スペイン人たちはインディオたちを殺し、その肉を公然と売っていた。 - 歴史・宗教

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スペイン人たちはインディオたちを殺し、その肉を公然と売っていた。

「史上最大の悪魔・殺人鬼コロンブス、その悪魔・殺人鬼思想は現在も続いている」



皆さんはコロンブスのことをどう思っていますか?
「東洋の国と思ったコロンブス」と学校で洗脳教育されたように、1492年にアメリカ大陸を発見した歴史上の人物といった印象ではないでしょうか。かくいう私も、ちょっと前までは、その程度の知識しか有りませんでした。そして、いまだに“さも偉大な人物であったかのようなデマ宣伝”がテレビ等でされているのです。
実際のコロンブスは、“史上最大の悪魔・殺人鬼”というのが真実のようです。
コロンブスは、約4年で800万人いた現地人が3分の1になるまで虐殺の限りを尽くしたのです。コロンブスからみればヒトラーなど“ほんの悪ガキ”に過ぎないといっても過言ではないのです。


ウィキより抜粋


クリストファー・コロンブス(英: Christopher Columbus[注 1][注 2]、伊: Cristoforo Colombo[注 3]、羅: Christophorus Columbus[注 4]、1451年頃 - 1506年5月20日)は探検家・航海者・コンキスタドール、奴隷商人。定説ではイタリアのジェノヴァ出身。大航海時代においてキリスト教世界の白人としては最初にアメリカ海域へ到達したひとりである。
最初に上陸した島でコロンブス一行は、アラワク族インディアン達から歓待を受ける。アラワク族は船から上がったコロンブス達に水や食料を贈り、オウムや綿の玉、槍やその他見たことのないたくさんのものを持ってきた。コロンブス一行はそれをガラスのビーズや鷹の鈴と交換した。だがしかし、コロンブスの興味は、ただ黄金にしかなかった。彼はこう書き残している[26] 。
「私がインディアに到着するとすぐに、私が見つけた最初の島で、彼ら原住民(アラワク族インディアン)たちに、私に差し出さなければならないものがこの品々の中にあるのかどうか教え込むために、私は力ずくで原住民の何人かを連行した。」
「彼らは武器を持たないばかりかそれを知らない。私が彼らに刀を見せたところ、無知な彼らは刃を触って怪我をした。 彼らは鉄を全く持っていない。彼らの槍は草の茎で作られている。彼らはいい身体つきをしており、見栄えもよく均整がとれている。彼らは素晴らしい奴隷になるだろう。50人の男達と共に、私は彼らすべてを征服し、思うままに何でもさせることができた。」
「原住民たちは所有に関する概念が希薄であり、彼らの持っているものを『欲しい』といえば彼らは決して『いいえ』と言わない。逆に彼らは『みんなのものだよ』と申し出るのだ。彼らは何を聞いてもオウム返しにするだけだ。彼らには宗教というものがなく、たやすくキリスト教徒になれるだろう。我々の言葉と神を教え込むために、私は原住民を6人ばかり連行した。」
帰還したコロンブスを歓迎して宮殿では盛大な式典が開かれた。コロンブスは航海に先んじて、発見地の総督職、世襲提督の地位、発見地から上がる収益の10分の1を貰う契約を交わしていた。この取り決めに従い、コロンブスはインディアンから強奪した金銀宝石、真珠などの戦利品の10分の1を手に入れた。また陸地を発見した者には賞金が王夫婦から与えられるとされていたのだが、コロンブスは自分が先に発見したと言い張り、これをせしめている。
国王に調査報告を終え、少しばかりの援助を求めたコロンブスは、次の航海目標としてこう述べている。
彼らが必要とするだけのありったけの黄金… 彼らが欲しがるだけのありったけの奴隷を連れてくるつもりだ。このように、永遠なる我々の神は、一見不可能なことであっても、主の仰せに従う者たちには、勝利を与えるものなのだ。
1493年の9月に17隻・1500人で出発したコロンブスの2度目の航海はその乗員の中に農民や坑夫を含み、植民目的であった。11月にドミニカ島と名付けた島に到着したが、前回作った植民地に行ってみると基地は原住民であるインディアンにより破壊されており、残した人間は全て殺されていた。コロンブスはここを放棄して新しく「イサベル植民地」を築いた。しかし白人入植者の間では植民地での生活に不満の声が上り、周辺諸島ではアラワク族、タイノ族、ルカヤン族、カリブ族などのインディアンの間で白人の行為に対して怒りが重積していた。
これに対し、コロンブスの率いるスペイン軍はインディアンに対して徹底的な虐殺弾圧を行った。行く先々の島々で、コロンブスの軍隊は、海岸部で無差別殺戮を繰り返した。まるでスポーツのように、動物も鳥もインディアンも、彼らは見つけたすべてを略奪し破壊した。コロンブスがイスパニョーラ島でしばらく病に臥せると、コロンブスの軍勢は凶暴性を増し、窃盗、殺人、強姦、放火、拷問を駆使して、インディアンたちに黄金の在処を白状させようとした
インディアンたちは、ゲリラ作戦でコロンブスに報復を試みたが、スペイン軍の軍事力と彼らがばら撒く疫病はインディアンの想像をはるかに超えていた。最終的に彼らは最善の策は「逃亡」であると決めた。 置き去りにされた作物は腐るにまかされ、やがてインディアンたちを飢餓が襲ったのだった。
コロンブスが何カ月もの間病いに臥せっている間、コロンブスの軍勢はやりたい放題の大虐殺を続けた。コロンブスが快復するまでに、5万人以上のインディアンの死が報告されている。やがて完全復帰したコロンブスの最初の仕事は、彼の軍勢に対し、略奪を組織化することだった。
1495年3月、コロンブスは数百人の装甲兵と騎兵隊、そして訓練された軍用犬からなる一大軍団を組織した。再び殺戮の船旅に出たコロンブスは、スペイン人の持ち込んだ病いに倒れ、非武装だったインディアンの村々を徹底的に攻撃し、数千人単位の虐殺を指揮した。コロンブスの襲撃戦略は、以後10年間、スペイン人が繰り返した殺戮モデルとなった
[29]。
コロンブスと同行し、虐殺を目にしていたキリスト教宣教師のバルトロメ・デ・ラス・カサスは、日記にこう記している。
一人でもインディアンが森にいたら、すぐに一隊を編成し、それを追いました。スペイン人が彼らを見つけたときはいつも、柵囲いのなかの羊のように、情け容赦なく彼らを虐殺しました。 『残虐である』ということは、スペイン人にとって当たり前の規則であって、それは『単に残虐なだけ』なのです。しかしそのように途方もなく残虐な、とにかく苛烈な取り扱いは、インディアンに対しては、自分たちを人間だとか、その一部だなどと金輪際思わせないよう、それを防ぐ方法になるでしょう。」
そういうわけで、彼らはインディアンたちの手を切り落として、それが皮一枚でぶらぶらしているままにするでしょう、そして、『ほら行け、そして酋長に報告して来い』と言って送り返すのです。 彼らは刀の切れ味と男ぶりを試すため、捕虜のインディアンの首を斬り落とし、または胴体を真っ二つに切断し、賭けの場としました。彼らは、捕えた酋長を火炙りにしたり、絞首刑にしました。」
コロンブスは、イスパニョーラ島のインディアン部族の指導者と睨んでいた一人の酋長を殺さずに、引き回しの刑と投獄のあと、鎖に繋いで船に乗せ、スペインへ連行しようとした。しかし他のインディアンたちと同様に、この男性はセビリアに着く前に船中で死んでいる。
インディアンの殺戮に"大勝利"した後、コロンブスは予定通り、捕らえたインディアンを奴隷として本国に送るが、イザベル女王はこれを送り返し、コロンブスの統治に対する調査委員を派遣した。驚いたコロンブスは慌てて本国へ戻って釈明し、罪は免れた。
コロンブスがカリブ海諸島で指揮した行き当たりばったりの大虐殺は、「黄金探し」を使命としたスペイン海軍によって体系化され、 あらゆる部族の子供以外のインディアンが、3カ月以内に一定量の黄金を差し出すよう脅迫された。金を届けたインディアンには、「スペイン人に敬意を表した」という証しとして、その男女に首かけの標章が贈られた。金の量が足りなかった者は、男だろうと女だろうと手首が斬り落とされた。
コロンブスらスペイン人の幻想よりも当地の金の量ははるかに少なかったので、死にたくなかったインディアンたちは、生活を犠牲にして金を捜さざるを得なかった。インディアンが逃亡を始めると飢饉はさらに悪化した。コロンブスらスペイン人が運び込んだ疫病は、栄養失調となったインディアンたちの弱められた身体をより激しく蝕んだ
そしてコロンブスたちと同じく、スペイン軍は面白半分に彼らを殺す楽しみを決してやめなかった
1492年の「新大陸」へのコロンブスの上陸時に約800万人いたインディアンの人口は、1496年の末までに、その3分の1までに減った。さらに1496年以降、死亡率は倍加していった。量的にもスケール的にも、コロンブスは、エルナン・コルテスやフランシスコ・ピサロに並ぶ、虐殺目的で戦争を楽しんだ最も悪名高いコンキスタドール、征服者の一人と言えるだろう[32]。
コロンブスのインディアンを見下した傲慢さや残虐さについては、多文化主義に基づく歴史家たちは、これを典型的な西側の白人男性の、原住民に対する人種差別的偏見としている。ゲイリー・ナッシュは、コロンブスはインディアンに対して、不合理な敵意に根ざした独特な「ヨーロッパの傲慢な本質」を体現していると告発している。カークパトリック・セールは、「偏見を起因として他の種に対して交戦が見られるということは、ヨーロッパ文化としては空想的なことではない」としている。またスティーヴン・グリーンブラットはコロンブスについてこう述べている。「政治的、経済的、文化的なカニバリズムという、西洋史のなかでも最大の実験を開始したのがコロンブスである」[33]。
アメリカ合衆国の記念祝日である10月12日、「コロンブス・デー」は、インディアンにとっては「白人による侵略開始の日」に他ならない。1911年にインディアン運動家たちは「アメリカインディアン協会」を設立し、「全米インディアン・デー」を提唱。オハイオ州コロンバスでの第一回決起大会において、「インディアンが白人のアメリカを発見した日!」とのスローガンを掲げ抗議した。
現在も反「コロンブス・デー」運動は「アメリカインディアン運動(AIM)」などに引き継がれ、毎年この日になると全米各地で抗議行進やデモが行われていて、この際多数のインディアンが逮捕されている。
インディアン団体「AIM」のコロラド支局はその公式サイトで、「Transform Columbus Day!(コロンブス・デーを変えろ!)」として、この記念祭の廃絶を求め、以下のように主張している。
1. コロンブスは何百万人もの先住民族の殺戮の責任者です。
2. コロンブスはアメリカに侵入してくる前は、アフリカの奴隷商人でした。 彼はアメリカ大陸で奴隷売買を始めました。 彼は何にも値しません。休日にも、パレードにも、彫像にも。
3. コロンブスの日は、「発見」の意義を祝うものです。今日も続く、インディアンの領土を盗むための法的な過程としての。
4. コロンブスはアメリカ大陸に、今日も持続されている優位性として、自然環境における優位、異なる信仰・信念に対する優位、男性の女性に対する優位といった、他民族(白人)の優位の哲学を持ち込みました。

AIMスポークスマンであるスー族のラッセル・ミーンズらインディアン運動家はチカーノ団体と連携し、コロラド州デンバーの「コロンブス・デー」に毎年、同州にあるコロンブスの銅像にバケツで真っ赤な絵の具を浴びせている。インディアンによるこの「血の洗礼」は、州警察による逮捕者を出しながらも毎年行われている。
1992年の「コロンブス500年祭」に合わせ、ラッセル・ミーンズは、「コロンブスは大西洋を横断した世界初の奴隷商人だ。コロンブスの前では、アドルフ・ヒトラーはまるでただの不良少年だ」、AIMコロラド支局代表のインディアン、グレン・モリスは、コロンブスを「殺人者であり、強姦者であり、今日も続く大量虐殺思想の大立者である」、ウィノナ・ラデュークは、「生物学的、技術的、生態学的な侵入は、500年前のコロンブスの不幸な航海から始まった」とコメントしている[34]。



(災害民間防衛隊公式ブログ)さん
http://boueitai.phpapps.jp/archives/437/
[コロンブスは英雄か、それとも冷酷な虐殺者か]②
前の記事
前置きが長くなった。今まで筆者が述べてきたことが、大げさではないかと思われる 読者のために、出来るだけ史実に基づいて記述することにしよう。 ここにラス・カサスという人物がいる。コロンブスの第二次航海に同行した聖職者である。
この人のスペイン皇太子フェリーぺに捧げられた報告書に現地の状況が仔細に述べ られている。
以下は
ラス・カサス(染田秀藤訳『インディアスの破壊についての簡潔な 報告』岩波文庫刊)と一部トーマス・R・バージャー・藤永茂訳『コロンブスが来てから』( 朝日新聞社刊)らによる記述からの抜粋である。
【南北アメリカ大陸の先住民は善良な人々だった】
それについて、ラス・カサスはこう述べている。
神はその地方一帯に住む無数の人々(著者注釈、アメリカ大陸の先住民インディアスをさす)をことごとく素朴で、悪意のない、また、陰ひなたのない人間として創られた。 彼らは土地の領主たちに対し、また、現在彼らが仕えているキリスト教徒たちに対しても実に恭順で忠実である。
彼らは世界でもっとも謙虚で辛抱強く、また、温厚で口数の すくない人たちで、諍いや騒動を起こすこともなく、喧嘩や争いもしない。そればかりか、 彼らは怨みや憎しみや復讐心すら抱かない

また、別の章では、こうも述べている。
インディオたちは粗衣粗食に甘んじほかの人びとのように財産を所有しておらず、 また、所有しようとも思っていない。したがって、彼らが贅沢になったり野心や欲望を 抱いたりすることは決してない。彼らの食事といえば聖職者が荒野でとるのとまったく 変わらず、それ以上僅かで粗末な貧しい食事はないと思えるほどのものである。彼らは 明晰で物にとらわれない鋭い理解力を具え、あらゆる秀れた教えを理解し守ることが できる
また、ラス・カサスの言うことが、決して誤りでない証拠に、
『わが魂を聖地に埋めよ』(草思社刊)の作者ディー・ブラウンも、この人たちを次のように言っている。
「サン・サルヴァドル島のタイノー族は異邦人を迎える時の習慣にしたがって、コロン ブスとその部下たちに贈り物を捧げ彼らを丁重にもてなした。コロンブスがスペイン国 王に送った書簡にはこう書かれている。
『これらの人々は非常に従順で、平和的であります。 陛下に誓って申し上げますが、世界中でこれほど善良な民族は見あたらないほどです。 彼らは隣人を自分と同じように愛し、その話しぶりはつねに優しく穏やかで微笑がたえ ません。それに、彼らが裸だというのは確かですが、その態度は礼儀正しく、非のうち どころがないのです』
ラス・カサスはこう述べている。
彼ら(著者注釈、白人)はようやく足が地面にとどくくらいの大きな絞首台をつくり、 こともあろうに、われわれが救世主と十二人の使徒を称え崇めるためだと言って十三 人ずつその絞首台に吊るし、その下に薪を置いて火をつけた。こうして、彼らはインデ ィオたちを生きたまま火あぶりにした。
また、インディオの体中に乾いた藁を縛り、それに火をつけて彼らを焼き殺したキリスト教徒たちもいた。そのほかのインディオたちに対しては、キリスト教徒たちは殺さずにおこうと考え、彼らの両手に切りつけたそうして、辛うじて両手が腕にくっついているそのインディオたちに向かって、彼らは『手紙をもってゆけ』と命じた。つまり、山へ逃げ込んだインディオたちの所へみせしめにいかせたのである

ふつう、彼らはインディオたちの領主や貴族を次のような手口で殺した。地中に打 ちこんだ四本の棒の上に細長い棒で作った鉄灸(てっきゅう)のようなものをのせ、そ れに彼らを縛りつけ、その下でとろ火を焚いた。すると、領主たちはその残酷な拷問に 耐かねて悲鳴をあげ、絶望し、じわじわと殺された
一度、私は頭株の人たちや領主が四、五人そうして火あぶりにされているのを目撃した(また、ほかにも同じような仕掛けが二、三組あり、そこでもインディオたちが火あぶりにされていたのを記憶している)。彼らは非常に大きな悲鳴をあげ、司令官を悩ませた。
そのためか。安眠を妨害されたためか、いずれにせよ、司令官は彼らを絞首刑にするよう命じた。ところが、彼らを火あぶりにしていた死刑執行人(私は彼の名前を知っているし、かってセビ―リャで彼の家族の人と知り合ったことがある)よりはるかに邪悪な警吏は絞首刑をよしとせず、大声をたてさせないよう、彼らの口の中へ棒をねじ込み、火をつけた。結局インディオたちは警吏の望みどおり、じわじわと焼き殺されてしまった」
三百人以上の(筆者注、インディオの)領主が(筆者注、スペイン人の)総督の出頭命令に従い、安心してやってきた。ところが、総督は彼らを騙し、部下に領主をできるだけ大勢藁造りの大きな家に閉じ込め、火をつけるよう命じた。こうして、キリスト教者たちは彼らを生きたまま焼き殺した
スペイン人たちはインディオたちを殺したり、火攻めにしたり、また、彼らに獰猛な犬をけしかけたりした。さらに、スペイン人たちはインディオたちを鉱山での採掘やそのほか数々の労働で酷使し、圧迫し、苦しめ、結局、その罪の無い人々を全員絶滅させてしまった。
両島(サン・フワン島とジャマイカ島)には、かつて六十万人以上、いや、百万人を超える人たちが暮らしていたのであろうが、今ではそれぞれ二百人くらいしか残っていない

島には、三百人のインディオを分配されて所有した官吏がいたが、わずか三ヶ月のうちに、そのうちの二百七十人が鉱山労働で死んでしまい、生き残ったのは全体の十分の一に当たる三十人にすぎなかった。その後も彼は大勢のインディオを与えられたが、その都度、彼らを死に追いやった。
つまり、彼は死んで悪魔に魂を奪われるまで、そのようなことを 繰り返し行った。私はその場に居合わせたのであるが、三ヶ月か四ヶ月の間に、約七千人以上の子供が餓死した。両親が鉱山に連れ去られてしまったからである

ある時、その無法者(スペイン人)気まぐれからインディオたちをあらためて分配しなおそうと考えた。彼は気に入らない者からインディオを取り上げ、自分の意に叶う部下に与えようとした。そのため、インディオたちは田畑に種を蒔けなくなった。
キリスト教徒たちには全然食料などなかったので、彼らはインディオたちが自分自身や子供たちのために貯えていた(玉蜀黍トウモロコシ)を全部奪い取った。その結果、ニ、三万以上のインディオが餓死し、さらに、飢えを凌ぐために母親が自分の子供を殺して食べるという事態が発生した

【つづく】
http://boueitai.phpapps.jp/archives/439/
[コロンブスは英雄か、それとも冷酷な虐殺者か]③
「スペイン人が行った数々の虐殺の中で、取り分け有名なのは三万人以上の人々が暮らしていたチョルーラという大きな町で行われたものである。チョルーラおよびその周囲の領主たちはみな、大神官が率いる神官全員の行列を先頭にして、丁重に、しかも、恭しくキリスト教徒たちを迎えた―――。

キリスト教徒は彼らを虐殺、(スペイン人の言葉を借りれば)懲らしめようと心に決めた。それは領土の隅々にいたるまで恐怖の種をまき、彼らの勇猛さを見せつけるためであった。―――荷担ぎ人足として五千人か六千人のインディオを要求し―――全員集められ、中庭に閉じ込められた。
監視役のスペイン人たちが武装して庭の戸口に立ち、一方、残りのスペイン人たちはみな各自手に剣を構えて子羊(インディオ)たちに襲いかかり、剣や槍で彼らを突き殺した。
この虐殺から逃げのびた者はひとりもいなかった。それから、二、三日たつと、山のような死骸の下に隠れて辛うじて生きのびた多くのインディオたちが満身に血を浴びて、そこから這い出てきた。彼らはスペイン人たちのもとへ行き、殺さないでほしいと涙ながらに慈悲を乞うた。
しかし、スペイン人たちは、彼らに対し一片の慈悲心も同情の念も持ち合わせていなかったので、インディオたちがやって来るとすぐ、彼らをずたずたに切り刻み、さらに、百人以上の領主を縛り上げた。司令官は部下たちに彼らを火あぶりにし、そののち、生きたまま火中から引き出し、地中に打ち付けた棒に吊るすよう命令した。
しかし、おそらくその地方でもっとも権力があると思われるひとりの領主がうまくその場を抜け出し、二十人か三十人、あるいは、四十人の部下を引き連れて近くにあった大神殿に立て籠もった。―――結局、スペイン人たちは神殿に火を放ち、インディオたちを火攻めにした。
インディオたちは絶叫した。
『なんと邪悪な人たちだ。いったい私たちが何をしたというのか。どうして私たちを殺すのだ』
スペイン人たちが中庭にいた五千人か六千人のインディオを剣で突き殺していた間、司令官は
『ネロはタルビアの丘より炎に包まれているローマの光景を眺める。老いも若きもみな救いを求めて泣き叫ぶ。だが、ネロはいささかの憐れみの情も抱かない』
と口ずさんでいたという」

「パヌコ地方を全滅させたその無法者ベルトラーン・ヌニョ・デ・グスマーンは前述した王立アウディエンシアが設立されるのを知り、傍若無人に支配できるような場所を見つけるために内陸へ向かう決心をした。彼は同行するスペイン人たちや自分自身の荷物をかつがせるため、メキシコの地方から力づくて一万五千人か二万人のインディオを狩り出した。その中で無事に生還できたのは僅か二百人足らずで、そのほかのインディオたちはみな途中で死んでしまった」
ある邪悪なキリスト教徒はひとりの娘を犯そうと思い、彼女を強奪しようとしたが、母親が娘を手放さなかった。そのため、彼は母親に襲いかかり、短剣か剣を抜いて母親と娘の手を切り離した。しかし、娘が言いなりにならなかったので、彼は滅多突きにして彼女を殺してしまった
「彼は、主イエス・キリストがみずからの生命を犠牲にして贖(あなが)われた人々を元手に財産を築こうと考え、殺さずにおいたインディオたちを手当たり次第奴隷にした。そして、奴隷がいるという噂を聞いてやって来た多くの船へその大勢のインディオを送った。
彼は、自分の都合や判断に従い、インディオたちは葡萄酒、オリーブオイル、酢、ベーコン、衣服、馬、そのほか彼とその部下たちが必要とした品物とそれぞれ交換し、また、同様に百人か二百人の中から頑丈そうな少年を選ばせて、他の品物と交換した。
領主の子息らしい少年がチーズと、また、百人のインディオが馬一頭と交換されることもあった。1526年から1533年までの七年間、彼はひたすらこのような行為に耽り、その地方を荒廃させ、破壊し情容赦なく住民を殺害した」
忌まわしいスペイン人たちは獰猛な犬を連れてインディオたちを探し回り、彼らを悩ませていた。病にかかったある女はもはや犬たちから逃れられないと観念 し、自分の子供だけはほか自分の子供だけはほかの人々が蒙ったような八つ裂きの憂き目に会わせたくないと思って、生後僅か一年の子供を縄で自分の足にくく りつけて首を吊った。しかし、時すでに遅く、犬が飛びかかり、子供を八つ裂きにしてしまった
この気の狂った男はある徳の高い聖職者の前で、身重の女は奴隷として高価で売れるので、精一杯多くの女を孕ませようとしたと恥じる様子もなく言い、それを自慢したのである
無法者たちが出頭を命じたのか、それとも、インディオたちがすすんでやってきたのか、いずれにせよ、札付きの無法者は部下たちに命じてある村の大勢のインディオ、伝え聞くところでは二百人以上のインディオの鼻から口髭まで唇もろともそぎ落とし、のっぺらぼうにした。
スペイン人たちは血を流して苦しんでいるその哀れなインディオたちをほかのインディオたちのいる所へいかせた。その目的はこともあろうに、それが洗礼を受けカトリックの教えを説いて歩く伝道師たちの行っている仕事であり、奇跡であると彼らに知らしめることだったのである

またある時、同じ無法者はコタと呼ばれる村へ押し入り、大勢のインディオを捕らえた。さらに、彼らは十五人か二十人の領主や頭株の人たちに犬をけしかけて、彼らを八つ裂きにさせた。それを縄にしばって棒いっぱいにぶら下げた。それはほかのインディオたちに彼の仕打ちをみせつけるためであった。棒には七十組の手がぶらさげられていたようである。そのうえ、彼は大勢の女や子供の鼻を削ぎ落とした
スペイン人たちはインディオたちを殺し、八つ裂きにするために獰猛で凶暴な犬を仕込み、飼いならしていた。真のキリスト教徒である人びと、また、そうでない人も、彼らがその犬の餌として大勢のインディオを鎖に繋いで道中連れ歩いたという事実を知っていただきたい。おそらく、そのような行為をこれまでに耳にしたことはないであろう。
インディオたちはまるで豚の群れとかわらなかった。スペイン人たちはインディオたちを殺し、その肉を公然と売っていた。
『申し訳ないが、拙者が別の奴を殺すまで、どれでもいいからその辺の奴の四半分ほど貸してくれ犬に食べさせてあげたいのだ』
と、まるで豚か羊の肉の四半分を貸し借りするように話し合っていた

インディオたちが蒙ったこのような虐殺や破壊は数知れないので、どんなに筆をつくしても、言い尽くせないであろう。実際、私がどんなに多くを語ったところで、その千分の一も説明したことにならないのである
「ある時、哀れに思ったのか、それとも、欲にかられてか、いずれにせよ、数人のキリスト教徒が子供たちを捕らえて馬の後ろに乗せたことがあった。子供たちが殺されないよう守るためであった。ところが、背後から別のスペイン人がやって来て、子供たちを槍で突き刺した。さらにキリスト教徒たちは地面に倒れていた子供の足を剣で切り落とした」
次はトーマス・R・バーチャー著「コロンブスが来てから」朝日選書刊からの抜粋である。
数人のキリスト教徒(著者注、の白人)が乳飲み子を抱いたインディアスの女(著者注、母親)と出会った。彼らは連れていた犬が腹をすかしていたので母親の手から子どもを奪い、生きたまま犬に投げ与えた。犬は母親の目の前で、それをがつがつ食い始めた
【完】
参考・引用文献
『インディアスの破壊についての簡潔な 報告』
著者:ラス・カサス訳:染田秀藤(岩波文庫刊)
『わが魂を聖地に埋めよ』著者:ディー・ブラウン(草思社刊)
『コロンブスが来てから』著者:トーマス・R・バージャー 訳:藤永茂( 朝日新聞社刊)




はい皆さん、コロンブスの正体が理解できましたでしょうか。
この事実が理解できれば、「イエズス会が何の目的で日本にやって来たのか」ということや、「秀吉が何故バテレン追放をしたのか」とか、「家康が何故鎖国をしたのか」といったことの“学校やテレビ・新聞が決して教えない歴史の真実”を理解することができるでしょう。
コロンブスと同様に、ザビエルはキリスト教(実際はユダヤ・カバラ教)を使って、日本民族を滅亡させようとしていたのです。秀吉や家康が間抜けな指導者であったならば、アメリカ原住民のように徹底的に日本民族は根絶やしにされていたかもしれないのです。
「彼ら」は、日本人なんて猿ぐらいしか思っていないのです。
その後明治維新という名の詐欺革命の名の下に、「彼ら」の傀儡売国奴勢力によって徳川幕府は打ち倒されました。そして日本は「彼ら」が偽装した神道国家になり、偽装した天皇絶対主義が作り出され、「彼ら」に操られた皇室及び売国奴勢力によって八百長戦争が仕組まれ、今現在も植民地支配をされています。
八百長戦争を仕組まれても、原爆を落とされても、人工地震を仕掛けられても、ケムトレイルを撒き散らされても、TPPという名の超不平等条約を押し付けられても、「見猿、言わ猿、聞か猿」にしておけ、と命じられたままです。

最後に、「彼ら」の悪魔の思想が現在も続いている証明となるブログ記事を紹介します。
ハリウッド映画は「彼ら」が支配しており、9.11や3.11等の予告を忍ばせていることは有名ですが(このブログ主さんは主にそういった告発記事を紹介されています)、今回の「猿の惑星」もその一つのようです。
ちなみに映画における猿とは日本人のことを題材にしているそうです。
「彼ら」はこういった映画を作って日本人・東洋人を馬鹿にしているのです。




(足利流浪)さん
http://blogs.yahoo.co.jp/ontibt_des/65017607.html
韓国の旅客船は4月15日に出航したそうですが、
4月15日はタイタニックが沈没した日です。

最近、騒いでるSTAP細胞とかあんまり興味ないんですけど、
この再生医療コメディは、「猿の惑星~創世記~」じゃないんですかね。

作中、東洋人の親子が2回映ります。
1回目は普通に映りますが、猿が射殺される時に映る2回目、
親子の口から血が流れます




COMMENT

ちょっとこれは流石に。

コロンブスがひどいのは分かるが、流石に最後の方は妄想入りすぎ。
根拠ない憶測は正常な精神を蝕みますよ。

どこの馬鹿か工作員か分からない精神異常者さんへ


どこの馬鹿か工作員か知らないけれど、こんな精神異常者が存在しているということを皆さんに知ってもらうために、この糞コメントを削除しないでおきます。
「猿の惑星」の映像を見ても腹立ちを覚えるどころか何の悪意も無く「偶然」に東洋人の子供が口から血を出したと判断しているらしいから、こいつは少なくとも日本人でないことは明らかであるだろう。
コロンブスと同様の悪魔崇拝主義者か、ものを考える能力の無い救いようのない馬鹿のどちらかでしょう。

最後の結びがそれ?

あのね、昭和天皇は戦争に反対してたからね。ちょっと頭冷やそうか。

第二次大戦前にしても後にしてもアメリカにさえ容共と反共、容日と対日、ウィークジャパン政策とストロングジャパン政策があったんだよ?それは民主党と共和党の対立でもあったし、ソ連の息がかかったコミンテルンとの対立でもあった。
黄禍論に対する白禍論を主張する白人もいた。真の戦犯であるF.ルーズベルトはマニュフェストで反戦を主張し、世論の9割は反戦を望んだ。父であるT.ルーズベルトでさえインディアンの虐殺を賛美しながら、同じ黄色人種の日本人と友好的にあった(武士道を愛読し、柔道は茶帯。まぁ結局は親日から反日になるけど)。

日本は大和を為す唯一の大国であると僕は思う。しかしだからこそ僕達は大陸の複雑性の何たるかを実感できない。大陸はカオスだ。だからこそ君の様に陰謀論を考えることも大事だし、面白い。しかしそれだけに目が行って偏ると恥をかくよ?この複雑性を理解し、もっと歴史を勉強すれば、君の様な安易な陰謀論に落ち着くなんてことはあり得ないから。

Re: タイトルなし

> 最後の結びがそれ?
>
> あのね、昭和天皇は戦争に反対してたからね。ちょっと頭冷やそうか。
>
> 第二次大戦前にしても後にしてもアメリカにさえ容共と反共、容日と対日、ウィークジャパン政策とストロングジャパン政策があったんだよ?それは民主党と共和党の対立でもあったし、ソ連の息がかかったコミンテルンとの対立でもあった。
> 黄禍論に対する白禍論を主張する白人もいた。真の戦犯であるF.ルーズベルトはマニュフェストで反戦を主張し、世論の9割は反戦を望んだ。父であるT.ルーズベルトでさえインディアンの虐殺を賛美しながら、同じ黄色人種の日本人と友好的にあった(武士道を愛読し、柔道は茶帯。まぁ結局は親日から反日になるけど)。
>
> 日本は大和を為す唯一の大国であると僕は思う。しかしだからこそ僕達は大陸の複雑性の何たるかを実感できない。大陸はカオスだ。だからこそ君の様に陰謀論を考えることも大事だし、面白い。しかしそれだけに目が行って偏ると恥をかくよ?この複雑性を理解し、もっと歴史を勉強すれば、君の様な安易な陰謀論に落ち着くなんてことはあり得ないから。

(おへんじ)

昭和天皇は戦争に反対してたからね

アメリカにさえ容共と反共

民主党と共和党の対立

日本は大和を為す唯一の大国であると僕は思う

もっと歴史を勉強すれば、君の様な安易な陰謀論に落ち着くなんてことはあり得ないから


はいはい、ごくろうさま、よくかんじではっぴょうできましたね。
どこのわるいこかしらないけれど、まよなかにいんたーねっとなんかみていたらだめだよ。
おとうさんにおこられるよ。
わたしからみたら、あなたはようちえんじとしかおもえないので、ひらがなでおへんじしますね。こんかいだけだよ。
こうさくいんさんにしては、おつむのできがわるすぎるようなので、たんなるあたまのわるいえんじさんなのかな?
でも、いつまでもあなたのおあいてをしてあげられるほどひまじゃないので、これからはほうもんしないでね。
これからは、おとうさんやおかあさんやせんせいのいうことをちゃんときいて、あなたとおなじぐらいのおつむのもちぬし(あまりいないかな?)のおともだちとおゆうぎでもしながら、しあわせにくらしてくださいね。ばいばい。
あっ、それから、おなまえに「ほ」をかくことをわすれているみたいだね。

猿の惑星

フランス人の原作者が、インドシナで旧日本軍の捕虜になって、それまで動物と思っていた相手に屈辱感を感じたということは容易に想像できる。かつての日本軍が、捕虜に対して、最も人道的であったにもかかわらず。欧米人が、終戦直後ころまで、有色人種を人間とみなしてなかったことは一般的に言われている。

確かに 許せるもんじゃない

歴史的に 残虐な行為は 後をたたないけど
ここ500年 白人による 残虐行為は
酷いものがある。
その事実を 誤魔化すような 情報統制 教育が行われてきたことにも ぞっとする。

最近は 情報を、色んな角度からの見解を手に入れることが出来るから よりいい世界にいるんだと思えるよ

感謝しなきゃね

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