戦争 - 嘘八百のこの世界
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嘘八百のこの世界

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財界も最初から通じていた。三菱財閥統帥の岩崎小弥太は、開戦にあたっては「アメリカとは友人だから心配するな」と訓示し、敗戦時は「これから愉快に仕事ができる」と発言している。

「東京“八百長”大空襲という真実」


「311の真相」と同じく、「310の真相」も隠されたままです。


(ジュン爺日記 since2006)さん
https://1789-1848.at.webry.info/201903/article_8.html
2019年03月10日
東京大空襲:カーチス・ルメイの犯罪

集団的自衛権と日米ガイドライン

1945年3月10日午前0時8分、325機のB29爆撃機が東京を襲った。爆撃目標は現在の江東区、墨田区、台東区、中央区などであった。B29は爆撃命中率を高めるため低空で侵入し、焼夷弾100万発が投下された。これは無差別爆撃である。約2時間半の爆撃で東京の下町は火の海となり、暴風のような火災旋風が起こり、川は「燃える川」と化した。これにより住民8万5千人が死亡し(民間団体の調査では死亡・行方不明者は10万人以上)、4万人が負傷し、100万人が家を失った。これは単独の空襲では世界史上最大の虐殺であり、広島・長崎の原爆投下とともに永久に記憶されるべき戦争犯罪である。

この作戦を指揮したのが第21爆撃集団司令官カーチス・ルメイ少将だった。低空爆撃、夜間攻撃などはすべて彼の命令であった。アメリカは東京を空襲するため、ユタ州の砂漠に日本の木造家屋の正確なセットを作り、爆撃実験を行なっていた。この結果、日本の木造家屋を焼き尽くす最も効果的な焼夷弾が開発された。油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾、エレクトロン焼夷弾など、非常に燃焼しやすい物質が入った爆弾が束になって投下され、空中で子弾が散弾のように分散し、日本家屋の瓦を突き抜けて爆発燃焼するようにしたのである。

カーチス・ルメイ司令官は東京、大阪、名古屋などを焼き払った後、地方都市も爆撃し、日本側から「皆殺しのルメイ」「鬼畜ルメイ」と呼ばれた。
彼はその後、朝鮮戦争でも戦略空軍司令官として無差別空爆を命じた。朝鮮半島に投下した爆弾は66万9千トン。爆撃は3年にわたり、半島の全ての都市を焼き尽くし、農村さえもが焼き払われた。
更に、ベトナム戦争時、カーチス・ルメイは空軍参謀長となっている。彼はアメリカが北爆を開始した1965年に退役している。ちなみにベトナム戦争でアメリカが投下した爆弾の量は709万トン。悪名高きナパーム弾は焼夷弾の改良型である。


しかし、この狂気のような殺戮者に対し、1964年、安倍晋三首相の大叔父にあたる佐藤栄作首相(当時)は、日本の航空自衛隊育成の「功労者」として勲一等旭日章を与えた。佐藤首相は「今はアメリカと友好関係にあり、功績があるならば、過去は過去として功に報いるのが当然」と言い放った。
カーチス・ルメイの叙勲を推薦したのが小泉純也防衛庁長官(当時)である。後に「ブッシュのポチ」と呼ばれた小泉純一郎は彼の息子だ。血は争えないものである。

安倍晋三も負けてはいない。「アメリカ第一」を掲げ、国際協調社会を崩壊させ、至るところで危機的状況を作り出しているトランプ大統領を、あろうことかノーベル平和賞に推薦したのである。これは21世紀最大のジョーク(しかも悪質な)として語り伝えられるだろう。

カーチス・ルメイは生涯、自分の行為を反省することは無かった。彼は日本の爆撃について、戦後、次のように語っている。「当時日本人を殺すことについて大して悩みはしなかった。私が頭を悩ませていたのは戦争を終わらすことだった。」 「もし戦争に敗れていたら私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸運なことに我々は勝者になった。」

日本は韓国・中国から歴史認識の問題を突きつけられているが、日本がアメリカに広島、長崎、東京大空襲に関して歴史認識の変更を迫ったことはない。空襲被害者遺族が提訴した国内の損害賠償裁判はすべて棄却されている。歴史を忘れやすい日本人は、少なくとも3月10日にはカーチス・ルメイの名前を思い出すべきだ。




コメントいただいた記事から一部転載します。


(長周新聞)さん
https://www.chosyu-journal.jp/heiwa/1134
記者座談会 語れなかった東京大空襲の真実-首都圏制圧のための大虐殺 130回で25万人殺傷
2015年10月2日

無傷だった皇居、財閥、軍施設

 司会 東京での原爆展キャラバン活動では、都民から東京大空襲の体験が堰を切ったように語られた。1晩にして10万人が殺された世界的にも類を見ない大惨事であったにもかかわらず、70年目を迎える今も公の慰霊碑も記念館もないことを痛切に訴えてくる人が多かった。東京都民の経験と切実な思いから出してみたい。

 A 東京空襲について、一般に死者10万人といわれるが、真珠湾攻撃から5カ月後の1942年4月の最初の空襲から、最も被害の大きかった1945年3月10日を含めて終戦の日まで130回以上もの連続的な空襲がやられ、東京都の調査資料には、死傷者・行方不明者は25万670人、罹災者は304万4197人と記録されている。犠牲者の数だけ見ても広島・長崎、沖縄戦をこえる規模だ。

 とくに3月10日の大空襲のように、たった2時間余りで10万人以上を殺すような空爆は世界中で後にも先にもない。イラクやシリアどころではない惨劇だ。それが「これまで語ることができなかった」といわれる。

 B 都内の街頭で原爆と戦争展をやると、どこでも例外なく東京大空襲の経験があふれるように語られた。「46人の家族親戚が殺された」という人や「なぜいまだに慰霊碑がないのか!」とすごい怒りにこちらが衝撃を受けた。

 浅草の空襲体験者の男性は、「疎開で小学校の卒業式に帰ってきたときに空襲にあい、同学年が30人殺された」といい、「自分は言問橋を渡って逃げたが、ちょっと逃げ遅れた人たちは丸焦げになり、消防車も炎に呑まれて運転手がハンドルを握ったまま白骨になっていた。まるでマグロのように並べられた死体が数百ではなく2000、3000人という規模で転がっていた」と話していた。

 「戦後は飢餓状態になり、区を通じて米軍支給品のコンビーフなどを配給した。“犬と同じ餌付けだ”と感じたが、食べなければ死んでしまうからみんな列をつくって並んだ。アメリカは日本人など虫けらぐらいにしか思っていないのに、日本の偉い連中はアメリカのために死ねという法案を通す。私たちには今も怨念がある。どんどん暴いてくれ。銀座のど真ん中でやってほしい」と訴えていた。

 C 原爆投下後の広島、長崎に匹敵するような悲惨さだった。米軍は春風の強く吹く3月という時期、民家を効率よく焼き払うための油脂焼夷弾の開発、空襲の手順も含めて用意周到に準備し、一般市民の民家が密集する下町地域をとり囲むように爆弾を投下している。火の壁で逃げ場をふさいで集中砲火を浴びせ、火の海を逃げ惑う人人に機銃掃射までやっている。

 「機銃掃射で狙い撃ちしてくるパイロットが笑っていた顔が忘れられない」と何人もの人が語っていた。黒焦げの死体だけでなく、窒息死してピンク色をした遺体が蝋人形のように散乱し、それらが公園や学校などで山積みにされて焼かれたという。墨田区錦糸町では、錦糸公園で約1万4000体が焼かれて仮埋葬されたというが、それを伝える看板一つない。あまりの多さで処理できない遺体は何日もかけて川や海に捨てられていたという。

 隅田川にかかる橋の欄干や、総武線のガード下などには今でも積み重なって焼き殺された人間の油がそのままの形で染みついて、何度ペンキを塗っても浮き出てくるのだと語られていた。5月の品川での空襲でも「真夜中にガソリンを撒いて焼夷弾をばらまいた」といわれていたが、「あれが戦争犯罪でなくてなんなのか!」と、7、80代の年配者が語っていた。とても昔話という雰囲気ではない。本当に語る場所がなかったからこその鬱積した思いがある。公園などに仮埋葬された11万体といわれる遺骨は、関東大震災の慰霊堂(墨田区横網)に一緒に入れられている。

  東京空襲を弔う単独の慰霊施設はいまだにない。なぜそんなことになっているのかだ。

 「戦争を忘れさせよ」 慰霊碑許可せぬGHQ

 D 大空襲で壊滅した江東区森下5丁目町会では今年3月、町内の空襲犠牲者789人の名前を刻んだ墓誌を建立した。町会役員によれば、当時の町会長が戦後すぐに空襲による町内の犠牲者を調べ、焼失を免れた戦時国債購入者名簿を頼りに『戦災死没者過去帳』という約10㍍にもなる巻物をつくって保管していたから建立できたという。遺族の「この地域に住んでいた人人の証となる供養の場所がほしい」という願いが70年をへてやっと実現した。

 E 墓誌をつくるための調査で、1家12人が全滅した家もあったことなど、地元の人も初めて知る事実が明らかになっているが、都にも当時の犠牲者名簿などの資料があるにも関わらず遺族が申請しても公開されないのだといわれていた。

 地蔵や碑の建立についても「宗教的なものは受け付けない」とかの理由で許可は下りず、「黙認する」程度だという。行政から助成も受けられないため、発起人を中心に町内外に呼びかけたら、続続と寄付が寄せられてつくることができたといっていた。

 終戦直後にも数千人が空襲で亡くなった墨田区の菊川橋のたもとに慰霊碑を建てようとしたが、区役所から拒否されている。河畔を改装するたびに白骨がたくさん出てきたので「これ以上放っておくわけにはいかない」と住民が独自に地蔵を建立して毎年法要している。

D ある遺族から、1947(昭和22)年に東京都長官官房渉外部長から通達された行政文書のコピーを見せてもらった。当時、遺族によって計画された隅田公園への戦災慰霊塔の建設計画に対して、官房各課長、支所長や局長、区長など都の行政担当者に宛てた通達だ。

 「一、日本国民に戦争を忘れさせたいのである。二、戦災慰霊塔を見て再び戦争を思い出させることがあってはならない。だから慰霊塔の建立は許可しない」と米占領軍の指導方針が明記され、これに協力するため「この方針を徹底的に守るようにしなさい」と記されている。

 70年たっていながらこの占領下のプレスコードがいまだに続いていることに驚いた。

 A 25万人もの都民を殺戮しながら意図的に攻撃対象から外したものもある。ここからアメリカの東京空襲の狙いが見てとれる。

C 代表格は皇居だ。東京のど真ん中に広大な面積を持つ皇居について、米軍ははじめから「攻撃対象にしない」という指令を徹底していたし、天皇側もそれを知っていた。皇居北側の近衛師団司令部、東部軍司令部などの軍中枢部や、市ヶ谷の陸軍省・参謀本部(現・防衛省)など、本来狙われるべき軍中枢が無傷だった。赤坂離宮(現・迎賓館)、青山御所、新宿御苑、浜離宮、上野公園などの皇室所有地や、官僚機構の一端を担っていた皇族住居はことごとく攻撃の対象外だ。

 東京駅は焼失したが、皇居に挟まれた丸の内の金融ビル街も残った。三菱本社、三菱銀行、三菱商事、日本興業銀行、横浜正金銀行、東京銀行、第一銀行、勧業銀行、関東配電(東京電力)などの財閥のビルが林立している。朝日、毎日などの新聞各社、放送会館(NHK)も残った。八重洲では日銀、三井本館。永田町や霞ヶ関でも、内閣府、国会議事堂、警視庁、内務省、大蔵省などが残された。ちなみに上野公園に隣接する三菱財閥統帥の岩崎久弥邸も攻撃を受けていない。広島、長崎、下関空襲でも三菱の主要工場は無傷であり、政財界とアメリカの盟友関係を裏付けている。

 軍施設がほとんど残されているのが特徴で、陸軍の心臓部といえる赤羽の陸軍造兵廠、陸軍火薬庫、工兵大隊、陸軍被服本廠、兵器支廠、東京第一、第二兵器補給廠も周囲が焦土になるなかでわざわざ残されている。代々木の近衛輜重大隊、陸軍輜重連隊官舎、広大な駒場練兵場や野砲隊の官舎群もみな無傷だ。

 E 工業施設でも、東芝本社のある芝浦工業団地から品川駅付近の港湾施設も攻撃されなかった。全滅した深川区に隣接する石川島造船所、佃島、月島など東京湾に面した工業施設、南部工業地帯の蒲田でも中心市街地が徹底的に焼き尽くされたが、羽田飛行場などの軍需施設はほとんど攻撃されていない。「米軍作戦任務報告書」に記された工業的目標はわずか22カ所に過ぎないが、そのうち破壊したのは18%だと記されている。実は無差別爆撃ではない。絨毯爆撃ではあるが、アメリカの対日支配に役立つものは残し、その邪魔になる庶民は殺すと極めて明確に選別している。

 B 「暗闇のなかであれほど緻密な爆撃がどうしてできたのか?」という疑問も多く語られていた。「目標から外す目印のために誰かが下から光を当てていた」と証言する人もいた。原爆投下と同じく「戦争を終わらせるためにやむをえぬ」というものではなく、日本を単独占領するために国民の抵抗力を摘むための大量殺戮だった。

 米軍の皆殺し作戦 殺すに任せた支配機構
A 東京空襲にも不可解な点がいくつもある。例えば、空襲直前に警戒警報を解除している。広島、長崎での原爆投下も直前になって警戒警報を解除し、みんなが安心して表に出てきたときに投下されている。あれは軍中枢が協力しなければできないことだ。300機をこえるB29の接近に気づかないわけがないが、物量で太刀打ちできないとはいえ、まともな反撃すらせずに米軍のやりたい放題を開けて通している。

 F 広島、長崎への原爆投下でも、軍はB29に対してレーダー照射をして来襲を事前につかんでいた。大本営は原爆投下機の接近を信号を受信して知っていた。長崎では、B29を迎撃する部隊が大村航空隊で待機して出撃命令を待っていたが、結局、命令は下りなかった。NHKも当時のパイロットが怒って証言する場面を放映していた。

 A 終戦末期になると特高警察がマークしたのは青年将校だった。敗戦が濃厚になるなかでこれらが反乱を起こすことを恐れた。左翼は早くに壊滅しているが、青年将校らは戦斗経験もあり、速やかにアメリカの占領下に誘導しようとしていた軍上層部にとっては脅威だった。敗戦が決定的になっても国民には「一億総玉砕」を叫んで、若者には特攻作戦をやらせ、本土を死守させる体制をとりながら、上層部が終戦工作にいそしむことに彼らの反発はすごかった。

 天皇の「終戦の詔勅」の放送を前に、陸軍の青年将校が近衛師団長を殺害し、録音盤を奪おうとした事件もそうだが、マッカーサーが厚木に降り立つときにも迎え撃つという騒動があり、青年将校に影響力をもつ高松宮が必死になって抑えて回ったというのは有名な話だ。

 B 敗戦直後、内地では軍を通じて直ちに武装解除させた。あれは天皇の命令だけでは動かない。軍司令部の指揮系統が動かなければできない。それを米軍上陸前にやらせるためには軍中枢を残しておかなければいけない。もともと海軍をはじめ軍中枢部分には親米派が多かった。陸軍も中国大陸で行き詰まって南進作戦に切り替え、南方の島島に兵隊を放り込んで食料も弾薬も送らない。ニューギニア戦線の体験者も「毎日イモばっかりつくっていた」という。南方はほとんどが餓死と病死だ。

 D 敗戦を迎えるにあたって、あのドサクサのなかで米軍上陸、単独占領に誰が荷担したのか。東京大空襲で無傷だった施設を見ただけでも歴然としている。戦後は「財閥解体」といったが、財閥はしっかりと温存された。戦争に国民を投げ込んだ天皇はじめ、官僚機構も丸ごと温存された。開戦時の商工大臣をしていた岸信介が、その後CIAのエージェントとして力を与えられたのが象徴的だが、政界、官僚世界などが叩きつぶされることもなく、対日占領の協力者としてせっせとアメリカに媚びて戦後も機能していった。メディアでも大本営の中枢にいた読売新聞の正力松太郎や朝日新聞の緒方竹虎などがCIAのエージェントとして活躍する始末だ。
イラクでもアフガンでも、他国を占領しようと思えば必ず抵抗があるし、何年かかってでも肉弾戦で侵略者を叩き出そうとするものだ。日本の場合、なぜ無抵抗に近い形で単独占領することができたのか。それは支配機構が丸ごと占領の協力者になり、国を売り飛ばしたからだ。支配機構が軍事支配を受けながらアメリカの道具になって戦後は機能していった。それが今日まで続いている。


 E 空襲で生き残った下町の人たちは、戦後は食べ物がなくて生活できないのでみんな市外に出て行ったという。国民を抵抗できないようにバラバラにさせている。抵抗力を削ぐために徹底的に空襲を加えたし、首都圏の人人はとにかくその日を生きるのが精一杯の状況になった。首都圏制圧のためにあれほどの空襲をやって、まさにショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)で占領していった。

 C 食料を意図的に統制したので、戦後の方が食料難がひどかった。当時の調達係の人が証言していたが、米軍が国内の食料倉庫を統制して食料危機に追い込んだ。米軍は関門海峡などの機雷封鎖も「スターべーション(飢餓作戦)」と名付けていた。国内から戦地へ食料を送らせない、大陸から送られてくる食料を遮断するための飢餓作戦だった。

 都市部はとにかく食べるものがない。配給でもらった大豆をポケットに入れて、それを食べて水を飲んで膨らませて空腹をしのいでいたという。飢え死にが出るような飢餓状態に追い込んでおいて、ララ物資などのアメリカからの、それこそ家畜の餌になる食料が入れられた。そんな屈辱に国会で感謝決議したこともあった。

 E 戦後の上野や浅草には、空襲で親を失った戦災孤児や浮浪者があふれかえり、餓死寸前の子どもたちは生きるために窃盗や売春をせざるを得なかった。GHQは「治安対策」を名目にして浮浪児を見つけ次第捕らえる「狩り込み」をやり、米軍の要請によって、脱走ができない水上の台場につくられた収容施設に強制的に送致し、檻(おり)に入れて監視・収容することまでやった。

 B すでに武装解除しているのに進駐軍は必ず銃を携行して、電車も絶対に米兵専用車両に乗るし、接収した建物も日本人は立ち入り禁止にした。「彼らは日本人の反撃を恐れていた」と語られていた。

 A 例えば、日本軍が満州を占領統治するのに100万人の軍隊がいったといわれる。日本を占領するには本来100万では足りない。それを日本の支配階級が従って代理政治をすることで米軍の負担を軽くできた。イラクやシリアを見ても、むき出しの占領支配になれば人民の抵抗を抑えることは難しい。それを天皇以下支配階級が全面的に協力し、それによって地位を守るという関係があったから占領できたということだ。

 F 同じ敗戦国でも、ドイツではナチス関係者は戦後はみんな追放された。新聞社などもみな解散させられた。連合国による全面講和を結び一国に縛られなかったから、独立の自由性がある。アメリカが単独占領した日本との違いだ。

 90年代の米ソ二極構造が終わったときもドイツは独立の方に行き、日本は対米隷属の方に行くので、ドイツ首相から「慌てるな」となだめられたほどだ。その従属路線が現在までエスカレートして、安保法制まできている。

 A 現在でも官僚機構も含めて各省庁ごとにアメリカ直結だ。財務省も経産省も防衛省もだ。政策についてもアメリカ大使館の指示の方が強い。

 米財務長官サマーズが何度も日本の財務省に直接怒鳴り込んできたし、原発事故のときもアメリカ政府関係者が首相官邸に乗り込んでいって菅直人を怒鳴りつけて指示を出す。アメリカの圧力なしに、民主党の鳩山、菅から野田までの変遷ぶりというのは理解ができない。現在の安倍の突っ走りにいたるまで対米従属の系譜だ。

 財閥やメディアも米軍占領下で地位守る

 C 原爆展キャラバンのなかで、戦時中に赤坂見附に住んでいて親族がアメリカ大使館に出入りしていたという婦人が、「アメリカ大使館の外側は私服警察の警備で物物しかったが、中にいる在日米国人は戦時中にもかかわらず中庭でゴルフをしていたり、まるで勝ち戦の後のような余裕ある生活をしていた」と疑問を語っていた。

 F 当時の駐日大使ジョセフ・グルーがアメリカ本国に帰国するのは真珠湾攻撃の半年後だった。グルーは日本では天皇を中心とする「宮廷外交」を基本にし、軍部の反米派と対立傾向にあった天皇側近の木戸幸一、重光葵、吉田茂、近衛文麿などを「自由主義者・穏健派」と見なして親交を深めていた。開戦後の半年間で終戦までのプログラムをつくる工作をやっていた。

 グルーは秩父宮に「安心しろ」といって帰国したが、アメリカ本国では「皇居は攻撃してはならない」、天皇は「軍国主義崇拝に役立ったと同様に象徴として役立つ」と説いて回り、吉田茂とも直接手紙をやりとりしていた。

 のちの駐日大使ライシャワーは当時諜報部員だったが、この方向で「天皇を傀儡にして間接統治する」という占領プログラムをつくった。そこでは、戦争中も「短波放送の聴取が許される500人ぐらいの日本のエリートに常に知的な情報を粘り強く伝達せよ」と米陸軍に提案している。実際、1945年5月から「ザカリアス放送」という日本の上層のごく限られた者しか聞くことができない短波の日本向け放送をやり、いつどこを空襲するとか、広島、長崎への原爆投下をいつやるかも全て伝達していた。

 これら米軍からの情報を集中しながら六月段階で、米軍の攻撃を全部開けて通して、「アメリカに敗北することで自分たちの地位は保証されることが約束されている」と側近の木戸幸一が天皇に提言している。

 A 2月には、アメリカから情報を得ていた吉田茂が近衛文麿に天皇上奏文を書かせた。「米英は国体(天皇制)の変更までは要求していない。最も憂うべきは、敗戦よりも、敗戦に伴っておこる共産革命だ」というものだ。彼らの関心は戦争の勝敗などではなく、いかに国民を押さえつけてアメリカの占領下で地位を守ってもらうかだった。そのためなら原爆を落とされることも甘受するし、東京を焼き払って人民大衆をへとへとに疲れさせることはむしろ好都合という関係だった。

 F 財界も最初から通じていた。三菱財閥統帥の岩崎小弥太は、開戦にあたっては「アメリカとは友人だから心配するな」と訓示し、敗戦時は「これから愉快に仕事ができる」と発言している。また、戦争末期には、日本商工会議所会頭の藤山愛一郎、日産コンツェルンの鮎川義介、浅野財閥の浅野良三などの財界代表が内閣の顧問会議を形成していた。藤山によれば、終戦6日前の閣議でアメリカとの経済関係をただちに回復させる計画を発表し、「自分たちの時代がやってきた」と喜び、軽井沢の別荘でシャンパンのコルクを抜き、新時代到来を祝して乾杯したという。はじめからアメリカは自分たちを大事に扱うことを確信していた。グルー自身が三菱とつながりの深いモルガン財閥の代理人で、戦前から投資していた権益、金融資産を含めてどう守るかというのが主任務だった。日本の財界人との関係ではアメリカ留学組が多く、鮎川とフォード、浅野とルーズベルトなど、人脈もできあがっていた。

 A 天皇をはじめとする支配中枢も財界も、中国への侵略戦争で行き詰まり、負けることはわかりきっているが、中国に負けることになれば日本における支配的地位が失われる。だから日米開戦に突っ込んでいき、アメリカに降伏することで地位を守ってもらう。そのためには国民を犠牲にしなければいけないという意図が貫かれている。

 C 東京はすべての政治勢力の本部があるところだが、東京空襲の慰霊碑問題をみても、都民の切実な要求をすくい上げるところがなかった。そこには、第一に米軍による抑圧、宣伝がある。いかにもアメリカが平和と民主主義の味方であり、日本を解放するための戦争をやり、原爆も空襲も戦争を終結させるためにはやむをえなかったかのように徹底的に宣伝したし、戦前以上の言論統制と弾圧をやり、反米につながる原爆や東京空襲についての言論を封殺した。

 もう一つは、人民の側に立つべき共産党の指導部が「アメリカは解放軍」と規定して、旧軍部を批判するが、原爆にしても東京空襲にしてもアメリカの犯罪を問わずに来たことが大きい。都民はアメリカと共産党指導部の両方から抑圧され、ものがいえなくなる関係だ。

 B 大衆のなかでは東京空襲への鬱積した怒りがあるが、東京で生まれた戦後世代でもほとんどその全貌を知らずにきた。そこでは革新勢力が進歩的な装いで「日本軍が重慶を先に空襲したから、それを反省すべきだ」「日本がひき起こした戦争だから仕方がない」という論調をふりまいてきたことが大きい。原爆投下を「日本の軍部から解放するために必要だった」というのと共通している。

 F 共産党は戦前、天皇制の弾圧もあるが、大衆と結びつけず自然消滅をたどった。そのことの反省もなく「獄中18年」を威張り、アメリカを解放してくれた友と見なす一方で、庶民を戦争に協力したと蔑視してきた。特攻隊経験者や戦地に駆り出された者も、「予科練崩れ」「戦争加害者」などといって攻撃し、敵と友を転倒させてしまった。

 徳田球一ら指導部中枢は、米軍に釈放されてすぐの人民大会でGHQまでデモ行進し、「解放軍万歳」を3唱した。「民主主義革命の端緒を開いた」といってマッカーサーに感謝し、GHQに入り浸り反米の情報を提供していた。東京空襲も原爆についてもそのような感謝が根底にあるから、正面から批判させない。
知識人のなかでも対米従属問題についてなかなか触れることができないということも独特の抑圧構図を象徴している。

 A アメリカがプレスコードをかけて行政機構が協力したし、東京空襲についても語らせなかった。そして共産党はあれほどひどい目にあった都民のことを無視して、アメリカを平和と民主主義の友と見なした。敵と友を転倒させて、むしろ大衆を敵扱いしていった。だからいまもって東京空襲について無関心できている。都民の苦労というものにまったく思いがなかったということだ。

 C アメリカ民主主義がよかったというが、70年たってみてどうか。日本の富はみな吸い上げられて散散な状況になっている。遠慮知らずのアメリカが、終いには米軍の身代わりで自衛隊を戦地に引っ張り出すところまできた。それで安倍晋三がせっせと協力している。売国政治の根っこは何もかわっていない。左翼の戦後出発について先ほども触れていたが、都民の苦難に足場を置かずに抽象的な全国政治か何かを主張しても話にならない。大衆的というのは地方的で具体的だ。そこに足場を置かなければ全国の普遍性は見えない。東京にはあれだけ政党の本部があって、学者も日本一いながら東京大空襲の惨劇について怒りをもってアメリカを糾弾する勢力がいない。
・・・・・(後略)・・・・・




この記事には私がオウムのように言い続けていることが証明されていますね。
以下の二つです。

・あの戦争が八百長であったこと

・右も左も「協力」して八百長を進めていたこと

あの戦争のことをある線までは理解していても、肝心なところを間違って理解している人がよくいるので、改めて言っておきます。

戦争に負けたために日本はアメリカ(というより「彼ら」)の属国になったんじゃありません。開戦前から「負けることを目的として」日本は戦争を始めたのです。
日本が「彼ら」の属国になったのは、八百長明治維新がきっかけです。

もう一つ付け足します。

岸信介はA級戦犯だったのに、戦後アメリカと密約を結んだために解放され、アメリカ(というより「彼ら」)の傀儡政治家になったたんじゃありません。
岸信介は戦争前からアメリカ(というより「彼ら」)の傀儡であり、A級戦犯役を演じた後で、「予定通り」アメリカ(というより「彼ら」)の傀儡政治家として総理大臣になったんです。

岸信介とジョセフ・グルーは、「戦争前から」“仲良し”だったのです。

岸信介の孫である安倍が現在のこの国の総理大臣である理由は、この“八百長関係”が続いているからなのです。

「310の真相」が理解できなければ、「311の真相」も理解できないでしょう。




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「第三次世界大戦は、シオニストとアラブ人とのあいだに、イルミナティ・エージェントが引き起こす、意見の相違によって起こるべきである。世界的な紛争の拡大が計画されている……」 byアルバート・パイク

「嘘八百の”八百長”第三次世界大戦”勃発”報道に騙されてはなりません!」



ずっと前に書いていたと思い込んでいたのだが、
意外や意外、書いていなかったようである。
何のことかって?
はい、アルバート・パイクについてである。
第一次世界大戦・第二次世界大戦・第三次世界大戦を予言していた人物である。
予言というよりも、「実行計画」なわけですけどね・・・
アルバート・パイクの予言を紹介しているブログ記事から紹介します。



https://matome.naver.jp/odai/2148164276472707401
■■謎の男、アルバート・パイク
弁護士、詩人、多作な作家として活躍していた南部連邦の将軍、アルバート・パイクは、

1857年に秘密結社イルミナティの最高幹部(最高位33階級)にまで登り詰め、「黒い教皇」と呼ばれるようになった。(彼は「KKK」の創始者でもある)。


彼が1871年に、イタリア建国の父であるジュゼッペ・マッチーニに送った書簡(手紙)には、予言ともいえる恐るべき「未来計画」が書かれていた。

それによると、まず、「世界を統一するために今後3回の世界大戦が必要だ」と書いてあり、

「1回目はロシアを倒すために、2回目はドイツを倒すために。3回目はシオニストとイスラム教徒がお互いに滅し合い、いずれ世界の国々もこの戦争に巻き込まれ、それが最終戦争に結びつくだろう」

と書かれていた。

■■アルバート・パイクの“予言”(未来計画)

「第一次世界大戦は、ツァーリズムのロシアを破壊し、広大な地をイルミナティのエージェントの直接の管理下に置くために仕組まれることになる。そして、ロシアはイルミナティの目的を世界に促進させるための“お化け役”として利用されるだろう。」

「第二次世界大戦は、『ドイツの国家主義者』と『政治的シオニスト』(パレスチナ地方にユダヤ人国家を建設しようとする人々)の間の圧倒的な意見の相違の操作の上に実現されることになる。その結果、ロシアの影響領域の拡張と、パレスチナに『イスラエル国家』の建設がなされるべきである。」

「第三次世界大戦は、シオニストとアラブ人とのあいだに、イルミナティ・エージェントが引き起こす、意見の相違によって起こるべきである。世界的な紛争の拡大が計画されている……」

「キリストの教会と無神論の破壊の後、ルシファーの宇宙的顕示により、真の光が迎えられる……」>



この文章を説明する必要はないですよね。
少なくとも、「1871年」に書かれたこの予言は実際に起きたということです。
第一次世界大戦・第二次世界大戦は「予定通り」起きたのです。
ということは、第三次世界大戦もこの通り起きるのじゃないでしょうか?
皆さん、ご理解いただいてますよね。

「全ての戦争が八百長である」という「事実」を。

そして、このニュースです。



https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2020010801000669.html
イラン、米に報復攻撃 イラク空軍基地にミサイル十数発
2020年1月8日 13時42分
【テヘラン、ワシントン共同】イランは8日未明(日本時間同日午前)、米軍が駐留するイラクの空軍基地など2拠点を十数発の弾道ミサイルで攻撃した。国営イラン放送や米国防総省が明らかにした。米軍によるイラン革命防衛隊の精鋭「コッズ部隊」のソレイマニ司令官殺害に対する報復。大規模反撃を警告してきたトランプ米大統領は対応に言及しておらず、米東部時間8日午前(日本時間8日夜から9日未明)に声明を発表する。
 米メディアによると、中西部アンバル州のアサド空軍基地に10発、北部アルビルの基地に1発が着弾。米側の死者は確認されておらず、米軍が被害状況を調べている。





「第三次世界大戦は、シオニストとアラブ人とのあいだに、イルミナティ・エージェントが引き起こす、意見の相違によって起こるべきである。世界的な紛争の拡大が計画されている……」


そのまんまじゃないですか・・・

今日の12時のNHKニュースで、このニュースに解説者(怪説者?)としてある人物がしゃべっていました。
渡部恒雄という男が。笹川平和財団(?)に属しているらしい。
ウィキで見てみる。




渡部 恒雄(わたなべ つねお、1963年〈昭和38年〉11月13日 - )は、日本の研究家、歯科医師、笹川平和財団特任研究員を経て上席研究員(元東京財団上席研究員)。戦略国際問題研究所非常勤研究員、沖縄平和協力センター上席研究員。父親は元衆議院議員の渡部恒三。


戦略国際問題研究所って何ですか?



戦略国際問題研究所(せんりゃくこくさいもんだいけんきゅうじょ、英語: Center for Strategic and International Studies, CSIS)は、アメリカ合衆国のワシントンD.C.に本部を置く民間のシンクタンク。1962年にジョージタウン大学が設けた戦略国際問題研究所(CSIS)が、後に学外組織として発展したものである。
「ジョージタウン大学戦略国際問題研究所」は、イエズス会の神父エドマンド・アロイシャス・ウォルシュ(Edmund Aloysius Walsh、1885年10月10日 - 1956年10月31日)が、1919年に同大学内に創った「エドマンド・A・ウォルシュ外交学院」が改組されたものである。
理事長には、1999年よりサム・ナンが、同研究所所長最高経営責任者には、2000年4月よりジョン・ヘイムリがついている。また、ヘンリー・キッシンジャーやカーラ・ヒルズ、リチャード・アーミテージ、ズビグニュー・ブレジンスキーが理事を務め、顧問にはキッシンジャーと弟子のブレント・スコウクロフトがいる。彼らの多くはアメリカ国家安全保障会議の国家安全保障問題担当大統領補佐官でもあった。
イラク戦争後の“復興”において、リポート「より賢い平和(A Wiser Peace)」を作成し、時のアメリカ合衆国国防長官ドナルド・ラムズフェルドに提出した。
日本人では小泉進次郎や、浜田和幸、辻清人、渡部恒雄などが一時籍を置いた。現在では日本から多くの将来有望な若手官僚や政治家(候補含む)がCSISに出向して学んでくる慣習が確立している。日本部には、防衛省、公安調査庁、内閣官房、内閣情報調査室の職員の他、日本貿易振興機構や損害保険会社、日本電信電話の職員も、客員研究員として名を連ねている。また、日本の現役政治家とも縁が深く、麻生太郎や安倍晋三なども度々CSISを訪れ、講演でスピーチを行っている。
CSISは日本では公益財団法人東京財団(日本財団の下部組織)と協力関係にある。東京財団の他にも笹川平和財団、特定非営利活動法人世界開発協力機構が、パシフィックフォーラム CSISを通じてフェローシップ・プログラムの提携を行っている。また、2011年には日本経済新聞社と共同で「日経・CSISバーチャル・シンクタンク」の創設を発表し、2012年に立ち上げた。
稲盛財団理事長の稲盛和夫は国際評議員を務め、2002年4月1日には政界・経済界等の若手リーダーを養成するための設立基金500万ドルを財団から寄付し、「アブシャイア・イナモリ リーダーシップ・アカデミー」(Abshire-Inamori Leadership Academy:略称AILA)をCSIS内に共同で設立した。パシフィックフォーラム CSISでは、半田晴久と稲盛の他、オリックス元会長の宮内義彦が日本在住の理事を務めている。
CSISは子宮頸がんワクチンの接種、推進に関する日本政府への提言なども行ってきている。





はいはい、あのCSISのことですよ。
アホウが勝手に「日本の水道を民営化します」って話したところですよ。
分かりやすく言えば、「彼ら」がチーム・イルミナティの売国奴連中を従えて、日本民族絶滅計画を推進するために存在している組織ですよ。
元はと言えば、あのイエズス会が作った組織ですよ。
この組織が何者であるかは察しがつきますよね。
キッシンジャー、アーミテージ、ブレジンスキーと、イルミナティの極悪メンバーが理事を務めていますね。
小泉の息子が年金を75歳支給に改悪しようとしているのも、ここからの指示なんですよ。
子宮頸がんワクチンを推進しているのも、ここからの指示なんですよ。
あの笹川良一関連の笹川平和財団とやらも、ここと繋がっているんですよ。
「平和」が逆の意味を表していることは説明不要ですよね。
嘘情報拡散媒体であるNHKがこの人物を“用意周到”に招いたのも、
すべて予定通りの行動だったのです。
さも中東危機が「偶然」発生したかのように「解説」させるためのね。
この超ヤバイ状況で自衛隊が派遣されようとしているのは、
決して「偶然」ではありません。
自衛隊員は、退職も許可されず、無理やりにでも派遣させられようとしているようですが、こんな大義のない殺し合いに参加してはなりません。

嘘八百の”八百長”第三次世界大戦”勃発”報道に騙されてはなりません!

このツイッター(自衛隊員は退職も許可されず、派遣先で何があっても責任は自分で負うという誓約書を強要され、家族がこの現状をSNSで拡散しようとしてもアカウントごと停止されてしまうことを訴えています)は削除されたようです。
これが”民主主義国家”日本の現状です・・・


https://twitter.com/puglife0957/status/1214233185283788801




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手段が問題なのではありません。「誰による犯行か」を理解することが重要なのです。

「E加減、原爆の真相を理解してください」


今日の1曲は、タイマーズの「Long Time Ago」です。


今日は、広島に原爆が落とされた、または、地上起爆させられた日です。
手段が問題なのではありません。
「誰による犯行か」を理解することが重要なのです。
どちらにしても、日英米合作の八百長シナリオによって起こされた史上最悪の惨劇であったことに違いありません。
いまだに大多数の日本国民は、真実から遠ざけられたままです。
真実を理解しなければ、また同じ過ちを繰り返してしまいます。
真実を隠蔽し続けている悪魔勢力は、いまだにこの国を支配し続けています。
真実を理解し、同じ過ちを繰り返さないために、過去記事を再掲します。




「いまだに原爆の真相を教えられていない日本国民」


8月6日は、世界で初めて原爆が人類に投下された日である。日本人は太平洋戦争当時のアジア諸国に対する加害の歴史もろくに教えられていないが、世界で唯一の被爆国であるにもかかわらず、「原爆がなぜ落とされたのか」という被害の歴史も正しいことは教えられていない。広島の原爆慰霊碑に掲げられている「過ちは繰返しませんから」という文言は、私の大嫌いな言葉である。だって、どう考えてみても当時の子供たちを含む広島市民が過ちを犯したとは考えられないからだ。市民は、いつも通りに家庭や学校や職場や道中で過ごしていたところに問答無用にあの悪魔兵器を落とされて、苦しみながら死んでいったり、死ななくても後遺症やいわれのない差別を受けて生き抜いてきたのである。
その最大の被害者である広島・長崎の市民が、何の過ちを犯したというのだ!
過ちを犯したのは原爆を落とした加害者であるアメリカ政府であり、アメリカを支配している(過去も現在も)イルミナティである。いまだにアメリカ政府は「原爆投下は必要だった」と学校でも教えているし、謝罪もしない。仮に「真珠湾攻撃をしてきたのが日本なのだから日本に非がある」と言うのなら、あれも9.11と同様のヤラセ・陰謀であり、「アメリカ政府は真珠湾が攻撃されることを事前に知っていたが、知っていたにも関わらず知らないふりをしてハワイのアメリカ人を見殺しにした」ということは、今や周知の事実であり、暴露本も出回っており、インターネットでも少し検索すれば誰でも解ることである。
「原爆がなぜ落とされたのか」という疑問に対する回答は、以前に読んだが、鬼塚英昭氏の「原爆の秘密」という書に詳しく書かれているので是非一読することをお薦めする。
なんと原爆投下の犯人はアメリカ政府だけでなく日本国内にも存在していたことが判明するだろう。
鬼塚氏の「原爆の秘密」を中心に、原爆の真相に関する記事を掲載しているブログを紹介する。
いいかげん日本国民は、「あの戦争の真犯人」を理解しなければならない。騙され続けているから「3.11の第三の核攻撃」の犯人にも気付かないし、奴ら・イルミナティの思うがままに第四の核攻撃を受けてしまうかもしれないのだ。その時が来て“日本が終わってしまう”前に、しっかりと「真実の歴史」を学習して欲しい。



「かつて日本は美しかった」さんの「湯川秀樹と原子爆弾」より
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20110814/1313268734
湯川秀樹は語らなかった。
 湯川秀樹と言えば、昭和24年(1949年)、日本人として初めてノーベル賞を受賞した理論物理学者です。大東亜戦争敗戦間もなくの頃、ノーベル賞受賞は日本国民を勇気づけた、と学校で習った記憶があります。
 大東亜戦争当時、ユダヤ研究機関「国際政経学会」の監事をしていた渡部悌治氏(著書「ユダヤは日本に何をしたか」より)
戦争中、日本で一日も早くその完成が待たれていた、マッチ箱一つの大きさで戦艦一つを沈めうるといわれていた新兵器は、今日でいう原子爆弾のことであった。そして仁科芳雄博士の研究では、実験段階では既に完成していた。
 しかし、その基礎理論が完結を見ないでおり、理研内では研究員たちが手分けして研究にあたっていた。それが一応のまとまりをみたとき、これを一つの学説として発表してはどうかという案も出たが、軍の機密に属することでもあり、早計に外部に漏らしてはならぬという仁科博士の意見で発表は厳禁されていた。ところがそれを、当時理研にいた研究補助員の湯川秀樹が米国に売り渡したのである。米国は終戦後、湯川の功績の論功行賞としてノーベル賞を授与させている。米国のためになったということで褒美がもらえたのだ。まさに国賊である
 実は日本でも原子爆弾の研究開発が進められており、海軍は京大の荒勝研究室、陸軍は理化学研究所(仁科芳雄博士)に依頼していました。湯川秀樹は京大の研究でも理論面で協力していました。しかし、予算はアメリカのマンハッタン計画に比べると微々たるもので、この研究を知り、原子爆弾の危険性を知った昭和天皇が「人類滅亡の原因が我ら大和民族であってはならない」と研究の禁止を通告していました。そして最終的には終戦を待たずに研究禁止となっています。
 この湯川秀樹の闇にジャーナリストの鬼塚英昭氏が迫っています。以下、京大の冶金教室の学生だった永田泰次さんの証言。
「原爆が投下される3ヶ月前の1945年5月のある日、冶金(やきん)教室の主任教授の西村英雄先生に突然呼び出されました。先生によると、アメリカの学会から秘密裡にニュースが先生に送られてきて、当時原爆製作をしていた日本より先にアメリカで成功したというのです。そして、その第一回現地テストを広島で行う予定が決まった。できるだけ早く両親を疎開させなさいとういことでした」
「先生に呼び出された時、先生の横に原子物理の湯川秀樹教授が座っておられた」
 アメリカでは広島・長崎原爆投下の半年前に「原爆使用反対」の声が一部の科学者より出ており、その中心になったのがシカゴ大学の冶金研究所のアーサー・コンプトン所長でした。シカゴ大学と京大の両冶金研究はスイスあたりを経由して情報交換したという可能性があるというのです。そして湯川秀樹はアーサー・コンプトン所長と親しく、戦前の昭和14年(1939年)、シカゴに訪ねています。鬼塚英昭氏は湯川の理論面での原爆研究データがシカゴ大学のコンプトン博士に何らかのルートで流れ、その見返りとして、広島に原爆を落とすというアメリカの極秘情報がコンプトン博士から伝わったと推理しています。 このほか、鬼塚英昭氏は広島の高師付属中学校の科学学級というのは湯川秀樹の進言により設けられたもので、勤労動員をうけることなく、疎開して被爆から逃れることができている、という点を指摘しています。また、本来、ノーベル賞は仁科芳雄博士と二人で受賞するべきだったものが湯川秀樹一人になっていることも挙げています。
 いずれも証言証拠、状況証拠であり、まだ内容が弱い。確実なことはいえません。戦後、湯川秀樹は原子爆弾の研究開発に関わったことについては黙し、核兵器廃絶を訴える平和運動に積極的に携わりました。核兵器廃絶・科学技術の平和利用を訴えたラッセル=アインシュタイン宣言に共同宣言者として名前を連ねています。
 広島平和公園にある若葉の像の台座。湯川による短歌での銘文
「まがつびよ ふたたびここに くるなかれ 平和をいのる 人のみぞここは」 (「まがつび」とは、災害凶事を起こす神)
 この言葉は懺悔なのか、欺瞞なのか、それとも湯川博士は売国行為とは無関係で純粋な心からでたものか・・・

参考文献
 成甲書房「ユダヤは日本に何をしたか」渡部悌治(著)
 成甲書房「天皇は知っていた 原爆の秘密」鬼塚英昭(著)
参考サイト
 WikiPedia「湯川秀樹」「日本の原子爆弾開発」


「さてはてメモ帳」さんの「原爆の秘密by鬼塚英昭を原爆ホロコースト真実の書として推す。」より
http://satehate.exblog.jp/9318506/
私はどうして「原爆の秘密」を知りえたのか[序として]

一九四五年八月六日広島に、その三日後の九日には長崎に、アメリカは原爆を投下した。日本の敗戦はすでにはっきりしていた時期であった。私はながい間、「どうしてアメリカは日本に原爆を落としたのであろうか」と考え続けてきた。アメリカ側からの本もたくさん読んできた。日本人が書いた本も同様にたくさん読んできた。 しかし、私には疑問が残った。

日本は敗戦(「終戦」という言葉になっているが)工作を続けていた。アメリカは、その日本の敗戦工作の詳細を知りつくしていた。広島に原爆を投下する一週間前に、アメリカは原爆投下の最終準備に入った。天候だけが問題であった。それと同時に、アメリカは無条件降伏を日本につきつけていた。

日本国民は、日本政府の敗戦工作も、アメリカを中心とする連合国の敗戦提案も何ひとつ知ることがなかった。

それだけではない。広島では、原爆投下直前の八月三日ごろから、投下の中心地付近に多くの学童・生徒が集められていた。しかも、原爆投下の直前にもかかわらず、アメリカ軍機の空襲の情報さえ、広島市民は何ひとつ知らされなかった。長崎市民も悲劇に放り込まれた。広島の原爆投下についての情報をほとんど知ることがなかった。

私は、広島と長崎に落とされた原爆について調べているうちに、常識では考えられないような矛盾点を数多く発見した。そのためにもアメリカ側の資料を読み、原爆とは何か、どうして原爆がつくられるようになったのか、どのような過程でつくられていったのか――を調べていった。そしてついに、アメリカがどうして原爆を投下したのか、という私の積年の疑問が少しずつ解けていくのが分かった。

私は原爆製造の謎に挑むことによって、原爆投下の謎を解明しえたのである。従来の原爆投下説と私の説は、全くといってよいほどに異なる。読者は私の本により、原爆投下は何よりも、国際金融寡頭勢力とも呼ぶべき集団が主役であると知ることになる。

私たち日本人は半世紀以上にわたり、騙され続けている。私たち日本人は、真実に眼をそらさずに直視しなければならない。もし、現状のままでいるのなら、広島と長崎の悲劇がふたたび繰り返されるであろう。

この本を、広島と長崎で死に、あるいは傷ついた人々に捧げたい。



日本人はまだ原爆の真実を知らない[序として]

原爆はどうして広島と長崎に落とされたのか? 多くの本は、軍国主義国家たる日本を敗北させるために、また、ソヴィエトが日本進攻をする前に落とした、とか書いている。なかでも、アメリカ軍が日本本土に上陸して本土決戦となれば多数の死者を出すことが考えられるので、しかたなく原爆を投下した、という説が有力である。

しかし、私は広島と長崎に原爆が落とされた最大の原因は、核兵器カルテルが狂気ともいえる金儲けに走ったからであるとする説を立てて、姉妹書『原爆の秘密国外篇』を書きすすめたのである。(引用注:同時に金融寡頭勢力による世界支配)

核兵器カルテルとは何か? アメリカのロックフェラー、モルガンという巨大な財閥が戦前の世界金融を支配していた。 

ロックフェラーとメロン両財閥は共同作戦をとり、ウラン爆弾の開発に乗り出した。すると少し遅れて、モルガン財閥もデュポンという巨大な化学トラストと組んで、プルトニウム爆弾の製造に着手した。ここに、新しくてしかも巨大な軍需産業が出現したのである。

ウラン爆弾は、ウラン238からウラン235を抽出し、このウラン235を使い原爆を製造する。プルトニウム爆弾は、ウラン238から原子炉を用いてプルトニウム(引用注:に変換後)を抽出し、これを使って原爆を製造する。

ウラン爆弾の製造は一九四五年の春には完成していた。しかし、プルトニウム爆弾の製造は遅れた。しかも、核実験しなければ実用の可能性があやぶまれた。一九四五年七月十六日、プルトニウム爆弾の実験がようやく成功する。時あたかも、トルーマン大統領とチャーチル首相(英国)、スターリン首相(ソ連)がポツダム会談をしていたときであった。

この実験が遅れたために、プルトニウム爆弾の完成が遅れたために、日本の降伏も遅れたと私は書いた。それは、核兵器カルテルのために日本の敗戦が遅れたことを意味するのだと私は結論した。

この原爆製造と投下の総指揮をとったのは、陸軍長官ヘンリー・ステイムソンである。彼はモルガン財閥の一員でもある。 アメリカのみのためではなく、モルガンのために、国際金融寡頭勢力のために、要するに核兵器カルテルのために、スティムソン陸軍長官は原爆投下の総指揮をとったのである。
そのために、スティムソンは日本の「あるルート」を通して昭和天皇との秘密交渉を続けた。原爆を完成し、これを広島と長崎に落とすまで、天皇に敗北宣言をさせなかったのである。無条件降伏とは、原爆を落とすために考え出されたアメリカの謀略であった。何も知らない日本人は完全にスティムソンと天皇に騙されたのである。
本書『原爆の秘密国内篇』はこの私の推論が正しいことを立証するものである。ただ、その過程では、日本人として知るに堪えない数々の事実が浮上してくる。読者よ、どうか最後まで、この国の隠された歴史を暴く旅におつき合いいただきたい。それこそが、より確かな明日を築くための寄辺となるであろうから。

二〇〇八年七月、またあの日を目前にして         
                                         鬼塚英昭


最後に、鬼塚英昭氏の動画「天皇のための戦争・天皇は内通していた」を紹介する。









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戦争を終わらせる(始めさせない)ためには「戦争の真実」を理解しなければならない by ソウルマン

「太平洋“八百長”戦争・完全証明」


「あの戦争が八百長だったこと」を日本で一番告発した作家は、鬼塚英昭氏であるだろう。
同じことをネットで一番告発したのは、ひょっとしたら私かもしれない。
「よくも同じことばかり飽きもしないで書きよるわ」と、思われているかもしれない。
これだけ「同じこと」を告発しているわりには、読者の方の反応があまり感じられない。
あまり関心がないのかな?
戦争というものが身近に感じられないことが、その理由なのかもしれない。
戦争体験者で今も生きておられる方は、ごく少数しかいないだろう。
「戦争を知らない子供たち」が流行っていた時代の若者でさえ、今では高齢者である。
ましてや「戦争を知らない子供たち」の後追い世代である私が戦争の怖さを実感できているはずがないことは、言うまでもないことである。
斉藤和義の「僕の見たビートルズはTVの中」じゃないけれど、「僕の見た戦争はTV・映画の中」である。
「そんな戦争の「せ」の字も知らない若造が、戦争が八百長だなどと知ったようなことを抜かすな」と戦争体験者の方からお叱りを受けるかもしれないが、それでも黙っていられないのでこれまで書いてきました。

私が黙っていられない理由は、「戦争の真実」を知ってしまったからです。
「過去に発生したほとんど全ての戦争が八百長である」という真実を。

勿論真実を知った以上黙っていられないという私の持って生まれた性格も、大きな要因であるでしょう。
「知っていても知らないふりをして生きていった方が得だからそうしよう」というような器用な生き方を私はできませんし、するつもりもありません。
誰が何と言おうと、私は「過去に発生したほとんど全ての戦争が八百長である」ことを確信しています。

そして、私が「戦争の真実」を書いてきたもう一つの理由は、戦争が決して「過去の物語」ではなく現在・未来へと続いていく問題であるからです。
我々よりも我々の子や孫が戦争に巻き込まれてしまうかもしれないからです。
我々の子や孫が「他人に殺される」か「他人を殺す」かもしれないからです。

それも「偶然」ではなく誰かの故意による「計画」で起こされた戦争が原因で。

我々の子や孫をこのような悲惨な目に遭わせる戦争が「偶然」発生するものではなく誰かさんの「計画」であったならば、あなたは許すことができますか?
私にはできません。
もう一度誰でもわかるように、我々日本人が直近で体験したあの戦争の真実をまとめておきます。
この記事から「太平洋“八百長”戦争年表」を、この記事から「太平洋“八百長”戦争証明のポイント」を、転載します。

これで太平洋“八百長”戦争が完全証明されたと思っています。

「「そうだったんだ」とテレビで堂々と嘘をついているあの人があらゆる放送局の番組で時事問題の解説をしている理由」を考えてみてください。
ここに「すべてのテレビが同じ目的をもって同じ方向に向かっている」ことが証明されています。

「国民に真実を知らせるな」という方向に。

「国民に戦争の真実を知らせるな」という方向に。

「国民に北朝鮮の真実を知らせるな」という方向に。

「国民にシリアの真実を知らせるな」という方向に。

「国民にこの世界が嘘八百であることを知らせるな」という方向に。


現在の新聞・テレビは、戦時中の大本営発表と全く変わりありません。
これまで何度も書いてきましたが、最後にもう一度書いておきます。

戦争を終わらせる(始めさせない)ためには「戦争の真実」を理解しなければならない。





<太平洋“八百長”戦争年表>

1、 1918年、モスクワのイルミナティ大会により「日支闘争計画書」が作成される。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-260.html   

2、 1919年、アメリカで「オレンジ計画」が立案される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E8%A8%88%E7%94%BB

3、 1924年、イギリスのヘクター・C・バイウォーターの「未来予測」発表。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-285.html

4、 1930年、幣原喜重郎が「ロンドン海軍軍縮条約」を締結する。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-268.html

5、1936年、「二.二六事件」が起こされる。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-463.html

6、1941年、ロックフェラーの別のフロント組織、太平洋問題研究所 (IPR)が、日本の真珠湾攻撃工作資金を拠出する。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-2621.html

7、 1941年、日本海軍が「真珠湾攻撃」決行。太平洋戦争勃発。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-270.html

8、 1945年、広島と長崎に原爆が投下される。ポツダム宣言受諾。日本敗戦。幣原喜重郎が戦後初代の内閣総理大臣となる。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-46.html

9、1945年、「8.15宮城事件」が起こされる。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-536.html

10、日本は戦争のための兵器購入資金を敵国の米国ディロンから「借り入れ」ていた。戦後ディロン・リードは、日本の再軍備=自衛隊の創立と、日米安保条約=在日米軍によって莫大な収益を上げてきた。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-1012.html

11、ディロン・リード社は、日本の軍需会社に投資をしていた。日本の海軍力を増強させ、アメリカとの戦争へと向かわせる強力な力を発揮したのは、ディロン・リード社の日本への投資ゆえであった。
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-2763.html







<太平洋“八百長”戦争証明のポイント>

・東京大空襲で皇居や財閥系企業の施設は被害を受けなかった。

・三菱重工広島造船所や長崎造船所は広島、長崎の原爆投下でも被害はなかった。

・東京裁判では米国にとって最大の「敵」であったはずの人物は無罪とされた。

・天皇の戦争責任を追及したアメリカ人ジャーナリストのバーガミニは、日本ではなく米国から妨害工作を受け、ジャーナリスト生命を断ち切られた。

・戦時中、財閥系企業は「天皇の軍隊」を利用して莫大な利益を上げた。

・財閥解体なんて嘘八百であり、戦後も存続・拡大し続けている。

・昭和天皇はガーター騎士団の一員(エリザベスの臣下)であった。
日本がイギリス相手に戦争を起こすということは、君主への反逆を表すことになる。

・石油も鉄くずも所有していない日本が、何故に4年も戦争を続けることが出来たのか。
敵国であるはずの米国から、裏ルートで輸入されていたからだ。

・白洲次郎やヨハンセン・グループは、空襲や原爆の情報を事前に教えられていた。

・満州国で実権を握っていたのは、岸信介をはじめとした田布施グループである。

・満州国で岸信介は麻薬を取り仕切っていた。
麻薬の製造方法や販売手段を日本は知らなかったはずである。
それらの情報を教えたのは誰か。

・田布施グループの一人である松岡洋右が国際連盟脱退のお膳立てをすることによって、
日米開戦の原因を作った。

・ロンドン海軍軍縮条約を締結させて日本海軍の弱体化を謀った幣原 喜重郎は、
フリーメーソンだった。

・幣原喜重郎の妻・雅子は三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の四女である。
ここでフリーメーソンと三菱が繋がってくる。

・太平洋戦争開戦以前に、「日支闘争計画」が存在していた。
これは、日本と中国を戦争させる計画である。

・開戦前の二.二六事件も、終戦の際の八.一五宮城事件も、ヤラセであった。
ともに「あの戦争は軍部が独走して起こしたものであり、天皇は戦争に反対していた」という嘘を広めることが目的だった。



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「(ブッシュ氏は)素晴らしい人物で、他の模範となる人生を送った」by トランプ  

「悪魔を憐れむ歌」


パパ・ブッシュが死んだようなので、この歌を贈りたいと思います。
はい、ローリング・ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」です(笑)

https://www.youtube.com/watch?v=ZRXGsPBUV5g

日本に配置されたチンピラCIA工作員とは違って、この男はCIAより高位に位置する存在だったからか、その死は公表されたようである。

“悪魔の僕”の中でもランク付けがあるようである。

この男の死に対してお悔やみを述べるつもりはさらさらないが、日本人はこの男の正体を理解しておく必要があるため、悪魔に捧げたこの憐れな男の狂った半生を振り返ってみようと思う。まずは、トランプもこの男の仲間であることを証明するニュースから。




http://news.livedoor.com/article/detail/15679910/
トランプ氏、父ブッシュ氏に哀悼でG20での記者会見を中止
2018年12月2日 12時40分

【ブエノスアイレス=黒瀬悦成】トランプ米大統領は1日死去した父ブッシュ元大統領への弔意を示すため、同日午後に予定していた20カ国・地域(G20)首脳会議の成果を説明するための記者会見を中止した。
 ブエノスアイレスでのメルケル独首相との会談の冒頭に表明した。記者会見は「ブッシュ氏の葬儀が終了後、ワシントンで改めて行う」としている。
 トランプ氏は、長男のジョージ・W・ブッシュ元大統領と次男のジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事に電話で哀悼の意を伝えたことを明らかにした上で、(ブッシュ氏は)素晴らしい人物で、他の模範となる人生を送ったと称賛した。トランプ氏が生前のブッシュ氏と対立していたことには言及しなかった。
 メルケル氏も「ブッシュ氏は東西ドイツ統一の『父』だった。決して忘れない」と語り、同氏の事績をしのんだ。
 トランプ氏が中国の習近平国家主席との夕食会の冒頭に語ったところでは、同氏は1日夜にワシントンに帰着後、大統領専用機の機体をブッシュ氏が死去した南部テキサス州ヒューストンに差し向け、ブッシュ氏の棺を同機でワシントンに運ぶことを明らかにした。
 ホワイトハウスによると、トランプ氏夫妻はブッシュ氏の国葬に参列する。



トランプも以前はまともな発言をしていたのだが・・・


http://www.y-asakawa.com/Message2016-1/16-message11.htm
ブッシュ一族の陰謀を明らかに

2001年に発生した9・11同時多発テロ。 マスコミを信じ、NHKの伝えるニュースや学者の言うことは全て正しいと信じ込まされている我が国の国民は、今でもなお、 あのツインタワーの崩壊はアルカイダのビン・ラーディン一派が起こしたテロと信じて込んでいる。 
「闇の勢力」配下の計画の下に、ブッシュやチェイニー、ラムズフェルドなど時の政権と手を組んだ武器商人たちが、金儲けと中東の混乱を狙って起こした 、計画的な犯罪であるなどとは夢にも思っていない。 なんとも情けない限りであるが、先進国や新興国の中で日本ほど洗脳されてしまった国民は他にはいない ことは紛れもない事実だ。
ところで、米国では今、共和党の大統領予備選挙が真っ最中である。 そんな中、先月15日に行われた選挙討論会の席でドナルド・トランプ氏は、IS(イスラム国)に対する対応を巡り舌戦を繰り広げている最中、 ブッシュ候補に向かって、あなたは大統領選に立候補する資格はないと、同時多発テロ事件にいついて、その 真相を語ったことを、読者はご存じだろうか。
ドナルド・トランプ氏は同時多発テロ当日に、当時の大統領であったジョージ・W・ブッシュが米国にいたビン・ラーディン一族を機密に国外に逃亡させたことを明らかにし、これまで、陰謀説とされてきたブッシュとビン・ラーディン一族との関係を明らかにしたのである。
ビン・ラーディン一族の国外逃亡については、10年も前の2005年には既にAFP通信は、 「FBI flew Saudis Out After 9・11」の記事の中で、「新たに公表された資料によると、米 FBI捜査官たちは、アメリカからサウジアラビアの2つの著名な家族を空港まで付き添い、国外に護送した」と述べている。 この情報は米国の非営利政府監視団体のJudicial Watch が米国情報公開法(FOIA)によって、入手した非公開の報告書に基づいているものであるからして、確かな情報である。

9・11テロ事件直後、連邦航空局(FAA)から全米における全面的な飛行禁止命令が出ていたにも関わらず、オサマ・ビン・ラーディンの家族24人が当時滞在していたロスアンゼルス、ボストン、ヒューストン、ワーシントンDCなどを含む全米10ヶ所に、ブッシュ大統領の要望で飛行機が迎えに行き、国外に護送したのである。  テロが誰によって引き起こされたかどうかなど、事件の詳細がまだ分からない時点においてである。

さらにその後も数日間にわたて、約140人のサウジアラビア国籍の王室メンバーやビン・ラーディン一族たちも、大統領命令によって国外に護送 されていたのである。 19人のテロリストのうち15人がサウジアラビア国籍でテロ事件に関与していたことが明らかになっていたのにも関わらず、聞き取り調査が一切ない行われないまま、彼らは皆、アメリカ国外に出ることができたのである。
今回、トランプ氏が討論会の席でその経緯を語ったのは、一連の措置はブッシュ大統領一派が事件の発生を事前に知っていたことを明らかにし、そんな一族からまた大統領候補が出ることはおかしいではないかという点を、主張しようとしたためである。 
確かに、全便欠航の中で特別機を飛ばし、大統領命令でサウジアラビアの王室メンバーとビン・ラーディン一族を国外脱出させたことは、ブッシュが同時テロを事前に知らされ、容認していたことの動かぬ証拠であることは確かだ。 それではなにゆえ、大統領権限で彼らを国外に脱出させたのかというと、
彼らとは以前から付き合いがあり、政治献金を受けるなどの利益を得ていたため、その後も関係を維持しようとしたからである。
それは、事件後、ブッシュ政権が早速サウジアラビアにおける数十億ドルの軍事設備拡張の契約を結び、「闇の勢力」一族に多額の利益をもたらしている ことを見れば明らかである。 なんともはや カネに目がくらんだ、おぞましい姿であるが、これが闇の力にコントロールされた米国政府の一面であることは知っておいてもらいたいものである。
それにしても、親子二代が「闇の勢力」の手先となって、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争を次々起こしただけでなく、アメリカ国民にとって最も悲劇的な同時テロまで起こして多くの犠牲者を出しているというのに、未だにブッシュ一族はノーノーと暮らしているばかりか、さらに一族から3人目の大統領を出そうとしているのだから、呆れて物が言えない。
しかし、こうした一面が今の米国という国の実体であることを知れば、覇権国家・米国がこれから先遭遇する可能性が大きい恐ろしい世界が想像出来ることだろう。 米国の初代大統領、ジョージ・ワシントンが幻視させられた、黒い天使が長く恐ろしいラッパを吹いた後、1000個の太陽を合わせたような眩しい光が上空で炸裂し、全てを粉微塵にする場面が、現実となるのはそう遠い先のことではないかもしれない。




次にゴルバチョフの発言ですが、これはある意味正直な発言ですね。
「同じ新世界秩序を推進するカルト」のパートナーとして。




https://www.sankei.com/world/news/181201/wor1812010022-n1.html
死去のブッシュ氏 ゴルバチョフ元ソ連大統領「本当のパートナーだった」
2018.12.1

【モスクワ=小野田雄一】第41代米大統領のジョージ・H・W・ブッシュ氏の死去を受け、1989年の「マルタ会談」で、ブッシュ氏と事実上の冷戦終結を宣言した旧ソ連のゴルバチョフ元大統領は1日、インタファクス通信の取材に応じ、「ブッシュ氏は本当のパートナーだった」などと述べ、哀悼の意を示した。
 ゴルバチョフ氏は「彼とは多くの思い出がある。大きな変革の時期に一緒に働いた」とし、核軍縮や冷戦終結に向けた取り組みを振り返った。その上で「ブッシュ氏の記憶は、人々の心に長く留められるだろう」と評価した。




ブッシュはナチスの資金提供者であり、ケネディ暗殺にも関係していたようである。



(櫻井ジャーナル)さん
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201812010001/
2018.12.01

闇の世界に生きたジョージ・H・W・ブッシュが死亡(1/2)

ジョージ・H・W・ブッシュが11月30日に死亡したという。1989年1月から93年1月までアメリカ大統領を務めたが、CIAの人間でもある。1976年1月から77年1月までCIA長官を務めたというだけではなく、大学でCIAにリクルートされたと言われているのだ。
 彼は1924年6月にマサチューセッツ州で誕生、第2次世界大戦では海軍の所属し、45年9月に除隊してエール大学へ入学した。その大学でCIAの採用担当者だったボート部コーチのアレン・ワルツは海軍情報部の将校だった人物で、ブッシュと親しかったことで知られている。
 ジョージ・H・W・ブッシュの父親であるプレスコット・ブッシュは1953年から63年にかけて上院議員を務めたが、その前は金融界の人間。こうした関係からプレスコットはウォール街の弁護士だったアレン・ダレスと親しかった。言うまでもなく、ダレスは第2次世界大戦で戦時情報機関のOSSで破壊工作を指揮、ホワイトハウスとは関係なく実行されたナチス幹部の救出を目的とするサンライズ作戦で中心的な役割を果たした。大戦後はCIAのドン的な存在だ。
 プレスコットの義理の父親にあたるジョージ・ハーバート・ウォーカーはウォール街の大物で、アメリカの金融機関からナチスへ資金を流す重要なパイプ役を務めていたと言われている。なお、ジョージ・H・W・ブッシュの「H・W」はハーバート・ウォーカーのイニシャルだ。
 ジョージ・H・W・ブッシュがCIAの幹部だったことを示す文書が明らかになっている。アメリカの週刊誌、ネイションの1988年7月16/23日号でジョセフ・マクブライドが明らかにしたのである。J・エドガー・ブーバーFBI長官から国務省に出された1963年11月29日付けのジョン・F・ケネディ大統領暗殺に関係した文書に、「中央情報局のジョージ・ブッシュ氏」という記述があることを彼は見つけたのだ。ケネディ大統領が殺されたのはその1週間前だ。
 この報道に対し、CIAは「別のジョージ・ブッシュだ」と主張、信憑性を持たせようとしたのか、CIAのスポークスマンはAPの記者に対して「その人物は1963年当時、本部にいたジョージ・ウイリアム・ブッシュに間違いない」と話したのだ。ところが、そのジョージ・ウイリアム・ブッシュはマクブライドに対し、文書に出てくるブッシュは自分でないと語っている。
 フーバーが出した文書はブッシュがCIAの幹部だということだけでなく、ケネディ暗殺に関する詳しい情報を持っていることを示唆しているだ。この暗殺にCIAの破壊工作部門が関係している疑いは濃厚で、ブッシュが暗殺に関係していた可能性があるということだ。(つづく)



ブッシュはナチスやケネディ暗殺だけでなく生物兵器にも関係していたようである。



(オルタナティブ通信)さん
http://d.hatena.ne.jp/altalt555/20090701/1246472436
2009-07-01

生物兵器・豚インフルエンザを製造した故ダイアナ皇太子妃と前ブッシュ大統領一族の殺人ネットワーク

豚インフルエンザを生物兵器として開発した、
アメリカ・メリーランド州フォートデトリック陸軍生物兵器研究所は、
第二次世界大戦中から、生物化学兵器の研究開発所として、
英国のウィンストン・スペンサー・チャーチル首相から、
マスタード・ガス等の毒ガスの「注文」を受け、製造を行っていた。
毒ガス開発に熱心であったのは、チャーチルの妻クレメンタインの方であり、
英国軍内部では、チャーチルの妻は「マスタードの鬼」というニックネームを付けられていた。
チャーチルの名前にはスペンサー家の名前が入っているように、
子爵スペンサー家のダイアナ元・皇太子妃とは縁戚に当たる。
フォートデトリックの生物兵器研究所は、ロングアイランドのハリマン優生学研究所から、
生物兵器研究を引き継いだが、
この優生学研究所の創立メンバーであるハリマン一族の、エイブリル・ハリマンが、
ブッシュ一族のブラウン・ハリマン銀行の経営者でもあった。

チャーチルの後継者・息子ランドルフ・チャーチルの妻パメラは、ランドルフと離婚後、ハリマンと再婚する。
ハリマン研究所の後継であるフォートデトリックに、チャーチルが毒ガスの「注文」を行うネットワークは、
ハリマンと、チャーチル2世の「妻の共有」と言う閨閥という連携によっても継承されている。
このハリマン=パメラ=チャーチル2世の、パメラが、クリントン大統領の大統領選挙の資金責任者であり、パメラが、政治家クリントン夫妻の「生みの親」である。
このハリマン銀行専属の株式仲買人であった、バーナート・バルークは、チャーチルの親友であり、
ここでも、ハリマン=チャーチルのネットワークが生きていた。
バーナート・バルークは、核兵器原料のウラン鉱山の買収を手がけ、巨万の富を形成し、
ソ連=ロシアと、アメリカの両国にウランを売り付け、核兵器の大量生産を実行させ、現在も、人類を滅亡の危機の陥れ続けている。
バーナート・バルークは、「自分以外の人間が、核兵器原料の販売・流通を行わないように」、核物質の「国際管理」を提唱し、IAEA国際原子力機関を創立する。
バルークと、チャーチルのネットワークは、英国の核兵器開発のネットワークとなる。
チャーチルの政治家としての富は、カナディアン・マフィアのブロンフマン一族、アメリカン・マフィアのアイゼンベルグ一族の作る、スコッチ・ウィスキーを、禁酒法時代の米国で密売する事で形成された。
アイゼンベルグは、イスラエルに渡り、核兵器企業を起こし、
2009年現在、北朝鮮の核兵器を製造している。
チャーチルが、アイゼンベルグに、バーナート・バルークを紹介した「功績=罪」は大きい。
この密売ウィスキーを運搬していたのが、ギリシアの船舶王アリストテレス・オナシスであった。
ケネディ大統領が、イスラエルの核開発に反対し、イスラエルを空爆してでも核兵器開発を阻止すると決定しかかったためもあり、
ケネディは暗殺され、その財産は、アイゼンベルグ社の顧問弁護士アンドレ・マイヤーの管理下に置かれ、
ケネディの妻ジャクリーンは、アリストテレス・オナシスと再婚し、ケネディは「妻を奪われた」。
敵の財産を全て没収し、妻を奪い取り、「敵の顔に徹底的に泥を塗る」、これがマフィア戦争の掟である。


 第二次世界大戦中、アウシュビッツの強制収容所で、ユダヤ人に対し残虐な人体実験、生物・化学兵器の実験を行っていた、
「クレイジー・ドクター」の異名を持つ、メンゲレ博士は、
ヒトラーに資金提供を行っていた銀行がブッシュのハリマン銀行・ユニオン銀行であった関係もあり、
バルークと、「懇意」であった。

第二次世界大戦後、親友バルークの要請で、チャーチルは、メンゲレ逃亡の手立てを講じる。
オナシスが、アルゼンチンの農産物・資源の購入・運搬を大規模に行っていた関係で、
オナシスはアルゼンチンの独裁者ペロンと親友であった。
こうして、バルーク=チャーチル=オナシスは、ナチスの残党メンゲレを、アルゼンチンに逃亡させる事に成功する。





ブッシュは、ナチスやケネディ暗殺や生物兵器だけでなく、麻薬貿易や八百長戦争にも関係していました。安倍やアホウの爺さんも支配していました。安倍やアホウが誰の支配下にあるのかは分かりますよね。
皆さん、戦争が八百長であるという「常識」が理解できていますよね。



http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-1140.html
敵であるはずの米国が日本の軍事力の増強の中心にいた
「満州国建設及び満州アヘン密売の背後にいた勢力を探る③」


ニューズウィークはダレスのボス、ブッシュ大統領一族の経営するハリマン銀行会長エイブリル・ ハリマンが創立した雑誌であった。

ブッシュのボス、ロックフェラーが2大政党制度を強く主張し米国で民主党の絶大な支援者である事を、岸はボスの里見から教えられていた。
ロックフェラーのコピーを日本で行うよう、岸は里見から指示されていたとも言える。
岸は訪米中、ニューズウィークの編集長オットー・カーンの紹介で、戦後日本の政治家としては初めてロックフェラー三世と会談する。岸はロックフェラーの「お墨付き」を貰って来たのである。

 日本に帰国すると岸には24時間、ロックフェラーとブッシュの子分、ニューズウィーク日本支局長オンプトン・パケナムが「英語語学教師」として付き従う事になる。岸は24時間、ロックフェラーとブッシュに監視される事になる。

57年、岸は里見のアヘン資金で首相となると、6月、即座に訪米しアイゼンハワー大統領、ロックフェラー三世と会談し、日本に永久的に米軍を駐留させる事で同意する。
ゴルフ好きであった岸を会談の合間にゴルフに誘い出し、一緒にゴルフコースを回ったのは、常に祖父プレスコット・ブッシュであった。
ブッシュと岸がゴルフをしている間に、ブッシュの経営する軍事産業専門の投資会社カーライルの子会社、デュロン銀行社長ダグラス・デュロン国務次官が、日本に米軍を常駐させる日米安保条約の素案をタイプし、また日本の自衛隊に売り付ける兵器の見積もりを計算していた。

65年、里見が亡くなると、岸は恩師の死に涙を流しながら達筆な毛筆で「里見甫」と大書する。その文字がそのまま里見の墓標に刻印される事になる。

里見の資金を引き継ぐ後継者が、岸信介である事を遺族全員が認めていたからである。その岸の人脈と金脈を引き継ぎ、首相となったのが現在の安倍総理である。

・・・・・(中略)・・・・・

1842年のアヘン戦争以来、中国で行われる米国のアヘン貿易を独占して来たのは、ブッシュ大統領一族のラッセル社であった。中国大陸でブッシュ一族の行うアヘン貿易の決済も、ケミカル銀行を窓口としてオッペンハイマー一族の提供する金塊で行われていた。
ケミカル銀行は、シティバンクの経営者でもあるジェームズ・ベーカー一族の経営する銀行である。

1991年、父ブッシュがイラクと湾岸戦争を行った時の国務長官ベーカー、2007年現在のイラク戦争に協力するように、ドイツ、フランスを説得して回った子ブッシュの欧州特使ベーカー、その一族はアヘン戦争時代から、ブッシュ一族のアヘン密売のマネージャーとなっていた。

かつては、ブッシュの行うアヘン密売の決済をベーカーがケミカル銀行でマネジメントし、現在はブッシュの行う湾岸戦争とイラク戦争を、相変わらずベーカーが閣僚、特使としてマネジメントしている。


現在でも世界各地で行われる麻薬密売の決済には、南アフリカのオッペンハイマー一族が提供する金塊が使用されている。その代表的窓口となっているのが、 決して警察が立ち入る事の出来ないオフショアである、英国領バミューダの投資会社ミノルコの口座であるが、この麻薬密売の決済企業ミノルコは、ベーカー一族の経営するシティバンクの代表取締役ウォルター・リストン、シティバンクの顧問弁護士ロバート・クレアが経営している。

アヘン戦争の昔も現在も、麻薬密売の決済は、ブッシュ大統領、そしてベーカー一族の銀行シティバンクとケミカル銀行が行っている。
また現在でも、麻薬密売に使われる金塊はオッペンハイマー一族が提供しているが、カナダの金塊生産を独占するオッペンハイマーの子会社、バリック・ゴールド社の経営者が父ブッシュである。
アヘン密売人ブッシュが、オッペンハイマー一族の「子分」である事は、今も昔も変化が無い。


1900年代初頭、続々と中国大陸での麻薬密売に乗り出した里見甫など、日本の暴力団の麻薬「決済」を担ったオッペンハイマー日本支部が、横浜のブルーム一族であった。そのブルームが、つまり南アフリカのオッペンハイマー一族が、戦後日本の進路の全てを細部に渡り決定して来た。

・・・・・(中略)・・・・・

ブッシュ大統領一族は、オッペンハイマー一族の下請け人一族であり、CIAの創立資金を提供していたのが、このブッシュ大統領一族であった。
オッペンハイマーの優秀な営業マンとしての教育を、オッペンハイマーの下請け人ブッシュ一族=CIAが請け負った事になる。


当時、ヨーロッパではナチス・ドイツ=アドルフ・ヒトラーがユダヤ人を大量に殺害しその財産を奪っていた。ヒトラーがユダヤ人から奪った貴金属、金塊の販売を担当していたのが、ブッシュ一族の経営するユニオン銀行であり、ユニオン銀行のヨーロッパ支店長が後にCIA長官になるアレン・ダレスであった。
ブッシュ一族のユニオン銀行のヨーロッパ支店長ダレスが、そのままCIAのヨーロッパ支局長であった点にブッシュ=オッペンハイマー一族とCIAの一体化が読み取れる。ブルームはこのダレスによって育てられ、後にCIA日本支局長となる。

こうして見ると、CIAがブッシュ=オッペンハイマー一族の「私的」な情報収集組織=スパイ組織として発足している事が分かる。

当時、CIAヨーロッパ支局長のダレスの下には、ブルームの他に同じオッペンハイマー一族のヘンリー・キッシンジャーがいた。
ブルームは日本へのCIA工作員=スパイであり、キッシンジャーはソ連(ロシア)に対するCIA工作員(スパイ)であった。同じダレスの部下として、同じオッペンハイマー一族として、ブルームとキッシンジャーはジュネーブの地で、しばしば共に食事や個人的交友をしたであろう事が想像される。(資料が残っていないため、この点は想像である。)

スパイを養成するには子供の頃から訓練しなければならない事は、高校時代からダレスに教育されたブルームが一番知っていた。1945年、CIA日本支局長となったブルームは、日本人のCIA工作員(スパイ)となる人材を探し始める。
ブルームは、当時、日本の吉田茂首相を毎日呼び付け、日本の政治に様々な命令を下していた。ブルームはしばしば吉田茂の自宅を訪問もし、深夜まで吉田首相と会談した。その時ブルームが目を付けたのが吉田茂首相の孫であった。
ブルームは吉田首相の孫を自分の家に引き取り、子供の頃から工作員(スパイ)として徹底的に教育し育て上げる。
この吉田首相の孫が、2007年現在の麻生太郎外務大臣本人であり、日本の次期首相候補の最有力者である。


・・・・・(中略)・・・・・

ブッシュ=ダレス=ブルームは、第二次大戦中における日本の軍事力増強に全面的に協力していた。ブルームの経営する(つまりブッシュの経営する)武器密輸商「シンツィンガー・ハック」社は、日本海軍の軍艦建造に必要な軍艦部品、金属を専門に輸出していた。敵であるはずの米国が日本の軍事力の増強の中心にいた。日米戦争=日本と米国の対立・戦争は「茶番劇」であった。

一方、1930年代、米国議会に日本との戦争実行を強く働きかけていたのはブッシュの経営するハリマン銀行社長エイブリル・ハリマンであり、日本との戦争に備え米軍が兵器を大量に購入し始めると、その兵器を製造し「金儲け」に専念し始めたのもブッシュのハリマン銀行の支配下にある軍事産業であった。

日米戦争・・米国政府に武器を売り付け「金儲け」するブッシュ一族は、同時に部下のブルームを使い、日本に兵器と軍事物資(鉄鋼製品、ニッケル、チタン等の希少金属)を販売し利益を上げていた。

また、日本に鉄輸出を禁止し、米国国内での「日本との開戦論」をアオった悪名高い「ハル・ノート」の起草者コーデル・ハル国務長官は、ブッシュの顧問弁護士だった。


第二次世界大戦で日本人と米国人が戦争で殺し合う、その兵器は日米両方ともブッシュ一族が製造し、殺し合えば殺し合う程、ブッシュ一族に大金が転がり込む仕組みになっていた。

日本との戦争を開始したルーズベルト大統領の大統領選挙資金は、バーナート・バルークが大部分出資し、バルークがルーズベルトの閣僚人事の全てを単独で決定していた。この「ルーズベルト政権の独裁者」バルークは、ブッシュのハリマン銀行の社員であった。

日本への鉄輸出を禁止し、他の業者を排除し、日本への軍事用鉄鋼輸出の独占体制を作ったのがブッシュであり、その実働部隊がブルームである。


このブルームの弟子・麻生太郎が、2007現在の日本の次期首相候補である。

戦争が誰の自作自演であるか明らかである。

ブルームが日本軍に納入した兵器、軍事物資の代金は、日本政府直属の麻薬密売人、里見甫(はじめ)が全額支払っていた。日本が中国に侵略し建国した満州帝国で麻薬密売を担当し、日本の戦争資金を作っていたのが里見であった。

ブルームがブッシュの命令で日本軍に兵器を運び込み、里見が支払う。里見はブッシュ=CIA=ブルームのパートナーであった。

米国との戦争を開始した日本の東条英機内閣。その東条が総理大臣となった時の選挙資金を出していたのが、ブッシュのパートナー里見であった。

日本と戦争を始めたルーズベルトの大統領選挙資金を出していたのもブッシュ一族であった。戦争で日米に兵器を売り「金儲け」したのもブッシュであった。

戦争が誰の自作自演であるか、極めて明確に出ている。


1840年、アヘン戦争で英国が勝利すると、中国での麻薬売買が急速に拡大する。この麻薬密売を担当したのが青パンと呼ばれる中国マフィアである。不思議な事に、この青パンは麻薬代金を手形で支払っていた。手形は支払期限が来るまで現金に出来ない。しかしインド等から麻薬を密輸してきた船舶会社、密輸人は、すぐに手形を現金化して再び出航したい。そこで、この手形を支払期限前に買い取り現金化し、手数料を取る(手形の割引)銀行が必要になる。しかし相手は中国マフィアであり、手形の支払日に中国奥地に逃亡し、または暴力で支払いに抵抗して来る可能性がある。従って、この手形を現金化する銀行は中国マフィアのボスとして中国全土を監視下に置き、マフィアの逃亡を許さず、しかも「力づく」でマフィアに支払いを強制出来る中国マフィアの支配者=帝王でなければその任務は務まらない。この手形銀行がブッシュ一族のハリマン銀行であった。

ブッシュ一族は、中国の闇社会の帝王として君臨する独裁者一族であった。

日本の満州帝国の支配人=資金の元締めである里見は、このブッシュ一族の麻薬ネットワークの一部を担っていた。中国麻薬密売におけるブッシュのパートナー里見。そしてCIA経営者ブッシュの部下ブルーム。この2人が日本軍の軍事力を作り上げていた。

そして里見の麻薬ビジネスのパートナーには、後にイスラエルを建国し、世界最強のスパイ組織モサドを創立するショール・アイゼンベルグがいた。

2007年現在、ブッシュ大統領が「イスラエルを中心に世界を統一する」=NWOニューワールドオーダー=新世界秩序を作ると主張する理由がここにある。

また、里見の部下には右翼の大物で、後に中曽根康弘元首相の総理大臣選挙資金源となる児玉誉士夫がいた。児玉は戦後CIA日本エージェント=工作員となる。従って国鉄を民営化しJRを作った中曽根元首相は、CIAの対日本工作資金で首相になった事になる。

また、児玉は自民党の創立資金を出資した人物であり、自民党がCIAの対日本工作として、CIAの下部組織として創立された事が分かる。

また、里見の麻薬密売組織の部下には、吉田茂(後に自民党総理大臣、2007年現在の外務大臣麻生太郎の祖父)、佐藤栄作(後に自民党総理大臣)、池田勇人(後に自民党総理大臣)、岸信介(後に自民党総理大臣、2007年現在の安倍晋三首相の祖父)がいた。

日本の自民党と歴代総理大臣がCIAの対・日本工作として「作り出され」て来た歴史が、この中国麻薬密売組織の中に明確に浮かび上がって来る。






<追加>
併せて、ブッシュ親子が「911犯罪」に関わっていることを証明する過去記事のリンクを貼っておきます。こいつらを悪魔と呼ばないで誰を悪魔と呼ぶのでしょう・・・


http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-1199.html
戦争をすることは決まっていて、後は攻撃を正当化する情報を見つけるだけだったのです
「パパブッシュが連邦議会で行った『新世界秩序へ向けて』のスピーチの日も『9.11』だった」








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