アメリカと“日本の総理大臣を装ったCIAの工作員”の間で締結された日米安保条約・日米密約 - 戦争
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アメリカと“日本の総理大臣を装ったCIAの工作員”の間で締結された日米安保条約・日米密約

「日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか」矢部宏治


2016年の書である。
日米合同委員会、横田空域等、いわゆる日米裏密約のことが書かれていた。
著者は基地権密約(米軍が基地の中でなんでもできる権利、米軍が基地の外で自由に動ける権利の密約)と指揮権密約(有事の際、自衛隊の指揮はアメリカの司令官が持つ権利の密約)が存在していることを具体的な例を上げて説明している。
基地権密約はまだ許せるとしても、指揮権密約については「もうメチャクチャ」としか言いようがない。これは、憲法9条以前の問題であり、日本が明らかに主権国家ではないことの証明となるからだ。まぁそうは言っても、この国がアメリカの属国であることは百も承知しているので、今更驚くようなことではないのだが・・・

本書は日米関係のタブーに迫った良心的な書であるとは思うが、私の目から見れば「まだまだ甘い」と感じた。その理由は、基本的には「密約がアメリカと日本の国家間の交渉の末に締結された」という偽りをベースにしたものだからである。密約に関わった日本の総理大臣も、基本的には「日本国家のことを考えた立場に立っている」というスタンスで書かれており、決して「アメリカ側(というよりもイルミナティ側)のことを考えた立場に立っている」というスタンスで書かれていないのである。

「そんなん当たり前や」と思われる方も多いだろうが、それが「当たり前」ではないのである。戦後(といよりも明治以降)の総理大臣(田中角栄のような例外も一部では存在しているが)は、基本的に外国勢力(というよりもイルミナティ)の立場に立って政治活動を行っているのである。
著者の故意か無知によるものかは別として、この「基本概念」に触れずに戦後近代史を考えても、どうしても真実に近づくことはできないのです。
いくら一般には知られていない密約に迫った内容であったとしても、「密約の背後」は見えてこないのです。
そこで、私が「密約締結の真相」を探ってみようと思います。
重要なヒントが記されている箇所(83ページ)が本書にありましたので、記しておきます。



基地権密約の主役は岸信介でしたが、指揮権密約の主役は吉田茂ということになります。
このふたりはいうまでもなく、旧安保条約(1952年)と新安保条約(1960年)の締結という「戦後日本」の最大のターニングポイントで、それぞれ舵取りをまかされた日本のリーダーたちでした。



この売国密約を締結したのは、岸信介と吉田茂でした。
この二人が何者であるかということに触れていない限り、「戦後近代史の真相」及び「戦後の日米関係の真相」は見えてこないでしょう。
逆に言えば、この二人を調べれば、「戦後近代史の真相」及び「戦後の日米関係の真相」が見えてくるのです。
改めて、吉田茂を調べてみます。

(ウィキより抜粋)

吉田 茂(よしだ しげる、1878年(明治11年)9月22日 - 1967年(昭和42年)10月20日)は、日本の外交官、政治家。位階は従一位。勲等は大勲位。
外務大臣(第73・74・75・78・79代)、貴族院議員(勅選)、内閣総理大臣(第45・48・49・50・51代)、第一復員大臣(第2代)、第二復員大臣(第2代)、農林水産大臣(第5代)、衆議院議員(当選7回)、皇學館大学総長(初代)、学校法人二松学舎舎長(第5代)などを歴任した。

1878年(明治11年)9月22日、高知県宿毛出身の自由民権運動の闘士で板垣退助の腹心だった竹内綱の五男として東京神田駿河台(のち東京都千代田区)に生まれる。父親が反政府陰謀に加わった科で長崎で逮捕されてからまもないことであった。実母の身元はいまでもはっきりしない。母親は芸者だったらしいが大室弥兵衛とハナの間の娘とする説がある。竹内の投獄後に東京へ出て竹内の親友、吉田健三の庇護のもとで茂を生んだ。
吉田の実父と義父は若い武士として1868年(慶応4、明治元年)の明治維新をはさむ激動の数十年間に名を成した者たちであった。その養母は徳川期儒学の誇り高い所産であった。

小学時代の吉田茂
1881年(明治14年)8月に、旧福井藩士で横浜の貿易商(元ジャーディン・マセソン商会・横浜支店長)・吉田健三の養子となる。ジョン・ダワーによると、「竹内もその家族もこの余計者の五男と親しい接触を保っていたようにはみえない」という。
養父・健三が40歳の若さで死去し、11歳の茂は莫大な遺産を相続した。吉田はのちにふざけて「吉田財閥」などといっている。
太平洋戦争開戦前には、ジョセフ・グルー米大使や東郷茂徳外相らと頻繁に面会して開戦阻止を目指すが実現せず、開戦後は牧野伸顕、元首相近衛ら重臣グループの連絡役として和平工作に従事(ヨハンセングループ)し、ミッドウェー海戦大敗を和平の好機とみて近衛とともにスイスに赴いて和平へ導く計画を立てるが、成功しなかった。その後、殖田俊吉を近衛文麿に引き合わせ後の近衛上奏文につながる終戦策を検討。しかし書生として吉田邸に潜入したスパイ(=東輝次)によって1945年(昭和20年)2月の近衛上奏に協力したことが露見し憲兵隊に拘束される。ただし、同時に拘束された他の者は雑居房だったのに対し、吉田は独房で差し入れ自由という待遇であった(親交のあった阿南惟幾陸相の配慮によるものではないかとされている)。40日あまり後に不起訴・釈放となったが、この戦時中の投獄が逆に戦後は幸いし「反軍部」の勲章としてGHQの信用を得ることになったといわれる。

終戦後の1945年(昭和20年)9月、東久邇宮内閣の外務大臣に就任。11月、幣原内閣の外務大臣に就任。12月、貴族院議員に勅選される。翌1946年(昭和21年)5月、日本自由党総裁鳩山一郎の公職追放に伴う後任総裁への就任を受諾。内閣総理大臣に就任した(第1次吉田内閣)。大日本帝国憲法下の天皇組閣大命による最後の首相であり、選挙を経ていない非衆議院議員(貴族院議員なので国会議員ではあった)の首相も吉田が最後である。

朝鮮戦争勃発により内外で高まった講和促進機運により、1951年(昭和26年)9月8日、サンフランシスコ平和条約を締結。また同日、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(日米安保)を結んだ。国内では全面講和論の支持者も少なくなく、吉田は政治生命を賭けて平和条約の調印に臨んだが、帰国後の内閣支持率は戦後最高の58%(朝日新聞)に上った。しかし、ここが吉田の頂点であった

吉田は典型的な明治時代の人間であり、彼と親しかった白洲次郎は、自身の随想の中で「吉田老ほど、わが国を愛しその伝統の保持に努めた人はいない。もっとも、その『伝統』の中には実にくだらんものもあったことは認めるが」と語っている。

ノーベル平和賞に3回推薦されている。ノルウェー・ノーベル委員会が守秘義務期間を過ぎ開示した選考資料によれば、1965年、1966年、1967年の候補になっていたことが明らかになっている。特に1965年には当時の首相佐藤栄作や外相椎名悦三郎、また日本政府の働きかけによって元米国務長官ディーン・アチソン、元米国務長官コンラート・アデナウアーからの推薦も得て吉田を平和賞候補にする推薦状が作られ、最終審査対象リストにも残っている。




養父がジャーディン・マセソン商会の横浜支店長だった。
戦前からジョセフ・グルーと頻繁に会っていた。

この事実だけで、この男の正体は明白ですね。
少なくとも当ブログの以前からの読者の方であれば。

ジャーディン・マセソン商会とは何か。



http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-703.html
明治維新こそ「彼ら」の「彼ら」による「彼ら」のための日本支配体制が確立された「日本転覆クーデター」なのです
「幕末・明治維新の真相、歴史の裏舞台に“貢献”したフリーメーソン・工作員の正体を暴く①(坂本龍馬編)」


ジャーデン・マセソン商会(ウィキより抜粋)
ジャーディン・マセソン(Jardine Matheson Holdings Limited, 怡和控股有限公司)は、香港にヘッドオフィス(登記上の本社はバミューダ諸島・ハミルトン)を置くイギリス系企業グループの持株会社。ロスチャイルド系であり、米誌フォーチュン誌の世界企業番付上位500社のランキング「フォーチュン・グローバル500」(2009年度版)では世界411位。創設から170年たった今日でも、アジアを基盤に世界最大級の国際コングロマリット(複合企業)として影響力を持っている。

前身は東インド会社で、元は貿易商社。1832年、スコットランド出身のイギリス東インド会社元船医で貿易商人のウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンにより、中国の広州(沙面島)に設立された。
設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出。同じロスチャイルド系の香港上海銀行(HSBC)は、ジャーディン・マセソンなどが香港で稼いだ資金をイギリス本国に送金するために設立された銀行である。
清とイギリスとの間で1840年から2年間にわたって行われたアヘン戦争に深く関わっている。アヘンの輸入を規制しようとする清朝政府とイギリスの争いが起こった際に、当時のアヘン商人の一つであるジャーディン・マセソン商会のロビー活動により、イギリス本国の国会は9票という僅差で軍の派遣を決定した。
1859年(安政6年)、上海支店にいたイギリス人ウィリアム・ケズィック(ウィリアム・ジャーディンの姉の子)が横浜(旧山下町居留地1番館、現山下町一番地)に「ジャーディン・マセソン商会」横浜支店を設立。日本に進出した外資第1号としても知られる。後に吉田茂の養父・吉田健三が一時期、同社横浜支店長を勤めていた。
鹿島によって建設された横浜初の外国商館である社屋は、地元民から「英一番館」と呼ばれた。跡地には現在シルクセンター(国際貿易観光会館)が建っている。
1863年(文久3年)、ウィリアム・ケズウィックは井上聞多、遠藤謹助、山尾庸三、野村弥吉、伊藤博文の長州五傑のイギリス留学を支援する。彼らの英国滞在は、ジェームス・マセソンの甥にあたるヒュー・マセソン(ジャーディン・マセソン商会・ロンドン社長)が世話した。
一方長崎でも、1859年9月19日(安政6年8月23日)に幕末・明治期の重要人物であるトーマス・ブレーク・グラバーが「ジャーディン・マセソン商会」長崎代理店として「グラバー商会」を設立。現在はグラバー園として公開されている。グラバーは、五代友厚(薩摩)、坂本龍馬(海援隊)、岩崎弥太郎(三菱財閥)等を支援した。




「養父がジャーディン・マセソン商会の横浜支店長だった」という事実は、「養父はグラバーを操っていた勢力の配下であった」ということなのです。
もっと分かりやすく言えば、「養父はロスチャイルドの配下であった」ということなのです。
そのような特殊な職業をしていた養父に育てられた吉田茂が「偶然」総理大臣になるはずがないのです。
次に、ジョセフ・グルーとは何者か。
この人物を探ると、岸信介もくっついてきます(笑)


http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-1021.html
戦後の日本国では米国のスパイが総理になることになっている。
「こうやって八百長戦争は演出される、八百長戦争演出家が養成されるルートを探る」


米国のジャーナリスト(ニューヨーク・タイムズ記者)ティム・ワーナーは(米国CIAの秘密を暴露する書物の中で)次のように書いている。読者は事実を知るべきだ。
 「岸は1941年、アメリカに対する宣戦布告時の閣僚であり、商工大臣を務めていた。戦後、A級戦犯容疑者として収監されていた間も、岸はアメリカの上層部に味方がいた。そのうちの一人は、日本によるパールハーバー攻撃があったとき駐日大使を務めていたジョゼフ・グルーだった。グルーは開戦後の1942年、東京の収容所に入っていたが、当時、戦時内閣の閣僚だった岸がグルーを収容所から出してやり、ゴルフを共にしたことがあった。二人は友人になった。岸が巣鴨拘置所を出所した数日後、グルーは『自由ヨーロッパ全国委員会』の初代委員長になった。この委員会は『自由ヨーロッパ放送』などの政治戦争計画を支援するためにCIAが設けた偽装組織だった。(『CIA秘録(上)』ティム・ワーナー/文藝春秋)
  岸信介の背後には「駐日大使ジョゼフ・グルー」が立っていた。同時にその背後には「米国CIA」も存在した。このような構造の中で収容所を出た岸はどう動いたか。
 「岸は一年ほどの間、隠密にCIAや国務省の当局者と(ハッチンスン家(引用者注/CIAの手先)の居間で会っていた。『彼がアメリカ政府から少なくとも暗黙の支援を求めていたことは明らかだった』とハッチンスンは回想している。一連の会談はその後40年間の日米関係の土台を築くことになった」(同上)
  本書では岸信介の動きを詳細に追う余裕はない。だが彼が「米国のスパイ」(CIAの支援で首相になった男)だったことは(日本国民全員が知るべき)「絶対的な事実」なのだ。




岸信介についてはこれまで十分取り上げてきましたが、
ここにもグルーが登場するようですね(笑)


http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-1010.html
「彼ら」が本当にされて困ることは何か?(「あやつり人形」PANTA)
「恐るべき“あやつり人形”の系譜、岸信介から安倍晋三へ」


元米国駐日大使ジョセフ・グルーらから人間として絶対的な信頼を得ていたことなどの事情が考慮されたため、東條ら7名のA級戦犯が処刑された翌日の1948年(昭和23年)12月24日、不起訴のまま無罪放免された。

同時に岸は日本政界についてのさまざまな情報をCIAに提供した。その見返りとして岸がCIAに求めたのが、政界工作資金だったのだ。岸はCIAのエージェントであった。そして、岸は首相の座につくや、<CIAと協力して針安保条約を練り直すことを約束した>。



こんな記事もありましたね。

http://www.asyura2.com/09/senkyo72/msg/524.html
吉田茂側近がCIAに情報を提供 早大教授が米公文書発見

http://www.47news.jp/CN/200910/CN2009100301000210.html
 吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895~1988年)が、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれ、自衛隊や内閣調査室の創設にかかわる内部情報を提供していたことを示す資料を3日までに、有馬哲夫早大教授(メディア研究)が米国立公文書館で発見した。日本の再軍備をめぐり、吉田元首相の側近までも巻き込んだ米国側の対日情報工作の一端を示しており、戦後の裏面史に光を当てる貴重な発見だ。
 有馬教授は同館で発見したCIAのコードネーム表、辰巳氏ら旧軍人に関する文書などを総合的に分析。「より強力な軍隊と情報機関の創設を願っていた旧軍人の辰巳氏は、外交交渉で日本に再軍備を迫っていた米国にCIAを通じて情報を流すことで、米国が吉田首相に軽武装路線からの転換を迫ることを期待していた」と指摘している。
 CIAの辰巳氏に関するファイル(52~57年)では、辰巳氏は実名のほか「首相に近い情報提供者」「首相の助言者」「POLESTAR―5」とさまざまな名称で呼ばれ、「保安隊の人選」「自衛隊」「内閣調査室」などの「情報をCIAに与えた」と記されていた。
 辰巳氏は占領期、旧軍人による反共工作組織「河辺機関」の一員で、連合国軍総司令部(GHQ)の了解の下、新たな軍隊と情報機関の立案に参画していた。吉田は首相就任後、「河辺機関」のほとんどの旧軍人を遠ざける一方、辰巳氏を信頼し、50年の警察予備隊の幹部人選などを任せた。

2009/10/03 10:29 【共同通信】





はい皆さん、もう分かりましたよね。
「日本の総理大臣はCIAの工作員という“もう一つの顔”を持っていた」という事実が。
「旧も新も安保条約はアメリカと“日本の総理大臣を装ったCIAの工作員”の間で締結された」というのが真相なのです。
安保条約に内在されていた基地権密約も指揮権密約も、「同じ勢力」が「同じ目的」を持って締結したのであり、決して「交渉」などの末に締結されたのではないのです。

岸信介の孫が安倍であり吉田茂の孫がアホウであることは、皆さんご存知ですよね。
「この二人が総理と副総理・財務大臣となってこの国を「戦争ができる国」にしようとしている本当の理由」が分かりますよね。

「安倍とアホウが誰の指示・命令系統にあるのか」が分かりますよね。

「この二人が少なくとも日本国民のための政治を行っていないこと」が分かりますよね。

著者には申し訳ないですが、「本書のタイトルである「日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか」という問いに、本書以上に答えることができたのではないか」と思っています。

私がいつも「正しい歴史を学ばなければならない」という理由は、ここにあるのです。


評点:50点






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