本能寺の変の黒幕は?
2007の書である。著者曰く、「日本史の奇説の本当の意義を伝えるのは、マスコミに代わって、それが誤りとされる根拠を説明する必要がある。」との理由から、本書を書いたそうだ。この文面から理解できるように、著者は初めから奇説を「誤り」だと決め付けた上で書いていることが明らかである。物事を決め付ける前に、学校や歴史学会等で一般的に「正しい歴史」とされていることに全く疑問を持っていないところから、著者の歴史認識の浅はかさが見て取れる。奇説を多く紹介されているが、その内の「本能寺の変の黒幕」について見てみる。
[織田信長はカトリックの謀略で殺された!?]
*9.11も本能寺の変もそのような事件だったのだろう。9.11陰謀論での小型核爆弾はさしずめ八切説での新型火薬に相当するものか。
本能寺の変の黒幕については、イエズス会や家康、正親町天皇の他に、足利義昭(最後の室町幕府将軍)、羽柴秀吉、毛利輝元、堺の豪商たちなどさまざまな人物・集団が取り沙汰されている。しかし、それらの謀略説を並べても、光秀単独説以上に説得力のあるものはない。
光秀の単独犯行なら失敗しても、その責任は我が身一つで負えばいいわけだ。しかし、黒幕がいたなら、彼(もしくは彼ら)にとって光秀謀反の失敗は我が身の破滅である。それだけのリスクを背負ってまで信長を謀殺する理由は黒幕候補の誰にもない。イエズス会もしかりである。
*たとえ光秀を切り捨てる方針だったとしても、光秀謀反の知らせとともに自分たちの目的のために動きそうなものだが、みな右往左往するか日和見を決め込むばかりだ。黒幕候補と目される者たちの動きを一つ一つ見ていくと、この事件がその誰にとっても突発的なものだったことがわかる。
例外は、事件直後にすぐ光秀を討ち、天下取りの地歩を固めた秀吉だ。しかし、秀吉が光秀に勝てたのは、中国大返しで光秀の準備が整わないうちに決戦に持ち込めたからである。光秀がまともに秀吉と戦ったなら、当時の実力では秀吉の方が返り討ちに遭うのが落ちだっただろう。秀吉黒幕説は信長の死と秀吉の勝利を両方とも知っている現代人だからこそできる発想なのである。
引用終了。
9.11と本能寺の変を同一に考えるとは、著者は「9.11も公式ストーリーが正しい」と考えているようである。あきれて物が言えません。死ぬまでビン・ラディンとアルカイダが犯人だと思っていてください。この調子だと、ケネディー暗殺もオズワルドの単独犯行だと思っているのでしょう。やれやれ、この手の人には説明する気力もなくなります。
よくこれで本など出版できたものですね(笑)。出版社もバカなのか、著者もイルミの走狗なのかいずれかですナ。
この件は以前立花京子氏の著作を紹介したが、私も立花氏と同様にイエズス会犯行説を信じている。詳細は本なり、私の記事なりを見て欲しい。著者は参考文献に立花氏の著書を挙げているが、本当に読んだのだろうか?氏の著書を読んでいれば、通常の思考能力を持った人間ならイエズス会犯行説がいかに説得力があるかが理解できるはずだ。
立花氏の著書を読んだ上で、「光秀単独説以上に説得力のあるものはない。」と思っているのなら、私には理解不能な思考能力の持ち主としか思われない。
まず、イエズス会と信長の力関係を全く理解されていない。信長はイエズス会から銃や硝石を与えられていたのである。言うならば、イエズス会のおかげで信長は権力を手にすることができたのである。はっきり言って、信長はイエズス会の子飼いだったのだ。
「それだけのリスクを背負ってまで信長を謀殺する理由は黒幕候補の誰にもない。」と述べているが、信長よりも立場がはるかに上であるイエズス会が、信長を恐れるあまりにリスクを背負えないとはちゃんちゃらおかしい台詞である。全く状況を理解していない。そもそも、教科書の公式ストーリーを信じておられるお方には何を言っても無駄だろうがね。
「秀吉が光秀に勝てたのは、中国大返しで光秀の準備が整わないうちに決戦に持ち込めたからである。」と述べているが、そもそも中国大返しなるものが怪しいと著者は思わないのだろうか?本能寺の変の情報を変の翌日に知り、急遽毛利と和睦し、約10日ほどで光秀討伐に現れるなどいうことは、少し考えたら「出来レース」であることが分かるだろう。
秀吉は情報を事前に知っていたのだ。だから、あれだけ敏速に行動できたのである。
もちろん、バックにいたのはイエズス会である。そして、イエズス会と秀吉の間に入っていたのは、現在NHK大河ドラマでご活躍中の“キリシタン大名”こと黒田官兵衛だと私は推察する。だから、秀吉は誰よりも黒田官兵衛を恐れていたのである。
イエズス会の謀略と組んで天下を取った秀吉だが、その後、イエズス会を追放する。
いわゆるバテレン追放である。この秀吉の英断があったからこそ、日本という国が、日本民族が、現在も存続しているのである。あのまま秀吉がイエズス会と組み続けていたら、コロンブスに虐殺されたアメリカ原住民のように、とんでもないことになっていただろう。
ここに述べたことは、あくまでも私個人の考察である。本当のことは、タイムマシンにでも乗って実際に見に行かないと分からないだろう。ただ、著者が述べているような教科書的な公式ストーリーと私個人の考察のどちらが正しいかということである。
皆さんはどう思われるでしょうか?常識的に考えれば、東大を中心とした歴史学会と、単なる素人中の素人である私個人の考察では勝負にならないだろうが・・・。
ただ、公式ストーリーは「彼ら」が作っていることをお忘れなく!
それにしても、著者は「と学会」に属しているとのことだが、「と学会」とは「教科書通りの通説に、とんでもない学説を照らし合わせ、歴史考察を展開する自主学会」なのかと思いきや、どうやら公式ストーリーの別名称のようですナ。
もう面倒くさくなったので、他の“学説”は引用しないが、例の明治天皇すり替え説やフルベッキ写真も「嘘」だ、「デタラメ」だ、と言い放っている。そして、その論拠というのも全く根拠のないものである。
嘘、デタラメだと言うのなら、せめて「本来、北朝であるべき明治天皇家の時代に、南朝が正統である」と発表した理由は何ですか?
「フルベッキ写真に写っている大室寅之祐らしき明治天皇が明治維新の面々と一緒に写っている」のは何故ですか?
「明治神宮はあれだけ立派なのに、父親である孝明天皇が”名も無いほこら”に祀られている」のは何故ですか?
こういった疑問(ほんの一部です)に答えてから、“歴史考察”なるものをやってください。
「彼ら」の走狗であると思われるあなたには無理な注文でしょうね。
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