蘇我氏と蝦夷の間に良好な関係がなければ、「蝦夷」という名前を名付けるはずがないのだ。 - 関裕二

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蘇我氏と蝦夷の間に良好な関係がなければ、「蝦夷」という名前を名付けるはずがないのだ。

「源氏と平家の誕生」関裕二


2012年の書である。以下、一部引用する。


*ここで、忘れてはならないのは、彼らが「天皇の末裔」だったということだ。もとは天皇の子やその子らが「臣籍降下」して、「源」や「平」を名乗るようになった。その事実を見失ってはならない。天皇の末裔というブランドは、中央貴族(藤原氏)には通用しなくとも、地方では十分に有効だったはずである。
第50代桓武天皇の時代、一世皇親(こうしん)(皇子(みこ)や皇女(ひめみこ))を臣籍降下させる政策が採用され、葛原親王(かつはらしんのう)の子(二世王)に「平」の姓が下賜(かし)された。これが、「桓武平氏」のおこりである。そこから派生した「伊勢平氏」出身の平清盛は、桓武天皇の末裔ということになる。
いっぽうの源氏は、第52代嵯峨天皇の子に「源」の姓が下賜されたのが最初で、これより「嵯峨源氏」が始まった。嵯峨源氏からは、多くの有力貴族が出ている。また、源頼朝、義経兄弟を排出する「河内源氏」は、「清和源氏」の一派である。つまりこの兄弟の「源」の姓は、第56代清和天皇の末裔であることを表している。

*東北で「アベ」は、高級ブランドだった。阿倍氏最盛期のころのヤマト朝廷は、蝦夷との間に蜜月時代を構築していく。その様子を、『日本書紀』の記事から抜粋してみよう。

皇極元年(642)9月21日、越のあたりの蝦夷が数千人、帰順してきた。同年10月12日、蝦夷を朝廷で饗応(きょうおう)した。同年10月15日、蘇我大臣(おおおみ)(蘇我蝦夷)は、蝦夷を自宅に招き、みずから慰問した。
・・・・・(中略)・・・・・

このように、7世紀前半の朝廷は、われわれの常識に反して、蝦夷とうまくやっていたのだ。『日本書紀』は、この時代蘇我氏が専横を極めていたというが、まさにその蘇我氏絶頂期に阿倍氏が勃興し、蝦夷が飛鳥を訪れ、「蘇我蝦夷」の館に招かれ、饗応されていたことは、無視できない。
そして、蘇我氏の衰退した斉明朝に入ると、ふたたび蝦夷と朝廷とが対立していたのは、偶然ではなさそうだ。
・・・・・(中略)・・・・・
中大兄皇子が蝦夷を敵視したのは、蘇我氏と東国が強く結ばれていたからだろう。蝦夷が野蛮人であるというのは、大きな間違いで、ただ前の為政者とつながっていたことで、排除されたのだった。

*天武天皇を起点にして古代の政局は、大きく入れ替わり、奈良時代、平安時代の歴史も、天武天皇の正体がわからなければ、理解できないからなのだ。しかも、蘇我氏と東国、天武と東国とが親しい間柄にあったことが、のちの朝廷と東国のとの関係にも、大いに影響を及ぼしていく。つまり、平氏や源氏と東国との関係も、天武天皇の時代まで遡らないと、本当の意味はわからない。
ならば、天武亡きあと、政局はどのように推移していったのだろう。
結論から述べておくならば、「親・蘇我派」だった政権が、天武天皇の崩御ののちには、「反・蘇我派=親・藤原派」の政権に、入れ替わってしまうのである。
ここに、朝廷と東国との関係を知るための、大きなヒントが隠されている。というのも、東北蝦夷征伐が本格化するのは、藤原政権が樹立されて以降のことだからだ。
関東の軍事力を恐れた藤原政権は、そのパワーをさらに辺境である東北に振り向けることによって、藤原政権に対する刃(は)をかわし、「夷をもって夷を制す」という狡猾な手段によって、すり減らしていこうと考えたのではないかと、疑っているのである。

*不思議でならないのは、平安時代の天皇家を盛り立てた「最大の功労者」が藤原氏であったのに、天皇家が、その恩を仇で返そうとしたことである。
奈良時代末期、光仁天皇と桓武天皇の親子は、藤原氏の力添えがなければ、絶対に即位できなかった。そして、桓武天皇の時代には、さっそく藤原氏は天皇家に女人を送り込み、両者は仲睦まじく手を取っていた。つまり、光仁天皇以下の天皇は、藤原氏に頭が上がらないはずであり、また、天皇家の身体は、藤原氏の遺伝子で染まっていくのである。それにもかかわらず、ふとした隙を見つけては、天皇は藤原氏から距離を置こうとしてきた。
ここに、源氏と平氏誕生の秘密も隠されているように思えてならない。彼らは、天皇家が用意した「天皇の分身」であり、「天皇のために働く、貴重な兵士たち」なのだ。そして、源氏と平氏が実力をつけたちょうどそのころ、藤原氏は没落している。この流れを偶然の一致と見すごすわけにはいかないのである。

*平安時代を通じて、天皇は藤原氏を恐れ、恨んでいたのではないか・・・・。
もちろん、当の天皇たちには、そういう自覚はなかったのかもしれない。けれども、深層心理に焼きつけられた「暗い思い出」が、藤原氏が外戚でなくなったとき、フラッシュバックし、また、藤原氏に対する潜在的な恐怖心が、源氏や平氏を頼る気持ちにつながっていったのではなかろうか。
源氏や平氏は、「鬼母(ひぼ)の出」だからこそ臣籍降下したが、平安時代の「鬼母(ひぼ)の出」とは、要するに「藤原主流の子ではない」ということである。母が皇女であっても、臣籍降下した氏族の出身であっても、藤原氏から出た母より「卑しい」というのである。何という傲慢なシステムなのだろうか。「藤原腹」の天皇が続くかぎりは、藤原氏は、天皇家に拮抗する権力を保持できた。
いずれにせよ、藤原氏とは縁の遠い源氏や平氏は量産されていった。彼らが勢力を拡大することを、天皇家は願いつづけていたにちがいない。そしてもちろん、藤原氏は、そんな源氏や平氏を都から遠ざけようと考えていたはずである。


*『大鏡(おおかがみ)』には、次のような逸話が残される。中臣鎌足が「藤原」の姓を天智天皇から賜ったときのこと、紀氏が述べた言葉だ。

「藤かかりぬる木は、かれぬるものなり。いまぞ紀氏はうせなんずる」とぞのたまひけるに、まことにこそしかはべれ。

藤のとりついた木は枯れてしまうものだ。とすれば、紀(木)氏は衰亡するだろうといったが、本当にそのとおりだ、というのだ。まさに、藤原氏は大樹に寄生し、養分を吸い取る恐ろしい氏族である。




(管理人)
源氏と平氏については、正直言って、よく分かっていなかった。
ともに臣籍降下した天皇の末裔だったんですね。
大河ドラマ等では、「源氏と平家の対立」や「頼朝と義経の対立」のような話ばかりが報じられているが、「源氏と平家の誕生」に関してはほとんど触れない。

な~んだ。「源氏と平家は貴族ではない平民が力をつけて武士になった代表格である」かのような印象を持たされていたが、結局はこいつらも天皇権力のおかげで力を持つことができただけのことじゃないか。

清盛にしても、頼朝にしても、義経にしても、バックに天皇権力があったから歴史に名を残せたわけであり、それがなければ箸にも棒にもかけられなかっただろう。

このような人物を“さも歴史上の偉大な人物であるかのように紹介する”学校教育・歴史書・テレビ報道の類は、あの坂本龍馬等を英雄視した“創作ストーリー”である“嘘八百の明治維新物語”と同一の策略が感じられる。

やっぱりテレビが報じる歴史上の偉大な人物なんて嘘八百だ!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

著者は、「源氏と平家の誕生」を探るために、ヤマト朝廷の時代に遡って検証している。
蘇我氏全盛の時代においては、朝廷と蝦夷は蜜月関係を築いていたとのことである。
なるほど、蘇我蝦夷という人物がいたが、名前そのものが「蝦夷」である。
蘇我蝦夷の存在は、当時の朝廷と蝦夷の蜜月関係の証明だろう。

蘇我氏と蝦夷の間に良好な関係がなければ、「蝦夷」という名前を名付けるはずがないのだ。

蘇我氏全盛期のヤマト朝廷と蝦夷の良好な関係は、大化改新(乙巳の変)によって敵対関係に変わってしまう。
著者は「中大兄皇子が蝦夷を敵視したのは、蘇我氏と東国が強く結ばれていたからだろう。蝦夷が野蛮人であるというのは、大きな間違いで、ただ前の為政者とつながっていたことで、排除されたのだった。」と記しているが、これは鋭い指摘である。
中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)が起こした国家転覆クーデターである大化改新(乙巳の変)以降、自分たちにとって都合の悪い存在である蘇我氏や蝦夷を悪く言い、排除するようになったのは間違いないだろう。
著者は中臣鎌足を百済系であると判断しているが、私は百済系は中大兄皇子(天智天皇)であると判断しており、中臣の出身は分からないが、その後の藤原鎌足以降の藤原氏は中国系であると判断している。
蘇我氏は新羅系だと思われるが、蝦夷(土着の倭人・日本人)とは良好な関係を築いていたのだろう。

最後に、『大鏡(おおかがみ)』に記されている逸話には笑ってしまう。
藤原氏は、本当の悪人だったようですね。
「藤原氏は大樹に寄生し、養分を吸い取る恐ろしい氏族である」という文章から、皆さんは何を連想されるでしょうか?
説明不要ですよね。どうやら藤原氏は、単なる中国人勢力ではなさそうですね。
藤原鎌足の時代から、時代はいくど変われども、しっかりとその地位を守り続けているしたたかさ。この異常とも思える生命力のたくましさは、“人間離れ”しています。
著者は「天皇も藤原氏を恐れていたのでは」と記していますが、私もそのような気がします。

ひょっとしたら、藤原氏のルーツは「人間以外の生命体」だったのかもしれませんね。

天皇の末裔であったがために歴史に名を残せた源氏と平家だが、蘇我氏と親交のあった蝦夷由来の東国勢力を味方につけることができたのだから、少なくとも“得体のしれない寄生生命体のような”藤原氏よりは、“人間らしさ”が備わっていたのかもしれませんナ。


評点:80点






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COMMENT

No title

この記事もおもしろく読みました。
 しかし源氏・平氏の“権威”の源泉である
天皇とは誰なのか、については?
 どの記事を拝読すればいいですか?

Re: No title

> この記事もおもしろく読みました。
>  しかし源氏・平氏の“権威”の源泉である
> 天皇とは誰なのか、については?
>  どの記事を拝読すればいいですか?

天皇が何者なのかということは、つきつめて考えたこともなく、把握しているわけではありません。
ユダヤとの関係、藤原氏との関係、そして爬虫類人との関係も含めて、謎多き存在ですね。
ただ、万世一系とは思っていませんので、ひとくくりにするのもどうかと思います。
少なくとも土着の日本原住民でないことは間違いないでしょう。
あえて天皇についての記事と言えば、同じく関氏の書の関係ですが、下記の記事をあげておきます。
明治で入れ替わっていると思われるので、あくまでも古代の天皇についてではありますが。

http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-461.html

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