私は、この種の爆弾は白人の頭上には決して投下されなかったであろうことに気づいた
2015年07月13日
「世界の傑物2 ジェームズ・ブラウン」ステファン・ケクラン
2010年のジェームズ・ブラウンの伝記である。
本書注釈によると、「フランスを代表する出版社であるガリマール社のペーパーバック部門folioが発行する人気評伝シリーズの中から現代日本にアピールする人物を選りすぐり、読みやすい良訳で紹介。文化大国フランスならではのヨーロッパの薫り高いクオリティを保ち、当該屈指の識者がユニークな解説をよせる。」とある。ちなみにこの「世界の傑物」シリーズではルイ16世、ドゴール、カミュ、チェーホフなどの著作が出ている。
J.Bは「音楽界を代表して」記されたようである・・・。
本書はかなり前に購入していたのだが、音楽以上に真実告発系の書を好む関係上書棚に陳列したままになっていた。こういった「陳列本」は、本書に限らずけっこう所有している。
書棚に眠っていた本書を「読みたい」という気にさせたのが、先日紹介したJ.Bの伝記映画「最高の魂を持つ男」を観たことであった。映画には本書のことは全く記されていなかったが、「脚本家は本書を読んでいたのではないか?」と推察する。主人公が同じなのだから当たり前なのかもしれないが、本書の内容は映画の内容とあまりに似通っていた、基本的には。
以下、一部引用する。
*ジェームズはタンパのパーフォーマンスに立ち会うチャンスを絶対に逃さなかった。特に、タンパが瓶を取り上げて口の部分を叩き割り、ガラス片でギターの弦をこするところは見ものだった。「ギターの魔術師」は古いブルースをいくつか歌った。
・・・・・(中略)・・・・・
ミュージシャンにはそれぞれゴッドファーザーがいるものだ。ジェームズ・ブラウンにとっては魔術師タンパが人生の道案内であり、指南役だった。ちょうど、ジョン・リー・フッカーにとって吟遊詩人ウィリー・ムーアがそうであったように。きっかけさえ与えられればその先のことは自然に進展する。我らがジェームズの秘められた才能は、トウィッグズ大通りの売春宿とそこに身を潜める黒いヒーローたちに源を発し、やがてあふれ出ることになる。
*原爆投下による黒い雨と放射線は日本人に壊滅的打撃を与え、その影響は数世代にわたって続いた。しかし、アメリカ市民のほとんどは、この出来事にも、それが引き起こした苦しみにも関心を示さなかった。ジェームズは自分の国を正当化していない。全くその反対である。人種を巡る憎悪は彼をこの上なく傷つけていた。彼はこう書いている。「私は、この種の爆弾は白人の頭上には決して投下されなかったであろうことに気づいた」
*「叙事詩」という言葉は、フェイマス・フレイムズのミュージシャンが織り成す物語にまさしくぴったりだ。彼らの音楽には悪魔の刻印が押されていたが、一方で聖なるゴスペルの名残もあった。ジェームズはよく悪魔の話をした。自分はブルース歌手のロバート・ジョンソンと同じようにサタンに魂を売った、とメンバーに話して信じ込ませ、だから俺たちはやがて世界一のグループになる、とまで言い張った。
*ボビー・バードによれば、ミック・ジャガーはジェームズ・ブラウンのパーフォーマンスを見ようなどという余計な考えを起こし、ジェームズのエネルギーと離れ業に圧倒された。英国の白人の中にこれほど敏捷に動ける者はいない。ゴッドファーザーは呻き、叫び、腰掛から飛びおりて踊り回り、マイクをもてあそび、跳躍した・・・・・。ローリングストーンズは、ステージ上であれ他のどこであれ、自分たちがジェームズ・ブラウンを超えることなどできないとわかっていた。彼らには学ぶべきことがたくさんあった。
*テレビ番組やツアーから戻ると、ジェームズは休むことなど一瞬たりとも考えず、彼の代表作の一つとなる曲を完成した。それは、労働すること、仕事をすること、努力することを称える歌、「イッツ・ア・マンズ・マンズ・マンズ・ワールド」だった。
・・・・・(中略)・・・・・
これは男の世界だ
でも男の世界なんて空しい
女がいなければ
・・・・・(中略)・・・・・
アメリカの喜劇映画「イッツ・ア・マッド・マッド・マッド・ワールド」(1963年)からヒントを得て付けられた曲名は、男の優越性を改めて主張している。
*ジェームズ・ブラウンはオーティス・レディングから電話を受け、黒人だけのアーティストとマネージャーの協会を組織しないかと持ちかけられた。そのように結束すれば、白人にショーを牛耳られないですむし、騙されたり搾取されたりすることもなくなる。ジェームズはこの提案を退けた。新手の人種隔離に堕する恐れがあると考えたからだ。この国は今、人種問題と闘っている。人種隔離の亡霊は漸く遠ざかり始めたところだ。新たな隔離制度はいらない。オーティスは納得し、話題を変えた。
*ジェームズはオーティスと最後に交わした会話を思い出した。オーティスは、飛行機の操縦を習って自分のビーチ18機を操縦したいと話していた。ジェームズは、オーティスの飛行機がいつも大勢のミュージシャンと重い機材を載せて飛んでいることを知っていた。オーティスの飛行機は老朽化し、歳月の重みを訴え始めていた。スタックス・レコードの作曲家、エディー・フロイドにもジェームズと同じ思いでがあった。「オーティスはパイロットのライセンスを取るために飛行訓練を受ける気だった。オーティスと最後に話したとき、俺はそのことで奴をからかった。オーティスが死んだ日のことは一生忘れない。操縦はしていなかったけれど、あいつは自分の飛行機で死んだ。俺はきょうだいを失ったようなものだ。二人とも黒人だし、一心同体だった」
*ジェームズはオーティスが犯した過ちを繰り返したくなかった。オーティスは黒人を守り、白人を排斥しようとした。
*ジェームズとナイジェリア人フェラ・クティの出会いについては、大統領府の応接室で交わされた有りがたい世間話ほどには広く伝えられていない。しかし、この二人のミュージシャンの出会いから生じた衝撃こそが、やがて本物の革新力と変化を生むことになる。二人は反骨精神と夢想癖を共有していた。
・・・・・(中略)・・・・・
フェラはとうにジェームズ・ブラウンを知っていたが、「ゼア・ワズ・ア・タイム」を聴いたのはピーノに促されてのことだった。フェラはニューミュージカル・エクスプレス誌にこう語っている。「私はこのアルバムのベースのアレンジが大好きだった。私にとってジェームズはリーダーと言うより素晴らしいミュージシャンだった。それも、アフリカのミュージシャンだ。私は仲間に言ったことがある。『この音楽が優れてアフリカ的だということに気づいたか?これは我が家に流れていたリズムだ』とね」
*マイケルは棺に歩み寄り、ジェームズの額に死の接吻を与えた後、生命と感情を取り戻したかのように震える声で群衆に語りかけた。「ジェームズ・ブラウンは私にとってインスピレーションの最大の源でした。私がやっと6歳になったばかりの頃から、ジェームズのパーフォーマンスがテレビで放映されると、夜の何時であろうと、私がぐっすり眠っていようと、母は私を起こして見せてくれました。私は文字どおり魅了され、ジェームズの動きに見とれていました。私はジェームズ・ブラウンのような人をステージ上でほかに見たことがありません。彼のおかげで、私は自分自身が将来何をしたいと思っているかを悟りました。ジェームズ、あなたを失った悲しみはいつまでも続くでしょう。あなたがしてくれたことすべてに感謝します」
(管理人)
冒頭では本書と映画の内容が似通っていると書いたが、引用した箇所は全て「映画では紹介されていないストーリー」ばかりである。
タンパ・レッド、ストーンズ、タミー・テレル、マーヴィン・ゲイ、サム・クック、オーティス・レディング、フェラ・クティ等、J.Bと同時代を生き抜いた他のミュージシャンに関する話が紹介されていて、けっこう面白かった。その中でもフェラ・クティの発言は注目すべきものであった。フェラは、J.Bのサウンドの中にアフリカンミュージックを見出していたのである。元々、アメリカの黒人は、奴隷としてアフリカから連れてこられた「アフリカ人」である。アメリカ黒人が「奴隷として働かされた苦しい日々から解放される」ことを夢見て生まれた音楽が、ジャズでありブルースであったのだ。しかし、その原点は故郷であるアフリカンミュージックに存在しているのである。初めてアフリカを訪れたJ.Bも、「故郷に帰ってきた」という思いがあっただろうし、フェラもJ.Bのサウンドを聴いて、「アフリカを感じた」わけである。J.Bもそうだが、フェラはナイジェリアの国民のために本気で政府と闘った「正真正銘の闘うミュージシャン」であった。J.B同様にフェラも自伝は出版されているようだが、是非、その「壮絶な人生」を映画化もしてもらいたいものだ。
そして今回一番目を引いたのは、オーティス・レディングに関するエピソードである。「ジェームズ・ブラウンはオーティス・レディングから電話を受け、黒人だけのアーティストとマネージャーの協会を組織しないかと持ちかけられた。そのように結束すれば、白人にショーを牛耳られないですむし、騙されたり搾取されたりすることもなくなる。」という箇所である。考えてみれば、当時の黒人ミュージシャンを囲って「商売」していたレコード会社は、ほとんどすべてが白人経営の会社であった。黒人ミュージシャンの間では、「我々の稼ぎを白人に搾取されている」という思いは当然強くあったはずである。こういった話はシカゴのチェス・レコードを扱った映画である「キャデラック・レコード」にも紹介されている。
この映画のタイトルは、「レコード会社が黒人ミュージシャンに金銭ではなくキャディラックのような車を与えて黒人ミュージシャンを懐柔していた」ことに由来している。そもそもキャディラックを買い与える金銭があるのなら、それに相応しい対価を黒人ミュージシャンに支払うべきなのだ。J.Bと違ってオーティスは「優等生」のイメージが強いのであるが、実際のオーティスがこういった思いを持っていたことは、本書を読んで初めて知った。
J.Bやオーティスが活躍していたのは黒人公民権運動が盛んな時代であり、キング牧師暗殺に象徴されるような不穏な雰囲気の漂う社会情勢だった。こういった社会背景を考えると、オーティスやサム・クックの死は、音楽業界を牛耳っており、黒人解放の思想を許すことが出来ない人種差別主義者(=私がいつも「彼ら」と呼んでいる悪魔勢力)による犯行であるような気がしている。「偶然」宿泊先の女主人に射殺されたサム・クック、「偶然」飛行機墜落事故で亡くなったオーティス・レディング、私はとてもこれらの事件が「偶然」とは思えない。
オーティスの提案を断って白人音楽業界と共生したJ.Bは、73歳まで生きた。白人音楽業界に抵抗しようとしたオーティスは、26歳で「飛行機事故」で亡くなった。
本当に「優等生」だったのは、オーティスではなくてJ.Bであったのではないだろうか。
評点:80点
2010年のジェームズ・ブラウンの伝記である。
本書注釈によると、「フランスを代表する出版社であるガリマール社のペーパーバック部門folioが発行する人気評伝シリーズの中から現代日本にアピールする人物を選りすぐり、読みやすい良訳で紹介。文化大国フランスならではのヨーロッパの薫り高いクオリティを保ち、当該屈指の識者がユニークな解説をよせる。」とある。ちなみにこの「世界の傑物」シリーズではルイ16世、ドゴール、カミュ、チェーホフなどの著作が出ている。
J.Bは「音楽界を代表して」記されたようである・・・。
本書はかなり前に購入していたのだが、音楽以上に真実告発系の書を好む関係上書棚に陳列したままになっていた。こういった「陳列本」は、本書に限らずけっこう所有している。
書棚に眠っていた本書を「読みたい」という気にさせたのが、先日紹介したJ.Bの伝記映画「最高の魂を持つ男」を観たことであった。映画には本書のことは全く記されていなかったが、「脚本家は本書を読んでいたのではないか?」と推察する。主人公が同じなのだから当たり前なのかもしれないが、本書の内容は映画の内容とあまりに似通っていた、基本的には。
以下、一部引用する。
*ジェームズはタンパのパーフォーマンスに立ち会うチャンスを絶対に逃さなかった。特に、タンパが瓶を取り上げて口の部分を叩き割り、ガラス片でギターの弦をこするところは見ものだった。「ギターの魔術師」は古いブルースをいくつか歌った。
・・・・・(中略)・・・・・
ミュージシャンにはそれぞれゴッドファーザーがいるものだ。ジェームズ・ブラウンにとっては魔術師タンパが人生の道案内であり、指南役だった。ちょうど、ジョン・リー・フッカーにとって吟遊詩人ウィリー・ムーアがそうであったように。きっかけさえ与えられればその先のことは自然に進展する。我らがジェームズの秘められた才能は、トウィッグズ大通りの売春宿とそこに身を潜める黒いヒーローたちに源を発し、やがてあふれ出ることになる。
*原爆投下による黒い雨と放射線は日本人に壊滅的打撃を与え、その影響は数世代にわたって続いた。しかし、アメリカ市民のほとんどは、この出来事にも、それが引き起こした苦しみにも関心を示さなかった。ジェームズは自分の国を正当化していない。全くその反対である。人種を巡る憎悪は彼をこの上なく傷つけていた。彼はこう書いている。「私は、この種の爆弾は白人の頭上には決して投下されなかったであろうことに気づいた」
*「叙事詩」という言葉は、フェイマス・フレイムズのミュージシャンが織り成す物語にまさしくぴったりだ。彼らの音楽には悪魔の刻印が押されていたが、一方で聖なるゴスペルの名残もあった。ジェームズはよく悪魔の話をした。自分はブルース歌手のロバート・ジョンソンと同じようにサタンに魂を売った、とメンバーに話して信じ込ませ、だから俺たちはやがて世界一のグループになる、とまで言い張った。
*ボビー・バードによれば、ミック・ジャガーはジェームズ・ブラウンのパーフォーマンスを見ようなどという余計な考えを起こし、ジェームズのエネルギーと離れ業に圧倒された。英国の白人の中にこれほど敏捷に動ける者はいない。ゴッドファーザーは呻き、叫び、腰掛から飛びおりて踊り回り、マイクをもてあそび、跳躍した・・・・・。ローリングストーンズは、ステージ上であれ他のどこであれ、自分たちがジェームズ・ブラウンを超えることなどできないとわかっていた。彼らには学ぶべきことがたくさんあった。
*テレビ番組やツアーから戻ると、ジェームズは休むことなど一瞬たりとも考えず、彼の代表作の一つとなる曲を完成した。それは、労働すること、仕事をすること、努力することを称える歌、「イッツ・ア・マンズ・マンズ・マンズ・ワールド」だった。
・・・・・(中略)・・・・・
これは男の世界だ
でも男の世界なんて空しい
女がいなければ
・・・・・(中略)・・・・・
アメリカの喜劇映画「イッツ・ア・マッド・マッド・マッド・ワールド」(1963年)からヒントを得て付けられた曲名は、男の優越性を改めて主張している。
*ジェームズ・ブラウンはオーティス・レディングから電話を受け、黒人だけのアーティストとマネージャーの協会を組織しないかと持ちかけられた。そのように結束すれば、白人にショーを牛耳られないですむし、騙されたり搾取されたりすることもなくなる。ジェームズはこの提案を退けた。新手の人種隔離に堕する恐れがあると考えたからだ。この国は今、人種問題と闘っている。人種隔離の亡霊は漸く遠ざかり始めたところだ。新たな隔離制度はいらない。オーティスは納得し、話題を変えた。
*ジェームズはオーティスと最後に交わした会話を思い出した。オーティスは、飛行機の操縦を習って自分のビーチ18機を操縦したいと話していた。ジェームズは、オーティスの飛行機がいつも大勢のミュージシャンと重い機材を載せて飛んでいることを知っていた。オーティスの飛行機は老朽化し、歳月の重みを訴え始めていた。スタックス・レコードの作曲家、エディー・フロイドにもジェームズと同じ思いでがあった。「オーティスはパイロットのライセンスを取るために飛行訓練を受ける気だった。オーティスと最後に話したとき、俺はそのことで奴をからかった。オーティスが死んだ日のことは一生忘れない。操縦はしていなかったけれど、あいつは自分の飛行機で死んだ。俺はきょうだいを失ったようなものだ。二人とも黒人だし、一心同体だった」
*ジェームズはオーティスが犯した過ちを繰り返したくなかった。オーティスは黒人を守り、白人を排斥しようとした。
*ジェームズとナイジェリア人フェラ・クティの出会いについては、大統領府の応接室で交わされた有りがたい世間話ほどには広く伝えられていない。しかし、この二人のミュージシャンの出会いから生じた衝撃こそが、やがて本物の革新力と変化を生むことになる。二人は反骨精神と夢想癖を共有していた。
・・・・・(中略)・・・・・
フェラはとうにジェームズ・ブラウンを知っていたが、「ゼア・ワズ・ア・タイム」を聴いたのはピーノに促されてのことだった。フェラはニューミュージカル・エクスプレス誌にこう語っている。「私はこのアルバムのベースのアレンジが大好きだった。私にとってジェームズはリーダーと言うより素晴らしいミュージシャンだった。それも、アフリカのミュージシャンだ。私は仲間に言ったことがある。『この音楽が優れてアフリカ的だということに気づいたか?これは我が家に流れていたリズムだ』とね」
*マイケルは棺に歩み寄り、ジェームズの額に死の接吻を与えた後、生命と感情を取り戻したかのように震える声で群衆に語りかけた。「ジェームズ・ブラウンは私にとってインスピレーションの最大の源でした。私がやっと6歳になったばかりの頃から、ジェームズのパーフォーマンスがテレビで放映されると、夜の何時であろうと、私がぐっすり眠っていようと、母は私を起こして見せてくれました。私は文字どおり魅了され、ジェームズの動きに見とれていました。私はジェームズ・ブラウンのような人をステージ上でほかに見たことがありません。彼のおかげで、私は自分自身が将来何をしたいと思っているかを悟りました。ジェームズ、あなたを失った悲しみはいつまでも続くでしょう。あなたがしてくれたことすべてに感謝します」
(管理人)
冒頭では本書と映画の内容が似通っていると書いたが、引用した箇所は全て「映画では紹介されていないストーリー」ばかりである。
タンパ・レッド、ストーンズ、タミー・テレル、マーヴィン・ゲイ、サム・クック、オーティス・レディング、フェラ・クティ等、J.Bと同時代を生き抜いた他のミュージシャンに関する話が紹介されていて、けっこう面白かった。その中でもフェラ・クティの発言は注目すべきものであった。フェラは、J.Bのサウンドの中にアフリカンミュージックを見出していたのである。元々、アメリカの黒人は、奴隷としてアフリカから連れてこられた「アフリカ人」である。アメリカ黒人が「奴隷として働かされた苦しい日々から解放される」ことを夢見て生まれた音楽が、ジャズでありブルースであったのだ。しかし、その原点は故郷であるアフリカンミュージックに存在しているのである。初めてアフリカを訪れたJ.Bも、「故郷に帰ってきた」という思いがあっただろうし、フェラもJ.Bのサウンドを聴いて、「アフリカを感じた」わけである。J.Bもそうだが、フェラはナイジェリアの国民のために本気で政府と闘った「正真正銘の闘うミュージシャン」であった。J.B同様にフェラも自伝は出版されているようだが、是非、その「壮絶な人生」を映画化もしてもらいたいものだ。
そして今回一番目を引いたのは、オーティス・レディングに関するエピソードである。「ジェームズ・ブラウンはオーティス・レディングから電話を受け、黒人だけのアーティストとマネージャーの協会を組織しないかと持ちかけられた。そのように結束すれば、白人にショーを牛耳られないですむし、騙されたり搾取されたりすることもなくなる。」という箇所である。考えてみれば、当時の黒人ミュージシャンを囲って「商売」していたレコード会社は、ほとんどすべてが白人経営の会社であった。黒人ミュージシャンの間では、「我々の稼ぎを白人に搾取されている」という思いは当然強くあったはずである。こういった話はシカゴのチェス・レコードを扱った映画である「キャデラック・レコード」にも紹介されている。
この映画のタイトルは、「レコード会社が黒人ミュージシャンに金銭ではなくキャディラックのような車を与えて黒人ミュージシャンを懐柔していた」ことに由来している。そもそもキャディラックを買い与える金銭があるのなら、それに相応しい対価を黒人ミュージシャンに支払うべきなのだ。J.Bと違ってオーティスは「優等生」のイメージが強いのであるが、実際のオーティスがこういった思いを持っていたことは、本書を読んで初めて知った。
J.Bやオーティスが活躍していたのは黒人公民権運動が盛んな時代であり、キング牧師暗殺に象徴されるような不穏な雰囲気の漂う社会情勢だった。こういった社会背景を考えると、オーティスやサム・クックの死は、音楽業界を牛耳っており、黒人解放の思想を許すことが出来ない人種差別主義者(=私がいつも「彼ら」と呼んでいる悪魔勢力)による犯行であるような気がしている。「偶然」宿泊先の女主人に射殺されたサム・クック、「偶然」飛行機墜落事故で亡くなったオーティス・レディング、私はとてもこれらの事件が「偶然」とは思えない。
オーティスの提案を断って白人音楽業界と共生したJ.Bは、73歳まで生きた。白人音楽業界に抵抗しようとしたオーティスは、26歳で「飛行機事故」で亡くなった。
本当に「優等生」だったのは、オーティスではなくてJ.Bであったのではないだろうか。
評点:80点