レゲエ・スカ - 嘘八百のこの世界
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ソウルマンの娘のマロンです。お散歩大好きです。 

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「Choose Me」Dennis Bovell

今日の1曲は、デニス・ボーヴェルの「Choose Me」です。






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「Money In My Pocket」Dennis Brown

今日の1曲は、デニス・ブラウンの「Money In My Pocket」です。
デニス・ブラウンの自作曲です。全英チャート14位のヒットを記録しました。
「ポケットにはお金はあるが、愛が無い」と歌っています。
デニス・ブラウンは、ジャマイカ・キングストン生まれのレゲエ歌手です。
75枚以上のアルバムをリリースし、「レゲエの貴公子 (The Crown Prince of Reggae)」と呼ばれました。
1999年7月1日に42歳で亡くなりました。生きていたら、65歳でした。







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「I'm Still In Love With You」Marcia Aitken

「夏だ!レゲエだ!」ちゅーことで、今週は、レゲエ特集とします。
今日の1曲は、Marcia Aitkenの「I'm Still In Love With You 」です。






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「Silly Games」Janet Kay

今日の1曲は、ジャネット・ケイの「Silly Games」です。




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<リー・ペリー追悼>「People Funny Boy」Lee "Scratch" Perry

遅くなったが、8月29日にリー・ペリーが亡くなった。


https://www.afpbb.com/articles/-/3363920
ダブの伝説的プロデューサー、リー・ペリー氏死去 85歳

2021年8月30日

【8月30日 AFP】ジャマイカの伝説的音楽プロデューサーで、「ダブ」と呼ばれるジャンルの先駆者でレゲエの世界を広げたリー・スクラッチ・ペリー(Lee "Scratch" Perry)氏が29日、死去した。85歳。

 死因は公表されていない。ジャマイカのアンドリュー・ホルネス(Andrew Holness)首相は、ペリー氏が同国北西部ルシア(Lucea)の病院で死去したと発表し、「ジャマイカはきょう、多くの作品を生み出し、多くの人に影響を与え続けている音楽アイコンのリズムと魂を失った」と追悼した。

ボブ・マーリー(Bob Marley)ら多彩なアーティストのプロデューサーを務めたペリー氏の才能は時代やジャンルを超越し、ヒップホップからポストパンクにまで確かな影響を与えた。

 ペリー氏は1936年3月20日、ジャマイカの地方の町ケンダル(Kendal)で生まれた。1950年代後半にコクソン・ドッド(Coxsone Dodd)のサウンドシステムのレコード販売を始め、一方でレコーディングのキャリアを積んだ。

 1968年には自身のレーベル「アップセッター・レコーズ(Upsetter Records)」を設立。「ピープル・ファニー・ボーイ(People Funny Boy)」では、赤ちゃんの泣き声を音源として使った革新的な音作りで称賛された。サンプリングを用いた初期の作品だった。

 ペリー氏の独創的な作品や録音技術、奇抜な人柄が高い評価を得て、ジャマイカ国内外、特に英国で人気を博した。

 1973年にはジャマイカ首都キングストンの自宅の裏庭にレコーディングスタジオ「ブラック・アーク(Black Ark)」を設立し、レゲエやダブの数々の名曲を生み出した。

 リズムや反復のレイヤリングに精通していたペリー氏はサンプリングの名手となり、その作品は音楽の未来に新たな道を切り開いた。




http://www.ele-king.net/news/rip/008326/
リー・ペリーの初来日は1992年6月、バックバンドは当時の〈ON-U〉が誇るダブ・シンジケート(スタイル・スコットにスキップ・マクドナルド、そしてルーベン・ベイリー)だった。忘れられないライヴのひとつだが、ぼくはその来日時に編集者として取材にも立ち会っている。インタヴューの最後にライターは「日本のルード・ボーイ、ルード・ガールにメッセージをお願いします」という申し出をした。記事の締めとして「俺も昔はルード・ボーイだったんだよ」みたいな共感を喋って欲しかったのだろう。しかしペリーはじつにシンプルに、笑みを浮かべてこう答えた。「良い子になりなさい」
 それから30年近く過ぎたいまでもぼくはこの答えが忘れられないでいる。
 
 8月29日、リー・“スクラッチ”・ペリーはジャマイカの病院で息を引き取った。85歳だった。死因はまだ明らかにされていない。
 1936年にジャマイカのケンダルで生まれ、1961年に歌手としてデビューしてから長きにわたって活動を続けてきた本名レインフォード・ユー・ペリーは、もちろん、いまさら言うまでもなくレゲエ史におけるもっとも偉大な開拓者であるが、同時にフィル・スペクターやジョー・ミークのように大衆音楽における録音物の可能性を広げたアーティストでもあった。あるいはまた、UKのダブ詩人リントン・クエシ・ジョンソンが言ったように、「レゲエにおけるサルヴァドール・ダリ」だった。1992年の来日時に自身の最初のソロ・アルバムのために共同作業をしたこまだ和文氏もまたペリーのことを「音楽家というよりも芸術家」と言ったことがある。「ピカソ級のアーティスト」だと。
 
 リー・ペリーの有名な曲のひとつに1968年の“ピープル・ファニー・ボーイ”がある。レゲエの時代の幕開けと言える力強いリズムをもって展開する曲で、「なんで、なんで、人はおかしいのか」と怒りを込めて日々の苦しみが歌われているこの曲には、赤ちゃんの声もミキシングされている。つまり、ここにはスカやロックステディとは違った攻撃的なリズムがあり、ジャマイカの土着性があり、ゲットー・リアリティとそしてオーヴァーダブ(ミキシング)がある。70年代ジャマイカ音楽における進化の起点だった。
 この曲以降のリー・ペリーがどれほど偉大な仕事をしてきたのか……、彼のバンド、アップセッターズの魅力たっぷりの『リターン・オブ・ジャンゴ』をはじめ、初期のダブにおける金字塔『14ダブ・ブラックボード・ジャングル』、レゲエの抽象性を高めた『ミュージカル・ボーンズ』、人気作のひとつ『スーパーエイプ』……、プロデューサーとしても初期のボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの不朽の名作『アフリカン・ハーブズマン』をはじめ、ジュニア・バイルズ『ビート・ダウン・バビロン』、ジュニア・マーヴィン『ポリス&シーヴス』、マックス・ロメオ『ウォー・イナ・バビロン』、ヘプトーンズ『パーティ・タイム』、そして魔術めいた『ハート・オブ・ザ・コンゴス』などなど……ほかにも個人的に好きなアルバムはいっぱいあるし、紹介しなければならない作品の数はあまりにも多い。(彼の膨大な作品については、鈴木孝弥氏が監修したディスク・ガイド『定本リー“スクラッチ”ペリー』をぜひ参照して欲しい)





ボブ・マーリーの活動初期の頃、リーはボブを自宅に住まわせ、食事の工面もしていたそうです。代表曲の「People Funny Boy」で追悼します。





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