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ソウルマン

<軍歌特集>「愛国行進曲」「紀元二千六百年」「紀元二千六百年」の替え歌

<軍歌特集>今日は、2曲プラス1曲です(?)
「愛国行進曲」と「紀元二千六百年」です。メロディは同じに聞こえるのですが。
まずは、「愛国行進曲」です。
ウィキより。

愛国行進曲(あいこくこうしんきょく、旧字体: 愛󠄁國行進󠄁曲)は、戦前に広く歌われた日本の国民的愛唱歌である。終戦まで、事実上の第二国歌として扱われた。作詞は森川幸雄、作曲は瀬戸口藤吉。
1937年(昭和12年)8月に第1次近衛内閣(近衛文麿首相)が閣議決定した国民精神総動員の方針のもと、「国民が永遠に愛唱すべき国民歌」として同年に組織された内閣情報部(のちの情報局)によって歌詞が公募され「美しき明るく勇ましき行進曲風のもの」「内容は日本の真の姿を讃え帝国永遠の生命と理想とを象徴し国民精神作興に資するに足るもの」などの規定が設けられた。国民歌謡で放送。

応募は57,578点にのぼり、その中から鳥取県西伯郡境町(現:境港市)在住の印刷業経営者であった森川幸雄の歌詞が選ばれた。任命された審査員は、乗杉嘉寿、片岡直道、穂積重遠、佐佐木信綱、河井酔茗、北原白秋および島崎藤村の7名であった。ただし、審査員によって補作が行われ、ほとんど原詞はリメイクされている。審査員の北原白秋と佐佐木信綱は補作のやり方を巡って対立し、生涯にわたり和解しなかった。また、その歌詞に対する曲の応募も10,000点を超え(一書に9,555点)、こちらは「軍艦行進曲」の作曲でも有名な元海軍軍楽隊長の瀬戸口藤吉の曲が選ばれた。任命された審査員は、岡田国一、内藤清五、橋本国彦、信時潔、山田耕筰、小松耕輔、堀内敬三および近衛秀麿の8名であった。

同年12月24日、首相官邸で内閣情報部内発表会として初めて公の場で演奏され、2日後の26日に日比谷公会堂で一般聴衆に発表された。



次に、「紀元二千六百年」です。
ウィキより。

紀元二千六百年(きげんにせんろっぴゃくねん)は、1940年(昭和15年)の日本において「皇紀(神武天皇即位紀元)2600年」を祝して制作された国民歌。
ラジオ放送によって広く流行し、下記のような替え歌でも有名になった。発売は同年2月新譜の臨時発売扱いで前年の12月20日前後に市場に出ている。
1939年(昭和14年)8月、内閣奉祝会・日本放送協会(現在のNHK)の主宰によって広く国民から「奉祝歌」を募集する企画によって誕生したもので、約1万8000の応募の中から、東京・神保町の教科書出版所店主増田好生の歌詞が一等に選ばれ、同時に募集した作曲は当時東京・杉並区在住だった音楽教諭森義八郎の曲が採用された。これは公定の奉祝歌として東京音楽学校に嘱託された「紀元二千六百年頌歌」(信時潔作曲)とは別曲であり、「奉祝国民歌」として位置づけられた。レコードは6社競作で製作され、各社共にレーベルは特殊仕様の意匠である。
日中戦争(支那事変)の長期化により国の専売物資として戦費調達のため一斉に値上げが行われたタバコの銘柄に掛けて「金鵄あがって十五銭、栄えある光三十銭、朝日は昇って四十五銭(「今こそあがる煙草の値」「今こそ来るこの値上げ」トモ)、紀元は二千六百年、あゝ一億の金は減る(「あゝ一億の民は泣く」トモ)」という替え歌が作られ、後年はむしろこちらのほうが有名になった。



両方の曲が歌われている動画です。



「紀元二千六百年」の替え歌です。少しは言論の自由が許されていたのでしょうか。驚きです。




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Posted byソウルマン

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