日本は神道である。しかし神道は本来ユダヤ教である? - 歴史・宗教

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日本は神道である。しかし神道は本来ユダヤ教である?

「天皇の信仰する宗教の変遷及び、日本における宗教戦争の歴史を探る」



以前、K.Tさんからコメントいただいた件で、「孝明天皇以前の天皇は、泉涌寺に祀られている」と、貴重な情報をいただいたが、この件も含めて「天皇は何の宗教を信仰してきたのだろう」ということを探ってみようと思う。
大多数の人間が、「天皇の信仰する宗教は神道である」と、思っているだろう。それがそうでもないらしい。まず、泉涌寺をみてみよう。




泉涌寺(ウィキより抜粋)
泉涌寺 (せんにゅうじ)は、京都市東山区泉涌寺山内(やまのうち)町にある真言宗泉涌寺派総本山の寺院。山号は東山(とうざん)または泉山(せんざん)。本尊は釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三世仏。
平安時代の草創と伝えるが、実質的な開基(創立者)は鎌倉時代の月輪大師俊芿(がちりんだいししゅんじょう)である。東山三十六峰の南端にあたる月輪山の山麓に広がる寺域内には、鎌倉時代の後堀河天皇、四条天皇、江戸時代の後水尾天皇以下幕末に至る歴代天皇の陵墓があり、皇室の菩提寺として「御寺(みてら)泉涌寺」と呼ばれている。
泉涌寺は律を中心として天台、東密(真言)、禅、浄土の四宗兼学(または律を含めて五宗兼学とも)の道場として栄えた。貞応3年(1224年)には後堀河天皇により皇室の祈願寺と定められた。後堀河天皇と次代の四条天皇の陵墓は泉涌寺内に築かれ、この頃から皇室との結び付きが強まった。江戸時代には後水尾天皇以下、幕末の孝明天皇に至る歴代天皇が山内に葬られている。泉涌寺はこれらの皇室の陵墓に対して香をたき、花を供える香華院となり、「御寺(みてら)」と尊称されている。



確かに、ご指摘の通りである。
下記ブログより「天皇の宗教信仰の変遷」を抜粋する。

http://web1.kcn.jp/tkia/mjf/mjf-77.html#top
天皇の信仰に見る日本人と仏教

▼仏教伝来前の日本の神

 葦原(あしはら)の中つ国、すなわち日本には、天孫降臨(天照大神の孫ニニギ命の降臨)以前から八百万(やおよろず)の神々が棲(す)んでいた。日本書紀には、日本を指して「彼の地には、多(さわ)に蛍火(ほたるび)の光(かがや)く神、また蠅声(さばえな)す邪(あや)しき神あり。また草木ことごとくに能(よ)く言語(ものい)ふことあり」とある。火山、森や草木、動物など、自然そのものが神だった[注1]。
[注1]天照大神中心の信仰が神道ではない。そういう意味で「紀記神話による神道」の成立は古代の宗教改革であった。
 さらに、仏教伝来前の日本人の信仰は、「神を崇める」と諡(おくりな)された崇神天皇の事蹟に見ることができる。崇神は天照大神と倭(やまと)大国魂神を祭り、八十万群神(八百万神)を祭った。また、三輪山を神体とする国つ神の代表であり祟(たた)る神、大物主神を丁重に祭っている。それから、大和の東西境の神である墨坂神と大坂神を祭っている。日本の神とは自然や土地の神々であり、祭らなければ祟る神であった。

▼仏教による新しい死生観と霊力

 記紀によれば、天皇(当時は大王)と仏教の関わりは6世紀の欽明天皇に始まる。いわゆる「仏教の公伝」であり、百済の聖明王が使いを遣わして仏典・仏像を献じた(「私伝」は当然これを遡るだろう)。ここから、若き聖徳太子もそこに巻き込まれた、後ちの物部・蘇我両氏の神仏闘争に至る。仏は日本人にとっては外蕃の神であった[注2]。それは、自然的な日本の神とは違い、文明の神であり、一つの総合的なテクノロジーであった[注3]。
[注2]日本人にとっての仏や菩薩は、仏教の教えそのままの存在ではなく、外国から来た新たな霊力を持った日本の「神」であった。
[注3]このことは、日本の神が無形であり自然の中に棲んでいたのに対して、仏は仏像として造形されて寺院建築の中に安置され、その寺院は都市の中に建築されたことからも分かる。神社建築や神像そして神道理論は仏教の影響下、作られるようになった。

平安以降は仏教こそが「国教」であった

 平安時代となり、空海と最澄が唐に渡り、密教という霊的呪術を日本に導入した。天皇以下貴族はこれに入れ込み、加持祈祷(かじきとう)が天皇と日本を防衛することになる。宮中では毎年正月、神道による前七日(第一週)の節会の後、八日からの第二週、今度は空海ら密教僧による「後七日御修法」が行なわれ、玉体(天皇)の安穏を祈願していた。また、最澄の延暦寺でも、国難など大事の際は「安鎮国家法」という法会が催されていた[注5]。
[注5]以降、しだいに一般化して普及し、私たちも受けることができるようになったのが今の護摩木(ごまき)などによる密教祈祷である。

明治以降の「神道」は創り出されたもの

 明治の「神仏分離」や「廃仏毀釈」は江戸時代後期から準備されていた。まず儒学者の仏教批判に始まり、仏教を排し復古神道を唱える国学者がこれを受け継いだ。水戸藩と長州藩ではすでに天保期に「神仏分離」と「廃仏毀釈」が藩政改革として行なわれ、幕末には薩摩藩と津和野藩で実行されていた。慶応四(1868)年三月十三日、有名な「五か条の誓文」発布の前日であるが、いわゆる「神仏分離令」が布告される。

 宮中でも「神仏分離」と「廃仏毀釈」が展開される。ところが、その一年半前の孝明天皇の葬儀は僧侶によって執り行なわれ、泉湧寺に埋葬されていた。皇霊祭儀が神式に改まるのは、明治元(1868)年十二月の孝明天皇三年祭(三周忌)からであるそれまで天皇葬儀への仏教関与は、実に約千二百年にわたって続いた(もっとも、玉体の火葬自体は1654年の後光明天皇のときから取り止めとなり、以後は儀礼的に火葬しての土葬に改定)。

 宮中には長らく「お黒戸」(黒戸御所)と呼ばれた言わば「仏壇」があり、そこに仏像を安置し、歴代天皇や皇后の位牌が祭られていた。これが排されたのはようやく明治四(1871)年のことで、やがて泉湧寺に移された。同時に泉湧寺からは寺内の天皇陵や皇族の墓所が没収され、宮内省に移管された。また、仏教による玉体護持の「後七日御修法」や天台宗の「長日御修法」など宮中の仏教行事も廃された。 一方、神道神殿の整備がなされる。明治二(1869)年、神祇官に神殿が設けられた。かつて神祇官八神殿に奉斎され、その後は神祇官家の白川・吉田家に祭られていた八神[注7]を神殿中央に招き、その西座に歴代の皇霊、東座には天神地祇を奉祀した。やがて、天照大神を祭る宮中の「賢所」(かしこどころ)そばに神々は集められ、歴代の皇霊は「皇霊殿」に、八神と天神地祇は「神殿」に祭られ、宮中三殿として今に至っている。同じ頃、伊勢神宮の改組も行なわれた。
[注7]玉体の守護と鎮魂を司る八神。御巫(みかんなぎ)祭神八座。神産日神・高御産日神・玉積産日神・生産日神・足産日神(この「産日・ムスビ」五神は天皇の心身の神)、大宮売神・御食津神(飲食の神)、事代主神(言葉の神)。ここには造化三神のうち天御中主神はなく、またすべてが紀記神話の神でもないことに注意。




次に、廃仏毀釈について触れて見よう。(ウィキより抜粋)

廃仏毀釈(廢佛毀釋、排仏棄釈、はいぶつきしゃく)は、仏教寺院・仏像・経巻を破毀し、僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃することを指す。「廃仏はいぶつ」は仏を廃し(破壊)し、「毀釈きしゃく」は、釈迦(釈尊)の教えを壊(毀)すという意味。僧侶などが釈迦を指す時は、釈尊(しゃくそん)、釈迦尊、釈迦仏、釈迦如来などと呼んだりする。

キリシタン大名の廃仏毀釈[編集]
小西行長などキリシタン大名が支配した地域では、キリスト教を信仰するため神社・仏閣などが焼き払らわれた。(現、山都町愛藤寺城周辺 熊本県指定重要文化財の「木造大日如来座像」は、この時の焼失から免れたもの) 周辺にある小高い山に「天主山」という名を付けて、麓から拝んでいたという。

明治期の神仏分離と廃仏毀釈[編集]
一般に「廃仏毀釈」と言えば、日本において明治維新後に成立した新政府が慶応4年3月13日(1868年4月5日)に発した太政官布告[1](通称神仏分離令、神仏判然令)、明治3年1月3日(1870年2月3日)に出された詔書「大教宣布」[2]などの政策[3]によって引き起こされた、仏教施設の破壊などを指す。
神仏分離令や大教宣布は神道と仏教の分離が目的であり、仏教排斥を意図したものではなかったが、結果として廃仏毀釈運動(廃仏運動)と呼ばれた。神仏習合の廃止、仏像の神体としての使用禁止、神社から仏教的要素の払拭などが行われた。祭神の決定、寺院の廃合、僧侶の神職への転向、仏像・仏具の破壊、仏事の禁止などが見られた。1871年(明治4年)正月5日付太政官布告で寺社領上知令が布告され、境内を除き寺や神社の領地を国が接収した。
明治政府は神道を国家統合の基幹にしようと意図した。一部の国学者主導のもと、仏教は外来の宗教であるとして、それまでさまざまな特権を持っていた仏教勢力の財産や地位を剥奪した。僧侶の下に置かれていた神官の一部には、「廃仏毀釈」運動を起こし、寺院を破壊し、土地を接収する者もいた。また、僧侶の中には神官や兵士となる者や、寺院の土地や宝物を売り逃げていく者もいた。現在は国宝に指定されている興福寺の五重塔は、明治の廃仏毀釈の法難に遭い、25円[6]で売りに出され、薪にされようとしていた。大寺として広壮な伽藍を誇っていたと伝えられる内山永久寺に至っては破壊しつくされ、その痕跡すら残っていない。安徳天皇陵と平家を祀る塚を境内に持ち、「耳なし芳一」の舞台としても知られる阿弥陀寺も廃され、赤間神宮となり現在に至る。
廃仏毀釈が徹底された薩摩藩では、寺院1616寺が廃され、還俗した僧侶は2966人にのぼった。そのうちの3分の1は軍属となったため、寺領から没収された財産や人員が強兵に回されたと言われることもある。




(管理人)
当時、仏教に対して相当な弾圧があったようである。何故に明治政府はこのようなことを実行したのだろう?
以前、八切止夫の著書を紹介した際に、「郭務悰の率いる唐の軍隊が白村江大勝後に日本に進駐し、鉄製武器で日本原住民を征服・支配した」と記したが、廃仏毀釈を実行した理由は、「その当時の日本原住民(古代ユダヤの影響を受けた神道を信仰していた)の末裔である薩長勢力が、唐や百済からやってきた仏教勢力に対する積年の恨みを晴らすことにあるのでは」と考えもしたが、そんな大昔の恨みが続いているというのもどうかしてるし、これまた「イエズス会から日本を救った秀吉」の記事でも書いたように、「明治維新を裏で操っていたキリスト教を装ったユダヤ・イルミナティ勢力の指示及び、単純に差別されてきた薩長の南朝勢力がそれまでの幕府支配者(=仏教勢力)に対する恨みを晴らすことである」と、考えるのが一番正しいのではないだろうか。
そして、これまでの天皇に関係する日本の宗教戦争と言うものは、「“中国・仏教勢力”対“ユダヤ(偽キリスト教)・神道勢力”の争いである」と、言えるのではないだろうか。
ただし、藤原氏という存在が私にはよく分からない。八切止夫氏は、「郭務悰=藤原鎌足」と述べている(両者の生存年代に矛盾があると思うが・・・)ぐらいだから、通常に考えて「藤原氏は中国・仏教勢力である」と思われるが、現在でも藤原氏の末裔がこの国で“裏支配”を行っているとも言われているようなので、「藤原氏は巧みにユダヤ勢力に寝返った」のか、それとも「元からユダヤ勢力である」のか・・・、現状ではよく解らない。誰かこの件について、お詳しい方がいれば教えていただきたいものです。

最後に明治天皇とキリスト教の関係を語っている動画をたまたま見つけたので紹介する。語っているのは、LTLキリスト教会のQ-CHAN牧師というかなり怪しい人物です。誤解されると困るので、私はこの宗教団体に全く関わっていないことを言っておきます(笑)。この牧師なる人物は相当に怪しいが、語ってることはすごい内容です。(前半の半分でEと思う。)
「例のフルベッキ写真で有名なフルベッキが、岩倉具視を初めとする当時の日本の代表者をアメリカに視察させ、その通訳を既にアメリカに流れ着いていた新島襄がした(このあたりに先日終了したNHK大河ドラマ・八重の桜や同志社大学設立に関する秘密がありそうですナ)」とか、「アメリカでキリスト教を学んだ岩倉具視が明治天皇に囚われているキリスト教徒を解放して欲しいと電報を打ち、それに応じた明治天皇は明治六年にキリシタン解禁とした」とか、明治天皇の娘が明治天皇に「精神的に自分はクリスチャンだ」と言われたとか、同じく明治天皇に「日本は神道である。しかし神道は本来ユダヤ教である。そしてキリスト教はユダヤ教を完成させるものだ。お前が結婚して男の子が与えられたならばキリスト教の牧師にするのだよ、きっと役に立つ時が来るぞ」と言う言葉を口癖のように話していた、というのだ・・・。
どうやら、こうやって「彼ら」は、明治天皇以降の天皇に「キリスト教を偽ったユダヤ教」を信仰させようと、洗脳工作を行ってきたみたいですナ。






COMMENT

NoTitle

どうもありがとうございます。
読ませて頂きました。
調査くださって鋭い分析参考になります。

日本はある意味八百万神というだけあってか、
仏教、そして偽キリスト(実ユダヤ)教との
関係が時代の分岐点で炙りだされますね。

織田信長の本能寺の変もユダ関連にあったと想像します。
また、中世のスペインポルトガルが
世界中を奴隷支配に陥れた時代にあって、
秀吉の伴天連追放令、踏み絵、徳川幕府の鎖国を
およそ否定的に伝える明治以降の日本史及び
教育全体、マスコミのドラマが、
いかにユダの影響下にあるかを感じざるを得ません。

仏教と神道の融合が時代と共に折衷されてきたのは
仏教はアジア人の遺伝子分布とも相関できるようで
文明ではあるけれど大河のような宗教と比喩できる面も
あるかもしれません。

しかし、ユダはルシファーです。奴隷から家畜そしてロボット化を
目指す選民支配がキリスト教との二人羽織で
日本に寄生虫の状態であることは想像できます。

逆に、ユダやキリスト教が無くなれば仏教も
不要なのかもしれません。
結局は宗教は外部に霊や魔を求める人間全体の愚かさでしょうか…。

少し話は逸れますが、
535年に関西交野に隕石が落下しその地方は壊滅的となり、
翌年から渡来人がやって来て日本の支配が
始まったという話を当方は信じています。

まだ、怪しい牧師動画は見ていませんが。
ちょっと見てみます。
(宗教に入っている方の独特な雰囲気が
ありますね…<潔癖症排他的な>…色メガネですが…)

また長く書いてしまいました。おじゃまいたしました。
ありがとうございました。

初めてコメント致しましす。国家神道は英国のイギリス国教会を参考に作られた考えた方がスッキリしそうですが…。

Re: NoTitle

K.Tさん

> 調査くださって鋭い分析参考になります。

過分なお褒めの言葉、恐縮します。

> 日本はある意味八百万神というだけあってか、
> 仏教、そして偽キリスト(実ユダヤ)教との
> 関係が時代の分岐点で炙りだされますね。

ありがとうございます。
日本に伝わったキリスト教はユダヤ・カバラ教であり、
イエズス会に代表されるようにその実態は「イシス・ホルス・セト」を
信仰する古代エジプトの宗教のようですね。

> 織田信長の本能寺の変もユダ関連にあったと想像します。
> また、中世のスペインポルトガルが
> 世界中を奴隷支配に陥れた時代にあって、
> 秀吉の伴天連追放令、踏み絵、徳川幕府の鎖国を
> およそ否定的に伝える明治以降の日本史及び
> 教育全体、マスコミのドラマが、
> いかにユダの影響下にあるかを感じざるを得ません。

本能寺の変につきましては「イエズス会の謀略である」と記事にしてます。
「イエズス会・ユダヤ・イルム」やその手先がこの世界を支配している限り、
洗脳の歴史教育が続いていくでしょう。


> しかし、ユダはルシファーです。奴隷から家畜そしてロボット化を
> 目指す選民支配がキリスト教との二人羽織で
> 日本に寄生虫の状態であることは想像できます。

確かに、「彼ら」の得意技は「寄生」ですから。

> 逆に、ユダやキリスト教が無くなれば仏教も
> 不要なのかもしれません。
> 結局は宗教は外部に霊や魔を求める人間全体の愚かさでしょうか…。

デヴィッド・アイクも言ってますが、宗教と科学は「彼ら」の
洗脳手段の二大ツールでしょう。
私はクリスマスを祝って、初詣に行くような「信仰心の無い特殊な国民・日本人」
のままでEと思います(笑)。


> 535年に関西交野に隕石が落下しその地方は壊滅的となり、
> 翌年から渡来人がやって来て日本の支配が
> 始まったという話を当方は信じています。

調べました。情報元は臨死体験者の木内鶴彦氏ですか?
臨死体験というのは実際起こりうる事象だと思いますが、
木内氏が中丸薫と関係が有りそうなのが気になります・・・。

> まだ、怪しい牧師動画は見ていませんが。
> ちょっと見てみます。
> (宗教に入っている方の独特な雰囲気が
> ありますね…<潔癖症排他的な>…色メガネですが…)

世の中にはいろんな人間がいるようですね。
この方もユダ系偽キリスト教徒なんでしょうかネ・・・。

Re: タイトルなし

名前の無い方

コメントどうもです。
ご指摘の通り、明治期に「作成された」国家神道は、
「彼ら」の指示通り、「彼ら」の下部機関である英国国教会を
雛形のひとつにしていると思います。
英国国教会については以前記事にしています。

http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-23.html

こんにちは

こんにちは。またおじゃまいたいます。m(_ _)m

当方のコメントを書いた直後に、
こちらで信長のユダ関連記事を拝読し感動と納得をしておりました。
戦国武将の多さに疑問を持たれた点も非常に重要なことでしたね。
書籍の選球眼?選択眼?!鋭いです。

結局、織田信長が明智光秀に討たれたのは、ユダキリに改宗する訳でもなく、
信長自身を本尊にしようという行動で、恩を売ったユダキリの怒りを
買ったのと、秀吉が信長に手を焼いていたからですね。
安易な言葉でしか解釈できなくてすみません。^^;
ユダキリを舐めている、信長の自己愛の強烈さが
ちょっと可笑しくて…。あ、すみません。面白がる所ではないですが…。
ともあれ、私は日本人として秀吉の臨機応変かつ迅速な判断力に
感謝をしています。
できれば、世の中に秀吉の再評価を願いたいです。

戦国時代はユダキリの影響で内戦に至ったと言っても過言ではありませんね。
そして今回のブログで藤原家について触れておられたので
リンク先を読みましたら、かなり藤原は日本史の地下水脈の様な流れが
あるようですね。また迷路が…。笑
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1134973791

**************

今回こちらでありがたい収穫は、予てより疑問だった
「なぜ、キリスト教系の学校・大学が日本にいっぱいあるのか?」が
ソウルマンさんの今回のQ-chan動画&写真の発掘のお陰で
謎が解けました。

下記はQ-chan動画関連ページ
http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/000000tennnoubokusi.htm

また、神社が明治から整備し直された場所だと知り…
「国家神道にすべく、どうやって儀式や所作、
建物の様式ができたのか?」が疑問でしたが、
「216年に10万人の秦の兵が日本に来ていた」
の記事の中にユダヤ神殿と同じ配置、
手水舎と水盤、賽銭…の特徴的な様式が似ているのは、由来が近いというより
明治時代にユダキリによる意図的な導入だろう、と仮定して納得できました。
さらに、石灯籠に六芒星の石彫を見てユダと神道のロマンを感じる平成の人間は
手品を見て、神秘だ超常現象だと騒いでいる状態です。
どう見ても、六芒星は明治初期に石工が彫ったと思えますから。
ほんの少し参考になりました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1121894421

で、フルベッキ氏の存在と影響力です。
********************
フルベッキ博士は日本政府のために、ほとんどあらゆる
分野にわたって援助と助言を与え続けましたが、
彼は頑なと言えるほど、このことに関して沈黙を守って、
********************
のQ-chanが読む小林牧師の言葉です。

まずは、「為」でも「援助助言」でもなく工作員です。
「頑なと言えるほどの沈黙」は彼らの特徴ですよね。

さて、小林牧師は本当に明治天皇の孫でしょうか。
また、小林氏が語ったことは本人が孫だから知っていた事実なのかあるいは、
孫でなくともどこかの文献、書物を参考に語ることができる内容でしょうか。

「明治天皇が男の孫であれば牧師に…」ということは信者ではないので
どうでも良いけれど…。

フルベッキの日本に与えた影響やフルベッキの秘密死守の姿勢は、
小林氏個人的な情報なのか書籍でも手に入る内容なのか?あるいは、
小林氏は偽であり傀儡でユダキリ教の深慮遠謀でフルベッキの行動を確実に
肯定的に受け入れられるよう、マイナー雑誌で
じわじわ浸透させているのでしょうか。
といういくつかのことが、気になります。

また長くなりましてすみません。@@;
そして、535年説…そうなんです。流石のご指摘であります。
つづく

Re: こんにちは

K.Tさん

> 当方のコメントを書いた直後に、
> こちらで信長のユダ関連記事を拝読し感動と納得をしておりました。
> 戦国武将の多さに疑問を持たれた点も非常に重要なことでしたね。
> 書籍の選球眼?選択眼?!鋭いです。

ありがとうございます。
あの時代にキリシタン大名という人物が異常に多いことに気付き、
これは単なる信仰が理由ではないな、と感じたのがキッカケでした。

> 結局、織田信長が明智光秀に討たれたのは、ユダキリに改宗する訳でもなく、
> 信長自身を本尊にしようという行動で、恩を売ったユダキリの怒りを
> 買ったのと、秀吉が信長に手を焼いていたからですね。
> 安易な言葉でしか解釈できなくてすみません。^^;
> ユダキリを舐めている、信長の自己愛の強烈さが
> ちょっと可笑しくて…。あ、すみません。面白がる所ではないですが…。
> ともあれ、私は日本人として秀吉の臨機応変かつ迅速な判断力に
> 感謝をしています。
> できれば、世の中に秀吉の再評価を願いたいです。

信長はユダキリ(笑)の本当の恐ろしさが解ってなかったのでしょうね。
秀吉には問題も多いでしょうが、彼がとった伴天連追放がなければ、
日本も南米の原住民がコロンブスに根絶やしにされたように、
民族抹殺の憂き目に遭ってたかもしれませんね。
キリスト教宣教師を美化し、秀吉を悪く言う輩は今の時代にも
しっかり息づいています。
そういった輩は日ユ同祖論者であることが多いようですナ。
小林牧師もその一人でしょう。

> 戦国時代はユダキリの影響で内戦に至ったと言っても過言ではありませんね。
> そして今回のブログで藤原家について触れておられたので
> リンク先を読みましたら、かなり藤原は日本史の地下水脈の様な流れが
> あるようですね。また迷路が…。笑
> http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1134973791

まさしく迷路ですなね(笑)。
キーの一つに赤十字が絡んでいるのは間違いないでしょうね。
八重の桜で、新島八重が晩年赤十字に関わったと放送してましたが、
偶然ではないでしょうナ、「彼ら」は複雑に蜘蛛の巣を張っているようですナ。


> 今回こちらでありがたい収穫は、予てより疑問だった
> 「なぜ、キリスト教系の学校・大学が日本にいっぱいあるのか?」が
> ソウルマンさんの今回のQ-chan動画&写真の発掘のお陰で
> 謎が解けました。

本当に、ユダキリ大学ばっかりですね(笑)。

> 下記はQ-chan動画関連ページ
> http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/000000tennnoubokusi.htm

小林牧師の発言は、ある意味で真実を暴露しているが、
巧みに情報操作をしてますね。
長谷川町子が聖公会だった、には驚きました。
天皇やフルベッキを美化するばかりで、
背後にあるフリーメイソン・イルミナティについては一切触れません。
当然、”替え玉”の話にも触れません(笑)。
酷いのは昭和天皇が戦争に反対してたが、軍部が独走したのだ、
というバレバレのデマを唱えているばかりか、
仁科博士が原爆を製造しようとしたことに対して、
昭和天皇が怒って、止めさせたという箇所です。
あきれて物も言えません(笑)。
仁科博士から盗んだ原爆情報をアメリカに渡したのは湯川秀樹であると、
鬼塚英昭は「原爆の秘密」で証明してます。
湯川氏は”ご褒美”に「彼ら」から
ノーベル賞を授与されています。

> また、神社が明治から整備し直された場所だと知り…
> 「国家神道にすべく、どうやって儀式や所作、
> 建物の様式ができたのか?」が疑問でしたが、
> 「216年に10万人の秦の兵が日本に来ていた」
> の記事の中にユダヤ神殿と同じ配置、
> 手水舎と水盤、賽銭…の特徴的な様式が似ているのは、由来が近いというより
> 明治時代にユダキリによる意図的な導入だろう、と仮定して納得できました。
> さらに、石灯籠に六芒星の石彫を見てユダと神道のロマンを感じる平成の人間は
> 手品を見て、神秘だ超常現象だと騒いでいる状態です。
> どう見ても、六芒星は明治初期に石工が彫ったと思えますから。
> ほんの少し参考になりました。
> http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1121894421

基本的に明治期の偽装神道の製作物のようですね。


> フルベッキ博士は日本政府のために、ほとんどあらゆる
> 分野にわたって援助と助言を与え続けましたが、
> 彼は頑なと言えるほど、このことに関して沈黙を守って、
> ********************
> のQ-chanが読む小林牧師の言葉です。
>
> まずは、「為」でも「援助助言」でもなく工作員です。
> 「頑なと言えるほどの沈黙」は彼らの特徴ですよね。

完璧な工作員ですね。

> さて、小林牧師は本当に明治天皇の孫でしょうか。
> また、小林氏が語ったことは本人が孫だから知っていた事実なのかあるいは、
> 孫でなくともどこかの文献、書物を参考に語ることができる内容でしょうか。

本当かどうかは解りませんが、
「彼ら」から情報をもらって、「彼ら」の指示で
動いているのは間違いないでしょうナ。
なにせ、「しおんホール」らしいですから(笑)。
http://www.interq.or.jp/green/shion/shuninshiki/index.html

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