戦争というものは「右のエージェント」と「左のエージェント」の“協力”によって成立するのです。 - 広瀬隆
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戦争というものは「右のエージェント」と「左のエージェント」の“協力”によって成立するのです。

「持丸長者・日本を動かした怪物たち(戦後復興篇)」広瀬隆


2008年の書である。前回に続いて発売当時に読んだものを再読した。
以下、一部引用する。



*このヤルタ会談に先立つ二カ月前、1944年12月19日には、日本占領政策を決定するために、アメリカの国務省・陸軍省・海軍省の三省調整委員会SWNCC(State-War-Navy Coordinating Committee)が設置され、国務次官ジョセフ・グルーが主導して、SWNCC主任にユージン・ドーマンを任命した。
このグルー次官は、幕末に日本を開港させたペリー提督の兄の曾孫アリス・ペリーを妻としていた。また従姉妹ジェーン・グルーの夫がモルガン財閥総帥ジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア(通称ジャック)というアメリカ随一の財閥ファミリーから出ていた。そもそも日本の軍需産業を動かした日本興業銀行の設立にはモルガン財閥に資金を頼ったばかりではなく、東京芝浦電気(東芝)をはじめとする日本の電機事業は、ゼネラル・エレクトリック(GE)を通じてこのモルガン家の手で動かされてきたから、歴史的にも、日米関係の要にいる人物がグルーであった。しかもグルーは、満州事変翌年の1932年から駐日大使をつとめ、在日十年で、宮内省や近衛文麿はじめ日本を支配する皇族・華族・財閥たちと深い関係を取り結び、日本軍の真珠湾奇襲計画を察知してアメリカ本土に警告を打電したことで名高い。真珠湾攻撃後に抑留されたグルーは、翌1942年には日本の外交官と交換に、引き揚げ船でアメリカに帰国した。その時、昭和天皇の弟で、侵略の象徴・八紘一宇を喧伝した陸軍少将・秩父宮雍仁(やすひと)の妃・勢津子(せつこ)(会津藩の松平容保の孫娘)から餞別の品を届けられたほど、日本のファッショ的な保守集団と密着していた男である。




(管理人)
前にも書いているが、私の関心事は日本の持丸長者の立身出世物語ではない。
私の関心事は、あの戦争の真実に関する記述である。
本書はこれに関する記述が少なかったが、ここに引用した記述が最も私の関心事を充足させるに足る内容であった。
ジョセフ・グルーはペリーの兄の曾孫アリス・ペリーを妻としていました。

八百長明治維新が八百長太平洋戦争に繋がっていることの証明ですね。

ジョセフ・グルーは日本の支配者としっかりと繋がっていました。
グルーは「真珠湾奇襲計画を察知していた」んじゃありませんよ。
「自分のボスが計画した真珠湾攻撃を“八百長仲間”の日本の支配者に命じてやらせた」というのが正しい歴史ですよ。
「グルーが駐日大使をしていた」なんてのも、いかにも“ミエミエ”ですね。
グルーは日本の支配者にしっかりと八百長戦争演出の指示をしていたのでしょう。

近くに指示する人物がいないと八百長もスムーズにはいかないでしょうからね。

「真珠湾攻撃後に抑留された」なんてことも、言うまでもなく“くさい芝居”ですよ。
抑留されたことにしておいてあたかも本当に日本とアメリカが敵対していたかのように日米国民を信じ込ませるためのね。
「ヨハンセングループが戦争に反対していた」なんてのも、同じ目的で創作された“くさい芝居”に過ぎません。

戦争というものは「右のエージェント」と「左のエージェント」の“協力”によって成立するのです。

グルーについては以前にも触れています。



http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-1021.html
戦後の日本国では米国のスパイが総理になることになっている。
「こうやって八百長戦争は演出される、八百長戦争演出家が養成されるルートを探る」


米国のジャーナリスト(ニューヨーク・タイムズ記者)ティム・ワーナーは(米国CIAの秘密を暴露する書物の中で)次のように書いている。読者は事実を知るべきだ。
 「岸は1941年、アメリカに対する宣戦布告時の閣僚であり、商工大臣を務めていた。戦後、A級戦犯容疑者として収監されていた間も、岸はアメリカの上層部に味方がいた。そのうちの一人は、日本によるパールハーバー攻撃があったとき駐日大使を務めていたジョゼフ・グルーだった。グルーは開戦後の1942年、東京の収容所に入っていたが、当時、戦時内閣の閣僚だった岸がグルーを収容所から出してやり、ゴルフを共にしたことがあった。二人は友人になった。岸が巣鴨拘置所を出所した数日後、グルーは『自由ヨーロッパ全国委員会』の初代委員長になった。この委員会は『自由ヨーロッパ放送』などの政治戦争計画を支援するためにCIAが設けた偽装組織だった。(『CIA秘録(上)』ティム・ワーナー/文藝春秋)
  岸信介の背後には「駐日大使ジョゼフ・グルー」が立っていた。同時にその背後には「米国CIA」も存在した。このような構造の中で収容所を出た岸はどう動いたか。
 「岸は一年ほどの間、隠密にCIAや国務省の当局者と(ハッチンスン家(引用者注/CIAの手先)の居間で会っていた。『彼がアメリカ政府から少なくとも暗黙の支援を求めていたことは明らかだった』とハッチンスンは回想している。一連の会談はその後40年間の日米関係の土台を築くことになった」(同上)
  本書では岸信介の動きを詳細に追う余裕はない。だが彼が「米国のスパイ」(CIAの支援で首相になった男)だったことは(日本国民全員が知るべき)「絶対的な事実」なのだ。





岸信介がジョセフ・グルーと“グル”であったことが分かれば、岸の孫である安倍が誰の指示を受けているかは分かりますよね。
安倍が憲法を改悪してまたしても国民を戦争に巻き込ませようとしている指令がどこから出ているかは分かりますよね。

いつまでも騙されていてはいけません!

“同じ過ち”を繰り返してはなりません!


ちなみに本書から引用した文章ではこの“計画”の首謀者がモルガンであったかのような記述になっているが、モルガンが単独犯であるかのような錯覚に陥ってはダメですよ。
モルガンもロスチャイルドの支配下にあることを忘れないように。
同じことはロックフェラーにも言えますよ。
誰とは言いませんが、ロスチャイルドとロックフェラーとモルガンが対立しているかのようなデマを拡散している工作員陰謀論者にご用心!


評点:60点






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