人生の価値は肩書ではない。「如何に真剣に人生を生きたか」ということこそが、本当の人生の価値である。
「西郷隆盛と明治維新」坂野潤治
2013年の書である。
著者は、東京大学名誉教授という肩書を持つ、所謂「体制派」の人間のようである。
このような肩書を持つ著者が「西郷隆盛と明治維新」の真実を暴くような書を世に出すはずがないことは、本書を読む前から分かっていました。
こういったことを分かっていながら、敢えて本書を読みました。
太田龍氏のような「反体制派」の書だけでなく、著者のような「体制派」の書を読むということは、重要なことであると思います。
学校教育が「彼ら」にとって重要な「洗脳工作の機関」であることは、当ブログの読者の方ならば「常識」としてご理解いただいているでしょう。
この「洗脳工作の機関」の最たる機関が、日本においては東大なのです。
この「洗脳工作の機関」の最たる機関の名誉教授である著者が書く「明治維新本」が歴史の真実を書くわけがないことは、当然のごとく「常識」でしょう。
しかし、そのような立場の人間がどのように明治維新を記すのかということを知ることは、意外と有意義なことなのです。
これは、テレビの歴史番組を私が好んで観ていることと基本的には同じです。
「西郷どん」が歴史を偽造しているのは、初めから分かっています。
そのようなことは「常識」として理解したうえで、どのように偽造しているかを確認することが重要なのです。
本書を読んだり、「西郷どん」を観て、「これが真実の西郷隆盛の人物伝だ」などと思い込んでしまう人は、初めから本書や「西郷どん」に近づかないことをお勧めします。
しかし、この「常識」を理解した上であれば、本書を読むことや、「西郷どん」を観ることは、とても役に立つのです。
批判めいたことを書きましたが、私は本書を全否定しているのではありません。
西郷隆盛のことをよく調べておられるのは事実ですので、役に立つ部分も多いのです。
征韓論について著者は、「西郷は朝鮮を武力で制圧することを目的にしていたのではなく、朝鮮への「使節派遣」を求めたに過ぎない」と述べています。
基本的には「真実」です。
ただし著者は「西郷は西洋・悪魔勢力と戦うための協力体制を築くために朝鮮に話し合いに行こうとしたのであり、「西郷の行動を許すな」と西洋・悪魔勢力に命じられた大久保・岩倉・木戸らと西郷が対立し、西南戦争の原因となった」ということには気づいておられない(気づいていても、そのようには書かない)ようです。
そして幕末・明治期の外国人に関しては、アーネスト・サトウに関する一部の記述を除き、ほとんど書かれていません。
「長州ファイブ」のヨーロッパ留学にグラバーが協力したことにも触れられていない。
これはウィキにさえ記されている歴史的事実です。
外国人の存在なしに明治維新を語るということが全く意味をなさないことなど、東京大学名誉教授という肩書を持つ“お偉い方”ならば理解できないはずはないのだが、これは一体どういうことだろう?
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-2503.html
15歳の少年が新しい天皇になる。孝明天皇に比べてはるかに影響力を行使しやすかろうから、将軍の権力を強めることになろう。 by ハリー・スミス・パークス
「幕末維新を動かした8人の外国人」小島英記
さらに著者が徹底的に遠ざけている箇所があります。
それは、下記の事実です。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-9.html
天皇史そして日本史の真実
「天皇破壊史」太田龍
このことを触れないで明治維新を語るということは、「キリストのいないキリスト教」「ミック・ジャガーのいないローリング・ストーンズ」「餡子の入っていない大福」「肉のないすき焼き」「スジャータのないコーヒー(古・・・)」のようなものなのです。
飛躍しすぎましたが・・・(汗)
要するに、このことを触れないで明治維新を語るということは、「問題の核心を欠いたもの」であり、「意味をなさないもの」だということが言いたいのです。
「この語られている史実」が真実か真実でないかは別として、「この語られている史実」に触れないということは、問題の核心から逃げているということです。
著者が東京大学名誉教授という肩書を持つ以上、「この語られている史実」に触れるということは、東京大学名誉教授という肩書を失うということになるでしょうから、「この語られている史実」に触れることはできないということは十分に理解できます。
恐らく著者は「この語られている史実」に触れないことと引き換えに現在の地位を築かれたのでしょうから・・・
歴史を偽造することを引き換えに東京大学名誉教授の地位を手に入れられたのでしょうから・・・
「頼むからそこは言わんといて。私がそれについて触れられないことは分かるやろ」というお気持ちは私にもわかりますが、日本近代史や明治維新についての書を出されている以上、「この語られている史実」を無視してもらっては困るのです。
「この語られている史実」が間違っていると主張されるのならば、何故に間違っているかという根拠を述べるべきです。
「本来北朝であるはずの天皇が、何故に明治になって南朝が正当であると公言するようになったのか」という根拠を述べるべきです。
「孝明天皇までは天皇家の菩提寺は寺であったのに、何故に明治になって廃仏毀釈を行うようになったのか」という根拠を述べるべきです。
「病弱であったはずの明治天皇が、何故に相撲にも精通されたご立派な体格になられたのか」という根拠を述べるべきです。
「ご立派な明治神宮と比べて、何故に孝明天皇は無各社(名もないほこら)に祀られているのか」という根拠を述べるべきです。
著者は、学生時代「60年安保闘争を、全学連の幹部闘士として指揮していた」そうである。
学生運動の良し悪しは別として、恐らく学生時代の著者は社会の矛盾に対して真剣に立ち向かい、戦っていたのでしょう。
生意気ではあるが、著者には、是非、当時の純粋な気持ちを思い出してもらいたい。
「現在の肩書を投げ捨てても歴史の真実を書いてやる」というような気概を見せてもらいたい。
人生の価値は肩書ではない。
「如何に真剣に人生を生きたか」ということこそが、本当の人生の価値である。
著者が想いを寄せている西郷隆盛の真剣な生きざまこそが、それを如実に語っているのではないのだろうか。
評点:30点
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2013年の書である。
著者は、東京大学名誉教授という肩書を持つ、所謂「体制派」の人間のようである。
このような肩書を持つ著者が「西郷隆盛と明治維新」の真実を暴くような書を世に出すはずがないことは、本書を読む前から分かっていました。
こういったことを分かっていながら、敢えて本書を読みました。
太田龍氏のような「反体制派」の書だけでなく、著者のような「体制派」の書を読むということは、重要なことであると思います。
学校教育が「彼ら」にとって重要な「洗脳工作の機関」であることは、当ブログの読者の方ならば「常識」としてご理解いただいているでしょう。
この「洗脳工作の機関」の最たる機関が、日本においては東大なのです。
この「洗脳工作の機関」の最たる機関の名誉教授である著者が書く「明治維新本」が歴史の真実を書くわけがないことは、当然のごとく「常識」でしょう。
しかし、そのような立場の人間がどのように明治維新を記すのかということを知ることは、意外と有意義なことなのです。
これは、テレビの歴史番組を私が好んで観ていることと基本的には同じです。
「西郷どん」が歴史を偽造しているのは、初めから分かっています。
そのようなことは「常識」として理解したうえで、どのように偽造しているかを確認することが重要なのです。
本書を読んだり、「西郷どん」を観て、「これが真実の西郷隆盛の人物伝だ」などと思い込んでしまう人は、初めから本書や「西郷どん」に近づかないことをお勧めします。
しかし、この「常識」を理解した上であれば、本書を読むことや、「西郷どん」を観ることは、とても役に立つのです。
批判めいたことを書きましたが、私は本書を全否定しているのではありません。
西郷隆盛のことをよく調べておられるのは事実ですので、役に立つ部分も多いのです。
征韓論について著者は、「西郷は朝鮮を武力で制圧することを目的にしていたのではなく、朝鮮への「使節派遣」を求めたに過ぎない」と述べています。
基本的には「真実」です。
ただし著者は「西郷は西洋・悪魔勢力と戦うための協力体制を築くために朝鮮に話し合いに行こうとしたのであり、「西郷の行動を許すな」と西洋・悪魔勢力に命じられた大久保・岩倉・木戸らと西郷が対立し、西南戦争の原因となった」ということには気づいておられない(気づいていても、そのようには書かない)ようです。
そして幕末・明治期の外国人に関しては、アーネスト・サトウに関する一部の記述を除き、ほとんど書かれていません。
「長州ファイブ」のヨーロッパ留学にグラバーが協力したことにも触れられていない。
これはウィキにさえ記されている歴史的事実です。
外国人の存在なしに明治維新を語るということが全く意味をなさないことなど、東京大学名誉教授という肩書を持つ“お偉い方”ならば理解できないはずはないのだが、これは一体どういうことだろう?
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-2503.html
15歳の少年が新しい天皇になる。孝明天皇に比べてはるかに影響力を行使しやすかろうから、将軍の権力を強めることになろう。 by ハリー・スミス・パークス
「幕末維新を動かした8人の外国人」小島英記
さらに著者が徹底的に遠ざけている箇所があります。
それは、下記の事実です。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-9.html
天皇史そして日本史の真実
「天皇破壊史」太田龍
このことを触れないで明治維新を語るということは、「キリストのいないキリスト教」「ミック・ジャガーのいないローリング・ストーンズ」「餡子の入っていない大福」「肉のないすき焼き」「スジャータのないコーヒー(古・・・)」のようなものなのです。
飛躍しすぎましたが・・・(汗)
要するに、このことを触れないで明治維新を語るということは、「問題の核心を欠いたもの」であり、「意味をなさないもの」だということが言いたいのです。
「この語られている史実」が真実か真実でないかは別として、「この語られている史実」に触れないということは、問題の核心から逃げているということです。
著者が東京大学名誉教授という肩書を持つ以上、「この語られている史実」に触れるということは、東京大学名誉教授という肩書を失うということになるでしょうから、「この語られている史実」に触れることはできないということは十分に理解できます。
恐らく著者は「この語られている史実」に触れないことと引き換えに現在の地位を築かれたのでしょうから・・・
歴史を偽造することを引き換えに東京大学名誉教授の地位を手に入れられたのでしょうから・・・
「頼むからそこは言わんといて。私がそれについて触れられないことは分かるやろ」というお気持ちは私にもわかりますが、日本近代史や明治維新についての書を出されている以上、「この語られている史実」を無視してもらっては困るのです。
「この語られている史実」が間違っていると主張されるのならば、何故に間違っているかという根拠を述べるべきです。
「本来北朝であるはずの天皇が、何故に明治になって南朝が正当であると公言するようになったのか」という根拠を述べるべきです。
「孝明天皇までは天皇家の菩提寺は寺であったのに、何故に明治になって廃仏毀釈を行うようになったのか」という根拠を述べるべきです。
「病弱であったはずの明治天皇が、何故に相撲にも精通されたご立派な体格になられたのか」という根拠を述べるべきです。
「ご立派な明治神宮と比べて、何故に孝明天皇は無各社(名もないほこら)に祀られているのか」という根拠を述べるべきです。
著者は、学生時代「60年安保闘争を、全学連の幹部闘士として指揮していた」そうである。
学生運動の良し悪しは別として、恐らく学生時代の著者は社会の矛盾に対して真剣に立ち向かい、戦っていたのでしょう。
生意気ではあるが、著者には、是非、当時の純粋な気持ちを思い出してもらいたい。
「現在の肩書を投げ捨てても歴史の真実を書いてやる」というような気概を見せてもらいたい。
人生の価値は肩書ではない。
「如何に真剣に人生を生きたか」ということこそが、本当の人生の価値である。
著者が想いを寄せている西郷隆盛の真剣な生きざまこそが、それを如実に語っているのではないのだろうか。
評点:30点
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