「朝廷」=「朝鮮の宮廷」? - 歴史・宗教

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「朝廷」=「朝鮮の宮廷」?

「検証! 捏造の日本史」松重揚江



2006年の書である。著者の書は初めて読んだ。
著者の情報は少なく、私もよく分からないのだが、大正14年の生まれである。
今も存命なのだろうか? 鹿島昇氏とも親交が深かったそうである。
鹿島昇といえば、太田龍氏も「鹿島史学勉強会」で講演していたぐらいだから、
著者は太田氏とも親交があったのだろうか?
以下、一部引用する。




*崇神と応神は江上波夫の「騎馬民族説」の柱になっているが、奈良県の石上(いそのかみ)神社に伝わる七支刀(ななさやのたち)銘文の「倭王旨(し)が百済辰斯(しんし)王である」ことには、まるで触れようともしていない。石上は「イソノカミ」と読み、伊祖の神(イスラエル神)を表す。
・・・・・(中略)・・・・・
奈良県天理市の天理教本部の裏手にある石上神社は、物部氏の氏神といわれ、武器についての伝承の多い神社であるが、この神宮におさめてある七支刀は、その銘文からおして、百済がこのときに奉った七支刀にあたるものと考えられる。
・・・・・(中略)・・・・・
この七支刀の金象眼の「銘文」に研究心を燃やした村山正雄氏は、近時撮影された写真によって「奇生聖音」などの字句を調べ直し、この文字の読み方は「奇しくも聖音に生き」が正しいとし、またその意味は「計らずも釈尊の加護に生きて」であるとする、次のような「新説」を発表して学会にセンセーションを起こした。
「・・・つぎに、『先世以来、未有比刃』というのは4字ずつの対句になっている。その次の『百済王世子、奇生聖音』は5字、4字と続く。
したがって、このあとも5字で切って読んでみると、『故為倭王旨』となる。
『故為倭王旨』というのはどういうことか。もちろん『故あって倭王旨と為る』ということで、百済王の世子が倭国の王になったということ以外にはない。(大体)こういったお目出度い文句は、漢文ではほとんどが対句になっているものだ。
対句を続けると『奇しくも聖音に生き、故あって倭王旨(し)と為る』となる。今後はこの読み方によって歴史を正しく解釈すべきであろう。」
この刀の表面には泰和4年とあり、栗原唯信氏は、泰和を東晋の太和であると考証したので、369年にあたるが、このころ、百済王家から倭の大王が選ばれていたことを示すものであり、その他の史料から考えて、その人は百済の辰斯(しんし)王ということになる。

*鹿島昇は、『歴史捏造の歴史②』の中で次のように述べている。
「大化改新のきっかけとなった入鹿殺しが、実は倭国(日本)ではなく、朝鮮で起こった事件であるということは驚くべきことである。してみると、646年(大化2年)のいわゆる『大化改新の詔』にしても、この内容がのちの『大宝令』を参考にして創作されたことは明らかであるが、全く架空のものではなく、そこに新羅史というモデルがあった。何故ならば、『新羅本紀』真徳2年(649年)の条に『はじめて中国の衣冠を用いることにした』とあって、このとき中国式の階級制度をとり入れたらしいからだ。
すなわち、『大化改新』の実態は、新羅の『政治改革』であった。

このような朝鮮半島史と『書記』の一致は入鹿殺しにとどまらず、大和国家の歴史書とされてきた『日本書紀』の主要部分は、朝鮮史の手のこんだ翻案にすぎない。
白村江以前、いくつかの小国家が九州と南朝鮮の両方に領土を持っていた。したがって、その頃の、朝鮮半島南部の歴史と九州の歴史とは不可分のものであった。中国史は、それらの国々を弁辰諸国と書いたり、倭国と書いたりしていたのだ。

*続いて『日本書紀』は、平壌→広東へ逃亡した豊璋(天智のモデル)のことには触れず、「668年、中大兄皇子は大津宮で即位し、天智天皇となった」と記している。
そして、「669年10月、病床の重臣中臣鎌足を見舞った。このとき、天智天皇から『大織冠(たいしょくかん)』を授かった中臣鎌足は『藤原姓』を名乗ることを許された。そして、鎌足臨終の側には(少年の)中臣不比等が座っていた」となっている。のちに記紀を作るとき、中臣鎌足(金庾信)の履歴を、藤原鎌足(郭務悰)の履歴につないで2人で1人の藤原鎌足に仕立てて、「国史」の英雄とした。そして、英雄鎌足の子・中臣不比等が跡を継いで「藤原氏」一族の祖となった、と修史したのである。
中臣鎌足の正体は、新羅花郎長官の金庾信(ヒッタイト人。当時56歳)であり、彼は673年の壬申の乱=百済熊津城陥落の後、倭国占領軍司令官の役目を終えて、本国新羅の都・慶州に引き揚げている。元来、金官加羅王であった金庾信の姓は、もともと中臣氏であり、もちろん、『日本書紀』のいうように死亡してはいない。このとき不比等は11歳の少年で、茨木の鹿島神宮(秦王国の分国の都)から秦王国の本国の都・奈良へ移り、卜部本家(中臣氏)の邸宅に到着したばかりであった。

668年 新羅は唐とともに漢城(平壌)を陥して、高句麗を滅亡させた。
670年 新羅は唐と対立するようになり、新羅花郎軍団の長官金庾信をはじめ地方貴族の活躍もあって、これを破るほどの勢いとなった。
672年6月 壬申の乱がおこった。この壬申の乱は「国史」のいうような近江朝廷=大津宮の滅亡ではない。実は、忠清南道の熊津(ゆうしん・錦川沿いの公州)にあった百済王子・隆らの百済都督府(ととくふ)が新羅の金霜林(きんそうりん・国史の高市皇子(たけちのみこ))の軍に攻められて滅亡し、百済国の武士や軍属ら約4万人が、雪崩を打って倭国(九州)へ亡命してきた事件(朝鮮で起こった事件)のことであった。
673年11月 壬申の乱ののち、新羅は本国の慶州に抑留していた唐務悰を洗脳し、改めて郭務悰として倭国(九州)へ赴任させた。そして、それまで新羅の占領軍司令官であった源花(げんか・花郎長官)の金庾信(倭名・中臣鎌足)を帰任させて、その代役とした。こうして新たに、鎮将郭務悰が倭国占領軍司令官として着任し、倭名を藤原鎌足としたのである。

また、諸国の農民たちを強制労働に駆り立てて建設した平城京とは、朝鮮の平壌の名を借りて命名したもので、全国の倭人たちから定期的に貢物を徴収する「新羅日本府」であった。これを人々に「朝鮮の宮廷」すなわち「朝廷」と呼ばせたのである。
学者たちは、朝廷への貢物につけられた木簡や竹簡の「荷札」が出土する度に、鬼の首でも獲ったかのようにマスコミに発表し、これが朝鮮人による植民地支配の証拠であることにはまるで触れようともしない。そして、字句の解釈のみを「卒論」や「博士論文」の対象にして、毎年『記紀』崇拝の皇国史観タイプの教師を多数輩出している。





(管理人)
著者の歴史観は著者独自のものなのか、鹿島昇の歴史観と相通じるものなのか、私にはよく分からない。
しかし、かなり真に迫ったものだということは、直感的に感じる。
ただ、文体が非常に分かりにくいのだ。
ここに紹介したのは、比較的分かりやすいもので、重要であると判断したものであるが、もう少し具体的に自説の根拠となるものを示してくれたらな、と思う次第である。
著者は、鹿島氏の著書から「大化改新のきっかけとなった入鹿殺しが、実は倭国(日本)ではなく、朝鮮で起こった事件であるということは驚くべきことである。」という文章を紹介している。
著者自身も、「大化改新の乙巳の変」が日本(倭国)で起きたものではなく、朝鮮で起こったことであると、思っているようである。
同じく「壬申の乱」についても、日本(倭国)で起きたものではなく、朝鮮で起こったことであると、思っているようである。
私は、この点については、現状では著者の説をそのまま支持はしない。
藤原鎌足及び郭務悰についての捉え方も、似ているようで異なる意見を持っている。


http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-475.html
中臣鎌足→藤原鎌足の真相は?
「大化の改新の謎 闇に葬られた衝撃の真相」 関裕二


最後に以前にも触れたが、中臣(藤原)鎌足の正体についての現在の私の考察を記しておく。私も中臣鎌足については、著者の主張している通り、百済王・豊璋であったのが正解であると思う。しかし、その後に変遷があったと感じる。
それは下記の通りである。

645年に中大兄皇子と中臣鎌足(=百済王・豊璋)によって大化改新・乙巳の変が起こされ、親百済政権となる。

663年に白村江の戦いに日本は百済救援に参加するが、唐・新羅に完敗する。

669年に唐の将軍・郭務悰(かくむそう)が来日する。同年、中臣鎌足が死亡する。

671年に郭務悰が2000人の兵とともに再来日する。同年、天智天皇(=中大兄皇子)が死亡する。

以上の歴史年表から推察すると、百済勢力が大化改新を起こして、百済救援の白村江の戦いに参戦するが敗れ、唐の占領軍として郭務悰が来日する。そして郭務悰は中臣鎌足を殺害し、自ら藤原鎌足となる。671年に郭務悰(=藤原鎌足)は2000人の大軍で再来日する。そして天智天皇を殺す。こうして唐に歯向かった百済勢力を倒して、新羅勢力である天武天皇を傀儡とする。しかし、天武崩御後、新羅と敵対関係となった唐は、天智天皇の娘である(ということは百済勢力)持統を天皇とし、自らの血族である藤原家を中心とした唐・百済連合政権使って、日本を傀儡支配する。

以上、私の独断と偏見に基づいた歴史考察である。



以上、引用終了。

著者の説と私の説のどちらの説が真実であるかを判断するのはあなた次第です。

ちょっとこのフレーズも古臭くなってきましたね(笑)


評点:70点






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