殺すなかれという戒律はキリスト教徒だけに適用する - 歴史・宗教

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殺すなかれという戒律はキリスト教徒だけに適用する

「イエズス会とキリシタン大名による日本人奴隷貿易の真実」


先日、紹介した「信長と十字架」におけて、「戦国時代に何故、キリシタン大名があんなに多くいたのか?」との疑問を提起したが、その理由を以下のようにまとめた。「イエズス会が、鉄砲の火薬の原料である硝石と引換えに、日本人女性を奴隷として海外に売り飛ばしていた事実があった。そして、その硝石欲しさのために、地方大名がイエズス会と懇意になって、自身の地位・武力・財力を手に入れるための手段として、実際に日本人女性を騙したり、拉致したりして、イエズス会に引き渡した。地方大名は、①イエズス会と懇意になるため。②キリスト教の美辞麗句を利用して日本人女性を騙すため。以上、2点の理由で“キリシタン大名”となった方が“商売”がやりやすかったため、戦国時代にキリシタン大名が多かった。」と、私は推察する。(②に関しては、全く私の推察である。)
学校や教科書が絶対教えない真実の日本史であろう。
昨日、「濃姫Ⅱ」が放送されていたが、当然のごとく、比叡山延暦寺の焼き打ちの場面でも、イエズス会のイの字も出てなかった。何も知らない一般人は、信長が、その無鉄砲な性質ゆえに、あのようなトンデモ事件を起こしたのだと思うのだろう。
イエズス会と日本人奴隷貿易及び、秀吉が何故バテレン追放を行ったのかをまとめたブログと、イエズス会とバチカン及びフリーメイソン・イルミナティとの関連を告発した動画を紹介する。
イエズス会と日本史の真実を理解し、家族・友人・知人に伝えて欲しい。



http://takao-sato.seesaa.net/article/275203897.html
「これから来る君へ」様より
■イエズス会の正体①
フリーメーソンに続いては、バチカンについてみていきたいと思います。
バチカンは、ローマ・カトリック教会と東方典礼のカトリック教会の中心地で、いわばカトリックの「総本山」です。
バチカンの統治者はローマ教皇であり、ローマ教皇庁によって統治されています。
バチカン市国の面積は0.44平方kmと、ほぼ東京ディズニーランドと同じくらいの世界最小国ですが、中国にも匹敵する10億人以上の信徒を全世界に有している一大勢力であり、また、信徒の中には国家元首クラスがたくさんいるので、その情報力および外交力そして影響力は世界でもトップクラスなのです。
『アメリカ ネオコン政権 最期の強敵
バチカン』によれば、そのようなバチカンの重要性を最も認識していたのは昭和天皇であり、太平洋戦争勃発のおよそ二ヶ月前に、当時の木戸幸一内大臣に「今度の戦争は避けられそうにないが、いよいよ戦争になった時は、どのように和平工作を進めるのか、今から考えておくように…。そのためにはバチカンと国交を結んでおくことは必要なことなので、すみやかにその手配をするように」と密命を与えたということです。
昭和天皇が誰よりも国際情勢に精通していたことをうかがい知ることができるエピソードではないでしょうか。
さて、そんなバチカンを支える強力組織がイエズス会*1です。
※イエズス会については『キリスト教は植民地支配の先兵だった』もご参照ください。
以下は『天皇のロザリオ』(鬼塚英昭著)から引用です。
イギリスの歴史家ジョージ・サムソン卿は『日本-文化小史』の中で、あるスペイン船長の話を書いている。日本との取引交渉に難渋するスペイン船長に、日本人が「スペイン国王はどうしてこれだけの領土を支配できたのか」と質問した。その船長は簡単なことだ。原住民を改宗させるために宣教師を送り込む。改宗者が十分そろったところで軍隊を送り、改宗者が現地政権に反抗するようにしむける。そしてスペインが占領するのだと答えた。
1549年にキリスト教を伝えるため来日したイエズス会宣教師フランシスコ・ザヴィエルの隠れた使命も、日本の占領にあったのでしょうか?
小岸昭(京都大学教授)の『十字架とダビデの星』の中に、ザヴィエルが描かれている。
「旧キリスト教徒の高位聖職者たちは、マラーノを正しい信仰に背いた「呪われた者」としてマラーノ憎悪を煽り立てていた。大航海と植民の拡大政策による国家の経済的発展とともに、いちじるしく力をつけてきた信仰中間層を封じ込め、かつカトリック王国を宗教的に浄化する必要を痛感していたジョアン三世は、1536年、ついに異端審問所を開設するに至った。この時、火炙りの刑に震えおののいた改宗ユダヤ人のなかに、祖国を脱出し、新天地たる黄金のゴアに向かう者が少なくなかったのである。」
小岸はマラーノについて、「追放か洗礼かを迫る十五世紀末の『ユダヤ教徒追放令』により、キリスト教に改宗したイベリア半島のユダヤ人たち、表面上には〈十字架〉に帰依するように見せかけながらも、心の奥底で密かに〈ダビデの星〉を信じ続けた彼らは、異端審問所の執拗な追及に怯え、『マラーノ』(豚)と蔑まれながらやがて世界中に離散していく。ヨーロッパはもとより、ブラジル、インドへ…」と書いている。
ザヴィエルは、ポルトガル系のユダヤ人のマラーノである。ポルトガル系ユダヤ人は香辛料や金銀を求めて、世界的な貿易に乗り出していた。マラーノのザヴィエルは、イエズス会の会員にして貿易商人でもあった。
<中略>
『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』から彼の信仰と思想を見ることにしよう。
「神父が日本へ渡航するときには、インド総督が日本国王への親善とともに献呈できるような相当の額の金貨と贈り物を携えてきてください。
もしも日本国王が私たちの信仰に帰依するようなことになれば、ポルトガル国王にとっても、大きな物質的な利益をもたらすであろうと神において信じているからです。
堺は非常に大きな港で、たくさんの商人と金持ちがいる町です。日本の他の地方よりも銀か金がたくさんありますので、この堺にポルトガルの商館を設けたらよいと思います。」(『書簡集』第93、ゴアのアントニオ・ゴメス神父に宛てて、1549年11月5日、鹿児島より)
それでは「書簡第九」を見てみよう。ザヴィエルが商人であることを知ることができる。
「それで神父を乗せて来る船は胡椒をあまり積み込まないで、多くても80バレルまでにしなさい。なぜなら、前に述べたように、堺の港に、ついた時、持ってきたのが少なければ、日本でたいへんよく売れ、うんと金儲けができるからです。」
堺は十六世紀中葉、日本の商業の中心地であった。
ザヴィエルは1551年、堺に三万クロサド以上の財産がある商人たちは1000人以上いると推定した。
80バレルの胡椒は、インドで976クルサドの価であったが、日本に来ると三倍になった。
<中略>
「書簡第九十四」は、ヴァスコ・ダ・ガマの子のペトロ・ダ・シルヴァに宛てた手紙である。その手紙は次の文で終わる。
「もし、閣下が私を信頼してくださって、この地方に送る商品の管理を私にご一任くださるなら、私は「一」から「百」以上に増やすと断言します。」
 こうしてみるとザヴィエルはポルトガルの経済戦略の先兵隊員ではあったようです。
 そして、このザヴィエルが貿易の目玉としたのは、火薬の原料となる“硝石”でした。
「徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録がのっている。(二版では憲兵命令で削られた)
「キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいばかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし。」
<中略>
キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが天正少年使節団としてローマ法王のもとにいったが、その報告書を見ると、キリシタン大名の悪行が世界に及んでいることが証明されよう。
「行く先々で日本女性がどこまでいってもたくさん目につく。ヨーロッパ各地で50万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。
鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。
 ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている。」
(山田盟子『ウサギたちが渡った断魂橋』)
キリシタン大名は、火薬一樽で50人を奴隷として差し出したとのことです。また、キリシタン大名は、硝石欲しさに仏像や寺社の破壊も行ないました。
イエズス会のバテレンのルイス・フロイスの『日本史』の記述を読むと、大友宗麟の姿が見えてくる。この『日本史』は、1583年の秋からフロイスが編集した日本におけるイエズス会の布教の歴史である。
大友宗麟が織田信長に鉄砲や火薬を仲介する商人の姿が書かれている。宗麟は貴族の久我晴通に、禁裏(天皇)へのバテレン優遇の奏上を依頼している。
信長が仏寺破壊を行なって、フロイスは祝意を表明している。バテレンは宗麟にも仏像・寺社破壊を奨励した。
 宗麟は1561年に宇佐八幡宮を焼いたのをはじめ、領内の仏像・寺社破壊をなした。1581年10月8日に、豊前彦山の三千坊といわれる坊舎を焼いた。

 宗麟はヴァリニャーノに「このたびの勝利が、デウスの御業と司祭たちへの祈りの賜である」と伝えた。その報酬として、イエズス会は宗麟の武器援助の要請に応じた。
さて、次に鹿島曻の『昭和天皇の謎』の中の一文を紹介する。
「ポルトガルとオランダが諸大名に火薬を売りつけたために日本は戦国時代になった。信長のキリシタン擁護が腰砕けになったため、宣教師は明智光秀に新式火薬を渡して、信長殺しに成功するが、そのうち秀吉の鎖国政策を嫌った宣教師たちは朝鮮征伐には火薬を供給せず、そのために秀吉の外征は失敗に終わる。
しかし、このとき国内にいて火薬を温存させた徳川がのちに政権をとることができた。
 家康は火薬の流入が日本に戦乱を引き起こしたことを十分承知しており、鎖国の狙いはキリシタン禁制そのものでなく、火薬流入の禁止であった。」

鹿島曻は、明智光秀が織田信長を殺したとしていますが、八切止夫はイエズス会が火薬で信長を吹っ飛ばしたとしています。
☆八切止夫作品集は下記で読むことができます。
http://rekishi.info/library/yagiri/
何故、神の使者であるはずの彼らが、このような残虐行為をおこなえるのでしょう?
その答えは、次の逸話の中に集約させているように思います。
大航海時代の一時期、航海者たちはローマ法王に「異教徒は人間なのか」と問い合わせ続けた。法王の答えは一定していた。
「殺すなかれという戒律はキリスト教徒だけに適用する」
実に恐ろしきは“一神教”の偏狭さ也、ですね。
(つづく)
*1:イエズス会は、カトリックとしては二番目に大きな修道会。2万人の会員が112カ国で活動しています。ちなみに、一番大きな修道会は『ダ・ヴィンチ・コード』で有名となったオプス・デイです。
[コメント]
# kaihuuinternet
『昔々、ある日の新聞募集で幅1センチほどのそれに、八切止夫さんが求人で、電話したことがあった。ペンネームかともおもったが、それきりだった。「キリシタン大名」は、点訳講座が終了して、点訳奉仕で受講者が選べる本の中の一冊ではあった。でもそれ以上の参加はしなかった。戦後愛盲のタイプライターが普及の時期があり、現在はインターネットで彼らはパソコンやケータイのメールで全国的にサークル活動している。』
# noharra 『「ザビエルはポルトガル系の改宗ユダヤ人( マラーノ)」という記述も誤り。ザビエルはバスク貴族の家系で、マラーノではない。 ...」
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/
5a197e856586baf726f6a0e68942b400


■イエズス会の正体② 06:55
米国のプロテスタント派キリスト教徒エリック・ジョン・フエルプスの著書『バチカンの暗殺者たち』より引用します。
イエズス会の目的を想起せよ。彼らは極東、とりわけ日本の占領を企図した。まず最初に宣教師が来た。それから外国の軍隊がやってきた。
日本占領の意図をもってフランシスコ・ザビエルが1549年、日本に到着するとイエズス会士たちは“大名”と呼ばれる日本の貴族多数をキリスト教に改宗させた。イエズス会士たちはそれから大名たちを扇動して何百という仏教寺院を破壊せしめ、さらに仏教の僧侶たちを虐殺させた。
しかし、神の子(イエス・キリストのこと)は、ひとりのプロテスタント派キリスト教徒の船長を皇帝の将軍の宮廷に送った。ウイリアム・アダムスが、イエズス会士たちによって殺害されようとするその寸前に、将軍家康はアダムスを助け出した。
家康は十分な時間をかけてこの船員アダムスと会談し、アダムスの話を聞いた。
そこで家康はイエズス会の歴史が血にまみれていることを知った。西インド諸島原住民皆殺し、そしてスペインにおける異端審問についても。
その結果、この英国人は、異例の恩寵を与えられ、武士に取り立てられた。
将軍家康は、そこで、イエズス会および彼らが構築したトレント公会議によって指導されるローマ・カトリック教会首脳部と法王の政治的行動計画に対して反撃することにした。すなわち、
「家康は、その治世の最初から、彼の帝国を組織し、統合するとともに、彼の権力を外国の陰謀家たちに適切に対抗できるように建設した。1606年、彼はキリスト教布教活動禁止令およびキリスト教徒棄教令を公布した。家康の言うキリスト教徒はこの場合、ヴォルテールの“その土地土着原住民の政府を打倒してそこに宗派的支配権を打ち立てることを合図とするローマの悪名高き陰謀システム”を意味する」
徳川将軍がこの事情を理解したので、家康、秀忠、家光はイエズス会士とその手先たち、スペイン人、ポルトガル人を追放した、
プロテスタント派のオランダ人に1854年まで日本との貿易の独占権を与えた。1614年、家康は、彼の嫡子秀忠の名において、“キリスト教”を非合法化し、イエズス会を追放する法律を公布した。
1622年、多数のイエズス会士が、国家反逆罪によって死に処せられた。
1624年、スペイン人、ローマ・カトリック教は、家光の命令によって禁止された。それはなぜか。
「切支丹(イエズス会)は、致命的に危険な教義を海外に広め、真実の宗教(仏教)を根絶し、(日本の)政府を打倒し、彼ら自身を全帝国(日本のこと)の主人たらしめるために策動して来た」
そして彼ら(イエズス会)の目標は何か?
イエズス会の目的は、中国の征服以下のものではあり得ない。
 そしてイエズス会の神父たちは、日本の支配者の車に乗って北京に入城する希望をずっと以前から抱いていた。


イエズス会の正体③ 引き続き『バチカンの暗殺者たち』(エリック・ジョン・フエルプス著)より引用します。
(徳川将軍の切支丹禁止令の結果として)イエズス会は、日本からその後250年間追放された。
そしてその措置が日本民族に対して、技芸と、反映と、平和とをもたらした。
将軍は彼の家紋も、日本の国家民族も、そのことのために手ひどい仕返しをされるであろうとは、ほとんど予知することが出来なかった!
常時謀略が企てられ、永遠に報復が仕掛けられる。1854年、イエズス会はペリー准将の率いるアメリカ艦隊を使って日本を開国させた。
その古き敵に対して復讐するために、イエズス会は外国勢力を使って、1868年の革命を作り出した。徳川将軍は“権力を不法に簒奪した者”という悪名を付けられ、辞職するように強制され、徳川将軍家は15代で終焉した。
将軍家を追放した後、イエズス会は、天皇崇拝を復活させ、東京に、イエズス会の将棋の駒たる明治天皇を頂点とする中央集権国家を樹立した。
1873年、キリスト教禁止令が撤廃されるや、イエズス会は公式に日本への入国を許可された!1874年、イエズス会宿命の敵たる仏教は、正式にその特権を剥奪され、天皇はもはや、長年の国教であった仏教を保護することをやめた。
この新しい絶対権力をもって、1945年までその“教会の日本刀”を行使する。彼らは天皇の軍隊をもって、イエズス会の二つの旧敵、すなわち中国(1895年)、ロシア(1905年)に対する戦争を起こさせた。

北京の満州王朝は1700年代にイエズス会を追放し、モスクワのロマノフ王朝の皇帝は1820年に同じことをしたではないか。
1941年、日本人が報復を受けるべき時が来た。ローマのイエズス会は総長の監督下で、東京のロヨラの息子たち(イエズス会の兵士たち)は、米国と日本の間の戦争を作り出す。
フリーメーソン、シュライナー位階によるルーズベルト大統領が完全に承知している状況の中で、真珠湾は東条の日本艦隊によって爆撃される。

そして、それは全米国民に惨劇の嵐を巻き起こす。(米国)議会は、この謀略にうまうまと嵌められて、対日宣戦布告を議決する。
天皇は、彼の絶対君主制を失った。太古からの文化を保有する日本は破壊され、日本人は国家的敗北の結果、未曾有の屈辱を受けた。
そしてそれからイエズス会は、日本をハワイのように彼らのアメリカ帝国に併合し、その保護と繁栄が完璧にワシントンDCに従属する如き、社会主義的商業的植民地を造り出した。
親愛なる真実の探求者の皆さん。これこそまさに1868年から1990年に至る時期に生じたことである。
イエズス会は、明治天皇と彼の孫、昭和天皇を通じて日本の軍隊を思いのままに動かし、1911年満州王朝(清帝国)を廃絶せしめ、第二次世界大戦中、1945年まで『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』に述べられている如くに、中国人民を掠奪暴行し、大量に虐殺した。
それから1949年には、イエズス会は、彼らの支配する英国、アメリカ、ロシア帝国をして、中国の大異端審問官毛沢東を権力の座に就けた。
そして彼はイエズス会の指令にもとづき、“共産主義”の名の下に、彼自身の国の人民を五千万人、虐殺した。

冷たい戦争の勝利者となったイエズス会総長は、極東の絶対権力者の地位に就き、厖大な兵力を有する中国軍という強力な、新しい“教会の剣”を彼の手に持って登場した!
イエズス会総長の手の中に在るこの軍隊(中国軍)は、いずれの日か、(ローマ)法王の所有するアメリカ帝国によって先進技術を供与され、十二分な食糧支援を与えられて、日本、韓国(および北朝鮮)、台湾、マレーシア、武装解除されたオーストラリアを併合するであろう。










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