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ソウルマン

アメリカの歴代大統領のほとんどが就任と同時にフリーメーソン第三十三階級を贈られている

「フリーメーソンの占領革命・白い神々」第一部
犬塚きよ子





1985年の書である。著者は1910年生まれとのことだが現在も存命なのだろか?
著者の夫は犬塚 惟重という海軍大佐であり、そして「ヨーロッパでの迫害から逃れたユダヤ人を満州国に招き入れ、自治区を建設する計画」である河豚計画(ふぐけいかく)を主導していた人物であった。そして、昭和14年の夏、犬塚 惟重を長とする犬塚機関は上海のフリーメイソン拠点三カ所を強制捜査。廈門(アモイ)コロンス島の結社ではスコテッシュライトのデロン書記長の抵抗を武力で圧倒し、儀式衣装や髑髏、王冠、進級式問答集等々を押収したという。その押収したメーソン資料を著者が日本に持ち帰り、その資料を元にこのような書を書き残したとのことである。
著者のあとがきを記す。


書庫にひっそりと整理してあるメーソン資料を広げながら、夫の死後二十年間、迷いに迷っていた。その一部でも公表すべきか、あるいはこのまま私とともに灰にすべきか。
想いを遠く四十数年前にはせると、当時四十五ヵ国人の住んでいた魔都上海で、魔の結社~メーソンの各国系結社幹部ら数人と面接し、秘密のとびらの一端に触れた特調部の部員のほとんどは永眠し、今では日本でただ一人生き残っているのが私である。
「これは大東亜戦争で三百万将兵の血であがなった世界唯一のメーソン資料である」というのが亡夫犬塚の口癖であった。
亡夫は「公表せよ」とも「死蔵せよ」とも言わなかった。すべての始末は私に託したままあの世で私の動きを見守っている。
三百万の精霊にむくいるために、ほんの一端でも書き残しておこうと決心したのは、夫の霊の見えざる指示によると思っている。


以下、引用する。複数回に分けて記す。



*占領直後から占領軍司令部(GHQ)はあらゆる手を使って、故海軍大佐犬塚 惟重と同秘書の新明(しんめい・私の旧姓)きよ子を、罪名のない戦犯として指名手配していた。
これは英系メーソンが中国をしてGHQに働きかけたのだが、不思議な幸運とでも言うのか、亡夫犬塚は比島の戦犯容疑でマニラに二年近く抑留される一方、私は終戦直後、昭和20年9月5日に入籍しないままに犬塚家に移っていたので居どころが知られなかった。

犬塚は、昭和26年、公職追放が解除され、そのうち自由に2、3の宮家に出入りできることになったが、次に案じられるのは28年4月、英女王エリザベス2世の戴冠式に天皇陛下の代理としてご出席される皇太子殿下のことであった
メーソン憲法では満20歳以上の男子だけが加入できるが、王族については満18歳の例外を認めている。
当時わが皇太子は御成年式(満18歳)を終えられ19歳のお若さであった。しかも英メーソンはクラウン・プリンス(王位継承者)を、必ず大英帝国大結社グランド・マスターに戴くという不文律がある。そこでわが皇太子殿下が英王室に感化されるという懸念もあったので、犬塚はB宮さまに、「私どもにはメーソン調査資料が山積しておりますので、ご一覧お願い申し上げます。膨大なもので御所まで持参することはできかねますが・・・」
と申し上げた。すると、
「私の方からお宅に行きましょう」
とB宮さまは気軽に仰せになった。
隠密にという宮さまのお心はよく分かっていたが、まだまだ社会不安の多い時期だったので、犬塚は宮様がお気がつかれぬように所轄署に特別な警護を依頼しておいた。おどろいたことに、当時私の家の前の坂道は未舗装で小石がゴロゴロしていたのに、またたく間に第二京浜国道から相当長い道路が、すっかりアスファルトで舗装されていた。
宮さまは小型車をご自分で運転されておつきになり、犬塚の書斎で約2時間、私たち二人の説明にときどき質問なさったりしながらご機嫌よく帰路につかれたが、メーソンの本質はよく理解されたと拝された。

宮さまとの接触の件は口止めを受けたわけではないが、私としては、今日まで公表すべきでないとしていた。しかし妄想が妄想を呼び、妙なヒソヒソ話が世の中の裏に伝えられていく事実に耐えられなくなって、お叱りを覚悟して初めて公表するものである。

*メーソンは三階級の「普通結社(ブルー・ロッジ)」を底辺としたピラミッド型の機構である。メーソン員は外部に「メーソン員であること」を口外すること、加入を勧誘することなどは表向き禁じられている。
・・・・・(中略)・・・・・
ラテン・メーソンの場合は凄まじい誓約だと仏人研究者が暴露している。彼は、
私の発意において、宇宙の大建築者および列席のマソン(仏語~メーソン)諸兄の面前で厳粛な精神をもって、私に示されたフラン・マソンの秘密を堅守して漏洩することなく、またそれらについて書き、描き、刻することなきを誓言するものであります。万一この誓言に違反した場合には、喉もとをかき切られ、舌根を抜かれて海の砂に埋められ、満ち来る潮が私を永遠の忘却へ拉(らつ)し去ろうとも、覚悟の上のことであります
と言うもので、楽聖モーツアルトが、オペラ「魔笛」にメーソンの秘儀を明らかにしたために、毒殺されたといわれるのも、この時代すでに誓約が行なわれていたからである。
・・・・・(中略)・・・・・
第三階級は棟梁(Master Mason)階級である。「普通結社」では最高の階級で、結社長をはじめ各種の幹部役職を与えられる。
マスター・メーソンの進級式には、有名な黒い柩の中の黒衣の上に頭蓋骨と交叉した大腿骨で表徴した屍とコンパス、定規、槌などの工具類が登場する。これは、メーソンの始祖ヒラム・アビフ棟梁がソロモンの殿堂を仕上げた後に暗殺されたことを示している。ヒラムは死の床から復活して永遠のマスターとして存在していると彼らは信じているが、これらの儀式によって現代のマスター・メーソンも再生、復活したものと扱われるこの虐殺されたものの再生信仰は、古代メソポタミア地方からエジプトなどの砂漠地帯に広がっていたバール信仰に由来するもので、メーソン儀典で主流を占めるエジプト最高女神イシスと夫オシリスの再生祭祀にも取り入れられている

*世に言うメーソンの高級結社員とは、「普通結社」第三階級マスターの上の第四階級から最高第三十三階級までで形成される「スコテッシュ・ライト(儀式)」の総称である。
「普通結社」が、第三階級までのアングロサクソン・メーソンと大陸(ラテン)結社の二大系統に別れ、各自の行動をとっているのに対し、「スコテッシュ・ライト」は両系統を横断し、掛け橋の役割を演じている立場と思われる。これが、国際政治において、自由主義諸国と共産主義国とが、人知れぬところで、思わぬ妥協、連絡をとる謎を解く一つの鍵である
・・・・・(中略)・・・・・
この大陸メーソンの思想から出来た「スコテッシュ・ライト」は、アメリカの独立戦争に全面的に協力した仏大東社からアメリカのメーソンに浸透し、1801年にはサウスカロライナ州チャールストンにスコテッシュ・ライト最高会議(The Supreme Council)が創設されたのが端緒とされている
・・・・・(中略)・・・・・
このスコテッシュ・ライトの階級制度は、メーソンにとって非常に利用価値があるものであり、アメリカの歴代大統領のほとんどが就任と同時に第三十三階級を贈られているマッカーサー元帥は、マニラでメーソン員に加盟すると間もなく第十四階級に進級、日本に占領軍最高司令官として進駐した時点では第三十三階級の最高位についていた。また、拙著「フリーメーソンのアジア管理」に詳しいが、蒋介石の独裁政権を完全な反日政策に転向させる工作にためには、時の外相王正延をいきなり第十四階級に進級させる策をとった
アメリカのように公称四民平等の国家では、いたって名誉欲が強いので、財を成した富豪はメーソンの高階級に上って、慈善宝石章と呼ばれる勲章と同型のメダルを、金の襟章で首から掛けるメーソンの正装にあこがれるものである。進級のたびに多額の寄付金をおさめるとともに、それぞれの進級儀式(ライト)には古代の伝説に基づく怪奇な、恐ろしい儀式が行なわれる。
その多くは古代エジプトの最高の女神イシスと夫オシリスの非業の死からの復活、ソロモンの神殿建築の石工長ヒラムの暗殺と復活などの伝説を象徴する一種の古典劇風の内容で、参加者はすべて、18世紀風の正装~もちものの剣、槍、甲冑など夢幻の世界の出来事のような演出で挙行される。これら再生の意味するものは、メーソン風の修練によって荒削りの人間はいったん死の世界をへて人格円満な人物に生れ変るというものである。

*アングロサクソン系メーソンの主神は宇宙大棟梁(The Great Architect of the Universe=略語T.G.A.O.T.U.)である。この宇宙の中心の神の存在を信じる者は、誰でもメーソン員たり得るという建前であるが、実際にはキリスト教徒のうちでも新教徒(プロテスタント)が主流をなして、無宗教者は排斥している。
教理と伝説は古代エジプト教、拝火教、ユダヤ教、キリスト教、回教、仏教、ギリシャ哲学、老子、孟子など東洋神秘教に則り、儀式はエジプト、バビロン、ユダヤ密教のタルムード(教訓集成)中のミステリー~神の啓示によってのみ知られる宗教的真理の研究=カバラ~などの古代風俗によっている部分も多い。教典には旧約聖書を用いるが、時と場合によっては、コーランでも仏教典でも使用する融通性があって、国境、人種を超越して浸透する便宜がある。
大陸系ラテン・メーソンはこの点がまったく異なっている。総ての宗教、旧体制を否定する無神論、無政府主義が建前である。しかし、「自由、平等、友愛」のスローガンは両系統とも同じである。フリーメーソンとしての最終目標は同じだが、目的達成のための道程が異なり、相反する場合があるからである。
元来メーソン思想の母体となった啓蒙思想は、旧来の封建思想、宗教(ローマカトリック)などの精神的呪縛から逃れようとしたのが出発点であったから、アングロサクソン・メーソンはカソリックと対立したピザンチン亡命者やプロテスタント~16世紀初頭の宗教改革によって成立した新教徒、カトリック教会に対立するキリスト教徒~によって英国でメーソン大憲章を成立させ、さらに徹底した清教徒革命を起こしたピューリタンが、新大陸に再生の地を求めたのがアメリカ建国の原因となった。
メーソンそのものが、ヨーロッパ大陸を宗教的、思想的に支配するカトリック教会への反乱から生じたものであったから、ローマのバチカンは当初から、新教徒およびメーソンの弾圧をその政策としていた。

決定的打撃を与えたものは、1738年4月、法王クレメンス12世が発布した「フリーメーソンリー否認の勅命」であった。これによって、メーソンはローマ教会から破門されることになったのである。旧教徒にとって破門は合法的結婚や、埋葬上の支障があるうえに、許されぬまま死亡すれば永遠に地獄におちるという信仰があり、これ以上恐怖戦慄すべき掟はない状態に陥ったのであった。
このため、旧教徒のメーソン員は結社を脱退し、メーソンは反キリスト教、無神論者の政治的秘密結社として地下に潜らざるを得ないことになった。これが「フランス大東社」結成の原因である



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