学校教育における日本の古代史=“偽史倭人伝” ? - 歴史・宗教

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学校教育における日本の古代史=“偽史倭人伝” ?

「白村江≪古代日本の敗戦と薬師寺の謎≫」鈴木治


1972年(新装版は1999年)の書である。
本書を読んだのは、先日紹介した太田龍氏の書に紹介されていたからである。
以下、一部引用する。



*先頃発掘された「高松塚古墳」について、その中に現れたいちじるしい唐文化の影響が、当時いかにしてわが国にもたらされたかが論ぜられるにつれて、はからずも天智・天武・持統の三代30年間の長期にわたる遣唐使断絶の問題が浮かびあがった。このことは天智2年(663)、わが国は白村江において唐と戦い大敗を喫したにもかかわらず、その後両国の関係はしごく円滑で、わが国からはしばしば遣唐使が派遣されて、おおいに彼の地の文化を輸入し、ついに咲く花の匂うがごとき天平文化が現出した、という従来の通説をおおきくゆさぶることになった。
しかも多くの日唐交渉研究は、従来この問題をほとんど看過してきた。
近年私はたまたま薬師寺金堂三尊の建立が日唐30年の断交期間中に当るという意外な事実と直面するにいたり主として美術史の立場からこの問題の解決を試みて、これを「白鳳天平幻術の史的背景」(『仏教芸術』第73号)として発表した。今回それをさらに広い視野からパラフレーズしたのが本書である。
当時唐は朝鮮海峡を越えてわが国に上陸作戦を敢行するほどの力はなかったが、いやしくも白村江の会戦に勝った以上、むざむざ勝者の権利を放棄するはずはなかった。戦後数次の彼我交渉の後に、天智天皇崩御の前年にいたり、朝散大夫郭務悰に率いられ、47隻の船に分乗して大挙筑紫に渡来した2千人の大部隊は、軍隊ではないとしても、国内攪乱のための大規模な政治工作隊だったことはたしかである。そしてその跡引きつづいてわが国内に生じた数々の奇怪な事件は、唐のわが国にたいする内政干渉によって起ったものだったことはいうまでもない。壬申の乱をはじめとして、東大寺大佛建立その他の大事件は、すべてその中に含まれる。

*持統朝におけるもっとも大きなできごとは藤原京の建設と、それにつぐ薬師寺の建立だった。それは天武朝における大官大寺の建立に対比されるが、大官大寺の伽藍配置が、前記のごとくまだ百済系統の「法隆寺形式」であったのにたいして、薬師寺は左右に塔のある伽藍配置から見ても純粋の唐系の官寺とし画期的なものだった。

*藤原京の薬師寺は、伽藍配置の上からみて、わが国最初の唐系の官寺だったことはさきに記した。唐が「ポスト壬申」の対日政策として、天武朝以来、おおいに仏教の興隆につとめたことはいうまでもない。しかしそれと同時に難波の鴻臚館のほかに、大和におけるCIAの政治拠点として、純唐系の薬師寺が必要だったのだ。その初期の住職なども全然不明で、寺院としてよりも、むしろ政治色が強い。後に記すとおり、天平20年に異常の事態によって、突如聖武帝が退位してこの寺に幽閉されたことは、明らかにこの傾向を示している。

いずれにせよ、大宝律令なるものは、思いのほかの代物である。結局それは日本にたいして、大いに唐制をとり入れた親唐国家であることを要求し、それに日本が応じたものだった。
・・・・・(中略)・・・・・
(栗田)真人の一行が、3年間も彼地にいたことも普通ではない。おそらく彼はまず新製の大宝令を提出して、そこに示されているように、日本がすべてを唐朝に範をとった、立派な文化国家になったことを説明し、未来永劫白村江の戦ごとき大それたことをすまじきことを誓い、平身低頭して恭順の意を表したことであろう。それにたいして唐廷は一応承知したが、念には念を入れて、土佐衛門の足に石をしばりつける意味で、一層平和無抵抗主義の仏教をひろめて国是とし、さらに国力消耗策として、できたての藤原京から、もっと大きな平城京への遷都と、全国に国分寺・国分尼寺の建立が強要されたのだった。

*『続紀』によると、当時わが国にいた唐国人としては、つぎの4名があげられる。
・・・・・(中略)・・・・・
以上4人の唐人が奈良朝後半のわが宮廷内に延官として存在していたことは、有力な牒報源として無視することはできない。ことに仲麻呂が誅死した孝謙帝復位後の称徳朝において、4人がそろって重用されて昇位したことも見逃せない事実であって、彼らが大臣・参議などの高官でないからといって、これを軽視することは、実情を見誤るものである。しかしもっとも重要なことは、吉備真備がこれらと緊密に結びついていたに相違いないことである。

*思えば天智2年(663)白村江敗戦以来、寛平6年(894)の遣唐使廃止まで、じつに231年にして、はじめてここにわが国は唐の羈絆(きはん)から脱することができた。





(管理人)
とにかく読みづらい書であった。
ここに引用した文章を選んだ理由は、内容的に貴重な情報であると感じたことは当然だが、
本書の中では比較的判読しやすいという意味においても“貴重”であったことも、大きな要因であった(笑)
書かれている内容は貴重なものだということは理解できるが、「もう少し分かりやすい文体で書いてもらえれば、理解しやすいのにな」と、正直感じた。
古い本とはいえ、はっきり言って古典を読んでいるような気さえした。
内容的には「著者の指摘は基本的には正しいものである」と、感じた。
そうはいっても、本書が大変重要な日本の古代史の真相を紐解く羅針盤的存在であることは間違いないだろう。

白村江敗戦後の日本に郭務悰の大軍がやってきて実質上日本は唐の属国となったということは以前から理解していたが、本書を読むことでその想いは確信となった。
そもそも敗戦した国家が戦勝国に支配されなかったと判断すること自体が、どうかしているのである。
白村江敗戦以前から日本は中国や百済・新羅の強い影響下にあったわけだが、白村江敗戦以後の日本は、完全なる外国勢力の支配下となったのである。
この「決定的事実」を無視して語られる学校教育における日本の古代史は、全く意味をなさない。

嘘八百の日本古代史、“偽史倭人伝”である!

この「決定的事実」を無視する限り、平城京や平安京等の古代都市、古代寺院、遣隋使・遣唐使、古代の政変、天皇制等の古代史の真相は見えてこない。
逆に言うと、この「決定的事実」を正しく理解さえすれば、古代史の真相が見えてくるのである。

本書によって教えられたもの、ヒントを与えられたものは、多々存在する。
壬申の乱・薬師寺・大宝律令等、決して学校教育が教えない「真実の古代史」が見えてくる。
「何故にあれほど遷都を行ったのか」が見えてくる。
「何故に女性天皇が多かったのか」が見えてくる。

先日「テレビは嘘報道という前提で観ればいい」といったことを書いたが、学校が教える歴史についても、「嘘の歴史をであるという前提で聴いておけばいい」と、思う次第である。
「歴史の真実」は学校教育にはない。
ただ、「歴史の真実」を教えてくれる書は、数は少ないが存在している。
本書は、その数少ない貴重な書である。

「歴史の真実」を理解することは、あなたにとってはさほど重要ではないのかもしれません。
それは「戦争が八百長だろうと、そうでなかろうと、自分には関係ない」と思っている方の思考と似ているでしょう。
ただ、そのような方に私が言っておきたいことがあります。
それは「あなたの思考は、あなたの周囲の家族・恋人・友人・知人に必ず影響を与える」ということです。

あなたの無関心は、あなたの周囲の人まで無関心にしてしまうかもしれないのです。
場合によっては、それが取り返しのつかないことになってしまうかもしれないのです。

嘘の歴史を真実だと思ったまま何も調べずに死んでいくのか、自分の頭で「歴史の真実」を理解しようと努めた末に人生を終えるのかは、あなた次第です。


評点:80点






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