西周→森鴎外→与謝野晶子→市川房枝→緒方貞子→? - 歴史・宗教
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西周→森鴎外→与謝野晶子→市川房枝→緒方貞子→?

「与謝野晶子と森鴎外から見るスペイン風邪、そして新型コロナウイルス」


ちょっと前にNHKスペシャルのスペイン風邪に関する番組を観たのだが、その中で与謝野晶子が当時の政府のスペイン風邪対策を批判していたと報じていた。
与謝野晶子とは一体何者だったのだろうか?与謝野晶子に限らず、明治における文学者とウイルス感染に関する記事を思いつくままに書いてみようと思う。
まず、与謝野晶子の発言を記している記事から引用する。


https://japan-indepth.jp/?p=51445
この時期、東京は、スペイン風邪の流行のピークを迎え、多くの人々が感染し、死者数も急増していた。
当時は医療機関も少なく、頻繁に家庭内感染が起きていた。歌人、与謝野晶子の家もそうだった。晶子には11人の子どもがいたが、小学校で1人の子どもが感染したことがきっかけで家族全員に感染した。
与謝野晶子は、母としてこうした体験を踏まえ、「感冒の床から」と題した論評記事で、政府を徹底批判した。
 「政府はなぜいち早くこの危険を防止するために、大呉服店、学校、興行物、大工場、大展覧会等、多くの人間の密集する場所の一時的休業を命じなかったのでしょうか」
 「そのくせ警視庁の衛生係は新聞を介して、なるべくこの際多人数の集まる場所へ行かぬがよいと警告し、学校医もまた同等の事を子供達に注意しているのです」
(1918年11月10日付横浜貿易新聞、現在の神奈川新聞)




与謝野 晶子をウィキで見てみる(抜粋)。

与謝野 晶子(正字: 與謝野 晶子、よさの あきこ、1878年(明治11年)12月7日 - 1942年(昭和17年)5月29日)は、日本の歌人、作家、思想家。 戸籍名与謝野 志やう(よさの しょう)。旧姓鳳(ほう)。ペンネームの「晶子」の「晶」は、本名の「しょう」から取った。夫は与謝野鉄幹(与謝野寛)。
雑誌『明星』に短歌を発表しロマン主義文学の中心的人物となった。
1904年(明治37年)9月、『君死にたまふことなかれ』を『明星』に発表。1911年(明治44年)には史上初の女性文芸誌『青鞜』創刊号に「山の動く日きたる」で始まる詩を寄稿した。1912年(明治45年)、晶子は鉄幹の後を追ってフランスのパリに行くことになった。洋行費の工面は、森鴎外が手助けをし、また『新訳源氏物語』の序文を書いた鴎外がその校正を代わった。同年5月5日、読売新聞が「新しい女」の連載を開始し、第一回に晶子のパリ行きを取り上げ、翌6日には晶子の出発の様子を報じた(平塚らいてうなど総勢500余名が見送った)。
5月19日、シベリア鉄道経由でパリに到着した晶子は、9月21日にフランスのマルセイユ港から貨客船「平野丸」で帰国の途につくまでの4か月間、イギリス、ベルギー、ドイツ、オーストリア、オランダなどを訪れた。また帰国してから2年後、鉄幹との共著『巴里より』で、「(上略)要求すべき正当な第一の権利は教育の自由である。」と、女性教育の必要性などを説いた。

この騒動のため晶子は「嫌戦の歌人」という印象が強いが、1910年(明治43年)に発生した第六潜水艇の沈没事故の際には、「海底の 水の明りにしたためし 永き別れの ますら男の文」等約十篇の歌を詠み、第一次世界大戦の折は『戦争』という詩のなかで、「いまは戦ふ時である 戦嫌ひのわたしさへ 今日此頃は気が昂る」と極めて励戦的な戦争賛美の歌を作っている。満州事変勃発以降は、戦時体制・翼賛体制が強化されたことを勘案しても、満州国成立を容認・擁護し、1942年(昭和17年)に発表した『白櫻集』で、以前の歌「君死にたまうことなかれ」とは正反対に、戦争を美化し、鼓舞する歌を作った。例えば、「強きかな 天を恐れず 地に恥ぢぬ 戦をすなる ますらたけをは」や、海軍大尉として出征する四男に対して詠んだ『君死にたまうことなかれ』とは正反対の意味となる「水軍の 大尉となりて わが四郎 み軍にゆく たけく戦へ」など。このようなことから、反戦家としては一貫性がなかった。




ヨーロッパを訪問した際に、「誰か」に「何か」を教育されたのではないのだろうか。
反戦家から戦争賛美に変遷したのも、「誰か」の影響が感じられる。
女性教育の必要性などを説いたとのことだが、ヨーロッパで「誰か」から学んだ彼女の考えは市川房枝や緒方貞子に引き継がれているような気がする。



http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-48.html
人間は虫のようなものだ。あまりに増えすぎる。
「イルミナティの人口削減計画促進シンクタンク、ローマクラブの正体」



与謝野 晶子の洋行費の工面は、森鴎外が手助けをしたそうである。
森鴎外とは何者だったのだろうか?ウィキより抜粋する。



森 鷗外(もり おうがい、文久2年1月19日[1]〈1862年2月17日〉 - 1922年〈大正11年〉7月9日)は、日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。位階勲等は従二位・勲一等・功三級、医学博士、文学博士。本名は森 林太郎(もり りんたろう)。
石見国津和野(現:島根県津和野町)出身。東京大学医学部卒業。
大学卒業後、陸軍軍医になり、陸軍省派遣留学生としてドイツでも軍医として4年過ごした。帰国後、訳詩編「於母影」、小説「舞姫」、翻訳「即興詩人」を発表する一方、同人たちと文芸雑誌『しがらみ草紙』を創刊して文筆活動に入った。その後、日清戦争出征や小倉転勤などにより一時期創作活動から遠ざかったものの、『スバル』創刊後に「ヰタ・セクスアリス」「雁」などを発表。乃木希典の殉死に影響されて「興津弥五右衛門の遺書」を発表後、「阿部一族」「高瀬舟」など歴史小説や史伝「澁江抽斎」なども執筆した。
晩年、帝室博物館(現在の東京国立博物館・奈良国立博物館・京都国立博物館等)総長や帝国美術院(現:日本芸術院)初代院長なども歴任した。
1872年(明治5年)、廃藩置県などをきっかけに10歳で父と上京。現在の墨田区東向島に住む。東京では、官立医学校(ドイツ人教官がドイツ語で講義)への入学に備えてドイツ語を習得するため、同年10月に私塾の進文学社に入った。その際に通学の便から、政府高官の親族・西周の邸宅に一時期寄宿した
入省して半年後の1882年(明治15年)5月、東京大学医学部卒業の同期8名の中で最初の軍医本部付となり、プロイセン王国の陸軍衛生制度に関する文献調査に従事した。早くも翌年3月には『医政全書稿本』全12巻を役所に納めた。1884年(明治17年)6月、衛生学を修めるとともにドイツ帝国陸軍の衛生制度を調べるため、ドイツ留学を命じられた。7月28日、明治天皇に拝謁し、賢所に参拝
次のベルリン(1887年4月16日–翌年7月5日)でも早速、北里柴三郎とともにコッホに会いに行っており、細菌学の入門講座を経てコッホの衛生試験所に入った。当時の居室は現在森鷗外記念館として公開されている。
9月下旬、カールスルーエで開催される第4回赤十字国際会議の日本代表(首席)としてドイツを訪れていた石黒忠悳に随行し、通訳官として同会議に出席
1907年(明治40年)10月、陸軍軍医総監(中将相当)に昇進し、陸軍省医務局長(人事権を持つ軍医のトップ)に就任した
文学者・文人に限っても、訳詩集「於母影」は5人による共訳であり、同人誌の『しがらみ草紙』と『めさまし草』にも多くの人が参加した。とりわけ、自宅(観潮楼)で定期的に開催された歌会が有名である。その観潮楼歌会は、1907年(明治40年)3月、鷗外が与謝野鉄幹の「新詩社」系と正岡子規の系譜「根岸」派との歌壇内対立を見かね、両派の代表歌人を招いて開かれた。以後、毎月第一土曜日に集まり、1910年(明治43年)4月まで続いた。伊藤左千夫・平野万里・上田敏・佐佐木信綱等が参加し、「新詩社」系の北原白秋・吉井勇・石川啄木・木下杢太郎、「根岸」派の斎藤茂吉・古泉千樫等の新進歌人も参加した(与謝野晶子を含めて延べ22名)。
日露戦争では、1904年(明治37年)4月8日、第2軍の戦闘序列(指揮系統下)にあった鶴田第1師団軍医部長、横井第3師団軍医部長が「麦飯給与の件を森(第2軍)軍医部長に勧めたるも返事なし」(鶴田禎次郎『日露戦役従軍日誌』)との記録が残されている(ちなみに第2軍で脚気発生が最初に報告されたのは6月18日)。その「返事なし」は様々な解釈が可能であるが、少なくとも大本営陸軍部が決め、勅令(天皇名)によって指示された戦時兵食「白米6合」を遵守した。結果的に、陸軍で約25万人の脚気患者が発生し、約2万7千人が死亡する事態となった。



フリーメーソンであった西周と親交があったようですね。
森鴎外もフリーメーソンだったのではないのでしょうか?
赤十字の日本代表の通訳をしていたらしいですから、「彼ら」と関係していたことは疑いようがないですね。日赤の闇を探るだけでも明治維新が八百長だったことが証明されているでしょう。



http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-216.html
日赤=日本支配者層の血の繋がり?
「ウィキペディアで探る日本赤十字社歴代社長及び、その親族の“ご立派”な肩書き」



森鴎外の勧めのよって戦時兵食「白米6合」を遵守した結果、陸軍で約25万人の脚気患者が発生し、約2万7千人が死亡する事態となったのは、とても「偶然」とは思えません。
森鴎外と親交のあった与謝野 晶子は、長濱検疫所にも関係していたようです。



https://www.forth.go.jp/keneki/yokohama/museum/page2-4.html
昭和4年5月23日発行「横浜貿易新聞」によると、同年5月12日、与謝野 寛・晶子夫婦は、歌人の井上苔渓に招かれて短歌の小集会を長浜で開催。与謝野寛、与謝野晶子以外にも、平野萬里、石井柏亭、内山英保など10名の文化人が集い、与謝野寛は14首、与謝野晶子は24首の短歌を詠んでいます。



野口英世の名前も載っていますね。
どうやら、当時の著名な文化人は感染研究にご熱心だったそうですね。
次に、この流れは現在も続いていることを記す記事を紹介します。
森鴎外はここにも関わっています。
森鴎外と親交のあった与謝野 晶子があのような発言をしたことは、ある勢力のある一定の意図が働いていたとしか思えません。
この異様なつながりは、731部隊やWHOとも繋がってくるようです。このあたりの歴史を正しく理解することが、コロナ詐欺を理解する近道ではないでしょうか。



https://news.yahoo.co.jp/articles/9cd5229c7af0f035237b4ef723f2fb795a77ff4c
帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(上)
3/5(木) 11:00配信

『犬神家の一族』(角川文庫)が好きだ。横溝正史の代表作で、名探偵金田一耕助が活躍する。1976年に市川崑監督、石坂浩二主演で映画化され、大ヒットした。その後、繰り返し映画化・ドラマ化されている。  この作品は犬神佐兵衛翁の臨終から始まる。佐兵衛翁は裸一貫から犬神財閥を築いた立志伝中の人物だ。  佐兵衛翁の死後、一族が揃ったところで開封された遺言書には、すべての財産を恩人の孫娘である野々宮珠世に譲ると記されていた。ただし、条件があった。それは珠世が佐兵衛翁の3人の孫のいずれかと結婚することだ。  その後、財産をめぐって惨劇が繰り広げられる。ネタバレさせないためにこれ以上は書かないが、読み終わると、一連の惨劇は亡き佐兵衛翁の亡霊が犯人に取り憑いて起こさせたような印象を受ける。人は意識しないところで歴史に操られている、ということを考えさせられる作品だ。  新型コロナウイルスの拡大が止まらず、政府は迷走を続けている。クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の検疫の失敗、遺伝子診断(PCR)の体制整備の遅れ、安倍晋三首相による突然の休校依頼――。  国内外から批判が噴出している。日本の評価を損ね、東京五輪の開催すら危ぶまれる事態となった。 ■予算を主導したのは  一連の動きをみて、私は『犬神家の一族』を思い出す。「亡霊」に操られたかのように、関係者が「ピエロ」を演じているからだ。 「亡霊」とは、帝国陸海軍だ。 「関係者」とは、政府の専門家会議のメンバーである。一体、どういうことだろうか。  読み解く鍵は、「国立感染症研究所」(感染研)、「東京大学医科学研究所」(医科研)、「国立国際医療研究センター」(医療センター)、そして「東京慈恵会医科大学」(慈恵医大)だ。  政府が設置した「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」は12名のメンバーで構成されるが(下表)、日本医師会、日本感染症学会、公益を代表する弁護士などを除くと、残る9人中8人が前述の4施設の関係者だ。  座長の脇田隆字氏は感染研の所長、鈴木基氏は感染研感染症疫学センター長、さらに岡部信彦・川崎市健康安全研究所所長は元感染研感染症情報センター長だ。  河岡義裕氏と武藤香織氏は医科研教授、川名明彦・防衛医科大学教授は医療センターの元国際疾病センター医長で、尾身茂・独立行政法人地域医療機能推進機構理事長は元医系技官だ。  医療センターを統括するのは厚生労働省で、医系技官が現役出向している。  さらに、吉田正樹氏は慈恵医大教授で、岡部氏も慈恵医大の同窓だ。  この4組織と無関係の委員は、押谷仁・東北大学教授だけだ。  珍しいことに、委員の中に東京大学医学部出身者がいない。政府の医療の専門家会議で、東大医学部卒が皆無なのは極めて珍しい。  2月13日、このような専門家を迎えて開催されたのが、第8回の新型コロナウイルス感染症対策本部会議だ。この会議には、「新型コロナウイルス(COVID-19)の研究開発について」という資料が提出された(下図)。  この資料によると、緊急対策として総額19.8億円が措置されている。内訳は、感染研に9.8億円、日本医療研究開発機構(AMED)に4.6億円、厚労科研に5.4億円だ。  資料には、AMEDや厚労科研を介した委託先の名前と金額も書かれている。感染研は上記と合わせて12.2億円、医療センター3.5億円、医科研1.5億円だ。さらに感染研と医科研で9000万円だ。総額18.1億円で、予算の91%を占める。予算を決めるのも、執行するのも同じ人ということになる。  この資料の目次には、「資料3 健康・医療戦略室提出資料」と書かれている。その「健康・医療戦略室」を仕切るのは、国土交通省OBの和泉洋人室長(首相補佐官)と、医系技官の大坪寛子次長だ。最近、週刊誌を騒がせているコンビが、この予算を主導したことになる。  大坪氏の経歴も興味深い。慈恵医大を卒業し、感染研を経て、厚労省に就職している。専門家会議のメンバーと背景が被る。
■「731部隊」関係者もいた「感染研」  なぜ、このようなグループが仕切るのだろうか。  背景には、歴史的な経緯、特に帝国陸海軍が関係する。一体、どういうことだろうか。  まずは感染研だ。  その前身は、戦後の1947年に設立された「国立予防衛生研究所」(予研)である。  予研は戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の指示により、「伝染病研究所」(伝研)から分離・独立した。伝研は現在の医科研だ。  医科研キャンパスを訪問された方はおわかりだろうが、港区白金台という都内の超一等地に広大なキャンパスを有している。  キャンパスが広いのは、かつて馬などの家畜を飼っていたからだ。感染症の研究やワクチン・血清治療の開発に利用した。  戦前、伝研を支えたのは陸軍だった。  伝研は、1892(明治25)年に北里柴三郎が立ち上げた民間の研究機関だ。1899(明治32)年に内務省所管の「国立伝染病研究所」となり、1906(明治39)年に現在の白金台に移転する。  伝研の性格を変えたのは、1914(大正3)年の「伝研騒動」だ。内務省から文部省(当時)が統括する東京帝国大学に移管されることが決まったが、北里は、 「感染症対策は大学などの学究機関でなく、行政と連携すべき」  という考えをもっていたため、猛反対した。  背景には、当時、東大医学部の実力者だった青山胤通教授との確執や、大隈重信首相率いる「憲政本党」と原敬率いる野党「政友会」の対立などが関係した、と言われている。  北里は、日本医師会の前身である東京医会や大日本医会のまとめ役になっており、彼らは政友会を支援していた。一方、青山は大学病院の医師を中心とした明治医会の代表を務め、「青山が北里を引きずり降ろした」という噂まであったという。  腹に据えかねた北里は退職し、職員も従った。困った東大が頼ったのが、当時、陸軍医務局長だった森鴎外だ。  鴎外は軍医を派遣して伝研を支えた。こうして伝研は陸軍との関係を深めていく。  戦後、分離された感染研の幹部には、陸軍防疫部隊(関東軍防疫給水部=731部隊)の関係者が名を連ねたことなど、その一例だ。  専門家会議の委員に感染研と医科研の関係者が名を連ねているのは、このような歴史を受けてのことだ。  医科研の河岡教授、武藤教授が東大医学部の出身ではなく、今回のメンバーに東大医学部の関係者がいないのも、このような背景が関係する。
■軍医療機関と国立病院の関係  では、医療センターの前身は何だろう。  新宿区戸山に位置することから想像できるかもしれないが、陸軍の施設だ。1868(明治元)年に設置された「兵隊假病院」に始まり、1936(昭和11)年には「東京第一陸軍病院」と改称された。つまり、帝国陸軍の中核病院だ。  敗戦で帝国陸軍が解体されると、厚生省に移管され、「国立東京第一病院」に名称が変わった。そして1993年に「国立国際医療センター」となり、2010年に独立法人化され、現在に至る。  医療センターに限らず、多くの国立病院の前身は陸海軍の医療機関だ。  たとえば、「国立がん研究センター」の前身は「海軍軍医学校」で、1908(明治41)年に港区芝から中央区築地に移転した。現在の国立がん研究センターの場所だ。  敗戦が彼らの運命を変える。陸軍省、海軍省は1945年11月30日に廃止され、それぞれ第一、第二復員省となる。両者は1946年6月に統合され、復員庁となり、1947年10月に厚生省に移管される。  中国残留孤児対策、引揚援護、戦傷病者・戦没者遺族・未帰還者留守家族などの援護を、防衛省でなく厚労省が行っているのは、このような経緯があるからだ。  では戦後、軍医療機関はどうなっただろう。  実は、軍医療機関は、戦後の日本医療の救世主だった。  敗戦直後、日本の病院の大半は戦災によって破壊され、機能不全に陥っていた。GHQは、まず占領軍が使用する優良医療施設を確保し、次いで、日本国民の医療提供体制を考える必要があった。  手をつけたのは、陸海軍が保有する医療機関の厚生省への移管だった。  この際、全国146の軍施設が国立病院、国立療養所となったわけだが、注目すべきは、建物も職員も従来のままで診療が継続されたことだ。つまり、病院自体の組織は陸海軍のままで、名称が軍病院から国立病院に変更されただけなのだ。  この影響が現在も残っている。感染症対策も例外ではない。
■慈恵医大につながる「海軍人脈」  では、慈恵医大はどのように絡むのだろうか。  キーパーソンは、高木兼寛だ。  高木は、前出の海軍軍医学校の創設者の1人である。  高木は薩摩藩出身の医師で、戊辰戦争には薩摩藩の軍医として従軍した。明治維新以降は開成所(東京大学の前身)で英語と西洋医学を学び、その後、薩摩藩によって設立された鹿児島医学校に入学すると、校長のウィリアム・ウィリスに認められ、教授に抜擢される。弱冠21歳のときだ。  その後、薩摩藩出身者が仕切る海軍に出仕する。  1875年から1880年まで英国の「セント・トーマス病院医学校」(現在の「キングス・カレッジ・ロンドン」)に留学し、西南戦争時を英国で過ごした。海軍では順調に出世し、海軍軍医の最高位である海軍軍医総監を務めた。  高木は東京帝国大学医学部、陸軍軍医団がドイツ医学一辺倒で学理・研究を優先していることに反発し、海軍軍医学校には実証主義的色彩が強く、臨床医学を重視する英国医学を取り入れた。  このような姿勢が、有名な脚気の予防法の確立へと繋がり、脚気対策の確立は日露戦争での間接的勝因といわれるに至る。このあたりを詳しく知りたい方には、吉村昭氏の『白い航跡』(講談社文庫)をお奨めする。  1881(明治14)年、この高木が中心になって設立したのが、「医術開業試験」の受験予備校(乙種医学校)であった「成医会講習所」だ。これが1903(明治36)年の専門学校令を受けて、日本初の私立医学専門学校として、「東京慈恵医院医学専門学校」となる。現在の慈恵医大だ。 「慈恵」と名付けたのは、明治天皇の皇后の昭憲皇太后だ。薩摩藩出身者が仕切っていたからこそ、アプローチできたのだろう。現在も、「公益社団法人東京慈恵会」の総裁には、皇族が就任することとなっている(現在の総裁は三笠宮家の寬仁親王妃信子殿下)。  薩摩と言えば海軍だ。このため、慈恵医大は海軍との関係が深い。明治期の海軍軍医総監の大部分は成医会講習所の関係者だ。  慈恵医大には、この伝統が生きている。国際保健、公衆衛生の分野に多くの人材を輩出している。世界保健機関(WHO)でシニアアドバイザーを務める進藤奈邦子氏は、慈恵医大の卒業生だ。英キングス・カレッジ・ロンドン・セント・トーマス病院などで研修後、感染研に就職。2002年からWHOに勤務している。慈恵医大らしいキャリアだ。  このように考えると、今回の専門家会議のメンバーは、帝国陸海軍と関わりが深い組織の関係者で占められていることがわかる。(つづく)
上昌広




最後に、スペイン風邪の真相について書いた記事のリンクを改めて貼っておきます。
NHKの主張が正しいのか、私の主張が正しいのかは、皆さん自身でご判断ください。



http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-585.html
1918年のスペイン風邪の伝染は予防接種が原因だった!
「スペイン風邪→鳥・豚インフルエンザ→デング熱、昔から「彼ら」の仕掛ける“問題・反応・解決策提示詐欺”は変わりません」




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COMMENT

あ〰️(TT)
30分かけた返信コメントがぁ〰️😱(スマホでポチポチ)
消えました(・・;)

ちょっとニュアンス変わるかもですが😰

森鴎外はよく知らないのですが、舞姫が中学か高校の教科書に一部抜粋されていたのでかなり記憶に残ってます。

与謝野晶子も名前だけは知ってるのですけれど、読んだ事はないです。

ヨーロッパにご縁のある方達の様なので、かなり影響はあったみたいですね。

かなり頭のイカれた731部隊を礎として、どこの大学病院でもありそうです。

突き詰めた作家や研究者達は資金面で苦悩するので、出資してくれたら洗脳されてしまいそうです。

これは今でもそうだと思います。
(強欲に達してしまった方達)

彼らにしたら餌ですよね。

私の両親は青年時代に東京京橋に住んでいたので、私は千葉から銀座まで幼少時代にいつも映画を観に行ってたのです。
影絵や演劇も。

母は映画等を観に行く時は手縫いの服を姉とお揃いで縫ってくれていました。
力の入り様が凄い😂

横溝正史は母が大好きで
「犬神家の一族」
「悪魔の手鞠歌」
「獄門島」
「八つ墓村」他多数を
タイムリーで劇場で観賞していました。

沢山の俳優の方達が演じていますが、
やはり一番最初の石坂さん時代が好きです。

お蔭で高校は演劇部で、脚本、台本、演出等して楽しかったです😊

思うのですが、イルミやフリーメーソンの意図があったのかもしれないのですが、
人の感情(怨念?)もあると思うのですよ。
死んだらそれっきりには成らない。
(それっきりは悲しい)

亡くなった方達にも敬意を示したいと思うのです。。。

特に昔は情報もなくて。。
仕方ない部分もなるのかな?と。。。




No title

少し前に私が立て続きに2つのコメントを投稿したのですが、それがいつの間にか消えてしまったようです。
もしかしたら、投稿してはいけない内容が含まれていたのかもしれないと想像します。
自分としては、ソウルマンさんに対しての何らかの意図は全く無いつもりでの投稿でした。
もしも不快感を与える内容だったとしたら、あるいは不適切なコメントだったとしたらお詫びします。

Re: タイトルなし

> あ〰️(TT)
> 30分かけた返信コメントがぁ〰️😱(スマホでポチポチ)
> 消えました(・・;)
>
> ちょっとニュアンス変わるかもですが😰
>
> 森鴎外はよく知らないのですが、舞姫が中学か高校の教科書に一部抜粋されていたのでかなり記憶に残ってます。
>
> 与謝野晶子も名前だけは知ってるのですけれど、読んだ事はないです。
>
> ヨーロッパにご縁のある方達の様なので、かなり影響はあったみたいですね。
>
> かなり頭のイカれた731部隊を礎として、どこの大学病院でもありそうです。
>
> 突き詰めた作家や研究者達は資金面で苦悩するので、出資してくれたら洗脳されてしまいそうです。
>
> これは今でもそうだと思います。
> (強欲に達してしまった方達)
>
> 彼らにしたら餌ですよね。
>
> 私の両親は青年時代に東京京橋に住んでいたので、私は千葉から銀座まで幼少時代にいつも映画を観に行ってたのです。
> 影絵や演劇も。
>
> 母は映画等を観に行く時は手縫いの服を姉とお揃いで縫ってくれていました。
> 力の入り様が凄い😂
>
> 横溝正史は母が大好きで
> 「犬神家の一族」
> 「悪魔の手鞠歌」
> 「獄門島」
> 「八つ墓村」他多数を
> タイムリーで劇場で観賞していました。
>
> 沢山の俳優の方達が演じていますが、
> やはり一番最初の石坂さん時代が好きです。
>
> お蔭で高校は演劇部で、脚本、台本、演出等して楽しかったです😊
>
> 思うのですが、イルミやフリーメーソンの意図があったのかもしれないのですが、
> 人の感情(怨念?)もあると思うのですよ。
> 死んだらそれっきりには成らない。
> (それっきりは悲しい)
>
> 亡くなった方達にも敬意を示したいと思うのです。。。
>
> 特に昔は情報もなくて。。
> 仕方ない部分もなるのかな?と。。。


今回のコメントについてのシェイクさんの意図がよく分かりません。
何か私に伝えたいことがあるのでしょうか?
もう少し分かりやすく教えてもらえますでしょうか。

Re: No title

> 少し前に私が立て続きに2つのコメントを投稿したのですが、それがいつの間にか消えてしまったようです。
> もしかしたら、投稿してはいけない内容が含まれていたのかもしれないと想像します。
> 自分としては、ソウルマンさんに対しての何らかの意図は全く無いつもりでの投稿でした。
> もしも不快感を与える内容だったとしたら、あるいは不適切なコメントだったとしたらお詫びします。


正直に言います。
オリジナル「ポール・マッカートニー」は素晴らしいヴォーカリストさんからいただいた今回のコメントの内容が、私にはあまり好感が持てませんでした。具体的には「公式情報と異なる情報を発信する人は頭のおかしな人とみなされれてしまう」という考えをお持ちだということを述べておられるところです。「ポール・マッカートニー」は素晴らしいヴォーカリストさんは悪気なく書かれているのでしょうけれど、暗に私を頭のおかしな人だと非難しているのかなとも思ってしまいます。以前も同様の趣旨のコメントをされておられました。「ポール・マッカートニー」は素晴らしいヴォーカリストさんが私のことをどう思われようとご自由ですが、こういった内容を書くことで公式情報に騙されている大多数の日本人を嘆いていたつもりなのかもしれませんが、繰り返しこのようなコメントをいただくと、正直言ってあまりいい気分にはなりません。私のことだけならまだ許せますが、今回は他のブログの記事のリンクを貼って「頭のおかしい人と見做されてしまうブログ」の例のように書かれておりましたので、そのブログ主さんの名誉のためにもコメントを掲載することは遠慮させていただきました。

ソウルマンさん、本当にすみませんm(__)m💦
自分でも今読んで、散らかり過ぎて主語は抜けまくり、唐突過ぎてます💦

昨日の明け方に暑さで目を覚ましエアコンの温度を高めにして再び寝たのですが。。。

犬か猫かどちらかに踏まれた様で温度が滅茶苦茶下がっていて、酷い頭痛で朦朧としてしまっていて。。

外出しなければいけない用事もあったので、その前にソウルマンさんのブログを読んでコメントさせて頂いたのですが、
朦朧とした中で(だから1度全て消えたのかもです)酷い文章になってしまいました💦
外出から戻ってから夕食も作れずひたすら寝てたのです。

私も自分で理解に苦しみました( ノД`)…

まだ本調子ではないので、少しだけですが訂正させて下さい🙏

森鴎外は舞姫の一部しか授業で読んだ事だとないのですけれど、文章が生々しく美しくて映像が目に浮かぶ様だった記憶があります。
陸軍上がりとは今回のブログで知ったのでせっかくの文豪があちら側(かなりあり得ると。。)だった事は残念に思うのです。

与謝野晶子は反戦から戦争賛美になったのなら、森鴎外への恩義もあり途中で変化したのも頷けるかなと。(洗脳かも)

そして、私の中で1番に思っている、ヘルマンヘッセ(車輪の下を学生時代の息子にプレゼントした)や、
オスカーワイルド等も、ドイツなのでもしかしたら、あちら側と繋がって無いとは言えないかもと。。。
名声のある方達なので。。
(この下りは丸々抜けてます。でもブログを読ませて頂いた時に、1番にあの二人は大丈夫?!と思ったのです。)

「人の感情云々〜」とコメントしたのは、
上に挙げている人物以外の人達の事で、
フリーメーソンに引きずり込まれて良いように使われて、殺害された方達も多かったのではないかと思ったのです。
その方達は今でも悔いているかもしれないと。。
だから全て人くくりに憎めないな、と。。
だから根っからのフリーメーソンは許せないと。。

横溝正史の件は昔話です😂
両親に影響され、横溝正史の世界観は好きなのです。
大人になるにつれ内容の深さに驚くのです。
醜いまでの人間の交差です。人間の性?

本当はこの様なコメントをさせて頂きたかったのです💦💦

体調は怪しい時は大人しくアップして下さる音楽を聴いているだけにしておきます😊

ソウルマンさんを混乱させてしまい本当にすみませんでした。




理由を教えてくださってよかった。申し訳ありませんでした。

始めに申し上げますが、私がソウルマンさんに対し好ましくない感情を持っているなどは絶対にありません。
今回のことでソウルマンさんが私に対し嫌悪されたとしても、私はソウルマンさんに悪感情を抱くことはないことははっきり申しあげます。

コメントの内容で不快な思いをさせてしまい申しわけありませんでした。
私が言いたかったのは、
<日本では一般常識とされていることと全く違う考えを持つ人を嘲笑する風潮があります。ましてや公にマスコミなどで語られる見解を疑い、その裏にある真実を探ろうとする人間を頭のおかしい人として嘲笑したりまともに相手にしない現状があると思っています。そしてそれは「闇の勢力」が意図的に日本人の国民性を利用して仕掛けてきたことかもしれないという印象を持っています。
このことを一般大衆が気づいて改めていかなければ、日本人はこの先ずっと闇の支配から抜け出せないだろうと思っています。
この様な現状に対する危機感を訴えたかった、というのが私の意図したところです。
「オモテの情報を疑う人」は警鐘を鳴らす人(貴重な存在)です。その警鐘を鳴らす人が同じ日本人(の一般大衆)から嘲笑の対象とされたり、まともに聞く耳を持たないで放置されるのはもう終わりにしないといけないと思っているのです。
そういう気持ちでコメントを書きましたが、私の取り上げ方がまずいために
ソウルマンさんを不快にさせたばかりか、私がリンクを貼った先のブログの方にも迷惑をかける恐れがったとしたら、あまりに軽率でした。
(私はこのリンクを貼った先のブログを応援しています。)
ともかく私の意図は空回りしたばかりか、きわめて不快に感じさせてしまったことをお詫びします。

私の本音が伝わるといいのですが、
今の日本に「嘘八百のこの世界」のようなブログは貴重で必要不可欠だと思っていることはお伝えしたいと思います。

Re: タイトルなし

> ソウルマンさん、本当にすみませんm(__)m💦
> 自分でも今読んで、散らかり過ぎて主語は抜けまくり、唐突過ぎてます💦
>
> 昨日の明け方に暑さで目を覚ましエアコンの温度を高めにして再び寝たのですが。。。
>
> 犬か猫かどちらかに踏まれた様で温度が滅茶苦茶下がっていて、酷い頭痛で朦朧としてしまっていて。。
>
> 外出しなければいけない用事もあったので、その前にソウルマンさんのブログを読んでコメントさせて頂いたのですが、
> 朦朧とした中で(だから1度全て消えたのかもです)酷い文章になってしまいました💦
> 外出から戻ってから夕食も作れずひたすら寝てたのです。
>
> 私も自分で理解に苦しみました( ノД`)…
>
> まだ本調子ではないので、少しだけですが訂正させて下さい🙏
>
> 森鴎外は舞姫の一部しか授業で読んだ事だとないのですけれど、文章が生々しく美しくて映像が目に浮かぶ様だった記憶があります。
> 陸軍上がりとは今回のブログで知ったのでせっかくの文豪があちら側(かなりあり得ると。。)だった事は残念に思うのです。
>
> 与謝野晶子は反戦から戦争賛美になったのなら、森鴎外への恩義もあり途中で変化したのも頷けるかなと。(洗脳かも)
>
> そして、私の中で1番に思っている、ヘルマンヘッセ(車輪の下を学生時代の息子にプレゼントした)や、
> オスカーワイルド等も、ドイツなのでもしかしたら、あちら側と繋がって無いとは言えないかもと。。。
> 名声のある方達なので。。
> (この下りは丸々抜けてます。でもブログを読ませて頂いた時に、1番にあの二人は大丈夫?!と思ったのです。)
>
> 「人の感情云々〜」とコメントしたのは、
> 上に挙げている人物以外の人達の事で、
> フリーメーソンに引きずり込まれて良いように使われて、殺害された方達も多かったのではないかと思ったのです。
> その方達は今でも悔いているかもしれないと。。
> だから全て人くくりに憎めないな、と。。
> だから根っからのフリーメーソンは許せないと。。
>
> 横溝正史の件は昔話です😂
> 両親に影響され、横溝正史の世界観は好きなのです。
> 大人になるにつれ内容の深さに驚くのです。
> 醜いまでの人間の交差です。人間の性?
>
> 本当はこの様なコメントをさせて頂きたかったのです💦💦
>
> 体調は怪しい時は大人しくアップして下さる音楽を聴いているだけにしておきます😊
>
> ソウルマンさんを混乱させてしまい本当にすみませんでした。


再度のご返事いただき、ありがとうございます。
シェイクさんの意図がよく分からず、深く考えてしまいました。
でも、私が想像していたようなことはなかったようなので、安心しました。
正直言って、ブログなんかもうやめようかな、とさえ思っていました。
昨日は寝ようとしても目が覚めて、ほとんど眠れませんでした。

頭痛の上に動物にかまれるとは大変ですね。お身体くれぐれも大事にしてください。
演劇部で、脚本、台本、演出をされてたんですね。スゴイですね。
私も、浪人時代に俳優のオーディションを受けたことがあるんです。
一応合格はしたんですが、面接官の池部良から「役者の世界も俳優の子供が優遇される」といった助言(?)を聞いたこともあって、悩んだ末に辞退しました。
その後、普通に大学に行き、普通にサラリーマンになるという普通の人生を送りました。
これがよかったかどうかは分かりませんが。今は普通じゃないでしょうけれど(笑)
横溝正史は映画は劇場で観てないんですが、古谷一行が演じるテレビドラマを観ていました。
特に助清に成りすましていた青沼シズマが殺されて、排水溝に血が流れるシーンにかかったラストの音楽が恐ろしかったのを、よく覚えています。小説では女王蜂を読みました。
いらんことをいろいろ書きました。今日は眠れそうです。

シェイクさん、これからもヨロシクです(*^-^*)

Re: 理由を教えてくださってよかった。申し訳ありませんでした。

> 始めに申し上げますが、私がソウルマンさんに対し好ましくない感情を持っているなどは絶対にありません。
> 今回のことでソウルマンさんが私に対し嫌悪されたとしても、私はソウルマンさんに悪感情を抱くことはないことははっきり申しあげます。
>
> コメントの内容で不快な思いをさせてしまい申しわけありませんでした。
> 私が言いたかったのは、
> <日本では一般常識とされていることと全く違う考えを持つ人を嘲笑する風潮があります。ましてや公にマスコミなどで語られる見解を疑い、その裏にある真実を探ろうとする人間を頭のおかしい人として嘲笑したりまともに相手にしない現状があると思っています。そしてそれは「闇の勢力」が意図的に日本人の国民性を利用して仕掛けてきたことかもしれないという印象を持っています。
> このことを一般大衆が気づいて改めていかなければ、日本人はこの先ずっと闇の支配から抜け出せないだろうと思っています。
> この様な現状に対する危機感を訴えたかった、というのが私の意図したところです。
> 「オモテの情報を疑う人」は警鐘を鳴らす人(貴重な存在)です。その警鐘を鳴らす人が同じ日本人(の一般大衆)から嘲笑の対象とされたり、まともに聞く耳を持たないで放置されるのはもう終わりにしないといけないと思っているのです。
> そういう気持ちでコメントを書きましたが、私の取り上げ方がまずいために
> ソウルマンさんを不快にさせたばかりか、私がリンクを貼った先のブログの方にも迷惑をかける恐れがったとしたら、あまりに軽率でした。
> (私はこのリンクを貼った先のブログを応援しています。)
> ともかく私の意図は空回りしたばかりか、きわめて不快に感じさせてしまったことをお詫びします。
>
> 私の本音が伝わるといいのですが、
> 今の日本に「嘘八百のこの世界」のようなブログは貴重で必要不可欠だと思っていることはお伝えしたいと思います。


ご丁寧にご返事いただき、ありがとうございます。
オリジナル「ポール・マッカートニー」は素晴らしいヴォーカリストさんのお気持ちが改めて分かりましたので、ほっとしました。私自身婉曲的な話し方をするのが苦手なもので、ストレートな物言いをして失礼だったとは思いますが、あれが正直な気持ちでした。これからもヨロシクです(*^-^*)

リンクを貼っておられたブログですが、実は、私がブログをやってみようというきっかけになったブログであり、今も一番読ませていただいているブログなんです。はっきり言って、私のブログなんか見なくても、そのブログさえ見ていたらいい、とさえ思っています。というわけで、私のブログもついでに応援してやってください(笑)

ソウルマンさんを混乱させてしまって、本当にご免なさい💦💦

何の意図もないのです💦
私は感情が先走り過ぎるのです💦昔から。。😰(今回は顕著な空回り)
特に体調悪いと本当に先走るので💦
これは直さないといけないな。。。
文章くらいはしっかりしたいです(-_-)

ブログは今後も続けて下さいm(__)m

貴重なご見解なので✨😊

自分のスットコドッコイさが露呈しましたので、返信コメントには慎重になって間空くかもですけれど、ちゃんと読ませて頂きます。(*^^*)

ソウルマンさんのブログを読まれる方達は、みんな同調していると思います😊

俳優さんのオーディションに行かれかのですね✨
私は声優に成りたかったのです✨
昔の声優は顔出しなかったので😂
神秘的で憧れたのです✨

母親と大喧嘩して貫きたかったのですが、負けました。。

今はフツーの主婦です😊

動物達とすったもんだしながら、過去イチで心は満たされています~✨
身体は弱いのですが。、

赤ちゃんの頃からの、
虚弱体質だけは、何とかしたいです。。。

ソウルマンさん!今までの心意気で無理の無い様に頑張って下さいね😊

コメントってなかなか出来ないかもですよ
( ^∀^)

私も最初は勇気入りましたもの。。😂



No title

誤解させてしまったかもしれませんが、
私の本意が伝わったみたいで、よかったです。ホッとしました。
投稿をするときはよくよく考えないといけませんね。不用意なコメントは不快な気持ちにさせてしまったり、誤解を招いたりしますから、気をつけないといけないと思いました。(でも、またやらかしてしまったらどうしよう?とちょっと心配しています。自分を信頼できないのです。)

>>「リンクを貼っておられたブログですが、実は、私がブログをやってみようというきっかけになったブログであり、今も一番読ませていただいているブログなんです。」
そうだったんですか。。
ますますもって
私はまったく不用意でしたね。
実はあちらのブログは何年も前からたまに(いつも、ではなかったんですが)読んでいました。ここのところしばらく覗いていませんでしたが少し前からまた時々記事を読んでいます。

>>「はっきり言って、私のブログなんか見なくても、そのブログさえ見ていたらいい、とさえ思っています。というわけで、私のブログもついでに応援してやってください(笑)」
いえいえ、ついでなんてとんでもない! 
ずっと応援していきたいです。

No title

"スペイン風邪"、予防接種を受けた米兵のみがかかったという指摘を10年以上前にブログ「山のあなたの空遠く幸い住むと人の言う」 で読み、詳しく知りたいと思っているうちにこのブログが閉鎖されてしまったのですが、この件を書いていらしたのですね。今は眠いので朝にでも読みます。いつもありがとうございます

Re: No title

> "スペイン風邪"、予防接種を受けた米兵のみがかかったという指摘を10年以上前にブログ「山のあなたの空遠く幸い住むと人の言う」 で読み、詳しく知りたいと思っているうちにこのブログが閉鎖されてしまったのですが、この件を書いていらしたのですね。今は眠いので朝にでも読みます。いつもありがとうございます


へ~、そうなんですか。真実の情報がどんどん消されて行っているようですね。
拙ブログをいつもご紹介いただき、ありがとうございます(^O^)/

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