ナチスや満州国を最初に承認した国家=ヴァチカン市国 - 歴史・宗教
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ナチスや満州国を最初に承認した国家=ヴァチカン市国

「ローマ教皇とナチス」大澤武男



2004年の書である。
「ナチスのユダヤ人虐殺を知りながら止めようとはしなかった、当時の教皇ピウス12世~エウジェニオ・パチェリ」の行動に迫った書である。
以下、一部引用する。



*1919年4月18日付、国務長官ガスパリに宛てた書簡で、パチェリは次のように報告している。
「ミュンヘンで政権を握っている革命家M.レヴィエンの詰所は、筆舌に尽くし難いほど入り乱れていて、全く混沌としています。その汚さは吐き気をもよおさせるほどです。
・・・・・(中略)・・・・・
その革命家のレヴィエンは30から35歳ぐらいのロシアから来たユダヤ人で、顔は青白く、不潔で、薬の不正常用か目は赤く、喫煙中毒者のようなガラガラ声で、下品であり、いや気がさすような人物です・・・」
また同年4月30日付の報告では、「残酷なユダヤ系ロシア人革命家の暴政にバイエルンの首都は苦しんでいる」と記している。
これらの発言から明らかなように、パチェリはユダヤ人革命家への嫌悪をくり返し強調している。ここには、当時のドイツ社会でしばしば主張されていた「ユダヤ人はボリシェヴィキ革命の張本人である」という見解がはっきりと表明されている。

*おりしも屈辱感と窮状にあえぐドイツ国民のもとで、反ワイマール体制、反共、反ユダヤ主義を掲げたヒトラーの国粋主義宣伝は、急速に支持者を獲得していった。
このように第一次大戦後におけるパチェリのミュンヘン時代は、右翼・ファシズム運動が高まっていった時期であったが、他方、多大な犠牲者と破綻をもたらした戦争の惨状に対する反省は、人々の心に宗教的なもの、永遠なるものへのあこがれと情熱を喚起した。
・・・・・(中略)・・・・・
そして4月のワイマール議会は、1872年以来ドイツにおいて禁止されていたイエズス会の活動を認めた。恐慌に絶対の忠誠を誓い、宣教と宗教教育活動に専念するインテリ修道士の集まりであるイエズス会がドイツでの活動を再開したということは、ドイツにおける教皇の首位権の確立とドイツの教会の中央集権体制を実現しようとするパチェリにとって、大きな背後の支えとなったのである。

*1933年7月20日木曜日の午前、教皇庁の国務長官エウジェニオ・パチェリとヒトラー内閣副首相フランツ・フォン・パーペンは、ヴァチカンの国務長官室にて政教条約=コンコルダートに署名した。
・・・・・(中略)・・・・・
コンコルダートの締結により、ヴァチカン市国は、国際社会の中で、過激で危険なナチ政権を公認した最初の国家となった。

*ちなみにヴァチカン市国は、日本が中国東北部に建てた満州国(1932年。溥儀の皇帝即位は34年3月)も、ドイツやイタリアより早く(34年4月)承認している。




(管理人)
教皇ピウス12世をウィキで見てみる(抜粋)。



ピウス12世(Pius PP. XII、1876年3月2日 - 1958年10月9日)はローマ教皇(在位:1939年3月2日 - 1958年10月9日)、第260代ローマ教皇。本名はエウジェニオ・マリア・ジュゼッペ・ジョヴァンニ・パチェッリ(Eugenio Maria Giuseppe Giovanni Pacelli)。第二次世界大戦前後という未曽有の困難な時代に教皇庁の外交担当や教皇を務め、その間の対応には批判的な評価もある。ピオ12世とも表記される。
ローマで「黒い貴族」の家系に生まれる。パチェッリ家は教皇領政府で要職を代々占めた名門であり、祖父マルカントニオは副内務大臣を務め、バチカンの日刊紙『オッセルヴァトーレ・ロマーノ』の創刊に関った。父もローマ教皇庁の顧問弁護士であった上に、伯父はレオ12世の財政顧問だった。
パチェッリは1899年4月に司祭叙階され、ピエトロ・ガスパッリ枢機卿の下で働いた後、ヴァイマル共和政下のバイエルン州や中央政府に対する教皇使節を務めた。1917年にピウス11世によって枢機卿にあげられると、すぐ枢機卿国務長官(英語版)の地位に就いた。外交分野で活躍し、プロイセンやオーストリア、ドイツ諸邦との政教条約締結に大きな貢献をし、ヨーロッパやアメリカを頻繁に訪問した。また第一次世界大戦の終戦時には、ベネディクトゥス15世の意を受けて平和工作を行っている。
その中で、1933年7月20日にパチェッリの主導で教皇庁がアドルフ・ヒトラー率いるナチス党政権下のドイツと結んだライヒスコンコルダートは、ナチス党政権下のドイツにお墨付きを与えたものとして後に大きな批判を招くことになる。ただし条約の下交渉自体は大半が共和制時代に行われており、この条約は現在でも有効とされている。
バチカンの戦争中のユダヤ人への対応については賛否両論がある。
賛同者はピウス12世は積極的にユダヤ人を保護していたという。実際、イタリア敗戦に伴ってドイツ軍がローマを占領すると、多くのユダヤ人がバチカンで匿われ、バチカンの市民権を得ることができた。これによって戦後、イスラエル政府は「諸国民の中の正義の人」賞をピウス12世に贈っている。ヒトラーもカトリック教会やピウス12世を快く思っていなかった。イタリアの降伏(1943年)後、ヒトラーはピウス12世の拉致を計画したが、イタリアに進駐していた親衛隊大将カール・ヴォルフは悪影響が大きすぎるとして実行しなかった。
日本では大澤武男が批判的な立場にたった著作『ローマ教皇とナチス』においてピウス12世がナチス党政権下のドイツのユダヤ人迫害をはっきりと批判しなかった理由として、
• 教皇自身がドイツ赴任中にドイツ人への好感を培っていた
• キリスト教会の伝統的な反ユダヤ感情
• 宗教を否定する共産主義に対する防壁としてのナチス党政権下のドイツへの期待
• ナチス党政権下のドイツの暴力が無防備なカトリック教会に向けられることへの恐怖
を挙げている。ただし、『ローマ教皇とナチス』の大半はアメリカのジャーナリスト、ジョン・コーンウェルの著作『ヒトラーの教皇(Hitler's Pope)』を無検証に引き写した粗雑な取材に基づいており、研究者の間では一級資料とはみなされていない。






ウィキは分かりやすいね。
黒い貴族でしたか・・・
「イスラエル政府は「諸国民の中の正義の人」賞をピウス12世に贈っている」ですか・・・
この人物の正体は明らかですね。
この時代の教皇にこの人物が選ばれたのは、決して「偶然」ではないでしょうナ。
ヒトラーと同じく「役者」の一人に間違いありませんナ。
しかし、各々の「役者」がどこまで「真実」を知っていたのかというのは謎ですね。
「ユダヤ人はボリシェヴィキ革命の張本人である」という「真実」(厳密には偽ユダヤ人ですが)を語っているのですが、「その「ユダヤ人によって操られた共産主義」という奴も、あんたの出自である黒い貴族が作ったものじゃないのかい?」と、私は言いたいです。
分かっての発言なのか(=芝居)本当に知らなかったのかは微妙なところでしょう。
ところで、M.レヴィエンとは何者なんでしょうか?
あのレーニンとは別人のようですが、両人とも偽ユダヤ人であることは共通しているようですナ。

イエズス会がパチェリをバックアップしていたようですね。
まぁイエズス会も黒い貴族も似たようなもんですけどね。

最後に、ナチスも満州国もヴァチカンが最初に承認した国家なんですね。
ヴァチカンがどのような存在であるかは、これで分かりますよね。
あの戦争が八百長であったことも分かりますよね。
何?まだ分からない?
これまで八百長戦争については腐るほど証拠を上げていますので、適当に見返してみてください。
それでもご理解いただけない方には冷たいようで申し訳ないですが、以下のように述べるしかありません。

ご愁傷様です・・・


評点:60点





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