戦争

『現代人が理解しておかなければならない太平洋八百長戦争講話』

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「太平洋八百長戦争の真相を追う<石原莞爾・箕作 元八・松岡 洋右 篇>」



太平洋八百長戦争終戦記念日に合わせて、あの戦争の真相を調べていこうと思います。
あの八百長を演出していた売国奴は数限りなく存在していますが、
今回は、石原莞爾を中心に見てみようと思います。



http://www.asyura2.com/11/lunchbreak45/msg/446.html
石原莞爾は世界統一政府論者のエージェントだった・tak0719(事実なら、軍部は米英のスパイだらけだった事になります)
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak45/msg/446.html
投稿者 小沢内閣待望論 日時 2011 年 3 月 30 日 16:25:26

http://tak0719.web.infoseek.co.jp/qanda3/869RGWPWP2Qgw99595.htm
石原莞爾は世界統一政府論者のエージェントだった
(1)
私は、かねてから、太平洋戦争において、日本軍部の上層部の中に敵の回し者がいたと考えていた。
なぜならば、911事件からイラク占領までの流れが、日本の満州事変から太平洋戦争への流れと酷似しているからだ。
それでは、ビン・ラディンやフセインのような男、ひいてはヨーロッパにおけるヒトラーの役割を果たした男とは一体誰だったのだろうか。
私は石原莞爾だと思う。
石原の著書『最終戦争論』を読んで確信を得た。
彼のロジックは、CFRのそれと酷似している。
今翻訳している「イルミナティと外交問題評議会」を読んでいただければ分かると思うが、CFRの親玉イルミナティは、諸国間に戦争を起こし、疲弊させ、戦争の惨状を見せつけることによって、人々に「世界統一政府の登場」を待望させるという計略を何世紀にもわたって取ってきた。
石原は、まさにこれと同じことを語っているのだ。

http://tak0719.web.infoseek.co.jp/qanda3/26861A1Ozbhmw54942.htm
彼は日本人の手前、日本を勝利者として描いたが、実際のところは分からない。
同じく世界統一政府論者のエージェントであった尾崎秀実が、日本の敗戦革命を目指していたことから類推すると、彼も同じ計略を実行したのではないだろうか。
つまり、日本を戦争に巻き込み、徹底した敗戦に導き、日本を世界統一政府の一部に組み込むと同時に、世界に対して戦争の悲惨さを見せつける目的を持っていたのではないだろうか。
あの戦争は普通ではなかった。
1晩で10万人を焼き殺した東京大空襲。人々が逃げられないように、周りから爆弾を落としていった。
無警告で一般民間人の頭上に落とした原子爆弾。人々がちょうど外出する時刻朝の8時を狙った。
従来の「あまりにも抵抗が激しかったから」とか「通常の爆撃では日本は降伏しなかっただろうから」とかいった理由で、説明できるだろうか。
私は、あの攻撃は、「見せしめ」「デモンストレーション」の意味があったと考える。
つまり、戦争の悲惨さ、むごたらしさを世界に示す目的があったと。
これを見るときに、私は、日本とイエスとが二重写しに見える。
十字架にかけられたイエスと同じように、日本は計略にはめられて、世界の人々の身代わりに破滅の運命をたどった。
原爆と悲惨な爆撃によって、世界の人々に戦争の悲惨さを例証した。
(2)
世界統一政府論者の計略を見ることは日本の現状を解釈する上で重要である。
世界統一政府論者は、世界統一政府を実現するために、世界各国の武装解除、交戦権の否定を強制する。
まさに戦後日本に対してアメリカが行った政策だ。
アメリカが憲法までも決定しようとしたのは、その背後にいる世界統一政府論者の意図があったからだ。
各国の自治権を狭め、その政治権力を徐々に国連を中心として将来誕生する世界統一政府のもとに集中するというCFR、ひいてはイルミナティの意図が背景にあったと考えることによって、戦後日本に押し付けられた様々な政策がすっきりと解釈できるようになる。
第9条や、今日の国際的軍事協力の是非については、こういった事情をよくわきまえた上で行わなければならない。
安倍政権がなぜ軍事協力を可能にすべく憲法改正をもくろんでいるのかについても同様だ。
我々は、安倍と統一協会とのつながりに注意すべきだ。なぜならば、統一協会は、世界統一政府論者の実行部隊だから。
(3)
インターネットでの中国人の日本バッシングは異常だ。
反日教育は、たしかに天安門事件の再発を防ぐために始まったと考えることもできよう。
しかし、私はそれ以上のもくろみがあると考える。
それは、第2の日中戦争だ。
中国人の背後には、明らかに両者を戦争に誘導しようとしている人々がいて対立を煽っている。
昔から、大戦争の準備としてイルミナティが取ってきた戦術だ。恐らく、日中間の対立を、極東における第三次世界大戦への準備として位置付けているのだろう。
我々は安易にこの煽動に乗らないように注意しなければならない。
引用者注:対立を煽っているのは中国人というよりも「彼ら」自身でしょうね
(4)
累進課税制度、義務教育制度、相続税は、国民から富を奪い、国家に集中させるための共産主義の計略である。
共産主義の背後には世界統一政府論者がいる。
世界統一政府論者は、さらにこのようにして集められた国の富を自らののふところに吸い上げようとしている。
おそらく郵政民営化もこの意図があったのだろう。我が国民の膨大な貯金を国際銀行家の手に移すためなのだろう。
我々がどんなに努力して蓄財しても、高率の税金によって国に吸い上げられ、国の富は国際銀行家に吸い上げられる。
我々は、世界統一政府論者の策謀を見抜き、自分の財産を保全するために頭をひねる必要があるだろう。

2007年8月27日




明らかに石原 莞爾は、世界統一が大好きなショッカー、改め、
キチ○イ勢力のエージェントだったようですナ。
次に、ウィキより抜粋する。




石原 莞爾(いしわら かんじ[注 1]、明治22年(1889年)1月18日 (戸籍の上では17日)- 昭和24年(1949年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。栄典は従四位・勲三等・功三級[1]、「世界最終戦論」など軍事思想家としても知られる。「帝国陸軍の異端児」の渾名が付くほど組織内では変わり者だった。

関東軍作戦参謀として、板垣征四郎らとともに柳条湖事件を起し満州事変を成功させた首謀者であるが、後に東條英機との対立から予備役に追いやられ、病気のため戦犯指定を免れた

士官学校卒業後は、歩兵第65連隊に復帰して、見習士官の教官として非常に厳しい教育訓練を行った。ここでは、軍事雑誌に掲載された戦術問題に解答を投稿するなどして学習していたが、箕作元八の『西洋史講話』や筧克彦の『古神道大義』など、軍事学以外の哲学や歴史の勉学にも励んでいる。

ドイツへ留学(南部氏ドイツ別邸宿泊)する。ナポレオンやフリードリヒ大王らの伝記を読みあさった。また、日蓮宗系の新宗教国柱会の熱心な信者として知られる。

石原が昭和2年(1927年)に書いた『現在及び将来に於ける日本の国防』には、既に満蒙領有論が構想されている。また、『関東軍満蒙領有計画』には、帝国陸軍による満蒙の占領が日本の国内問題を解決するという構想が描かれていた[7]。昭和3年(1928年)に関東軍作戦主任参謀として満州に赴任した。自身の最終戦争論を基にして、関東軍による満蒙領有計画を立案する。昭和6年(1931年)に板垣征四郎らと満州事変を実行し、23万の張学良軍を相手に、わずか1万数千の関東軍で日本本土の3倍もの面積を持つ満州の占領を実現した。柳条湖事件の記念館に首謀者としてただ二人、板垣と石原のレリーフが掲示されている。満州事変をきっかけに行った満州国の建国では「王道楽土」、「五族協和」をスローガンとし、満蒙領有論から満蒙独立論へ転向していく。日本人も国籍を離脱して満州人になるべきだと語ったように、石原が構想していたのは日本及び中国を父母とした独立国(「東洋のアメリカ」)であった。しかし、その実は、石原独自の構想である最終戦争たる日米決戦に備えるための第一段階であり、それを実現するための民族協和であったと指摘される。

昭和11年(1936年)の二・二六事件の際、石原は参謀本部作戦課長だったが、東京警備司令部参謀兼務で反乱軍の鎮圧の先頭に立った。この時の石原の態度について、昭和天皇は「一体石原といふ人間はどんな人間なのか、よく分からない、満洲事件の張本人であり乍らこの時の態度は正当なものであった」と述懐している[8]。

石原は、東條との対立が有利に働き、極東国際軍事裁判においては戦犯の指名から外れた。また、実生活においては自ら政治や軍事の一線に関わることはなく、庄内の「西山農場」にて同志と共同生活を送った。
石原は東亜連盟を指導しながらマッカーサーやトルーマンらを批判。また、戦前の主張の日米間で行われるとした「最終戦争論」を修正し、日本は日本国憲法第9条を武器として身に寸鉄を帯びず、米ソ間の争いを阻止し、最終戦争なしに世界が一つとなるべきとし、大アジア主義の観点から「我等は国共いづれが中国を支配するかを問わず、常にこれらと提携して東亜的指導原理の確立に努力すべきである」と主張した。




この男は満州事変や満州国建国にも関わっていることからも、
明らかに八百長戦争遂行に協力した売国奴であることは間違いないでしょう。
2・26事件の反乱軍の鎮圧の先頭に立ち、昭和天皇に評価されていることからも、
この男の正体が見えてきます。
しっかりと戦犯の指名から外れていることからも、
「彼ら」のエージェントであったことが証明されてますよね。
逆に言えば、東京裁判で裁かれた東條などは、
「彼ら」に利用された末に切られた可哀想な人物だったような気がします。
石原は日蓮宗系の新宗教国柱会の熱心な信者であり、右翼思想であったようだが、
戦後は憲法9条を武器として「最終戦争なしに世界が一つとなるべき」と
主張したとのことですから、
いかに変わり身の早い人間だったかということが見えてきますね。
まさに「右も左も根は同じ」ですナ。
ちなみに国柱会は、青木理によれば、日本会議との関係についてのAERA編集部による取材・アンケートにおいて、日本会議関連団体である「美しい日本の憲法をつくる国民の会」代表委員に教団幹部が就任している、とのことである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%9F%B1%E4%BC%9A

日本会議という非常に怪しい団体の思想の源がどこにあるのかということが、
石原 莞爾を調べれば見えてくるのである。
だから、歴史は正しく理解しなければならないのだ。
ところで石原は、箕作元八の『西洋史講話』を学んでいたとのことだ。
箕作という変わった姓に皆さん見覚えはないでしょうか?
はい、あの箕作家です。
新説・明治天皇替え玉候補の箕作 奎吾の家系の人物です。
この人物が明治天皇の替え玉であるという説には甚だ疑問を感じていますが、
何らかの形でこの家系は「彼ら」と関係しているように感じます。
<参考サイト>

http://gos.but.jp/genpo.htm#anchor124528

箕作 元八をウィキで見てみます。

箕作 元八(みつくり げんぱち、文久2年5月29日(1862年6月26日)- 大正8年(1919年)8月9日)は、江戸生まれの日本の男性歴史学者。
東京帝国大学動物学科卒[1]。留学先のドイツフライブルク大学で近眼のため顕微鏡を使うのに困難を感じ、西洋史学の研究に転向した[1]。
ハイデルベルク大学・テュービンゲン大学などでトライチュケやランケの指導を受け1891年(明治24年)テュービンゲン大学で博士号取得。
箕作秋坪の四男で[4]、母つねは箕作阮甫の三女[4]。数学者の菊池大麓及び動物学者の箕作佳吉は元八の兄にあたる[4]。異母妹の直子は人類学者の坪井正五郎に嫁いだ[4]。法学者の箕作麟祥と統計学者の呉文聰は従兄[4]、医学者の呉秀三は従弟[4]。
妻・みつは進十六の三女[5]。みつとの間に3男3女をもうけ、長男・秋吉は理学博士号を持つ化学者であると同時に作曲家としても活動し[4]、次男・箕作豊三は夭折[6]、三男・箕作洋輔は工業技術家として知られた[4]。また長女・綾子は医学者で眼科の権威・甲野謙三に[4]、次女・縫子は矢野矢に[4]、三女・歌子は堀田嘉幸に嫁いだ[4]。みつの姪・龍は外交官・政治家の松岡洋右に嫁いだ[脚注 1]。
吉阪隆正(佳吉の孫で建築家)の妻・富久子は甲野謙三・綾子夫妻の娘である。



ご立派な経歴ですが、私が見逃さなかったのは、この一文です。
「妻・みつの姪・龍は外交官・政治家の松岡洋右に嫁いだ」という。
はい、あの問題の人物である松岡洋右が関係してきます。
改めて松岡洋右をウィキで見てみます。(抜粋)


松岡 洋右(まつおか ようすけ、1880年(明治13年)3月4日 - 1946年(昭和21年)6月27日)は、日本の外交官、政治家。
アメリカへの留学経験があり、満州国では満鉄総裁として弐キ参スケの一人に数えられた。日本の国際連盟脱退、日独伊三国同盟の締結、日ソ中立条約の締結など第二次世界大戦前夜の日本外交の重要な局面に、代表的な外交官ないしは外務大臣として関与した。敗戦後、極東国際軍事裁判の公判中に病死した。外交官同士のジョセフ・グルーと親交があった。

1880年(明治13年)に山口県熊毛郡室積村(のち光市室積)にて、廻船問屋の四男として生まれる。
洋右が11歳の時、父親が事業に失敗し破産したこと、親戚が既に渡米して成功を収めていたことなどから1893年(明治26年)に留学のため渡米する。アメリカでは周囲の人々からキリスト教の影響を受け、入信に至る。特に来日経験のあるオレゴン州ポートランドのアメリカ・メソジスト監督教会牧師メリマン・ハリス(Merriman Colbert Harris)のあたたかい信仰に見守られつつ、日本自由メソヂスト教会の指導者となる河辺貞吉から大きな影響を受け、洗礼(記録では1893年とある)を受けた。彼は河辺を信仰の父、実父に代わる第二の父とし、終生交わりを大切にした。後年に至っても米国ではメソジスト派の信者と述べ、「キリストの十字架と復活を信じている」と公言していた。

外務省では、はじめ領事官補として中華民国上海、その後関東都督府などに赴任。その頃、満鉄総裁だった後藤新平や三井物産の山本条太郎の知遇を得る。松岡の中国大陸での勤務が長かったのは、一説には一旦はベルギー勤務を命ぜられたものの「これからの日本には大陸が大切だから」といって中華民国勤務の継続を望んだともいう。

退官後はすぐに、上海時代に交友を結んだ山本条太郎の引き抜きにより、南満州鉄道(満鉄)に理事として着任、1927年(昭和2年)には副総裁となる(総裁は山本)。松岡本人も撫順炭鉱での石炭液化プラント拡充などを指導していた。
1930年(昭和5年)、満鉄を退職。2月の第17回衆議院議員総選挙に郷里山口2区から立候補(政友会所属)、当選する。議会内では対米英協調・対中内政不干渉方針とする幣原外交を厳しく批判し、国民から喝采を浴びる事となる。
1940年(昭和15年)、近衛文麿が大命降下を受け、外務大臣として松岡を指名した。松岡は軍部に人気があり、また彼の強い性格が軍部を押さえるであろうという近衛の目算があった[7]。

当時の大きな外交問題は、泥沼となっていた日中戦争、険悪となっていた日米関係、そして陸軍が主張していたドイツ・イタリアとの三国同盟案であった。松岡は太平洋を挟んだ二大国が固く手を握って、世界の平和を確立すべきと唱えていた。

松岡は世界を、それぞれ「指導国家」が指導する4つのブロック構造(アメリカ、ロシア、西欧、東亜)に分けるべきと考えており[11]、日本・中国・満州国を中核とする東亜ブロック、つまり大東亜共栄圏(この語句自体、松岡がラジオ談話で使ったのが公人の言としては初出)の完成を目指すことを唱えていた。松岡は世界各国がブロックごとに分けられることでナショナリズムを超越し、やがて世界国家に至ると考えていた[12][13]。 この説は満鉄時代からの彼の持論であり、内外の研究者に協力を仰いで研究を進めていた[14]。 松岡はこの構想を実現させるためには、各ブロックを形成する他の指導国家と協調する必要があると考えていた。

松岡は吉田茂の2年先輩の外交官であり、友人関係があった。お互いの骨董品について、冷やかしや皮肉を言いあうこともあったという[42]。戦後、松岡が結核で衰弱しているという話を聞いた際、吉田は少ない物資の中からミルクを送ったとされる。

妹:藤枝(山口県、医学者佐藤松介に嫁する)
佐藤松介は岸信介・佐藤栄作両首相兄弟の叔父であり、また栄作を藤枝との間の長女・寛子と娶わせ婿養子としている。




田布施人脈であり、満州国では満鉄総裁として弐キ参スケの一人に数えられており、
日本の国際連盟脱退、日独伊三国同盟の締結に関わるという、
八百長戦争参加に向けた重要なポイントに関わっていた人物です。
世界国家を望んでいたというから、石原莞爾と似た思想の持主だったようですナ。
こちらはキリスト教徒だったそうですが・・・
さらには「ジョセフ・グルーと親交があった」というのが、
この人物の正体を現す最大の証拠ですナ。
ジョセフ・グルーが何物であったかさえ分かっていれば・・・

近代史をたどって行けば、石原 莞爾と松岡洋右の満州国人脈、「彼ら」の手先となって国民を八百長戦争に導いた売国奴人脈に繋がっていくわけです。
石原が箕作元八の『西洋史講話』を学んでいた「本当の理由」が見えてくるのです。
『西洋史講話』とは『西洋フリーメーソン・イルミナティ史講話』なのでは、
という気さえしてきます。
この人脈には岸信介や吉田茂が含まれていることをお忘れなく。
ところで、この二人の孫は誰でしたでしょうか?
こんな質問は、ここに来ている皆さんには愚問ですよね。
以上、終戦記念日に合わせて、
『現代人が理解しておかなければならない太平洋八百長戦争講話』
をお届けしました。
国民を八百長戦争に引きずり込もうとする売国政治家は、
当時と同じ勢力に命じられて、また同じことを繰り返そうとしています。
騙されてはいけません!




<参考記事>
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-1103.html
日本は満州でのアヘンの栽培方法・販売方法を誰に教わったのでしょう?
「満州国建国及び満州アヘン密売の背後にいた勢力を探る」



http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-1010.html
「彼ら」が本当にされて困ることは何か?(「あやつり人形」PANTA)
「恐るべき“あやつり人形”の系譜、岸信介から安倍晋三へ」








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NoTitle

現代史についての(も)知識不足を実感・・幣原は古舘最後の頃の報道ステでとりあえられ、9条を入れたのだという内容の番組が話題になりましたが、反対米英戦争・反中国干渉ということを言っていた人だったんですね。いつもありがとうございます。
  • #796 「katsukoのブログ」 
  • URL 
  • 2016.08/27 08:14 
  •  ▲EntryTop 

Re: NoTitle

> 現代史についての(も)知識不足を実感・・幣原は古舘最後の頃の報道ステでとりあえられ、9条を入れたのだという内容の番組が話題になりましたが、反対米英戦争・反中国干渉ということを言っていた人だったんですね。いつもありがとうございます。


コメントありがとうございます。

石原や松岡が右のエージェントなら、幣原はヨハンセン・グループと同様に左のエージェントだったと思います。
今のアベ・女性大臣・知事と共産党・シールズ・三宅のようなものです。
両者は対立などしていないでしょう。
基本的に、これらの人物の思想・考えというものは、「自発的なものではない」という観点が必要なのではないでしょうか。
「彼ら」の戦略は巧妙です。昔も今も「両刀使い」であるようです。

http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-268.html

NoTitle

 幣原の言も"自発的なものではな"かったと見るべきなのですね。
 しかし左右実は同じ・・・という話はなかなかわかってもらうのが
難しい・・
 ○ール○にしても、相当勘のいい人でないと信じ切っています
  • #798 「katsukoのブログ」 
  • URL 
  • 2016.08/27 12:16 
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