「生贄を要求する神」の正体は?
2014年の書である。以下、一部引用する。
*ここで興味を引かれるのは、『日本書紀』の神武天皇の東征の中にも、ヤマト建国前後の首長層の「統治形態」を知るための貴重な証言が残されていることだ。
・・・・・(中略)・・・・・
神武天皇の夢枕に神が現れ、「天香久山(あまのかぐやま)(大和三山のひとつ)の土を採ってきて土器を造り、神に贄(にえ)を捧げ、みずからも食せば、敵を打ち負かすことができる」という。そのとおり実行すると、神武天皇は「負けぬ体」になったことを確信するのである。
*鎌倉時代の僧・通海(つうかい)が伊勢神宮に参拝したときの話に、斎王の寝床の上には毎朝必ず蛇のウロコが落ちていたといい、伊勢の神が通ってくるからだという噂を書き留めている(『通海参詣記』)。
「通ってくる蛇」といえば、『日本書紀』の倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)とそっくりだ。第10代崇神天皇の時代、大物主神が憑依した巫女である。
倭迹迹日百襲姫命は夜しか通ってこない夫(大物主神)の姿を見たくなり、懇願した。すると大物主神は「明朝、櫛笥(くしげ)に入っていようと思うが、姿を見ても驚かないように」と釘をさした。はたして翌朝、櫛笥を開いてみると、そこにいたのは美しい小蛇(こおろち)だった。
なぜこれほど、伊勢と三輪の神をめぐる伝承がそっくりなのだろう。それは伊勢の神が男神だったからではなかろうか。
伊勢斎宮に未婚の皇女が差し向けられ、伊勢神宮の秘中の秘「心の御柱」を童女(大物忌(おおものいみ))だけが祀ることができたのは、みな「伊勢の神が男神だったから」と考えると、辻褄が合ってくる。大嘗祭で天皇が天の羽衣を着て女装したのは、天皇の祀るもっとも大切な神・天照大神が男神だったからだろう。
*古代人にとって「神」は災厄をもたらす「鬼」だったのだ。だから、災厄から逃れるには神をなだめすかすしかない。そのために、もっとも有効な手段は何か。それがハニートラップだったようなのだ。
神話の中でスサノヲは天上界から出雲に舞い下り、「八岐大蛇(やまたのおろち)退治」をしている。
毎年一人ずつ娘を奪われ、今年は最後の一人だという。それが奇稲田姫(くしなだひめ)で、スサノヲは八岐大蛇を酔わせて斬り殺す。ちなみにこのとき八岐大蛇の尾から出てきたのが天皇家の三種の神器のひとつで、現在も熱田神宮(愛知県名古屋市)に祀られる草薙剣(くさなぎのつるぎ)である。
神話の設定は八岐大蛇が娘を奪いに来ることになっているが実際には、娘は人身御供として差し出されたのだろう。これが「巫女」の原初の姿と考えられる。恐ろしい神を鎮めるために女性が必要だった。太古の日本では生贄にされていたのだろう。
そしてスサノヲは人身御供を改め、新たな祭祀を出雲で提案したのだろう。すなわち、女性を「祟り神」に捧げる代わりに、女性(皇子)が神と性的な関係を結び、神をなだめすかすという祀り方である。
*歴代天皇の菩提を弔う泉涌寺(京都市東山区)では、天智天皇と光仁天皇に挟まれた天武系王家を無視して菩提を弔っていない。天智系と天武系の確執は重く長い歴史を引きずっているのだ。
(管理人)
久々に著者の書を読んだ。
「天皇と鬼」に関する著者の書は、以前にも紹介している。
節分の日の前日に「鬼の話」を紹介するのは、決して「偶然」では「ある」(笑)
本書の内容とは異なるが、どうやら「鬼の正体」は、外国勢力から住居を奪われ僻地へ追いやられ虐げられた日本原住民(蝦夷とも呼ばれた)のことであったようだ。
こういった逸話は、以前読んだ八切止夫の書にも紹介されていた。
八切止夫の書に記されていた「ねぶた祭りの真相」に関する記述は、衝撃的であった。
著者は、本書でも「御用歴史作家」が書かない日本古代史の真実に迫っている。
本書が良書であることは間違いないのだが、ここでは本書の内容そのものよりも、本書からヒントを得ることが出来た古代の「神なる存在」の正体に迫っていこうと思う。
ではでは。
ここに引用した箇所からも分かるように、神武以降の古代日本における「神なる存在」は「生贄を要求する神」であったようだ。
神武以降の古代日本における「神なる存在」は、人間を正しい方向に導き諭す「善なる神」ではなく、人間に恐れられる「悪なる神」であり、まさに「鬼のような存在」であったようである。
「古代の「神なる存在」は「生贄を要求する神」であった」という事実は、何も日本に限ったことではない。西洋においても同様である。
とくに有名な話は、旧約聖書の「イサクの物語」である。
「イサクの物語」を、ウィキより引用する。
イサクの燔祭(イサクのはんさい)とは、旧約聖書の『創世記』22章1節から19節にかけて記述されているアブラハムの逸話を指す概念であり、彼の前に立ちはだかった試練の物語である。その試練とは、不妊の妻サラとの間に年老いてからもうけた愛すべき一人息子イサクを生贄に捧げるよう、彼が信じる神によって命じられるというものであった。この試練を乗り越えたことにより、アブラハムは模範的な信仰者としてユダヤ教徒、キリスト教徒、並びにイスラム教徒によって讃えられている。
ウィキにも記載されている通り、これはキリスト教のみの話ではない。
旧約聖書はユダヤ教・キリスト教・イスラム教共通の経典であるからだ。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教が、こぞってこの生贄話を讃えているのだ。
これは一体全体どういうことか?
「ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は「神への生贄」を肯定している」ということだ。
本書の記述によると、神武も、神武が崇拝する神も、同じ習性があるようである。
その記述をもう一度引用する。
神武天皇の夢枕に神が現れ、「天香久山(あまのかぐやま)(大和三山のひとつ)の土を採ってきて土器を造り、神に贄(にえ)を捧げ、みずからも食せば、敵を打ち負かすことができる」という。そのとおり実行すると、神武天皇は「負けぬ体」になったことを確信するのである。
この記述から導き出される事実は?
「ユダヤ教・キリスト教・イスラム教のみならず神道も「神への生贄」を肯定している」ということではないのでしょうか。
「生贄を要求する神」を「おかしい」「異常だ」と思わずに「盲目的に讃える」信者、これらの信者は私にはとてもマトモな神経の持ち主とは思えない。
「「信じる者は救われる」のではなく「信じる者は殺される」」と、私は言いたい。
神武が実在していたかどうかは分からないが、実在していたとしても日本古来の人物でないことは間違いないだろう。
神武が信仰していた神は「外来の神」であり「生贄を要求する神」であったようだ。
神武も生贄を食し、「負けぬ体」になったことを確信するのである・・・
「外来の神への信仰」がやってくる以前の古代日本人は「八百万の神」を信仰していたと思われる。
「八百万の神」は決して「生贄を要求する神」ではなく、人間を正しい方向に導き諭す「善なる神」であったのだろう。
人間を正しい方向に導き諭す「善なる神」を信仰していた古代日本人に、「外来の神」を信仰する外国勢力が自分たちの信仰するシステムを押し付けようとした。
これが「神武東征」の真実なのかもしれない。
さらに気になる点は、西洋の「生贄を要求する神」も、神武の信仰していた「生贄を要求する神」も、ヘビに纏わる話が多数残っていることである。
数多くのヘビに纏わる話が存在するということは、何を意味しているのだろうか?
「「生贄を要求する神」の正体はヘビ(レプティリアン?)だった」ということか?
またしてもデーヴィッド・アイクの話と繋がってくる・・・
古代の「神なる存在」の正体を探っていると、生贄やヘビと繋がってくる。
ひょっとしてこれは、私がいつも叩いている「彼ら」のことではないのかな?
「神なる存在」を信仰する者と悪魔崇拝者が繋がってくるのである・・・
やはり「神=悪魔」ということなのだろうか・・・
八岐大蛇を退治したスサノヲは、古代日本人のために「生贄を要求する神」(=ヘビ)を退治した立派な人物(本当の神?)だったのだろうか?
「泉涌寺では、天智天皇と光仁天皇に挟まれた天武系王家を無視して菩提を弔っていない」という本書の記述は、泉涌寺が八岐大蛇を退治したスサノヲの系列である天武を疎ましい存在と見做しているからだろうか?
ということは、泉涌寺はどの神(仏?)を信仰しているのだろうか?
八岐大蛇を信仰しているとは、決して言っておりません(笑)
真相を探る指針として、泉涌寺にはヘビではないが『蟠龍図(ばんりゅうず)』という龍の天井画が存在していることを紹介しておきます・・・
龍が想像上の生命体であるにもかかわらず、西洋ではドラゴン、東洋では龍として語り継がれていることは何を意味しているのでしょうか?
十二支においても想像上の生命体は龍だけである。
龍の天井画は、泉涌寺に限らず多くの寺に存在しています。
「生贄を要求する神」=「ヘビ」=「龍」だとすれば、このことから何が見えてくるだろうか?
「ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・神道のみならず仏教も「神への生贄」を肯定している」ということではないのでしょうか。
「「信じる者は救われる」のではなく「信じる者は殺される」」と、私は言いたい。
いやはや、「神なる存在」を探っていくと、「世にも奇妙な物語」になっていくようですナ。
「嘘八百のこの世界」というよりも、「嘘八百の神なる存在」ちゅー感じやね(笑)
何?「触らぬ神に祟りなし」ですか?
神を触りすぎた私はどうなってしまうのでしょうか・・・
どうか神様、私を祟らんといてチョーだい!
私を生贄にしてもマズイだけでっせ(爆)
評点:80点
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