武力を背景としてその地位を築いたローマ・カトリック教会 - 歴史・宗教

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武力を背景としてその地位を築いたローマ・カトリック教会

「レンヌ=ル=シャトーの謎~イエスの血脈と聖杯伝説~」③
マイケル・ベイジェント、リチャード・リー、ヘンリー・リンカーン




前回に続く。以下、一部引用する。


*メロヴィング朝の支配者のなかでももっとも有名な人物は、481年から511年にかけて統治し、メロヴィクの孫にあたるクロヴィス1世である。クロヴィス王のときにフランク人はローマ・カトリック教会に改宗したので、彼の名前はフランスの子どもにも馴染み深いものである。そして、クロヴィスによってローマ教会は、西洋ヨーロッパに1千年以上も続く恒久的、絶対的な権威を確立した。
5世紀を通じて、その存続の危機に立たされていたローマ教会は、496年までに油断ならない立場に追いこまれていた。384年から399年にローマ司教は教皇と自称しはじめたが、彼らは今日の教皇とはきわめて異なり普通の司教とまったく同じ立場であった。当時の教皇は、どの面から見てもキリスト教界の絶対的、精神的な指導者ではなく、数多くの異なる形態のキリスト教のなかで既得権をもつ単一体にすぎなかった。
・・・・・(中略)・・・・・
ローマ教会が存続して権威を強く訴えるには、その権威を象徴する世俗側の強力な援護が必要であった。キリスト教がローマ教会の教義と一体化して発展するには、その教義を普及させ、競合するキリスト教の教義に耐え、最終的にそれを打ち崩すだけの世俗権力によって強制されなければならなかった。ローマ教会が、そのような力をもっとも必要としたときに、
クロヴィスのほうを振り向いたのはなんら不思議ではない。

アルデンヌ出身のクロヴィスは、486年までに敵側の部族を次々と打ち破って多数の隣接王国や君主国を併合し、メロヴィング家の領土を飛躍的に拡大させた。この結果、たとえばトロワ、ランス、アミアンなど数多くの重要な都市がメロヴィング家の領土に取りこまれ、10年以内にクロヴィスが西洋ヨーロッパで最強の君主になるのは明らかであった。
・・・・・(中略)・・・・・
496年、クロヴィスと聖レミギウスのあいだに秘密会合が何度ももたれ、そのあとすぐにクロヴィスとローマ教会のあいだに協定が成立した。この協定は、ローマ教会にとっては政治的な大勝利であった。これによってローマ教会の存続が保証されただけでなく、西洋の宗教面で絶対的な権威を確立することになった。ローマ教会は、コンスタンチノープルを本拠とするギリシア正教に匹敵する地位を獲得し、これによってローマ教会の覇権を確実にするための道筋と、無数の異端を根絶する手段を手に入れた。そして、これらを実行する手段、権力を誇示する世俗的な武器、精神的な支配を課す道具として、クロヴィスはローマ教会の剣となったのである。
この見返りとして、クロヴィスには「新皇帝」の称号が与えられた。別の見方をすればクロヴィスは、ローマ皇帝に創設され、それほど遠くない昔に西ゴート族とヴァンダル人に滅ぼされた「神聖ローマ帝国」という統一帝国を支配することになった。先例に先立ってクロヴィスは「メロヴィング家の代々の遺産となるべきローマ帝国を引き継いだ帝国の夢を見て、・・・・勇気づけられた」と、現代の専門家が書いている。





(管理人)
まず、メロヴィング朝について見てみる。ウィキより抜粋する。


メロヴィング朝(メロヴィングちょう、仏: Mérovingiens, 英: Merovingian dynasty, 独: Merowinger)は、ゲルマン人(西ゲルマン)であるフランク族の支族のサリ族が築いたフランク王国における最初の王朝である。
メロヴィングの名は、始祖クロヴィスの祖父メロヴィクスにちなむ。4子に分割相続して以後、分裂・内紛を繰り返して衰退した。

フランドルを支配していた小国の王クロヴィス1世(465年 - 511年、位481年 - 511年)が勢力を伸ばし領土を拡大。全フランクを統一し、481年、メロヴィング朝を開いた。496年、クローヴィスはカトリック教徒であった妻との約束により、ゲルマン人に定着していたアリウス派キリスト教(異端宗派)より家臣4,000名とともに正統派のアタナシウス派キリスト教(カトリック)に改宗した(クロヴィスの改宗)。これによって王国は崩壊した西ローマ帝国貴族の支持を得、領内のローマ系住民との関係も改善された。506年に西ゴートをヴイエの戦い(英語版)で破り、その王を戦死させ、イベリア半島へ駆逐。王国の版図を広げた。

7世紀後半から王国の行政および財政を取り仕切る宮宰(きゅうさい, major domus)に実権が移ってゆく。714年から宮宰に就任していたカロリング家のカール・マルテルは教会から没収した土地を家臣たちへ与えて軍を再編。その後、732年にはイベリア半島から領内に進攻してきたイスラム帝国のウマイヤ朝軍をトゥール・ポワティエ間の戦いにおいて破り、西欧キリスト教世界に対するイスラム勢力の進出を食い止めた。751年にマルテルの子、ピピン3世(小ピピン)がローマ教皇の支持を得てカロリング朝を開いたことで、メロヴィング朝は終わった。





基本的に、本書で述べられていた通りのようである。
それにしても変な話ではある。
本書ではローマ・カトリック教会の根幹となっている「神の子イエスは独身であった」とする説を否定し、イエスは既婚者であり、イエスの妻であるマグダラのマリアと子供が生存しており、その末裔がメロヴィング朝を築いたと主張する説を展開しているのだが、そのメロヴィング朝がローマ・カトリック教会と敵対するどころかクロヴィスの改宗によってしっかりと手を組み、お互いが繁栄することになったことになるからである。しかも、ローマ・カトリック教会が今日の確固たる地位を得ることができたのはメロヴィング朝のクロヴィスの改宗のおかげであるというのだから。

ということは、メロヴィング朝は「イエス既婚説」を放棄したのだろうか?
さらには、「イエスの血脈を守るシオン修道会」なる組織は一体全体何を考えているのだろうか、と感じます。

イエスの血脈を守っているはずのメロヴィング朝がその主張の正反対の教えであるローマ・カトリック教会に改宗することで「繁栄」したことに「許せない」という思いはなかったのでしょうか?
こういった「裏切り」を気にしないで、ひたすらイエスの血脈を守るためにメロヴィング朝の末裔に忠誠を誓ってきたとは・・・
あまりに間抜けであり、呆れてものも言えない・・・

実は、この「不思議な物語」を解明する理由があるようである。
なんとシオン修道会の存在の事実は別として、歴代総長の名前等が記されている『秘密文書』が偽造であることが発覚していたのである(呆れ)



(ウィキより抜粋)
シオン修道会(シオンしゅうどうかい、フランス語:Le Prieuré de Sion、英語:Priory of Sion)とは、1960年代以降のフィクション、ノンフィクションで扱われた秘密結社の名称である。11世紀の中世に遡る歴史を持つと伝えられ、主催者もそのように称したが、その根拠はフランス語で『秘密文書』という名を持つ冊子の記述にあった。しかしこの文書は、最後の総長を自称していたピエール・プランタールが、自ら捏造したものであると1993年に告白した為、シオン修道会が主張していた伝統や秘密は偽りであったと現在では考えられている。

フランス政府の官報によれば、シオン修道会は実際に存在した組織であり、1956年6月25日に発足の届けが出ている。会長はアンドレ・ボノム、事務局長はピエール・プランタール(Pierre Plantard)であった。届けられた定款によれば「カトリック制度と戒律での独立伝統主義騎士団( Chevalerie d'Institutions et Règles Catholiques, d'Union Indépendante et Traditionaliste )」と自らを位置づけており、このフランス語名の頭文字を採った『CIRCUIT』と題する会報を発行していた。活動の痕跡は同年10月まで。1962年にプランタールにより名目上再建されるが、組織としての実体がないまま1993年まで継続した。
フランスの投資家ロジェ=パトリス・ペラ(Roger-Patrice Pelat)がインサイダー取引の疑いで訴えられた事件において、彼がシオン修道会の総長であったという情報を、1993年9月、プランタールは担当裁判官にもたらした(ペラは1989年に死去)。この疑惑事件は、当時のフランス首相も関係していた大事件であり、またペラはミッテラン大統領の友人でもあったため、担当していた裁判官はプランタールの自宅を家宅捜索させた。そこにシオン修道会関連の文書が多数あり、そこではプランタール自身が「フランスの真の王」たるべきと主張していた。
裁判官が2日間にわたりプランタールを尋問した結果、プランタールは秘密文書の捏造を認めた。フランスの司法当局を弄んだことに対し、厳重な警告を受けたプランタールは、以降沈黙し、2000年にパリで息を引き取った。






『秘密文書』が偽造でありメロヴィング朝がイエスと何の関係もなければ、クロヴィスが改宗したことは裏切りでもなんでもないわけで、単なる政治上の判断ということになる。

しかし、『秘密文書』は本当に偽造なのだろうか?

本書にも記されてあったが、単なる偽造にしては、ダヴィンチ、ニュートンといった著名人のみが総長をしていたのではなく、さして有名でない人物も総長として記されていることからも、『秘密文書』が偽造でない可能性も十分に考えられる。
この文書が真実であるとされると一番困るのは、ローマ・カトリック教会である。
いくら「彼ら」に支配されたローマ・カトリック教会だといっても、今になってイエスが既婚者であったなどと認めるわけにはいかないのである。
イエスは処女マリアからから誕生し、数々の奇跡を起こし、十字架刑で亡くなった後に復活したという“正常な思考を持った人間には到底信じられない公式ストーリー”を、「これは真実なのです! 疑ってはいけません!」と、信者に考えることさえ否定した上に強要し、金科玉条のように守り抜かなければならないのだ。

自分たちの既得権益を死守するためには!

プランタールが偽造を認めた背景には、ローマ・カトリック教会の相当な圧力が存在していたのかもしれない。
もしプランタールがローマ・カトリック教会から圧力を受けていたとすれば、シオン修道会は「彼ら」と戦う善なる組織であった可能性も出てくる。
今日のシオン修道会とローマ・カトリック教会が対立していなければ、シオン修道会はローマ・カトリック教会から圧力を受けるはずがないからである。
シオン修道会は基本的には善なる勢力であったが、その内部で悪魔的グノーシスの思想を持つようになった集団がイルミナティとなり、ローマ・カトリック教会も支配するようになり、母体であるシオン修道会にも圧力をかけるようになったのではないのだろうか。

『秘密文書』が偽造でなかったといしたら、シオン修道会は「メロヴィング朝の裏切り」を黙認し、その子孫(イエスの末裔)を守ることを目的として中世に誕生したのだろう。
しかし、その組織内の悪魔的グノーシスの思想を持つようになった集団がテンプル騎士団、カタリ派思想と融合し、フリーメーソン、イルミナティとなり、さらにはローマ・カトリック教会さえも支配し、現在のこの世界を我が物顔に支配し続けているのだろう。

そして、今回の本書の記述から確信をもったのは、
ローマ・カトリック教会はメロヴィング朝という武力を背景にその地位を築いたということであり、決して“信仰の力”で西洋世界を統治することに成功したのではない」という歴史的事実である。

これはイギリス・アメリカのような軍事国家による他国の帝国主義支配と同様であり、
さらにはイルミナティが悪逆非道な行為を持って現在のこの世界を支配していることと、なんら変わらないことである。
そもそもカトリック以外のキリスト教宗派を異端と呼び、キリスト教以外の宗教を異教と呼ぶこと自体が許されざる“奢り”であるのだ。
武力を背景に人民に無理強いする宗教など宗教でも何でもない。

単なる独裁である!
十字軍による大量殺人を善とするキチ○イ思考である!

考えてみれば「彼ら」に支配される以前から、「ローマ・カトリック教会なるものは悪魔に魂を売った極悪殺人集団であった」と、私は言いたい。

まさに、「神=悪魔」である・・・






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