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ソウルマン

「どのような書にも、必ず知識の基になるものが込められている」byソウルマン

「日本崩落~この大不況は陰謀である~」③(最終回)宇野正美

前回に続く。以下、一部引用する。

*実は、長きにわたって「契約の聖櫃」はエチオピアにあるのではないかと言われてきた。
エチオピアは、アフリカの歴史の中で唯一、欧米列強の植民地にされなかった国である。
伝統あるエチオピア王家で、最後の王として国を治めたのはハイレ・シェラシュであった。彼の治世の時、エチオピアでも共産主義革命が起き、彼自身も世を去った。
ハイレ・シェラシュは自らのことを「ユダ族の獅子王、神の選びし者、エチオピア諸王の中の王」と称していた。すなわち、古代ユダヤの子孫を名乗っていたのである。
それは一体どういう意味か。
古代ユダヤの王ソロモンには多くの妻がいた。その中の一人がシェバの女王であった。ソロモンとシェバの女王の間に生まれたのがメエリク1世である。メエリク1世はエチオピアで育てられ、この子孫がエチオピア王家なのである。
メエリク1世は成人した後、自分の父親であるソロモンに会うためにエルサレムを訪ねた。ソロモンは大いに喜び、メエリク1世がエルサレムを去るとき、多くの宝物や自らの多くの家来を与えたと言われている。
・・・・・(中略)・・・・・
エチオピアの伝説はさらに続き、メエリク1世はエルサレムを去るに当たって、神殿の至聖所にある契約の聖櫃を見ることが許されたという。そしてメエリク1世はそのイミテーションを作って神殿に据え、本物を持ち去ったというのである。




(管理人)
メエリク1世をウィキで見てみる。



メネリク1世(Menelik I、エブナ・ラ・ハキム: Ebna la-Hakim, "Son of the Wise", 知恵の息子)は、エチオピア初代王。
古代イスラエル王ソロモンと、シバの女王の息子で、紀元前10世紀頃のエチオピアを統治したとされている。現エリトリアのハマシアン(英語版)で誕生、エチオピアへ「契約の箱」を運んだ後に、エルサレムで父ソロモン王に面談した。
紀元前5世紀に興ったアクスム王国、13世紀に興ったエチオピア帝国のいずれの王もメネリク1世の直系の子孫を名乗り、その地位の正当性に利用した。
エチオピア帝国では、国家事業としてエチオピア版『古事記』ともいうべき『ケブラ・ナガスト』を作らせた。上記はそのケプラ・ナガストの記述に基づく。もちろん伝説であり、史実として確定している訳ではない。旧約聖書に記されたシバの女王の出自については、エチオピア説とイエメン説があり、双方とも考古学的な裏付けが取れておらず、仮説に過ぎない。さらに旧約聖書には、ソロモン王とシバの女王の間に子供が生まれたという記述は無い。
メネリク1世を始祖とし、1974年のハイレ・セラシエ1世廃位に至るエチオピア帝国の王朝は、「ソロモン王朝」として、紀元前10世紀から3000年間存続した最古の王朝とされる。
ただし、あくまで伝説上であり、実際の歴史として確認できるエチオピア皇帝家は13世紀のイクノ・アムラクからである。エチオピア皇帝家は近代において断絶した時期があり、皇帝に実権が無く臣下が実権を握っていた時期もある。



次に、ハイレ・シェラシュをウィキで見てみる。


ハイレ・セラシエ1世(ቀዳማዊ፡ኃይለ፡ሥላሴ, Haile Selassie I, 1892年7月23日 - 1975年8月27日)は、エチオピア帝国最後の皇帝(在位:1930年11月2日(戴冠式が行われた月日) - 1974年9月12日)。アフリカ統一機構初代議長。
エチオピア南部のショア地方の貴族の子として生まれる。血縁上はアドワの戦いで名を馳せた英雄メネリク2世の従兄弟の子にあたり、古代イスラエルのソロモン王とシバの女王の間に生まれたメネリク1世の子孫であることを主張した。幼少の頃より聡明で、若くして各地の州知事を歴任した。記憶力が非常に優れており、晩年に至っても重要事項について全てを暗記していて、メモの類を一切必要としなかったという逸話が残っている。タファリ侯(ラス・タファリ)を称号とした。
1916年のクーデター後、メネリク2世の娘で女帝として即位したザウディトゥの皇太子・摂政となり、実権を掌握する。
1924年4月にはヨーロッパ外遊。エチオピアの国際連盟加盟を実現した。当時エチオピアに影響力のあったイタリア王国、イギリス、フランスに対抗するため、アメリカ合衆国、大日本帝国に接近した。
ザウディトゥの崩御後、1930年4月にエチオピア帝国皇帝に即位し、同年11月2日に戴冠式が行われた。1931年7月16日に大日本帝国憲法を範とし、7章55条から成るエチオピア帝国初の成文憲法たる「エチオピア1931年憲法」を制定した。しかしながら、実態は絶対主義的な欽定憲法であり、社会体制そのものの改革には手をつけず、ガバルと呼ばれる小作地制度も温存された。
1974年には皇帝自身による不正が発覚するなど、国内におけるカリスマ性は地に堕ち、同年2月には軍が反乱を起こし、帝政打倒の声が高まった。皇帝はエンデルカチュ・マコンネン(英語版)を首相に任命し、立憲君主制への移行や土地改革などを公約するが、時すでに遅く、民衆によるゼネスト、デモ、若手将校を中心とする改革集団「軍部調整委員会」の成立、軍部による政府要人の拘束などが公然と行われた。
同年8月19日、国軍が“皇帝が諸悪の根源だ“として公然と批判、8月26日は新聞が一斉に「皇帝を倒せ」と主張し始め独裁の地盤は崩れた。そんな騒然とした雰囲気の1974年9月2日早朝、皇帝はアディスアベバの宮殿内で陸軍のクーデターにより逮捕・廃位され、拘禁中の1975年に暗殺(犯人はメンギスツという説もある。また、1997年にエチオピア当局は廃位直後に射殺されたと発表)された。
ハイレ・セラシエ1世自身はエチオピア正教徒であったが、ジャマイカを中心とする黒人運動であるラスタファリ運動においては神ヤハウェ(ジャー)の化身であり、地上における三位一体の一部であると信じられている。
1927年、ジャマイカの汎アフリカ主義運動家、マーカス・ガーヴィーが「黒人の王が即位する時のアフリカを見よ。その人こそ救世主となるだろう。」と予言したため、その3年後に即位したハイレ・セラシエ1世は南北アメリカ大陸の黒人達から、アフリカ大陸を統一し、離散した黒人のアフリカ帰還を告げる救世主として崇められるようになった。ハイレ・セラシエ1世は即位前の名をラス・タファリ・マッコウネンと言い、この名前を取って崇拝者たちのことをラスタファリアンと呼ぶ。レゲエのボブ・マーリーを始めとしたジャマイカの音楽家にはラスタファリアンも多かった。
1966年にハイレ・セラシエ1世がジャマイカを訪れたときには民衆の熱狂的な歓迎を受け、皇帝自身が動揺するほどだった。
エチオピア南部の街シャシャマネのマルカウォディャ地区には、皇帝からその地を与えられたジャマイカ移民約200人が、エチオピア人のラスタファリアン約200人と共に住んでいる。





ハイレ・シェラシュのことを取り上げたのは、私の大好きなミュージシャンであるボブ・マーリーが信仰していたラスタファリズムにおいてハイレ・シェラシュは「生きる神」として信仰されていたからであり、本書に紹介されていたことを機会に調べてみようと思ったからである。
しかし「大日本帝国憲法を範とし、7章55条から成るエチオピア帝国初の成文憲法たる「エチオピア1931年憲法」を制定した」との記述には笑ってしまった(笑)


ラスタファリズムをウィキで見てみる。



ラスタファリ運動(ラスタファリうんどう、英: Rastafari movement)またはラスタファリアニズム (Rastafarianism) は、1930年代にジャマイカの労働者階級と農民を中心にして発生した宗教的思想運動である。
ラスタファリ運動の実践者は「ラスタファリアン」、または「ラスタピープル」、「ラスタパーソン」、もしくは単に「ラスタ」と呼ぶ。ラスタファリアンはこの宗教運動のことを「主義」(イズム、-ism) ではなく「人生観」(way of life) と考えるため、ラスタファリ運動 (Rastafari movement) と表現される。
ラスタファリ運動は聖書を聖典としてはいるが、特定の教祖や開祖は居らず、教義も成文化されていない。それゆえ宗教ではなく、思想運動であるとされる。基本的にはアフリカ回帰運動の要素を持ち、エチオピア帝国最後の皇帝、ハイレ・セラシエ1世をジャーの化身、もしくはそれ自身だと解釈する。名称はハイレ・セラシエの即位以前の名前ラス・タファリ・マコンネン(アムハラ語で『諸侯タファリ・マコンネン』の意)に由来する。 ラスタファリ運動には一握りのエリートによって支配され、社会的に抑圧されたジャマイカ市民による抵抗運動としてのメシア主義と、現実逃避的な千年王国思想の両面が垣間見える。
主義としてはアフリカ回帰主義(またはアフリカ中心主義)を奨励した。その指向は、ラスタの生活様式全般、例えば菜食主義やドレッドロックス、ガンジャを聖なるものとして見ることなどに現れている。 1970年代にレゲエ音楽や、とりわけジャマイカ生まれのシンガーソングライター、ボブ・マーリーによって全世界に波及する。全世界に100万人のラスタファリ運動の実践者がいると言われる。
なお、ジャマイカの多数派宗教はキリスト教(プロテスタント・バプティスト派)であって、ラスタファリズムを信仰するのは全国民の5~10%前後である。
18世紀にアメリカに誕生したバプテスト教会の黒人説教師たちは、聖書にある「エジプトから王が到来し、エチオピアは、神に向かって手を差し伸べる」(詩篇 68:31)など、黒人と聖書の結びつきを訴え、エチオピアを世界に離散した黒人の母国のように語った。この運動は伝道活動へと発展し、新世界の黒人の間に広まった。
19世紀の欧米に聖書から有色人種を排除する目的から、科学者の間で聖書に登場する人種を証明する論争が起こった。研究の過程で古代エジプト人と古代エチオピア人は黒人であり、同一の人種であるという説が浮上した。これらの説はアメリカ植民地協会のエドワード・ウィルモット・ブライデン(英語版)がさきがけとなって、エチオピアニズムとして体系化された。黒人の祖先が人類文明の起源を作ったという考えは、世界中の黒人の尊厳に影響を与えた。新世界の黒人の伝統では「エチオピア」とは北アフリカを含む全アフリカを指す言葉となっている。
1910年代、ジャマイカ生まれのマーカス・ガーベイはアメリカ合衆国に渡り世界黒人開発協会アフリカ社会連合(UNIA-ACL)を組織しパン・アフリカ主義を提唱した。当時、カリブの黒人社会に根強く残っていたエチオピアニズムを拡大解釈し、黒人に対してアフリカに帰ることを奨励した。ガーベイの主張はアメリカのみならず、カリブや南アメリカなどの多くの黒人の支持を得た。
カリスマ的な演説活動をするマーカス・ガーベイは、1927年に「アフリカを見よ。黒人の王が戴冠する時、解放の日は近い」という声明を発表する(この声明はラスタファリズムにおいては「預言」ととらえている)。これがラスタファリ運動出現へとつながっていく。
1930年11月、エチオピアの皇帝にハイレ・セラシエ1世が即位する。マーカス・ガーベイの信奉者にとっては、まさに預言どおりの奇跡が起こったのだ。この「神の啓示」をきっかけにして、ジャマイカの首都、キングストンでレナード・ハウエルを中心にガーベイ主義の布教がはじめられ、初期ラスタファリ運動が始まった。イギリスによる植民地支配と度重なる自然災害で、多くの黒人は疲弊していたこともあり、救いを求める下層階級の人々を中心に信者が増えた。1934年、運動に危機を感じた政府当局は弾圧を始める。この弾圧を逃れたラスタファリアンは山の奥地に逃げ込み、そこでコミューンを展開する。このコミューンでの共同生活によって、ラスタファリアン達はドレッドロックスや大麻による儀式などラスタファリズムの基本スタイルと信仰を確立した。
政府当局によるラスタファリアンの弾圧は断続的に続いたが、一方で、一般市民にも「ラスタファリズム」の存在が知られるようになる。1961年、ラスタファリアンであるラス・ブラウンが議員選挙に立候補し、政界に進出する。ここで初めて黒人知識層がラスタファリ運動の「主義」の部分に注目するようになる。1962年、ジャマイカは英国から独立。しかし社会情勢は不安定のままで、ラスタファリアンのアフリカ回帰の渇望は募るばかりだった。
1966年、ハイレ・セラシエ1世がジャマイカに来訪。ラスタファリアン達は熱狂的にセラシエを歓迎した。ここでセラシエは、「ジャマイカ社会を解放するまではエチオピアへの移住を控えるように」という内容の私信を主なラスタ指導者に送った。これによって、「ザイオン(アフリカ)回帰よりバビロン(ジャマイカ)解放」という新しい考えが定着し、どこか世捨て人風で厭世的なラスタ達を、社会へ参加させるという思わぬ効果も現れた。
当時のジャマイカの音楽シーンに目を移すと、1960年代半ばまではジャズやR&Bの影響を多大に受けたスカ、ロックステディが流行していたが、セラシエ来訪を契機にラスタの思想やメッセージを伝える手段としての音楽、すなわちレゲエへと流行が変遷していった。ラスタのミュージシャンやシンガーが、さまざまなラスタのメッセージを音楽に乗せ、国民の多数に支持されるようになるのだ。特にボブ・マーリーは国際的な名声を得るに至り、ラスタファリアンからも支持が篤かったため、1975年にハイレ・セラシエ1世が死亡するという悲報を受けても、ラスタファリ運動のモチベーションは決して下がることはなかった。むしろ、"Jah Live"(ジャーは生きている)と歌っていたのだ。少なくとも、1981年にマーリーが死亡するまでは、ラスタファリ運動は活発であった。






ボブ・マーリーは、長年ジャマイカを植民地支配してきたイギリス人及び白人に対する反発もあってラスタファリズムを信仰するようになったのだろう。
頭のいいボブは、ジャマイカがイギリスの植民地だった時代から押しつけられたキリスト教に疑問を持ち、「聖書の本当の神は白人ではなく黒人である」と唱えるラスタファリズムに魅かれるようになったのだろう。
「ソロモンの子供がメエリク1世である」とか「その末裔がハイレ・シェラシュである」といった話が真実か否かはどうでもいいことなのである。
自分の白人の父親は自分と母親を捨てて行方をくらませた人物であったことからも、ボブは白人を憎んでいたと思われ、自分自身黒人と白人のハーフでありながらも「自分のルーツは黒人のハートランドであるアフリカである」と考え、黒人を神だと唱えるラスタファリズムに「自分の信じる信仰はこの教えだ」と感じたのだろう。
以前から、ボブ・マーリーの歌詞に、「ザイオン」「バビロン」「エクソダス」といった旧約聖書的な言葉が出てくることを、不可解に感じていた。
ボブがこれらの言葉を歌詞にした曲を歌ったのは、旧約聖書というよりも、ラスタファリズムの教えから来ているのだろう。

3回にわたって本書の趣旨とは少々異なる読後感を記したわけだが(笑)、「どのような書にも、必ず知識の基になるものが込められている」と私は思っている。
著者は「「契約の聖櫃」はエチオピアにあるのではないか」という伝承が存在するという理由からハイレ・シェラシュやメエリク1世について触れたのではあるが、私はそれよりも自分の大好きなミュージシャンであるボブ・マーリーに対する想いから記した次第である。
しかし、「契約の聖櫃」にも少々ロマンを感じている。
本書には「エチオピアの王族が、契約の聖櫃は日本にあるかもしれないと告白している」と紹介されている。
その最有力候補地である剣山に、いつか訪ねてみたいと思っている。


評点:70点



Bob Marley & The Wailers - Exodus (Live At The Rainbow 4th June 1977)









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ソウルマン
Posted byソウルマン

Comments 4

There are no comments yet.

mint

No title

ソウルマンさん こんにちは^^
有意義な考察、拝読させて頂いております!

客家、中国のユダヤ人、エチオピアの伝説....色々繋がりますね。

そして、Bob Marley!大好きです。
音楽の目的が、人々の魂を鼓舞するものであるのなら、そこには必ずBob Marleyがいると思います。

ラスタファリ運動...やはりこちらも聖書とは矛盾するので、ボブ・マーリーも突き進むにつれ、行き詰まりを感じたのではないかと思っています。

>3回にわたって〜....私はそれよりも自分の大好きなミュージシャンであるボブ・マーリーに対する想いから記した次第である。

ソウルマンさんの音楽愛とご考察をシェアさせて頂けてありがたいです!

音楽から力や閃きをもらう一人として、私が聖書を読み始めたきっかけの大きな一つは、プリンスの『Revelation』という曲だったりします(笑)

>しかし、「契約の聖櫃」にも少々ロマンを感じている。

剣山、知りませんでした。
是非行ってみたいと思います!

2021/11/17 (Wed) 15:03

mint

No title

訂正させて下さい。

>ボブ・マーリーも突き進むにつれ、行き詰まりを感じたのではないかと思っています。

ボブ・マーリーに失礼でした<(_ _)>

行き詰まりではなく、どこか疑問を感じていたのではないか....でした。

Redemption song 大好きです ˘⌣˘♪
この曲で今日は〆、明日に繋げます!

2021/11/17 (Wed) 23:58
ソウルマン

ソウルマン

Re: No title

> ソウルマンさん こんにちは^^
> 有意義な考察、拝読させて頂いております!


mintさん おはようございます。
いつもありがとうございます。


>
> 客家、中国のユダヤ人、エチオピアの伝説....色々繋がりますね。


表の歴史はあくまでもうわべだけ。裏に真実が隠されているようでうね。
謎を解いていくのも面白いものですね。


>
> そして、Bob Marley!大好きです。
> 音楽の目的が、人々の魂を鼓舞するものであるのなら、そこには必ずBob Marleyがいると思います。


mintさんも、やっぱりBob Marleyが好きだったんですね。嬉しいです(*^-^*)
Bob Marleyは「世界中で一番愛されているミュージシャン」だと私は思っています。

>
> ラスタファリ運動...やはりこちらも聖書とは矛盾するので、ボブ・マーリーも突き進むにつれ、行き詰まりを感じたのではないかと思っています。
>
> >3回にわたって〜....私はそれよりも自分の大好きなミュージシャンであるボブ・マーリーに対する想いから記した次第である。
>
> ソウルマンさんの音楽愛とご考察をシェアさせて頂けてありがたいです!


こちらこそ、ありがとうございます。
何かと考えさせられている時期だったので、mintさんのコメントにはとても励まされています。


>
> 音楽から力や閃きをもらう一人として、私が聖書を読み始めたきっかけの大きな一つは、プリンスの『Revelation』という曲だったりします(笑)


へ~、そうだったんですか。
この曲は見落としていました。
今度聴いてみようと思います。

>
> >しかし、「契約の聖櫃」にも少々ロマンを感じている。
>
> 剣山、知りませんでした。
> 是非行ってみたいと思います!


私も名前ぐらいしか知りませんが、伝説にはロマンを感じますね。
いつか行ってみたいものですね!

2021/11/18 (Thu) 08:43
ソウルマン

ソウルマン

Re: No title

> 訂正させて下さい。
>
> >ボブ・マーリーも突き進むにつれ、行き詰まりを感じたのではないかと思っています。
>
> ボブ・マーリーに失礼でした<(_ _)>
>
> 行き詰まりではなく、どこか疑問を感じていたのではないか....でした。


疑問と葛藤の日々だったんでしょうね。
悩みがあったからこそ、あれだけ素晴らしい楽曲を作れたのでしょうね。


>
> Redemption song 大好きです ˘⌣˘♪
> この曲で今日は〆、明日に繋げます!


最高の曲ですね。
でも、歌詞には謎も多いですね。
近いうちにアップしようと思っています(^O^)/

2021/11/18 (Thu) 08:57