不思議なことに、支配者や表の宗教がどうなろうと「龍蛇信仰・カバラ信仰」は続いていくのである - 歴史・宗教

嘘八百のこの世界

この世界の真実を追究して行くための読後評を中心に書いていきます

HOME プロフィール 真実を追究するマロン

ソウルマンの娘のマロンです。お散歩大好きです。 

最新記事 最新コメント 月別アーカイブ カテゴリ
ランキング
にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村 ポチッと押してもらえると、明日への活力となります↑
ロック
頭脳警察、PANTA
RCサクセション、忌野清志郎
ブラック・ミュージック
広告

不思議なことに、支配者や表の宗教がどうなろうと「龍蛇信仰・カバラ信仰」は続いていくのである

「大和王国VS日高見国(日本原国)に秘められた国家成立の暗闘史!!
鬼と黄金伝説の謎」佐治芳彦



1992年の書である。著者の書は初めて読んだ。
以下、一部引用する。



*金売り吉次は、この鉄のセールスマン(といっても「政商」か)だったのである。彼は、平治の乱(1159年)で敗死した源義朝(よしとも)の遺児である牛若丸(源義経の幼名)をひきとって、平泉につれてきた。そして秀衡(ひでひら)が、義経を保護したのは、秀衡の一種のヘッジ(保険)であったろう。だが、義朝の遺児のなかから義経をえらんだのは、そのすぐれた資質(金売り吉次の面接・調査の結果)だけでなく、その生母が、やはり先住民系「山の民」出自の白拍子(しらびょうし)だったこともあったろう。自身、蝦夷(アイヌ)系の血をもっていた「山の民」秀衡としては、この山の民の血をうけた御曹司である義経を育てて京都勢力にひと泡ふかせてみたかったのかもしれない。

*漂泊の「山の民」であるサンカが祭るスサノオノミコトが産鉄にゆかりの深い神であることは、例の八岐大蛇退治の神話が雄弁に物語っている。ふつうこの神話は、大小無数のタタラから鉄を精錬している産鉄集団のボス(八岐大蛇)を倒し、鉱害に悩まされていた農耕民を救った、または、その製鉄のノウハウを入手した話などと解釈されているが、スサノオ自体が大蛇、つまり産鉄神であったのである。

*一方、飛騨には、両面宿儺(りょうめんすくな)を、神武天皇に「位」(天皇位)をさずけるために地上に降った、ということは、後世の神の降臨に対する慣用句であって、かならずしも朝鮮半島の檀君神話に結びつくものではないし、もちろん「空飛ぶ円盤」からおりたったわけではないが、位山の「主」というのが問題である。「ヌシ」とは地主神のことであり、それは明らかに蛇神であるからだ。そして、この蛇神は金属神(とくに産鉄神)でもある。
この金属神を信奉していた古代飛騨の民(その族長が両面宿儺と称された豪雄)を征服して、金属資源やノウハウを奪取しようとしたのが、仁徳天皇だった。そして、その際の彼がとったヤマト王朝得意のあくどい術策、あるいは残虐な殺戮・・・つまり、いまわしい記憶が、おそらく正史から飛騨を抹殺した理由ではあるまいか。
・・・・・(中略)・・・・・
王朝時代の女流随筆家のピカ一、清少納言が『枕草子』に「山は位山・・・」と書いたことは、当時の宮廷貴族や知識人のあいだに、飛騨と位山とに対するこの特殊な意識がまだ十分に残っていたことを示している。ただし、現在、私たちが手にする『枕草子』は陽明文庫本が底本となっているが、そこには「山は位山・・・」はない。ただ、前田本や能因本、つまり江戸時代の木活字本には、これ(「位山」)が残っている。
おそらく、清少納言の時代には、正史から抹殺された「幻の飛騨王朝」についての伝承がまだ、人びとの記憶に残っており、しかもそのことにふれることに別段タブーはなかったのである。だが、そのわずかな記憶さえ、やがてタブーとされ、それを抹殺するために『枕草子』という文学的作品に対してまで改竄の手がのびたのではないかというのが私の推理である。

この荒吐神をはじめ、三輪山の大物主神、さらには日本列島の大地母神ともいうべきイザナミは蛇神である。だが、伊勢神宮のアマテラスが蛇神であることは、太陽神信仰=蛇神信仰であることを知らなければ、なかなかピンとこない。
太陽神アマテラスの誕生が水辺と関連があり、彼女が高天原の豊穣神であったことからすれば、彼女は「天安河(あめのやすかわ)」の水神、つまり蛇神であった。
また、伊勢神宮に奉仕する最高の女官である斉宮(いつきのみや・ふつう内親王)が夜ごと訪れる祖神である「蛇神」とまじわる「蛇巫(へびかんなぎ)」であり、斎宮の御衾(みふすま)の下に毎朝、蛇のウロコが落ちていたという伝承さえある(『扶桑略記』)。
・・・・・(中略)・・・・・
さて、ここで重要なのは、この蛇神が「金属の神」でもあるということだ。ナーガ、つまりコブラの特徴の一つに、その頭部の背後にある「一つ目」がある。この「一つ目」の神を、金属神・鍛冶神とする神話は、ユーラシア大陸に多くみられる。ギリシア神話の単眼の怪物とされたキュプロスもその一つであるが、日本でも天目一筒(あめのひとつ)神がいる。
産鉄神である「一本タタラ」も単眼である。
この金属神この単眼性は、エジプトの太陽神ホルスにもみられる。そうすると、「蛇神~太陽神~単眼神~金属神」という一つの組み合わせが考えられる。


このように、民衆の側から「巨人」=「神人」として尊敬され、親しまれたオニが、桃太郎や源頼光に退治される鬼=オニにイメイジチェンジされたのは、征服王朝の成立~道教的死霊観の普及~仏教渡来後のことらしい。つまり、先にのべたように、大和朝廷に帰服しない先住民族系山人を、意識的に卑しめ、差別し、異人化してからのことであろう。
なお、文献で鬼という語が出てくるはじめは『出雲風土記』である。
昔或(ある)日、此処(ここ)に山田を佃(つく)りて守りき。その時、目一つの鬼来りて佃る人の男を食ひき
ここで注目すべきは、出現した鬼が「目一つ」ということである。したがって、その鬼とは、まず「目一つの神」が金属精錬の神であり、場所が出雲だったということから、それは産鉄民(三民系タタラ)であったと考えてよい。

だが、日本(当時は「倭」)と百済との連合軍が、唐と新羅との連合軍と闘った戦争で、倭の水軍が白村江で敗れ、近江朝廷時代に入ると、この「山の民」や、そのいわば巨大集団である東北日本の人びと(蝦夷)をめぐる状況が大きく変化した。外征による損失を、国内開発(搾取の強化)によってカバーしようという政策がとられたからである。まず、白村江以後の唐の新羅・高句麗戦争で朝鮮半島から亡命した高句麗系や新羅系の渡来集団が東国に送られた(旧同盟国の百済系の亡命者は、新首都~近江周辺に分散した)。
また、奈良時代に入ると、仏教関係の国家支出(全国の国分寺・国分尼寺への使役、大仏建立などの国家的プロジェクトの失費)をカバーするため、新たに百万町歩の開拓が計画された(ちなみに当時の全耕地面積は65万町歩)。この新規開拓の対象は東北地方だった。そのための征服軍が大々的に派遣された。これがいわゆる征夷軍であるが、その将軍やそのスタッフ、あるいは高級文官のなかに、帰化系の人物が多いこと、また敗れてばかりいる西国の兵に代わって動員されたのが東国の帰化系騎兵集団だったことが注目される。
この光仁~桓武政権の侵略に抵抗した人びとは、蝦夷として、ながく差別され、圧迫されたのである。
だが、山中に逃れて、依然として「山の民」としてのアイデンティティを保とうとしている人びとがいた。彼らが、平安時代以降「鬼」とよばれることとなる。ここに列島先住民の「異人」化(「鬼」化)が完成する。


「鬼伝説のあるところに鉱山あり」というのが、日本史の闇をつらぬく一本の金線である。唯物史観をとって日本史をみごとに切りさばいた人びとも、この「鬼」についてはほとんど無視してきた。だが、生産力を問題にするかぎり、土地所有や労働力だけでなく、農具の効率をもとりあげるべきであろう。となれば、金属、とくに鉄が問題となる。そして、その鉄~コガネとよばれ、黄金以上にも尊重された~の生産と生産様式、さらに生産地が日本列島史の展開に大きな意味をもってくるはずだ。
それだけに原始古代の支配者としての鍛冶王がうまれ、また、金属生産にまつわる呪術が世界の各地におこなわれたし、金属生産者(金工)にまつわる伝承は、片目の神や一本足の神から風の神にいたるまで、ユーラシア大陸を旧石器時代から駆けぬけたのである。それだけに支配者やその体制が、金属生産に示した関心の深さ、強さははかりしれないものがあった。
一方、民衆は、その生産者(金工)に対しては畏敬の念をいだいていた。その採掘から精錬、さらに鋳物にしたりする工程をみれば、それは呪術であり、金工は呪術師であった。
このことから、金工と鉱山を入手しようとした支配者が、金工を異形のもの、異類、さらに「鬼」として、民衆から孤立させ、さらに畏怖の対象とさせたことは、世論操作の成功といわなければならない。
かくして金工は鬼となり、鉱山とそれに付随して設けられた冶金工場は鬼のすみか、つまり「鬼ヶ島」とか「鬼ヶ城」とされた。古くは征夷大将軍坂上田村麻呂の「鬼退治」の伝承の地がほとんど鉱山の所在地であった(岩手・宮城県下に集中している)。だが、この鬼はほとんど先住民系「山の民」でもあった。したがって朝廷にとっては、鬼退治は、金属資源の奪取と、先住民退治の二つのメリットがあったわけである。




(管理人)
実に興味深い書であった。
そして、節分の時期に本書を読み上げ、感想を書いていることに、不思議な”縁”を感じる。
「鬼」に関しては以前にも関裕二氏の書で取り上げたが、本作は鬼伝説の真相について深い洞察がなされており、思わず唸らされる内容であった。
著者は、「山の民」=「日本原住民」=「蝦夷」=「産鉄民」=「鬼」という理論を展開されておられる。
「鬼とされた人々は、渡来人によって支配された日本原住民のことである」との説は、私も一部を除いて同感である。
そして本書の優れたところは、「鬼とされた日本原住民」は産鉄民であり、渡来人支配者勢力が「鬼退治」をした目的は、金属資源の奪取と、先住民退治の二つであった」と、指摘している点にあるだろう。
確かに渡来人支配者勢力が鉄資源を奪うことによって農具や刀等の大量生産を可能にし、膨大な利益を得ることとなったのは、間違いのないことだろう。
それにしても、渡来人支配者勢力は悪い奴らだ。
日本原住民を殺し、支配し、金属資源を強奪しただけでなく、被害者である日本原住民を「鬼」とすることで後世の時代の人々にまで、「自分たちは正しい政治を行い、悪い鬼どもを退治したのだ」といった“嘘八百の鬼伝説”を残してきたわけなのだから。
しかし、いずれ嘘はバレるのである。
いくらお抱えの絵師・作家を使って歴史を偽造しようとしても、人々の心の中までは支配し続けることはできない。
人々は口承・伝承という形で、真実を語り継いでいくものである。
節分においても、地方では「鬼も内」といった話が今も伝えられている
そして、著者のように歴史学会が唱える「公式ストーリー」に疑いの目を持った人間が存在している限り、いつまでも人々を騙し続けることは不可能である。
大多数の人間を洗脳することができても、真実を見抜く人間は、いつの時代にも現れるのである。
著者は渡来人支配者勢力の正体を当然理解されていると思われるが、本心は伏せておられるように感じる。

代わりに、私がはっきり言ってやります。

「白村江の戦以降、日本原住民を殺し、支配し、金属資源を強奪しただけでなく、被害者である日本原住民を「鬼」と偽証した渡来人支配者勢力は、藤原氏・天皇家として“日本人に成りすました”中国・朝鮮合同勢力であった」と。

そして、さらに私は、以下のような疑問を感じるようになった。

「鬼とされた日本原住民」は、本当の日本原住民だったのだろうか?

ここからは、あくまでも私の個人的な疑問点及び歴史考察です。

渡来人支配者勢力によってほとんどの日本原住民が支配されたのだろうが、「鬼とされた人々」の中核勢力は、ユダヤ系(スファラディー)の渡来人だったのではないだろうか?
ユダヤ系渡来人は偽ユダヤ人のように白人ではないが、渡来人支配者勢力や日本原住民の目には、実際に鬼のような風貌に見えたのではないだろうか?
「鬼とされた人々」は、どうやって金属生産技術を身に着けたのだろうか?
「鬼とされた人々」は呪術師であったというが、それはカバラではないのか?
「鬼とされた人々」が神として祀っていたイザナミも、スサノオも、ニギハヤヒも、アマテラスも、アラハバキも、両面宿儺も、蛇神だったのではないのか?
全ての古神道は、ユダヤ由来の龍蛇信仰ではないのか?
コブラの一つ目で示されるように、蛇神は「ホルスの目」信仰と同一のものではないのか?

このように考えてみると、「鬼とされた人々」が単なる「支配された悲劇の民」だとするのも、考えものだと感じる。
「鬼とされた人々」には、本当に支配された日本原住民と、本当に“鬼のように見えた” ユダヤ系渡来人の二つが存在していたのではないだろうか。

以下のように、まとめてみました。

古代日本においては、本来の日本原住民を「鬼とされた人々」(ユダヤ系渡来人・蛇・一つ目信仰)が支配しており、ユダヤ教由来の神道を広めた。
6世紀頃から渡来人支配者勢力(中国・朝鮮系)が多数渡来するようになり、仏教伝来及び神道排除に乗り出した(物部排除)。
渡来人支配者勢力(中国・朝鮮系)は、白村江の戦以降に日本侵略を本格的に開始した。
渡来人支配者勢力(中国・朝鮮系)は藤原氏・天皇家として“日本人に成りすまし”、「鬼とされた人々」を打ち倒した。


以上、あくまでも私の個人的見解ですが、これが古代から平安時代までの「本当の日本の歴史」であると考えます。
遣隋使・遣唐使が盛んに実施された理由は、以前書いた通りです

しかし、渡来人支配者勢力(中国・朝鮮系)と「鬼とされた人々」は、完全に対立はしていなかった。
神仏習合でみられるように、実際はこの二つの勢力は裏で繋がっていたのだ。
渡来人支配者勢力(中国・朝鮮系)は「鬼とされた人々」を完全に排除するのは無理であると考え、表向きは対立しているようにしておきながら、実際は共存する道を選んだのだろう。
この不可解な現象の象徴となるのが、「龍蛇信仰・カバラ信仰」の存在である。

不思議なことに、支配者や表の宗教がどうなろうと「龍蛇信仰・カバラ信仰」は続いていくのである。

平安時代になっても、陰陽師という名のカバラ呪術師が活躍したこと。
天皇の菩提寺である泉涌寺の天井画に龍が描かれていること。
鬼とされた人々と天皇の不思議な共存関係」が、現在も続いていること。

権力者が変わっても、表の宗教が変わっても(神道になっても、仏教になっても、キリスト教になっても)、不思議なことに、この「龍蛇信仰・カバラ信仰」は、現在の日本でも裏ではしっかりと根付いている。

「これを説明してみろ」と言われても説明しようがないが、敢えて考えてみた。
「彼ら」が時代を超えて、現在もこの世界を支配し続けていられるのも、この「龍蛇信仰・カバラ信仰」の力によるものなのかもしれない。
「彼ら」があれだけ「ピラミッド・ホルスの目」に拘る理由も、分かるような気がする。

しかし、「彼ら」は、所詮“偽物”である。
本当の古代ユダヤ人の末裔であり、潜在的な霊力が備わっていると思われる日本人を恐れているのではないだろうか?
こんなことを書くと、「私が日本人は「龍蛇信仰・カバラ信仰」に目覚めなければならないと、主張しているのではないか」と、思われてしまうかもしれませんね(笑)
私は、決してそんなことは言ってませんよ。
ただ、「潜在能力では、日本人は決して「彼ら」に負けていないと思う」と、言っているだけですよ。
さらに一つだけ言わせていただくと、「彼ら」はこれまで「龍蛇信仰・カバラ信仰」を悪用してきたわけですが、日本人が、それを「善の力」として活用することができれば、「彼ら」を打ち負かすことができるような気がします・・・。

読書感想の枠を飛び超えて、あまりに話が発展しすぎてしまったようです。
大本教じゃないが、何かが私に乗り移ってこんな記事を一気に書かせたのかもしれません(笑)
私を不思議な霊力(?)に導いてくれるヒントを与えてくれた著者に感謝します。


評点:80点

COMMENT

NoTitle

難しくてまだ読みこなせませんが、八切止夫が日本史を金属と結び付けていることや田布施システムの話と整合するように思えました。
 いつもありがとうございます。今度また読み直します。

Re: NoTitle

「katsukoのブログ」さん

> 難しくてまだ読みこなせませんが、八切止夫が日本史を金属と結び付けていることや田布施システムの話と整合するように思えました。
>  いつもありがとうございます。今度また読み直します。

コメントありがとうございます。

八切氏の書にそういったことが書かれていることは知りませんでした。
古代史の基本は八切止夫にあり、といった感じですね。

EDIT COMMENT

非公開コメント

テンプレート説明

このテンプレートは、プラグイン1・2・3に対応しています。
背景はスライドショーになっています。

◎プラグイン説明

最上部のメニューバーがプラグイン1です。マウスオーバーで展開するメニューになっていますので、お好みでプラグインを設定してください。「HOME」のような普通のリンクも置けます。
←のエリアがプラグイン2です。有効範囲幅は180pxです。
このエリアがプラグイン3です。有効範囲幅は540pxです。
サイズの大きなプラグインに適しています。

※最上部メニューバーの上に隙間がある方

最上部のメニューバーの上にFC2検索バー用のスペースを設けています。
検索バーを表示しない設定にしている方は、cssの最上部メニュー.MegaMenuの中にあるtop:27pxをtop:0に変更してください。

◎背景スライドショー説明

random : 1, // ランダム 0:オフ 1:オン
transition : 1, // 0:単純画像切替 1:フェード 2~7:移動 8:ページ更新毎に切り替え
transition_speed : 1000, // 画像間の切替時間
slide_interval : 3000, // 1枚毎の画像停止時間
slides : [
{ image : '画像URL' } // 画像の追加・削除はここ

★テンプレート名で検索すると、作者のブログにより詳しい説明があるかも知れません。