ナチス製の広島原爆を「工夫して仕上げる手伝い」をした売国奴
「ユダヤ・フリーメーソンとキリスト教とコミンテルン(国際共産主義)の3つは三位一体のものである」
まずはこちらをどうぞ↓
http://youtu.be/MxDPsuEkEzg
天下の“洗脳機関”であるNHKも、時々良質な番組を放送する。これは、1982年9月に放送されたものである。放送できる範囲内に限られているのは致し方ないが、太平洋八百長戦争の舞台裏を伝えてくれている。但し、どこまで真実を述べているかとなると、疑問を感じる部分もある。ベラスコといえども、「彼ら」のエージェントとして動いていたコマの一人に過ぎないわけだから、本当のことは知らされていないと思っていたほうがいいだろう。
それはさておき、貴重な情報であることは間違いないだろう。このスパイ・ベラスコに、高橋五郎氏が直接会って書いた書である「スパイ“ベラスコ”が見た広島原爆の正体 」を基にした複数のブログ記事から転載する。
先日、「フリーメーソンとCIAとキリスト教徒と共産主義者が操った太平洋戦争」という記事を書いたが、高橋氏が引用している渡部悌治氏の「ユダヤは日本に何をしたか」によれば、「ユダヤ・フリーメーソンとキリスト教とコミンテルン(国際共産主義)の3つは三位一体のものである」とのことである。私も以前、渡部氏のこの書を読んだ。その時はこの文言に全く気付かなかったが、この文言が現在の私の思いとほぼ一致しているところに驚かされた。というよりも、調べていけば、「この一見信じがたい事象こそ、この世界の真実なのである」ということに行き着く、ちゅーわけですナ。
それからベラスコによると、「原爆はナチスが作った」とのことです。鬼塚英昭氏は、「原爆情報を湯川秀樹がアメリカに提供した」と、主張しているが、私はベラスコ説も嘘ではないでしょうが、最終的には、湯川情報が「彼らの悪魔の計画」に最も“貢献”したのではないかと思います。
なにせ、彼は“ご褒美”として、ノーベル賞を与えられたのですから。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc101.html
ベラスコの告白
第二次世界大戦中、超一流のスパイとして活躍したべラスコは、ユダヤ系スペイン人(スファラディム)で、スペインの「ファランヘ党」の設立者の1人であった。本名は、アンヘル・アルカサール・デ・ベラスコ。
大戦中、スペインは中立国だったので、連合国や枢軸国のスパイが情報収集のために暗躍していたが、ベラスコは「TO諜報機関」という対英米スパイ機関を創設。日本の在スペイン公使の須磨弥吉郎に、英米情報を提供していたのである。組織の資金は日本公使館から送られていた。
「TO諜報機関」の組織網はスペイン国内、南北アメリカをカバーしていた。米国の三沿岸の大都市ニューヨーク、ワシントン、ニューオリンズ、サンフランシスコ、ロサンゼルス、サンディエゴには、機関員合計6人の情報員を配して、マドリードの本部が直轄管理、その6人の周辺にさらに数人、ときには十数人の端末部員を配したという
ベラスコは完全な職業スパイで、ドイツの諜報機関のためにも働き、ヒトラーから厚い信頼を得ていた。そういうこともあって、ベラスコはナチスの秘密や第二次世界大戦の真相(舞台裏)、そして世界権力の実態について知り尽くしていたと言われている。
広島原爆はナチス製だった
── 高橋レポート ──
■■パート1
ヒトラーから厚い信頼を得ていたトップスパイのベラスコによると、ナチス製原爆の完成はアプヴェール(ドイツ国防軍情報部)長官のカナリスと、SS情報部(RSHA)長官のシューレンベルグから直接耳打ちされた情報だったという。そして、ベラスコによれば、これまで歴史家が伝えるロンメル自殺の原因は、ヒトラー暗殺未遂事件の過度でとされているが、実際は「ナチス製原爆横流し」の罪だったという。
ベラスコからの報告書「原爆ノート」によれば、ベルギーに保管中の原爆の管理責任者はロンメル将軍で、彼がアイゼンハワー連合軍最高司令長官に原爆を渡した、とある。その裏切り行為が発覚してロンメルは処罰されたという。ベラスコが語る「ナチス製原爆」の真相を大雑把にまとめると次のようになる。
1938年12月、ナチス・ドイツの「カイザー・ウィルヘルム研究所」の科学者オットー・ハーンとシュラウスマンは、世界に先駆けて「原子核分裂」を発見した。1940年3月には、世界最初の「実験原子炉」がベルリン・ダーレムに設置された。
このように、ナチスの原子核研究は、アメリカを遥かにしのいでいた。
1940年6月、ドイツ軍のパリ入城。この時にジョリオ・キューリー博士の「原子核研究装置」を没収し、ドイツによる原爆の完成は不動のものとなった。更にドイツ軍は、ベルギー・オランダ・ルクセンブルグを攻撃し、地球上のウラン産出地域を占領したので、ウラン資源がアメリカ側に渡ることもなく原爆の製造条件は、全てドイツの手に独占されたのである。
ナチス製原爆のエレメント、すなわち爆弾の個々の部分と素材は、チェコのボヘミア地方の原生林に移送されて組み立てられ、1942年4月21日に段階的実験を大成功させた。この実験グループの統括責任者はハベルムール氏で、彼は当時最も革新的な兵器の開発研究者らで構成されたグループの統括責任者だった。
バルト海沿岸の「ペーネミュンデ基地」でナチス製原爆は最終的完成にいたり、その後ベルギーのリハエ郊外にある基地に移送保管された。「ゾンデルブーロー第13号」と称される極秘の爆撃機でロンドン、リバプールの上空で投下する予定だったが至らなかった。未投下の理由は、ヒトラーが「死体はもうご免だ」と言って、中止を命じたためだった。
ナチス製原爆は、ドイツの英雄ロンメル将軍麾下のシュパイデル参謀長が管理した。アフリカ戦線から撤退したロンメル将軍は、反ヒトラーグループ「黒いオーケストラ」と内通し、ベルギーに根を張る国際金融資本のコネクションを通じて、ナチス製原爆を1944年11月にアメリカのアイゼンハワー連合軍最高司令長官に引き渡した。ロンメル将軍は、原爆の持つ政治的価値を全く理解していなかった。
シューレンベルグ指揮下のV1-C-13のエージェントが、このロンメル将軍の裏切り行為をキャッチし、その事実はヒトラーに伝えられ、ロンメル将軍を処置するようヒトラーから命令が下った。ロンメル将軍はゲシュタポに検挙され、ヒトラー暗殺未遂犯らと一緒に適正処分された。しかし時はすでに遅く、原爆横流しの対応策は得られなかった。ベラスコはアメリカの原爆の完成日と日本投下日までの微妙なズレなど、様々な状況証拠をもとに、ナチス製原爆はその後、日本投下に使用されたと断定する。
戦後、ナチス製原爆のいきさつを知る何人かのドイツ人が完成までの責任者の証言や、ベルギー移送後の極秘の事実を記録すべく調査に着手したものの、CIAはそれらを迅速な方法で妨害し、秘密は消滅したと見られている。不幸なことに、統括責任者ハベルムール氏はソ連軍によってブレスラウのミテ工場に留置されたのち、モスクワに移送され消息不明になっている。
■■パート2
●以上がベラスコが語る「ナチス製原爆」の真相の全体像である。
ベラスコは、ナチス製原爆完成を信じ切っており、その原爆を日本に投下したアメリカを頭から疑ってかかっていた。
ベラスコは言った。
「広島に投下された爆弾が、即、ナチス製の完成品そのものとは思えない。多分そのナチス製の原爆にアメリカ国内で更に工夫をこらして仕上げ、そして広島に投下したのだと思う。」
私(高橋)は質問した。
「ナチス製の原爆は間違いなくアメリカに渡ったと断言できるのですね?」
「まったく事実だ。しかしアメリカ側はこの事実を無視または否定するだろう。ナチス製の原爆がアメリカ国内に運びこまれるまでに、アメリカ国内で原爆は完成していなかったのだ。多分、この事実を知ったら日本人は、相当驚くだろう。しかもこの事実はビッグニュースになるだろう。それにこの事実が世界に知られたら、アメリカが作ってきた神話が崩壊するだろう。」
ベラスコによれば、原爆投下は、戦後世界の覇権根拠に決定的役割を見据えての決定だったというが、それはさておき、なぜ他国の製品(ドイツ製)をわざわざ使用したのか。ドイツ爆弾の完成根拠、アメリカの転用投下の理由をめぐって、ベラスコとの論争は堂々めぐりになっていった。そして袋小路に入ってしまったのであった。
(ベラスコと初対面の時から数えて約2年目まで、毎月1回程度、彼と会い続けた。1回あたりが15分間以内の場合もあれば、延々3時間にも及ぶ時もあった)。◆
「もういいわかったよ。原爆の話はもうやめだ!」
ベラスコは私に打ち止めを宣言したことがあった。やめるわけにはいかない、と私は突っ掛かっていったものだった。正直のところ実は私は半分ほど、彼の肩を持ちたかった。だが具体的な裏付けと整合性がほしかった。
「誰かあなた以外にこの『ナチス製原爆説』を証明する人物はいないのですか? 資料・記録・メモ何でもいい。広島原爆がナチス製だったと証明できる手掛かりはないのですか?」
「一体、何回問えば気が済むのだ? すべてノーなのだ」
ついに彼は爆発した。
「お前は私のつぶやきまで疑うのか? 私には私の発言のための保証人など不要なのだ!」
「ではあなたは私がアメリカをすんなりと疑う人間にしたいのですか?」
「それはお前の勝手だろう。私は世界連邦主義者だ。どこの国に対しても愛するし、疑いもするのだ。文句はあるまい。」
彼は顔を紅潮させ私をにらみつけた。
なぜか私は彼が好きになった。私の疑問は私が解く努力をすれば良いのだ。「原爆」はベラスコと私の関係を深める媒介になった。
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/hitokuchi029.html
(2012年の黙示録)さん
スパイ“ベラスコ”が見た広島原爆の正体
嵌められた日本と世界を支配する見えざる帝国
高橋五郎 学研 2006年刊
秘密結社の戦争事業
原爆の投下先を決めたフランクリン・ルーズベルト大統領は、任期中に生涯の幕を閉じた。後任のトルーマン大統領はその4か月後、日本で原爆を炸裂させて核時代の幕を開けた。これにより、日本人は自国政府の「正義」よりも遙かに大きな「正義」の存在を、身をもって知らされたのである。
核時代の幕開けを行なったアメリカ大統領たちの行動は、もちろん結社の意向に基づいたものだ。しかし、結社の世界に住むベラスコ親子から見たアメリカ大統領の実像は、国を代表してはいても絶対的な権力者ではない。
大統領はさらに上位に位置する結社のために奉仕する僕にすぎない。結社は功罪半ばする欧米史の背景でありつづけ、今もその構図に変わりはない。大統領は結社の舞台で踊る、いわば操り人形にすぎないのである。
かつてイギリスから北米大陸に移住、アメリカ独立宣言に署名した56人のうち50名はこの秘密結社員たちだった。大統領は結社員たちが選んで世界に掲げる「表看板」、すなわちアメリカ大統領のみならず、イギリスの首相もまた、秘密結社メンバーたちが選んだ単なる代理人のひとりなのである。
したがって、大統領や首相の権力は国民や議会や所属政党のためにではなく、まずは結社の利益のために行使される。原爆の日本投下を決めたルーズベルト大統領も、投下実行者のトルーマンもその責務は同じだ。現大統領ジョージ・ブッシュも、その点は変わらない。むろん、こんな話は教科書には書かれていない。
アメリカ大統領の第44代までのうちの35代までが、イングランドやフランスの王侯貴族をルーツにもつ結社員でありつづけている。 たとえば、ルーズベルト大統領は名門デラノ家の流れを汲む、結社の上位第33階級の人物で「ビシスの騎士」と呼ばれていた。ルーズベルトは息子を、結社メンバーのピエール・デュポン(デュポン財閥)の跡取り娘、エセルと1937年に結婚させている。そのデュポン社が、アメリカの原爆開発に不可欠な、サイクロトロンをはじめとする関連施設の建設と運営いっさいを独占。デュポン社は原爆完成後に、サイクロトロン施設を合む関連設備一式と開発特許を、合計1ドルでアメリカ政府に「売却」している。
アメリカの原爆開発計画(マンハッタン計画)管区の総合責任者、陸軍のグローブス将軍もデュポンが派遣した軍人のひとりだ。デュポン社は原爆開発の技術、原料調達、パイロットプラント、そして関連施設を管理掌握する政府原爆開発企画局の唯一の取引代表業者(窓口会社)として、たとえば、ウラン235の濃縮分離工場の建設をスタンダード石油開発社に、あるいはメロン・ロックフェラー財団系列会社の電気技術関連会社をウエスティングハウス電気製造会社に、さらにはモルガン財閥、ケロッグ社には有毒ガス拡散施設の管理を、濃縮ウランの主要製造はユニオンカーバイド社にとそれぞれ事業分担させている。(中略)
日本の運命は決まっていた
原爆投下を命じたトルーマン大統領は、フリーメーソン第33階級の地位にあった人物だ。彼は太平洋戦争を勝利させた勲功として、結社からミドルネーム「S」を与えられている。Sは聖書に語られているソロモン王の頭文字Sだ。
トルーマンは、かつてアメリカはミズリー州にあるメーソン・ロッジの統括責任者を務め、同州判事を経て議会に進出、物資防衛計画を調査する上院特別委員会の委員長から副大統領に当選。その直後、ルーズベルト大統領の急逝を受けて大統領に就任。広島、長崎への原爆投下を命じている。
トルーマンは投下直後の大統領声明で、「米将兵の徒死をひとりでも減らすためだった」と原爆投下理由を正当化した。だが、広島長崎への原爆投下のタイミングは、先にも述べたように結社の戦争スケジュールに沿って決定されたものだ。スチムソン陸軍長官もトルーマンと同じ結社員同士である。
ところで、トルーマンの結社員仲間デビッド・ナイルズにはふたりの娘がいた。この姉妹については、少々触れておいたほうがいいだろう。娘のひとりはイスラエル政界の有力者として活躍。もうひとりの娘も、クレムリンの政策決定に関与する重要人物としてそれぞれ活躍したことで知られる。姉妹は結社員として、後のクレムリンとワシントン、ならびにパレスティナとイスラエルのそれぞれの調整役を果たしつつ、結社の目的推進に貢献している。
姉妹は「束の間の和平の和平時間」を挟みながら、日清、日露、満州、太平洋へと続く日本の戦争を、中国、ロシア側からお膳立てをしたメンバーである。彼女たちは日本を誘導して、結社の利益を連続させる闘争管理方式を行ないつづけた。朝鮮、中国、ソ進と連合軍とのさらなる対決の連鎖の陰には、ナイルズ姉妹の活躍があったといわれる。日本の財閥会社も、結社の国際戦略活動に便乗して経済利益を追った。
結社の悲願(アジェンダ)実現のための方法論ともいうべき戦術は、世界中に向けられている。つまり、アメリカ大統領とイギリス首相に恭順の意を表す世界諸国の政治、経済、学術、軍事ほかの社会活動を結社が規範づけているのである。
アメリカの大統領が原爆投下先を日本に決定した時期は、1943年5月5日。先述の公式資料にそう書かれていた。この日付は結社がナチス・ドイツに投下する意志など最初からなかったことを明かした日付でもある。ベラスコのいうナチス原爆が、ロンドンやリバプールに投下されることは絶対になかったのだ。
そも、ドイツ(ロンドンも)は秘密結社の誕生の地であり、結社のメンバー企業の本拠地でもある。そこに死の灰をまき散らすわけにはいくまい。自宅に放火する人はいないからだ。ペラスコのいう原爆の投下先が、ロンドンでもリバプールでもないのは、こんな単純な理由からだ。
投下目標を日本に決めたのは、秘密結社の決意を世界に明かすためだ。日本は開国以前から、自民族の運命を自身で決めたがっていたと結社は考えていた。だが、結社には日本に自らの運命を決めさせる気など毛頭なかったのである。
にもかかわらず、日本は独自の道を歩こうとした。
結社は、かつてイエズス会の宣教師フランシスコ・デ・ザビエルを派遣して、1549年に日本最南端の小島に首尾よく上陸させている。目的は日本を支配するためだ。だが、それから400年後の1945年にようやく日本を完全支配したつもりになる。武力に頼る必要はなかったが、原爆の力、つまり結社の凄みだけは見せつけておく必要があったから、原爆を投下した。ただし、一義的にはアメリカの納税者のために、原爆の製造責任を果たし、そしてソ達に対しては威力を示すためだったのだが……。
日本は結社の目的を錯覚していた。その錯覚は結社にとっては好都合だった。支配を容易にするマインド・コントロールがきく「属国」が、さらに増えるという意味でだ。とはいえ、結社の世界戦略を見抜いた日本人たちもいた。が、こうした愛国心の強い日本人たちは、結社の世界戦略に加担する同胞たちから排除されてしまう。
次の一文は、結社の本質を知ったがゆえに疎外され、同胞の手で祖国日本を売り渡された「慚愧(ざんき)の念」を、神道家・渡部悌治が調査し、2003年に著した『ユダヤは日本に何をしたか』からの引用である。渡部は、1943年からユダヤ問題研究機関「国際政経学会」監事を務めてきた人物だ。長い引用になるが紹介しよう。結社の意気込みを敗者の側から語った一文である。
その国の民族から国家意識と民族感情を取り去り、いわゆる精神的国際人を作り上げる観想の法のひとつに、「心内の声を聴く」という心霊術系統の念法がある。聖霊主義を唱えるキリスト教諸派・終末論的無教会派などがこの流れを汲む。……(中略)……
心内の声を聴くには国境はない、という考え方は国家を脱する考え方にもなる。信教の自由を唱えるフリーメーソン結社はそこを狙った。心内の声によって国を失い、やがて来るべき神の子の天降りを待ち望むこと、これが旧約と新約の書であるキリスト教教典の示すところだ。
キリスト教会で使う児童向けの絵カードに、白衣に緋色の衿姿の少年が、天空から射る光の中に座した姿のものがある。イエスの再臨を表現しているのだ。これが昭和初期のキリスト教の《神の国運勤》であり、ユダヤの教会で説いていた《王の道を直(なお)くせよ》という意味だ。そして、《天降るべきユダヤの王》のために直(なお)くされた道とは、すなわち国際連合を意味するのである。
人種、民族、国境は人為にすぎず、国際連合によって主の道を直くし、そこにユダヤの王が天降るのだということは、とりもなおさずユダヤの世界支配を意味する。王の道を直くするためと称して、ユダヤは第一次世界大戦を勃発させた。だが、国際連盟を作り、各国に主権と軍備とを認めてしまったために、それは失敗に終わった。そこで、改めて第二次世界大戦を勃発させて第二次国際連盟、つまり国際連合を樹立したのである。昭和16年(1941年)2月の、世界ユダヤ人会議議長ゴールドマンの言明どおりだ。このゴールドマンの言葉を受けて、イスラエルの初代首相ベングリオンは次のように発言している。
「すべての国々は世界支配されるようになり、国際警察のもとに管理される。すべての軍隊は破壊され、もはや戦争は存在しない。エルサレムで本当の意昧での国際連合が、世界連邦のための預言者の神殿を造るであろう。これは世界連邦のすべての論争を解決するための人類の最高裁判所の座を占める」
それゆえに、ユダヤ・フリーメーソンとキリスト教とコミンテルン(国際共産主義)の3つは三位一体のものであり、これらに対して日本(筆者注:渡部悌治たちの国際政経学会)は、すでに早くから敵の正体を見据えていたのだ。
かつて国際連盟が開かれていたころ、その会合の開催される前日に必ずユダヤ会議が開かれ、その予備会談で決定されたとおりに本会議で議決されていた事実は、会議に参集していた各国の情報官によって伝えられている。
ユダヤと利害をともにすることができなかった国家群が、国際連盟を脱退しなければならなかった原因もここにあった。
キリスト教とユダヤ・フリーメーソンとコミンテルン――これらが歴史と伝統とを保持する国々に革命を起こして滅ぼし、敵対して自国と民衆との自立共存を念願していた国々を地上から抹殺しようとした理由もまた、この《主の道を直くする》ことの中に意図されていたのである。
《主の道を直くする》というユダヤの教理は、その後も永くキリスト教伝道の基調になっていたが、日本における《神の国運動》もユダヤ王の再臨を準備するということであって、賀川豊彦らがアメリカ共産党からの資金によって主唱していたものであった。
この運動も日本に敵国の内応者を養成する企みからなされたものだ。キリスト教の単なる信仰上の運動なら問題はなかったのだが、陰に隠された企みがあったのだ。この陰謀は、私が東北学院の神学生だったころ、御殿場の東山荘で開催されたキリスト教青年夏期講習会に出席し、講義内容と講師たちの密議から体験によって知りえたことである。
「日本人がユダヤの王の前に立つためには、日本という国家を背負った奢り高ぶったままの姿であってはならない。悔い改めによって遜(へりくだ)らなけれぱならぬ。日本人はそう簡単には国を捨てない。国を捨てさせるには、国そのものをなくしてしまえばよろしい。それは戦争によって負かすしかないのだ。日本が戦争に敗れて打ちのめされて初めて遜るようになるのである。そうなれば天皇の神格も地に落ち、国民も拠り所を失う。それによって日本も共和国となりうる」
以上が御殿場の講習会で交わされた密議の主旨だ。……(中略)……
賀川豊彦の近親の者が、《何が理由で収監されたのかわからない》と雑誌に書いていたが、(警視庁に)収監を進言したのは私だ。その理由は(前述の)密議の内容に基づいて、賀川が収監直前まで日本敗北の運動を鼓舞していたからだ。
アメリカ共産党のユダヤ人サムエル・ゴンバースとの関係を保っていた賀川豊彦らが、日本を《反戦ではなく戦争によって敗戦させ、それによって革命を実現する》というユダヤ・フリーメーソンの敗戦テーゼに従ったものであった。賀川らがアメリカ系共産党員としての本性を発揮して、日本の敗戦を目指した《神の国運動》を展開し、日本の革命を図ったという理由での収監であった。……(中略)……
日本覆滅の方策としてキリスト教フリーメーソンの立てた方策に、皇室にキリスト教を入れて日本国家を転覆させるという企てがあった。それには皇室内の関係者になるべく多くのカトリック信者を作り、四囲を固めて貞明(ていめい)皇后様を入信させるという陰謀だった。宮中をキリスト教で乗っ取る策謀である。
純正愛国陣営の口伝の中には、この貞明皇后様のキリスト教化が伝えられていた。私の心理にも永年、皇后様に対するわだかまりが消えずにいた。そこで、私は恩師、筧克彦氏に、宮中キリスト教化の件について事実を徽(しる)したところ返書があり、それには次のように記してあった。
「大宮様は日本の仏教のごとく基教(キリスト教)も日本化するようにとのお考えでありました。日本の神の信仰を排斥するような基教をご容認になるのではないことを為念申し添えます」
この書を得て、私は永年の心のくすぶりを拭いえて安堵した。貞明皇后様はご無事であられた。皇室キリスト教化の企ては、四囲の臣下の信者だけにとどまって皇族におよぶことなしに終わった。
だが、日本の命脈を絶つために画策された日米戦争の結果、ユダヤが夢見た日本の転覆が実現した。皇室にキリスト教が入ることとなり、内裏雛の並べ方まで左右が逆となった。行幸・行啓に際して、キリスト教ミッション・スクールヘのお立ち寄りも頻度を増した。ユダヤの陰謀のしたたかさである。大宮様への御念願も絶たれてしまったといえよう。
渡部翁と筆者は一度だけ会ったことがある。新宿の花園神社の一室でのことだったが、静かな物腰の中に、凛とした意志を秘めた姿が印象的だった。
ここでお断りしておくが、渡部翁がいいたかったことは、ユダヤ民族とキリスト教徒の全部が悪いという話ではまったくない。ましてや神道が格別によろしいということでもない。民族も信じる宗教も個人にとってはさまざまであり、邪悪だと批判される一部勢力が、そこに交じったことに問題があったと渡部翁は指摘している。
一部の同胞たちの錯覚によって失われた、民族の根幹を嘆いたひとりの日本人宗教家の慙愧(ざんき)の念なのである。
他民族ならびに国家の運命は結社が決めてきた。にもかかわらず、結社のその強力な意志を一部の日本人たちは安易に扱いすぎた。かつての日本も、結社と同じ「力の論理」から、自国の利益と安寧をアジア全域に求めた。が、所詮は腕力と知力を扱う点で、結社は日本の比ではなかったことにまでは思いがいたらなかったのは、そう思わせないように走り回った“同胞”がいたからだ。
日本は自国の運命を自ら決する気概には溢れていたが、結社とその悲願については無知だったのだ。その結果は明らかで、日本は、1945年の敗戦を契機に結社へ民族の運命を委ねてしまう。その逆に、日本を無知ならしめた“同胞”は、戦後の栄誉を独占する。たとえば、それは財閥の主であったり、各界の指導者またはノーベル賞受賞者だったりする。
● ミニ解説 ●
スパイ“ベラスコ”は文字どおりスパイを仕事とした人物です。しかも、ここで「結社」と呼ばれている「陰の超国家権力」の中枢に近い位置にいた人物で、そういう意味では「超スパイ」ということができます。今は故人となっていますが、著者はベラスコの生存中に会って、計画的に第二次世界大戦を起こした「結社」の目的等について有力な情報を得ています。
前作の『[超スパイ]ベラスコ』(徳間書店/1994年刊)が非常に面白かったので、迷わず購入した本です。ただ、どのページの内容も他のページと密接に関連していて部分的に抜粋するのが難しいため、当サイトでのご紹介は断念しておりました。ここに取り上げた内容以外にも、「えっ!」と驚くような内容が満載されています。世界情勢を理解する上での好著です。特に、世界の政治はアメリカやロシア、EU加盟国などの大統領・首相らの手によって動かされていると信じておられる方には“必読書”としてお勧めしたいと思います。
(なわ・ふみひと)
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天下の“洗脳機関”であるNHKも、時々良質な番組を放送する。これは、1982年9月に放送されたものである。放送できる範囲内に限られているのは致し方ないが、太平洋八百長戦争の舞台裏を伝えてくれている。但し、どこまで真実を述べているかとなると、疑問を感じる部分もある。ベラスコといえども、「彼ら」のエージェントとして動いていたコマの一人に過ぎないわけだから、本当のことは知らされていないと思っていたほうがいいだろう。
それはさておき、貴重な情報であることは間違いないだろう。このスパイ・ベラスコに、高橋五郎氏が直接会って書いた書である「スパイ“ベラスコ”が見た広島原爆の正体 」を基にした複数のブログ記事から転載する。
先日、「フリーメーソンとCIAとキリスト教徒と共産主義者が操った太平洋戦争」という記事を書いたが、高橋氏が引用している渡部悌治氏の「ユダヤは日本に何をしたか」によれば、「ユダヤ・フリーメーソンとキリスト教とコミンテルン(国際共産主義)の3つは三位一体のものである」とのことである。私も以前、渡部氏のこの書を読んだ。その時はこの文言に全く気付かなかったが、この文言が現在の私の思いとほぼ一致しているところに驚かされた。というよりも、調べていけば、「この一見信じがたい事象こそ、この世界の真実なのである」ということに行き着く、ちゅーわけですナ。
それからベラスコによると、「原爆はナチスが作った」とのことです。鬼塚英昭氏は、「原爆情報を湯川秀樹がアメリカに提供した」と、主張しているが、私はベラスコ説も嘘ではないでしょうが、最終的には、湯川情報が「彼らの悪魔の計画」に最も“貢献”したのではないかと思います。
なにせ、彼は“ご褒美”として、ノーベル賞を与えられたのですから。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc101.html
ベラスコの告白
第二次世界大戦中、超一流のスパイとして活躍したべラスコは、ユダヤ系スペイン人(スファラディム)で、スペインの「ファランヘ党」の設立者の1人であった。本名は、アンヘル・アルカサール・デ・ベラスコ。
大戦中、スペインは中立国だったので、連合国や枢軸国のスパイが情報収集のために暗躍していたが、ベラスコは「TO諜報機関」という対英米スパイ機関を創設。日本の在スペイン公使の須磨弥吉郎に、英米情報を提供していたのである。組織の資金は日本公使館から送られていた。
「TO諜報機関」の組織網はスペイン国内、南北アメリカをカバーしていた。米国の三沿岸の大都市ニューヨーク、ワシントン、ニューオリンズ、サンフランシスコ、ロサンゼルス、サンディエゴには、機関員合計6人の情報員を配して、マドリードの本部が直轄管理、その6人の周辺にさらに数人、ときには十数人の端末部員を配したという
ベラスコは完全な職業スパイで、ドイツの諜報機関のためにも働き、ヒトラーから厚い信頼を得ていた。そういうこともあって、ベラスコはナチスの秘密や第二次世界大戦の真相(舞台裏)、そして世界権力の実態について知り尽くしていたと言われている。
広島原爆はナチス製だった
── 高橋レポート ──
■■パート1
ヒトラーから厚い信頼を得ていたトップスパイのベラスコによると、ナチス製原爆の完成はアプヴェール(ドイツ国防軍情報部)長官のカナリスと、SS情報部(RSHA)長官のシューレンベルグから直接耳打ちされた情報だったという。そして、ベラスコによれば、これまで歴史家が伝えるロンメル自殺の原因は、ヒトラー暗殺未遂事件の過度でとされているが、実際は「ナチス製原爆横流し」の罪だったという。
ベラスコからの報告書「原爆ノート」によれば、ベルギーに保管中の原爆の管理責任者はロンメル将軍で、彼がアイゼンハワー連合軍最高司令長官に原爆を渡した、とある。その裏切り行為が発覚してロンメルは処罰されたという。ベラスコが語る「ナチス製原爆」の真相を大雑把にまとめると次のようになる。
1938年12月、ナチス・ドイツの「カイザー・ウィルヘルム研究所」の科学者オットー・ハーンとシュラウスマンは、世界に先駆けて「原子核分裂」を発見した。1940年3月には、世界最初の「実験原子炉」がベルリン・ダーレムに設置された。
このように、ナチスの原子核研究は、アメリカを遥かにしのいでいた。
1940年6月、ドイツ軍のパリ入城。この時にジョリオ・キューリー博士の「原子核研究装置」を没収し、ドイツによる原爆の完成は不動のものとなった。更にドイツ軍は、ベルギー・オランダ・ルクセンブルグを攻撃し、地球上のウラン産出地域を占領したので、ウラン資源がアメリカ側に渡ることもなく原爆の製造条件は、全てドイツの手に独占されたのである。
ナチス製原爆のエレメント、すなわち爆弾の個々の部分と素材は、チェコのボヘミア地方の原生林に移送されて組み立てられ、1942年4月21日に段階的実験を大成功させた。この実験グループの統括責任者はハベルムール氏で、彼は当時最も革新的な兵器の開発研究者らで構成されたグループの統括責任者だった。
バルト海沿岸の「ペーネミュンデ基地」でナチス製原爆は最終的完成にいたり、その後ベルギーのリハエ郊外にある基地に移送保管された。「ゾンデルブーロー第13号」と称される極秘の爆撃機でロンドン、リバプールの上空で投下する予定だったが至らなかった。未投下の理由は、ヒトラーが「死体はもうご免だ」と言って、中止を命じたためだった。
ナチス製原爆は、ドイツの英雄ロンメル将軍麾下のシュパイデル参謀長が管理した。アフリカ戦線から撤退したロンメル将軍は、反ヒトラーグループ「黒いオーケストラ」と内通し、ベルギーに根を張る国際金融資本のコネクションを通じて、ナチス製原爆を1944年11月にアメリカのアイゼンハワー連合軍最高司令長官に引き渡した。ロンメル将軍は、原爆の持つ政治的価値を全く理解していなかった。
シューレンベルグ指揮下のV1-C-13のエージェントが、このロンメル将軍の裏切り行為をキャッチし、その事実はヒトラーに伝えられ、ロンメル将軍を処置するようヒトラーから命令が下った。ロンメル将軍はゲシュタポに検挙され、ヒトラー暗殺未遂犯らと一緒に適正処分された。しかし時はすでに遅く、原爆横流しの対応策は得られなかった。ベラスコはアメリカの原爆の完成日と日本投下日までの微妙なズレなど、様々な状況証拠をもとに、ナチス製原爆はその後、日本投下に使用されたと断定する。
戦後、ナチス製原爆のいきさつを知る何人かのドイツ人が完成までの責任者の証言や、ベルギー移送後の極秘の事実を記録すべく調査に着手したものの、CIAはそれらを迅速な方法で妨害し、秘密は消滅したと見られている。不幸なことに、統括責任者ハベルムール氏はソ連軍によってブレスラウのミテ工場に留置されたのち、モスクワに移送され消息不明になっている。
■■パート2
●以上がベラスコが語る「ナチス製原爆」の真相の全体像である。
ベラスコは、ナチス製原爆完成を信じ切っており、その原爆を日本に投下したアメリカを頭から疑ってかかっていた。
ベラスコは言った。
「広島に投下された爆弾が、即、ナチス製の完成品そのものとは思えない。多分そのナチス製の原爆にアメリカ国内で更に工夫をこらして仕上げ、そして広島に投下したのだと思う。」
私(高橋)は質問した。
「ナチス製の原爆は間違いなくアメリカに渡ったと断言できるのですね?」
「まったく事実だ。しかしアメリカ側はこの事実を無視または否定するだろう。ナチス製の原爆がアメリカ国内に運びこまれるまでに、アメリカ国内で原爆は完成していなかったのだ。多分、この事実を知ったら日本人は、相当驚くだろう。しかもこの事実はビッグニュースになるだろう。それにこの事実が世界に知られたら、アメリカが作ってきた神話が崩壊するだろう。」
ベラスコによれば、原爆投下は、戦後世界の覇権根拠に決定的役割を見据えての決定だったというが、それはさておき、なぜ他国の製品(ドイツ製)をわざわざ使用したのか。ドイツ爆弾の完成根拠、アメリカの転用投下の理由をめぐって、ベラスコとの論争は堂々めぐりになっていった。そして袋小路に入ってしまったのであった。
(ベラスコと初対面の時から数えて約2年目まで、毎月1回程度、彼と会い続けた。1回あたりが15分間以内の場合もあれば、延々3時間にも及ぶ時もあった)。◆
「もういいわかったよ。原爆の話はもうやめだ!」
ベラスコは私に打ち止めを宣言したことがあった。やめるわけにはいかない、と私は突っ掛かっていったものだった。正直のところ実は私は半分ほど、彼の肩を持ちたかった。だが具体的な裏付けと整合性がほしかった。
「誰かあなた以外にこの『ナチス製原爆説』を証明する人物はいないのですか? 資料・記録・メモ何でもいい。広島原爆がナチス製だったと証明できる手掛かりはないのですか?」
「一体、何回問えば気が済むのだ? すべてノーなのだ」
ついに彼は爆発した。
「お前は私のつぶやきまで疑うのか? 私には私の発言のための保証人など不要なのだ!」
「ではあなたは私がアメリカをすんなりと疑う人間にしたいのですか?」
「それはお前の勝手だろう。私は世界連邦主義者だ。どこの国に対しても愛するし、疑いもするのだ。文句はあるまい。」
彼は顔を紅潮させ私をにらみつけた。
なぜか私は彼が好きになった。私の疑問は私が解く努力をすれば良いのだ。「原爆」はベラスコと私の関係を深める媒介になった。
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/hitokuchi029.html
(2012年の黙示録)さん
スパイ“ベラスコ”が見た広島原爆の正体
嵌められた日本と世界を支配する見えざる帝国
高橋五郎 学研 2006年刊
秘密結社の戦争事業
原爆の投下先を決めたフランクリン・ルーズベルト大統領は、任期中に生涯の幕を閉じた。後任のトルーマン大統領はその4か月後、日本で原爆を炸裂させて核時代の幕を開けた。これにより、日本人は自国政府の「正義」よりも遙かに大きな「正義」の存在を、身をもって知らされたのである。
核時代の幕開けを行なったアメリカ大統領たちの行動は、もちろん結社の意向に基づいたものだ。しかし、結社の世界に住むベラスコ親子から見たアメリカ大統領の実像は、国を代表してはいても絶対的な権力者ではない。
大統領はさらに上位に位置する結社のために奉仕する僕にすぎない。結社は功罪半ばする欧米史の背景でありつづけ、今もその構図に変わりはない。大統領は結社の舞台で踊る、いわば操り人形にすぎないのである。
かつてイギリスから北米大陸に移住、アメリカ独立宣言に署名した56人のうち50名はこの秘密結社員たちだった。大統領は結社員たちが選んで世界に掲げる「表看板」、すなわちアメリカ大統領のみならず、イギリスの首相もまた、秘密結社メンバーたちが選んだ単なる代理人のひとりなのである。
したがって、大統領や首相の権力は国民や議会や所属政党のためにではなく、まずは結社の利益のために行使される。原爆の日本投下を決めたルーズベルト大統領も、投下実行者のトルーマンもその責務は同じだ。現大統領ジョージ・ブッシュも、その点は変わらない。むろん、こんな話は教科書には書かれていない。
アメリカ大統領の第44代までのうちの35代までが、イングランドやフランスの王侯貴族をルーツにもつ結社員でありつづけている。 たとえば、ルーズベルト大統領は名門デラノ家の流れを汲む、結社の上位第33階級の人物で「ビシスの騎士」と呼ばれていた。ルーズベルトは息子を、結社メンバーのピエール・デュポン(デュポン財閥)の跡取り娘、エセルと1937年に結婚させている。そのデュポン社が、アメリカの原爆開発に不可欠な、サイクロトロンをはじめとする関連施設の建設と運営いっさいを独占。デュポン社は原爆完成後に、サイクロトロン施設を合む関連設備一式と開発特許を、合計1ドルでアメリカ政府に「売却」している。
アメリカの原爆開発計画(マンハッタン計画)管区の総合責任者、陸軍のグローブス将軍もデュポンが派遣した軍人のひとりだ。デュポン社は原爆開発の技術、原料調達、パイロットプラント、そして関連施設を管理掌握する政府原爆開発企画局の唯一の取引代表業者(窓口会社)として、たとえば、ウラン235の濃縮分離工場の建設をスタンダード石油開発社に、あるいはメロン・ロックフェラー財団系列会社の電気技術関連会社をウエスティングハウス電気製造会社に、さらにはモルガン財閥、ケロッグ社には有毒ガス拡散施設の管理を、濃縮ウランの主要製造はユニオンカーバイド社にとそれぞれ事業分担させている。(中略)
日本の運命は決まっていた
原爆投下を命じたトルーマン大統領は、フリーメーソン第33階級の地位にあった人物だ。彼は太平洋戦争を勝利させた勲功として、結社からミドルネーム「S」を与えられている。Sは聖書に語られているソロモン王の頭文字Sだ。
トルーマンは、かつてアメリカはミズリー州にあるメーソン・ロッジの統括責任者を務め、同州判事を経て議会に進出、物資防衛計画を調査する上院特別委員会の委員長から副大統領に当選。その直後、ルーズベルト大統領の急逝を受けて大統領に就任。広島、長崎への原爆投下を命じている。
トルーマンは投下直後の大統領声明で、「米将兵の徒死をひとりでも減らすためだった」と原爆投下理由を正当化した。だが、広島長崎への原爆投下のタイミングは、先にも述べたように結社の戦争スケジュールに沿って決定されたものだ。スチムソン陸軍長官もトルーマンと同じ結社員同士である。
ところで、トルーマンの結社員仲間デビッド・ナイルズにはふたりの娘がいた。この姉妹については、少々触れておいたほうがいいだろう。娘のひとりはイスラエル政界の有力者として活躍。もうひとりの娘も、クレムリンの政策決定に関与する重要人物としてそれぞれ活躍したことで知られる。姉妹は結社員として、後のクレムリンとワシントン、ならびにパレスティナとイスラエルのそれぞれの調整役を果たしつつ、結社の目的推進に貢献している。
姉妹は「束の間の和平の和平時間」を挟みながら、日清、日露、満州、太平洋へと続く日本の戦争を、中国、ロシア側からお膳立てをしたメンバーである。彼女たちは日本を誘導して、結社の利益を連続させる闘争管理方式を行ないつづけた。朝鮮、中国、ソ進と連合軍とのさらなる対決の連鎖の陰には、ナイルズ姉妹の活躍があったといわれる。日本の財閥会社も、結社の国際戦略活動に便乗して経済利益を追った。
結社の悲願(アジェンダ)実現のための方法論ともいうべき戦術は、世界中に向けられている。つまり、アメリカ大統領とイギリス首相に恭順の意を表す世界諸国の政治、経済、学術、軍事ほかの社会活動を結社が規範づけているのである。
アメリカの大統領が原爆投下先を日本に決定した時期は、1943年5月5日。先述の公式資料にそう書かれていた。この日付は結社がナチス・ドイツに投下する意志など最初からなかったことを明かした日付でもある。ベラスコのいうナチス原爆が、ロンドンやリバプールに投下されることは絶対になかったのだ。
そも、ドイツ(ロンドンも)は秘密結社の誕生の地であり、結社のメンバー企業の本拠地でもある。そこに死の灰をまき散らすわけにはいくまい。自宅に放火する人はいないからだ。ペラスコのいう原爆の投下先が、ロンドンでもリバプールでもないのは、こんな単純な理由からだ。
投下目標を日本に決めたのは、秘密結社の決意を世界に明かすためだ。日本は開国以前から、自民族の運命を自身で決めたがっていたと結社は考えていた。だが、結社には日本に自らの運命を決めさせる気など毛頭なかったのである。
にもかかわらず、日本は独自の道を歩こうとした。
結社は、かつてイエズス会の宣教師フランシスコ・デ・ザビエルを派遣して、1549年に日本最南端の小島に首尾よく上陸させている。目的は日本を支配するためだ。だが、それから400年後の1945年にようやく日本を完全支配したつもりになる。武力に頼る必要はなかったが、原爆の力、つまり結社の凄みだけは見せつけておく必要があったから、原爆を投下した。ただし、一義的にはアメリカの納税者のために、原爆の製造責任を果たし、そしてソ達に対しては威力を示すためだったのだが……。
日本は結社の目的を錯覚していた。その錯覚は結社にとっては好都合だった。支配を容易にするマインド・コントロールがきく「属国」が、さらに増えるという意味でだ。とはいえ、結社の世界戦略を見抜いた日本人たちもいた。が、こうした愛国心の強い日本人たちは、結社の世界戦略に加担する同胞たちから排除されてしまう。
次の一文は、結社の本質を知ったがゆえに疎外され、同胞の手で祖国日本を売り渡された「慚愧(ざんき)の念」を、神道家・渡部悌治が調査し、2003年に著した『ユダヤは日本に何をしたか』からの引用である。渡部は、1943年からユダヤ問題研究機関「国際政経学会」監事を務めてきた人物だ。長い引用になるが紹介しよう。結社の意気込みを敗者の側から語った一文である。
その国の民族から国家意識と民族感情を取り去り、いわゆる精神的国際人を作り上げる観想の法のひとつに、「心内の声を聴く」という心霊術系統の念法がある。聖霊主義を唱えるキリスト教諸派・終末論的無教会派などがこの流れを汲む。……(中略)……
心内の声を聴くには国境はない、という考え方は国家を脱する考え方にもなる。信教の自由を唱えるフリーメーソン結社はそこを狙った。心内の声によって国を失い、やがて来るべき神の子の天降りを待ち望むこと、これが旧約と新約の書であるキリスト教教典の示すところだ。
キリスト教会で使う児童向けの絵カードに、白衣に緋色の衿姿の少年が、天空から射る光の中に座した姿のものがある。イエスの再臨を表現しているのだ。これが昭和初期のキリスト教の《神の国運勤》であり、ユダヤの教会で説いていた《王の道を直(なお)くせよ》という意味だ。そして、《天降るべきユダヤの王》のために直(なお)くされた道とは、すなわち国際連合を意味するのである。
人種、民族、国境は人為にすぎず、国際連合によって主の道を直くし、そこにユダヤの王が天降るのだということは、とりもなおさずユダヤの世界支配を意味する。王の道を直くするためと称して、ユダヤは第一次世界大戦を勃発させた。だが、国際連盟を作り、各国に主権と軍備とを認めてしまったために、それは失敗に終わった。そこで、改めて第二次世界大戦を勃発させて第二次国際連盟、つまり国際連合を樹立したのである。昭和16年(1941年)2月の、世界ユダヤ人会議議長ゴールドマンの言明どおりだ。このゴールドマンの言葉を受けて、イスラエルの初代首相ベングリオンは次のように発言している。
「すべての国々は世界支配されるようになり、国際警察のもとに管理される。すべての軍隊は破壊され、もはや戦争は存在しない。エルサレムで本当の意昧での国際連合が、世界連邦のための預言者の神殿を造るであろう。これは世界連邦のすべての論争を解決するための人類の最高裁判所の座を占める」
それゆえに、ユダヤ・フリーメーソンとキリスト教とコミンテルン(国際共産主義)の3つは三位一体のものであり、これらに対して日本(筆者注:渡部悌治たちの国際政経学会)は、すでに早くから敵の正体を見据えていたのだ。
かつて国際連盟が開かれていたころ、その会合の開催される前日に必ずユダヤ会議が開かれ、その予備会談で決定されたとおりに本会議で議決されていた事実は、会議に参集していた各国の情報官によって伝えられている。
ユダヤと利害をともにすることができなかった国家群が、国際連盟を脱退しなければならなかった原因もここにあった。
キリスト教とユダヤ・フリーメーソンとコミンテルン――これらが歴史と伝統とを保持する国々に革命を起こして滅ぼし、敵対して自国と民衆との自立共存を念願していた国々を地上から抹殺しようとした理由もまた、この《主の道を直くする》ことの中に意図されていたのである。
《主の道を直くする》というユダヤの教理は、その後も永くキリスト教伝道の基調になっていたが、日本における《神の国運動》もユダヤ王の再臨を準備するということであって、賀川豊彦らがアメリカ共産党からの資金によって主唱していたものであった。
この運動も日本に敵国の内応者を養成する企みからなされたものだ。キリスト教の単なる信仰上の運動なら問題はなかったのだが、陰に隠された企みがあったのだ。この陰謀は、私が東北学院の神学生だったころ、御殿場の東山荘で開催されたキリスト教青年夏期講習会に出席し、講義内容と講師たちの密議から体験によって知りえたことである。
「日本人がユダヤの王の前に立つためには、日本という国家を背負った奢り高ぶったままの姿であってはならない。悔い改めによって遜(へりくだ)らなけれぱならぬ。日本人はそう簡単には国を捨てない。国を捨てさせるには、国そのものをなくしてしまえばよろしい。それは戦争によって負かすしかないのだ。日本が戦争に敗れて打ちのめされて初めて遜るようになるのである。そうなれば天皇の神格も地に落ち、国民も拠り所を失う。それによって日本も共和国となりうる」
以上が御殿場の講習会で交わされた密議の主旨だ。……(中略)……
賀川豊彦の近親の者が、《何が理由で収監されたのかわからない》と雑誌に書いていたが、(警視庁に)収監を進言したのは私だ。その理由は(前述の)密議の内容に基づいて、賀川が収監直前まで日本敗北の運動を鼓舞していたからだ。
アメリカ共産党のユダヤ人サムエル・ゴンバースとの関係を保っていた賀川豊彦らが、日本を《反戦ではなく戦争によって敗戦させ、それによって革命を実現する》というユダヤ・フリーメーソンの敗戦テーゼに従ったものであった。賀川らがアメリカ系共産党員としての本性を発揮して、日本の敗戦を目指した《神の国運動》を展開し、日本の革命を図ったという理由での収監であった。……(中略)……
日本覆滅の方策としてキリスト教フリーメーソンの立てた方策に、皇室にキリスト教を入れて日本国家を転覆させるという企てがあった。それには皇室内の関係者になるべく多くのカトリック信者を作り、四囲を固めて貞明(ていめい)皇后様を入信させるという陰謀だった。宮中をキリスト教で乗っ取る策謀である。
純正愛国陣営の口伝の中には、この貞明皇后様のキリスト教化が伝えられていた。私の心理にも永年、皇后様に対するわだかまりが消えずにいた。そこで、私は恩師、筧克彦氏に、宮中キリスト教化の件について事実を徽(しる)したところ返書があり、それには次のように記してあった。
「大宮様は日本の仏教のごとく基教(キリスト教)も日本化するようにとのお考えでありました。日本の神の信仰を排斥するような基教をご容認になるのではないことを為念申し添えます」
この書を得て、私は永年の心のくすぶりを拭いえて安堵した。貞明皇后様はご無事であられた。皇室キリスト教化の企ては、四囲の臣下の信者だけにとどまって皇族におよぶことなしに終わった。
だが、日本の命脈を絶つために画策された日米戦争の結果、ユダヤが夢見た日本の転覆が実現した。皇室にキリスト教が入ることとなり、内裏雛の並べ方まで左右が逆となった。行幸・行啓に際して、キリスト教ミッション・スクールヘのお立ち寄りも頻度を増した。ユダヤの陰謀のしたたかさである。大宮様への御念願も絶たれてしまったといえよう。
渡部翁と筆者は一度だけ会ったことがある。新宿の花園神社の一室でのことだったが、静かな物腰の中に、凛とした意志を秘めた姿が印象的だった。
ここでお断りしておくが、渡部翁がいいたかったことは、ユダヤ民族とキリスト教徒の全部が悪いという話ではまったくない。ましてや神道が格別によろしいということでもない。民族も信じる宗教も個人にとってはさまざまであり、邪悪だと批判される一部勢力が、そこに交じったことに問題があったと渡部翁は指摘している。
一部の同胞たちの錯覚によって失われた、民族の根幹を嘆いたひとりの日本人宗教家の慙愧(ざんき)の念なのである。
他民族ならびに国家の運命は結社が決めてきた。にもかかわらず、結社のその強力な意志を一部の日本人たちは安易に扱いすぎた。かつての日本も、結社と同じ「力の論理」から、自国の利益と安寧をアジア全域に求めた。が、所詮は腕力と知力を扱う点で、結社は日本の比ではなかったことにまでは思いがいたらなかったのは、そう思わせないように走り回った“同胞”がいたからだ。
日本は自国の運命を自ら決する気概には溢れていたが、結社とその悲願については無知だったのだ。その結果は明らかで、日本は、1945年の敗戦を契機に結社へ民族の運命を委ねてしまう。その逆に、日本を無知ならしめた“同胞”は、戦後の栄誉を独占する。たとえば、それは財閥の主であったり、各界の指導者またはノーベル賞受賞者だったりする。
● ミニ解説 ●
スパイ“ベラスコ”は文字どおりスパイを仕事とした人物です。しかも、ここで「結社」と呼ばれている「陰の超国家権力」の中枢に近い位置にいた人物で、そういう意味では「超スパイ」ということができます。今は故人となっていますが、著者はベラスコの生存中に会って、計画的に第二次世界大戦を起こした「結社」の目的等について有力な情報を得ています。
前作の『[超スパイ]ベラスコ』(徳間書店/1994年刊)が非常に面白かったので、迷わず購入した本です。ただ、どのページの内容も他のページと密接に関連していて部分的に抜粋するのが難しいため、当サイトでのご紹介は断念しておりました。ここに取り上げた内容以外にも、「えっ!」と驚くような内容が満載されています。世界情勢を理解する上での好著です。特に、世界の政治はアメリカやロシア、EU加盟国などの大統領・首相らの手によって動かされていると信じておられる方には“必読書”としてお勧めしたいと思います。
(なわ・ふみひと)