「とったらあかん」→「とっても大臣なれた」
2015年10月18日
「変態とヤクザ関係者と体罰大好き人間で構成される「戦争大好き八百長安倍内閣」」
まずは、こちらをどうぞ↓
「とったらあかん」はあくまでも歌の中のパロディーかと思っていたが、実践していた人間がいたようである。それも、戦争大好き八百長安倍内閣のメンバーに・・・。
高木毅復興・原発事故再生担当大臣である。こんな人物に「復興・原発事故再生」が本気でできると思っているのだろうか?こいつにできることは、どうせ「食べて応援キャンペーン」を拡大推進して、国民の被爆化を増大させることぐらいだろう。自分の頭の中でさえ「復興・再生」できない人間に、「復興・原発事故再生」などができるはずもない。
次に、農林水産大臣の森山裕がヤクザとズブズブの関係であり、政治献金をもらっていたことが発覚したとのことだ。アホらしいので、この件はこれ以上触れない。
次に、文部科学大臣の馳浩と、副大臣の義家弘介が過去に自分が行なった体罰を自慢気に話していた件である。後になって、体罰容認発言は否定したようだが、火のないところに煙は立たないのである。馳浩は元プロレスラー、義家弘介は元札付きのヤンキーであるというから、それだけでも安倍内閣がまともな人間で構成されていないことは言うまでもないことである。プロレスラーが悪いとは言わないが、政治家とはしっかりと「正しい政治」を学び実行できる者がすべき職種であって、単に格闘が強いことを売り物にしている人間が選択する職種ではないのである。そもそも、よくもまぁ揃いも揃ってこのような鬼畜のような人物を大臣や副大臣に採用したものである。このような人事をすれば、自らが非難されることは十分予想できたはずである。安倍がいくらアホだといっても、いくらなんでも、何故に自らの首を絞めるような内閣人事を行ったのだろうか?
1、単に、救いようのないアホであるため、このことに気付かなかった。
2、ファシズム体制を強化していくために、問答無用で国民を弾圧してくれる「ヤクザ関係者、プロレスラー、ヤンキー、変態」が必要であると判断した。
3、国民を自ら作ったバカニュースに関心を向けさせて、戦争法案推進、TPP可決、原発再稼働、マイナンバー等の実現させたい極悪政策に国民の目が行かないようにするため。
いずれが理由であるとしても、正気の沙汰とはとても思えない。まさに八百長戦争を実現させることを目的としている以外には考えられない、狂った内閣である。
(リテラ)さん
http://lite-ra.com/2015/10/post-1589.html
安倍内閣の新閣僚に「下着ドロボー」の過去! 警察で取り調べ受けるも敦賀市長の5父親と原発利権の力でもみ消し
2015.10.15
安倍改造内閣の新閣僚スキャンダルが止まらない。本サイトがスクープした新閣僚の森山裕農水大臣の暴力団交遊、そして馳浩文部科学大臣の体罰自慢は大きな話題となった。森山氏に関しては複数のメディアが後追いし、馳氏は会見で体罰問題の釈明に追われる事態となった。
だが、第三次安倍内閣のスキャンダル劇はそれでは止まらなかった。今日発売の「週刊新潮」(新潮社)と「週刊文春」(文藝春秋)が、同じく初入閣組の高木毅復興・原発事故再生担当大臣のとんでもない過去を暴いている。
その過去とは下着ドロボー。信じられないような話だが、れっきとした事実だ。
事件が起きたのは30年ほど前。当時30歳前後だった高木氏は地元福井県敦賀市の住宅に住む20代女性の下着を盗むべく、家に上がり込みタンスの中を物色したというのだ。高木氏は当時福井銀行敦賀支店に勤めていた被害女性を一方的に気に入り、家を突き止めて下着ドロボーをするという犯行に及んだのだ。
「週刊新潮」では被害者女性の妹がこうはっきりと証言している。
「はい。被害者は私の姉です。近所のおばさんが“家の斜め前に車を停めて中に入っていく人を見たけど、知り合いか”って? 通報したのはわたしだったかな。(略)教えてくれた近所のおばさんが車のナンバーを控えとってくれたんで、すぐにやったのは高木さんやと分かった」
しかも、妹の証言によると、家への侵入方法は計画的なものだった。
「合鍵を勝手に作っとったんです。田舎やから、無防備に小屋にカギ置いといたりするでしょ。それをいつの間にか持っていって、自分のカギを作っとったみたい。それにしても、どうして勝手に家に上がり込んだりするのか。急に家の人が帰ってきたら、とか思わんかったんかな……」
http://lite-ra.com/2015/10/post-1583.html
体罰を認めた馳浩文科相が会見でついた大ウソ…義家副大臣との対談に「自戒、反省」は一切なく逆に体罰を擁護!
2015.10.13
新たに文部科学相に就任した馳浩氏が、本日10月13日の記者会見で、教師時代に生徒への体罰をしていたことを認めた。
ことの発端は、リテラが今月9日に「生徒を4時間監禁、竹刀が折れるまで…新文科相の馳浩と副大臣の義家弘介が教師時代の体罰自慢対談」という記事を公開したことだ。
これは、保守系月刊論壇誌「正論」(産経新聞社)2008年6月号に掲載された、馳新文科相と、おなじく第三次安倍改造内閣で文科副大臣に着任した義家弘介氏の対談記事のなかで、ふたりが「一週間に一本くらいは竹刀が折れていましたよ」(馳氏)、「いじめの指導で放課後四時間教室から(生徒を)出さなかった」(義家氏)などと、“体罰自慢”を披露していたことを指摘したもの。
今日の会見で馳文科相は、「部活動においても本当は体罰は絶対してはいけないのだが、私が未熟だったばかりに高校生の諸君に迷惑をかけたことを反省しているとの意味で、発言したと記憶している。改めて、あの時、私に竹刀で殴られた高校生たちに謝罪したい」「授業においては常に気をつけていたつもりだが、部活動でそういうことがあったのは事実であり、改めて申し上げた」などと体罰の事実を認め、釈明した。
だが一方で、馳文科相は「体罰は絶対反対です。記事全体を読めばおわかりいただけると思うが自戒・反省・謝罪を込めて発言した」とあたかも一部を恣意的に取り上げられたかのように言い訳し、体罰容認発言は否定した。しかし 、なんど問題の対談を読み返しても、対談記事のどこにも「自戒」「反省」「謝罪」を表す文言はひとつも見当たらず、むしろ全体のトーンは明らかに体罰を容認するものだった。
本サイトとしても改めて、くだんの対談記事を検証する必要があるだろう。
http://lite-ra.com/2015/10/post-1583_2.html
まず、問題発言があったのは、対談の中盤、「体当たりの生徒指導〜身体で教えるということ」という小見出しがつけられている箇所。文脈としては、その前のパートで義家氏が、「『型』を軽視し、個性を尊重すると言ってきたのが戦後教育」とし「結局、没個性な大衆が生まれている」と、現代の学校教育を批判した流れを受けたものだ。保守政治家に分類される義家氏らからすれば、個人の自由を尊重する教育方針は集団や組織、あるいは国家の解体に結びつくと考えるみたいなので、こうした意見自体は別段驚くことではない。
問題はその後である。進行役から「型の話が出ました。ルールを教えるという意味での生徒指導にはどう臨まれましたか」と振られたふたりは、まず義家氏から、「生徒指導で大切なこと。これはいったんひいた線は絶対死守することに尽きる」としたうえで、過去の体罰経験を開陳し始める。
「困るのは高校の場合、生徒が教師を殴るとほぼ一〇〇%退学となることです。だから生徒が殴り掛かってくるときに『受け止めてあげるよ』なんて甘いことは言ってはいけない。それではそのまま殴らせてしまい、結局その生徒は退学です。そうならないためにどうするか。これはこちらから掴みかかってでも倒してしまうのが正しいと僕は思います。とにかく私には毎日体当たりするしかなかった。それは生徒を守らないといけないからですよ。そのために筋トレは一日も欠かせませんでした。指導方法を云々なんて余裕は全然なかったのです」
ようするに、「生徒を退学にさせないため」などと言って「こちらから掴みかかってでも倒してしまうのが正しい」と主張しているのだが、当然ながら、こうした義家教諭のやりかたは学校で問題視された。なかでも「いじめの指導で放課後四時間教室から出なかった時は他の教職員がハラハラしながら私の教室の外で見守っていて後で散々言われました」という“生徒監禁エピソード”を持ち出して、こう持論をぶつ。
「口で『いじめはダメですよ』と説くのは誰でもできる。でもこれはそんな次元で済ましてはダメで態度で示す以外ない。教室の用具はボコボコになり、最後は加害生徒が泣いて詫びながら二度といじめないことを誓ったので終わりにしましたけど、これは仲間内の教職員から散々に言われました」
まずは、こちらをどうぞ↓
「とったらあかん」はあくまでも歌の中のパロディーかと思っていたが、実践していた人間がいたようである。それも、戦争大好き八百長安倍内閣のメンバーに・・・。
高木毅復興・原発事故再生担当大臣である。こんな人物に「復興・原発事故再生」が本気でできると思っているのだろうか?こいつにできることは、どうせ「食べて応援キャンペーン」を拡大推進して、国民の被爆化を増大させることぐらいだろう。自分の頭の中でさえ「復興・再生」できない人間に、「復興・原発事故再生」などができるはずもない。
次に、農林水産大臣の森山裕がヤクザとズブズブの関係であり、政治献金をもらっていたことが発覚したとのことだ。アホらしいので、この件はこれ以上触れない。
次に、文部科学大臣の馳浩と、副大臣の義家弘介が過去に自分が行なった体罰を自慢気に話していた件である。後になって、体罰容認発言は否定したようだが、火のないところに煙は立たないのである。馳浩は元プロレスラー、義家弘介は元札付きのヤンキーであるというから、それだけでも安倍内閣がまともな人間で構成されていないことは言うまでもないことである。プロレスラーが悪いとは言わないが、政治家とはしっかりと「正しい政治」を学び実行できる者がすべき職種であって、単に格闘が強いことを売り物にしている人間が選択する職種ではないのである。そもそも、よくもまぁ揃いも揃ってこのような鬼畜のような人物を大臣や副大臣に採用したものである。このような人事をすれば、自らが非難されることは十分予想できたはずである。安倍がいくらアホだといっても、いくらなんでも、何故に自らの首を絞めるような内閣人事を行ったのだろうか?
1、単に、救いようのないアホであるため、このことに気付かなかった。
2、ファシズム体制を強化していくために、問答無用で国民を弾圧してくれる「ヤクザ関係者、プロレスラー、ヤンキー、変態」が必要であると判断した。
3、国民を自ら作ったバカニュースに関心を向けさせて、戦争法案推進、TPP可決、原発再稼働、マイナンバー等の実現させたい極悪政策に国民の目が行かないようにするため。
いずれが理由であるとしても、正気の沙汰とはとても思えない。まさに八百長戦争を実現させることを目的としている以外には考えられない、狂った内閣である。
(リテラ)さん
http://lite-ra.com/2015/10/post-1589.html
安倍内閣の新閣僚に「下着ドロボー」の過去! 警察で取り調べ受けるも敦賀市長の5父親と原発利権の力でもみ消し
2015.10.15
安倍改造内閣の新閣僚スキャンダルが止まらない。本サイトがスクープした新閣僚の森山裕農水大臣の暴力団交遊、そして馳浩文部科学大臣の体罰自慢は大きな話題となった。森山氏に関しては複数のメディアが後追いし、馳氏は会見で体罰問題の釈明に追われる事態となった。
だが、第三次安倍内閣のスキャンダル劇はそれでは止まらなかった。今日発売の「週刊新潮」(新潮社)と「週刊文春」(文藝春秋)が、同じく初入閣組の高木毅復興・原発事故再生担当大臣のとんでもない過去を暴いている。
その過去とは下着ドロボー。信じられないような話だが、れっきとした事実だ。
事件が起きたのは30年ほど前。当時30歳前後だった高木氏は地元福井県敦賀市の住宅に住む20代女性の下着を盗むべく、家に上がり込みタンスの中を物色したというのだ。高木氏は当時福井銀行敦賀支店に勤めていた被害女性を一方的に気に入り、家を突き止めて下着ドロボーをするという犯行に及んだのだ。
「週刊新潮」では被害者女性の妹がこうはっきりと証言している。
「はい。被害者は私の姉です。近所のおばさんが“家の斜め前に車を停めて中に入っていく人を見たけど、知り合いか”って? 通報したのはわたしだったかな。(略)教えてくれた近所のおばさんが車のナンバーを控えとってくれたんで、すぐにやったのは高木さんやと分かった」
しかも、妹の証言によると、家への侵入方法は計画的なものだった。
「合鍵を勝手に作っとったんです。田舎やから、無防備に小屋にカギ置いといたりするでしょ。それをいつの間にか持っていって、自分のカギを作っとったみたい。それにしても、どうして勝手に家に上がり込んだりするのか。急に家の人が帰ってきたら、とか思わんかったんかな……」
http://lite-ra.com/2015/10/post-1583.html
体罰を認めた馳浩文科相が会見でついた大ウソ…義家副大臣との対談に「自戒、反省」は一切なく逆に体罰を擁護!
2015.10.13
新たに文部科学相に就任した馳浩氏が、本日10月13日の記者会見で、教師時代に生徒への体罰をしていたことを認めた。
ことの発端は、リテラが今月9日に「生徒を4時間監禁、竹刀が折れるまで…新文科相の馳浩と副大臣の義家弘介が教師時代の体罰自慢対談」という記事を公開したことだ。
これは、保守系月刊論壇誌「正論」(産経新聞社)2008年6月号に掲載された、馳新文科相と、おなじく第三次安倍改造内閣で文科副大臣に着任した義家弘介氏の対談記事のなかで、ふたりが「一週間に一本くらいは竹刀が折れていましたよ」(馳氏)、「いじめの指導で放課後四時間教室から(生徒を)出さなかった」(義家氏)などと、“体罰自慢”を披露していたことを指摘したもの。
今日の会見で馳文科相は、「部活動においても本当は体罰は絶対してはいけないのだが、私が未熟だったばかりに高校生の諸君に迷惑をかけたことを反省しているとの意味で、発言したと記憶している。改めて、あの時、私に竹刀で殴られた高校生たちに謝罪したい」「授業においては常に気をつけていたつもりだが、部活動でそういうことがあったのは事実であり、改めて申し上げた」などと体罰の事実を認め、釈明した。
だが一方で、馳文科相は「体罰は絶対反対です。記事全体を読めばおわかりいただけると思うが自戒・反省・謝罪を込めて発言した」とあたかも一部を恣意的に取り上げられたかのように言い訳し、体罰容認発言は否定した。しかし 、なんど問題の対談を読み返しても、対談記事のどこにも「自戒」「反省」「謝罪」を表す文言はひとつも見当たらず、むしろ全体のトーンは明らかに体罰を容認するものだった。
本サイトとしても改めて、くだんの対談記事を検証する必要があるだろう。
http://lite-ra.com/2015/10/post-1583_2.html
まず、問題発言があったのは、対談の中盤、「体当たりの生徒指導〜身体で教えるということ」という小見出しがつけられている箇所。文脈としては、その前のパートで義家氏が、「『型』を軽視し、個性を尊重すると言ってきたのが戦後教育」とし「結局、没個性な大衆が生まれている」と、現代の学校教育を批判した流れを受けたものだ。保守政治家に分類される義家氏らからすれば、個人の自由を尊重する教育方針は集団や組織、あるいは国家の解体に結びつくと考えるみたいなので、こうした意見自体は別段驚くことではない。
問題はその後である。進行役から「型の話が出ました。ルールを教えるという意味での生徒指導にはどう臨まれましたか」と振られたふたりは、まず義家氏から、「生徒指導で大切なこと。これはいったんひいた線は絶対死守することに尽きる」としたうえで、過去の体罰経験を開陳し始める。
「困るのは高校の場合、生徒が教師を殴るとほぼ一〇〇%退学となることです。だから生徒が殴り掛かってくるときに『受け止めてあげるよ』なんて甘いことは言ってはいけない。それではそのまま殴らせてしまい、結局その生徒は退学です。そうならないためにどうするか。これはこちらから掴みかかってでも倒してしまうのが正しいと僕は思います。とにかく私には毎日体当たりするしかなかった。それは生徒を守らないといけないからですよ。そのために筋トレは一日も欠かせませんでした。指導方法を云々なんて余裕は全然なかったのです」
ようするに、「生徒を退学にさせないため」などと言って「こちらから掴みかかってでも倒してしまうのが正しい」と主張しているのだが、当然ながら、こうした義家教諭のやりかたは学校で問題視された。なかでも「いじめの指導で放課後四時間教室から出なかった時は他の教職員がハラハラしながら私の教室の外で見守っていて後で散々言われました」という“生徒監禁エピソード”を持ち出して、こう持論をぶつ。
「口で『いじめはダメですよ』と説くのは誰でもできる。でもこれはそんな次元で済ましてはダメで態度で示す以外ない。教室の用具はボコボコになり、最後は加害生徒が泣いて詫びながら二度といじめないことを誓ったので終わりにしましたけど、これは仲間内の教職員から散々に言われました」