原爆ホロコーストの犯人は誰だ! - 鬼塚英昭

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原爆ホロコーストの犯人は誰だ!

「いまだに原爆の真相を教えられていない日本国民」


8月6日は、世界で初めて原爆が人類に投下された日である。日本人は、太平洋戦争当時のアジア諸国に対する加害の歴史もろくに教えられていないが、世界で唯一の被爆国であるにもかかわらず、「原爆がなぜ落とされたのか」という被害の歴史も正しいことは教えられていない。広島の原爆慰霊碑に掲げられている「過ちは繰返しませんから」という文言は私の大嫌いな言葉である。だって、どう考えてみても当時の子供たちを含む広島市民が、過ちを犯したとは考えられないからだ。市民は、いつも通りに家庭や学校や職場や道中で過ごしていたところに、問答無用にあの悪魔兵器を落とされて苦しみながら死んでいったり、死ななくても後遺症やいわれのない差別を受けて生き抜いてきたのである。
その最大の被害者である広島・長崎の市民が何の過ちを犯したというのだ!
過ちを犯したのは原爆を落とした加害者であるアメリカ政府であり、アメリカを支配している(過去も現在も)イルミナティである。いまだにアメリカ政府は、「原爆投下は必要だった」と、学校でも教えているし、謝罪もしない。仮に、「真珠湾攻撃をしてきたのが日本なのだから日本に非がある」、と言うのなら、あれも9.11と同様のヤラセ・陰謀であり、「アメリカ政府は真珠湾が攻撃されることを事前に知っていたが、知っていたにも関わらず、知らないふりをしてハワイのアメリカ人を見殺しにした。」ということは今や周知の事実であり、本やインターネットでも少し検索すれば、誰でも解ることである。
「原爆がなぜ落とされたのか」という疑問に対する回答は、以前に読んだが、鬼塚英昭氏の「原爆の秘密」という書に詳しく書かれているので、是非、一読することをお薦めする。
なんと、原爆投下の犯人はアメリカ政府だけでなく、日本国内にも存在していたことが判明するだろう。
鬼塚氏の「原爆の秘密」を中心に、原爆の真相に関する記事を掲載しているブログを紹介する。
いいかげん、日本国民は、「あの戦争の真犯人」を理解しなければならない。騙され続けているから、「3.11の第三の核攻撃」の犯人にも気付かないし、奴ら・イルミナティの思うがままに第四の核攻撃を受けてしまうかもしれないのだ。その時が来て“日本が終わってしまう”前に、しっかりと「真実の歴史」を学習して欲しい。



「かつて日本は美しかった」さんの「湯川秀樹と原子爆弾」より
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20110814/1313268734
湯川秀樹は語らなかった。
 湯川秀樹と言えば、昭和24年(1949年)、日本人として初めてノーベル賞を受賞した理論物理学者です。大東亜戦争敗戦間もなくの頃、ノーベル賞受賞は日本国民を勇気づけた、と学校で習った記憶があります。
 大東亜戦争当時、ユダヤ研究機関「国際政経学会」の監事をしていた渡部悌治氏(著書「ユダヤは日本に何をしたか」より)
戦争中、日本で一日も早くその完成が待たれていた、マッチ箱一つの大きさで戦艦一つを沈めうるといわれていた新兵器は、今日でいう原子爆弾のことであった。そして仁科芳雄博士の研究では、実験段階では既に完成していた。
 しかし、その基礎理論が完結を見ないでおり、理研内では研究員たちが手分けして研究にあたっていた。それが一応のまとまりをみたとき、これを一つの学説として発表してはどうかという案も出たが、軍の機密に属することでもあり、早計に外部に漏らしてはならぬという仁科博士の意見で発表は厳禁されていた。ところがそれを、当時理研にいた研究補助員の湯川秀樹が米国に売り渡したのである。米国は終戦後、湯川の功績の論功行賞としてノーベル賞を授与させている。米国のためになったということで褒美がもらえたのだ。まさに国賊である
 実は日本でも原子爆弾の研究開発が進められており、海軍は京大の荒勝研究室、陸軍は理化学研究所(仁科芳雄博士)に依頼していました。湯川秀樹は京大の研究でも理論面で協力していました。しかし、予算はアメリカのマンハッタン計画に比べると微々たるもので、この研究を知り、原子爆弾の危険性を知った昭和天皇が「人類滅亡の原因が我ら大和民族であってはならない」と研究の禁止を通告していました。そして最終的には終戦を待たずに研究禁止となっています。
 この湯川秀樹の闇にジャーナリストの鬼塚英昭氏が迫っています。以下、京大の冶金教室の学生だった永田泰次さんの証言。
「原爆が投下される3ヶ月前の1945年5月のある日、冶金(やきん)教室の主任教授の西村英雄先生に突然呼び出されました。先生によると、アメリカの学会から秘密裡にニュースが先生に送られてきて、当時原爆製作をしていた日本より先にアメリカで成功したというのです。そして、その第一回現地テストを広島で行う予定が決まった。できるだけ早く両親を疎開させなさいとういことでした」
「先生に呼び出された時、先生の横に原子物理の湯川秀樹教授が座っておられた」
 アメリカでは広島・長崎原爆投下の半年前に「原爆使用反対」の声が一部の科学者より出ており、その中心になったのがシカゴ大学の冶金研究所のアーサー・コンプトン所長でした。シカゴ大学と京大の両冶金研究はスイスあたりを経由して情報交換したという可能性があるというのです。そして湯川秀樹はアーサー・コンプトン所長と親しく、戦前の昭和14年(1939年)、シカゴに訪ねています。鬼塚英昭氏は湯川の理論面での原爆研究データがシカゴ大学のコンプトン博士に何らかのルートで流れ、その見返りとして、広島に原爆を落とすというアメリカの極秘情報がコンプトン博士から伝わったと推理しています。 このほか、鬼塚英昭氏は広島の高師付属中学校の科学学級というのは湯川秀樹の進言により設けられたもので、勤労動員をうけることなく、疎開して被爆から逃れることができている、という点を指摘しています。また、本来、ノーベル賞は仁科芳雄博士と二人で受賞するべきだったものが湯川秀樹一人になっていることも挙げています。
 いずれも証言証拠、状況証拠であり、まだ内容が弱い。確実なことはいえません。戦後、湯川秀樹は原子爆弾の研究開発に関わったことについては黙し、核兵器廃絶を訴える平和運動に積極的に携わりました。核兵器廃絶・科学技術の平和利用を訴えたラッセル=アインシュタイン宣言に共同宣言者として名前を連ねています。
 広島平和公園にある若葉の像の台座。湯川による短歌での銘文
「まがつびよ ふたたびここに くるなかれ 平和をいのる 人のみぞここは」 (「まがつび」とは、災害凶事を起こす神)
 この言葉は懺悔なのか、欺瞞なのか、それとも湯川博士は売国行為とは無関係で純粋な心からでたものか・・・

参考文献
 成甲書房「ユダヤは日本に何をしたか」渡部悌治(著)
 成甲書房「天皇は知っていた 原爆の秘密」鬼塚英昭(著)
参考サイト
 WikiPedia「湯川秀樹」「日本の原子爆弾開発」


「さてはてメモ帳」さんの「原爆の秘密by鬼塚英昭を原爆ホロコースト真実の書として推す。」より
http://satehate.exblog.jp/9318506/
私はどうして「原爆の秘密」を知りえたのか[序として]

一九四五年八月六日広島に、その三日後の九日には長崎に、アメリカは原爆を投下した。日本の敗戦はすでにはっきりしていた時期であった。私はながい間、「どうしてアメリカは日本に原爆を落としたのであろうか」と考え続けてきた。アメリカ側からの本もたくさん読んできた。日本人が書いた本も同様にたくさん読んできた。 しかし、私には疑問が残った。

日本は敗戦(「終戦」という言葉になっているが)工作を続けていた。アメリカは、その日本の敗戦工作の詳細を知りつくしていた。広島に原爆を投下する一週間前に、アメリカは原爆投下の最終準備に入った。天候だけが問題であった。それと同時に、アメリカは無条件降伏を日本につきつけていた。

日本国民は、日本政府の敗戦工作も、アメリカを中心とする連合国の敗戦提案も何ひとつ知ることがなかった。

それだけではない。広島では、原爆投下直前の八月三日ごろから、投下の中心地付近に多くの学童・生徒が集められていた。しかも、原爆投下の直前にもかかわらず、アメリカ軍機の空襲の情報さえ、広島市民は何ひとつ知らされなかった。長崎市民も悲劇に放り込まれた。広島の原爆投下についての情報をほとんど知ることがなかった。

私は、広島と長崎に落とされた原爆について調べているうちに、常識では考えられないような矛盾点を数多く発見した。そのためにもアメリカ側の資料を読み、原爆とは何か、どうして原爆がつくられるようになったのか、どのような過程でつくられていったのか――を調べていった。そしてついに、アメリカがどうして原爆を投下したのか、という私の積年の疑問が少しずつ解けていくのが分かった。

私は原爆製造の謎に挑むことによって、原爆投下の謎を解明しえたのである。従来の原爆投下説と私の説は、全くといってよいほどに異なる。読者は私の本により、原爆投下は何よりも、国際金融寡頭勢力とも呼ぶべき集団が主役であると知ることになる。

私たち日本人は半世紀以上にわたり、騙され続けている。私たち日本人は、真実に眼をそらさずに直視しなければならない。もし、現状のままでいるのなら、広島と長崎の悲劇がふたたび繰り返されるであろう。

この本を、広島と長崎で死に、あるいは傷ついた人々に捧げたい。



日本人はまだ原爆の真実を知らない[序として]

原爆はどうして広島と長崎に落とされたのか? 多くの本は、軍国主義国家たる日本を敗北させるために、また、ソヴィエトが日本進攻をする前に落とした、とか書いている。なかでも、アメリカ軍が日本本土に上陸して本土決戦となれば多数の死者を出すことが考えられるので、しかたなく原爆を投下した、という説が有力である。

しかし、私は広島と長崎に原爆が落とされた最大の原因は、核兵器カルテルが狂気ともいえる金儲けに走ったからであるとする説を立てて、姉妹書『原爆の秘密国外篇』を書きすすめたのである。(引用注:同時に金融寡頭勢力による世界支配)

核兵器カルテルとは何か? アメリカのロックフェラー、モルガンという巨大な財閥が戦前の世界金融を支配していた。 

ロックフェラーとメロン両財閥は共同作戦をとり、ウラン爆弾の開発に乗り出した。すると少し遅れて、モルガン財閥もデュポンという巨大な化学トラストと組んで、プルトニウム爆弾の製造に着手した。ここに、新しくてしかも巨大な軍需産業が出現したのである。

ウラン爆弾は、ウラン238からウラン235を抽出し、このウラン235を使い原爆を製造する。プルトニウム爆弾は、ウラン238から原子炉を用いてプルトニウム(引用注:に変換後)を抽出し、これを使って原爆を製造する。

ウラン爆弾の製造は一九四五年の春には完成していた。しかし、プルトニウム爆弾の製造は遅れた。しかも、核実験しなければ実用の可能性があやぶまれた。一九四五年七月十六日、プルトニウム爆弾の実験がようやく成功する。時あたかも、トルーマン大統領とチャーチル首相(英国)、スターリン首相(ソ連)がポツダム会談をしていたときであった。

この実験が遅れたために、プルトニウム爆弾の完成が遅れたために、日本の降伏も遅れたと私は書いた。それは、核兵器カルテルのために日本の敗戦が遅れたことを意味するのだと私は結論した。

この原爆製造と投下の総指揮をとったのは、陸軍長官ヘンリー・ステイムソンである。彼はモルガン財閥の一員でもある。 アメリカのみのためではなく、モルガンのために、国際金融寡頭勢力のために、要するに核兵器カルテルのために、スティムソン陸軍長官は原爆投下の総指揮をとったのである。
そのために、スティムソンは日本の「あるルート」を通して昭和天皇との秘密交渉を続けた。原爆を完成し、これを広島と長崎に落とすまで、天皇に敗北宣言をさせなかったのである。無条件降伏とは、原爆を落とすために考え出されたアメリカの謀略であった。何も知らない日本人は完全にスティムソンと天皇に騙されたのである。
本書『原爆の秘密国内篇』はこの私の推論が正しいことを立証するものである。ただ、その過程では、日本人として知るに堪えない数々の事実が浮上してくる。読者よ、どうか最後まで、この国の隠された歴史を暴く旅におつき合いいただきたい。それこそが、より確かな明日を築くための寄辺となるであろうから。

二〇〇八年七月、またあの日を目前にして         
                                         鬼塚英昭


最後に、鬼塚英昭氏の動画「天皇のための戦争・天皇は内通していた」を紹介する。



COMMENT

日本の原点探し


島根県の安来は古事記では根之堅洲国というところでスサノオの活躍地ですね。正確には十神島根之堅洲国となりますが長いので古事記では省略されています。この省略された、十神島というのは出雲国風土記では砥神島という陸繋島であったであろう現在の安来市の十神山です。この島は安来市のシンボルと見いわれ、きれいな円錐形をした小山ですが、古代の人たちにの崇敬した島だったらしいです。この十神というのはイザナギ・イザナミ以前の神々を指し、両神を含めその後の神代の時代と分けて神世と表現されます。この神世七代の十柱の神々が宿る神聖な島だったのだと言われています。ここは、中海という湾岸にあり、例えば淡島と古事記に見える島と認識しうる粟島が対岸の鳥取県米子市にもあり、ここがオノゴロ(淤能碁呂)島と考えると、近くに国生みの神、イザナミの神陵地、比婆山もあることから合理的なのではと思われます。

兵庫県人

 戦前戦後を通じ、古事記の国生みの段で言われるイザナミ神の埋葬地を広島の大山、比婆山に持ってくるため、島根県にある冶金研究所をここまで強調しているのはなんとも不自然だ。どうか不必要な強調も歴史を捻じ曲げていることになることを知ってほしい

NoTitle

鬼塚氏の動画を見ると「私は…思います」が多いですね。「思います」では説得力がないです。個人的な思いを聞きたいわけではないので。一次資料を元に責任もって言論していただきたいです。

Re: NoTitle

名前のない方へ

鬼塚氏は、「私は…思います」は、そんなに使っていないと思いますよ。
むしろ、断言調の言葉を使っている方が多いのではないでしょうか。
「八百長戦争」の根拠も、きっちりと例示されているケースが大半ではないでしょうか。
あなたが戦争遂行勢力のお仲間でなければ、通常の「戦争などしてはいけない」と思っている人間であるのならば、鬼塚氏の発言に対してクレームをつける心理が私には理解できません。
あなたは鬼塚氏の本を読んだことがありますか?
「原爆の秘密」にしても、鬼塚氏は相当数の原爆関連の書を読まれていますよ。
そういったことを理解されたうえで、鬼塚氏の「言論の根拠」にクレームをつけておられるのですか?
逆に、鬼塚氏の発言が間違っているとする根拠を例示できるのであれば、例示していただきたいです。

私はもちろん鬼塚氏とは何の面識もない人間ですが、鬼塚氏が八百長戦争を訴えている気持ちが痛いほど理解できます。ただ、鬼塚氏の発言が100%正しいと言っているのではありません。
矛盾を感じることもあります。しかし、鬼塚氏のことは、基本的には信用できる人物であり、自分の考えを堂々と発言できる、数少ない勇気ある日本人であると感じています。


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