「ウイルスの作り話は、人々をコントロールするために、実に便利な手段である」byルドルフ・シュタイナー
連投です。前回と少々趣旨が異なるので分けた方がいいと判断しました。
今回は、お勧め動画を紹介します。
アルシオン・プレヤデスという動画グループが何者なのかは知らないが、非常に優れた内容であり、真実を告発していると感じた。
非常に長いので、何日かに分けてでもいいから観てほしい。
アルシオン・プレヤデス94:パスツールの不正、人工DNAワクチン、量子タトゥー、ルシフェラーゼ
https://alcyonpleiades-jp.blogspot.com/2020/07/dna.html
一部、内容検証及び書きおこしをしておく。
「1872年、イギリス・レスターで天然痘ワクチンに反対するデモが行われた」という内容を検証する。
https://www.li-hari.net/entry/tennnenndou-wakutinn
天然痘の根絶はワクチンのおかげではない!天然痘の歴史を振り返りながら、統計情報で説明する
こんにちは。李哲です。
アメリカの中医師:鄭智城先生*1の文章を翻訳しました。
天然痘などを含む伝染病は、ワクチンで根絶したと思わないでください。天然痘の歴史を振り返りながら見れば分かります。
中国語本文のリンク先は、
历史上天花流行的绝迹真的归功于疫苗吗?_郑智城_新浪博客
翻訳文
皆さん、天然痘の歴史を振り返って見ましょう。
(データの源はSuzanne Humphries医師の本です。)
イギリスは1800年から天然痘ワクチン接種を始めました。1850年には、全国民に天然痘ワクチン義務接種を始め、違反する人は罰金刑もしくは刑務所。
しかし、毎回ワクチン接種しても天然痘が流行り、イギリス国民は天然痘ワクチンを疑うようになりました。その中の一つ、25万人の人口がある都市Leicesterは特に反発が強かったです。
1872年は天然痘が大流行。Leicesterの市民たちはのワクチン接種率が90%なのに、天然痘災害がひどい(3000人感染、358人死亡、すでにワクチン接種をした人を含め)から、我慢できなくて政府の強制接種法律に違反する事になりました。
1885年、Leicesterの市民たちは大規模なデモを行い、全ヨーロッパの人も参加しました。1885年からLeicesterの地方政府は妥協して、ワクチン義務接種を廃止。
Leicesterのワクチン接種率は急に下がって、新生児の約10%だけ天然痘ワクチン接種しました。同時にこの都市は、厳格な衛生管理と隔離措置を始めました。その後から、Leicesterの毎年の天然痘感染者は2~3人だけ。
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1893年天然痘災害がひどい時期、イギリスのもう一つの都市、ワクチン接種をたくさんした都市Mold、Flintshireの死亡率はLeicesterの32倍!
Mold/Flintshireの死亡率は3614/百万人。
10歳以下で、ワクチン接種してないLeicesterの死亡率は144/百万人!
ワクチン接種を大規模に行ったBirminghamは当時、1万人あたりの感染者は63人で、5人が死亡。Leicesterの状況は、1万人あたりの感染者は19人で、1人が死亡。
天然痘災害が爆発した時期、10万人毎にLeicesterの死亡率は5.7人。
Birminghamは8人。
Warringtonは10人。
Middlesbroughは14.4人。
時間が経つことでLeicesterの天然痘死亡率は下り始め、1902年~1903年の災害中は10万人毎に死亡率は5.3人。1903~1904年の死亡率は1.2人。
史上では、これを「Leicesterの経験」だと言います。
厳格な都市衛生管理と病患の隔離こそ、天然痘災害を収める有効な方法です。天然痘を根絶させたのは、ワクチンではありません!
日本は1885~1892年の間、156172人が感染されてその中の39979人が死亡。そして、1892年から日本政府は生後1ヶ月の赤ちゃんに、7歳まで毎年ワクチン接種するようにしました。
もし天然痘の流行りがあったら、全国民に強制的にワクチン接種する措置をとりました。しかし、1892~1897年の5年の間、日本はワクチン接種をしたのに、14万2032人が天然痘に感染され、3万9536人が死亡。
ワクチンの功労は、どこにありますか?
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1896年から日本政府は、強制的に全国民に5年毎にワクチン接種するようにしました。しかし、1897年日本の天然痘死亡率は32%に上昇し、ワクチン接種する前の2倍になりました。
アメリカでは1948年、だいたい200~300人が天然痘ワクチン接種で死亡。同じ1948年、自然な天然痘にかかって死んだ人は1人だけ。
1974年、インドはワクチン接種率88%(85%のherd immunityを超え)を達成した状況なのに、10万人が天然痘ウィルスに感染されて3万人が死亡。
データの源は、David Koplow, 《Small Pox: the right to eradicate a global scourge》. University of California Press, 2004, P.21.。
どうやら真実であるようだ。
マスゴミはこういった史実を全く伝えようとしない。
「Leicesterの経験」が全く活かされていない。
「ワクチンの危険性に国民が怒った」という史実を伝えずに、ワクチンの危険性をガン無視した御用学者ばかりをテレビに登場させる。
そんなに国民を白痴にさせて殺したいのか!ビル・ゲイツの手下のダマスゴミ!
「ワクチンを開発したパスツールは問題大有りで、ジョンDロックフェラーに推奨されて「成功」した」という内容を検証する。
(京都楽蜂庵日記)さん
https://blog.goo.ne.jp/apisceran/e/416999ddee9e162552b9b85532b1c40f
ジル・アルプティアン『疑惑の科学者たちー盗用・捏造・不正の歴史』(吉田春美訳)原書房 2018
ルイ・パストゥール (1822-1895)は19世紀フランスの生物学(生化学・細菌学)の巨人として知られている。庵主は若い頃、パストゥールの伝記を読んで、一人の人間がどうしてこんなに次々と画期的な発見を成すことができたのかと驚嘆した憶えがある。そして自分の非才を嘆いた。
分子の光学異性体の発見、低温殺菌法(パスチャライゼーション)の開発、生命の自然発生説論破、蚕微粒子病の解決、酵母によるアルコール醗酵の発見、ワクチン開発などを行なった。パストゥールは世界の偉人伝に必ず登場する人物である。
ところが、最近になってパストゥールの評価は急降下した。その原因は彼自身が残していた「研究ノート」によるものである。そのノートはパリの科学アカデミーの金庫に保存されていたものであるが、規約により100年間、開示されないまま管理されていた。それが、1988年に開かれて読めるようになった。そこには、信じられない研究不正の事実がパストゥール自身によって記録されていたのである。上掲のアルプティアンの書の一章に、その仔細が述べられている。それは以下のごとし。
醗酵の研究では教え子であるアントワーヌ・ペシャン(1816-1908)の研究を盗用して自分の発見のようにしている。ワインの低温殺菌法もニコラ・アベール(1749 - 1841)とアルフレッド・ド・ヴェルニット(1806-1886)の二人がそれに関する研究論文を発表しているのに、知らないふりをして自分の発見のように装った。
さらに驚くべき不正は、羊の炭疽ワクチンについての研究である。パストゥールが作った「酸素で弱めた」ワクチンは羊の炭疽に全く効力がなかった。そこで、アンリ・トウッサン (1847-1890)が殺菌剤を利用して作ったワクチンを密かに手に入れ、それを公開実験で使い自分のワクチンは効果があると主張した。この恐るべき所業はパストゥールの「研究ノート」に自分の手で記録されている。彼の助手のアンドリアン・ロアールによって、死後に告発されていた事実であるが、誰も信じなかったのである。
狂犬病ワクチンはパストゥールの偉業の一つとして有名であるが、これもピエール・ヴィクトル・ガルティエ (1846-1908)のものである事は周知の歴史的事実である。これに関しても、パストゥールは厚かましく自分の成果のように宣伝した。不思議な事に、多くの伝記では彼の発明のように書かれてきた。
現代の科学者社会の倫理基準によると、炭疽ワクチンの不正実験だけでもパストゥールはその研究機関を懲戒免職されるに値する。そしてアカデミーの全ての地位と名誉を剥奪されていてもおかしくない行為である。たとえ、他にどんな公正な研究成果があったとしてもである。
しかし、伝記作家のパトリス・ドブレは次のように述べている。
「パストゥールはときに、他人が記述した研究成果を確認してから横取りしているだけのように見える。けれども、ほったらかしにされた実証実験、すなわち活用されずにいる研究結果をふたたび取り上げている点で彼ほど革新的な者はいなかった。彼の天才たる所以は総合の精神にある」と。
神格化された人物の遺骸を掘り起こして断罪する事はむつかしいようだ。Wikipediaの[炭疽菌]の項目をみると「1881年ルイ・パストゥールは、世界ではじめて生菌ワクチンを弱毒化した炭疽菌を使って開発した」と書かれている。
参考文献
ヴァレリー・ラド 『パスツール伝』(桶谷繁雄訳)白水社 1964
ロックフェラーとパスツールの繋がりは判明していないが、真実でしょう。
パスツールの問題は深そうである。
次に、一部書きおこしをしておく。
~ルドルフ・シュタイナーの予言~
そう遠くない時期に、魂と精神的生活の排除が求められるだろう。
精神や魂について話すことが病的であるとみなされるだろう。
ウイルスや細菌が病気を引き起こすという考えを普及させるということは、魂・意識を排除するためであり、人々をニヒリズム・無神論や魂の否定に至らせる方法のひとつであり、そのため大衆は死への恐れや恐怖にとらわれて生きている。
ウイルスの作り話は、人々をコントロールするために、実に便利な手段である。
政治家とワクチン製造者が活用する狡猾な策略に対する唯一の対抗手段は、自己教育し、権力を獲得するための、これらの致命的な操作における被害者の役割を辞退することだ。
その進行中の世界支配の同意を得るためには、人工知能の下での新しい悪魔崇拝こそが人類からあらゆる心情や、精神及び倫理・道徳の価値観を奪うための最善の方法なのだ。
ルドルフ・シュタイナーをウィキで見てみる(抜粋)。
ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner, 1861年2月27日 - 1925年3月30日(64歳没))は、バルカン半島のクラリェヴェクで生まれ、オーストリアやドイツで活動した神秘思想家、哲学者、教育者である。
ゲーテの自然科学論や学芸雑誌の編集に携わりながら、前衛的な団体やアナキズムの傾向をもつ人々と関係するようになり、ニーチェ主義的な自由思想の立場に至るが、神秘思想の講演者に転身し、人智学(アントロポゾフィー)と称する精神運動を創唱した。人智学運動は神智学協会の神智学運動から派生したものであるが、インド思想に傾倒した神智学協会よりもキリスト教神智学に近い性格をもっており、ロマン派の自然哲学[7]、グノーシス、薔薇十字思想の流れも汲んでいる。
シュタイナーの思想はカール・グスタフ・ユング、パウル・クレー、アルベルト・シュヴァイツァーにも何らかの影響を与えた。ドイツ哲学研究者の三島憲一は、1970年代以降のドイツで緑の党に集まった知識人たちのなかに人智学に学んだ人々が多いと述べているが、その一方で、1920年代にヴァルター・ベンヤミンはシュタイナーについて「前近代への願望でしかないと見て深く軽蔑していた」(三島 2002 : 596)とも指摘している。
ルドルフ・シュタイナーはインサイダーと思われる。
予言というよりも「彼ら」の未来計画を知らされており、暴露したのだろう。
この時代から計画されていたのである。
コロナ詐欺のみならず、人工知能までが計画されていたのである。
我々は、ルドルフ・シュタイナーの予言(暴露)に真剣に耳を傾ける必要がある。
ウイルスの作り話は、人々をコントロールするために、実に便利な手段である。
政治家とワクチン製造者が活用する狡猾な策略に対する唯一の対抗手段は、自己教育し、権力を獲得するための、これらの致命的な操作における被害者の役割を辞退することだ。
その進行中の世界支配の同意を得るためには、人工知能の下での新しい悪魔崇拝こそが人類からあらゆる心情や、精神及び倫理・道徳の価値観を奪うための最善の方法なのだ。
新型コロナウイルスは「作り話」であり、存在さえしていないのである。
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