西周→森鴎外→与謝野晶子→生田長江→平塚 らいてう→市川房枝→緒方貞子→? - 歴史・宗教
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西周→森鴎外→与謝野晶子→生田長江→平塚 らいてう→市川房枝→緒方貞子→?

「日本におけるフェミニズム、フェミニスト、ウーマン・リブ発生の背景を追う」



先日、「西周→森鴎外→与謝野晶子→市川房枝→緒方貞子→?」という記事を書いたが、「与謝野晶子→市川房枝」の繋がりには触れなかった。今回は、そのあたりを探ってみたいと思う。結論から言うと、この二人の間に入っている人物がいたようである。生田 長江と平塚 らいてうである。ウィキで生田 長江を見てみる(抜粋)。


生田 長江(いくた ちょうこう、1882年(明治15年)4月21日 - 1936年(昭和11年)1月11日)は、日本の評論家、翻訳家、劇作家、小説家。
本名は弘法大師に因んだ『弘治』ながら、1898年、プロテスタント系のユニバーサリスト教会で受洗し、聖書に親しんだ。
1906年(明治39年)(24歳)、東大を卒業し、1907年、鳥取県の亀田藤尾と結婚して与謝野鉄幹・晶子夫妻の隣に暮らし、麹町区飯田町にあった成美英語女学校の英語教師を、1909年の閉鎖まで勤めた。
この頃の数年間、女性の文学の振興に努めた。1907年夏、一高以来の付き合いである森田草平と、成美英語女学校の経営主、九段中坂下(現・千代田区九段)のユニヴァーサリスト教会で、女性のための文学講習会『閨秀文学会』を開いた。馬場孤蝶、与謝野晶子、赤司繁太郎らが講義し、大貫かの子、青山菊栄、平塚らいてうらが聴講したが、年内に閉講した。
1909年から、ニーチェの『ツァラトゥストラ』を翻訳し、1911年年初に刊行した。その9月に創刊した平塚らいてうらの『青鞜』誌を、1913年まで後押しした。


こんな記事も。


https://jinbutsukan.net/person/1i01.html?gen10
評論家・小説家の生田長江(本名:弘治)は、一高生の時、馬場孤蝶、与謝野鉄幹・晶子夫妻らの知遇を得て「明星」に寄稿。東大に入ってからは上田敏、孤蝶らと雑誌「芸苑」に参加した。その頃、上田敏に弁舌とうとうとして長江のごとしと評され長江の号を与えられたという。卒業後は与謝野晶子を中心とした閨秀文学会を結成し、その聴講者に平塚らいてう、山川菊栄らがおり、彼女らに影響を与え「青鞜」を生み出させた。その名の命名者でもある。早くからニーチェに傾倒し『ツアラトウストラ』を訳刊。その後は、自然主義、白樺派、新感覚派などの文学潮流への批判的な論陣を張った。大正10年40歳の時、本郷から上六番町へ移転したと資料にあるが、その詳細は不明。



与謝野晶子の思想は、生田長江を経て、平塚らいてうに引き継がれたようである。
平塚らいてうをウィキで見てみる(抜粋)。




平塚 らいてう(ひらつか らいちょう、本名:平塚 明〈ひらつか はる〉、1886年〈明治19年〉2月10日 - 1971年〈昭和46年〉5月24日)は、日本の思想家、評論家、作家、フェミニスト、戦前と戦後にわたって活動した女性解放運動家。戦後は主に反戦・平和運動に参加した。日本女子大学校(現:日本女子大学)家政学部卒、2005年に同大学は平塚らいてう賞を創設した。
平塚は、特に、大正から昭和にかけ、婦人参政権等、女性の権利獲得に奔走した活動家の一人として知られる。結局、その実現は、第二次世界大戦後、連合国軍の日本における占領政策実施機関GHQ主導による「日本の戦後改革」を待たざるを得なかった。しかし、1911年(明治44年)9月、平塚25歳の時、雑誌「青鞜」発刊を祝い、自らが寄せた文章の表題『元始、女性は太陽であった』は、女性の権利獲得運動を象徴する言葉の一つとして、永く人々の記憶に残ることとなった。
成美女子英語学校でテキストとして使われたゲーテの『若きウェルテルの悩み』で初めて文学に触れ、文学に目覚める。東京帝大出の新任教師生田長江に師事し、生田と森田草平が主催する課外文学講座「閨秀文学会」に参加するようになった。
明は、塩原事件を機に、性差別や男尊女卑の社会で抑圧された女性の自我の解放に興味を持つようになっていた。この頃、生田長江の強いすすめで、日本で最初の女性による女性のための文芸誌『青鞜』の製作に入った。資金は母からの援助で「いつか来るであろう娘明の結婚資金」を切り崩したもの。その資金を元に青鞜社を立ち上げ、企画は明の同窓生や同年代の女性に拠り、明は主にプロデュースに回った。
表紙は長沼智恵が描き、与謝野晶子が「山の動く日来る」の一節で有名な「そぞろごと」という詩を寄せた。明は『元始女性は太陽であつた - 青鞜発刊に際して』という創刊の辞を書くことになり、その原稿を書き上げた際に、初めて「らいてう」という筆名を用いた。
『青鞜』創刊号は、1911年(明治44年)9月に創刊され、男女で両極端な反響を巻き起こした。女性の読者からは手紙が殺到し、時には平塚家に訪ねてくる読者もいたほどだったが、その一方、男性の読者あるいは新聞は冷たい視線で、青鞜社を揶揄する記事を書き、時には平塚家に石が投げ込まれるほどだった。なお同年9月、金子筑水が日本ではじめてエレン・ケイを紹介しており(「現実教」『太陽』)、そのケイに関心を持ったらいてうが訪ねてきた河井酔茗に話したところ、酔茗から「今森鴎外さんの処でも其話が出た」と言われたという。らいてうは「そののち、ケイの思想が、わたくしの、ものの考え方や生活の上にも変化をもたらした。」と、51年後に鴎外の回想文で書いた(「鴎外夫妻と青鞜」『文芸』1962年8月)。
『青鞜』創刊の翌1912年(明治45年)5月5日、読売新聞が「新しい女」の連載を開始し、第一回に与謝野晶子のパリ行きを取り上げた。翌6日には、晶子の出発の様子を「ソコへ足早に駆け付けたのは青鞜同人の平塚明子で(中略)列車の中へ入って叮嚀に挨拶を交換して居る。」などと報じた(総勢500余名が見送った)。翌6月の『中央公論』(与謝野晶子特集号)では、鴎外によって「樋口一葉さんが亡くなってから、女流のすぐれた人を推すとなると、どうしても此人であらう。(中略)序だが、晶子さんと並べ称することが出来るかと思ふのは、平塚明子さんだ。(下略)」とまで評された。
新婦人協会は、1919年(大正8年)11月24日に、市川房枝、奥むめおらの協力のもと、らいてうにより協会設立が発表され、「婦人参政権運動」と「母性の保護」を要求し、女性の政治的・社会的自由を確立させるための日本初の婦人運動団体として設立された。協会の機関紙「女性同盟」では再びらいてうが創刊の辞を執筆。新婦人協会は「衆議院議員選挙法の改正」、「治安警察法第5条の修正」、「花柳病患者に対する結婚制限並に離婚請求」の請願書を提出。特に治安警察法第五条改正運動(女性の集会・結社の権利獲得)に力を入れた。
1960年(昭和35年)、連名で「完全軍縮支持、安保条約廃棄を訴える声明」発表。1962年(昭和37年)には、野上弥生子、いわさきちひろ、岸輝子らとともに「新日本婦人の会」を結成した。




平塚らいてうは、新婦人協会設立にあたって市川房枝と繋がる。
市川房枝と緒方貞子の繋がりは、以前書いた通りである。



http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-48.html
人間は虫のようなものだ。あまりに増えすぎる。
「イルミナティの人口削減計画促進シンクタンク、ローマクラブの正体」

1968年、国際基督教大学講師を務めていた時に、参議院議員を務めていた市川房枝の訪問を受けて、市川から「今年(1968年)の国際連合総会日本代表団に加わって戴きたい」と要請される。これが契機となって緒方自身は国際連合の仕事に関わるようになる。



平塚らいてうが『青鞜』で紹介して広めたエレン・ケイをウィキで見てみる。


エレン・ケイ(Ellen Karolina Sofia Key, 1849年12月11日 - 1926年4月25日)はスウェーデンの社会思想家、教育学者、女性運動家、フェミニスト
母性と児童の尊重を基軸とした社会問題を論じ、特に教育の重要さを説いた点で、教育史上においても名が残っている著名なフェミニストの1人。
著作に『恋愛と結婚』『児童の世紀』『母性の復興』等があり、『児童の世紀』での「教育の最大の秘訣は、教育しないことにある」は名言である。
大正デモクラシー期の日本において『青鞜』などを通して諸作物が紹介され、日本の婦人運動に絶大な影響をもたらした。




フェミニズム・フェミニストはウーマン・リブに繋がります。女性に選挙権が与えられ、女性が社会運動に参加し、女性が男性に頼らず社会で活躍する。こういった「自立した女性」がこの時代に誕生します。これらを支えたのが与謝野晶子であり、平塚らいてうであり、市川房枝であり、緒方貞子なのでしょう。彼女たちの活動は立派な活動であり、何一つ問題などないのではないのでしょうか?確かに、表面上は全く問題ないでしょう。しかし、これらの活動がある勢力の邪悪な意図のもとに起こされていたとしたらどうでしょう。邪悪な意図の存在を、アーロン・ルッソは告発してくれています。



http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-3116.html
最後に、有名なアーロン・ルッソ映画監督の生前の暴露動画をアップします。
アーロン・ルッソはロックフェラーから聞いた話を語っているのですが、911発生以前に911がこれから起こる(起こされる)ことを聞いたことと、ウーマン・リブの真実についても語っています(1:40ぐらいから)。
ウーマン・リブは偶然発生したのではなく、計画的に起こされたものであると。
そしてその目的の一つは女性が仕事をすることでこれまで男性からしか取れなかった税金が女性からも取れることにあると語っています。





ロックフェラーが語った「本当のウーマン・リブの目的」のもう一つは、女性が社会に進出することで子供の教育を家族が出来なくなる(=家庭の崩壊)にあります。
こういった邪悪な目的をもって、与謝野晶子をはじめとした女性活動家は女性の権利を主張するようになったのではないのでしょうか。本人が邪悪な意図を知っていたかいなかったかは別として。
平塚 らいてうは「新日本婦人の会」を設立しました。
「新日本婦人の会」は子宮頸(けい)がん予防ワクチン接種を推進しているようです。
邪悪な意図が、ここに証明されているのではないのでしょうか。
「右も左も根は同じ」であることも、ここに証明されているのではないのでしょうか。




https://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-05-29/2010052905_01_1.html
2010年5月29日(土)「しんぶん赤旗」
子宮頸がん予防のワクチン助成ぜひ

新婦人が署名提出

新日本婦人の会(新婦人)は26日、神奈川、埼玉、千葉、東京、熊本から会員が参加して「子宮頸(けい)がん予防ワクチン接種に公費助成を求める署名」2万人分を国会に提出しました。日本共産党の高橋ちづ子、笠井亮両衆院議員と山下芳生参院議員が署名を受け取り、激励しました。
 子宮頸がんは、20~30代の女性に急増しています。画期的な予防ワクチンが日本でも承認され接種が始まっています。3回の接種で4万円から6万円の全額が自己負担で、自治体の助成にばらつきもあり、国の助成が求められています。
 新婦人では、各地で自治体に要請してきました。山梨県では小学生6年生と中学3年生を対象に一部助成が実現。静岡・伊豆支部は24日に、市長と懇談。市長が中学1~3年生全員を対象に集団接種できる2350万円を予算化すると明言するなど、公的助成の動きがひろがっています。




不妊になる危険性を知ってて断種ワクチンを推進する新日本婦人の会



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