日本において、体制の変化がおきるとすれば、それは日本人だけから端を発しているように見えなければならない - 歴史・宗教

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日本において、体制の変化がおきるとすれば、それは日本人だけから端を発しているように見えなければならない

「あやつられた龍馬 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン」
加治将一




2006年の書である。著者の書は、初めて読んだ。
「明治維新の真相」に迫った良書であった。以下、一部引用する。



*五代友厚は、幕府が長崎に設けた海軍伝習所で21歳から23歳まで学んでいる。薩摩が近代化戦略のために送り出した16名のうちの一人だ。
長崎海軍伝習所のトップは勝海舟、教官はオランダ人。そこに送られた青年五代は、暗い中から、急に明るい外に出たときのように、まぶしそうに眼を細める。しだいに明るさになれ、フォーカスが合ったとき、とつぜん立ちはだかった黒船という巨大な物体を捉える。驚愕、轟き、そして畏敬の念を抱く。
・・・・・(中略)・・・・・
海軍伝習所が幕府の意向で閉鎖され、一度国元の薩摩に帰った五代は、翌年再び藩命で長崎に赴く。1861年も終わろうとしている寒い冬である。
与えられた藩命とは、薩摩藩の海軍力の強化、そのための外国船の輸入である。忍んでグラバー邸を訪れる。相応の働きをして、二隻の外国船の斡旋をグラバーに依頼。
16名の長崎伝習所組の序列を押しのけて、特別に五代がその任をおおせつかったのは、もともとグラバーとの深い関わり合いがあったからだ。
二人は昨日今日の付き合いではない。海軍伝習所時代から、濃密に結びついていたのである。

・・・・・(中略)・・・・・
この両人のつながりこそが、薩摩と英国のラインであり、後々、五代は裏切り者、イギリスのスパイだと疑われ、一時薩摩藩から追っ手を差し向けられる騒動に広がるのである。
二人は慎重に話し合い、無事注文を出す。その直後、五代は正式に薩摩藩御船奉行(おふねぶぎょう)副役という名誉あるポジションにつく。27歳のときだが、このあたりからグラバーという力を得て、ぐんぐんとのし上がってゆくのだ。
坂本龍馬が土佐藩を脱藩し、四国を後にしたころ、すでに五代友厚は、薩摩藩士というより、グラバーの秘密エージェントになっていたと言っていい。

フリーメーソン・ロッジは、外国人居留地47番地にあった。現在、グラバー園内のメーソンマークの入った石柱横の解説がそれを伝えているが、47番地というのはグラバー邸を下った目と鼻の先である。

*日本にいたフリーメーソンは、領事館関係者や貿易商ばかりではない。
中でも注目すべきは、フェリックス・ベアトという写真家だ。
1825年、ヴェネチア生まれのイタリア人だが、ベアトはほどなくマルタ島に移る。その後、英・仏・トルコの連合軍とロシアが戦ったクリミア戦争に、写真家助手として参加した。
・・・・・(中略)・・・・・
クリミア戦争の次に、髭面(ひげずら)で大柄なベアトはインドにわたり、セポイの反乱を写真におさめる。それから、カメラ機材一式をかついで向かったのはアヘン戦争さなかの中国。
充分に撮りつくした後、ついに幕末の動乱期、日本に姿を現すのである。
クリミア、インド、中国、そして日本。神出鬼没だ。いずれも紛争と絡んでいる。ベアトは世界中に立ち昇る硝煙を、うまい具合にかぎつけて、あつらえたようにその場に居合わせている。
偶然ではありえない。各国の情勢をきちんと把握していなければできない芸当だ。そう、英国政府筋の正確な情報で動いていたのである。

・・・・・(中略)・・・・・
フリーメーソン、ベアトの移動は素早い。長崎、横浜、京都、鎌倉、所を変えながら幕末の日本を活写し、その風景を見事に切り取っている。
獲物は風景だけではない。幕末の志士、日本の風俗習慣を伝える写真もものにしている。
その風景は膨大な量になる。
現在、書店に並んでいる本の中で、江戸末期の写真があれば、そのほとんどがベアトの写真だといって過言ではない。

*しかるべきところに網は張られていた。五代友厚の潜伏先は、薩摩藩の密偵にあっさりとかぎつけられてしまう。
「五代は長崎に来たり、英商ガラバ(グラバー)なるものの住家に潜匿(せんとく)し居る説あり・・・・・」
『忠義公史料』は、さらに五代の秘密に近づく。
「・・・・・五代は汽船購求の事に就して、英商ガラバ等と謀り、許多(あまた)の財を得たる説あるが故・・・・・」
と、五代の背任蓄財をあばいている。
蓄財の証拠に、1、2年前までは貧しかったはずの五代が、近年にわかに羽振りがよくなって、長崎には妾宅(しょうたく)までも構えているとし、五代がグラバーから受け取ったコミッションをおよそ6000両と見積もっている。現在の価値にして約6億円。ちょっとやそっとの額ではない。


*1863年1月31日(旧暦1862年12月12日)、博文は高杉晋作などと一緒に攘夷血盟団に参加して、御殿山イギリス公使館に火をかけるのである。
なぜ奇妙かと言うと、博文は小五郎の手付けである。小五郎は江戸で開発思想に目覚め、すでにその指導的地位にいて、薩摩藩の五代たちと密かに交わっているのだ。開国派スパイ組織に身をおきながら「ジョーイ!」を叫び、攘夷血盟団に参加した博文の行動は、辻褄が合わない。
この放火には、英国密航組のメンバー井上 馨も参加しているというから、いよいよおかしい。

・・・・・(中略)・・・・・
それからわずかに4カ月後、長州が藩を上げて攘夷を決行しようとするまさにその直前の6月27日(旧暦5月12日)、博文は攘夷を踏みつけ、敵国イギリスに密航するのである。
開国派小五郎の手付け→英国公使館放火→そして英国密航。
この言葉を失うような豹変ぶりは、なにを意味するのか?


*注目するのは、当時密かに流れていた陰謀説だ。かいつまんで言うと、こういうことである。
長州はまだ攘夷派が藩を握っている。そこで英国公使館に放火を仕掛ければどういう展開になるか?
英国が怒って報復に動く。英国艦隊が長州を攻撃すれば、攘夷派は壊滅の危機に陥る。だから開国派が、それを狙って放火したのだというのである。

・・・・・(中略)・・・・・
戦争を起こすための謀略的挑発は歴史上腐るほどあるが、それを彷彿とさせる話ではある。
ともあれ博文は根っからのスパイだ。このころから、すでに建前と目的をたくみに使い分ける術に長けた男だった。

*「長州ファイブ」。五人は、親しみを込めてこう呼ばれた。
1864年、1月22日、当時世界一の銀行とうたわれたイングランド銀行に、五人は訪れたという署名を残す。
それから6年後の1870年、明治になって大阪の造幣局が動き始める。造幣印刷機はイギリス製だが、それを香港から買い付けたのはグラバーだ。グラバーの素早い動きには舌を巻くが、印刷機と一緒に連れてきたのは香港造幣局長、ウィリアム・キンダー。彼は指導のために大阪造幣局に造幣首長として赴任し、滞在は8年だが、れっきとしたフリーメーソンである。
初代造幣局長は井上 馨だ。続いてバトンは井上勝に渡され、そして伊藤博文、遠藤謹輔と続き、なんと造幣局長の4名までは「長州ファイブ」で占められたのである。当時の造幣局というのは、今と違って、旧大蔵省に近い機能を持っている。
いうなれば明治の大蔵省は、フリーメーソンであるキンダーの指導の下、密航組のたらい回しからはじまっていたのだ。

*エージェント五代、寺島を再びガードしろと命じ、続いて、日本人としては決して見落としてはいけない、別の文書が添えられている。
日本において、体制の変化がおきるとすれば、それは日本人だけから端を発しているように見えなければならない(1866年4月26日付、ハモンド外務次官よりパークスへ)
この命令は重要である。すなわち明治維新の工作は、誇り高き日本人に気づかれぬよう、あくまでも秘密裏に行え、と徹底的に釘を刺しているのだ。

*127ページで述べたが、神戸大学の蓮沼啓介教授が「神戸法学雑誌」第32巻第2号に載せた「パリのめぐり会い」と題するレポートがある。
それによれば、フリーメーソン・メンバー、西周と津田真道の二人がパリに急いだのは、オランダでの長い留学を終えての帰国途上だった。1865年12月4日、西たちは、ベルギーのブリュッセルを発(た)ち、その日の夜、パリに入りわき目も振らずにホテルに直行している。五代友厚、寺島宗則の待つカラント・ホテル。このことから、出会いはあらかじめ計画されていたもので、偶然でないことが分かる。

*帰国後、徳川慶喜の政治顧問に納まった西は、その年、さっそく京都で武士を否定する主張をぶち上げている。
「世禄を減らし、門閥をなくし、兵制を整える」
すなわち武士は解体し、身分によらない軍隊を作るべきだと主張したのである。徴兵制だ。この考えは震えるほどすごい。他の倒幕派は、幕府は倒すが武家社会は温存するという「幕藩体制」から「朝藩体制」への移行であるのに対し、西のそれは武家社会そのものをぶっ壊すという気魄(きはく)ある宣言だ。
「武士の解体」。西のまわりは武士だらけである。命がけの発言だった。こんなむき出しの主張は、バックがいなければ、おっかなくてできないはずだ。そう、西は孤立しているというわけではなかった。フリーメーソンという大スポンサーの後押しがあったのである。
奇しくも、イギリスのパークス公使もその時期、同じことを述べている。
「徴兵制をしいて、農民からも兵隊を取れば、間違いなく武家制度は壊れる」
両者は武家社会が癌だと考えていた。身分差別のない徴兵制こそ、武家社会を壊すものだと信じているのだ。政治を熟知している者の考えである。
西は一貫していた。
1867年には徳川慶喜の側近として「議会草案」を提出。これは上院下院による「議会制」をとりながら、慶喜が「大君(たいくん)」としてそのうえに君臨するような形だ。
天皇の位置はというと「大君」と並んでいるものの、発言権はない。すなわち西は、この時すでに現代に通じる象徴天皇制を唱えていたのである。慶喜がそれに飛びつくのも無理はない。
この西ドクトリンと言うべき構想が下地としてあったからこそ、慶喜は後藤象二郎、龍馬たちが進めた「大政奉還」を受け入れたのである。

それほど西の存在は大きかった。
西は秘密結社のメンバーであることをひたすら隠蔽しつつ日本の哲学者として、すばらしい功績を残し、1873年には福沢諭吉、森有礼、津田真道らと共に「明六社」を設立、最後は貴族院議員になる。

*おおまかに分けてパークスは幕府を、サトウは反幕色の強い地方の大名を受け持った。二元外交だが、どちらも独自の諜報部員が必要なことに変わりはない。
パークス直属の諜報部員の代表格が勝海舟であり、坂本龍馬であり、フリーメーソンの西周だった。これは勝手な存念、出すぎた邪推ではない。どう考えても、二つの路線が存在していたのだ。
・・・・・(中略)・・・・・
龍馬が錯覚していたのは、パークスの態度だ。パークスは平和路線で徳川慶喜を手玉にとり、龍馬、勝、西たちを動かす一方、部下、サトウを放し飼いにしており、武闘派の謀略を事実上容認していたのである。
無血革命と武力革命の明瞭な区別なく、両方にカードを置く。どちらに転ぶにせよ、倒幕という目的は達成する。大事の前の小事。権力者というのは往々にしてそういうことをするものだ。

*1月27日の鳥羽伏見の戦い。幕府側の士気はまったくあがらなかった。というより、英国にすっかり牙を抜かれていたのだ。ちゃんばらどころではない。その頃すでに新日本がスタートしており、日本を代表する外国事務局御用掛(外務省)の正式メンバーが、晴れ晴れしく任命されていたのである。
注目すべきはその顔ぶれだ。グラバー邸で結ばれたグラバーチルドレン、露骨に諜報部員で占められている。
伊藤博文、井上 馨、五代友厚、寺島宗則、陸奥宗光、中井弘蔵の6名。
彼らは誰はばかることなく、参謀本部と化したサトウの下に足繁く通い、その意見をあおいでいる。

・・・・・(中略)・・・・・
そして西周を慶喜の政治顧問から新政府の最高顧問格にスライドさせ、天皇の側近というポジションに据えて、天皇の「軍人勅諭」をしたためる。これは驚愕以外のなにものでもない。味方の親分の秘書から敵の親分への乗り換えなど、ものすごい力が働かなければできない芸当だ。目に見えないフリーメーソン、そして五代たちとのつながりが、西を新しい世に送り出したのである。
津田真道も西同様、慶喜の「大政奉還」に汗をかき、外務権大丞(ごんだいじょう)となり元老院議官に収まってゆく。
彼らは明らかに結ばれていた。留学という共通点以上のなにかだ。




(管理人)
明治維新が「彼ら」によって創作された“やらせクーデター“であることは、当ブログでも記事にしてきた。


http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-703.html
明治維新こそ「彼ら」の「彼ら」による「彼ら」のための日本支配体制が確立された「日本転覆クーデター」なのです
「幕末・明治維新の真相、歴史の裏舞台に“貢献”したフリーメーソン・工作員の正体を暴く①(坂本龍馬編)」


http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-707.html
たとえ徳川家が滅亡に追いやられても、武士の魂だけは決して忘れてはならない
「幕末・明治維新の真相、歴史の裏舞台に“貢献”したフリーメーソン・工作員の正体を暴く②(徳川編)」



本書のタイトルとなっている坂本龍馬に関する情報よりも、五代友厚に関する情報の方が、一番印象に残った。
現在、終盤に入ったNHKの朝の連続ドラマ「あさが来た」に登場した、あの男である。
五代友厚をウィキで見てみる(抜粋)。


五代 友厚(ごだい ともあつ)は、江戸時代末期から明治時代中期にかけての日本の武士(薩摩藩士)、実業家。薩摩国鹿児島城下長田町城ヶ谷(現鹿児島市長田町)生まれ。大阪経済界の重鎮の一人。当時、「まさに瓦解に及ばんとする萌し」(五代)のあった大阪経済を立て直すために、商工業の組織化、信用秩序の再構築を図った。
安政元年(1854年)、ペリーが浦賀沖に来航し天下は騒然となる。その折、五代は「男児志を立てるは、まさにこのときにあり」と奮いたったと記されてある。安政2年(1855年)、藩の郡方書役助(当時の農政を司る役所の書記官の補助)となる。兄が鎖国論者にも関わらず、開国論者の立場に立つ。その翌年、長崎海軍伝習所へ藩伝習生として派遣され、オランダ士官から航海術を学ぶ
文久2年(1862年)、懇願するも渡航を拒まれた友厚は水夫として幕府艦千歳丸に乗船し上海に渡航(この時高杉晋作と出会う)、藩のために汽船購入の契約をする。文久3年(1863年)7月、生麦事件によって発生した薩英戦争では、3隻の藩船ごと松木洪庵(寺島宗則)と共にイギリス海軍の捕虜となるが、通弁の清水卯三郎のはからいにより、横浜において、小舟にてイギリス艦を脱出、江戸に入る[1]。 国元ではイギリスの捕虜となったことが悪評となったため薩摩に帰国できず、しばらく潜伏生活をし、長崎で出会った同じ薩摩藩士の野村盛秀の取り成しによって帰国を許された。
慶応元年(1865年)、藩命により寺島宗則・森有礼らとともに薩摩藩遣英使節団として英国に出発、欧州各地を巡歴。ベルギーのブリュッセルでモンブランと貿易商社設立契約に調印、これは薩摩藩財政に大きく寄与するものとみなされたが、諸要因により失敗に終わる。しかし、この時の経験がのちの五代の経営手腕に大きな影響を与えることになる。
慶応2年(1866年)、御小納戸奉公格に昇進し薩摩藩の商事を一手に握る会計係に就任。長崎のグラバーと合弁で長崎小菅にドックを開設するなど実業家の手腕を発揮し始めた。ここでいうドックというのは俗にそろばんドックと呼ばれるもので現存している。慶応4年(1868年)、戊辰戦争が勃発し五代は西郷隆盛や大久保利通らとともに倒幕に活躍した。
その結果、明治元年(1868年)に明治新政府の参与職外国事務掛となる。外国官権判事、大阪府権判事兼任として大阪に赴任し、堺事件、イギリス公使パークス襲撃事件などの外交処理にあたった。また、大阪に造幣寮(現・造幣局)を誘致。初代大阪税関長となり、大阪税関史の幕を開ける。
他にも、大阪株式取引所(現・大阪証券取引所)、大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)、大阪商業講習所(現・大阪市立大学)、大阪製銅、関西貿易社、共同運輸会社、神戸桟橋、大阪商船、阪堺鉄道(現・南海電気鉄道)などを設立した。

鹿児島市泉町(泉公園内)、大阪市中央区の大阪証券取引所前、大阪商工会議所前には銅像が建立されている。
五代は新政府の要人に知り合いが多く、特に大久保利通に信頼されており、新貨幣製造のことも大久保から話を持ち掛けられたようだ。彼は旧知の英国商人、トーマス・グラバーに会い、香港に英国の造幣機が使われぬままに、という情報を得て、グラバーを通じて英国政府と交渉し、格安の6万両で購入する道を開いた。そしてその造幣機を用いて西洋式の「造幣寮」を建築し、国家的な特大プロジェクトとなっていった。




本書を読んだ後であれば、おさらいといったところだが、五代は長崎海軍伝習所でグラバーと知り合っている。この時から、グラバーのエージェントとなったのであろう。
五代は相当に優秀なエージェントだったのだろう。グラバーから貰ったコミッションが現在の通貨価値で約6億円というから、グラバーが五代の工作から得た利益は、とんでもない金額だったのだろう。イギリスのスパイという噂が広まり、五代の薩摩における評判があまり良くなかったのも、理解できるというものだ。
特にNHKが顕著だが、テレビドラマにおいて、明治以降の政治家・文化人が海外帰りの英語が話せるスマートな人物として登場する美化された番組を、よく見かける。
新島襄、五代友厚、それから第二次大戦後における白洲次郎等。これらの“スマートな人物”が「彼ら」のエージェントであったことは言うまでもないことであり、その背後勢力のおかげで“輝かしい功績”を残すことが出来たのも、言うまでもないことである。これらの“スマートな人物”が“輝かしい功績”を残すことが出来た本当の理由は報道せず、表面上の美化されたストーリーのみを強調し、さも“独力で成功を勝ち得た偉大な人物であった”かのように歴史偽装工作を請け負っている代表的洗脳媒体が、天下のNHKなのだ・・・。

フリーメーソンである写真家ベアトに関する記述も、興味深かった。
ベアトは「偶然」戦争の起きる国に滞在し、「偶然」それを写真に写したたそうだが、これらが決して「偶然」でないことは、相当のおバカさんでない限り、理解できるだろう。
はい、ベアトはこれから戦争を発生させる予定の地に行くことを命じられ、その映像記録を残すことを業務としていたのです。これが、フリーメーソンであるベアトの任務でした。
これまた「戦争が意図的に起こされている」ことの、新たな証拠であるでしょう。

伊藤博文による英国公使館放火事件の話には、驚かされた。「彼ら」による偽旗テロの伝統は、当時から、しっかりと根付いていたようですナ(笑)
それにしても、伊藤は相当な“恐るべき雇われテロリスト”であったようですナ。
孝明天皇弑逆事件の主犯であったとも言われているし、「彼ら」への貢献度が相当数高かったことは、疑いようがないですナ。
「彼ら」のエージェントは数多存在していましたが、その中でも武闘派エージェントの伊藤、知性派エージェントの五代、この二人の“活躍”が、特に目立っていたように感じます。
改めて感じることですが、テロリストや、フリーメーソンや、麻薬の元締めやっていたCIAエージェントが首相となるこの国は、狂っているとしか思えません。

また、「西周と津田真道の二人がパリで五代友厚、寺島宗則と密かに会っていた」というのは、驚愕の情報である。対立しているはずの幕府と薩摩の要人が、パリで密会していたのである。この舞台が日本人のみでセットされたと思うバカはいないでしょう。明らかに「彼ら」によって、用意周到にセットされていたのである。

八百長明治維新の舞台が!

西周と津田真道の留学が許可された時点で、幕府は「彼ら」の手中に落ちていたのでしょう。明治の時代になっても徳川が確固たる地位・役職を与えられるということも、事前に約束されていたのでしょう。この時点で、幕府と維新勢力は既に対立などしていなかったのです。後は武士以下の国民に、「幕府と維新勢力が対立している」という芝居を演じていただけだったのでしょう。

そして“八百長大政奉還”が、成立しました。

ここでも「彼ら」の教訓が活かされていますよね。
はい、「分断して統治せよ」です。
敵対勢力の両方にエージェントを送り込み、どちらに転んでも「彼ら」の都合のいい体制ができあがる、という常套手段です。
著者は幕府側を操っていたのがハリー・パークスで、維新側を操っていたのがアーネスト・“メイソン”・サトウだと主張しています。著者はパークスがサトウを“放し飼い”にしていたと述べていますが、私はそれは“放し飼い”ではなく、「既定路線」であったと思います。
そして実質上の日本における明治維新の黒幕は、グラバーであったと思います。
著者はグラバーの背後勢力にはあまり触れていませんが、グラバーはジャーディン・マセソン商会の代理人です。ジャーディン・マセソン商会が実質ロスチャイルドの支配下であることは、説明するまでもないことです。明治維新を画策していた勢力の「本当の黒幕」が誰であるかということは、これでご理解いただけますよね。

そして我々日本人は、この言葉をしっかりと脳裏に焼き付けておく必要があると思います。
本書最大の情報です。ハモンド外務次官の言葉です。

「日本において、体制の変化がおきるとすれば、それは日本人だけから端を発しているように見えなければならない」

ここに「明治維新の真相」が、集約されています。
「彼ら」は日本を完全支配したいのですが、自分たちと同じ白人が表立った地位に就き、直接支配をすることになれば、いくら騙されやすい日本人でも、自分たちが外国人に支配されていることに気づき、いずれ暴動が発生するでしょう。
そうならないようにするために、自分たちの思うままに操れる傀儡勢力を政財界の要職に就けることで、国民には「自分たちと同じ日本人が政治を行っている」と、思わせようとしたのです。実質上の支配者が「彼ら」であることを隠すために、直接支配ではなく、間接支配を選択したのです。
そして我々がしっかりと理解しておかなければならないことは、「このシステムは過去のシステムではなく、この平成の現代にも、しっかりと生き続けているシステムだ」ということです。
これが理解できていなければ、何故に安倍が国民の意向と相反する政治を行っているのかという本当の理由が理解できません。安倍を始めとした現政権の売国政治家どもは明治維新以来のこのシステムをしっかりと受け継いでおり、その任務を果たすことが自分たちに与えられた使命であることを、はっきりと自覚しているのです。
このシステムの存在を理解すれば、安倍が自分たち国民のための、日本のための政治を行わない理由が、ご理解いただけるでしょう。間違っても、安倍が美しい日本を創ろうとしているなどとは思わないことです。安倍はこのシステムに従っているだけの単なるあやつり人形なのですから。よく「アベノミクスが成功した・失敗した」だのといったことを話す人を見かけますが、もとからこの国を良くしようなどと思ってもいない安倍の政策(アベノミクス)などに、成功も失敗もないことは言うまでもありません。
敢えてアベノミクスの成功などというものがあるとしたなら、それは日本民族の死滅を意味することになります。

最後に、少し気になったことに触れておきます。それは著者があまりに明治維新の裏事情に詳しすぎること、フリーメーソンのことを悪魔的な組織であるとは紹介していないこと、15年間ロサンゼルスで不動産関係の業務に従事していたこと、あとがきで「海外に行けば必ず、現地のフリーメーソン・ロッジに立ち寄る」と書いていることです。
「五代友厚等はフリーメーソンだったのでは?」と、著者は推察していますが、このような気になった点から、「五代はもちろんフリーメーソンだったでしょうが、ひょっとして著者もフリーメーソンなのでは?」と、感じてしまいます。あとがきの最後には、以下のように“感謝の意”を表されています。

そして、快く取材に応じてくれたフリーメーソンの方々、さらには本書を手に取り、最後まで読んでいただいた皆様、ありがとうございました。

フリーメーソンの方々と、フリーメーソンにこれほど気遣う人物を私は他に知りません・・・。
フリーメーソンがロータリークラブやライオンズクラブと変わらないような純然たる善良な団体組織であるかのように解説をされた論調の記事を、時々見かけます。
それは大間違いです。恐らくそのような主張をされる人物はフリーメーソンのエージェントか、フリーメーソンの中でも下位階なのでしょう。フリーメーソンの正体は、上位階の人間にしか教えられません。
ただ、著者がフリーメーソンであろうとなかろうと、本書には日本人が絶対に知っておかなければならない重要な情報が満載であることは、間違いありません。
このような貴重な情報を世に出した著者に、感謝しています。
ここに引用した記事は、本書のごく一部です。本書は私がブログ記事で証明した「明治維新の正体」をより具体的に、“これでもか”とばかりに暴いています。
学校教育やマスゴミが絶対教えない「明治維新の真実」が書かれていますので、是非、皆さん自身の目で熟読してもらいたいと、思っています。
あなたが学生さんなら、「先生、間違ってますよ。明治維新の真相は、これこれこういうことなんですよ」と、先生に教えてやって下さい(笑)


評点:90点














COMMENT

「○○人だけから端を発しているように」

最近のカラー革命も、その類らしいですね。
また丸々転載させてくださいませ

Re: 「○○人だけから端を発しているように」

「katsukoのブログ」さん

> 最近のカラー革命も、その類らしいですね。
> また丸々転載させてくださいませ

革命も戦争も、いつも「同じ悪魔勢力」が創作した芝居のようですネ・・・
「宇宙の・・・」さんの件は、地球人の私には理解不能です(笑)。スミマセン・・・

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