大政奉還とは、「一橋派(=南朝派)の工作員である慶喜」が「入れ替わられた明治天皇」に政権返上を奏上したということです - 歴史・宗教
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大政奉還とは、「一橋派(=南朝派)の工作員である慶喜」が「入れ替わられた明治天皇」に政権返上を奏上したということです

「殿様は明治をどう生きたのかⅡ」河合敦


2017年の書である。
本書には12人の殿様の生涯が記されている。
殿様ごとに気になった点を一部引用する。



(徳川慶喜)
*慶喜は、政治組織も大きく改めた。これまでは複数の老中たちの合議制で幕政が運営されていたが、これを現代の内閣制度に近いかたちにしたのだ。
将軍慶喜が政権の頂点に立ち、板倉勝静(かつきよ)を老中首座に抜擢して官房長官のように政治を補佐させた。将軍のもとには国内事務総裁、外国事務総裁、会計総裁、陸軍総裁を置いたが、これは現在の省庁にあたる。
さらに幕臣の西周や津田真道などに、新しい政治体制の立案を命じた。西周の『議題草案』と称する政治制度はその一つだ。

(伊達宗城(むねなり))
*宗城は初め、水戸藩主徳川斉昭の娘と結婚していたが、相手が死去したので縁談は破れた。
しかし、斉昭との親交は続き、その関係から土佐藩の山内豊信(とよしげ)や薩摩藩の島津斉彬が藩主に就任できるよう尽力してくれ、それが実現した後も彼らとの交流を深めた。ときの幕府の老中阿部正弘は、こうした雄藩の外様大名の協力を得て幕政を運営していった。

*幕府内は後継者をめぐって、一橋派と南紀派の二つに分かれて対立するようになった。
前水戸藩主徳川斉昭の子で、一橋家(徳川御三卿の一)に養子に入った聡明な慶喜を擁立しようという一派が一橋派だ。一橋派の大名としては、松平慶永(よしなが)、島津斉彬、徳川斉昭といった阿部正弘に協力した藩主たちが中心勢力になった。もちろん、このなかに伊達宗城も入っていた。

*宗城は宇和島に来航したキング提督やイギリス公使パークスと会談、同時にイギリス軍の練兵を観覧、これを機に銃隊をイギリス式に変え、さらに12月にイギリスの書記官アーネスト・サトウがアーガス号に乗って宇和島に来航したおり、藩主崇徳や側室、奥女中などとともに乗船している。このおり宗城は「我が国の政治混乱の収拾にイギリスも関与してほしい」と求めた。だが、サトウに「それは内政の干渉になるのでできない」と断られている。


(松平乗謨(のりかた))
*乗謨は同じく西洋の制度に関心を抱く将軍後見職の一橋慶喜に愛され、その支援を受けるかたちで翌年6月には老中格へとのぼった。

乗謨自身が勲章のデザインまで考えていたとは驚きである。いずれにせよ、日本の勲章制度は松平乗謨(大垣恒)が中心になって完成されていったのである。
明治10年に西郷隆盛が鹿児島で挙兵したことで西南戦争が勃発したとき、緒方洪庵の適塾で人命尊重の精神を学んだ佐賀出身の佐野常民は、敵味方関係なく負傷者を救う博愛社の設立を企画、これに全面的に賛意を示し協力したのが松平乗謨であった。

明治19年、日本政府がジュネーブ条約(赤十字条約)に加入したので、翌年、博愛社は日本赤十字社に改称し、現在にいたるまで多くの人びとを救い続けている。
さて、それからの松平乗謨である。明治22年に貴族院が設置されると、貴族院議員となって活躍、明治43年に72歳で死去した。
危篤となったさい、明治天皇はこれまでの勲功を鑑みて、乗謨を正二位に叙し、勲一等旭日桐花大綬章を与えた。




(管理人)
読者の皆さんは察しがついていると思われるが、私が本書を読んだのは幕末の殿様の人生が気になったからではない。ひとえに「明治維新の真実」を探るヒントを求めたためである。
引用した箇所も、その想いから選んだものである。

まずは、徳川慶喜である。
「西周や津田真道などに、新しい政治体制の立案を命じた」のは、慶喜であった。
私はこれまで慶喜も維新勢力と「協力」してこの国を外国勢力に売り渡した売国奴の一人であると書いてきたが、この事実から私の説が証明されたと思って間違いないだろう。
西周や津田真道がフリーメーソンであったことは陰謀でも何でもなく、ウィキにも記されている「既定事実」である
このような怪しげな人物に新しい政治体制の立案を命じた慶喜が何者であったのかということは、皆さんご理解いただけますよね。

慶喜がフリーメーソンであったかどうかは分からないが、少なくともフリーメーソンの「協力者」であったことは間違いないですね。

この怪しげな外国勢力に「協力」していた殿様は、慶喜だけではありません。
初めからか途中からかは分かりませんが、ここに記した伊達宗城や松平乗謨も「協力者」であったことは間違いなさそうですね。
幕末の殿様は一橋派と南紀派の二つに分かれて対立していたようですが、この怪しげな外国勢力に「協力」していた殿様が一橋派(=南朝派)であったことは疑いようがありませんね。

話は変わりますが、先日の『西郷どん』は酷かったですね。
冒頭の徳川家茂の死去の場面ですが、おかし過ぎますよね。
徳川慶喜はいやというほどドラマに登場するのに、徳川家茂は今まで全く登場せず、初登場が死去の場面であるという不可思議な番組構成。

「どんだけ歴史歪曲したら気が済むんだ!」
「これまでの徳川の将軍は一体誰なんだ!」ちゅー話ですよね。

この作為的な歴史歪曲から分かることは、「徳川家茂を登場させては困る勢力が現在も大河ドラマに強い影響を与えている」ということです。
この勢力は、国民に徳川家茂の存在を知らせたくないのです。
家茂には暗殺の噂が囁かれています。
この勢力は国民に徳川家茂の死に疑問を持たせたくないのです。

ということは、「大河ドラマに強い影響を与えている勢力は徳川家茂の死に関与した勢力と繋がっている」ということです。

NHKの役割は国民に歴史の真実を伝えることではありません。
NHKの役割は「歴史を偽造すること」そして「「国民を騙すこと」にあるのです。

こういった「常識」を踏まえたうえで、大河ドラマをご覧になってください。

養母である篤姫が「一橋派によって家茂は毒殺された」と信じていたようですが、このことを紹介してくれているブログ記事から転載します。



(ひすとりびあ)さん
http://historivia.com/cat4/tokugawa-iemochi/4344/
第14代将軍、徳川家茂。

次の将軍、徳川慶喜の陰に隠れて存在感の薄い彼ですが実は名君だったと言われています。
そんな彼には毒殺説があるのですが、いったい誰に毒殺されたというのでしょうか。
徳川家茂の死因と死に際の様子
徳川家茂は第二次長州征討の途上である大坂城で病に倒れました。
その報を聞いた義兄である孝明天皇は、高階経由と福井登という二人の医師を大坂城に派遣しました。
また、江戸城からも妻の和宮や養母の天璋院の侍医として留守を預かっていた、大膳亮弘玄院らが大坂城に駆け付けました。
しかし、これら複数の医師の看病の甲斐もなく、家茂は慶応2年7月20日(1866年8月29日)に20歳の若さで亡くなりました。
徳川家茂の死因は征討などによる過労と脚気だと言われていますが、その脚気の遠因となったのは虫歯だと言われています。
エナメル質の薄い体質に加え、大の甘党で虫歯が多かった家茂。その虫歯や偏食のおかげでビタミンB1不足になり、脚気になったようです。
また、医師たちの見解の相違も家茂の命を削ったのではないかとされます。(漢方医の高階家茂らは脚気説を、西洋医である幕府側の医師たちはリウマチだとした)
死に際して家茂は、次期将軍として田安亀之助(後の徳川家第16代当主・徳川家達)を指名しました。(その遺言は実現されず、徳川慶喜が継承しました)

家茂を毒殺する目的は!?

徳川家の菩提寺である増上寺の改修の際に行われた遺骨の発掘・調査によると、家茂は上記の通り病死であったことがわかりました。
しかし、家茂の暗殺説は昔からささやかれています。
ではいったい誰が暗殺したというのでしょうか。
家茂は孝明天皇の異母妹である和宮と結婚し公武合体の象徴とされてきました。そんな家茂を殺すことで、朝廷を倒幕に向かわせようとした長州藩士の策謀説。
または徳川慶喜を将軍にしたい幕府の一部勢力(または慶喜自身)の仕業という説などがあります。
いずれにせよ権力争いの果ての暗殺ということになりますね。ちなみに孝明天皇も家茂の後を追うように満35歳の若さで亡くなっていますが、この天皇も毒殺されたという噂もあります。

家茂は毒殺されたと信じ込んだ天璋院篤姫

徳川家茂の養母である天璋院こと篤姫は、家茂は毒殺されたと信じ込んだようです。それも徳川慶喜によって。
元々、天璋院は慶喜のことを嫌っていたと勝海舟が述べています。
そして、天璋院の夫である徳川家定にこそ毒殺の噂がありました。これは慶喜を擁する一橋派の仕業だと思いこんだ天璋院。
さらに大坂で若くして亡くなった家茂の遺体が江戸に戻ってきた時、その顔は毒を盛られたかのように黒ずんでいたと言います。それを見た天璋院は家茂までもが慶喜によって毒殺されたのだと思いこんだのです。
天璋院は自分が育てた徳川家達の娘にも「うちの家訓として家茂が毒殺されたということを子々孫々まで伝えよ」と言い伝えたようです。





(管理人)
「一橋派によって家茂は毒殺された」と信じていた篤姫の想いは正しかったでしょう。
養母であった篤姫は家茂を愛していたでしょうし、誰に家茂を暗殺する動機があったのかを一番理解していたと思われるからです。
恐らく、夫であった徳川家定の死にも疑問を抱いていたことでしょう。
家茂は孝明天皇の妹である和宮と結婚しており、孝明天皇と深く結びついていました。
攘夷を叫ぶ孝明天皇と共に家茂は、一橋派にとって都合の悪い存在であったことは容易に察しがつきます。
家茂は、次期将軍として田安亀之助(慶頼の子、後の将軍家第16代当主・徳川家達)の指名を遺言とした。
しかし邪魔な南紀派の家茂を暗殺したと思われる一橋派は、家茂の遺言も無視して慶喜を将軍に擁立します。
この勢力は明らかに維新勢力と結託していました。
この勢力が次に行ったことが「語られている史実」であることは、言うまでもありません。
もう一つ先日の『西郷どん』が酷かったのは、「鶴瓶が演じる岩倉具視が孝明天皇のお隠れを知って嘆き悲しむ」という場面です。

「よくも白々しくこのようなクサイ芝居ができるもんだな!」
「お前が犯人とちゃうんか!」と、心の中で叫ばずにはおられません。

NHKの役割は国民に歴史の真実を伝えることではありません。
NHKの役割は「歴史を偽造すること」そして「国民を騙すこと」にあるのです。

その後、慶喜が「予定通り」大政奉還を行いました。

大政奉還とは、「一橋派(=南朝派)の工作員である慶喜」が「入れ替わられた明治天皇」に政権返上を奏上したということです。

さらに慶喜は、鳥羽・伏見“八百長”戦争に敗れる「役」を演じ、大阪城から離脱して船で江戸へ逃げ戻るという「役」を演じきった。
その後に勝海舟と西郷隆盛によって行われたことにされている江戸無血開城なるものも、「一橋派(=南朝派)の工作員である両名(西郷は後にこの勢力に反旗を翻したので悪く言いたくはないが・・・)」によって行われた“クサイ芝居”であることは言うまでもありません。

ところでアーネスト・サトウさん、「それは内政の干渉になるのでできない」なんてよー言ったものですナ。おもいっきり内政干渉していたのはどこの誰ですか!

次に松平乗謨さん、あなたがフリーメーソンであったかどうかは知りませんが、あなたにはその種の匂いがプンプンしますね。
勲章制度を完成させただけでなく日本赤十字社の設立にも「貢献」したんですね。
日本赤十字社の前身は博愛社ですか・・・、分かりやすいですね(笑)
日本赤十字社の正体は、こちらでご確認ください。
これだけ「貢献」したのだから、明治天皇から勲章が授与されるはずですよね。

殿様の人生を振り返れば、さらに「幕末・明治維新の真実」が見えてきますね。
「幕末・明治維新の真実」は、殿様と維新勢力が結託して行ったもののようですね。
そしてこの勢力は、一橋派(=南朝派)であり、フリーメーソン・イルミナティ勢力に「支援」されていたようですね。

この物語は、決して単なる昔話ではありません。
この怪しい勢力は、いまだにこの国を「彼ら」の命令に従って支配しており、NHKの大河ドラマに強い影響を与えており、「国民を騙すこと」に日々勤しんでいることを、お忘れなく!




評点:60点






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https://blogs.yahoo.co.jp/renji2ren8/41081198.html
自民党員でもないのに総裁選投票往復ハガキがきた( `ー´)ノ!

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