の八ツなりとされているが、四は馬、八はヤと江戸期によばれ交互組合せたのが幕府体制。
「四つ足の里」と柳生をよぶのは、馬が四つ足ですから、騎馬民族末裔が追いこまれていた限定地。しかし藤原王朝になる迄の間、ずっと非農耕非漁業の彼らに馬を飼う使役が課せられていたゆえ、「飼戸」と称されて区別されました。これをシコとよぶのを「四戸」と当て字違いしている地方もあります。そこでますます四の字がついて廻り、奈良興福寺の四天王像に足でぐっと踏んづけられている反仏派を代表する鬼が、故意に四本指にされています。
・・・・・(中略)・・・・・
まあ、「相撲」は日本の国技だと申しますが、アラブ人に言わせると、紀元前からの向こうの体技です。
・・・・・(中略)・・・・・
さて神話を別にすれば、そちらの血をひく織田信長が、おおいに奨励したのが始まり。ですが、もう一六世紀では、信長のような後に「八ツ」とよばれる平姓の人間と、源氏とされていた蘇我系の四ツも、七世紀からの長い弾圧で、南北戦争のあとアメリカの解放黒人が農耕民なのに、追われた狩猟民族のインデアン部落へ仕方なく入っていたように一緒になっていたのでしょう。といいますのは、「四股をふむ」と、足だけを踏みかためる型でも「シコ」の呼称がつくからであります。
・・・・・(中略)・・・・・
四は中国語ではイ、アル、サンの次のスウです。ですから昔は、遊郭の女のことをそうよび、「オレのスウちゃん・・・」といった兵隊の唄があったのもこの為です。北条政子の時代から、蒙古系の女は一妻多夫型ゆえと、四をシとよび「白」として、「白拍子」として管理させていました。「当店では源氏の女しか客をとらせていません」とするのが、今のキャバレーやトルコでも、その儘で用いられています処の「源氏名」なる呼称の起源です。北条政子の命令は今も生きています。
北条政子系「八ツ」は、元来は古代海人族が世変りした足利時代に明国経由でカースト制度が入ってきて、その対象となるのを怖れて逃げこんだせいか。八甲山とか八ツ山とか。同じ発音で上杉の春日山城のあった「鉢伏山」とか「蜂須賀」の地名、北条政子の遺体を埋めた「谷津」が今は遊園地。
・・・・・(中略)・・・・・
が八ツはヤとも発音し、信長の保護政策で武器をもつ商人となり、ヤの出身を明示するために、近江屋、尾張屋と「ヤ号」をつけ「夷也」と蔑まれつつも稲荷として信仰。士農工商と非人すれすれに格づけされても、実力で生き残ったのでしょう。彼らは「ア元」「アミ元」とよばれ、今では「網元」と、さも漁師に網を貸与していたみたいに誤られます。


*日本書紀や古事記の創作された年代からが有史とみますと、<野史辞典>で分析していますように日本人の15%が弥生文化をもたらした銅鉄の大陸系。残余は七世紀までに日本に住みついていた四ツと八ツの日本原住民。仏教側が民族カラーが墨染めの黒なら、四ツは白色、八ツは赤色と金色。戦国時代に各武将が「馬印」として遠くからでも色彩で識別できるよう、型こそ違えそれぞれ立てていて、いくら混戦となっても絶対に誤った同士討ちを避けていたのも、これでよく理解でき得ます。
つまり今も葬式には黒白の水引や幕を用いますが、一般には85%の庶民はどちらかに入るのゆえ幕も水引も歌合戦すら紅白なのです。



(管理人)
アシュラと巨石で検索した記事から引用します。

https://www.city.yamatokoriyama.lg.jp/soshiki/hisyoka/shichoshitsu/1/4/2140.html
ところで「修羅」とは何なのでしょうか。
話は遠くインドに飛びます。
古代インドの神「阿修羅(あしゅら)」(略して修羅とも)は正義を司る神でしたが、力を司る神「帝釈天(たいしゃくてん)」に何度も戦いを挑む戦闘の神でもありました。
激しい戦いの場を「修羅場」と呼ぶのは、ここからきているといわれます。
激闘ののち、敗れた阿修羅は仏教の世界に取り込まれ、やがて仏法の守護神となりますが、何ごとにも動じることのなかった帝釈天を動揺させた、つまり帝釈(たいしゃく)=大石(たいしゃく)を動かした唯一の神が阿修羅だったことから、大石=巨石を動かす大きな木ぞりのことを「修羅」と称するようになったのだとか。



修羅をウィキより。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AE%E7%BE%85_(%E3%81%9D%E3%82%8A)
修羅(しゅら)は、重い石材などを運搬するために用いられた木製の大型橇(そり)である。
重機の存在しなかった時代に重いものを運ぶ重要な手段であった。コロなどの上に乗せることで、摩擦抵抗を減らすことができる。古墳時代には古墳の造営にも使用されていたと考えられているが、巨石運搬具を「修羅」と呼ぶようになったのは近世以降であり、古墳時代にこの名称は存在しない。



修羅と石の写真が掲載されています。

https://westnara.com/koriyama/spot.php?pid=1634025218



築城にも修羅が使われていたそうです。

https://www.yamagen-jouzou.com/murocho/aji/kojyou5/kojyou5_20.html
名古屋市博物館には、「築城図屏風」という絵図が所蔵されています。とても賑やかでエネルギッシュな築城普請の情景を描いた4幅屏風で、慶長10年代(1605-1615)の作品と推定されています。どこの誰が、どこの御城の築城の様子を描いたのか、また、誰に頼まれて描いたのかは、分からないのですが、石積み工法や建材の運搬方法などが事細かに描かれており、当時の築城工事の様子をつぶさに伝えるたいへん貴重な歴史資料です。
・・・・・(中略)・・・・・
これほどの巨石となると車のついた運搬具は使わず、シュラという巨大なそりの形をした運搬具にのせて、丸太をかませながら地面を直接曳きました。この絵の枠には収まりきっていませんが、100人以上の大人数でこの巨石は引かれています。
 シュラは修羅と書き、仏陀の守護神の阿修羅に由来する名だそうです。藤井寺市ホームページの「歴史探訪」によると、「だれにも動かすことができなかった帝釈天を、唯一動かした神が、阿修羅だった。この故事から、帝釈(たいしゃく)と大石(たいしゃく)をごろ合わせし、大石を動かす木ゾリを修羅と呼ぶようになったらしい」とのこと。
 古墳時代から既にこのシュラという大ゾリは存在したそうです。




「アラブ流民が黒潮暖流にのって漂着し、彼ら特有のアシュラとよばれ、ピラミッドを積みあげた石工技術をかわれ、軟らかい石をきり出して巨石をつみあげる使役に、次々と奴隷としてつかわれた」とのことですが、このような日本に渡来したアラブ流民は、アシュラという石工技術を日本に持ち込み、巨石文化も持ち込み、築城にも関わったようですね。
日本に渡来したアラブ流民は、石工であったフリーメーソンの原点なのかもしれませんね。


話は変わって、祇園祭に限らず日本の祭りには、今でも「稚児行列」が着かざってねり歩きますが、このような歴史が隠されていたのですね。恐ろしい限りです・・・。


薩摩が廃仏稀釈騒ぎで寺々を襲って仏像をこわし放火して廻った理由も分かりました。
要するに、特に薩摩は仏教勢力に対して恨みを持っていたということですね。


「てまえ、生国と発しまするは・・・」の起源も分かりました。
映画「男はつらいよ」で寅さんが柴又生まれであることを発するのも、元はこういったことが起源なんですね。「仁義を切る」は誤りで、「神祇を切る」(調べあう)が正解なんですね。


「日本人の85%をしめる庶民の血脈は、騎馬民族の四ツとその倍もいる古代海人族の八ツなり」というのは、日本人は基本知識として覚えておくべきでしょう。
私も含め、ほとんどの日本人は、これらのいずれかであるということですナ。
「奈良興福寺の四天王像に足でぐっと踏んづけられている反仏派を代表する鬼が、故意に四本指にされています」とのことなので、今度興福寺に行ったら確認してみましょう(笑)
「源氏名」なる呼称の起源も分かりました。
「源氏名」が「当店では源氏の女しか客をとらせていません」という由来であり、「北条政子の命令は今も生きています」というのは、北条が源氏を支配してきたことを言っており、「北条政子(=古代海人族の八ツ)が源氏(=騎馬民族の四ツ)を支配してきた歴史が今も生きています」ということを指しているのかな?



本書に紹介したのは、本書に記されている膨大な情報の一部に過ぎない。
八切氏がどのようにして調べたのかは知らないが、ほぼ真実だと私は判断する。
恐らく、江戸時代までの日本人にはこれらのことは「常識」であり、誰もが知っていた「事実」なのだろう。

八百長明治維新以降、外国勢力に支配されたこの国の権力者は、こういった「真実の日本史」を後世の国民から隠蔽したのである。
代わりに「偽りの日本史」を「真実の日本史」と思い込ませるよう、メディアや学校教育を使って国民を「狂育」した。
八百長明治維新以降の「狂育」の最終仕上げが、現在のコロナ詐欺である。
国民を騙すだけでは満足せず、国民の命も奪おうとしているわけである。
もっとも、あの戦争でも同じことが行なわれたが。


八切氏は、こういった江戸時代までの日本人には「常識」であった「真実の日本史」を現代の“過去の真実を忘れた国民”に伝えてくれている唯一無二の人物なのだ。
まさしく「本当の人間国宝」なのである。
一人でも多くの日本人が、本書を手に取り、自分の目でしっかり読み込み、江戸時代までの日本人には「常識」であった「真実の日本史」を理解してくれることを願うばかりである。
「過去を理解していない人間に未来はない」のだから・・・


評点:100点






八切止夫



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