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コトダマとコトアゲにより計画された太平洋戦争?

「言霊 なぜ日本に、本当の自由がないのか」井沢元彦



1991年の書である。著者曰く「この本はいわゆる宗教書でもなければ予言の書でもない。むしろ、初めてコトダマという厄介な怪物に、科学と論理の光を当てたものだ。」とのことである。以下、一部引用する。


*コトダマとは何か、一言で言ってしまえば、それは「言葉と実体(現象)がシンクロする」「ある言葉を唱えることによって、その言葉の内容が実現する」という考え方のことだ。
もっと簡単に言えば、「雨が降る」と言葉を口にすれば、実際に「雨が降る」という考え方のことである。
もちろん、実際にはこんなことはありえない。なぜ雨が降るのか、それは気圧の変化による純然たる自然現象であることを、われわれは科学によって知っている。
しかし、古代の人びとは無論そんなことは知らなかった。そして言葉に一種の霊的威力(霊力)を認め、それを口にすることによって、その霊力を発動させ、その作用によって雨を降らすことができると考えたのである。
ここで肝心なことは、言葉に秘められたコトダマの力を発揮させるには、その言葉を口にする、すなわち声に出して発音しなければならないことだ。頭の中にしまっておいてはいけない。そこでコトダマを生かすためにはそれを口に出すという行為が必要になる、このことをコトアゲ(言挙げ)という。
コトアゲとは具体的に言えば、「雨が降ってほしい」という願望を実現させるために、「雨よ降れ」という言葉を口にする(発音する)ということになる。いや、必ずしも命令系でなくてもいい。「雨が降る」と口にしただけでも、その結果、コトダマの力が発動されて、実際に「雨が降る」。それがコトダマの世界である。

*本書の目的はコトダマの現代社会に与える影響についてなので、どうしてこういう信仰が生まれたかという点については、考察は専門の学者に委ねることにするが、この習俗はけっして日本だけでなく、古代には世界各地で見られた。たとえば、子どもが生まれるとわざと汚い名前をつける。あまりよい名だと鬼神が目をつけ、その子の命が危うくなるからだ。無事成長すれば、よい名に変えることは言うまでもない。
日本でも、歴史上有名な例がある。豊臣秀吉は淀君との間にようやく生まれた男子に、はじめ棄丸(すてまる)と名付け、後に鶴丸(つるまる)と呼んだが、この子はわずか3歳で死んでしまった。そこで次に生まれた子には拾丸(ひろいまる)とつけた。しかも絶対に呼び捨てにせよ、「お」の字をつけて「おひろい」と呼んではならぬ、と厳命している。
ここで呼び捨てにするのは、コトダマ的にはひどいあつかいをすることによって、災いを避けようとする意識が働いている
。逆に成人して本当の名を名乗れば、その名は絶対に呼び捨てにしてはならない。いや、そもそも口にすること自体許されなくなるのである。
中国・朝鮮・日本を通じて、東アジア世界では、人の実名を呼ばないという習慣があった。では呼びたい時どうするかと言えば、通称や役職名をもってこれに代えるのである。中国では通称を「字」(あざな 以下アザナと表記する)という。中国最大の詩人李白のアザナは太白という。ここで注意してほしいのは、李白と同時代の人間は、李白を李太白と呼び、けっして李白とは呼ばなかったということだ

*では日本ではどうか。日本でも名前(実名)を呼ばないという習慣は守られた。そのことは実名のことを「諱(いみな 以下イミナと表記する)ということでも分かる。忌み名、だろう。忌む、とは避ける・遠慮する・憚ることだ。明治以降、日本に本当の意味でのイミナはなくなったので、イミナというものがどういうものか、分からなくなったようだ。
簡単に説明するために、江戸時代の名奉行・遠山の金さんにご登場ねがおう。金さん、姓は遠山、通称は金四郎、イミナは景元(かげもと)である。役職は江戸町奉行、官位は左衛門尉(さえもんのじょう)。つまり、遠山金四郎景元というのが彼の正式な名だ。
しかし彼が生きていた時代、人からこのように呼ばれたことはまずないだろう。まず彼と親しい人間、竹馬の友や朋輩(ほうばい)は、彼を「金四郎」あるいは「遠山」と呼ぶ。役所に出勤すれば「お奉行」、あるいは「遠山様」だろう。江戸城に登城すれば「遠山左衛門尉様」、同僚ならば「左衛門尉殿」あるいは「遠山」と呼ばれる。この場合、たとえ老中でも「景元」とは言わない
相手が老中でも、そう呼ばれたら金さんは怒るだろう。また怒ってもいいのである。少なくとも抗議はできる。なぜなら金さんと老中は、身分の差はあっても、同じ将軍の家臣だからだ。「景元」と呼べるのは、主人である将軍か金さんの父母ぐらいで、あとは罪を犯して罪人になった時に呼び捨てにされることがあるかな、というぐらいのものだ。
・・・・・(中略)・・・・・
また、古代社会で女性の名が記録されていないことも、実はコトダマ信仰に原因がある。紫式部や清少納言が単なる愛称で、本名は伝えられていないことはご存知だと思う。そのほかにも「藤原道綱(みちつな)の母」「藤原孝標(たかすえ)の女(むすめ)」という表現もあった。進歩的歴史家や女性史研究者は、これは日本における女性差別の実例と言っているが、本当は違う。これはむしろ女性保護なのである。女性の名を、みだりに明かしてはならないのだ。
かよわい女性の実名をうっかり知らしめれば、どんな災難がふりかかるかわからない
。もちろん、同時代の人間も女性のイミナを呼んだり書いたりすることは慎んだに違いない。そのうちに分からなくなってしまったのだろう。この時代の女性の名で記録されているのは、皇后として皇室系図に記載された高貴な女性か、あるいは日記などに登場する下層階級の女性かで、あとは分からない。


*「中国における権益問題でアメリカと対立した日本政府は、内政に対する国民の不満をそらす意図もあって、対米開戦を決意する。開戦当初、日本はアメリカより海軍力においてやや優位にあり、その優位を維持し選挙区を有利に展開しようと、海軍はフィリピンに奇襲攻撃をかけマニラを占領し、西太平洋の制海権を握る。しかし、生産力に優るアメリカが海上封鎖による持久先方をとり、中ソ両国も反日に転じ、戦局は逆転する。そして艦隊主力をもって行なわれたヤップ島沖海戦でも日本は敗北し、アメリカはグァム島など南洋の島々を次々に占領し、日本側守備隊は全滅する。さらにマニラも奪い返される。この間、ソビエトは樺太に進攻、これを占領し、中国軍は南満州を支配下におく。ついに内閣は総辞職するなか、アメリカの爆撃機が東京上空に襲来し、爆弾を投下する。ここにいたって日本は、アメリカ側の講和勧告を受諾し、戦争は終結する
これは、昭和16年(1941年)から昭和20年(1945年)までの間に、この国で実際に起こったことである~もしそう言えば、おそらくあちこちで抗議の声が挙がるだろう。事実が違っていると。
・・・・・(中略)・・・・・
実は、これは予言なのである。いやけっして非科学的なものではない。より正確に言うならば、シミュレーションの手法を用いた未来予測だ。問題はこの未来予測が発表された時期である。なんと、太平洋戦争開戦の昭和16年よりも17年も前の、大正13年(1924年)に発表されているのだ
大正13年というと、関東大震災の翌年であり、日米関係でいえば、米国議会で日本人移民を禁止する移民法が可決され、ようやく日米対立のきざしが見え始めたころである。第一次世界大戦からは10年ほど経過している。しかし、大恐慌(昭和4年)はまだだし、ロンドン軍縮会議(昭和5年)もまだ、満州事変(昭和6年)もまだだから、満州国もできていないし、当然「15年戦争」も始まっていない。
それどころかこの年には、幣原喜重郎が外務大臣に就任し、以後日本政府は「協調外交」(幣原外交)路線を採ることになる。その内容は、主力艦建造の比率等において英米に譲り(これが右翼・軍部から軟弱外交との批判を招いた)、社会主義の政体であるためこれまで承認していなかったソビエトを国と認め、外交関係を樹立する、というものであった。いわば「全方位外交」であり「軍縮路線」でもあった。こんな空気の中で、この未来予測は発表されているのである
予測者はイギリスのヘクター・C・バイウォーターという軍事評論家である。その発表の意図は必ずしも明確ではないが、予測の内容がきわめて正確であったことは歴史が証明している。ところが、私の知る限り、この予測はあまり「有名」ではない。歴史に詳しい人、戦争中実戦に参加した人でも、この予測のことを聞くと知らない人が多い、いやほとんど知らない。おそらく読者も初耳の人がほとんどではないか。
では、この予測は英米の一部でひっそりと発表され、日本では注目されなかったのか。とんでもない。ただちに数種の翻訳が出版され、ベストセラーになったということは、多くの国民・軍関係者にも読まれたということである。それなのに、なぜこの予測は記憶されないのだろうか。もし、私が「平和教育」をするために歴史の教科書を書くとしたら、まずこの予測から始める。大正13年の時点で、これだけ正確に予測され、しかも広く知られていたのに、なぜ戦争の勃発を防ぐことが出来なかったのか




(管理人)
著者の書を読んだのは今回が初めてである。何故に読んだかというと、「言霊」というものに関心を持ったからである。
言霊をウィキから見てみる。


言霊(ことだま)とは、一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。言魂とも書く。清音の言霊(ことたま)は、森羅万象がそれによって成り立っているとされる五十音のコトタマの法則のこと。その法則についての学問を言霊学という。
声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。そのため、祝詞を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。今日にも残る結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくものである。日本は言魂の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸ふ国」とされた。『万葉集』(『萬葉集』)に「志貴島の日本(やまと)の国は事靈の佑(さき)はふ國ぞ福(さき)くありとぞ」(「志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具」 - 柿本人麻呂 3254)「…そらみつ大和の國は 皇神(すめかみ)の嚴くしき國 言靈の幸ふ國と 語り繼ぎ言ひ繼がひけり…」(「…虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理…」 - 山上憶良 894)との歌がある。
これは、古代において「言」と「事」が同一の概念だったことによるものである。漢字が導入された当初も言と事は区別せずに用いられており、例えば事代主神が『古事記』では「言代主神」と書かれている箇所がある。
自分の意志をはっきりと声に出して言うことを「言挙げ」と言い、それが自分の慢心によるものであった場合には悪い結果がもたらされると信じられた。例えば『古事記』において倭建命が伊吹山に登ったとき山の神の化身に出会ったが、倭建命はこれは神の使いだから帰りに退治しようと言挙げした。それが命の慢心によるものであったため、命は神の祟りに遭い亡くなってしまった。すなわち、言霊思想は、万物に神が宿るとする単なるアニミズム的な思想というだけではなく、心の存り様をも示すものであった。


確かに知らず知らずのうちに、日本人は「コトダマ信仰」を持っていると思われる。分かりやすい例を挙げれば、受験生を持つ家族は、「オチル」とか「スベル」という言葉を発することは禁句となっている。実際には、言葉を発したことが受験の結果に左右されるはずはないのだが、万一不合格になってしまうと、「お母さんが縁起の悪いことを言ったからだ」と、言われてしまいかねない。これがいわゆる「コトダマ信仰」であろう。

どちらかというと、コトダマ及びコトアゲは、マイナスの作用の原因として使われることが多いようである。著者は、結論から言えば、「コトダマ信仰を棄てて現実主義を採るべきである」と、主張をされているが、コトダマ信仰を全く捨て去るというのも考え物だとも感じる。一言で、「コトダマ=迷信」とも言えないのではないだろうか。科学的ではないのだろうが、「実際に声を発する」、さらに飛躍すれば「言葉+なんらかの動作を伴って念じる」ことによって、「本当に念じたことが起こってしまう」ということも有りえるような気もする。いわゆる呪術というやつだ。日本では陰陽師等が行なっていたまじないの類、西洋では占星術、またはイルミナティの大好きなカバラといったところだろう。「彼ら」があれだけ魔術や数字に拘るのは、実際にそういった行動をとることで「成し遂げられる何か」があるからであろう。

しかし皮肉なことに、私が感じたこの書の最大の注目点は、主題である言霊のことではなく、私の現在の最大の関心事である「太平洋戦争の秘密」に関する箇所であった。言霊についての知識を求めてこの書を読んだにも関わらず、偶然この史実に触れてあったのである。前回読んだ書と繋がる箇所が、“偶然”この書に書かれていたのは一体全体どういったことなのだろうか?これこそ、コトダマかカバラが原因であるのか訳が分からないが、実に不思議なことである。そうです。例の「フリーメーソンであった幣原喜重郎問題」が、言霊を扱っているこの書に“偶然”登場したのです。

前から当ブログを見てくれている方ならもう理解されているとは思いますが、著者はこの記述を未来予測と記されていますが、当然これは予測ではなく未来計画であったのでしょう。「日本海軍のフィリピン奇襲攻撃」が「ハワイ奇襲攻撃」、「ヤップ島沖海戦で日本が敗北」が「ミッドウェイ海戦で日本が敗北」に変更されたぐらいで、ほとんど“計画通り”のようにコトが運ばれたようですナ。
さらに付け加えますと、今まで記事にはしていませんでしたが、アメリカが日本と戦争をするための計画であるオレンジ計画というものを1919年に立案していたのです。
はい!皆さん、これだけ証拠を提示したら、あの戦争が綿密に計画された八百長であったことを理解していただけるでしょうカ。(ここで「カ」はいらん(笑))
こういった史実は、当然のごとく、「彼ら」によって作られた歴史教科書には一切載せられていないようですネ。本当は、「こういった史実こそが、子供達に一番に教えておかなければならないことだ」と、私は思いますが・・・。
歴史通の皆さん、これらの史実が偶然起こったとおっしゃるならば、その証拠とやらを逆にお見せしてもらいたいものです。学校やテレビ・マスゴミによる洗脳歴史教育に騙されていた大多数の方は別として、こういった史実を無視して教科書どおりの歴史を講釈している「自称歴史通とのたまう方」、さらに酷いことには「嘘の歴史を講釈して金銭を受領している方」は、「救いようのないオバカ」か「イルミの走狗」であると私は断言します。

太平洋八百長戦争のシナリオを整理してみます。(詳細はアドレスを貼っておきますので過去記事を見てください。)

1、 1918年、モスクワのイルミナティ大会により「日支闘争計画書」が作成される。
    http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-260.html

2、 1919年、アメリカで「オレンジ計画」が立案される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E8%A8%88%E7%94%BB

3、 1924年、イギリスのヘクター・C・バイウォーターの「未来予測」発表(当記事)。

4、 1930年、幣原喜重郎が「ロンドン海軍軍縮条約」を締結する。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-268.html

5、1936年、「二.二六事件」が起こされる。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-463.html

6、 1941年、日本海軍が「真珠湾攻撃」決行。太平洋戦争勃発。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-270.html

7、 1945年、広島と長崎に原爆が投下される。ポツダム宣言受諾。日本敗戦。幣原喜重郎が戦後初代の内閣総理大臣となる。
  http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-46.html

8、1945年、「8.15宮城事件」が起こされる。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-536.html



こうして振り返って見ると、「太平洋八百長戦争」を勃発させるために、戦前に作成された計画書なり、未来予測なるものは、すべて「彼ら」が発した「コトダマ」であり、「コトアゲ」であったのかもしれませんナ。


評点:60点




言霊―なぜ日本に、本当の自由がないのか (ノン・ポシェット)言霊―なぜ日本に、本当の自由がないのか (ノン・ポシェット)
(1995/12)
井沢 元彦

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