最高の気分 恐ろしいぐらいだ 世界も争うことをやめてほしいものさ ALLEN TOUSSAINT - ルーツミュージック・ニューオーリンズ・リズム&ブルース

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最高の気分 恐ろしいぐらいだ 世界も争うことをやめてほしいものさ ALLEN TOUSSAINT

「SOUTHERN NIGHTS」ALLEN TOUSSAINT


11月10日にアラン・トゥーサンがスペインで亡くなった。77歳だった。亡くなる直前の11月9日にマドリッドでライヴをしていたとのことである。死因は心臓発作だった。1938年ニューオリンズ生まれのトゥーサンは17歳の時に、ニューオリンズ音楽界のドンだったデイヴ・バーソロミューに認められてスタジオ・ミュージシャンとして働き始めた。その後作曲家としても優れた才能を発揮し、多くのミュージシャンにヒット曲を提供している。

本作は1975年に発表されたトゥーサンの代表作である。曲単位では決して派手さがないのであるが、アルバム全体を通して実によくまとまった構成となっている。
「ラスト・トレイン」は、オープニングのピアノのイントロの後にバックを固めるミーターズの重厚なサウンドが絡み合うさまが見事である。「ラスト・トレイン」といいながら「アメリカ南部の夜の物語」の始まりを予感させる効果抜群だ。特に、ギャリー・ブラウンのサックスが素晴らしい。
「バック・イン・ベイビーズ・アームズ」は、ジョージ・ポーターのベースを基軸としたスローでディープな名曲である。これまたサックスがいい。
「カントリー・ジョン」は、トゥーサンのピアノイントロが軽快で心地よい。
「ベイシック・レイディ」は、「ベイシック・レイディにダイヤの指輪はいらない ベイシック・レイディは基本的な事が好き 僕のベイシック・レイディは踊りと歌が好き ベイシック・レイディは基本的な事が好き」と歌う。タイトル通りにベース、ドラム、サックスのベーシック部分がしっかりしているので安心感がある。
「サザン・ナイツ」は、その名の通り、まるで南の島の月影のビーチの椰子の木の下で、さざ波を聞きながら寝そべっているかのような幻想的な雰囲気を醸し出している美しい曲である。トゥーサンは、こういった美しい曲のなかにもしっかりと反戦のメッセージを忍ばせている。「最高の気分 恐ろしいぐらいだ 世界も争うことをやめてほしいものさ」と。
「ホワット・ドゥー・ユー・ウォント・ザ・ガール・トゥ・ドゥー」は、「お前は彼女に何を望んでいるんだ 彼女が本当に求めているのはお前なんだよ」と歌う。
彼女の自分に対する恋心に気付かない鈍感な男に向けた忠告を歌っているようである。イケイケドンドンのイメージが強いアメリカ女性だが、中にはこのような控えめなタイプの女性ももいるのだろうかと、感じせられる。

アラン・トゥーサンはニューオリンズを代表するミュージシャンでありながら、ニューオリンズ風でもなく、ソウル・ブルース・ロックでもなく、ある意味黒人音楽っぽくもない職人気質タイプのミュージシャンであったような気がする。その声は特にシャウトするわけでもなく、ストレートでソフトな優しいトーンに満ち溢れていた。
アレンジが多彩で細かい演出ができるところも、「ミュージシャンに尊敬されるミュージシャン」であった理由の一つであるのだろう。ご冥福をお祈りいたします。












評点:90点




(追加)
http://www.yamaha.co.jp/ongakukiji/news.php?no=14570
アラン・トゥーサン・インタビュー/ニューオリンズ音楽史の生き証人が語る
配信日:2013年11月7日

●ドクター・ジョンとは長い付き合いですよね?

 十代の頃、彼と私はスタジオ・ミュージシャンで、いろんなセッションで一緒にやったよ。彼は素晴らしいミュージシャンだ。優れたピアニストであるのと同時に、ギタリストとしても賞賛に値する。そして彼は親しい友人だ。

●ニューオリンズというと、歓楽街のバーボン・ストリートが有名ですが、ドクター・ジョンは「1960年代以前はバーボン・ストリートよりもカナル・ストリートの方が賑わっていた」と話していました。あなたの視点からすると、当時のニューオリンズはどんなものでしたか?

 ニューオリンズでは、町のあちこちで音楽が流れて、人々が歌って踊っている。どこが一番というのではなく、町中が盛り場だったんだ。カナル・ストリートには、大きな店が並んでいた。まだ大手チェーンも、ショッピングモールもない時代だ。人種統合以前で、白人のための街だった。一方、バーボン・ストリートはずっと昔から、酒場やギャンブリング・バーがあった。 少なくとも1920年代から栄えていたよ。どちらの通りも、異なった賑わい方をしていた。

●あなた自身はデビュー当時、どんな所で演奏していたのですか?

 私が演奏を始めたのは、ニューオリンズのガート・タウンだった。ゲットーみたいな所だったけど楽しかったし、音楽が溢れていたよ。17歳のとき、アール・キングのバンドに招かれたんだ。彼と初めて待ち合わせしたのが、ラサール・ストリートにあるクラブ『デュー・ドロップ』だった。未成年禁止のクラブだったから、足を踏み入れたのはその時が初めてだったよ。ヒューイ・スミスが病気だというんで、代役ピアニストとして参加したんだ。それから『デュー・ドロップ』で演奏するようになって、ハウス・バンドの一員になったこともある。それは私にとって、とても重要な出来事だった。その後、バーボン・ストリートでも演奏するようになったし、他の都市にも行くようになった。そして世界を旅するようになって、55年経って東京で君と話しているわけだ。

●1961年、ニューオリンズ地方検事に就任したジム・ギャリソンの風紀取り締まりによって、数多くの酒場やクラブが閉鎖に追い込まれ、音楽シーンが大打撃を受けたと聞きますが、あなたの活動にも影響はありましたか?

 実際のところ、私はアメリカのあちこちをツアーして忙しくて、ギャリソンがやっていることはあまり把握していなかった。でもニューオリンズに戻ってくると、ライヴをやる場所には事欠かなかったよ。そういう意味で、彼の浄化政策は成功しなかったといえる。ニューオリンズの音楽シーンは、彼に潰されるほどヤワではなかったということだ。

●ギャリソンも、2005年のハリケーン・カトリーナも、ニューオリンズの音楽を殺すことは出来ませんでした。そんな強さの秘密は何でしょうか?

 人々の気質、だろうね。ニューオリンズの人々は、今のままのニューオリンズが好きなんだ。急激な変化は求めていないし、街並みも同じままだ。夜になると酒場にバンドが出て、みんなで楽しんできた。毎年マルディグラの季節になると誰もが騒ぎ出す。100年以上前から、ずっとそうだよ。大都市と較べるとスローペースだけど、ニューオリンズでの人生は歓びだ。そのエネルギー源は、音楽なんだ。 そんなに急がずとも、音楽があれば、今を楽しめるんだ。 

●あなたが注目しているニューオリンズの若手ミュージシャンを教えて下さい。

 トロンボーン・ショーティーは伝統的な音楽に若いマインドを吹き込んでいる。ジョン・ブッテも素晴らしいシンガーだ。彼はニューオリンズの過去を未来へと受け継いでいく担い手だよ。ハリケーンの影響なんて、一時的なものだよ。ニューオリンズの音楽は生き続ける。これまでもそうだったし、これからもそうだろうね。



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