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ソウルマン

「国の革命及び近代史なんてものは、すべてシナリオ通りに進められてきたのです。 現在のウイルス詐欺がシナリオ通りに進められているのと同様に」byソウルマン

「日本崩落~この大不況は陰謀である~」②宇野正美


前回に続く。以下、一部引用する。


*その孫文が、客家の出身である。彼ばかりではなく、孫文の妻・宗慶齢、その妹にして蒋介石の夫人となった宋美齢も海南島の客家なのである。
一見、中国と対立しているかに見える台湾だが、台湾の李登輝総統も客家出身である。
そして中国と台湾を結びつけているのはシンガポールである。そのシンガポールを長く指導したリー・クアンユー元首相、そしてその後継者であるゴー・チョクトン首相も客家出身だ。
このように見てくると、中華経済圏をきら星のごとく覆っているのが客家であることがわかる。

*客家は「客人」とも言われる。漢民族の中でも客家独自の伝統を守り、広東語系の客家方言を話す人々だ。客家や客人という言葉には、在来土着人から区別するということで外来者という意味が含まれている。
一般には客家は秦の始皇帝時代以来、いくたびもの戦乱や飢饉を逃れて南へと移動してきた北方民族の子孫であるといわれている。少数民族なるがゆえに山間僻地に追いやられ、常に迫害にさらされてきた。このような中で、客家独自の性格が作られてきたのであった。
・・・・・(中略)・・・・・
第二の性格は、革命的であるということだろう。
つねに差別される側であった者たちが体制の変革を望むのは、自然といえば自然であろう。事実、客家の中からは歴史に名高い革命家・政治家が輩出している。
太平天国の乱の洪秀全、辛亥革命の孫文、今日の中国革命をリードする鄧小平、長い植民地支配に抵抗した戦士から政治家へと転身したリー・クアンユーなどが挙げられる。

*太平天国の乱の要求は、三つあった。漢民族による満州族王朝の打倒、キリスト教による新しい国家建設、西欧列強との対等な条約を締結すること。そして、これとおなじ思いはいまでも、中国人の意識の中に強く生き続けている。
1851年、国号を太平天国とし自らを天王と称した洪秀全は、アヘン、人身売買、売春などを禁止し、男女平等を実践していこうとした。これはまさにそれまでの中国人にしてみれば、衝撃的な出来事であった。
しかし勢いに乗った洪秀全の太平天国の乱も、ついに挫折するときがきた。
清朝がイギリスとフランスに援軍を求めたのであった。植民地獲得だけが目的だったイギリスとフランスは、清朝の申し出を受けるべきか、それとも太平天国の乱を援助すべきかを探った。そしてついに英仏は清朝側に加担したのであった。
このようにして太平天国の乱は終わりを告げた。
ついでながら、この太平天国の乱を革命の思想の源流として仰ぎ、そこから多くを学んで辛亥革命を成し遂げたのが孫文であった。孫文は太平天国の乱が目指したように、満州族王朝を崩壊させたのであった。




(管理人)
客家をウィキで見てみる。



客家(はっか、ハッガー、ハッカ)は、客家語を共有する漢民族の一支流と規定される。ただし、中国の少数民族の扱いは受けていない。
アジア人にしては長身の人々が目立つことや、貧しい民族であったのに、成功者には貴族的雰囲気を醸し出す人物が多い。
客家の人々は、周辺に住む他の集団とは異なり、山間部に好んで居住することが多く、独特の言語・文化を持っている。言語は古代の漢族語を今に伝えているといわれる。そのために歴史的に他の集団と軋轢を起こすことも多い。しかし、少数派であるがゆえに劣勢であるため、中央政権や王朝と良好な関係を保とうとする傾向がある。このような背景から、客家には漢人としての意識が比較的強いともいわれる。
移民の通例として土地の所有が困難であったために流通や商業に従事することが多く、子弟の教育にも熱心なことで知られる。商業の他には教育レベルの高さから教職に就くことが多い。これらの特色から「中国のユダヤ人」などと呼ばれることもある。客家を含む華僑はユダヤ人・アルメニア人・印僑と共に「四大移民集団」の一つといわれる。
客家の多い地域に中国共産党が非常に強い影響力を持ったため、客家には共産党勢に加わった者が多かった
また伝統的な中国人の階級意識において卑しめられることの多かった軍人となった者や、反乱や革命に参加する者も近代以前から多い。
そのため、太平天国の指導者である洪秀全や、中国国民党の孫文、中国共産党の鄧小平やシンガポールのリー・クアンユー(李光耀)などを輩出した。台湾総統の李登輝、蔡英文や映画監督の侯孝賢も出自は台湾に移住した客家であり、タイの首相を務めたタクシン・チナワット/インラック・シナワトラ兄妹も出自はタイに移住した客家である





客家が「中国のユダヤ人」とも呼ばれていたというのは、実に意味深である。
「秦の始皇帝がユダヤ人であった」という説があります。



https://blog.goo.ne.jp/anne3_2005/e/9b1c2acd1ab54a4f2ca915e9ab0bc52b
紀元前10世紀、古代イスラエル王国はソロモン王が死ぬと国力は急速に衰え、内乱が勃発、ついには分裂する。ルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、ナセナ族、イッサカル族、ゼブルン族、エフライム族、の10部族とレビ族から成る「北朝イスラエル王国」が成立する。
ユダ族、イッサカル族とレビ族は「南朝ユダ王国」を形成し、聖地エルサレムを守り、ソロモン神殿と契約の箱を継承した。
そして紀元前722年、メソポタミア地方を支配していたアッシリア帝国が侵攻し、北朝イスラエル王国は滅んだ。イスラエル10部族はアッシリアに連行され、やがて歴史から消える。これが世に言う「失われたイスラエル10部族」である。さらに紀元前587年、新バビロニア王国の攻撃によって、エルサレムが陥落し、ソロモン神殿は破壊され、財宝のことごとくを略奪された。南朝ユダ王国の人々もまたバビロンへ連れ去られ、以後50年間に及ぶ奴隷生活が始まった。これを「バビロン捕囚」という。そして契約の箱も消えていた。
日本の神代史に出てくる高天原とはユダヤ人がアッシリア帝国に幽閉されていたバビロンの古代地名である。それは「タガーマ州のハランという町」のことで、この高天原からユダヤ人10部族は「亡命集団」となって流浪し、世界中に拡散した。
やがて秦の始皇帝としてシメオン族が中国を統一する






この説が真実か否かは別として、「彼ら」が何らかの形で客家と関係していることは間違いないでしょう。
「彼ら」の正体は、偽ユダヤである可能性が高いのだが、本当のユダヤ人にも関係が深いようにも感じている。
客家が「中国のユダヤ人」とも呼ばれていたというのも、決して「偶然」ではないような気がする。
太平天国の乱から辛亥革命、そして中国共産党の成立、さらには台湾・シンガポール等に渡る中華経済圏に客家が深く関わっている。
その客家を裏で操っているのが「彼ら」である。
こういった中国支配の歴史は、何かと非常に似ている。
はい、江戸末期から明治維新、そして現代へと繋がる日本支配の歴史である。
「明治維新の中心勢力であった薩摩・長州は在日朝鮮人勢力であった」という説があります。


(THINKING LIVE シンキングライブ)さん

https://blog.goo.ne.jp/thinklive/e/ae2f47a07b7ed4d3cfa25ee082d7cdfb

*維新史の実態は世界レベルの日本支配の一環であって、産業としてのアジア戦争史の一環でもある、
司馬遼太郎は、西郷と大久保の対立を、在日朝鮮人・大久保と在日日本人・西郷の対立とは見ていません。*検索されたブログからの引用、
*シバリョウも一応、大久保の出身が、高麗町。朝鮮族部落と認識はしていたわけだ、大久保は幼児に、高麗町から加治屋町へ移住した家族で、当時加治屋町に住む階層も差別されていた階層だが、朝鮮族よりは、将来、有利という判断があったとボクは考える、鹿児島の田布施町も山口の田布施町も朝鮮同族で、大久保は鹿児島の差別された階層、同和に送りこまれた朝鮮族と考えるべきだろう、征韓論は維新革命を支配した山口田布施町族にとってユルスベカラザルムボウと考えたことは当然であり、内政優先なんて論は、それを隠蔽するための創作されたビジに過ぎない、長州と薩摩の権力争奪で大久保の演じた役割はボクの解釈が現代の権力闘争にもつながる理論で、シバリョウの「坂の上の雲」なんて維新青春ロンは、田布施村朝廷のデマゴーグとしか思えない




田布施については、私も書いています。


http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-144.html
日本支配者層の歴史秘話ヒストリア
「幕末から現代に至る日本の支配者層の血族秘話」





「薩摩の島津が秦氏である」という説もある。


https://www.njg.co.jp/column/column-25684/
先週紹介した、西郷家が肥後菊池氏の末裔である、というのは「伝承」ではあるが可能性は否定できない。「わからない」というだけで違うとは言い切れないのだ。これに対し、薩摩藩主の島津家は自らのルーツを明らかに偽っていた。
島津家のルーツを記した「島津家譜」によると、島津家の祖忠久は源頼朝と丹後局の間に生まれた子となっている。これは江戸時代の公式史料集である『寛政重修諸家譜』でも採用されており、今でも稀に島津氏は源頼朝の子孫であると紹介している書籍がある。
しかし、実際には忠久は頼朝の子ではなく、公家近衛家の所領である島津荘の下司(げし=現地で実務についた下級官僚)をつとめた惟宗広言の子である(養子説もある)。
惟宗氏とは渡来人系古代豪族秦氏の末裔で、平安時代は朝廷の中級官僚であった。この惟宗氏の一族に生まれた忠久が、源頼朝の寵愛を得て薩摩・大隅・日向3ヶ国の守護という破格の出世をしたため、頼朝の庶長子(かくし子)説が生まれたのだろう。






「秦氏の末裔である島津や在日朝鮮人の田布施勢力」が「彼ら」の指揮命令の下に成し遂げたのが、あの“八百長”明治維新であったのだろう。
“八百長”明治維新というのは、慶喜を筆頭とした徳川勢力も「彼ら」の指揮命令の下に売国に「協力」していたからである。

このように振り返ると、「日本の売国史」と「中国の売国史」は瓜二つである。
ともに「彼ら」が「本来の自国民でない勢力」を操って成し遂げたのである。
ちなみに、孫文も蒋介石も毛沢東も「彼ら」の傀儡であったことは、過去に証明しています。



http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-3261.html
「西洋の歴史の本質は、秘密結社であり、秘密結社のイデオロギーは、 デモノロジー(悪魔学)、あるいは悪魔術、又は魔術である」byデス・グリフィン
「「歴史秘話ヒストリア」→「歴史偽話嘘つきや」!?」




「彼ら」は孫文に辛亥革命を起こさせる前に、洪秀全を使って太平天国の乱を起こさせたのでしょう。
清朝を支援するふりをして太平天国の乱を終わらせ、後に孫文に辛亥革命を起こさせ、さらには毛沢東に共産革命を起こさせたのでしょう。
国の革命及び近代史なんてものは、すべてシナリオ通りに進められてきたのです。
現在のウイルス詐欺がシナリオ通りに進められているのと同様に。










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