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ソウルマン

夜は灯火を消して、闇の中で豆を投げ、棒で空を打って魔物を追いたてる。闇の中では悪魔のかわりに親しい友人や妻を叩き、その顔に豆を投げつけることもしばしばある。 by ヒュースケン

「ヒュースケン日本日記 1855-61」青木枝朗訳


1989年に出版された書である。
1858年に日米修好通商条約調印の際のアメリカ側全権使節ハリスの通訳兼書記として活躍したヒュースケン(1832-1861)の日本滞在日記である。
幕末のアメリカ人が残した日記に何か“隠された歴史の一面”が書かれているかと思って読んだのだが、特にそれらしき箇所は見当たらなかった。
ただ、幕末期の日本の自然・文化・習慣について記されており、外国人から見た幕末期の日本の姿を感じ取ることが出来たため、少しは読む価値があったかもしれない。
その幕末期の日本の自然・文化・習慣に関する記述を記しておく。



*谷間におりて、天城の山頂に去来する雲から外に出ると、田畑がひらけてくる。やわらかな陽ざしをうけて、うっとりするような美しい渓谷が目の前に横たわっている。とある山裾をひと巡りすると、立ち並ぶ松の枝間に、太陽に輝く白い峰が見えた。それは一目で富士ヤマであることがわかった。今日はじめて見る山の姿であるが、一生忘れることはあるまい。この美しさに匹敵するものが世の中にあろうとは思えない。

*日本の宮廷は、たしかに人目を惹くほどの豪奢さはない。延臣は大勢いたが、ダイヤモンドが光って見えるようなことは一度もなかった。わずかに刀の柄に小さな金の飾りが認められるぐらいだった。シャムの宮廷の貴族は、その未開さを泥臭い贅沢で隠そうとして、金や宝石で飾りたてていた。しかし江戸の宮廷の簡素なこと、気品と威厳をそなえた延臣たちの態度、名だたる宮廷に栄光をそえる洗練された作法、そういったものはインド諸国のすべてのダイヤモンドよりもはるかに眩い光を放っていた。

*しかし、明日からは日本の祭日で、その日には豆を投げつけて悪魔(鬼)を追い出さねばならないので、委員たちはこられない。夜は灯火を消して、闇の中で豆を投げ、棒で空を打って魔物を追いたてる。闇の中では悪魔のかわりに親しい友人や妻を叩き、その顔に豆を投げつけることもしばしばある。



今回は、皆さんが期待していただいているような記述ではありません。
全く持って私らしからぬ“普通の感想”で申し訳ないですが、これぐらいにしておきます。




評点:40点






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Posted byソウルマン

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