「安里屋ユンタ」夏川りみ
2021年04月16日
「日本全国北から南へズズーと縦断、ご当地ソング特集」も、今日で最終回となりました。
4週にわたって続けた特集は、今までで例がありません。
この特集をやって分かったことは、「有名なご当地ソング」がある土地とない土地があることです。
その関係でご紹介できなかった土地が多々あったことは私の責任ではありませんので、ご容赦くださいませ(笑)
最近になって当ブログにご訪問いただくようになった方に「この人は歌謡曲と演歌が好きなようだね」と誤解されているかもしれないことを危惧しています(爆)
最終回を飾るのは、「安里屋ユンタ」です。夏川りみのヴァージョンでお届けします。
「安里屋ユンタ」は、ウィキで以下のように紹介されています。
「安里屋ユンタ」(あさとやユンタ)は、沖縄県の八重山諸島の竹富島に伝わる古謡。
これを元歌に、三線で節をつけたのが「安里屋節」(あさどやぶし)である。
さらに1934年に星克作詞、宮良長包作曲により標準語でレコード化された「安里屋ユンタ」(あさどやユンタ)があり、古謡と区別して「新安里屋ユンタ」ともいう。日本全国に広く知られているのは、この3番目の「安里屋ユンタ」であり、これを元歌に鹿児島県の奄美群島で「奄美チンダラ節」が歌われるなど、替え歌も作られている。
ユンタは労働歌の一種であり、田植え歌として歌われた。楽器は使わず、男女掛け合いで歌うことが多く、掛け合いが重なる部分では二部のコーラスに聞こえる。また、力を入れる時のタイミングを合わせるために力強い囃しが入る。
「安里屋ユンタ」は、琉球王国時代の竹富島に実在した絶世の美女・安里屋クヤマ(1722年 - 1799年)と、王府より八重山に派遣され、クヤマに一目惚れした目差主(みざししゅ。下級役人)のやり取りを面白おかしく描いている。
ヒヤ 安里屋ぬクヤマにヨー サーユイユイ 目差主ぬ 乞ゆたらヨー ハーリヌ チンダラチンダラヨー マタ ハーリヌ チンダラチンダラヨー
— 竹富町民謡工工四
八重山では、1637年から琉球王国が苛酷な人頭税の取り立てを行っており、庶民が役人に逆らうことは普通では考えられなかった。そんな中で目差主の求婚を撥ね付けるクヤマの気丈さは八重山の庶民の間で反骨精神の象徴として語り継がれ、結の田植歌と結び付いて19世紀初頭までに「安里屋ユンタ」となったと考えられている。
歌詞は23番まで続き、4番以降ではクヤマに振られた目差主が「ならばお前より美しい娘を見つけて嫁にする」と言ってクヤマと別れ、イスケマという娘を娶って郷里に連れて帰る過程を描いているが、一般に歌われるのは6番までのことが多い。
なお、安里屋ユンタの本家である竹富島では、安里屋ユンタは「あさとやユンタ」と云い、濁音の「ど」ではない。これは、クヤマの生家である安里家の屋号がアサッティヤと呼ばれているためである。
一般的に知られているのは「新安里屋ユンタ」であり、歌詞の内容も変えられているようですね。
元の歌詞は、「権力者の横暴に立ち向かった女性のことを歌った歌」だったようですね。
コロナ詐欺・新コロワクチン詐欺をしている悪魔どもに立ち向かうには、ピッタリの曲かもしれませんね。
元歌の方もアップしておきます。
「安里屋ユンタ」のルーツを探る動画をアップしておきます。
ポチッと押してもらえると、明日への活力となります

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「安里屋ユンタ」(あさとやユンタ)は、沖縄県の八重山諸島の竹富島に伝わる古謡。
これを元歌に、三線で節をつけたのが「安里屋節」(あさどやぶし)である。
さらに1934年に星克作詞、宮良長包作曲により標準語でレコード化された「安里屋ユンタ」(あさどやユンタ)があり、古謡と区別して「新安里屋ユンタ」ともいう。日本全国に広く知られているのは、この3番目の「安里屋ユンタ」であり、これを元歌に鹿児島県の奄美群島で「奄美チンダラ節」が歌われるなど、替え歌も作られている。
ユンタは労働歌の一種であり、田植え歌として歌われた。楽器は使わず、男女掛け合いで歌うことが多く、掛け合いが重なる部分では二部のコーラスに聞こえる。また、力を入れる時のタイミングを合わせるために力強い囃しが入る。
「安里屋ユンタ」は、琉球王国時代の竹富島に実在した絶世の美女・安里屋クヤマ(1722年 - 1799年)と、王府より八重山に派遣され、クヤマに一目惚れした目差主(みざししゅ。下級役人)のやり取りを面白おかしく描いている。
ヒヤ 安里屋ぬクヤマにヨー サーユイユイ 目差主ぬ 乞ゆたらヨー ハーリヌ チンダラチンダラヨー マタ ハーリヌ チンダラチンダラヨー
— 竹富町民謡工工四
八重山では、1637年から琉球王国が苛酷な人頭税の取り立てを行っており、庶民が役人に逆らうことは普通では考えられなかった。そんな中で目差主の求婚を撥ね付けるクヤマの気丈さは八重山の庶民の間で反骨精神の象徴として語り継がれ、結の田植歌と結び付いて19世紀初頭までに「安里屋ユンタ」となったと考えられている。
歌詞は23番まで続き、4番以降ではクヤマに振られた目差主が「ならばお前より美しい娘を見つけて嫁にする」と言ってクヤマと別れ、イスケマという娘を娶って郷里に連れて帰る過程を描いているが、一般に歌われるのは6番までのことが多い。
なお、安里屋ユンタの本家である竹富島では、安里屋ユンタは「あさとやユンタ」と云い、濁音の「ど」ではない。これは、クヤマの生家である安里家の屋号がアサッティヤと呼ばれているためである。
一般的に知られているのは「新安里屋ユンタ」であり、歌詞の内容も変えられているようですね。
元の歌詞は、「権力者の横暴に立ち向かった女性のことを歌った歌」だったようですね。
コロナ詐欺・新コロワクチン詐欺をしている悪魔どもに立ち向かうには、ピッタリの曲かもしれませんね。
元歌の方もアップしておきます。
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