「議長。わが国には世界市場もっとも腐敗した機関の一つが存在します。連邦準備制度理事会と連邦準備制度銀行のことであります」by ルイス・T・マクファーデン - ジョン・コールマン、ユースタス・マリンズ
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「議長。わが国には世界市場もっとも腐敗した機関の一つが存在します。連邦準備制度理事会と連邦準備制度銀行のことであります」by ルイス・T・マクファーデン

「続・300人委員会 欺瞞の外交」④(最終回)ジョン・コールマン


前回に続く。以下、一部引用する。

*教皇ヨハネ・パウロ1世殺害も、政治的暗殺に分類することができるだろう。バチカンが国家であり、その首長にあたる教皇の権力が歴史の流れを変えることもできるほど絶大で、また実際にそうしてきたことを考慮に入れれば、こう分類してもよい。私が調査した文書によれば、これまで4人の教皇が殺害されていることは確実で、すべて毒をもられている。
教皇クレメンス13世(カルロ・レッツォニコ)の行動の記録は、証明されていないものもあるが、文書がよく残っている。クレメンスはヨーロッパ王家の要請を受け、カトリック教会の組織におけるイエズス会の堕落に終止符を打つ決心をした。数カ月をかけてクレメンスは、イエズス会を抑え込むための布告を準備した。しかしクレメンスには、それを教会法として読み上げる機会はなかった。一晩中、恐ろしい発作と嘔吐を繰り返した後、1769年2月12日にクレメンスは死んだ。クレメンスの布告は消えてしまって二度と発見されることはなく、イエズス会はかつてなく強大になっていった。
教皇クレメンス14世(ロレンツォ・ガナネッリ)が、クレメンス13世の死によって止むなく見完成となっていたものを引き継いだ。1773年8月16日、クレメンス14世は大勅書「ドミヌス・アク・レデンプトル」を出し、“イエズス会を教会の敵”と宣言した。ただちに行動が起こされ、イエズス会の総会長とその組織メンバーが逮捕、投獄された。イエズス会の財産は接収され、教育機関は閉鎖された。これはイエズス会始まって以来の大打撃だった。その後すぐ、クレメンスに対する不吉なささやき~死の噂~がバチカンのあちこちで聞かれるようになった。
1774年10月2日、クレメンス14世は突然吐き気を催し、恐るべき苦しみを味わった後、数時間後に息を引き取った。誰がもったのかはわからないが、強力な毒物が教皇の生命を奪ったのだ。この毒はきわめて強力なもので、たちどころに内臓が虚脱状態となり、驚異的な速さで体全体が分解してしまう。顔はまったく識別不能となり、身体も原形を留めていなかった。
そのメッセージは明白だった、“フリーメーソンとイエズス会には手を出すな。さもなければ死ぬぞ”ということだ。

*下院議員ルイス・T・マクファーデンが殺害されたのは、正面切って連邦準備制度理事会と連邦準備銀行を攻撃した結果であり、アメリカ内の秘密政府による、生け贄の中の生け贄だった。マクファーデンは1920年、下院銀行委員会議長を務めていて、連邦準備制度理事会を大っぴらに攻撃し、理事会こそ1929年のウォールストリートの大暴落の原因だとして同理事会の首脳陣を批判した。
・・・・・(中略)・・・・・
マクファーデンは10年以上にわたって連邦準備制度に対して飽くなき戦いを挑み、20世紀最悪の犯罪をいくつか暴露した。マクファーデンの攻撃でもっとも鋭いものは、“連邦準備制度が国を裏切って、憲法に則った合衆国政府を破壊する陰謀を企んだ”というものだ。マクファーデンはルーズベルト大統領や国際銀行家にも攻撃を加えた。
1932年6月10日の金曜日、下院での演説で、マクファーデンは次のように述べた。

議長。わが国には世界市場もっとも腐敗した機関の一つが存在します。連邦準備制度理事会と連邦準備制度銀行のことであります。政府委員会の一つである連邦準備制度理事会は、合衆国とその国民から、全米の借入金を返済できるほどの金を騙し取っているのです・・・。この邪悪な機関は合衆国国民を貧困に追い込み、破滅させてしまいました。それ自身で破産し、わが国の政府をも実質的に破産させました。これはこの制度が機能している法律の欠陥によるものでもあり、連邦準備制度理事会のよる法の悪用によるものであり、それを操る金に飢えたハゲタカどもの腐敗した行いによってであります

1933年5月23日、下院での火を吹くような入魂の演説でマクファーデンは語った。

議長。私の声の届くこの議場内に、この国が国際両替商の手に落ちてしまったことを知らぬ者はなく、それを悔いていない議員はほとんどおりません。
・・・・・(中略)・・・・・
私は、合衆国の金備蓄を連邦準備制度から映して財務省に保管することを要求いたします。さらに、完全なる金及び銀貨に基づく正貨支払いの再開を要求いたします
・・・・・(中略)・・・・・
マクファーデンの生命を狙った企みは、全部で三度あった。最初はあるディナーパーティーの席上で、彼は突然激しい吐き気を催した。だがそばに医師がいてくれたので、何とか死の縁から逃れることができた。二度目は国会議事堂の近くでタクシーから降りる時だった。この時は、弾丸が二発発射されたがどちらも外れた。成功した三度目はニューヨーク市でのことだった。マクファーデンはまた別のディナーパーティーに出席していて、再び激しい嘔吐に襲われ、助けがくる前に死亡した。毒殺の成功によって、国際銀行家と連邦準備制度理事会首脳部はひとりの偉大な男を排除した。生きていれば自分たちの活動をすべて暴露しかねかった男だった。そうなれば国中が敵に回り、貨幣制度における彼らの支配は終わりを迎えるところだった。




(管理人)
まずは「これまで4人の教皇が殺害されていることは確実で、すべて毒をもられている」との著者の指摘を掘り下げてみる。
4人の内、クレメンス13世、クレメンス14世、ヨハネ・パウロ1世についての記載はあるが、もう一人が誰なのかは記されていない。
クレメンス13世をウィキで見てみる。



クレメンス13世(Papa Clemens XIII, 1693年3月7日 - 1769年2月2日)はローマ教皇(在位:1758年7月6日 - 1769年2月2日)、カトリック教会の司祭。本名は、カルロ・デラ・トーレ・レッツォニコ(Carlo della Torre Rezzonico)。ヨーロッパ列強とイエズス会の間で板ばさみになって苦悩した。
カルロ・レッツニコはヴェネツィアの貴族の家に生まれた。ボローニャでイエズス会学校に学び、1737年に枢機卿にあげられた。教皇庁でのキャリアを積み、1758年7月6日に教皇に選出され、クレメンス13世を名乗った。
温和な性格で知られた彼の治世は、イエズス会を迫害しようとする諸国からの圧力に苦しめられる。フランスの啓蒙主義者たちやスペイン王室、両シチリア王国王室、さらにポルトガル王室までがイエズス会を弾圧していた。
1758年ポルトガルの改革者ジョゼ1世が側近のポンバル侯と共に、「教皇への贈り物」としてイエズス会員をチヴィタヴェッキアに追放した。教皇が抗議すると、逆にポルトガルは1760年に大使を召還し、教皇庁との断交を宣言した。
フランスでもジャンセニスム主義者(ジャンセニスト)の後押しもあって、反イエズス会の機運が高まっていた。徐々に制約を課していくフランス王室に対し、教皇は教会の権利を侵害するものであると抗議したが、最終的に1764年11月にすべてのイエズス会員がフランスから追放された。
スペインにおいては、1759年に即位したカルロス3世は初め穏健な政策をとっていたが、フランスの情勢をみて、結局1767年4月にイエズス会員を逮捕し追放した。
教皇は1765年1月7日の回勅「アポストリクム・パッシェンディ」(Apostolicum pascendi)でイエズス会を擁護し、1768年にも抗議文を出したが、諸国から黙殺された。
さらにパルマ公国と両シチリア王国からもイエズス会員が追放されるにおよんで、ヨーロッパ諸王家と教皇庁の関係は最悪になった。イエズス会擁護を続けてきたクレメンス13世が列強の要求に屈する形でイエズス会の処遇を討議する会議を召集することになったが、会議を前にして急死。毒殺説もささやかれたが、実際は脳卒中か心臓発作であったと思われる。
イエズス会は結局、次の教皇であるクレメンス14世が諸国からの圧力に屈し、1773年に解散された。



「ヴェネツィアの貴族の家に生まれた」とあるが、ヴェネツィアの黒い貴族のことだろうか?とすれば、この教皇も相当に怪しいのだが・・・
どうやらイエズス会を擁護する立場にあったようなのだが、最終的にはイエズス会を追放する考えに至ったため毒殺されたと思われる。
次に、コトバンクを見てみる。



ベネチア出身の第248代教皇(在位 1758~69)。本名 Carlo della Torre Rezzonico。ボローニャのイエズス会学校で学んだのち教会の要職を歴任し,1737年に枢機卿(→カーディナル)に叙任され,1758年7月に教皇に選出された。在位時は,ヨーロッパ諸王の間で反カトリックの姿勢が鮮明になった時代だった。ブルボン家はイエズス会の壊滅を策謀し,ドイツではフランスのガリア主義に相当する,教皇の権限の制限を説く思想フェブロニアニスムが拡大していた。クレメンス13世は,ジャンセニズムの信奉者やフリーメーソンと手を組んだブルボン家からイエズス会を守ることに尽力した。イエズス会は 1759年にポルトガルから,1764年にフランス領から,1767年にスペイン領から追放され,所領は没収され,インド,極東,南北アメリカでの伝道も途絶した。1769年1月,スペイン,ナポリ,フランスの各国大使からイエズス会の活動を全世界で完全に禁ずるよう迫られ,処遇を討議する教会会議を計画したが,脳卒中のため会議の開催前に急死した。


「クレメンス13世は,ジャンセニズムの信奉者やフリーメーソンと手を組んだブルボン家からイエズス会を守ることに尽力した」と書かれているが、これはスピンだろう。
「フリーメーソンとイエズス会が対立している」なんてことはあり得ないからだ。
同じくコトバンクからブルボン家を見てみる。



1589~1792,1814~48年フランスを,1700~1808,14~68,74~1931年スペインを統治した王家。ヨーロッパ最大の宗主権をもっていた家系で,名称はブルボン・ラルシャンボール城とその最初の所領ブルボネに由来する。 11世紀初頭にアデマールに始り,1272年に女性相続人がカペー家のフランス王ルイ9世 (聖王) の子クレルモン伯と結婚し,その子ルイが 1327年に初代ブルボン公家を創設。 1527年本家に後継者がいないため断絶したが,分家でフランソア1世の姪ジャンヌ・タルブレが相続し,その子アンリがナバール (ナバラ) 王となり,89年アンリ4世 (在位 1589~1610) としてブルボン朝を開いた。以後ルイ 13世 (在位 10~43) ,ルイ 14世 (在位 43~1715) ,ルイ 15世 (在位 15~74) ,ルイ 16世 (在位 74~93) と続きフランス絶対王政を実現した。フランス革命によりルイ 16世が処刑 (93) され王朝は中断。王政復古によりルイ 16世の2人の弟ルイ 18世 (在位 1814~24) とシャルル 10世 (在位 24~30) が即位したが,七月革命により,代ってオルレアン (公家) のルイ・フィリップ (在位 30~48) が即位した。またスペインではルイ 14世の孫アンジュー公 (フェリペ5世〈在位 1700~46〉) を始祖とし,フェルナンド6世 (在位 46~59) ,カルロス3世 (在位 59~88) ,カルロス4世 (在位 88~1808) ,フェルナンド7世 (在位 08,14~33) ,イサベル2世 (在位 33~68) ,アルフォンソ 12世 (在位 74~85) のあと,1931年にアルフォンソ 13世 (在位 86~1931) が退位するまで続いた。


ブルボン家とはルイ13~16世の家系である。
フリーメーソン(イルミナティ)にやられた王族である。
ということは、ブルボン家がフリーメーソンと手を組むわけがない。
もし本当に手を組んだとしたら、ブルボン家はフリーメーソンに騙されていたということである。
ブルボン家は明らかにイエズス会を追放したのだから、イエズス会(=フリーメーソン)はブルボン家に復讐したのである。
これがフランス革命の真実だろう。

次に、クレメンス14世をコトバンクで見てみる。



リミニ近郊出身の第249代教皇(在位 1769~74)。本名 Giovanni Vincenzo Antonio Ganganelli。リミニのイエズス会学校で学び,フランシスコ修道会に入って修道名をロレンツォ Lorenzoとした。学術関係の職位を歴任したのち,当時迫害を受けていたイエズス会との親密な関係を買われ,1759年に教皇クレメンス13世(在位 1758~69)により枢機卿(→カーディナル)に任命され,1769年5月に教皇に選出された。当時ポルトガルは,イエズス会が根絶されないことを理由にポルトガル王ジョゼ1世(在位 1750~77)がポルトガルをカトリック教会から離教させて 9年目になっていた。クレメンス14世はポルトガルとの関係を修復する一方,フランスとスペインの離教を恐れ,1773年イエズス会を解散させた。会が本来の目的を遂行できない状態にあることと,教会に平穏をもたらしたいことを理由にあげた。1774年9月に死去した際,毒殺の噂が流れたが,検死の結果は自然死であった。



「検死の結果は自然死であった」というのは当然スピンであると判断します。
クレメンス13世もクレメンス14世も、ともにイエズス会の出身であるが、最終的にイエズス会を切り捨てる判断を下し、その結果暗殺されたようである。
それにしても、当時のヨーロッパでは、相当にイエズス会は嫌われていたようである。
ユダヤ人が嫌われていたのと相通じる気がする。

やはり、イエズス会=ユダヤ(偽ユダヤ)ということなのか?

さらには、イエズス会=ユダヤ(偽ユダヤ)=フリーメーソン=イルミナティ=ヴェネチアの黒い貴族=「彼ら」となるのだろう。

ヨハネ・パウロ1世については何回か触れている。



http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-828.html
P2ロッジが絡むさらなる凶悪事件として、ローマ教皇ヨハネ・パウロ1世の殺害があります。1978年9月28日、教皇就任後わずか33日目です。これには意味があって、「33」という数字は彼らのネットワークにとって神秘的な、根源的な意味を持つ数字なのです。ヨハネ・パウロ1世(本名アルビーノ・ルチアーノ)は、P2ロッジの影響力が教会組織全体に及んでいることに気づき、これを排除しようと考えたのです。教皇は、ヴァチカン市国に100人を越えるフリーメイソン(P2ロッジ)が入り込んでいて、司祭、司教から枢機卿にまで及んでいる証拠をつかんでいました。それはヴァチカンの実権を握っている悪魔主義グループ「インナー・ヴァチカン」の存在を揺るがす、許しがたいものだったのです。かくて「微笑みの教皇」ヨハネ・パウロ1世は無惨にも殺害され、公式の死亡診断書は公表されず、死因は不明とされたのです。



次に、ルイス・T・マクファーデンに触れる。
下記の情報を追加する。



(杉並からの情報発信です)さん
https://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/b81adaa4aa31fb74e245f5746420f4dc
▲大恐慌で巨富を掴むロックフェラー、モルガン、バルーク、ケネディ

(アンドリュー・ヒチコック著、太田龍監訳『ユダヤ・ロシュチャイルド世界冷酷支配年表』成功書房2008年9月20日刊 P149-153転載)

1929年

4月、ロスチャイルド家の代理人ポール・ウォ―バーグは、その年の後半株価が暴落と全国的な不況が計画されているという秘密の警告を友人たちに送る。ジョン・D・ロックフェラー、J・P・モルガン、ジュニア、ジョゼフ・ケネディ、バーナード・バルークから当時のウォール街の巨人たちの伝記を見ると、いずれもこれらの人々が大暴落の直前に株式市場から完全に手を引き、資金を現金や金に替えた事実を驚きをもって記しているが、これが偶然でないことは明らかだ。

かくして、銀行家やその友人たちがみな既に承知していた通り、8月、連邦準備制度理事会は貨幣供給の引き締めを開始し他。そして10月24日、ニューヨーク大手銀行家たちは24時間以内のコールローン(短期貸付)回収を要求した。これは、仲買人と顧客がどちらも、売値に関わらず、ローン弁済のために市場に株を放出しなければならないことを意味する。

株式市場が暴落した結果、その日は歴史上[暗黒の木曜日]と呼ばれるようになった。ジョン・ケネス・ガブルレイスの著書『大恐慌』には次のような衝撃的な記述がある。

[売り熱が最高潮に達した頃、バーナード・バルークはウインストン・チャーチルをニューヨーク株式市場の見学通路に案内した。バルークはチャーチルにパニックの様子を目撃させ、階下で起きている狂気じみた出来事に彼が及ぼしている力の大きさを印象付けた]

1920年から1931年まで銀行通貨委員会の委員長を務めた共和党の下院議員、ルイス・T・マクファデンは、ユダヤ人銀行家に対して妥協のない批評家だったが、この恐慌を引き起こしたのが誰なのかについて、次のように率直に述べている。

偶然ではない。慎重に仕組まれた出来事なのだ。(中略)国際銀行家は、ここに絶望的な状況を作りだすことを望んだ。そうすれば、私たち全員の支配者として君臨できるからだ

不況やインフレから国を守るために連邦準備制度理事会が取るべき手段を訴える声はあったが、同行はさらに貨幣供給の引き締めを続けた。1929年から1933年の間に、貨幣供給はさらに33パーセント減少している。ノーベル経済学賞を受賞した経済学者、ミルトン・フリードマンでさえ、1996年1月のラジオ・インタビューで次のように語った。

連邦準備制度理事会が1929年から1933年の間に貨幣の流通量を三分の二に引き締めたことによって、大恐慌は起こりました。これは明らかです

暴落の日からわずか数週間で、30億ドルが消えた。一年がたったころには、400億ドルが消滅している。しかしながら、これは単に消えたのではなく、富がますます少数の者の手に集約されていったわけで、予定通りのことだった。ジョン・F・ケネディの父親、ジョゼフ・F・ケネディがいい例である。彼の資産は1929年には400万ドルだったが、アメリカ市場最大の不況の後の1935年には1億ドル以上に増えていた。

これが不況の起きた原因である。少数者の利益のために、大勢の人間の手からカネが取り上げられたのだ。こととき取り上げられた金は主に海外で使われた。大恐慌が起きている間に、何百万ドルというアメリカのカネが、第一次世界大戦で受けた被害からドイツを?くぁい兼させ、ロスチャイルド家の次の戦争である第二次世界大戦の準備に使われていた。1920年から1931年までに銀行通貨委員会の院長を務めた共和党のルイス・T・マクファデンは、これについて次のように述べている。

[第一次世界大戦後、ドイツはドイツの国際銀行家たちの手に落ちた。銀行家たちは、ドイツを丸ごと買収したのだ。産業を金で買い、土地を抵当に入れ、製造業を支配し、公益事業すべてを掌握した。このドイツの国際銀行家たちが現在のドイツ政府を援助してきたのであり、アドルフ・ヒットラーの派手派手しい選挙活動に使われた金もすべて彼らが提供したのである。これによって、ヒットラーはブリュニング政権に対する脅威となった。ドイツ国際銀行家たちの命令にブリュニング政権が従えなくなると、ヒットラーが登場し、恐怖で国民を支配するようになるのである(中略)]

連邦準備制度理事会をとおして、300億ドル以上のアメリカのカネがドイツに送り込まれた。ドイツでどんなことに金が使われていたかは、誰しも聞き及んでいることだろう。近代的な住宅、巨大なプラネタリウム、体育館、プール、立派な公共道路、設備の行き届いた工場の数々。

すべて、われわれのお金で作られたのだ。この全部が、連邦準備制度理事会を通してドイツに与えられたのである。連邦準備制度理事会は、何十億というドルをドイツに注ぎ込んだ。しかし、その総額はあえて口にされていない]





ルイス・T・マクファーデンは立派な人物であった。
「本当のこと」を語れる偉人である。
その結果、「彼ら」に殺されてしまったことからも石井紘基氏に相通じるところがある。
「彼ら」が第一次世界大戦後のドイツに資金を投入してヒトラーを育てたことにまで言及している。

ヒトラーを含めて第二次世界大戦が八百長だったことを暗に言及しているのだ!

ルイス・T・マクファーデン亡きあとに連邦準備制度理事会に立ち向かったのは、ケネディ以外に知らない。
ちなみにケネディが暗殺されたのは、11月22日である。
たまたまルイス・T・マクファーデンに触れたが、ケネディ暗殺の日に近いことが不思議に感じる。
石井紘基氏が暗殺されてから、この国で特別会計に触れる政治家は誰一人いない。
「俺たちに逆らったら殺すぞ」という脅迫を、政治家は受け入れているのである。
アメリカの連邦準備制度理事会と日本の特別会計、これはともにアンタッチャブルな存在として存在し続けている。
同じことはバチカンにも言える。

アメリカも日本もバチカンも悪魔が支配しているということである!

この世界は悪魔が支配しているということである!

ここでは触れなかったが、本書にはキング牧師の暗殺にも触れている。
これまた公式の暗殺情報は嘘八百であり、本当の犯人は別にいるということである。
キング牧師が暗殺されたモーテルは現在キング牧師暗殺にまつわるミュージアムになっており、私もアメリカ南部を訪ねた際に見学した。

その時はそんなことは全く知らなかった。

自分にとって都合の悪い人間は問答無用に暗殺する。
それも別に偽犯人を用意して事実を隠蔽する。

このような悪魔の方法論がまかり通る時代がいつまで続くというのか・・・
この世界には神も仏も存在していないのか・・・
改めて哀しい気持ちにさせられてしまった。



評点:80点



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