歴史・宗教

江戸時代の関白は、天皇を補佐するとともに、天皇を監視、規制する役目ももっていた

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「幕末の天皇」藤田 覚



1994年の原本を元に、2013年に刊行された書である。
著者の書は初めて読んだ。著者は東京大学名誉教授であり、歴史学研究会委員長であった人物である。
私が読む書にしては珍しく、明らかに歴史学会の“主流派”の人間であるようだ。以下、一部引用する。



*江戸時代の幕府と朝廷との意思疎通、交渉ルートはつぎの図のようになっている。

将軍→老中→京都所司代→禁裏付(きんりづき)→武家伝奏(ぶけてんそう)→
関白→天皇

なかでも、禁裏付は所司代の指揮のもとで、日常的に朝廷の監督・運営にあたり、朝幕交渉の幕府側窓口となった。関白の指揮のもとで、朝廷側の窓口となったのが武家伝奏(定員2名)であった。幕府からの通達、要請、朝廷からの連絡、要請などみなこのルートで処理された。幕府からすると、交渉の窓口である武家伝奏がキーマンであり、そのため江戸時代のはじめには、その人選を幕府がおこなっていたほどである。
その後は、朝廷が候補者をきめて幕府が承認するという方式になったが、依然として幕府の承諾を必用としていた。

関白-両役制というけれども、関白の地位、力は圧倒的なものがあった。幕府権力を背景にした朝廷政務機構のトップという地位と関連しながら、公家集団のなかでかけ離れた力を持っていた。
武家にも、大名なら三家、家紋、国主(国持ち)、城主、譜代・外様などの区別、家格の差異があり、幕臣には旗本と御家人の差別があり、大名家臣にも上級武士と下級武士などの差別が厳然と存在していた。
・・・・・(中略)・・・・・
これと同じようなことが、公家集団にも見られた。公家には、摂家(せつけ)、清華家(せいがけ)、大臣家、それ以下という序列、家格がある。近衛、九条、二条、一条、鷹司(たかつかさ)の五家が摂家であるが、この摂家が圧倒的な力を持つ。官職でいうと、関白になれるのはこの五摂家に限られ、五摂家の当主が先任順に関白になるのが慣習といわれる(高埜利彦氏「『禁中並公家諸法度』についての一考察」『学習院大学史料館起用』第五号、1989年)。清華家は、関白につぐ三公(太政大臣<あるいは内大臣>左大臣、右大臣の総省)になれたが、関白は、五摂家の独占だった。
また、官位その他のことで、天皇から質問-これを勅問(ちょくもん)という-を下されることがあるが、その対象は五摂家の当主たちである。朝廷政務は、五摂家に独占されていた(もちろん両役との評議のうえではあるが)といってもよいほどである。一定の役職には一定の家格の者しか就任できない、という身分、家格制のしきみである。武家と同じしくみではないか。
また、この五摂家とそれ以外の公家との間には、主従ともいうべき関係が存在していた。

天皇の一族である宮家は、関白どころか三公よりも下に位置づけられている。関白は当然のことながら、三公も五摂家が就任する職であるから、五摂家は宮家より上位ということになる。五摂家当主は天皇につぐ位置におかれているのである。

江戸時代の関白は、天皇を補佐するとともに、天皇を監視、規制する役目ももっていた。朝廷の政務機構自体が、天皇が何かそれまでと異なる行動をとろうとしたと時に、第一の関門、厚い壁となって立ちはだかってくる。天皇が何か主体的な行動をとろうとする時、まずこの朝廷政務機構、とくに関白と闘わなければならなかったのである。

*民衆は、飢饉の苦痛からの救済と五穀豊作という現世利益を、神社仏閣に詣り神仏に祈願するのと同じように、また、さまざまな願いごとをかなえてくれる流行神(はやりがみ)に詣でるのと同じように、天皇に願かけするために御所に参詣し、お賽銭を投じた。天皇を神仏と同列視し、その聖なる天皇の居住する御所に人々は参詣し祈願したのだろう。
・・・・・(中略)・・・・・
もはや町奉行所に頼んでもラチが明かないと悟った人々は、御所千度参りというかたちで天皇に救済を祈願し訴えたのである。政治的行動が、御所千度参りという宗教的ベールをかけられておこなわれたともいえよう。大飢饉という未曾有の深刻な社会不安に直面し、その打開のために天皇・朝廷に対する民衆の漠然とした期待感が、表出した行動と理解できる。

*朝廷の窮民救済の申し入れは、文書による厳重なものではなく、それより一段トーンの劣る口頭での申し入れであって、文書にしたのは念のためにすぎないというのが、朝廷と幕府の共通の理解なのである。

*このように、朝廷の異例の申し入れは、朝廷側が心配するようなことは引きおこさず-所司代さらには老中の段階まで、表面的にはなんら問題とされた形跡はみあたらない-、幕府にあわせて1500万石の救い米を放出させるという成果をもたらしたのである。

*死去後におくられる称号には諡号(しごう)と追号(ついごう)とがある。諡号は、その生前の功績をたたえておくられる美称で、「天之真宗豊祖父天皇(あまのまむねとよおおじ)」(文武天皇)のような国風諡号と、桓武天皇のような漢風(中国風)諡号とがある。これに対して追号は、そのような賛美の意味を含まないもので、通常は「醍醐」「白河」などと地名がつけられている。
光格天皇は「諡号+天皇」で、最上位の称号と言えるが、この形式の称号がおくられたのは、「君がため春の野にいでて若菜つむ我が衣でに雪はふりつつ」という和歌が百人一首に収められている第58代の光孝天皇(在位は元慶8<884>年~仁和3<887>年)が最後である。古代律令制、古代天皇制のイメージを色濃くもった称号といえよう。光格天皇という「諡号+天皇」称号は、実に954年ぶりだった。まさに、900年以上もの長いあいだ眠っていた古代天皇制の「怪物」が目を醒ましたようなもので、人々がびっくりしたのも当たり前だ。
ちなみに、我々はたとえば「後醍醐天皇」などと呼ぶが、江戸時代の人はそうは呼ばずに「後醍醐院」と呼んでいた。院号なのである。院号であることが気になったのか、明治時代に入ると、政府は「・・・・・院天皇」と称したりしたが、なお「院」を弾きずっていた。このような「・・・・・院」と院号をおくられた歴代天皇について、「院」を省いて「・・・・・天皇」と称するようになったのは、大正14(1925)年に時の政府が決めたからである。「後醍醐天皇」などと呼びはじめたのは、たかだか80年ほど前からに過ぎない。




(管理人)
私は江戸時代は徳川幕府の印象が強く、孝明天皇を除いて天皇の印象が薄いように感じており、「江戸時代の天皇とはどのような立ち位置だったのだろうか」と、疑問を持っていた。こういった心理状態の時に、本書のタイトルを見て、疑問に答えてくれるかもしれないと感じたことが、本書を読んだ理由である。
あくまでも幕末が中心ではあるが、幕府と朝廷の微妙な関係が紹介されており、天皇の権威が増していく過程が述べられており、ある程度は私の疑問に答えてくれた内容であると感じた。
また、「徳川家康は天皇から征夷大将軍を任じられ、将軍としての権威を獲得することができた」ということは以前から知っていたが、幕府から朝廷への伝達関係が具体的に述べられており、分かりやすかった。
家康とすれば、単に武力で天下統一を果たしたというよりも、天皇から国家統治を任ぜられたという「肩書」を得ることで、何かと国家統治がやりやすかったのであろう。
家康に東照大権現(とうしょうだいごんげん)という神号をおくり、日光東照宮に神としてまつったのは、将軍ではなく天皇であった、とのことである。家康(徳川幕府)は天皇から神と認められたということで箔が付くだろうし、天皇としても、その地位が保たれるわけだから、満足できるだろう。
要するに、お互い「もちつもたれつ」といったところだったのだろう。

江戸時代の初期は、天皇が幕府に意見するというのは、ほとんど皆無のようであったとのことだが、天皇が幕府に意見できるようになったキッカケが天明の大飢饉にあったというのは、なんとも‟思いがけない”話である。
天皇とすれば、「大飢饉をチャンスに変えた」といったところか。
生活苦に陥った民衆は、御所に千度参りをしたとのことである。そして、神社に賽銭を投げ入れるかのように、御所に賽銭を投げ入れたらしい。
御所に千度参りをした民衆は、多い時は、1日に約7万人に膨れあがったとのことである。
その結果、天皇は幕府に民衆の救済を申し入れ、結果として幕府は天皇の申し入れを受け入れたとのことである。
全国各地で一揆・打ちこわしが発生したこともあり、幕府としても、なんとかこの問題を解決したい意向があったのだろう。
これをきっかけに、天皇が幕府に意見することが可能となり、民衆の間にも、「天皇に救済を訴えれば、助けてもらえる」といった気風が出てきたのであろう。
これが、幕末へ向けての尊王攘夷の流れへと繋がっていったのであろう。
そして、この時の天皇が、光格天皇であった。
光格天皇について、ウィキよりもアンサイクロペディアの方が分かりやすいので(笑)、少し引用する。


光格天皇

光格天皇(こうかくてんのう。在位1780年〜1817年)は、畏れ多くも、現在の天皇家の初代天皇であらせられる。今上天皇の6代前のご先祖様にあたる。一代前の後桃園天皇とはほとんど血縁関係がなく、この天皇から新王朝が始まったのである。諱は師仁(もろひと)あるいは兼仁(ともひと)であるが、面倒なので以下の記述では全て「光格天皇」と記す。
天皇家の分家である姦淫宮家(かんいんのみやけ)の典仁親王(すけひとしんのう)と、一般人女性のおつるさん(鳥取の町医者の娘さん)との間に生まれた光格天皇は、姦淫宮家の六男という、天皇位とは縁もゆかりも無い、というかそもそも、姦淫宮家を継ぐことすら不可能に近いような地味な皇子であった。
当時の天皇家は、室町時代の後花園天皇(在位1428年〜1464年)以来300年以上の長きにわたって万世一系の皇位継承を続けていた伏見宮家の王朝であった。しかし、似たような名前の後桃園天皇が1779年、後継ぎのないまま死んでしまった。そこで、大人の事情により、後桃園天皇はまだ生きているんだ、危篤になっちゃったけどね、まだ後桃園天皇は生きているんだからね、空位になんてなっていないんだからね、と言い続けて時間を稼ぐことにした。その間に、当時の朝廷で最高実力者であったさくらたんが、摂関家の皆さんを集めて、後桃園天皇の唯一の娘である欣子さま(当時0歳)のお婿さん探しをしたのである。もちろん、そのお婿さんに天皇位を継がせるためである。



アンサイクロペディアなので全てが真実だと解釈する必要は当然ないが、嘘八百の「公式ストーリー」よりは、信用できるかもしれない(笑)
後継ぎのいなかった後桃園天皇が亡くなった際に、ほとんど血縁関係がないにも関わらず、天皇になったとのことである。母親は一般女性であったとのことだ。
後桃園天皇の唯一の娘である欣子さま(当時0歳)のお婿さんとなったとのことである。
それも、8歳の時に天皇に・・・。本人も、わけがわからんかったでしょうナ。
表向きは今上天皇の初代天皇ということになるが、明治に入れ替わっているので、これまた嘘八百である(笑)
それにしても、歴史とは不思議なものである。
今までは廃絶していた神事・朝儀を再興させ、石清水臨時祭については、なんと約380年ぶりに再興させたのが、本来の天皇家の血統からはかなり薄い人物であった光格天皇であったのだから。
そして、この光格天皇の思想・行動をキッカケとして、尊王攘夷の思想が民衆に広がることになるのだから。
著者もあとがきで述べているが、光格天皇は宮家の出自のため周囲から軽く見られ、自身も傍系・傍流をたえず意識していたとのことである。
私はこのコンプレックスとも言える光格天皇の意識が、古来の天皇制を復活させる原動力となったのではないか、と考える。
しかし、誤解の無いように言っておきます。
「天皇絶対制を偽造したのは、光格天皇ではなく、明治維新の中心となった伊藤博文を始めとした「彼ら」の手先である売国奴どもなのですよ!」と。 くれぐれもお間違えなく。

さらに死後、「諡号+天皇」称号を954年ぶりにおくられたのも光格天皇なのですね。
「・・・・・天皇」という称号を呼ぶようになったのも大正になってからだとのことで、つい最近にできた呼称のようですね・・・。
著者は肩書を見る限り、「歴史を偽造する」ことを目的とした「彼ら」の配下の人間のように思われるが、意外や意外、けっこう「本当の事」を言ってくれてるじゃあ~りませんか(笑)
著者に少し、親しみを感じてきました。
孝明天皇の死の謎についても、少し触れていましたよ。毒殺説とかね・・・。
しかし、基本的にはそういった説を肯定していないのですから、結局は、“あっち側の人”なんでしょうかね・・・。
まぁ、東大名誉教授が「明治天皇は大室寅之祐だ!」なんて言ったら、マズイでしょうからね(笑)
でも、こういった説を無視するのではなく、少しでも触れただけでも評価してあげるべきでしょう。

明治天皇に“成りすました”のは箕作奎吾という人物だという説も出ているみたいですが・・・。
替え玉さんが大室寅之祐なのか箕作奎吾なのかは別として、入れ替わっていることは間違いないようですね・・・。
とかくこの世は嘘八百、嘘八百の明治維新ですから!
ビックリポンだす(笑)

最後に、五摂家に関する記述、大変興味深かったです。
宮家よりも五摂家の方が格上だった・・・。
天皇を監視、規制する役目ももっていた関白は、五摂家からしか選ばれなれなかった・・・。
五摂家って、要するに藤原氏でしょ。結局は、天皇さえ支配しているのは藤原氏というわけですナ。
その藤原氏を支配しているのが誰であるかということは、皆さん、説明不用ですよね・・・。


評点:70点







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Re: 転換ミス

鍵コメさん

ご指摘の点ですが、間違っているけれど間違っていないのです・・・?
引用元が故意に間違えているのです。
アンサイクロペディアなので。そういった文面を引用した私も私ですが・・・

NoTitle

鍵コメの主です~
あ、そうだったんですね~やはり(笑)
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  • URL 
  • 2016.02/16 10:42 
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