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ソウルマン

「世に語られている歴史は、ほとんど嘘である」byフランソワ・ラ・ロシュフーコー(17世紀フランスの箴言家)

「地球の落とし穴」①広瀬隆

1998年の書である。再読した。
複数回に分けて記す。以下、一部引用する。

*また、NHKと衛星放送の覇を競ってきた香港実業界のナンバー・ワン李嘉誠(りかしん)も、貿易から不動産に広がるコングロマリット長江実業の経営者であり、息子のリチャード・リーと共に、香港株式市場の20パーセントを保有する帝国を築いてきた。
その系譜を生み出したのが、1840年から42年にかけて戦われたアヘン戦争であった。当時日本は、まだ幕末の鎖国状態にあり、ヨーロッパとロシアの戦艦がやってくるたびに、これを押し返し、何とか江戸のチョンマゲ文化を保っていた。ところがイギリスは、中国の清朝政府との独占的貿易を許されていた東インド会社が、1834年にその権利を剥奪されたため、中国貿易に精通していたジャーディン・マセソン商会が代って台頭した。
彼らは、そのころの貴重な対価である銀を中国人に渡すのは勿体ないと、インドで
栽培させた麻薬のアヘンを大量に中国に送り込みながら、ほとんどただ同然に、茶や絹の貿易を進めたのである。
このジャーディン・マセソン商会がまた、今日の香港貿易のうち、コニャックのヘネシーなど、いわゆる無関税の商品を大量に扱って、日本人観光客が買うみやげ物などで、世界貿易の黒幕として君臨してきた。94年にこの巨大商社が、「香港の中国返還」に対して用心深くも、拠点を香港からシンガポールに移してしまった。いずれ香港が中国に返還されたとき、共産主義者にそっくり利権を奪われては大変と、貿易そのものは続けて莫大な利益をあげながら、巧みに本体を隠したのである。
再びアヘン戦争の昔に戻ると、このジャーディン・マセソン商会などを中心としたイギリス商人に取引を迫られた清朝政府は、もともと中国人の中では主流ではない東北部の満州に発した愛新覚羅一族の道光帝が支配する治世にあった。のち、この皇帝の息子の代に、侍女から摂政となって紫禁城を治めた独裁者が、悪女として名高い西太后である。
彼女を従叔母(おおおば)として生まれ、映画『ラストエンペラー』に描かれた悲劇の皇帝・溥儀の運命をたどれば分るように、清朝政府は、中国人から決して好かれていなかった。むしろ王朝は、満州からやってきた異端者であった。
イギリス商人は、そこにつけ込んで、清朝に不満を抱く中国人を悪用しながら、アヘンの取引を迫り、開戦してたちまち香港を手に入れ、上海を占領した挙句、植民地として貿易港を確保したのである。
・・・・・(中略)・・・・・
日清戦争当時の外務大臣として名を遺した陸奥宗光を手際よく処理したのが、イギリス公使ハリー・パークスという人物で、この名は明治維新時代の記録に何十回も登場する。実は、われわれが知る日本史の中で、出自について何も言及されていないこの人物こそ、ジャーディン・マセソン商会創業者の血族であり、アヘン戦争で台頭した男だったのである。しかもその直系子孫が、現代香港で香港上海銀行を支配するケスウィック・ファミリーである。
したがって、陸奥宗光が日本の開国政策を強く主張した裏に、最大の実力者として麻薬商人の入れ知恵があったことになる。

*17世紀フランスの箴言家フランソワ・ラ・ロシュフーコーの語った次の言葉がある。
「世に語られている歴史は、ほとんど嘘である」
異常気象も、何者かの仕掛けかもしない。とかくこの地球は落とし穴だらけである。


(管理人)
「東インド会社が、1834年にその権利を剥奪された」とのことだが、このことに関する記事を見てみた。

https://sekainorekisi.com/glossary/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E6%9D%B1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E4%BC%9A%E7%A4%BE/
イギリス本国の新興産業資本家や特権をもたない商人たちは、早くからイギリス東インド会社のアジア貿易独占を批判し自由貿易を求めてきたが、イギリス政府はこうした要求のもとに1813年に会社のインド貿易独占を廃止し、33年には会社の商業活動を全面的に停止させた。ここにいたってインドはイギリス産業資本の自由な市場として解放され、会社はインド統治の機関にすぎなくなった。

これはあくまでも表向きのフェイクニュースだろう。

NHKのテレビニュースのようなものである(笑)

「東インド会社が、1834年にその権利を剥奪された」というのはフェイクであると私は判断する。「同じ勢力が名称を変えてアジア支配を行なっていたに過ぎない」と判断する。

東インド会社もサッスーン財閥もジャーディン・マセソン商会も根は同じである。
はい、「彼ら」である。ロスチャイルドである。

以下のサイトから引用する。

http://www1.s-cat.ne.jp/0123/Jew_ronkou/china/ahensensou_butaiura.html
阿片戦争(1840年~1842年)は調べれば調べるほど、汚い戦争だったことが分かる。 1971年に「第25回毎日出版文化賞」を受賞した陳舜臣氏の著書『実録アヘン戦争』(中央公論新社)には次のように書かれている。「アヘン戦争は、単にイギリスによるアヘン貿易強行のための中国侵略戦争以上の意味を持っている。 この “西からの衝撃” によって、我々の住む東アジアの近代史の幕が切って落とされたのである」。

阿片戦争は、イギリスの「サッスーン財閥(サッスーン家)」を抜きにして語ることはできない。「サッスーン財閥」という名を初めて聞く人は多いと思う。 以下で詳しく紹介していく。

サッスーン家は18世紀にバグダードに台頭したセム系ユダヤ人の富豪で、オスマン帝国の治世下にあって財務大臣を務めるほどの政商であった。 デビッド・サッスーン(1792年~1864年)はサッスーン家の子としてバグダードに生まれ、そこで活動していたが、シルクロードの交易によって益々その富を蓄え、ボンベイ(現ムンバイ)へ移住した。 彼は1832年にボンベイで「サッスーン商会」を創業し、インド産の阿片を密売し始めた。 サッスーン商会はイギリスの東インド会社からインド産の阿片の専売権を取得し、阿片をシナで売り、シナの銀を運び出し、とてつもない利益を上げた。 デビッド・サッスーンは「阿片王」と呼ばれる程になった。 彼はイギリス紅茶の総元締めでもあり、麻薬と紅茶は、彼の手の中で同時に動かされていた。
・・・・・(中略)・・・・・
サッスーン財閥は、デビッド・サッスーンの死後、アルバート・サッスーンが相続し、次いで、エドワード・サッスーンが相続し、三代の間に巨富を築いた。 エドワード・サッスーンの死後、ビクター・サッスーン(1881年~1961年、デビッド・サッスーンのひ孫)がサッスーン財閥を相続した。 ビクター・サッスーンは「上海キング」と呼ばれ、極東で一、二を競うユダヤ人大富豪であり、上海のユダヤ人社会のリーダーであり、サッスーン一族の最盛期を現出した人物であった。 彼は不動産投資に精を出し、破綻した会社の不動産を買い叩き、借金の担保の不動産を差し押さえ、「グローヴナーハウス(現・錦江飯店中楼)」「メトロポールホテル(現・新城飯店)」「キャセイマンション(現・錦江飯店北楼)」などを次々と建築した。 中でも彼の自慢は「サッスーンハウス(現・和平飯店)」で、これはサッスーン家の本拠として建設したものである。 その後、彼は貿易・運輸・各種軽工業などにも事業展開していき、彼の最盛期の資産は上海全体の20分の1もあったと言われている。 彼は「東洋のモルガン」の異名を持っていた。 サッスーン家はロスチャイルド家と血縁関係を結んでいる。 三代目エドワード・サッスーンの妻はアリーン・ロスチャイルドである。 香港最大の銀行「香港上海銀行」の株の大部分を握ったアーサー・サッスーンの義理の弟は、金融王ネイサン・メイアー・ロスチャイルドの孫レオポルド・ロスチャイルドである。
・・・・・(中略)・・・・・
シナにおいて「サッスーン商会」と並んで二大商社の名を馳せたのは、「ジャーディン・マセソン商会」である。 この会社は、イギリス系貿易商人のウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンにより、1832年にシナの広州に設立された貿易商社である。 設立当初の主な業務は、阿片の密輸入と茶のイギリスへの輸出で、阿片戦争に深く関わっていた。 この「ジャーディン・マセソン商会」は、日本では、幕末・明治期の重要人物であるトーマス・グラバーが長崎に代理店(グラバー商会)を設立したことで知られている。 横浜にも、1859年にイギリス商人ウィリアム・ケスウィックが支店を設立し、その商館は地元民から「英一番館」と呼ばれていた。
・・・・・(中略)・・・・・
「ジャーディン・マセソン商会」と「サッスーン商会」。 この2つの巨大商社を筆頭にして、その後も続々と貿易商社が進出してきた。「宝順洋行(デント商会)」「仁記洋行(ギブ・リビングストン商会)」「旗昌洋行(ラッセル商会)」などのイギリスとアメリカの商社がいる一方で、中小の地元商社やアジアからの商社などが雨後の竹の子のように増え続けた。 不確実な数字だが、外国の商社は1837年に39社だったものが、20年後には約300社に増え、1903年には、なんと600社強にものぼったという。

欧米の商社が業務を拡大し、取引金額が増えるに従い、儲けたお金を安全にイギリス本国へ送るにはどうしたら良いかが問題となった。 よいアイデアがすぐに浮かんだ。 銀行の設立である。 1865年3月、「サッスーン商会」「ジャーディン・マセソン商会」「デント商会」らは15人の代表発起人を決め、資本金500万ドルを投じて香港に「香港上海銀行」を設立した。 サッスーン・グループのアーサー・サッスーンら8人が理事会役員に就任し、1ヶ月後には上海で営業を開始した。「香港上海銀行」の最大の業務は、阿片貿易で儲けたお金を安全に且つ迅速にイギリス本国へ送ることであった。 この銀行は、第二次世界大戦前、上海のバンド地区を中国大陸の本拠としていたが、1949年の中国共産党政権成立後の1955年に、本社ビルを共産党政権に引き渡した。 その後、中国各地の支店は次々に閉鎖された。 しかし現在、この「香港上海銀行」は、英国ロンドンに本拠を置く世界最大級の銀行金融グループに成長している。 ヨーロッパとアジア太平洋地域とアメリカを中心に世界76ヶ国に9500を超える支店網をもち、28万人の従業員が働き、ロンドン、香港、ニューヨーク、パリ、バミューダの証券取引所に上場している。 時価総額規模では、アメリカの「シティグループ」「バンク・オブ・アメリカ」に次ぎ世界第3位(ヨーロッパでは第1位)である。 現在、香港の「中国銀行」及び「スタンダード・チャータード銀行」と共に香港ドルを発券している。





本書には「ハリー・パークスは、ジャーディン・マセソン商会創業者の血族であり、アヘン戦争で台頭した男だったのである。しかもその直系子孫が、現代香港で香港上海銀行を支配するケスウィック・ファミリーである」と記されている。
同様の指摘が下記のサイトに記されている。

https://www.japanjournals.com/culture/gudaguda/17095-gudaguda-128.html
▶裏のイギリスとはロスチャイルド家だ。グラバー商会や英系銀行は内戦を望んでいたとしても何の不思議はない。だって戦争は儲かるんだもの。ただし、ロスチャイルド家代理人のジャーディン・マセソン商会がどちらの立場だったかは分からない。同社の子会社的存在だったグラバー商会が維新後、財政破綻に直面した際、救済せずに切り捨てたことを考えると、ロスチャイルドも内戦を望んでいなかった可能性が高い。いずれにしても筆者、ロスチャイルド家と繋がっていたのはアーネスト・サトウだと思っていた。しかしそれは正確ではなかった。サトウ以外にもう一人、いた。
▶2代目公使のパークスは大政奉還3年前に来日し、以降18年間、日本近代化の目撃者となった。1883年に清国大使となって北京に異動。2年後、マラリアで死んだ。57歳だった。筆者はこのパークスがイギリス政府の代理人であり、サトウがロスチャイルドの代理人ではないかと疑っていた。しかしその考えを改めざるを得ない資料に出くわした。パークスの娘たちの嫁ぎ先だ。長女マリオンはジェームズ・ジョンストン・ケズィックと言う男と結婚した。ん? ん?ん? ジャーディン・マセソン商会初代横浜支店長ウィリアム・ケズィックの弟で後にジャーディン・マセソン本社のトップに君臨する男だ。さらに三女フランセスはウィリアム・ケズィックの孫でジャーディン・マセソン社取締役となるチャールズ・ディクソンと結婚。つまり婚姻を通してパークスもまたどっぷりロスチャイルド家と繋がっていたことになる。
▶ずっと以前、当欄に登場した謎だらけの人物、吉田健三は17歳でイギリスに密航し、2年後に帰国。わずか19歳でジャーディン・マセソン商会横浜支店長に抜擢され、期待通り同社にギガトン級の利益をもたらした。その謙三の養子が吉田茂。そして茂の孫が麻生太郎氏。麻生氏が今でもジャーディン・マセソン社4代目会長だったヘンリー・ケズィック氏と家族ぐるみでとても親しい関係にあるらしいことは以前書いた。パークスとサトウ。幕末から明治にかけてのイギリス政府の代表が実は2人揃ってロスチャイルド家とガッツリ繋がっており「日本を極東のイギリスにせよ」という指令を忠実に実行していた可能性が高い。あれ、紙面が尽きた。次号に続くぜ。チャンネルはそのままだ。




グラバーがジャーディン・マセソン商会から遣わされた人間であることは有名な話である。
ジャーディン・マセソン商会から遣わされた人間はグラバーだけではありませんでした。
ハリー・パークスもジャーディン・マセソン商会の人間だったのである。
ジャーディン・マセソン商会って何ですか?
はい、ロスチャイルド系列の麻薬貿易&武器売買企業ですよ。
先程も書いたように、東インド会社もサッスーン財閥もジャーディン・マセソン商会も「彼ら」の配下の組織・企業である。はい、ロスチャイルドである。

アヘン戦争も明治維新も仕掛け人は「彼ら」ロスチャイルドでした。

明治維新以来の悪魔の傀儡による売国支配は今も続いています。

「吉田健三が19歳でジャーディン・マセソン商会横浜支店長になり、その養子が吉田茂であり、その孫が麻生太郎」という有名な話からも分かるように、「彼ら」の傀儡の売国奴を使った日本支配は今も続いています。
アヘン戦争の麻薬売買の流れは岸信介に引き継がれており、さらには先日“暗殺ごっこ”を演じた孫の安倍及び他の売国奴工作員に引き継がれているのです。

学校教育・新聞テレビに騙されている”普通の人”は、こういった「真実の歴史・売国の歴史」を理解していないため、“暗殺ごっこ”が理解できないのだ。安倍は生まれた時からこの”狂った売国システム”を背負わされており、岸信介の後継者として”総理大臣役”を演じるように命じられて、最終的には“暗殺ごっこ”を演じるように命じられたのである。もし安倍がこの役を演じることを拒否したら、本当に暗殺されてしまっていたことだろう。“暗殺ごっこ”の目的は、これから目に見えて来るだろう。それはテロ対策を口実とした国民監視体制の強化であり、憲法改悪であり、緊急事態条項であり、八百長戦争に国民を巻き込むことである。

広瀬隆は「ジャーディン・マセソン商会は、いずれ香港が中国に返還されたとき、共産主義者にそっくり利権を奪われては大変と、貿易そのものは続けて莫大な利益をあげながら、巧みに本体を隠した」と記しているが、これは間違いですよ。
何故なら、中国共産党を作ったのも「彼ら」ですから。「右も左も根は同じ」ですから。
ジャーディン・マセソン商会は表向き本体を隠す芝居をしただけですよ。
ジャーディン・マセソン商会も中国共産党も同じ勢力が作った傀儡なのですから。

ジャーディン・マセソン商会(西側企業)と中国共産党は対立なんてしてないんですよ!

本書で紹介されているように、「世に語られている歴史は、ほとんど嘘である」のです。

詳細は昨日書いたが、「中国とアメリカは対立している」とか「バイデンとトランプは対立している」とか「コロナの治療にイベルメクチンが効果がある」といった噓八百を垂れ流す工作員陰謀論者・工作員ユーチューバー・工作員ブロガー等に騙されてはいけません!




広瀬隆


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