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「そもそもヤハウェが邪悪な神であるならば、その邪悪な神が唱える原罪なるものをそのまま信じること自体がどうかしているのだ。まさに「信じる者は殺される」のである。」byソウルマン

「魔法~その歴史と正体~」⑧K・セリグマン、(訳)平田 寛


前回に続く。以下、一部引用する。

*錬金術がほんとうに開花したのは、4世紀だった。それは、キリスト教が異教にたいして、無慈悲な闘いを挑んでいた最中である。この時期の筆者であるパノポリスのゾシモスは、みずから錬金術の弁護士をもって任じた。彼の寓意や注釈は、秘薬に関するもっとも深遠で尊ぶべき文書として、中世の専門家たちによって引用されている。
ゾシモスの言明によると、金属と宝石と匂いの知識は、『創世記』のなかであいまいに述べられている時代にまでさかのぼる。「神の子たち、人の娘の美しきを見たり」。神の神秘な子たちというのは、ノアの洪水以前に人間の女性と結婚した堕天使たちだと信じられていた。
ありがたいことに堕天使たちは、女性たちにさまざまな技術を教えた。あきらかにこれは、堕天使の伴侶たちが、宝石や極彩色の外衣や香水を身につけてその美しさを飾るようにという意図からであった。そこで古代の賢者たちは、堕天使は邪悪で、道徳と風習の破壊者だったにちがいないときめた。
テルトゥリアヌス(約160-240年)は、賢者たちの初期の信仰を確認し、神の子たちは、人間を「現世の快楽」へと誘惑しようという邪悪な目的で、その知恵を人間に伝えたのだ、といった。
ゾシモスによれば、これらのことが錬金術のはじまりを画したのだという。彼は、後期のユダヤ人や初期のキリスト教徒の著者たちがすでに言明していたことを、繰りかえしたわけである。ゾシモスはこの主題を念入りに組み立て、さらに錬金術のごく初期の師匠として神秘的なケメスという名も挙げている。しかしこの伝説的な金づくりの先祖については、実在したという証拠は何も残っていない。ところが、ケメスが『ケマ』と呼ぶ書物を書き、この書物を使って堕天使が人間の娘たちを教えた、ということになっている。ケメスと『ケマ』からケミアという語が生まれ、その結果、ケミアが錬金術そのものの呼び名になった。

*12世紀以来、錬金術師は、金属変成には動因になるものが必要だと言明した。彼らはこの動因を、多くの名で呼んだー賢者の石、賢者の粉末、偉大なエリキサ(錬金薬)、第五元素など。賢者の石は、液体の金属に触れると、それを金に変えると考えられた。

*賢者の石は、金属を変成する力のほかにも、ふしぎな効能をもっていた。それは、一切の病気を治し、天寿以上に生命を延ばすことができた。

*宇宙には、四つの元素がある。これについては、アグリッパだけでなく、数世紀にわたるすべての学者たちが認めていた。それは火、水、土、空気である。ところが、ここの第五元素というものがある。これは、天上では星のすべてに、下界では地上のすべてのものにしみこんでいる。第五元素は、あらゆる物体に活気を与える世界の霊魂である。そして「重い大地で阻まれて」いて、解放もされず、目にも見えないが、それはあまねくいきわたっている。物質のなかにある第五元素を解放できる人は、神が物質世界に授けた創造力を、みずから手中におさめるであろう。イシスのような、成長と発育をつかさどる古代の女神たちは、錬金術師にとっては、賢者の石のなかにひそむ発生力である第五元素の象徴にすぎなかった。

*グノーシス説とカトリック教との根本的な違いは、罪についての概念である。正統派の教会は、つつましく原罪を認め、唯一の救いは、怒れる神をなだめることによって可能になると主張した。これは神の子キリストがみずから進んで犠牲となったときに実現した。キリストの血はアダムの罪をぬぐいさった。
しかし、一方では多くのグノーシス派がいた。彼らは、自分たちの有罪を認めず、アダムの行為は神の不正によっておこされたものだと弁明した。前に指摘したように、彼らは、物質世界の創造者は不完全な宇宙の不完全な製作者にすぎない、と宣言した。不完全な製作者とは、『旧約聖書』の神であり、この神はキリストを殺すためにユダヤ人を怒らせた嫉妬ぶかい神だった。父なる神の陰謀によって、神の子は殺された。このようにグノーシス派の人びとは、非難の対象をひっくりかえし、自らの罪悪感を、原告である怒れる神にむかって投げつけた。


(管理人)
少なくとも当時はカトリック・キリスト教とグノーシス派は対立していたのだろう。
今はどうか分からないが・・・。
バチカンに代表される現在のカトリック・キリスト教は、明らかに悪魔勢力の配下にある。
かといってグノーシス派が善かというと、甚だ疑問である。
両勢力とフリーメーソンの関係を考えれば、どちらも関係してそうだが、今の邪悪なバチカンを見る限り、バチカンに代表されるカトリックはほぼフリーメーソンと同一と見做すべきだろう。
グノーシス派はヤハウェを「キリストを殺すためにユダヤ人を怒らせた嫉妬ぶかい神だった」と見做しており、さらには「父なる神の陰謀によって、神の子は殺された」と解釈しているという。
たいていの“善良なるキリスト教信者の方”にとっては信じがたくかつ許せない説であろうが、冷静に考えてみればグノーシス派の考えの方が正しいかもしれない。
聖書を読み終えて改めて確信したが、ヤハウェが善なる神とはどうひっくり返って考えても思えない。
何度も言うが公式のカトリック・キリスト教の代表であるバチカンは悪魔の勢力下にあるのだから、悪魔の手下であるバチカンを信じられるわけがないのである。
原罪に対する考えも、当然のごとくカトリック・キリスト教とグノーシス派は正反対である。
アダムとイヴの物語も、エデンの園も、堕天使も、正反対の考えである。
そもそもヤハウェが邪悪な神であるならば、その邪悪な神が唱える原罪なるものをそのまま信じること自体がどうかしているのだ。まさに「信じる者は殺される」のである。
それとも今はカトリック・キリスト教とグノーシス派は一体化しているのだろうか。
ともにフリーメーソンとして。ともに悪魔の配下として・・・。









魔法~その歴史と正体



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Posted byソウルマン

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