東インド会社(特に英国東インド会社)を理解しなければならない理由 - ジョン・コールマン、ユースタス・マリンズ
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東インド会社(特に英国東インド会社)を理解しなければならない理由

「新版300人委員会[上]支配される世界」②ジョン・コールマン


前回に続く。今回のテーマは、東インド会社(特に英国東インド会社)についてである。
以下、一部引用する。



*すでに述べたように、東インド会社(EIC)は1600年にチューダー朝最後の君主エリザベス1世の勅許を得て設立された。EICの面々はヴェネチアのレヴァント会社の後につづき、ムガール帝国の王族や商人、銀行家と良好な関係を結ぶべくインドに渡った。EICは、権力エリートの祖であるロンドン・ステープラーズ同業組合とその後身ロンドン毛織物商会で構成される一種の「ロイヤル・ファミリー」だ。
この「ロイヤル・ファミリーによる独占的同業組合はヴェネチアとジェノヴァの黒い貴族銀行家ファミリーに根ざしている。EICは初期のころから共産主義的意図を持っていた。その証拠に、新大陸のヴァージニア植民地は共産主義に近い運営のされ方をしている。EICの役員には先に述べたキリスト教宗派の信者や、グノーシス派、薔薇十字団の信奉者などが並んでいた。

東インド会社の人間がインドの金融支配者から得た最大の収穫は、ヨーロッパとアメリカで準備銀行制度として知られるようになる金融制度だ。この仕組みは1625年にイギリスに導入された。東インド会社の人間はインドの銀行制度の内奥で通じ、その秘密をロンドンに送った。こうしたレポートには、インドで過去何世紀もの間受け継がれた制度の内容がつまっていた。なかには、古代バビロニアもこのシステムもインドから学び、大成功を収めたことも記されていた。
インドの金融システムはのちに、オランダ、イギリス、アメリカの国家金融制度となっていく。


*東インド会社の台頭にともない、300人委員会のファミリーも力を持ち始めた。チャーチル家、ラッセル家、モンタギュー家、ベンサム家、トマス・パピヨン家、ベッドフォード家などだ。アメリカではフォーブス家、デラノ家、メロン家、パーキンス家、ラッセル家、モーガン家、コリン・キャンベル家などが挙げられる。いずれも東インド会社のおかげで非常に繁栄し、インド・アヘンを中国に輸出する貿易で莫大な利益を得たファミリーだ。
東インド会社の最重要メンバーの一人は、ジェレミー・ベンサムだ。彼はダントンとマーラーを指導して、フランス革命を裏で仕切った人物だ。ベンサムは東インド会社の「キング・メーカー」であり、フェビアン協会の前身「哲学的急進派」のリーダーでもあった。ワン・ワールド政府を初めて公然と支持した人物でもある。彼の思想は、今日では「功利主義哲学」と呼ばれる。
ベンサムの主張は、クエーカー教徒の大富豪ウィリアム・アレンとそのパートナー、ロバート・オーウェンに採用された。アレンはイギリス平和協会の創設者だ。アレンとともにラナークの紡績工場を経営していたオーウェンは無神論者であり、のちにアメリカに強制されることになる自由恋愛と人工中絶の擁護者であった。ベンサムは1782年以降、英国東インド会社のトップに君臨した。オーウェンは謝意主義を植えつけるためにアメリカに渡り、インディアナ州ニューハーモニーに社会主義的共同体を創設した。「社会主義」という言葉が政治的信念として初めて使われたのは1830年、ちょうどこのころだと思われる





(管理人)
著者は「300人委員会がこの世界を支配しており、その300人委員会の前身は東インド会社であり、東インド会社はヴェネチアとジェノヴァの黒い貴族銀行家ファミリーに根ざしており、その祖先はバビロンで生まれたマニ教を起源とするボゴミール派、アルビ派、カタリ派の流れを汲んでいる」と、指摘している。
「黒い貴族やバビロンで生まれたマニ教を起源とするボゴミール派、アルビ派、カタリ派」についてはここでは追及しないが、東インド会社とは一体何者であるのだろうか。
長きにわたってこの世界の真実を伝えてくれている「さてはてメモ帳」さんが、ジョン・コールマンやユースタス・マリンズの書を紹介してくれているので、転載します。



http://satehate.exblog.jp/8675831/
こんな意見もあります。

●清をアヘンで引導を渡し大躍進した悪魔のアジア侵略

300人委員会は、1897年頃に設立されている。しかし実質的な成立は、それからまだ50年ほど前にまで遡ることができ、約150年の歴史を持つ。その誕生は、イギリス東インド会社(BEIC=ブリティッシュ・イースト・インディアン・カンパニー)内であった。つまりBEICで設立された「300人評議会」こそ、現代の300人委員会の胎児であったのだ。

ここで読者はいぶかしく思うかもしれない。そもそも「東インド」とは何のことだろうか、と。だが、これを説明するためには15世紀末にまで、遡らなければならなくなる。

当時、コロンブスの船隊はヨーロッパの国際銀行家(悪魔主義者)の命を受けて、南北アメリカ大陸の西方海上に到っていた。彼らにとって、その地こそ「インド」だった。これが現在の西インド諸島である。よって本物のインドが「東インド」になったというわけだ。

話を戻す。
国際銀行家は、この東インド会社(BEIC)をフル活用した。つまり17世紀初頭以来の、大々的なアジア(インド以東)侵略という彼らの邪悪な野望にとって、この組織は恰好の道具であった。

BEICはブリテン(英国)、フランス、オランダという3国家の顔を見せてはいたが、その真の主人は国際銀行家だったのである。 

BEICの重要な役割はアヘン取引とアヘン市場の独占管理であった。この悪魔的機関が大活躍をしたのは、英国(の仮面を付けた国際銀行家)が清帝国を粉砕するためにアヘンを武器として選んでからである。

その結果、清のおびただしい数の国民は、悪魔のドラッグ、アヘン浸けとなった。

やがて英清アヘン戦争(1839~42年)が起こったが、この戦争で清は大敗を喫した。
ここにBEIC・悪魔勢力は歴史的大勝利を収めたのである。



http://satehate.exblog.jp/8777131/
英国東インド会社によるアヘン貿易の真相 

大英帝国は海賊行為と奴隷制と麻薬貿易によって繁栄した。

ドレーク海賊団(サー・フランシス・ドレーク[1540?-1596]を首領とする)がマーチャント・アドヴェンチャラーズ商会(セバスティアン・カボット)と変わり、これがのちに東インド特許状会社となった。

この会社は1700年に再編成された。もともと東インド会社(1600年設立)は広東の公商(清代に外国との取引を許された約10社の特許商人。そのギルドが公行、公行の代表が総商)に茶葉の代金を銀で支払ったが、やがて公商たちはアヘンによる支払のほうを歓迎することがわかる。茶葉代金のアヘンによる支払というこの偶然の取決めは、中国人指導層の一部から妨害を受けることになり、その結果、英国は中国に対して、1840~43年のアヘン戦争以来、1931年の満州占領に到るまで10回のアヘン戦争を遂行したのである。

1715年、英国東インド会社は初めて広東に極東事務所を開設した。

英国の政治支配を円滑にするため、中国人住民のあいだにアヘン中毒を植えつけることが国王の政策となった。当時の大英帝国は、アメリカ植民地を失えば破産するという危機に脅かされていた。(引用注:アメリカ「独立」戦争は1775-1783年)

アメリカの植民地反乱軍を鎮圧するため、中国のアヘン貿易の利益がマイヤー・アムシェル・ロスチャイルド[1744-1812]を仲介として(引用注:ヘッセン方伯フリードリッヒ二世とその子)ヘッセン選帝公のもとに送金され、1万6800人のヘッセン人傭兵部隊を雇うことになったのである。

このように、麻薬貿易に関与したロスチャイルドはアメリカの歴史で中心的な役割を果たしたのだが、これまでの歴史書では無視されるか抹消されてきた。

貨幣数量理論および「地代」理論すなわち略奪理論の父デイヴィッド・リカード [1772-1823年。英国の経済学者。労働価値説・差額地代論・国際貿易にかんする比較生産費説などを唱えた]は、東インド会社の経営役員会に席を連ねていた。

ジョン・スチュアート・ミル[1806-1873年。英国の経済学者・哲学者]を東インド会社の首席検査官に任命するようにしたのはリカードだった。

アヘン戦争中のイングランドの植民大臣はエドワード・ジョージ・ブルワー・リットン[1803-73年。初代リットン卿、小説家・劇作家・政治家]で、1842年の南京条約を締結し、イングランドに2100万ドルの銀貨と自由港・香港の領有権とをもたらした。

その当時、英国は中国の紅幇や三合会、暗殺団と同盟を結び、今日まで中国人を支配してきたのである。

ブルワー・リットンの息子エドワード・ロバート・ブルワー・リットン[1831-91年。初代リットン伯爵、政治家・詩人]はアヘン貿易最盛期の1880年代にインド総督[1876-91年]をつとめ、英国のインド統治を描いたラディヤード・キプリング[1865-1936年。インド生まれの英国の小説家・詩人]の著作活動を支援した。

麻薬貿易で暴利を得た者のなかにシェルバーン伯爵ウィリアム・ペティー[1737-1805年。1782-83年首相]がいるが、彼は英国に最初の諜報機関を組織した人物である。

諜報工作員は英国の指導者の家庭から採用された。諜報機関の長官はジョージ・ベアリングで、アダム・スミス[1723-90年。古典派経済学の始祖。主著『国富論』]とジェレミー・ベンサム[1748-1832年。思想家。功利主義の代表者。快楽を助長し苦痛を防止することをすべての道徳や立法の究極の原理とし[最大多数の最大幸福」の実現を説いた]とトーマス・マルサス[1766-1834年。経済学者。人口は幾何級数的に増えるが、食料は算術級数的にしか増加しない、ゆえに貧困は一種の自然現象で、社会制度の欠陥によるものではないと説いた。主著『人口論』]が工作員として雇い入れられた。

英国諜報機関のジュネーヴ本部はマレット・プレボー家によって運営されたが、その子孫にCIAのアレン・ダレスがいる。

バジル・ラボックが1933年に刊行した『アヘン貿易クリッパー船』には、アヘン貿易に従事した英国の帆船の主な所有者たちの名前が、それぞれの帆船旗のカラー挿絵付きで掲載されている。

そのほとんどはかつての奴隷貿易商人だった。

第1位は光栄ある東インド会社(中国人にはホン・ジョン会社と呼ばれた)、
第2位はジャーディン・マセソン商会
第3位はデント商会、
第4位はパイバス・ブラザーズ、
第5位はラッセル商会、
第6位はカマ・ブラザーズ、
第7位はアソル公爵夫人、
第8位はバルカラス伯爵、
第9位はジョージ四世[在位1820-30年]、
第10位は摂政の宮[ジョージ三世が精神に異常をきたしたので即位までジョージ四世に与えられた称号、1811-20]、
第11位はキャムデン侯爵、
第12位はメルヴィル夫人であった。


1927年2月1日のニューヨーク・タイムス紙にサー・ロバート・ジャーディンの死が次のように報じられている。

故サー・ロバート・ジャーディンの嫡男で、父の後を継いで香港のジャーディン・マセソン商会の会長であった。同社は長年にわたりインド産アヘンの中国輸出をほぼ独占した。

サー・ロバートは2000万ドルとスコットランドの土地2万エーカーを相続していた。先祖のウィリアム・ジャーディン博士が広東に住み着いたのは、1819年のことだった。

現在のアソル公爵はブレア・キャスルに20万2000エーカーの土地を持ち、イングランドでただ一人、私兵の所有を国王によって認められている。

メルヴィル夫人の祖先の初代伯爵ジョージは1688年にオレンジ公ウィリアムの王位就任に加担し玉璽尚書に任命された。

ユースタス・マリンズ 世界権力構造の秘密 上巻 富と権力の強奪史 p142-145 抜粋






(管理人)
東インド会社とは、私が「彼ら」と呼んでいるこの世界を支配している邪悪な悪魔どもが牛耳っていた組織であることは疑いようがない。
ここに登場した家系や登場人物や組織名を見るだけで、邪悪な臭いがプンプンする。
我々は、こいつら悪魔勢力の正体を、理解しておかなければならない。
何故なら、東インド会社の歴史は決して単なる昔話ではないからである。
東インド会社の末裔が、21世紀の現代社会も支配しているからである。

「フランス革命」や「左右対立の思想詐欺」や「中央銀行詐欺」も、
この勢力が「真犯人」なのである。

安倍もアホウもハシシタも、東インド会社の末裔の極東地域における末端中の末端であることを、我々は理解しなければならない。
安倍が八百長戦争に日本国民を巻き込もうとしている理由も、ここにあるのである。
安倍を辞めさせたところで、新たな傀儡の売国奴が用意されるだけなのだ。
この昔から続いている「真実の歴史」を理解しない限り、「悪魔のシステム」が長きにわたって続いていることを理解しない限り、このシステムを終わらせることはできないのである。
「悪魔のシステム」が存在していることを、決して学校教育や新聞テレビは国民に教えようとしない。
学校教育や新聞テレビは東インド会社の末裔に支配されているからである。
学校教育や新聞テレビは国民をフールにしておくために存在しているのだから、当然のごとく国民に与えられるのは“偽りの歴史狂育”であるわけだ。

我々は、「真実の歴史」に目覚めなければならない。
「真実の歴史」を理解することで、「悪魔のシステム」が現在も続いていることが理解できるのである。
「安倍が八百長戦争に日本国民を巻き込もうとしている理由」「安倍を操っているのが何者であるのか」が、見えてくるのである。
まずは、原因を理解することである。

原因を理解しない限り、問題を解決することは不可能であるのだ。







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