「自国の歴史に関心を持たない人は、この国がどういった勢力に支配されているかということにも関心がなく、いつまでも騙されたままでしょう。 当然そのような人がコロナ詐欺の本質を理解できないのは、言うまでもありません。」byソウルマン
「日本起源の謎を解く」③山本健造
先日紹介した太田龍氏の書を再読したことで、改めて本書の重要性に気づき、再読した。
以前紹介した本書の①と②のリンクを、ここに記しておく。
飛騨王朝のことを知らず、よく理解できない方も多いと思いますが、学校教育がひた隠しにする「本当の日本古代史」の「基本的知識」を身に着けてもらいたい。
勿論、本書をご自身の目で読んでもらいたいのは言うまでもありません。
自国の歴史に関心を持たない人は、この国がどういった勢力に支配されているかということにも関心がなく、いつまでも騙されたままでしょう。
当然そのような人がコロナ詐欺の本質を理解できないのは、言うまでもありません。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-599.html
私達の先祖は飛騨からきたと代々言い伝えがあります
「日本起源の謎を解く」①山本健造
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-606.html
ヤマトはヤマノフモトが語源である
「日本起源の謎を解く」②山本健造
改めて気になったことを、追加引用する。
項目ごとに私の感想を書いておきます。
*津田左右吉氏や井上光貞氏が抹殺しようとした神武より開化までの9代の事跡を調査してみると欠史9代などと簡単に抹殺できるようなものでない事を痛切に感じます。
神武天皇の事跡は『日本書紀』には具体的に詳しく記録されています。10代崇神天皇が別名、「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)」と云うから、この御方が神武天皇であって、神武から開化までの9代は架空のものだと津田氏や井上氏が云い出して、それに日本の一部の史学者が簡単に乗せられてしまうとは敗戦の虚無感と、日本の虚弱化を望む一部の思想家の醸し出したものと思います。
『日本書紀』には10代崇神天皇が「始めて戸口(戸籍)を調べて、課役(かやく)を仰せつけられた。これが男の弓弭調(ゆはずのみつぎ)、女の手末調 (たなすえのみつぎ) である。天神地祇(てんじんちぎ)ともに和(おだ)やかに、風雨も時も得て百穀(こく)もよく実り、家々には人や物が充足され、天下は平穏になった。ゆえにこれをほめて「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)」という。」と書いてあります。『日本書紀』をよめば崇神天皇は「はじめて戸籍をつくり、納税の制度をつくられたから、ハツクニシラススメラミコトと申し上げた」とあるので、神武天皇を架空のものと決めつける根拠にはなりません。
そして、神武天皇の尊体(なきがら)は畝傍山(うねびやま)の東北、(橿原市大字洞、字ミサンサイ)に葬ったとあり、崇神天皇の尊体(なきがら)は山辺道上陵(やまへのみちのへのみささぎ天理市柳本町)に葬ったと記されて、御陵もあるのですから、神武天皇は崇神天皇であるなどというのは「そう思う」という主観論以外の何ものでもありません。この筆法(ひっぽう)で9代の開化天皇までを否定してしまう程の暴論を吐くのは敗戦後の空白に乗じた無責任な人といえます。
もっとも津田氏は晩年に、その暴論を悔いて取り消したのですが、取り消した事は知っても知らぬ顔で、津田氏を祀り上げているのが現代日本の一部の史学界です。
ここに記されていることだけでも、明らかに津田左右吉の主張は破綻している。
しかし、晩年に主張を取り消したとのことである。
恐らく、八百長明治維新で権力を握った「彼ら」の傀儡・売国奴勢力に担ぎ出され、「偽りの古代史・天皇史を主張することで歴史学界の大家にしてやる」と言われてこのようなトンデモ発言をしたのだが、死ぬ間際になって自分のしでかしたことを恥じ、このままでは地獄に落ちてしまうと恐れ、この主張を取り消したのだろう。
しかし、「彼ら」の傀儡・売国奴勢力は、津田左右吉の主張取り消しを無視し続け、相も変わらず、偽りの古代史・天皇史を、さも「正しい古代史・天皇史」であるとばかりに今もなお歴史偽造に利用し続けているのである。
山本氏は「取り消した事は知っても知らぬ顔で、津田氏を祀り上げているのが現代日本の一部の史学界です」と述べておられるが、これは「彼ら」の命令であり、シナリオなのです。
コロナ詐欺と同じ“国民騙しの方程式”によるものなのです。
*天皇の即位式には大嘗祭が併せ行われます。
大嘗祭は『延喜式(えんぎしき)』(西暦967)に規定されていますが、大嘗祭には悠紀殿(ゆうきでん)と主基殿(すきでん)が設けられます。
なぜこの二殿が設けられるのか考えて見ると東のヤマト国と、西のヤマト国を天皇がまとめるという意味があると思われます。
東方のヤマトは雪の国であり、九州のヤマト国は鋤(すき)の国(農耕の切り)であり、その国より奉納した産物を御供えする御殿(ごてん)です。
東のヤマト国は東北のアラハバキ国(長髄彦)であり、西のヤマト国は九州のヤマト国(神武)のことです。ともに飛騨王朝の分家ということです。
その二国をまとめる儀式が大嘗祭だということです。
どっちにしても、こんなもんは税金の超無駄遣いなので、即刻廃止するべきでしょう(笑)
*『宋書』や『梁書』には倭の五王が位につく毎に使いを宋に遣わしたことが記録されています。
・・・・・(中略)・・・・・
ところが『外三郡誌』では「『宋書』に日(い)う倭国王安東(あんどう)大将軍とは、日本天皇にあらず。アラハバキ五王を日うものにして、他意非ざる処也」と出ています。即ち東方の安日彦(アビヒコ)、長髄彦(ナガスネヒコ)の子孫であると主張しているのです。
・・・・・(中略)・・・・・
更に安日、長髄彦の勢力は大和に攻め寄せ20代目のアラハバキ王が大和の天皇になったのが8代目の孝元天皇であると書いているのです。孝元天皇が死んで開化が即位した時に弟の大彦をアラハバキ王に即位させようとしたが反撃に会った。そこへ朝鮮人が侵入して天皇になった。これが10代の崇神天皇である」と書いているのです。
山本氏は『外三郡誌』のこの記述を否定していますが、私は「真実じゃないかな?」と思っています。
崇神天皇が朝鮮人(出雲族)であれば、崇神天皇から飛騨王朝由来の奈良・大和王朝から朝鮮人(出雲族)への乗っ取りが上手くいった理由が見えて来るからです。
「彼ら」の傀儡・売国奴勢力が津田左右吉に「天照大神や神武は存在しておらず、崇神天皇からが実在した天皇である」と主張させた理由が見えて来るからです。
「何故に「彼ら」の傀儡・売国奴勢力が崇神天皇を重んじているか」が見えて来るからです。
さてこの国の支配者は、一体どこの国から来た人物なのでしょうか・・・
「日本起源の謎を解く」
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以前紹介した本書の①と②のリンクを、ここに記しておく。
飛騨王朝のことを知らず、よく理解できない方も多いと思いますが、学校教育がひた隠しにする「本当の日本古代史」の「基本的知識」を身に着けてもらいたい。
勿論、本書をご自身の目で読んでもらいたいのは言うまでもありません。
自国の歴史に関心を持たない人は、この国がどういった勢力に支配されているかということにも関心がなく、いつまでも騙されたままでしょう。
当然そのような人がコロナ詐欺の本質を理解できないのは、言うまでもありません。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-599.html
私達の先祖は飛騨からきたと代々言い伝えがあります
「日本起源の謎を解く」①山本健造
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-606.html
ヤマトはヤマノフモトが語源である
「日本起源の謎を解く」②山本健造
改めて気になったことを、追加引用する。
項目ごとに私の感想を書いておきます。
*津田左右吉氏や井上光貞氏が抹殺しようとした神武より開化までの9代の事跡を調査してみると欠史9代などと簡単に抹殺できるようなものでない事を痛切に感じます。
神武天皇の事跡は『日本書紀』には具体的に詳しく記録されています。10代崇神天皇が別名、「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)」と云うから、この御方が神武天皇であって、神武から開化までの9代は架空のものだと津田氏や井上氏が云い出して、それに日本の一部の史学者が簡単に乗せられてしまうとは敗戦の虚無感と、日本の虚弱化を望む一部の思想家の醸し出したものと思います。
『日本書紀』には10代崇神天皇が「始めて戸口(戸籍)を調べて、課役(かやく)を仰せつけられた。これが男の弓弭調(ゆはずのみつぎ)、女の手末調 (たなすえのみつぎ) である。天神地祇(てんじんちぎ)ともに和(おだ)やかに、風雨も時も得て百穀(こく)もよく実り、家々には人や物が充足され、天下は平穏になった。ゆえにこれをほめて「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)」という。」と書いてあります。『日本書紀』をよめば崇神天皇は「はじめて戸籍をつくり、納税の制度をつくられたから、ハツクニシラススメラミコトと申し上げた」とあるので、神武天皇を架空のものと決めつける根拠にはなりません。
そして、神武天皇の尊体(なきがら)は畝傍山(うねびやま)の東北、(橿原市大字洞、字ミサンサイ)に葬ったとあり、崇神天皇の尊体(なきがら)は山辺道上陵(やまへのみちのへのみささぎ天理市柳本町)に葬ったと記されて、御陵もあるのですから、神武天皇は崇神天皇であるなどというのは「そう思う」という主観論以外の何ものでもありません。この筆法(ひっぽう)で9代の開化天皇までを否定してしまう程の暴論を吐くのは敗戦後の空白に乗じた無責任な人といえます。
もっとも津田氏は晩年に、その暴論を悔いて取り消したのですが、取り消した事は知っても知らぬ顔で、津田氏を祀り上げているのが現代日本の一部の史学界です。
ここに記されていることだけでも、明らかに津田左右吉の主張は破綻している。
しかし、晩年に主張を取り消したとのことである。
恐らく、八百長明治維新で権力を握った「彼ら」の傀儡・売国奴勢力に担ぎ出され、「偽りの古代史・天皇史を主張することで歴史学界の大家にしてやる」と言われてこのようなトンデモ発言をしたのだが、死ぬ間際になって自分のしでかしたことを恥じ、このままでは地獄に落ちてしまうと恐れ、この主張を取り消したのだろう。
しかし、「彼ら」の傀儡・売国奴勢力は、津田左右吉の主張取り消しを無視し続け、相も変わらず、偽りの古代史・天皇史を、さも「正しい古代史・天皇史」であるとばかりに今もなお歴史偽造に利用し続けているのである。
山本氏は「取り消した事は知っても知らぬ顔で、津田氏を祀り上げているのが現代日本の一部の史学界です」と述べておられるが、これは「彼ら」の命令であり、シナリオなのです。
コロナ詐欺と同じ“国民騙しの方程式”によるものなのです。
*天皇の即位式には大嘗祭が併せ行われます。
大嘗祭は『延喜式(えんぎしき)』(西暦967)に規定されていますが、大嘗祭には悠紀殿(ゆうきでん)と主基殿(すきでん)が設けられます。
なぜこの二殿が設けられるのか考えて見ると東のヤマト国と、西のヤマト国を天皇がまとめるという意味があると思われます。
東方のヤマトは雪の国であり、九州のヤマト国は鋤(すき)の国(農耕の切り)であり、その国より奉納した産物を御供えする御殿(ごてん)です。
東のヤマト国は東北のアラハバキ国(長髄彦)であり、西のヤマト国は九州のヤマト国(神武)のことです。ともに飛騨王朝の分家ということです。
その二国をまとめる儀式が大嘗祭だということです。
どっちにしても、こんなもんは税金の超無駄遣いなので、即刻廃止するべきでしょう(笑)
*『宋書』や『梁書』には倭の五王が位につく毎に使いを宋に遣わしたことが記録されています。
・・・・・(中略)・・・・・
ところが『外三郡誌』では「『宋書』に日(い)う倭国王安東(あんどう)大将軍とは、日本天皇にあらず。アラハバキ五王を日うものにして、他意非ざる処也」と出ています。即ち東方の安日彦(アビヒコ)、長髄彦(ナガスネヒコ)の子孫であると主張しているのです。
・・・・・(中略)・・・・・
更に安日、長髄彦の勢力は大和に攻め寄せ20代目のアラハバキ王が大和の天皇になったのが8代目の孝元天皇であると書いているのです。孝元天皇が死んで開化が即位した時に弟の大彦をアラハバキ王に即位させようとしたが反撃に会った。そこへ朝鮮人が侵入して天皇になった。これが10代の崇神天皇である」と書いているのです。
山本氏は『外三郡誌』のこの記述を否定していますが、私は「真実じゃないかな?」と思っています。
崇神天皇が朝鮮人(出雲族)であれば、崇神天皇から飛騨王朝由来の奈良・大和王朝から朝鮮人(出雲族)への乗っ取りが上手くいった理由が見えて来るからです。
「彼ら」の傀儡・売国奴勢力が津田左右吉に「天照大神や神武は存在しておらず、崇神天皇からが実在した天皇である」と主張させた理由が見えて来るからです。
「何故に「彼ら」の傀儡・売国奴勢力が崇神天皇を重んじているか」が見えて来るからです。
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