警察幹部は、少なくとも何者かが、近く毒ガス散布を決行することを察知していた - 歴史・宗教
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警察幹部は、少なくとも何者かが、近く毒ガス散布を決行することを察知していた

「戦後日本史の真実を探る②」


オウム事件の死刑囚の死刑執行が7人同時に行われた。
それも西日本が大雨の大被害を受けている最中に。
これまた火事場のドサクサか・・・

一連のオウム事件が世間を騒がせていた当時、私は「嘘八百のこの世界」に全く気付いていなかった。
ただ、そのような洗脳患者であった当時の私でも、毎日のようにマスゴミが報じるオウムバッシングの嵐には異様なものを感じていた。
例の地下鉄サリン事件が発生し、事件の二日後にオウムが強制捜査されたニュースを見て、「これはどう考えてもおかしい」と感じていた。

あまりに用意周到であるからだ。

オウムがカルト教団であることは理解できるが、地下鉄にサリンをばら撒いて、サリンを製造していたことが事件の2日後にバレてしまい、逮捕されてしまうとは・・・

本当にオウムが犯人であったならば、オウムはカルトの中でも超カルト級のアホである!

いくらメチャクチャなカルト教団であったとしても、すぐに証拠がバレてしまうようなアホ過ぎる犯罪をするだろうか?
いくらアホな犯罪集団であったとしても、当面は犯行がバレないように計画を練るだろう。

これなら自ら「ワシらが犯人やから、はよ捕まえてくれ」と言っているようなものである。

そもそもオウムがこの事件を起こしたとして、何の利益を得ることができるだろうか?
逮捕される不利益はあっても、何の利益も得ることができないことは明らかである。
国家転覆が狙いなら、国会議事堂や官邸といった政府中枢の機関を狙うだろう。

テロが発生して利益を得るのは誰でしたでしょうか?

当ブログでは何度も書いているが、「テロの真相」を理解すれば、真犯人が何者であるかは見えてくるでしょう。

それは別として、この事実だけで「少なくとも真犯人が別にいる」ことは明確である。

それにしても7人同時の死刑執行とは・・・
火事場のドサクサに口封じをしなければならない理由があったのだろうか・・・





(リテラ)さん
http://lite-ra.com/2018/07/post-4109.html
オウム死刑囚大量執行は口封じか…検察に全面協力していた井上嘉浩死刑囚の変心、再審請求に怯えていた法務省
2018.07.06

たしかに、政権にとって今年の死刑の執行は最良のタイミングだった。来年には天皇の退位、新天皇の即位と祝賀行事が続く。再来年は東京オリンピックがあり、国際社会の注目も高まるなか死刑を執行すれば国際的に強く批判されることになる。だから“今年中に”ということは既定路線だったはずだ。
 しかし、それでも、こんなにすぐに、オウム事件の死刑囚13人中7人を一気に執行するというのは異常としか言いようがない。
 しかも、13人の死刑囚のうちなぜこの7人が選ばれたのかもまったく不明だ。たとえば初期の坂本弁護士一家殺害事件の死刑確定囚からはじめたというわけでもなければ、全員が日本最悪のテロ事件である地下鉄サリン事件の確定死刑囚ということでもない。また死刑の確定順かといえば、そうではない。これについて本日午後行われた上川陽子法務大臣の会見でも説明さえなかった。
 オウム事件に詳しい複数のジャーナリストや司法記者に訊いても、何が基準かについては、首をひねるばかりだ。「なんとなく知名度の高い受刑者を選んだだけではないのか。国民栄誉賞の人選じゃあるまいし」と語る記者もいたほどだ。
しかし、もしかしたらこうした疑問を解く鍵になるかもしれない事実がひとつだけある。それは、7人のなかに井上死刑囚が含まれていたことだ。
井上死刑囚といえばこれまでの一連のオウム裁判で、検察のシナリオに沿って、検察の都合のいい証言を続けてきた“最重要人物”だ。
たとえば、17年間の逃亡の末逮捕された高橋克也受刑者は地下鉄サリン事件や目黒公証役場事務長拉致監禁致死事件の関与に関して、「サリンとは知らなかった」「被害者の仮谷清志さんに注射を打つことも知らなかった」と主張したのに対し、井上死刑囚は「サリンを撒くから運転手をするように」「仮谷さんが暴れないようにクスリを打って眠らせることを高橋被告に確認した」と有罪の根拠になる重要な証言をしている。だが一方で井上死刑囚は逮捕当時「(仮谷さんの注射について)高橋は知らなかった」とまったく逆の供述をしていたのだ。

 さらにこの際、麻酔薬を投与した中川死刑囚から「ポア(殺害)できる薬物を試したら死んだと聞いた」とも証言しているが、中川死刑囚はこれを否定。さらにその場にいた元医師の林郁夫受刑者も「井上証言はあり得ない」と証言している。それだけでなく殺害された仮谷さんの長男でさえ、中川死刑囚の殺害示唆を「信じがたい」と井上証言に疑問を呈したほどだ。
 また井上死刑囚は、宗教学者のマンション爆破などが問われた平田信受刑者の裁判においても、事件前に平田受刑者に「これから『やらせ』で爆弾をしかけると言った記憶がある」と事前共謀、計画があったことを証言し、「何も知らなかった」と主張する平田受刑者と対立している。
平田受刑者はともかく、すでに死刑が確定していた中川死刑囚が、殺意を否定するという嘘をつく理由はない。一方の井上死刑囚は、数々のオウム裁判において「これまで誰も知らなかった」新証言を不自然なまでに繰り出し、多くのオウム被告たちを“より重罪”へと導いていったのだ。

http://lite-ra.com/2018/07/post-4109_2.html
検察のストーリーに乗った証言でオウム信者を重罪に導いてきた井上嘉浩

井上証言のなかでもとくに大きかったのが、地下鉄サリン事件における麻原死刑囚の関与の証拠とされた、いわゆる「リムジン謀議」についての証言だった。
 地下鉄サリン事件の2日前の1995年3月18日、麻原死刑囚は都内の飲食店で会食後、井上死刑囚、村井秀夫、遠藤死刑囚ら幹部を乗せたリムジン内で、公証役場事務長拉致をめぐるオウムへの警察の強制捜査を阻止するために地下鉄にサリンを撒くことが提案され、麻原死刑囚もそれに同意したとされる。これが麻原死刑囚の地下鉄サリン事件関与の証拠となったが、しかし、それを証言したのは井上死刑囚だけだった。
 逆に、この井上証言がなければ、麻原死刑囚を有罪とする法的根拠はなかったとの見方もある。

 数々のオウム裁判で「これまで誰も知らなかった」新証言を不自然なまでに繰り出し、多くのオウム事件の被告たちを“より重罪”へと導いてきた、井上死刑囚。だが、他のオウム被告たちの証言はことごとく食い違っており、検察が公判を維持するために描いたストーリーに無理やり沿っているとしか思えないものだった。
 そのため、井上死刑囚と検察との関係をめぐっては、さまざまな疑惑がささやかれてきた。長年オウムの取材を続けてきた公安担当記者の多くもこんな見方を述べていた。
「井上死刑囚の取り調べの過程で、検察はオウムへの帰依や洗脳を捨てさせる一方で、逆に検察への逆洗脳を誘導したとみられています。その後、井上死刑囚は、まるで“検察真理教”となったがごとく、検察にとって有利な証言を繰り返し、“有罪請負人”の役割を果たしてきた。オウム事件は多くの信者が関わり、その役割は物証ではなく彼らの証言に依存せざるを得なかった。そしてその見返りとして、ある種の司法取引があった可能性が高い」
 実際、井上死刑囚は、一審ではオウム事件で死刑を求刑された者のなかで唯一、無期懲役の判決を受けている。結局、二審では死刑判決に変わるが、それでも、執行を遅らせる、すぐには執行しないなどというような暗黙の取引があったのではといわれていた。
 だが、今回、井上死刑囚もまた死刑を執行されてしまった。すべてのオウム裁判が終結したことで、もう用無しになったということなのか。
 もしそうならとんでもない話だが、実はもっとグロテスクな裏があるという指摘もある。それは、今回の死刑執行が法務・検察による口封じだったというものだ。

http://lite-ra.com/2018/07/post-4109_3.html
井上が再審請求をした日に7人の死刑囚を執行準備のため移送

 前述したように、検察のストーリーに沿って、多くのオウム被告たちを“より重罪”へと導いてきた井上証言だが、その証言内容については、根本から再検証すべきではないかという声があがっていた。
 とくに大きかったのは、3年前、当の司法からも井上証言に疑問符がつけられたことだ。2015年11月、17年間の逃亡の後逮捕された菊地直子氏は、一審では実刑判決だったものが一転、高裁で無罪となる。その際、一審有罪の根拠となった井上死刑囚の証言の信用性についても、高裁は「(井上証言は)不自然に詳細かつ具体的で、信用できない」として認めなかったのだ。
 数々のオウム裁判の方向性を決定づけてきた井上証言の信用性に疑問符がついたことで、司法界やジャーナリストのあいだでも、その他のオウム事件についても再検証が必要ではないか、という声が高まっていた。

 そして、井上自身にも大きな姿勢の変化が現れていた。今年3月14日、まるでそういった動きに呼応するように、自らの事件について再審請求をしていたのだ。弁護人によると「死刑を免れたいわけではなく、事実は違うことを明らかにしたい」と語っていたという。
 そのため、一部では井上死刑囚が再審で、検察のストーリーに沿って虚偽の証言をしていたことを自ら認め、真実を語るのではないかという声があがっていた。
 もちろん、井上死刑囚が再審でこれまでの証言を翻しても判決は変わらない。しかし、もし本当にそんなことになったら、それこそ、麻原死刑囚はじめ、他の死刑判決の信用性が根底からひっくり返り、検察と裁判所はメディアから大きな批判を浴びることになる。また、再審は阻止しても、もし井上死刑囚が本当にそう考えているなら、メディアにそのことを語る可能性もあった。
 法務省はこうした井上死刑囚の変化を察知して、井上死刑囚が真実を語る前に、刑の執行を急いだのではないか。そんな疑いが頭をもたげてきたのだ。そして、井上死刑囚だけがクローズアップされないように、複数のオウム死刑囚を一気に執行した。
 麻原死刑囚以外の6人の死刑囚が執行準備のために一斉に東京拘置所から各地の拘置所に移送されたのは、井上が再審請求をした3月14日のことだった。これはたんなる偶然だろうか。

 もちろん、これらの見方は推測の域を出ない。しかし、タイミングは偶然だったとしても、今回の死刑執行によって、一連のオウム裁判の鍵を握っていた井上が真実を語る機会がつぶされ、井上死刑囚と検察の取引疑惑や、地下鉄サリン事件での「リムジン謀議」をはじめとする数々の“真相”が永遠に封印されてしまったことには変わりはない。
 さまざまな謎を残したカルト事件は、事件首謀者たちの“異様な”死刑執行によって歴史の闇へと消え去ろうとしている。いや、国家権力が葬り去ろうとしているのだ。
(編集部)





(世界の真実の姿を求めて!)さん
http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-785.html
教団内で通称「尾崎ビデオ」と呼ばれるビデオが作られた。タイトルを『戦いか破滅か』という。法皇官房が企画、究聖法院が実際の制作にあたったものだったと思う(郵政省はタッチしていないはずだ)。このビデオは、1994年から1995年の教団の方向性を決めたきわめて重要なビデオ

尾崎豊の死の原因がアメリカにある、という内容から始まるこのビデオは、別名「反Aビデオ」とも呼ばれていた。この「A」とはアメリカのこと。まもなく日米戦争が始まり、アメリカが日本を再占領、そして日本人を滅ぼそうとしている、というプロパガンダビデオである。日本はすでにアメリカのコントロール下にあり、アメリカは「影の世界政府」の支配下にある。影の世界政府は世界人口30億人の大虐殺計画を持っており、その作戦の一貫として、日本を滅ぼそうとして攻撃してくる。尾崎はその計画に都合が悪いので暗殺された。そして、その「影の世界政府」・アメリカの攻撃には対抗して戦わなければならない。アフガニスタンやヴェトナムやキューバのようにレジスタンスを繰り広げなければならない。そして、その戦いを率いる救世主は、日本に現われる……(それが誰かはいわずもがな)……という内容

影の世界政府=フリーメーソン=ユダヤの陰謀、という連鎖になるわけだが、この「反Aビデオ」・省庁制(法皇官房体制)がこの時期の教団を大きく変えた

あくまでも敵はアメリカや影の世界政府であり、「この日本に僕たちを勝利に導く魂があらわれる」とされているのである。つまり、日本の破滅を食い止めるために、日本のために戦うのがオウム真理教だと規定されていた.

日本でクーデターを起こそうとしていたとか、日本政府や日本人を敵視していたという感覚はまったくなかったのだ。アメリカの手先となってしまっている公安という認識はあったが、オウムは日本を守るためにある。

「オウムは日本を守るためにある」と考えていた彼らが、何故、地下鉄でサリンをばら撒いたのでしょう?
マスコミで言われるように、本当に日本政府の転覆を考えていたのなら、議員たちのいる国会や、実質的に日本を動かしている官僚たちのいる官庁で仕掛けるものでしょう。要職に就いている人間は、たいてい地下鉄なんかで通勤しないはずです。


本当に日本政府の転覆を考えていたのなら、議員たちのいる国会や、実質的に日本を動かしている官僚たちのいる官庁で仕掛けるものでしょう。要職に就いている人間は、たいてい地下鉄なんかで通勤しないはずです。
それに、日本人を殲滅しようとするなら毒物を自前のヘリで空から撒くか、水道の水に混入すればいい。また、サリンじゃなくても原発に入り込み炉心を暴走させれば核兵器を使用したのとほぼ同じ効果を得ることができます。(目的は違いますが実際にオウムは多くの信者を原発に労働者として送り込んでいました。)
霞ヶ関まで行って、わざわざ一般市民を巻き込む必要性はまったくありません。


マスメディアの大勢は、一九九五年三月二十日の地下鉄サリン事件で、突然大騒ぎになったということになっている。
ところが、あとで知るところによると、前の日の日曜日には多数の警察官が朝霞の自衛隊施設で防毒マスクの装着訓練をやっていた。警察幹部は、少なくとも何者かが、近く毒ガス散布を決行することを察知していた

午前八時ころに事件発生、証拠物を警察が入手したのが九時だとして、それを大宮の自衛隊化学学校に運んで仕分けしたともいわれているが、裁判では警視庁科学捜査研究所の技師が分析・鑑定したとされている。いずれにしろ午前十一時の警視庁寺尾捜査一課長記者会見におけるサリン断定は、あまりにも手際が良すぎる。

しかも、前年の九月には、松本サリン事件はオウムの犯行だという怪文書が出回っていたというではないか。そのうえ九五年一月一日の読売新聞を始めとして複数のマスメディアは、富士山麓のオウム施設周辺において、サリンの痕跡が警察によって分析されたと報道している。警察は何をしていたのか? 三月二十日を本当に防ぐ気は、なかったのではないか。

だいたいオウムが、本当にサリンを作っていたのかという疑問もある。第7サティアンの器械装置では、本格的なサリン合成は無理だと言われている。

サリンが入っていたという袋も、サリンの残留物も、法廷では明らかになっていない。押収・仕分け・鑑定の過程の写真さえきちんと提出されていないと聞く。袋は、病院で点滴に使うようなものという話も出たが、それを誰がどこから調達してきたのかなども、これまでの別の裁判だったら必ず問題になった点だろうに、今回は全く出てこない。

地下鉄車内での薬品収納容器は、袋ではなく箱型のものという話も沢山あり、乗客がビンの割れるような音を聞いたという話もある




刺殺事件の直前にテレビに出演した村井が、ふたつの重要な秘密について口をすべらせかけたことは前回の記事の中でも述べた。つまり1000億円という途方もない資金の所在についてと、地下鉄サリン事件で用いられた毒ガスは、じつはサリンではなかった、という驚くべき証言である。

製造元が違うということが明らかにされれば、その製造元がどこか、どこの国かが問題にされるだろう。これは、当の製造国だけにとどまらず、日本政府にとっても利害関係は奇妙に一致していた、と考えざるを得ないのである。

それが国内で製造されたものではない、とされれば、製造国、搬入ルート、入手ルート、さまざまな部分が一挙に複雑になり、国際謀略の壁にぶつかってしまうことは必至である。オウム真理教第7サティアンのサリン・プラント設備では、高純度のサリン製造が不可能とされつつも、この問題が曖昧な形で封印されているのは、どうやらそのあたりに原因がありそうである。



平成5年の春頃、三橋はある宗教ウォッチャーと雑談して、話がオウム真理教に及んだとき、その人は、「オウムは統一協会の仏教部です」といった。その頃の三橋はオウムには全く関心がなかったが、彼が「会員や信徒が500人以上いる宗教団体には、決まって隠れ統一協会員が入っているか、入ろうとしていますよ」と言い添えたことは記憶している。

忍者のような彼らは、最初は熱心な信者であり、幹部の注目を惹く。やがて抜擢されて、教団の出版部とか事業部とかに入る。

いったんそこに入ったら、教祖や幹部の思惑を越えて、いろんなことをやり出す。そしてその教団はガタガタになる。

統一教会はCIAの下請け組織KCIAのフロント機関であり、北朝鮮・金政権の最大の支援者です。そして、ブッシュ政権の支持母体であるキリスト教福音派の一員。

早川は元統一教会の信者だったが、阿含宗に入信していた。

早川が麻原と初めて会ったのが、阿含宗の信者時代。

麻原が阿含宗を辞めると、早川も後を追うように退会。麻原が「神仙の会」を結成すると早川も入会し、87年に同会が「オウム」と改称した時に、早川も妻と共に出家し、麻原の側近になっている。

麻原が宗教ビジネスを思いつく天才なら、早川はそれを具体的にきちんと実行する名参謀。2人がオウムを作った。

オウム真理教の起源は、1984年に麻原彰晃が開いた“オウム神仙の会”というヨガ団体でした。
このヨガ団体結成当初からいた、上祐史浩、村井秀夫、早川紀代秀、石井久子、井上嘉浩が教団の中核.

オウム事件の真相を解明する鍵を、私は早川、村井、上祐という3人の最高幹部による権力闘争の中にあると考えている。

中でも地下鉄サリン事件以前の教団膨張期、即ち麻原の妄想がどんどん広がり、それに伴って教団の勢力とハルマゲドンが拡大していった時期にあって、“最大の功労者”は早川であった。


平成二年(一九九〇年)二月、麻原彰晃は「真理党」を組織し、二五名が総選挙に打って出るが、惨敗する。この総選挙出馬は、早川紀代秀の案によるもので、当時は幹部の上祐史浩らが猛反対したと伝えられるが、早川が押し勝つ。この選挙惨敗によりオウム真理教は、「米びつに米一粒さえもなくなった」(元信者の話)というほどの経済的打撃を受ける。

ところが、資金ゼロのはずのオウムが、その年の五月には熊本県波野村に六ヘクタールの土地を購入。そして翌年平成三年にはロシアを訪問、エリツィン大統領の側近のロボフ氏に面会して、有名な「ロシア日本大学」構想をぶち上げる。

資金ゼロのオウムがいったいどこからそのカネを持ち出したのかということである。立証はされていないが、統一教会が五〇億円を出したといわれている。だが当時、統一教会にそんなカネがあったのだろうか。

「文鮮明が池田大作にたのんで五〇億円を出させ、そのうちの三〇億円をオウムに渡したといわれる。なぜオウムにカネを渡したのか--それは、創価学会の最大の敵をオウムの力で叩かせるつもりだったのだ。」(信頼できる事情通の話)


オウムの施設が林立する上九一色村という所は、日蓮正宗総本山・大石寺から直線距離にして三キロの位置にある。当時、日蓮正宗と創価学会は激烈な宗教戦争を行なっていた。

この早川紀代秀は、ロシア射撃ツアーを企画したり、軍事訓練を受けたりと、非常にロシアに接近している。麻原オウムがロシアに接近しようとした最初のヒントは、恐らくはこの早川紀代秀によるものだろう。

石井:「ロシアにオウムが進出していきましたね。ロシアには五万人もオウムの信者がいたそうですが、オウムが行く前に統一教会が、ロシアに進出していました。ところが、そういう連中が、どうも何時の間にかオウム信者とすりかわってしまった。

「オウムが行く前に統一教会が、ロシアに進出していました。ところが、そういう連中が、どうも何時の間にかオウム信者とすりかわってしまった。」
これは、オウムが統一教会を取り込んだというより、両者の力関係から言って、統一教会が何かの理由で看板を架け替えたのでしょう。


捜査当局がオウム教団から押収した資料の中に、「オウム真理教内の統一教会信者名簿」があった。

早川が教団に引っ張ってきたメンバーは、不動産から殺人兵器まで資材を調達するプロをはじめ、信者の獲得や煽動、まとめ役の第一人者、闇の世界に精通し、多彩な人脈を持っている者、出所不明の多額の資金を集めて来る者…など、いずれも“百戦錬磨”の強者ばかり。

この早川グループの面々は、リーダーの早川同様、地下鉄サリン事件などの現場には決して顔を見せず、松本、地下鉄両サリン事件の発生直後、2回に分かれて大量脱会.

松本、地下鉄両サリン事件後、大量脱会したオウム信者のほぼ全員が統一教会の脱会者で、中核は元自衛官を含む十人前後。

早川グループがロシアなどから買い集めてきた大量の武器の行方が、全く分からないまま.

オウム真理教は既に力を失い、残った信者たちは社会の片隅で息を潜めている状態ですが、オウムの背後に潜み操っていたと思われる統一教会や創価学会は健在であり、むしろますます勢力を強めている感があります。
彼らは、銃器のみならず、生物化学兵器や核兵器さえ持っている可能性すらあります。
そして、政治家の体質も、変わったようで変わらず、暴力団やアメリカとの関係も相変わらずです。
そしてそして、北朝鮮は更に追い詰められ、金正日の焦燥は日ごとに募るばかり…。






https://kabukachan.exblog.jp/23587946/
「オウム事件の真実」を知れ!

「オウム帝国の正体」より。

2000年7月末に新潮社から一冊の本が出版された。「オウム帝国の正体」という本だった。95、96年に新潮45に連載されたものを、加筆修正し単行本化したものだった。私も部分的には読んでいたが、全体を読むのは初めてだった。一橋文哉というペンネームの著者のこの本には、今まで報道されていないオウム事件の真相が、何もかも書いてあった。私がネット上で集めた断片的な情報が、殆どすべて網羅されていた。正直言って、こんなに優秀で、勇気のあるジャーナリストがいるとは思わなかった。彼が生きていること自体が、奇跡のようにも思う。一橋文哉というペンネームが、一ツ橋のブンヤ、つまり毎日新聞の記者であるとする分析が正しければ、この本を毎日ではなく、新潮社から出版したことに大きな意味があると思う。毎日では出せなかったと思う。また、別冊宝島でオウム記事を書いていた田嶋信というジャーナリストも、同一人物と思われるふしがある。
まず、一番興味深いのは、オウムとロシア、北朝鮮、暴力団、統一教会、政治家との関わりをきわめて明快に解説していることである。そして、そのなかで何度か、オウム・統一教会以外のもう一つの宗教団体について言及している部分が何度か出てくる。著者はあえて、団体の名称を出していない。出すことで起こりうる事態を十分理解しての上でのことであろう。新潮社の意向もあると思う。なにしろ、過去にも新潮社は、いろいろと叩かれているから。だれから?さて、誰だろう?
この本から得られる情報は、極めて重要であると思う。いくつか、興味深い部分を抜粋してみたので、ぜひ読まれたし。この本には、大マスコミが知らぬ振りをしているオウムの真実、そしてオウムに群がったごろつきどもの素顔が書いてある。

Cf:一橋文哉は過去に三億円事件(新潮文庫)、闇に消えた怪人―グリコ・森永事件の真相(新潮文庫)、を執筆している。元・サンデー毎日副編集長の広野伊佐美とされている。ペンネームの由来は毎日新聞の本社は千代田区一ツ橋1-1-1、文哉=ブンヤ・記者、から。2000・07に単行本「オウム帝国の正体-新潮社」が出版され、02・10には「オウム帝国の正体-新潮文庫」が出版されている。


★統一教会信者がオウム信者に?

 一九九四年(平成六年)六月に松本サリン事件を起こし、一九九五年(平成七年)三月に地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教にも、統一教会の影響があるという。
 一橋文哉氏『オウム帝国の正体』に次の記述がある。
「捜査当局がオウム教団から押収した資料の中に、『オウム真理教内統一教会信者名簿』があった。これは、統一教会の合同結婚式に参加したオウム信者たちの名簿と見られ、統一教会信者と同姓同名という二十三人の名前が書かれてあった。
 オウム教団には、創価学会や阿含宗などほかの宗教団体から加わった信者が多く、新左翼などの脱会組もいると言われている。

 『他宗教からの参入組の中には、明らかにスパイと見られる者もいたようで、村井がスパイ探しに躍起になり、信者に次々とポリグラフをかけ、調べていたとの情報もある』
公安当局はそう明かす。(一八七ページ)



オウム真理教の中に統一教会信者が、多数入っていたとの事である。
  一橋が重視するのは、早川紀代秀の存在である。
 麻原は、八四年に、『オウム神仙の会』を設立する前に、宗教団体である、阿含宗にいたが、この時、早川も同じ阿含宗にいたという。
 そして、

「麻原が阿含宗を辞めると、早川も後を追うように脱会。麻原が『神仙の会』を結成すると早川も入会し、八七年に同会が『オウム』と改称した時に、早川も妻と共に出家し、麻原の側近になっている。
 二人をよく知る元信者は、こう語る。
『麻原が宗教ビジネスを思いつく天才なら、早川はそれを具体的にきちんと実行する名参謀。二人がオウムを作ったんです。』
 確かに、それからのオウムの躍進ぶりは凄まじかった。
 十五人でスタートした教団が、わずか一年で千五百人に急増した。大阪支部から、ニューヨーク支部まで設立し、翌八八年には静岡県富士宮市に約千七百五十平方メートルの土地を購入して、富士山総本部を着工した。八九年には、上九一色村に七千平方メートルの土地を買い、サティアン群の建設に乗り出している。東京都から宗教法人の認可を受けたのも、ちょうどそのころである。
 当初、早川の教団での肩書は総務部長であったが、事実上、実務面の総責任者として、教団を仕切っていたと言われている。驚異的に伸びる信者数に満足した麻原は、自分の権威を高めるため、教団の憲法とも言える戒律を策定し、管理体制強化のため省庁制も導入したが、これらはいずれも早川の提案に沿ったものだ。オウム教団は九一年ごろからロシア進出を企てるなど海外に目を向けるが、その仕掛人も早川だった。」
 (三二、三三ページ)


3.松本、地下鉄両サリン事件後、大量脱会したオウム信者のほぼ全員が統一教会の脱会者で、中核は元自衛官を含む十人前後。(P.190)

4.オウムは88年ごろから統一教会系企業と交流を深め、90年の衆院選では選挙活動のコンサルティングを受けていた。選挙後に統一教会からオウムに大量に信者が移った。

5.捜査当局がオウム教団から押収した資料の中に、「オウム真理教内の統一教会信者名簿」があった。これは、統一教会の合同結婚式に参加したオウム信者の名簿と見られ、統一教会信者と同姓同名という23人の名前が書かれてあった。オウム教団内には、創価学会やアゴン宗など他の宗教団体から加わった信者が多く、新左翼などの脱会組もいると言われている。(P.187)
麻原が一時住民票を移した杉並のマンションの所有者は、国際勝共連合(統一教会)に近い国会議員だった。(P.187)
統一教会の文鮮明と北の金親子との関係は、何度も報道されている。第三国の意を受けたオウム脱会者グループが、今でもしっかり活動しているということ。



★サリンはどこからきたのか?

さらにその人物(CIA関係者)は、"気になる言葉"を口にした。「地下鉄サリン事件で、口から血を流している被害者がいたんですが、サリンでは通常、血を流すことはありません。おそらく、タブンなど他の毒ガスが含まれていたと見ています。いくらオウムでも、いろんな毒ガスを短期間に開発できないでしょう。我々は、ロシアがオウムにサリンなどの毒ガスを与えたのではないか、と思っています。」(P.98)
地下鉄サリン事件の現場から検出されたサリンの副生成物のなかに一つだけ、松本サリン事件のものとは異質なものが含まれていたのである。これは、地下鉄サリン事件では二種類以上のサリンが使われたことを意味している。(P.99)
95年の地下鉄サリン事件で撒かれたサリンは、純度が低く、ビニール袋の変質具合からも製造後、かなりの日数がたっていたと判明。第7サティアンで製造したとすると、時期的に矛盾が生じる。ロシアからの密輸品だった可能性が高いが、外交問題になりかねず、捜査を断念した。(P.99)



(さてはてメモ帳)さん
https://satehate.exblog.jp/7729962/
神経ガスによるマインドコントロール 1 松本サリン事件

松本サリン事件(1994年6月27日「深」夜)や地下鉄サリン事件(1995年3月20日朝)に対する疑問は、言うまでもなくマスコミ「公式」報道では解かれていない。

各種の疑問点については、以下のページが詳しい(1999に書かれている)。

サリン事件の詳細な実態、および事件の謎
http://www.s-a-t.org/sat/sarin.html

サリン事件への問題提起(上記のサブページ)
http://www.s-a-t.org/sat/sarin/teiki.html

一部を引用する。

松本サリン事件

◆2 サリン撒布 ― 犯行時間について
 松本サリン事件の主な原因物質はサリンと判明した。次の疑問はサリンがいつ撒かれたかである。
 検察側冒頭陳述では、サリンが撒かれたのは1994年6月27日午後10時40分ころから約10分間とされている。 (引用注:「オウムの実行犯」はみなこの時間と証言しているそうな→注1)

◆3 犯行時間よりなぜか早く生じている多数の自覚症状
 裁判ではサリンが撒かれたのは1994年6月27日午後10時40分ころからとされている。
 ところが現場周辺の住民2052人に対して,信州大医学部が行ったアンケート調査によると、被害の自覚症状を感じた人は、午後8時から9時までに5人、午後9時から10時まででは8人いた。つまり、サリンが撒かれたとされる午後10時40分の2~3時間前から被害が出ていたことになる。これは午後8時台にはサリンがすでに撒かれ始めたのではないかとの疑問が生じてくる

◆4 宇宙服のようなものを着た二人が、犯人現場到着前に目撃されている
 もう一つ興味深い目撃証言をあげてみよう。
 内容は、午後9時ころ、事件現場とされる池から南西250m離れた路上に大型乗用車が止まっており、車の中に二人がいた。外にいた二人は銀色っぽい宇宙服のようなものを着ていた、というものである(朝日新聞1995年3月24日朝刊39面→注2)。

 午後9時ころという時間と、宇宙服のようなものを着ていたというのが気になる。宇宙服のようなものがサリンの防護服ではないかという疑問である。



注1) 「松本市への出発は27日昼ごろの予定だったが、サリン注入に手間取り、同日夕に上九一色村を出発した。途中で日が暮れかかり、新美被告と故村井幹部が話し合った結果、裁判所の勤務時間中にサリンを噴霧することが不可能になったとして、目標を裁判官宿舎に変更した。 午後10時頃、松本市に到着し、駐車場で岐部哲也被告が作った偽造のナンバープレートを貼り付け、ビニール袋の防毒マスクを準備した。その後、たばこの煙などで噴霧場所を探して宿舎西役37メートルの駐車場に移り、故村井幹部は噴霧時間を10分間に決め助手席で遠隔操作した。逃走する際、ワゴン車は駐車場入り口の石柱に衝突し、左側面をすった」(検察冒頭陳述  1995年1月23日 毎日新聞より) 等。 (「悪魔が日本を嘲笑っている」有賀裕二 第一企画出版 1997 p42-43より)

注2) 「長野県松本市で昨年6月に起きた猛毒のサリンを含む有毒ガス事件で、事件当夜、不審な4人組が現場付近で目撃されていたとの情報が、長野県警の捜査本部に寄せられていたことが分かった。・・・調べによると、4人組の目撃は、事件の起きた昨年6月27日の午後9時前後。場所は松本市開智2丁目の路上で、有毒ガスの発生現場とみられる第一通報者の会社員方南隣の池付近から、南西へ250メートルほど離れている。大型乗用車の車内に2人がおり、その車のそばに銀色っぽい宇宙服のようなものを着た2人が立っていたという。 捜査本部は、車外の2人が着ていたのは防護服で、現場で薬品を調合してサリンを製造し、容器を持ち去った可能性もあるとみている。」(1995年3月24日 朝日新聞) (同上書籍p44より)





どうやらこの事件を探っていけば、「戦後日本史の真実」に繋がっていくようである。
というわけで、この記事を「戦後日本史の真実を探る②」というタイトルにしておきます。
くれぐれも「新聞・テレビの嘘八百情報」に騙されないように!

誰かの台詞じゃないけれど、「本当にこの国大丈夫かな」と思います(爆)




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COMMENT

戦後日本史の真実

>どうやらこの事件を探っていけば、「戦後日本史の真実」に繋がっていくようである。


〇記事、拝見しました。戦後日本史の真実、同感です。
 ご指摘のとおり、オームの警察対応、報道、おかしなことばかりです。アメリカの9.19事件に似たところがあります。
 草々
 
 

Re: 戦後日本史の真実

> >どうやらこの事件を探っていけば、「戦後日本史の真実」に繋がっていくようである。
>
>
> 〇記事、拝見しました。戦後日本史の真実、同感です。
>  ご指摘のとおり、オームの警察対応、報道、おかしなことばかりです。アメリカの9.19事件に似たところがあります。
>  草々
>  
>  


コメントありがとうございます。

この件にはこれまでほとんど触れてきませんでしたが、
災害時を狙ったかのような7人同時死刑執行という暴挙を見るにつけ、黙ってはいられませんでした。

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