私がキリスト教を否定する最大の理由
2016年10月15日
「寄生虫ユダヤ3000年の悪魔学 カナンの呪い」⑤(最終回)
ユースタス・マリンズ
前回に続く。以下、一部引用する。
*スティーヴン・ナイトの『知られざるフリーメーソン』(前出)によれば、英国では判事の50~70パーセントが、事務弁護士会(合衆国の弁護士協会にあたる)の90パーセントがフリーメーソンだとされている。
・・・・・(中略)・・・・・
『フリーメーソン・ハンドブック』には、以下のように知らされている。~兄弟メーソンからの叫びの合図であれば、自らの命を危うくすることになっても、常にその合図に従わなければならない。もしあなたが陪審で、フリーメーソンの被告が叫びの声の合図を送れば、必ずそれに従い、必要とあれば、仲間の陪審と争うことも辞してはならない。とにかく、その兄弟メーソンに有罪判決がもたらされることだけは避けなければならない。そのようなことになれば、我々の結社全体に不利益がもたらされるからだ」
・・・・・(中略)・・・・・
原告、被告、判事の三者がフリーメーソンだった場合はどうなるのですか? お答えしよう~そのときには結社の利益を考えて結審されるのです。繰り返しておく。非フリーメーソンが訴訟を起こしても、負けるだけだ。
(管理人)
5回に分けて本書を振り返ってみたが、全てが秀逸な内容であった。
特に人間至上主義の正体、フランス革命の実体に関する記述は目を見張るものがあった。
そして今回改めて感じたことは、「優れた書というものは繰り返し読まなければならない」ということである。
繰り返し読むことで、以前見落としていた箇所に改めて気づくということは、よくあることである。
また同じ書であっても、その時の読み手の知識の有無によって理解度も違ってくる。
私に関しては、明らかに前回本書を読んだ時よりも今の方が理解度が高まっている。
基本的知識が不足していたら、同じ書でも理解度が変わって来るのである。
さらに複数の真実告発系のジャーナリストの書を読むことで、同じ事象を扱っていても、
どちらの書がより真実に近いのかということが見えてくるのである。
分かりやすい例が、本書におけるフランス革命に関する記述である。
読書量が足りず、ネットのみの情報を基に物事を理解しようとしている人間は、
間違った情報にコロッと騙されてしまう傾向があると感じる。
勿論、新聞・テレビ・学校教育の情報のみを情報源としている人間は問題外であるが(笑)
複数作家の書を読むことで、どちらの情報が真実であるのかということが見えてくるのである。
本書で著者は、数々の悪行を重ねて来た勢力の正体はカナン人であると説いている。
私は、この説に関しては、決して納得していない。
カナンとは、旧約聖書におけるノアの息子、セム、ハム、ヤペテのうちのハム(黒人)の息子のことを指している。
つまりこのカナン人というのは、この旧約聖書の記述が正しいという大前提を基にした民族・人種ということになるのだ。
旧約聖書の記述が真実でなければ、このカナン人の存在自体も有り得ない存在となるのである。
私は、太古の昔に世界規模での大洪水が起こったというのは真実であると思っている。
「ノアの洪水」の話は、この過去の大災害を基に作成した物語であると思っている。
ノアがどの人種なのかは知らないが、一つの人種からセム(黄色人)、ハム(黒人)、ヤペテ(白人)という異なる人種が誕生するということは考えられない。
この物語に近い実話が存在したとすれば、地球外生命体による遺伝子操作の結果、
このような異なる人種が誕生したという話ぐらいしか考えられないであろう。
「諸悪の根源=カナン人」説よりは、「諸悪の根源=ベニヤミン族」説の方が真実に近いように感じる。
「諸悪の根源=レプティリアン」説は、何とも言えないが・・・
もうひとつ気になったのは、著者がユダヤ人はセムの子孫ではなく、カナン人の子孫であると指摘していることである。
カナンはハムの息子なのだから、黒人ということになる。
百歩譲ってノアに関する旧約聖書の記述が真実だとしても、黒人の子孫が黄色人種であるユダヤ人(スファラディー)又は偽ユダヤ人(アシュケナジー)だというのは、有り得ない話である。
ユダヤ=セム(黄色人)というのは間違いだと指摘するのであれば、
その正体はハムの息子であるカナン(黒人)だと主張するのではなく、ヤペテ(白人)だと主張するべきだろう。
アシュケナジー(白人)がユダヤ人に成りすましていることを、糾弾するべきだろう。
著者はキリスト教徒であるようだが、白人のキリスト教徒には、けっこう人種差別思考があるように感じる。
それも特に黒人に対する差別思考である。
特に気になったのは、著者がアメリカの奴隷制度廃止論者を非難している箇所に
「奴隷制度廃止論者は聖書に奴隷制が認められていることを否定している」と記していることだ。
聖書にどんな記述がされていたとしても、奴隷制を肯定する根拠とはならない。
私がキリスト教を否定する最大の理由は、ここにある。
キリスト教徒を虐殺したフランス革命を実行したフリーメーソン、イルミナティ勢力を許すことは決してできないが、神の名のもとに人種差別、異民族虐殺、異教徒虐殺を実行したキリスト教徒(実体はカバラ・悪魔教の可能性が大であるが)も、決して許すことはできない。
評点:90点
ユースタス・マリンズ
前回に続く。以下、一部引用する。
*スティーヴン・ナイトの『知られざるフリーメーソン』(前出)によれば、英国では判事の50~70パーセントが、事務弁護士会(合衆国の弁護士協会にあたる)の90パーセントがフリーメーソンだとされている。
・・・・・(中略)・・・・・
『フリーメーソン・ハンドブック』には、以下のように知らされている。~兄弟メーソンからの叫びの合図であれば、自らの命を危うくすることになっても、常にその合図に従わなければならない。もしあなたが陪審で、フリーメーソンの被告が叫びの声の合図を送れば、必ずそれに従い、必要とあれば、仲間の陪審と争うことも辞してはならない。とにかく、その兄弟メーソンに有罪判決がもたらされることだけは避けなければならない。そのようなことになれば、我々の結社全体に不利益がもたらされるからだ」
・・・・・(中略)・・・・・
原告、被告、判事の三者がフリーメーソンだった場合はどうなるのですか? お答えしよう~そのときには結社の利益を考えて結審されるのです。繰り返しておく。非フリーメーソンが訴訟を起こしても、負けるだけだ。
(管理人)
5回に分けて本書を振り返ってみたが、全てが秀逸な内容であった。
特に人間至上主義の正体、フランス革命の実体に関する記述は目を見張るものがあった。
そして今回改めて感じたことは、「優れた書というものは繰り返し読まなければならない」ということである。
繰り返し読むことで、以前見落としていた箇所に改めて気づくということは、よくあることである。
また同じ書であっても、その時の読み手の知識の有無によって理解度も違ってくる。
私に関しては、明らかに前回本書を読んだ時よりも今の方が理解度が高まっている。
基本的知識が不足していたら、同じ書でも理解度が変わって来るのである。
さらに複数の真実告発系のジャーナリストの書を読むことで、同じ事象を扱っていても、
どちらの書がより真実に近いのかということが見えてくるのである。
分かりやすい例が、本書におけるフランス革命に関する記述である。
読書量が足りず、ネットのみの情報を基に物事を理解しようとしている人間は、
間違った情報にコロッと騙されてしまう傾向があると感じる。
勿論、新聞・テレビ・学校教育の情報のみを情報源としている人間は問題外であるが(笑)
複数作家の書を読むことで、どちらの情報が真実であるのかということが見えてくるのである。
本書で著者は、数々の悪行を重ねて来た勢力の正体はカナン人であると説いている。
私は、この説に関しては、決して納得していない。
カナンとは、旧約聖書におけるノアの息子、セム、ハム、ヤペテのうちのハム(黒人)の息子のことを指している。
つまりこのカナン人というのは、この旧約聖書の記述が正しいという大前提を基にした民族・人種ということになるのだ。
旧約聖書の記述が真実でなければ、このカナン人の存在自体も有り得ない存在となるのである。
私は、太古の昔に世界規模での大洪水が起こったというのは真実であると思っている。
「ノアの洪水」の話は、この過去の大災害を基に作成した物語であると思っている。
ノアがどの人種なのかは知らないが、一つの人種からセム(黄色人)、ハム(黒人)、ヤペテ(白人)という異なる人種が誕生するということは考えられない。
この物語に近い実話が存在したとすれば、地球外生命体による遺伝子操作の結果、
このような異なる人種が誕生したという話ぐらいしか考えられないであろう。
「諸悪の根源=カナン人」説よりは、「諸悪の根源=ベニヤミン族」説の方が真実に近いように感じる。
「諸悪の根源=レプティリアン」説は、何とも言えないが・・・
もうひとつ気になったのは、著者がユダヤ人はセムの子孫ではなく、カナン人の子孫であると指摘していることである。
カナンはハムの息子なのだから、黒人ということになる。
百歩譲ってノアに関する旧約聖書の記述が真実だとしても、黒人の子孫が黄色人種であるユダヤ人(スファラディー)又は偽ユダヤ人(アシュケナジー)だというのは、有り得ない話である。
ユダヤ=セム(黄色人)というのは間違いだと指摘するのであれば、
その正体はハムの息子であるカナン(黒人)だと主張するのではなく、ヤペテ(白人)だと主張するべきだろう。
アシュケナジー(白人)がユダヤ人に成りすましていることを、糾弾するべきだろう。
著者はキリスト教徒であるようだが、白人のキリスト教徒には、けっこう人種差別思考があるように感じる。
それも特に黒人に対する差別思考である。
特に気になったのは、著者がアメリカの奴隷制度廃止論者を非難している箇所に
「奴隷制度廃止論者は聖書に奴隷制が認められていることを否定している」と記していることだ。
聖書にどんな記述がされていたとしても、奴隷制を肯定する根拠とはならない。
私がキリスト教を否定する最大の理由は、ここにある。
キリスト教徒を虐殺したフランス革命を実行したフリーメーソン、イルミナティ勢力を許すことは決してできないが、神の名のもとに人種差別、異民族虐殺、異教徒虐殺を実行したキリスト教徒(実体はカバラ・悪魔教の可能性が大であるが)も、決して許すことはできない。
評点:90点