「右も左も根は同じ。マルクスもスターリンもヒトラーも根は同じ。」byソウルマン
「ロマノフ家の黄金」②広瀬隆
前回に続く。以下、一部引用する。
*フルシチョフについて見れば、筆者が見た限りいかなる人名録にも、父母や妻子の名前さえ記されていなかった。
*簡単な歴史のトリックだが、フルシチョフの履歴についてすべてとは言わないが、ある部分が創作されてきた可能性のほうがはるかに高いと考えられる。系譜が事実であるならば、まったく話に整合性がないからである。それがクレムリンの指導者すべてについて明らかになった今、ひとつの結論が導かれるだろう。クレムリンの指導者は上流階級であった、と。
*第二次大戦の開戦直後、ポーランド人の将校たち1万5000人が忽然と消え去り、やがてカガノヴィッチ・サークルによって虐殺された“カチンの森”事件で「ポーランド人を殺したのは、ナチス・ドイツの犯罪だ」という偽りの報告書を書いたアレクセイ伯爵が、ニキタ・フルシチョフの家系図から出てきたからである。わが愛する『戦争と平和』の文豪レフ・トルストイと、この偽報告を書いたアレクセイ・トルストイは悲しむべきことに一族であった。
*スヴェトラーナが書いている“父スターリンがストライキを組織した工場”というのは、正確にはロスチャイルド工場であった。ダイナマイト一族のノーベル兄弟が権益を確保したバクー油田は、1883年からロスチャイルド財閥の手で石油の販売が開始され、バクーと黒海のバトゥーミまで鉄道が敷設される大事業に踏み出していった。
*レーニンの母方の曾祖父イワン・グロスショップ(グロショップフ)は、スウェーデンから来たユダヤ人宝石商で、こともあろうに栄華を誇るロマノフ家の女帝エカテリーナ二世の時代に、首都ペテルブルクで貿易商人協会の会長であった。そして次々と愛人を取っかえ引っかえしたこの女帝にとって、“貢物をもって訪れ、さまざまな入れ知恵をしてくれる強力な友人”がグロスショップだったのである。ロシア革命がなぜ民衆を殺すという誤った方向に進んだか、その原因を理解するには、まず指導者たちがいずれも“本物の労働者階級”ではなかった史実を発掘するところから、歴史学のペレストロイカとグラスノスチをはじめたい。
*レーニンが幼年時代を過ごしたのは、明らかに上流階級が集まる邸宅地だったが、レーニンことウラジミール・ウリヤノフの長姉アンナが結婚した相手は、“最も富裕な階級”に属する正真正銘のロマノフ貴族エリザロフである。同家は、ロシア貴族の系譜書では16世紀の古い記録までしか残っていないため本書で系図を明示できないが、その時代に5万余の農奴を所有した悪名高きボリス・モロゾフの分家だったことまで判明している。このモロゾフ家は、19世紀に台頭した農奴出身の富豪モロゾフとはまったくの別の家系で、その閨閥はロマノフ家そのものという大貴族であった。
*マルクスの結婚相手は、イェニーことヨハンナ・ヴェストファーレンという女性で、こちらはかつてのヴェストファール家から成りあがった新興貴族だが、新興貴族とは「大金を持っているので上流階級に認知された」ということを意味していた。
従来のマルクス伝説でこれらのことがほとんど語られていないのは不思議だが、妻イェニーの腹違いの姉の家系は、母方のおじが大蔵大臣フェルトハイムであった。このおじさんは、間違っても共産主義などという危険な思想の持ち主ではなかった。
フェルトハイム家をさらにくわしく見れば、ラスプーチンが暗殺される二カ月ほど前に、当時ドイツで最大の企業、そして世界最大の化学コンツェルン「IGファルベン」の創業者デュースベルクの娘と結婚していたのである。IGファルベンとは、ドイツ語で「染料シンジケート」を意味するつまらない社名だが、当時の染料は、繊維工業の化学染料から出発した有機化学の代名詞、つまり最も華やかな近代産業のシンボルであった。IGファルベンは、デュースベルクの死後ナチスによって掌握され、アウシュヴィッツの収容所を経営したことであまりに有名である。
(管理人)
スターリンはロスチャイルド?
(さてはてメモ帳)さん
https://satehate.exblog.jp/14226211/
1878年、スターリンが誕生した当時、その巨大な石油ビジネスが進行中で、抜け目のないロスチャイルド一族は、秘密の独占を通して大々的にロシアの石油に資本を投下する計画をしていた。 [これはまさにどのようにしてロスチャイルド一族が秘密裡にロシアを支配するようになったか、そして従ってロシアの石油について唯一のプレイヤーになったのかという物語である。]
なぜあるロスチャイルドが、スターリンのグルジア共和国に自分自身でいたのだろうか?
その答えは実際とても単純である。 一人のロスチャイルドにとって、アゼルバイジャンのバクー油田に旅するためには、彼は・・・グルジアを通って旅せねばならない!
兵站的には、ロスチャイルドのヨットはたぶんフランスの海岸から出航して、おそらく、ポーチあるいはバトゥーミ[Batumi](バトゥーミは、偶然にもスターリン出生の年である1878年3月までグルジアに組み込まれていなかった)の港に到着しただろう。
そのロスチャイルドの旅行隊は、約100マイル内陸で、スターリンの生誕地ゴーリ[Gori]に達するグルジアを横断するだろう。 ゴーリは、一つの道理に適った休憩地点を提供してきただろう。 彼らがある裕福なユダヤ人のワイン商人の客であっただろうことは想像もつかないわけではない。 (それはまた、おそらく、例えばワイン商人の従業員の中の一人のかわいらしい洗濯女と親密になるある機会を提供しただろう。)
ゴーリ後、ロスチャイルドの旅行隊は、グルジアの首都ティフリス[Tflis](今のトビリシ[Tbilisi])まで、さらなるもう50マイルの旅を続けただろう。
1878年のティフリスでは 、要人として、ロスチャイルドの貴族の取巻きは、疑いもなく特別のやり方で、コーカサスのヴァイスロイ-ロシアのミハイル・ニコラエヴィチ大公[Grand Duke Michael Nikolaevich of Russia]によって歓待されただろう。
[ロシアのミハイル・ニコラエヴィチ大公(1832.10.3-1909.1 2.1 8)は、ロシアのツァーリ・ニコラス一世[Tsar Nicholas I of Russia]とプロシアのシャルロッテ[Charlotte of Prussia]の 4番目の息子で7番目の子供であった。彼は、トビリシに定住して、長期間 (1862-1882) コーカシアの総督(ヴァイスロイ)を務めた。-ウィキペディア]
その大公の巨大な宮殿は、バクー油田へ向かう途中の一人のロスチャイルドにとって、確実に一つの相応しい休憩所であった。 私は容易に想像できる。美味しい地元のワインを飲みながら、ロシアの石油の将来について議論をしている その銀行家と大公を。
一緒になって、ロスチャイルド一族と帝政ロシアは、石油の世界を支配するだろう。最終的には、ジョン・D・ ロックフェラーによって所有されるスタンダード石油会社を生産量と販売で凌ぎながら。
私は、その大公がスターリンの父親の謎において、間接的な役割を果たしたと考えている。
サイモン・セバーグ・モンテフィオーレ[Simon Sebag Montefiore]によるヨシフ・スターリンについての最新の伝記『若きスターリン[Young Stalin]』(ちょうど2007年の10月に出版された)によれば、
スターリンの母親は、その大公に雇われていた!
モンテフィオーレを引用すると:
「ニコラエヴィチの王宮内に、エカテリーナ・ジュガシヴィリ[Ekaterina Djugashvili]、略してケケという名の一人の洗濯女が採用されていた。」
スターリンの母親ケケは、ティフリスのバイスロイとゴーリのワイン商人両者のために働いていた!
旅行中のロスチャイルド一行は、バクーに向かう途中、これらの両方の場所を訪問したか? それは当然そう思えるだろう!
https://satehate.exblog.jp/14239224/
バトゥーミを訪問した後、我々の謎のロスチャイルドは、大公とサン・ステファノ条約の成立を祝うためにティフリスに及んだか。その王宮の領域内でロシア石油の将来に乾杯するために。
ロスチャイルドは、大公に雇われたそのかわいらしい、意欲的な洗濯女と親密になったか?
もしそうであれば、そのような無邪気な一つの事件が、ロシアの石油とロシアの人々の将来に劇的な影響をもっただろう。
ロスチャイルドに活気づけられた洗濯女は、彼女のワイン商人雇用主のところ、ゴーリに働きに戻ったか? スターリンの母親とヤーコフ・エグナタシュヴィリは、一人のロスチャイルドの幼児を静かに育てたか。ヨシフ・スターリンは、彼の最初の息子をヤーコフ(ジェイコブ)と名付けたか。なぜなら、それはゴリのワイン商人の名前であったから、あるいはヤーコフはまた我々の知られざるロスチャイルドの父親の名前であったからか? (偶然にも、ヤーコフは、ロスチャイルド一族のフランス支部の家父長ジェームズ・ド・ロスチャイルド男爵のヘブライ語名であった。 )
スターリンがロスチャイルド一族のために働いたのは偶然ではなかった?
実際、スターリンは、サイモン・モンテフィオーレによると、ロスチャイルド一族によって資金提供されていた!
スターリンは、一人の「革命家」、資本主義とロスチャイルド一族が象徴するものすべてのの敵だったのか、あるいは、一人の秘密の利口なロスチャイルドの「回し者」だったのか?
ロスチャイルド一族は、一人の「革命家」に融資していたのか、あるいはロシア石油の帝政主義者のコントロールに対する彼らの秘密兵器に融資していたのか?
共産主義ロシアの政界でのヨシフ・スターリンの出世は、ロシアの全石油産業を独占することを狙った一つのロスチャイルド・クーデターであったと、私は示唆する。
秘密主義は、ロスチャイルドの手口である。 ロスチャイルドの成功と長寿の秘訣は、冷酷非情さと秘密主義である。
当初のロシア王室に対する銀行家たち、ロスチャイルド一族は、彼らのアジェンダを遂行する隠れた姻戚関係を持つ人形を使って、最終的には彼らの殺し屋になった。 一旦、ロマノフ一族が除去され、そして彼らの人間、スターリンがロシアの権力の操舵装置に据えられると、ロスチャイルド帝国は中央アジアの人びとを奴隷化し、そして何年もの間、彼らの足下にある天然資源を搾り取るだろう。
ロスチャイルド一族は、国有化を決して恐れない。彼らが静かに、ロスチャイルドの専門知識マネーサプライを通じて、その国の政策をコントロールする限りは。
https://satehate.exblog.jp/14253946/
エドモンド・ド・ロスチャイルドは、ソヴィエト・ロシアの独裁者として、一人の非嫡出子の息子を就任させることが可能だったか?
彼は確かによくロシア政府と通じていた。彼の家族はロシアに融資していた。エドモンドの兄アルフォンス[Alphonse]は、戦略的に、彼の娘をセント・ペテルブルクのロシア人銀行家、エフリュッシ[Maurice Ephrussi]と結婚させた。
マルクスはIGファルベンと繋がっており、IGファルベンはバイエル・モンサントと繋がっている。
https://www.afpbb.com/articles/-/3186001
モンサントと親会社バイエル、知っておくべき5つの事柄
https://gendai.media/articles/-/64222?page=1&imp=0
ドイツの伝統企業バイエル社が「訴訟連発」で深刻な危機を迎えていた
右も左も根は同じ。マルクスもスターリンもヒトラーも根は同じ。
広瀬隆
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前回に続く。以下、一部引用する。
*フルシチョフについて見れば、筆者が見た限りいかなる人名録にも、父母や妻子の名前さえ記されていなかった。
*簡単な歴史のトリックだが、フルシチョフの履歴についてすべてとは言わないが、ある部分が創作されてきた可能性のほうがはるかに高いと考えられる。系譜が事実であるならば、まったく話に整合性がないからである。それがクレムリンの指導者すべてについて明らかになった今、ひとつの結論が導かれるだろう。クレムリンの指導者は上流階級であった、と。
*第二次大戦の開戦直後、ポーランド人の将校たち1万5000人が忽然と消え去り、やがてカガノヴィッチ・サークルによって虐殺された“カチンの森”事件で「ポーランド人を殺したのは、ナチス・ドイツの犯罪だ」という偽りの報告書を書いたアレクセイ伯爵が、ニキタ・フルシチョフの家系図から出てきたからである。わが愛する『戦争と平和』の文豪レフ・トルストイと、この偽報告を書いたアレクセイ・トルストイは悲しむべきことに一族であった。
*スヴェトラーナが書いている“父スターリンがストライキを組織した工場”というのは、正確にはロスチャイルド工場であった。ダイナマイト一族のノーベル兄弟が権益を確保したバクー油田は、1883年からロスチャイルド財閥の手で石油の販売が開始され、バクーと黒海のバトゥーミまで鉄道が敷設される大事業に踏み出していった。
*レーニンの母方の曾祖父イワン・グロスショップ(グロショップフ)は、スウェーデンから来たユダヤ人宝石商で、こともあろうに栄華を誇るロマノフ家の女帝エカテリーナ二世の時代に、首都ペテルブルクで貿易商人協会の会長であった。そして次々と愛人を取っかえ引っかえしたこの女帝にとって、“貢物をもって訪れ、さまざまな入れ知恵をしてくれる強力な友人”がグロスショップだったのである。ロシア革命がなぜ民衆を殺すという誤った方向に進んだか、その原因を理解するには、まず指導者たちがいずれも“本物の労働者階級”ではなかった史実を発掘するところから、歴史学のペレストロイカとグラスノスチをはじめたい。
*レーニンが幼年時代を過ごしたのは、明らかに上流階級が集まる邸宅地だったが、レーニンことウラジミール・ウリヤノフの長姉アンナが結婚した相手は、“最も富裕な階級”に属する正真正銘のロマノフ貴族エリザロフである。同家は、ロシア貴族の系譜書では16世紀の古い記録までしか残っていないため本書で系図を明示できないが、その時代に5万余の農奴を所有した悪名高きボリス・モロゾフの分家だったことまで判明している。このモロゾフ家は、19世紀に台頭した農奴出身の富豪モロゾフとはまったくの別の家系で、その閨閥はロマノフ家そのものという大貴族であった。
*マルクスの結婚相手は、イェニーことヨハンナ・ヴェストファーレンという女性で、こちらはかつてのヴェストファール家から成りあがった新興貴族だが、新興貴族とは「大金を持っているので上流階級に認知された」ということを意味していた。
従来のマルクス伝説でこれらのことがほとんど語られていないのは不思議だが、妻イェニーの腹違いの姉の家系は、母方のおじが大蔵大臣フェルトハイムであった。このおじさんは、間違っても共産主義などという危険な思想の持ち主ではなかった。
フェルトハイム家をさらにくわしく見れば、ラスプーチンが暗殺される二カ月ほど前に、当時ドイツで最大の企業、そして世界最大の化学コンツェルン「IGファルベン」の創業者デュースベルクの娘と結婚していたのである。IGファルベンとは、ドイツ語で「染料シンジケート」を意味するつまらない社名だが、当時の染料は、繊維工業の化学染料から出発した有機化学の代名詞、つまり最も華やかな近代産業のシンボルであった。IGファルベンは、デュースベルクの死後ナチスによって掌握され、アウシュヴィッツの収容所を経営したことであまりに有名である。
(管理人)
スターリンはロスチャイルド?
(さてはてメモ帳)さん
https://satehate.exblog.jp/14226211/
1878年、スターリンが誕生した当時、その巨大な石油ビジネスが進行中で、抜け目のないロスチャイルド一族は、秘密の独占を通して大々的にロシアの石油に資本を投下する計画をしていた。 [これはまさにどのようにしてロスチャイルド一族が秘密裡にロシアを支配するようになったか、そして従ってロシアの石油について唯一のプレイヤーになったのかという物語である。]
なぜあるロスチャイルドが、スターリンのグルジア共和国に自分自身でいたのだろうか?
その答えは実際とても単純である。 一人のロスチャイルドにとって、アゼルバイジャンのバクー油田に旅するためには、彼は・・・グルジアを通って旅せねばならない!
兵站的には、ロスチャイルドのヨットはたぶんフランスの海岸から出航して、おそらく、ポーチあるいはバトゥーミ[Batumi](バトゥーミは、偶然にもスターリン出生の年である1878年3月までグルジアに組み込まれていなかった)の港に到着しただろう。
そのロスチャイルドの旅行隊は、約100マイル内陸で、スターリンの生誕地ゴーリ[Gori]に達するグルジアを横断するだろう。 ゴーリは、一つの道理に適った休憩地点を提供してきただろう。 彼らがある裕福なユダヤ人のワイン商人の客であっただろうことは想像もつかないわけではない。 (それはまた、おそらく、例えばワイン商人の従業員の中の一人のかわいらしい洗濯女と親密になるある機会を提供しただろう。)
ゴーリ後、ロスチャイルドの旅行隊は、グルジアの首都ティフリス[Tflis](今のトビリシ[Tbilisi])まで、さらなるもう50マイルの旅を続けただろう。
1878年のティフリスでは 、要人として、ロスチャイルドの貴族の取巻きは、疑いもなく特別のやり方で、コーカサスのヴァイスロイ-ロシアのミハイル・ニコラエヴィチ大公[Grand Duke Michael Nikolaevich of Russia]によって歓待されただろう。
[ロシアのミハイル・ニコラエヴィチ大公(1832.10.3-1909.1 2.1 8)は、ロシアのツァーリ・ニコラス一世[Tsar Nicholas I of Russia]とプロシアのシャルロッテ[Charlotte of Prussia]の 4番目の息子で7番目の子供であった。彼は、トビリシに定住して、長期間 (1862-1882) コーカシアの総督(ヴァイスロイ)を務めた。-ウィキペディア]
その大公の巨大な宮殿は、バクー油田へ向かう途中の一人のロスチャイルドにとって、確実に一つの相応しい休憩所であった。 私は容易に想像できる。美味しい地元のワインを飲みながら、ロシアの石油の将来について議論をしている その銀行家と大公を。
一緒になって、ロスチャイルド一族と帝政ロシアは、石油の世界を支配するだろう。最終的には、ジョン・D・ ロックフェラーによって所有されるスタンダード石油会社を生産量と販売で凌ぎながら。
私は、その大公がスターリンの父親の謎において、間接的な役割を果たしたと考えている。
サイモン・セバーグ・モンテフィオーレ[Simon Sebag Montefiore]によるヨシフ・スターリンについての最新の伝記『若きスターリン[Young Stalin]』(ちょうど2007年の10月に出版された)によれば、
スターリンの母親は、その大公に雇われていた!
モンテフィオーレを引用すると:
「ニコラエヴィチの王宮内に、エカテリーナ・ジュガシヴィリ[Ekaterina Djugashvili]、略してケケという名の一人の洗濯女が採用されていた。」
スターリンの母親ケケは、ティフリスのバイスロイとゴーリのワイン商人両者のために働いていた!
旅行中のロスチャイルド一行は、バクーに向かう途中、これらの両方の場所を訪問したか? それは当然そう思えるだろう!
https://satehate.exblog.jp/14239224/
バトゥーミを訪問した後、我々の謎のロスチャイルドは、大公とサン・ステファノ条約の成立を祝うためにティフリスに及んだか。その王宮の領域内でロシア石油の将来に乾杯するために。
ロスチャイルドは、大公に雇われたそのかわいらしい、意欲的な洗濯女と親密になったか?
もしそうであれば、そのような無邪気な一つの事件が、ロシアの石油とロシアの人々の将来に劇的な影響をもっただろう。
ロスチャイルドに活気づけられた洗濯女は、彼女のワイン商人雇用主のところ、ゴーリに働きに戻ったか? スターリンの母親とヤーコフ・エグナタシュヴィリは、一人のロスチャイルドの幼児を静かに育てたか。ヨシフ・スターリンは、彼の最初の息子をヤーコフ(ジェイコブ)と名付けたか。なぜなら、それはゴリのワイン商人の名前であったから、あるいはヤーコフはまた我々の知られざるロスチャイルドの父親の名前であったからか? (偶然にも、ヤーコフは、ロスチャイルド一族のフランス支部の家父長ジェームズ・ド・ロスチャイルド男爵のヘブライ語名であった。 )
スターリンがロスチャイルド一族のために働いたのは偶然ではなかった?
実際、スターリンは、サイモン・モンテフィオーレによると、ロスチャイルド一族によって資金提供されていた!
スターリンは、一人の「革命家」、資本主義とロスチャイルド一族が象徴するものすべてのの敵だったのか、あるいは、一人の秘密の利口なロスチャイルドの「回し者」だったのか?
ロスチャイルド一族は、一人の「革命家」に融資していたのか、あるいはロシア石油の帝政主義者のコントロールに対する彼らの秘密兵器に融資していたのか?
共産主義ロシアの政界でのヨシフ・スターリンの出世は、ロシアの全石油産業を独占することを狙った一つのロスチャイルド・クーデターであったと、私は示唆する。
秘密主義は、ロスチャイルドの手口である。 ロスチャイルドの成功と長寿の秘訣は、冷酷非情さと秘密主義である。
当初のロシア王室に対する銀行家たち、ロスチャイルド一族は、彼らのアジェンダを遂行する隠れた姻戚関係を持つ人形を使って、最終的には彼らの殺し屋になった。 一旦、ロマノフ一族が除去され、そして彼らの人間、スターリンがロシアの権力の操舵装置に据えられると、ロスチャイルド帝国は中央アジアの人びとを奴隷化し、そして何年もの間、彼らの足下にある天然資源を搾り取るだろう。
ロスチャイルド一族は、国有化を決して恐れない。彼らが静かに、ロスチャイルドの専門知識マネーサプライを通じて、その国の政策をコントロールする限りは。
https://satehate.exblog.jp/14253946/
エドモンド・ド・ロスチャイルドは、ソヴィエト・ロシアの独裁者として、一人の非嫡出子の息子を就任させることが可能だったか?
彼は確かによくロシア政府と通じていた。彼の家族はロシアに融資していた。エドモンドの兄アルフォンス[Alphonse]は、戦略的に、彼の娘をセント・ペテルブルクのロシア人銀行家、エフリュッシ[Maurice Ephrussi]と結婚させた。
マルクスはIGファルベンと繋がっており、IGファルベンはバイエル・モンサントと繋がっている。
https://www.afpbb.com/articles/-/3186001
モンサントと親会社バイエル、知っておくべき5つの事柄
https://gendai.media/articles/-/64222?page=1&imp=0
ドイツの伝統企業バイエル社が「訴訟連発」で深刻な危機を迎えていた
右も左も根は同じ。マルクスもスターリンもヒトラーも根は同じ。
広瀬隆
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