<ロニー・スペクター追悼>「Be My Baby」「Walking In The Rain」「You Baby」𝐓𝐡𝐞 𝐑𝐨𝐧𝐞𝐭𝐭𝐞𝐬
ロネッツのリードシンガーだったロニー・スペクターが亡くなりました。
https://amass.jp/154386/
ザ・ロネッツのロニー・スペクターが死去
2022/01/13
60年代を代表するガールズグループ、ザ・ロネッツ(The Ronettes)のロニー・スペクター(Ronnie Spector)が死去。スペクターの家族は米国時間1月12日未明に彼女の公式サイトにて声明を発表。声明では「私たちの最愛の地球の天使であるロニーは、癌との短い戦いの末、今日、穏やかにこの世を去りました」と書かれています。78歳でした。
以下、家族の声明より
「私たちの最愛の地球の天使であるロニーは、癌との短い戦いの末、今日、穏やかにこの世を去りました。彼女は家族と一緒にいて、そして夫のジョナサンの腕の中にいました。ロニーは、目を輝かせ、元気で、ユーモアのセンスがあり、笑顔を絶やさずに人生を送りました。彼女は愛と感謝の気持ちでいっぱいでした。彼女の喜びに満ちた音、遊び心、そして不思議な存在感は、彼女を知る人、聞く人、見る人の中に生き続けるでしょう。
ロニーは、花の代わりに、地元の女性保護施設やアメリカン・インディアン・カレッジ・ファンドへの寄付をお願いしました。ロニーの人生と音楽を祝う会は、将来的に発表される予定です。この時、家族はプライバシーを尊重していただきたいと思っております」
ロニー・スペクターことヴェロニカ・ベネットは、マンハッタンのスパニッシュ・ハーレム地区で生まれる。彼女は幼い頃から歌い、姉のエステル・ベネット、いとこのネドラ・タリーとともに家族でグループを組んでいた。当初は“ダーリング・シスターズ”と呼ばれていたが、“ロニー&レラティヴス”に改名し、最終的には“ザ・ロネッツ”となった。60年代初頭にはライヴ活動で成功を収める。その後、フィル・スペクターのフィレス・レコードのオーディションを受け、フィル・スペクターが興味を持ち、契約を交わす。1963年に「Be My Baby」がヒット。その後も「Walking In The Rain」「Baby, I Love You」「Do I Love You」などをヒットさせる。ザ・ロネッツは、ローリング・ストーンズやエリック・クラプトンなどのメジャーなロック・アーティストとツアーを行った。ビートルズは1966年の全米ツアーにザ・ロネッツを抜擢。ザ・ロネッツはこれを最後に1966年に解散した。
ロニー・スペクターは、1968年にフィル・スペクターと結婚。フィルは彼女を虐待し、1974年に離婚が確定した。ロニー・スペクターは1990年の回顧録『Be My Baby: How I Survived Mascara, Miniskirts, and Madness』の中で、虐待について告白している。
ザ・ロネッツは2007年にロックの殿堂入りを果たした。
ロニー・スペクターだけでなくロネッツの3人ともチェロキー族の血を引いていたんですね。親近感を感じてしまいました。私はチェロキー族じゃないけれど(笑)
「Be My Baby」「Walking In The Rain」「You Baby」の3曲で追悼します。
ポチッと押してもらえると、明日への活力となります

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ザ・ロネッツのロニー・スペクターが死去
2022/01/13
60年代を代表するガールズグループ、ザ・ロネッツ(The Ronettes)のロニー・スペクター(Ronnie Spector)が死去。スペクターの家族は米国時間1月12日未明に彼女の公式サイトにて声明を発表。声明では「私たちの最愛の地球の天使であるロニーは、癌との短い戦いの末、今日、穏やかにこの世を去りました」と書かれています。78歳でした。
以下、家族の声明より
「私たちの最愛の地球の天使であるロニーは、癌との短い戦いの末、今日、穏やかにこの世を去りました。彼女は家族と一緒にいて、そして夫のジョナサンの腕の中にいました。ロニーは、目を輝かせ、元気で、ユーモアのセンスがあり、笑顔を絶やさずに人生を送りました。彼女は愛と感謝の気持ちでいっぱいでした。彼女の喜びに満ちた音、遊び心、そして不思議な存在感は、彼女を知る人、聞く人、見る人の中に生き続けるでしょう。
ロニーは、花の代わりに、地元の女性保護施設やアメリカン・インディアン・カレッジ・ファンドへの寄付をお願いしました。ロニーの人生と音楽を祝う会は、将来的に発表される予定です。この時、家族はプライバシーを尊重していただきたいと思っております」
ロニー・スペクターことヴェロニカ・ベネットは、マンハッタンのスパニッシュ・ハーレム地区で生まれる。彼女は幼い頃から歌い、姉のエステル・ベネット、いとこのネドラ・タリーとともに家族でグループを組んでいた。当初は“ダーリング・シスターズ”と呼ばれていたが、“ロニー&レラティヴス”に改名し、最終的には“ザ・ロネッツ”となった。60年代初頭にはライヴ活動で成功を収める。その後、フィル・スペクターのフィレス・レコードのオーディションを受け、フィル・スペクターが興味を持ち、契約を交わす。1963年に「Be My Baby」がヒット。その後も「Walking In The Rain」「Baby, I Love You」「Do I Love You」などをヒットさせる。ザ・ロネッツは、ローリング・ストーンズやエリック・クラプトンなどのメジャーなロック・アーティストとツアーを行った。ビートルズは1966年の全米ツアーにザ・ロネッツを抜擢。ザ・ロネッツはこれを最後に1966年に解散した。
ロニー・スペクターは、1968年にフィル・スペクターと結婚。フィルは彼女を虐待し、1974年に離婚が確定した。ロニー・スペクターは1990年の回顧録『Be My Baby: How I Survived Mascara, Miniskirts, and Madness』の中で、虐待について告白している。
ザ・ロネッツは2007年にロックの殿堂入りを果たした。
ロニー・スペクターだけでなくロネッツの3人ともチェロキー族の血を引いていたんですね。親近感を感じてしまいました。私はチェロキー族じゃないけれど(笑)
「Be My Baby」「Walking In The Rain」「You Baby」の3曲で追悼します。
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