歴史・宗教 - 嘘八百のこの世界

嘘八百のこの世界

この世界の真実を追究して行くための読後評を中心に書いていきます

HOME プロフィール 真実を追究するマロン

ソウルマンの娘のマロンです。お散歩大好きです。 

最新記事 最新コメント 最新トラックバック 月別アーカイブ カテゴリ
ランキング
にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村 ポチッと押してもらえると、明日への活力となります↑
ロック
頭脳警察、PANTA
RCサクセション、忌野清志郎
ブラック・ミュージック
広告
歴史・宗教 カテゴリーの記事

「日本から満州に来た官僚の中で一番悪いのは岸信介だ」by 小澤開作

「「共謀罪」推進派と反対派の不思議な関係」



(リテラ)さん
http://lite-ra.com/2017/04/post-3097.html
小沢健二の父・小澤俊夫が共謀罪と安倍政権批判! オザケン自身も権力の詐術を暴く鋭すぎる論評
2017.04.22

オザケン父が「岸の末裔が首相では日本に未来はない」

「共謀罪」法案が、ついに衆院法務委員会で実質審議入りした。政府はテロ対策のための「テロ等準備罪」などと嘯いているが、その実態は権力による恣意的な逮捕を可能にする「平成の治安維持法」であることは自明で、公権力による監視社会化をよりいっそう加速させるものだ。当然ながら、この法案には反対の声が相次いでいるが、そんななか、ある人物の発言が話題を呼んでいる。
 その人物とは、ドイツ文学者の小澤俊夫氏。指揮者・小澤征爾の兄であり、ミュージシャン・小沢健二の父である。
 俊夫氏は、今月3日付「日刊ゲンダイDIGITAL」のインタビューのなかで、治安維持法が存在した戦前のことを思い返しながら、「共謀罪の対象になるのは犯罪を企む集団であって、一般人は関係ないというが、普通の団体も質が変われば、対象になると言っているわけでしょう? その判断を下すのは警察でしょう? 正しいことでも警察がダメだと言えば、アウトになる。これが戦前の治安維持法の怖さだったんだけど、同じ懸念があります」と発言。権力による恣意的な解釈で、言論の自由などが著しく制限される可能性を危惧した。
 俊夫氏による政権批判はこれだけにとどまらない。俊夫氏は1930年に旧満州で生まれているが、父である小澤開作は宣撫工作に従事するため満州に渡るも、後には「華北評論」という雑誌を創刊させ、戦争に対して反対の意見を表明するようになっていった人物だった。「1940年、皇紀2600年で日本中が浮かれているときに、「この戦争は勝てない」とハッキリ言い」「軍部批判を強烈にやる」開作のもとには、思想憲兵や特高が毎日のように家に来ていたという。
 さらに、俊夫氏はそんな父からこんなことを言われたことがあるとインタビューのなかで語る。
親父は「日本から満州に来た官僚の中で一番悪いのは岸信介だ」と言っていました。「地上げをし、現地人は苦しめ、賄賂を取って私財を増やした」と。だから、岸が自民党総裁になったときに「こんなヤツを総裁にするなんて、日本の未来はない」とハッキリ言った。その岸の末裔が首相になって、日本は本当に未来がなくなっちゃったね

http://lite-ra.com/2017/04/post-3097_2.html
オザケン祖父の「一番悪いのは岸信介だ」の意味

 岸信介が満州の官僚へ転出したのは1936年のこと。彼が自らの「作品」と呼んだこの傀儡国家で民衆が傷つき苦しんだ一方、岸は“3つの財産”を手に入れる。統制経済による国家経営のノウハウ、東条英機(当時、関東憲兵隊司令官)を筆頭とする関東軍人脈、そして湯水のごとく使える金脈だ。そして東条英機を首相にまで押し上げたのは岸の資金力だと、多くの研究者が指摘している。その資金源とされるのが、アヘン取引による利益だ。
 戦後、国際検察局(IPS)に逮捕された、中国の「アヘン王」こと里見甫の尋問調査によれば、アヘンは満州国で生産され、北京と上海を中心に消費されていったが、その流れを管轄していたのが日本であったという。当時の満州国は表向きはアヘン吸飲を禁じていたが、満州専売局を通して登録者に販売できるシステムを採っていた。事実上、野放しだ。にもかかわらず一方で売買が禁止されているため、価格は吊り上げ放題で、巨額の利益が上がる仕組みになっていた。
 こうしたシステムを動かしていたのが、岸ら満州官僚であり、ここから吸い上げられたカネが対米主戦派の東条英機を首相に就任させる原動力になっていたという構図である。岸らは莫大なアヘンマネーを、国家経営や戦争遂行、謀略工作に回す一方、一部を私的に着服していったという。
 岸はこういったアヘン政策について否定しているが、前述した「アヘン王」里美の墓碑銘を揮毫したのはほかでもない岸であり、これは里美と岸が浅からぬ関係であったことを端的に示している。

 
 当時満州にいた開作はこうした事実を指して、俊夫氏に「日本から満州に来た官僚の中で一番悪いのは岸信介だ」と語ったのだろう。そして現在、その孫が政権トップに就き、祖父そして日本の戦争責任を省みるどころか歴史修正に励み、祖父の悲願であった改憲に妄執している。
 
 俊夫氏は自身の専門であるドイツと比較しながら、安倍首相の歴史修正主義についてもこう批判する。
「彼は過去の罪と向き合っていない。きちんと過去を見つめ、謝罪する勇気がない。それで未来思考などと言ったところで誰が信じますか。積極的平和主義とは過去を反省し、その姿勢をしっかり、中国、韓国に示すことですよ。ドイツは強制収容所を堂々と残している、世界に自分たちが犯した罪はこれだと宣言している。強いよねえ。(略)世界の中での日本が見えていないという意味で、安倍首相はレベルが低すぎると思います」

http://lite-ra.com/2017/04/post-3097_3.html
また、オザケンの社会批評で秀逸だったのは、2012年、彼の公式サイト「ひふみよ」に掲載されたエッセイ「金曜の東京」だ。デモが日常的な風景としてある海外の都市と東京とを比較して、こんなことが書かれていた。
〈むしろ訪れて怖いのは、デモが起こらない街です。いわゆる独裁者が恐怖政治を敷いている街では、デモは起こりません。そのかわり、変な目くばせが飛び交います。
(中略)
 デモが起こる都市より、デモが起こらない都市の方が怖いです〉
〈東京も割とデモが起こらない都市で、デモの起こるニューヨークやメキシコシティーから帰ると、正直言って不思議というか、中東の王国を訪れた時のような、ちょっとした緊張感がありました。
 抗議するべき問題がないからデモがないのか。それともどこかの王国のように、心理的に、システマティックに抑えこまれているのか。何か他の理由があるのか〉
 さらに、オザケンが鮮やかだったのは、権力側やネトウヨ、中立厨などがこうしたデモや反対運動に対してよく使う「対案を出せ!」という言葉の本質を暴いて見せたことだ。オザケンは、この言葉を、人間管理や心理誘導のための単なる説得テクニックにすぎないと言い切ったのだ。
〈イギリスは人間管理とか心理誘導の技術にとても長けていて、サッチャー首相の頃、八〇年代にはTINAと呼ばれる説得論法がありました。"There Is No Alternative"の略。訳すと「他に方法はない」ということ。「他に方法はあるか? 対案を出してみろ! 出せないだろう? ならば俺の方法に従え!」という論法の説得術〉
 "There Is No Alternative"は安倍首相の「この道しかない」にも通じる論法だが、オザケンはこのレトリックのおかしさをこんなふうに暴いてみせるのだ。
〈医者に通っていてなかなか治らないとします。患者は文句を言います。「まだ痛いんですよ! それどころか、痛みがひどくなってます! 他の治療法はないんでしょうか?」と。
 それに対して医者が「他の治療法? どんな治療法があるか、案を出してみろ! 出せないだろう? なら黙って俺の治療法に従え!」と言ったら、どう思いますか?〉

http://lite-ra.com/2017/04/post-3097_4.html
「対案を出せ!」という論法への鋭すぎる反論

 そう、治療法を考えるのはあくまで医者の仕事であって、治らなければ医者を変えたり、別の治療法を試すのは当然のこと。患者は「痛い!」とただ切実に訴えればいい。その訴えを真摯に受け止めることで「医学の進歩」はが生まれる。そして、これは社会問題に対峙するときも同じだとオザケンは続ける。
同じように、社会をどうするか考えるのが職業の人は、人の「痛い!」という切実な声を聞いて、心を奮い立たせて問題に取り組むのが正しいはずです。
 なのに一般の人が「この世の中はヒドイ! 痛い!」と声を上げると、「じゃあお前ら、対案は何だ? 言ってみろ! 対案も無しに反対するのはダメだ!」と押さえつける政治家とか専門家とか評論家とかがいるのは、むちゃくちゃな話です

 一般市民がすべきことの一つは、「この世の中はヒドい! 痛い!」と声を上げること。対案を出す必要などない。「対案を出せ」と主張する者たちは、自分こそ頭がよくて社会のことがわかっているとでも思い込んでいるようだが、それは実のところ為政者の都合のいいレトリックにだまされているに過ぎない。それを見抜き言い当てていた小沢健二の知性はさすがとしか言いようがない。
 
 同時代に同じ満州にいた、岸信介と小澤開作。それぞれの孫の知性のあまりの差にため息しか出ないが、しかし、やはり惜しいと思うのは、父・俊夫氏と同様、その言葉がメジャーなメディアに一切出てこないことだ。
 オザケンのコマーシャリズムに対する拒否姿勢はわからなくもないが、しかし、こんな時代だからこそ、大衆的なメディアに積極的に露出し、その本質を射抜く言葉を拡散させていくことも必要なのではないか。次はオザケンが「共謀罪」について語ってほしい。今年はフジロック出演も予定されるなど、これまでよりはメディア露出もあるだけに期待したい。
(編集部)





このリテラの記事を見て、私は二つのことを感じた。
一つは、「全くその通りだ」と。
小沢健二が「この世の中はヒドい!痛い!」と声を上げるべきだと主張していること。
小澤俊夫が安倍の爺さんである岸信介のことを批判していること。
岸が満州で麻薬の元締めをしていたことにも言及していること。
ただ、岸のアヘン利権の裏にあった「彼ら」の存在に触れていないことは残念だが。
まぁ、このあたりを「通常ジャーナリズム」に求めるのは無理があるだろうが・・・
この件については、過去に記事にしている


http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-1010.html
「彼ら」が本当にされて困ることは何か?(「あやつり人形」PANTA)
「恐るべき“あやつり人形”の系譜、岸信介から安倍晋三へ」



もう一つは、「一種の不可解さ」である。
その原因となる記事です。


http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-358.html
笑っていられないとも
「「笑っていいとも」出演で安倍が自ら暴露する日本支配者層の闇の血族支配の実体」




皆さん、私が「一種の不可解さ」を感じた理由が分かりましたでしょうか。
それは、この記事に登場した小沢健二と安倍の関係についてである。
小沢健二はデモを支持し、権力の詐術を訴えることで、
暗に安倍政治を批判しているのである。
それだけなら「勇気をもって政治的発言のできるミュージシャン」と評価できるのだが、
暗に安倍政治を批判している小沢健二と安倍は「いい友」であるようなのだ。
安倍に「笑っていいとも」への出演の紹介をしたのは小沢健二なのだ。

小沢健二は、安倍に番組出演依頼をするほど安倍と“マブダチ”の関係なのだ!

であるにも関わらず、暗に安倍政治を批判しているのである。
仲が悪くなったのだろうか?
それとも、単に交友関係以上に政治意識が強い人間なのだろうか?
そもそも、安倍と小沢健二は何故に親交があるのだろうか?
やはり、あの繋がりなのだろうか?
安倍が「笑っていいとも」出演によって自ら暴露した、
特殊な人脈を基盤とした繋がりなのだろうか?

小沢健二の母方の曽祖父は、エネオス元社長の下河辺建二である。
下河辺建二は、ニッサン創業者の鮎川義介の下で働いていた。
鮎川義介は、弐キ参スケの一人である。
当然、岸信介と繋がっている。

次に、小沢健二の父方の祖父である小澤開作を、ウィキで見てみる。



小澤 開作(おざわ かいさく、1898年12月25日 - 1970年11月21日)は、日本の歯科医師、民族主義者。
山梨県出身。東京歯科医専(現・東京歯科大学)卒。宣撫工作に従事するため満州・長春へ赴任。1928年に満州青年聯盟を、1932年に満州国協和会を結成し、さらに1937年には中華民国新民会を結成して活動した。戦後、しばらく歯科業を離れていたため、他の業種に携わるも上手く行かず、結局、神奈川県川崎市で歯科医院を開業した。
満州事変の立役者であった板垣征四郎と石原完爾とは同志であり、第三子には両者の名を取って征爾と名付けた。満州での立場は満州国を日本の植民地や傀儡国家としてではなく、五族協和の王道楽土として実現させようとする熱烈な理想主義者であった。宣撫官の最高責任者であった八木沼丈夫とは、中国人を同胞として尊重しようという部分では一致していたものの、細部において理念が異なったため、関係は険悪であった。また息子の俊夫によると「日本から満州に来た官僚の中で一番悪いのは岸信介だ」「地上げをし、現地人は苦しめ、賄賂を取って私財を増やした」だから、岸が自民党総裁になったときに「こんなヤツを総裁にするなんて、日本の未来はない」と語っていたと述べている。1940年に雑誌『華北評論』を創刊、日中戦争の非を唱える。



これまた、岸信介とは満州繋がりである。
さらに、小澤開作は満州事変の立役者であった板垣征四郎と石原 莞爾とは
同志であった、とのことである。
石原 莞爾については過去に書いている。


http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-1645.html
『現代人が理解しておかなければならない太平洋八百長戦争講話』
「太平洋八百長戦争の真相を追う<石原莞爾・箕作 元八・松岡 洋右 篇>」




石原完爾と繋がりのある小澤 開作は、とても信用することはできない。
小澤 開作が岸信介を批判したのは、仲たがいしたからなのか?
それとも、「彼ら」の得意技である「対立構造を演じるため」なのか?
安倍とSEALDsが対立する素振りをしていたように。
SEALDsの役割が小沢親子に代わったのか?
役割交代の割には役者不足のような気がするが・・・

ところでSEALDsは今何をしているのか?
安倍が共謀罪を強行しようとしているこの一番大事な時に。
解散したにしても、この大事な時ぐらい再結成しろよ!
“対立ごっこ”を演じるのなら、最後まで演じろよ!

安倍と小沢健二が“マブダチ”であるのも、
岸信介と小澤開作&下河辺建二の繋がりから生じたものではないのだろうか。
この関係以外にこの二人が親交を持つきっかけは思いつかないのだが・・・

平成の治安維持法とも呼ばれる共謀罪を成立させるために、
共謀罪推進派と共謀罪反対派が「共謀」しているのだろうか?
ある計画をする際に賛成派と反対派を自ら作り出すのは、「彼ら」の常套手段である。
小澤俊夫の岸信介批判も、小沢健二が暗に安倍政治を批判したのも、
すべて台本が用意されていたクサい猿芝居なのではないのだろうか?

まさかそんなことはないだろうが、
それならば何故に小沢健二は安倍を笑っていいともに紹介したのだろうか?

このような疑問が残るわけだが、今はそんなことは言っておられない。
安倍は、連休明けにも共謀罪を衆院通過させるつもりらしい。
とにかく共謀罪なんてヤバイものが成立してしまえば大変なことになる。
あの暗い時代の治安維持法の再現の恐れがあるのである。
「本当のこと」を語る人間が目をつけられ、
安倍独裁政権が確立してしまうかもしれないのだ。
このブログに限らず、真実告発系のブログは消されていくのかもしれない。
大衆は、新聞・テレビの嘘情報しか入手できなくなるかもしれないのだ。
「一般人は対象にならない」なんてのは、嘘であることがバレてきている・・・
「東京オリンピックのテロ対策」なんてのも、嘘であることがバレてきている・・・




https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/204125
安倍政権が法務委で次々“本音” 共謀罪の正体が見えてきた
2017年4月22日

やっぱり、そういうことか――。21日、「共謀罪法案」を審議した衆院法務委員会。安倍政権の“ホンネ”が次々とあらわになった。

 これまで安倍首相や金田勝年法相は「一般の人は対象にならない」と強調してきた。ところが、盛山正仁法務副大臣が「一般の人が処罰の対象にならないことはないが、ボリュームは大変限られている」と言ってのけたのだ。


https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/204176/2
共謀罪の本質バレた 法務省“見解不一致”露呈で官邸大慌て
2017年4月24日

 実際、23日のNHKの日曜討論で自民党・茂木敏充政調会長は、「一般の市民や団体の捜査は全く対象とならない」と“火消し”に躍起だった。

■野党には法案成立阻止の“突破口”

 共謀罪法案に詳しい小口幸人弁護士が言う。

そもそも一般の人かどうかは、特定の人を調査や捜査をしてみないとわからないことです。“一般の人は捜査対象にならない”という説明がウソだったのです

 野党はマトモな議論の“突破口”をつかんだ。副大臣と政務官を攻めればいいのだ。さて、官邸は金田法相に続いて、「副大臣・政務官隠し」までするのか。そうなれば法案審議の異常さがクローズアップされ、国民も違和感を覚えるだろう。政府・与党が画策する“連休明け採決”などもってのほかだ。


https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/204262
時系列つじつま合わず 「東京五輪開催に不可欠」は大ウソ
2017年4月25日

政府は、共謀罪はテロ対策に必要だと強調しています。実際、法案提出理由にも「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団による実行準備行為」を処罰するためだと明記されています。東京オリンピックを無事に実施するためにも不可欠だと訴えています。しかし、共謀罪がテロ対策だという説明には数多くの疑問符がつきます。

 2020年の東京オリンピックの招致活動が始まったのは、2011年6月17日です。この日、石原都知事(当時)が立候補を表明しました。東京開催が決まったのは、2013年9月7日です。

 共謀罪はご存じの通り、2003年、2004年、2005年と3回にわたり国会に提出されました。オリンピック対策でないことは、この時系列から明らかです。


 なお、日本では2000年に沖縄サミットが、2008年に洞爺湖サミットが、2016年には伊勢志摩サミットがそれぞれ実施されましたが、サミット実施のために共謀罪が必要という話は、まったく登場しませんでした。そしてご存じのとおり、テロも起きずにサミットは無事実施されています。

 テロ対策のために共謀罪が必要だというのは、理屈が通りません。



ポチッと押してもらえると、明日への活力となります
にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村

ヴァチカン~イエズス会~ルター~ヴェネチアの黒い貴族~メディチ家~イルミナティ

「ルネサンスとは何だったのか」塩野七生


2007年の書である。以下、一部引用する。


*「メディチ家ですか」
「いえ、メディチ家の繁栄は15世紀になってから。それなのにフィレンツェのルネサンスは、明らかに14世紀からはじまっている。メディチ家台頭のずっと以前から、フィレンツェの経済力は強大化していたのです。
フィレンツェ経済の二大支柱は何かと問われれば、金融業と織物業と答えるしかありませんが、経済も学芸同様に明快な分類は不可能なのが、フィレンツェ経済の特色なのです。まずバルディ、次いでペルッツィというフィレンツェの二有力家系が手を広げていた分野は、金融業、手工業、通商と広く、これではもはや財閥とするしかない。クライアントもヨーロッパ全土におよび、イギリス、フランス、ナポリの各王家に法王庁が最大顧客であったのです。バルディ家の融資がなければイギリス王もフランス王も戦争ができなかったくらいで、融資への担保は王領の関税。これでも破産は免れなかったのだから、王様への融資はハイリスク・ハイリターンだったのでしょう。しかし、これら当時のエコノミック・アニマルこそが聖フランチェスコの支持者であり、ルネサンス絵画のファースト・ランナーであるジョットーに、活躍の機会を与えることになる。フィレンツェのサンタ・クローチェ教会内にあるバルディ家の礼拝堂は、聖フランチェスコの生涯を描いたジョットーの傑作で埋まっています。もしかしたら、フィレンツェが経済大国であった時代は14世紀で、15世紀になると政治の成熟を迎える、としてよいかもしれません」

レオーネ10世(1513-21年)~俗名はジョバンニ・デ・メディチ。
「偉大なるロレンツォ」の次男。フィレンツェ出身。メディチ家の学問芸術への愛を、ヴァチカンにもちこんだ人。

・・・・・(中略)・・・・・
メディチ法王は、これまた父ゆずりの古代の美術品の収集にも熱心だった。この法王から、遺跡発掘の総責任者に任命されたラファエッロの指揮下、ローマでははじめての本格的な発掘作業が行われる。現在のヴァチカン美術館所蔵の古代美術は、レオーネ10世が音頭をとってはじまった、そしてそれ以後も歴代の法王たちに受け継がれた、遺跡発掘作業の成果であり、古代のギリシアやローマを異教の世界と断じて忌み嫌っていた中世のキリスト教世界も、その本山であるローマの法王庁においてすら完全な過去になったことを示している。
・・・・・(中略)・・・・・
しかし、ルネサンスの花をローマで咲かせるのは、膨大な資力を必要とすることでもあった。とはいえ、メディチ銀行が倒産することでメディチ財閥も解体した状態では、私財を使おうにもそれがない。法王レオーネは、免罪符なるものを売り出すことを考えつく。金貨を入れてチャリンと音がすると、入れた者の死後の天国の席は予約完了というわけ。このようなことに欺かれるイタリア人はいなかったが、ドイツの素朴な善男善女は騙されたのである。もちろん、天国の席の予約代金はローマに送られ、ミケランジェロ設計の聖ピエトロ大寺院やラファエッロ描く傑作や、レオーネ10世の華麗な生活に化けたのである。これに憤慨したのがマルティン・ルターで、ルターは法王に抗議し、プロテスタントたちはローマのカトリック教会からの分離を宣言した。狂信的なところはまったくなかったレオーネ10世だったが、ルターを破門に処すことでプロテスタント運動の失墜を謀るが失敗。キリスト教世界を二分する宗教改革が、ついに火を噴いたのであった。ラファエッロの死の年である1520年は、ローマの法王庁にとっても多難な年であったのだ。

十字軍とはそもそも、人口が増加したヨーロッパに増えた人口を養っていける余地がなく、食べていけなくなった人々が武器を手にどっとパレスティーナにくりだしたのが発端ですが、単なる難民では意気があがらない。このような場合は必ず理論武装が求められるもので、宗教はこのようなことにはすこぶる適しているときている。ヨーロッパの難民はそれを、聖地奪回に求めたのです。キリスト教の聖地を異教徒イスラムの手から奪回するのは神が求めていることであり、その神の意に従うのがキリスト教徒のつとめである、と。





(管理人)
著者の書を読むきっかけは、イタリア旅行に行ったことにある。
旅行中に「銀色のフィレンツェ~メディチ家殺人事件」を読み、
けっこう面白かったので、本書を読んだのである。
「銀色のフィレンツェ~メディチ家殺人事件」を読んでいた時は、著者が女性であることも知らなかった。
当時のフィレンツェの情景が目に浮かんでくるかのような巧みな文章を読み進めるにつけ、
「著者は本当に日本人なのだろうか」とさえ感じさせられたものである。
著者は、イタリア人以上にイタリアの歴史に詳しいのである。
イタリアに関する知識が並大抵でないことと女性であることから、ある人の存在が目に浮かんだ。
ローマのコロッセオ及び歴史地区を案内してくれたガイドさんである。
私のようないい加減な男には決してできない
“真剣に歴史と取り組むことによってもたらされた知識に基づいた仕事ぶり”には、驚かされるばかりである。

ところで、本書で私が一番注目したのは、メディチ家とヴァチカンの関係である。
レオーネ10世は、メディチ家の人間であり、ローマ法王でもあった人間である。

これって許せるのだろうか?

メディチ家は銀行業(両替商)で成功した大財閥である。
かたやヴァチカンは、信者に金貸しを禁じているキリスト教の大本山である。
この相反するはずの存在であるべきメディチ家とヴァチカンが、結託しているのである。
しかも、フィレンツェ経済とヴァチカンの結託は、レオーネ10世に始まったことではない。
メディチ家以前からヴァチカンは、バルディ家ペルッツィ家と密接に繋がっていたのである。

つまり、こういうことだ。

ヴァチカンはキリスト教徒に対しては金貸しを禁じていたくせに、
自分たちは金貸しと結託していたのである。

前回記事じゃないけれど、「言っていることとやっていることが滅茶苦茶」である!
これが、キリスト教総本山のヴァチカンの正体である。

また、「現在のヴァチカン美術館所蔵の古代美術は、レオーネ10世が音頭をとってはじまった」とのことである。伊太利亜見聞録にも記したが、「何故にキリスト教とは関係のないローマ時代等の古代美術がヴァチカンに展示されているのだ」と、実際にヴァチカン美術館を訪ねて感じた。

イエズス会が設立される前から、
ヴァチカンは本来のキリスト教の教えとは関係のない存在になっていたのだ。

かといって、本来のキリスト教が善良な宗教であったなどと言うつもりはないが・・・
さらには、あの悪名高き免罪符を考え出したのも、レオーネ10世だったのだ。
これは、メディチ家がキリスト教を単なる金儲けのツールとして利用していた証拠だろう。

ところで、私は以前「イエズス会もルターもヴェネチアの黒い貴族が生み出したものだ」という重要事実を告発した太田龍氏の書を紹介した。
本書の記述により、下記のことが新たに証明されたこととなる。

ヴァチカン~イエズス会~ルター~ヴェネチアの黒い貴族~メディチ家
これらがすべて繋がっているという驚愕の事実が。

イエズス会とイルミナティが繋がっていることも、分かっている。
ということは、下記の繋がりも証明されたようである。

ヴァチカン~イエズス会~ルター~ヴェネチアの黒い貴族~メディチ家~イルミナティ

いやはや、この時代からすでに、この世界は嘘八百であったようですナ・・・



評点:60点





ポチッと押してもらえると、明日への活力となります
にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村

『光明思想』って『イルミナティ思想』って意味じゃないのか?!

「悪魔(カルト)に支配された国家」


まずは、こちらをどうぞ↓
http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/you/news/post_128575/

「本物のメディア」であるテレビ東京が、頑張ってくれている。
ここで重要なことは、森友事件が1本のどす黒い線で繋がっていることである。

「籠池~安倍~麻生~稲田他安倍内閣のメンバーほぼ全員~松井~橋下~日本会議~
生長の家」というどす黒い線で。

この国家がカルトに支配されていることが、ここに立証されているのだ!

「生長の家」の創始者である谷口 雅春をウィキで見てみた。




早稲田大学を中退して大本の専従活動家になっていた谷口は、出口王仁三郎の『霊界物語』の口述筆記を任せられたり、機関紙の編集主幹などを歴任するなど、教団内で嘱望されていたが、1922年(大正11年)の第一次大本事件を期に、浅野和三郎に従って大本から脱退。浅野が旗揚げした『心霊科学研究会』で宗教・哲学的彷徨を重ねていたが、当時流行のニューソート(自己啓発)の強い影響を受け、これに『光明思想』の訳語を宛てて機関紙で紹介した。

第二次世界大戦期に急速に右傾。国家主義・全体主義・皇国史観・感謝の教えを説いた。こうした教えを記述した雅春の著作は、信徒間で「愛国聖典」と呼ばれた。「皇軍必勝」のスローガンの下に、金属の供出運動や勤労奉仕、戦闘機を軍に献納するなど、教団を挙げて戦争に協力した。なお当時の信者には、高級軍人の家族が多くいた。

“大東亜戦争(太平洋戦争)に敗れたのは飽くまでも無明(まよい)と島国根性に凝り固まった「偽の日本」であって、本当の「神洲日本国」は敗れたのではない”と七つの灯台の点灯者の神示などで主張した。
また日本国憲法を“連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が日本を弱体化する為に日本に押し付けた無効の憲法であるので、即時に破棄して大日本帝国憲法(明治憲法)に復元しなければならない”と説き、「明治憲法復元運動」を起こした。その一環として時の首相・福田赳夫に日本国憲法無効宣言をするように提言した。著書『“諸悪の因”現憲法』(1972年)では以下のように記している。

諸悪は悉く、占領憲法の各条項が、日本国家を(中略)愛国心の勦滅と、家庭破壊と、性頽廃とにより、やがては自滅の道をたどらざるを得ないように意図して起草されたるその目的の漸進的病毒の進行というほかはない — “諸悪の因”現憲法

1974年(昭和49年)には円覚寺貫主・朝比奈宗源の呼びかけを受け、宗教界の復古主義団体「日本を守る会」(「日本を守る国民会議」と共に現在の日本会議の前身の一つ)を結成。しかし明治憲法復元運動は未完のまま、1985年(昭和60年)に生長の家総本山のある長崎で亡くなった。





恐るべきカルト宗教である。あの戦争に「協力」したとのことである。
明らかに谷口は、「彼ら」の配下で八百長戦争を遂行した「協力者」であるようだ。
「生長の家」が日本会議の前身であることも、ここに記されている。
そして一番注目すべきことは、谷口があの大本教の出身であることだ。
大本教及び出口 王仁三郎の正体を理解していたら、
こいつらカルトのご主人様が何者であるかということが見えてくるだろう。

『光明思想』って『イルミナティ思想』って意味じゃないのか?!

どうやら今回の森友事件の背後には、「彼ら」悪魔勢力がいることが証明されてしまったようである。
安倍の背後にあるのは統一教だけではないようである。
まぁこれらのカルト宗教は名称が違うだけで、同じ組織に操られているのだろうが。
この国が悪魔(カルト)に支配されているということは、間違いないようである。




http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-303.html
出口王仁三郎→日月神示→スウェーデンボルグ→ニューエイジ・フリーメーソン
「天の叡智」日月神示 ミクロの道は悪を抱き参らせてこそ進む
中矢伸一

「ハカイダー」明治政府→「ハカイダー」日本”破壊”会議

「「仏教・寺・仏像破壊」→「武士道・城破壊」→「神道・神社破壊」→「日本破壊」」




先日12050913tahaさんから「明治政府は、無理やり神社の数を減らして、多様な思想と自然を減らしたようです。」というコメントをいただいたので、少し調べてみました。
“学校が教えない”明治政府による日本の宗教・伝統文化財の破壊の数々を、記しておきます。
まずは、ご指摘の「神道・神社破壊」から。
ウィキより抜粋する。




神社合祀(じんじゃごうし)とは、神社の合併政策のことである。神社整理ともいう。複数の神社の祭神を一つの神社に合祀(いわゆる稲八金天神社)させるか、もしくは一つの神社の摂末社にまとめて遷座させ、その他の神社を廃することによって、神社の数を減らすというもの。主に明治時代末期に行われたものをさす。

神社合祀の目的は、神社の数を減らし残った神社に経費を集中させることで一定基準以上の設備・財産を備えさせ、神社の威厳を保たせて、神社の継続的経営を確立させることにあった。また、教派神道は宗教として認めるが、神社は宗教ではなく「国家の宗祀」であるという明治政府の国家原則(宗・政・祭体制)に従って、地方公共団体から府県社以下神社に公費の供進を実現させるために、財政が負担できるまでに神社の数を減らすことにもあった。

神社合祀政策は1906年(明治39年)の勅令によって進められ、全国で1914年までに約20万社あった神社の7万社が取り壊された。特に合祀政策が甚だしかったのは三重県で、県下全神社のおよそ9割が廃されることとなった。和歌山県や愛媛県もそれについで合祀政策が進められた。しかし、この政策を進めるのは知事の裁量に任されたため、その実行の程度は地域差が出るものとなり、京都府では1割程度ですんだ。




次に、「仏教・寺・仏像破壊」である。
ウィキより抜粋する。



廃仏毀釈(廢佛毀釋、排仏棄釈、はいぶつきしゃく)とは、仏教寺院・仏像・経巻を破毀し、僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃することを指す。「廃仏」は仏を廃し(破壊)し、「毀釈」は、釈迦(釈尊)の教えを壊(毀)すという意味。日本においては一般に、神仏習合を廃して神仏分離を押し進める、明治維新後に発生した一連の動きを指す。

大政奉還後に成立した新政府によって慶応4年3月13日(1868年4月5日)に発せられた太政官布告(通称「神仏分離令」「神仏判然令」)、および明治3年1月3日(1870年2月3日)に出された詔書「大教宣布」などの政策をきっかけに引き起こされた、仏教施設の破壊などを指す。
神仏分離令や大教宣布は神道と仏教の分離が目的であり、仏教排斥を意図したものではなかったが、結果として廃仏毀釈運動(廃仏運動)と呼ばれた破壊活動を引き起こしてしまう。神仏習合の廃止、仏像の神体としての使用禁止、神社から仏教的要素の払拭などが行われた。祭神の決定、寺院の廃合、僧侶の神職への転向、仏像・仏具の破壊、仏事の禁止などが見られた。1871年(明治4年)正月5日付太政官布告で寺社領上知令が布告され、境内を除き寺や神社の領地を国が接収した。
例えば千葉県の鋸山には五百羅漢像があるが、全ての仏像が破壊された。現在は修復されているが、羅漢像には破壊された傷跡が残っている。また、華族の墓地も仏教方式から神道方式へと変更させられた。
伊勢国(三重県)では、伊勢神宮のお膝元という事もあって激しい廃仏毀釈があり、かつて神宮との関係が深かった慶光院など100ヶ所以上が廃寺となった。特に、神宮がある宇治山田(現伊勢市)は、寺院の数が300近くから15近くにまで減らされている。その為、全国平均に較べて古い建物の数自体が少なくなっている。
明治政府は神道を国家統合の基幹にしようと意図した。一部の国学者主導のもと、仏教は外来の宗教であるとして、それまでさまざまな特権を持っていた仏教勢力の財産や地位を剥奪した。僧侶の下に置かれていた神官の一部には、「廃仏毀釈」運動を起こし、寺院を破壊し、土地を接収する者もいた。

廃仏毀釈が徹底された薩摩藩では、寺院1616寺が廃され、還俗した僧侶は2966人にのぼった。そのうちの3分の1は軍属となったため、寺領から没収された財産や人員が強兵に回されたと言われることもある。
美濃国(岐阜県)の苗木藩では、明治初期に徹底した廃仏毀釈が行われ、領内の全ての寺院・仏壇・仏像が破壊され、藩主の菩提寺(雲林寺)も廃され、現在でも葬儀を神道形式で行う家庭が殆どである。




次に、「武士道・城破壊」である。
ウィキより抜粋する。




全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方(ぜんこくじょうかくそんぱいのしょぶんならびにへいえいちとうせんていかた)は1873年(明治6年)1月14日に明治政府において太政官から陸軍省に発せられた太政官達「全国ノ城廓陣屋等存廃ヲ定メ存置ノ地所建物木石等陸軍省ニ管轄セシム」の件および同じく大蔵省に発せられた太政官達「全国ノ城廓陣屋等存廃ヲ定メ廃止ノ地所建物木石等大蔵省ニ処分セシム」の件の総称。陸軍が軍用として使用する城郭陣屋と、大蔵省に引渡し売却用財産として処分する城郭陣屋に区分された。単に「廃城令」、「城郭取壊令」または「存城廃城令」と略されて使用されている場合が多い。



整理すると、まず「仏教・寺・仏像破壊」があり、
次に「武士道・城破壊」があり、
最後に「神道・神社破壊」があったようです。
明治政府は何がしたかったのでしょう?
この不可思議な愚行蛮行政策は、どこから来ているのでしょう?
当ブログの読者の方ならば、説明不要ですよね。

はい、明治政府を操っていた「彼ら」からです。
すべては、「彼ら」の指示で行われたのです。
「彼ら」は、日本の宗教・伝統文化を根絶やしにしたかったのです。
まず仏教をつぶし、武士道をつぶし、
最後に神道を自分たちの都合のいいように改悪したのです。
神道の改悪については、リテラが過去に記事にしています。




(リテラ)さん
http://lite-ra.com/2014/10/post-561_3.html
日本の神社信仰はもともと「神道」という形でひとつにまとめられるようなものではなく、それぞれの地域によって多様なかたちをもっていた。大木や巨石など自然物をご神体とする神社も多かったし、その村固有の祖先を祀る祠、民衆が安寧やご利益を祈るための神社、また八坂神社や稲荷神社のように大きな神社でも天皇崇敬と関係のない神社もけっこうあった。
 ところが、明治政府が近代国家の支配イデオロギーとして「国家神道」を打ち出すと、こうした多様な信仰がすべて皇室神道、天皇崇敬と結びつけられ、伊勢神宮を頂点にして序列化されていく。
 そして登場したのが「神社合祀」という命令だった。神社合祀は、序列の低い小さな神社を廃止して、大きな神社にまとめていくという政策だが、これによって、それまでその地域の人たちが大切にしていた小さな祠や社が取り壊され、鎮守の森が切り開かれ、ご神体とあおがれていた『となりのトトロ』に出てくるような大木が次々と切り倒されていったのである。

http://lite-ra.com/2014/10/post-561_4.html
ちなみに、この「神社合祀」に対して激烈な反対運動を展開したのが、天皇へのご進講も果たしたことのある高名な博物学者の南方熊楠で、南方は合祀を進める県職員に「神罰が下るぞ」と殴り込みをかけて逮捕されている。
 南方の怒りは当然で、それがどんな小さな祠であっても、当時は地域で暮らす人々にとって精神のよりどころであり、そこにある石や木や森が自然への畏敬や敬神崇祖の思いをつくりだしてきた。それをいきなり人と土地を切り離し、神が宿る自然を壊すというのは、許されざる行為だったのである。
 しかし、国家神道を推し進める者たちにとってはそんな民衆の思いなどはどうでもいいことだった。国家神道というのは宗教ではなく、「神」よりもまず「国家」なのだ。「神」、もっといえば「皇室」さえも、為政者が国民を支配し、国を強化していくためのツールにすぎなかった。
 
 そして、この体質は今も神社本庁に脈々と受け継がれている。だからこそ「国家」や「自民党の政治家」からの求めに応じて、神々が棲んでいるはずの縄文の森を平気で原発に売り飛ばすことができるのだ。
 しかも、この団体は今、自分たちの息のかかった政治家を大量に政権に送り込み、再び日本人が国家のために命を投げ出す政策を着々と推し進めている。国力増強のために自然や人々の暮らしを平気でふみにじる政策を次々実現しようとしている。





はい、皆さん分かりましたよね。
神社というものは、すべてが天皇崇拝をしているものではなかったんですよ。
であるのに、「神社=天皇絶対主義を掲げるシンボル」とすることによって、
「偽りの天皇」を担ぎ出し、「偽りの天皇絶対主義」を推進していくために、
「神道改悪」「神道・神社破壊」を行ったんですよ。
これらの愚行蛮行政策を行った理由は、宗教とは全く関係のないことだったのですよ。

はっきり言って「自分たちの都合のいいように国民を支配するため」だったんですよ!

さらに話を進めると、
「八百長戦争を遂行するためのツールとして神道改悪を行った」んですよ!

戦争反対の声が出ようものなら、
「お前はそれでも日本男児か! 現人神であられる天皇陛下が戦争に参加しようと宣われているのに、お前は反対すると言うのか! お前は非国民だ!」と、一喝したかったのです。

この「偽りの天皇絶対主義」は、昭和になっても続きます。
余程のバカでないかぎり、まともにアメリカと戦争をして勝てるはずがないことは、
国民も軍人も分かっていたはずなんです。
でも「偽りの天皇絶対主義」が存在しているために、それは口にできなかったのです。

この国を滅亡に導く政策は、すべて明治の時代に始まったんですよ。
私はこれまでくどいほど書いてきましたが、
諸悪の根源は、明治維新という名の売国国家クーデターにあるのです。
だから、「明治維新の真相」を、完璧に理解しなければならないのです。
学校教育が明治政府の愚行蛮行をほとんど教えていない(教えても真実を隠している)理由を、理解しなければならないのです。

「彼ら」の手先となって日本古来の宗教・伝統文化財の破壊を遂行してきた、
明治政府の売国奴どもの末裔が、今また「偽りの神道」を推進し、
「明治の日」を制定しようとし
あの暗黒の時代に国民を引きずり込もうとしています。

日本“破壊”会議とタイアップした安倍一味が、
不法行為を行って国有地を入手したくせに、
自らは「知らぬ存ぜぬ」を決め込んでいます。
妻が名誉校長をしており、自分の名を語った小学校の名目で寄付金を募っているくせに、
「知らない、関係ない」といった言い訳が通るわけがない。
もし本当に「自分の名が勝手に使われた」と主張するのなら、
この小学校の実質的な経営者である日本“破壊”会議を訴えるべきである!
それもできないくせに、
「自分や妻は関係していない、知らない」なんて、言うんじゃないよ!

さらに、こいつらカルト勢力が許せないことは、
“何もわからない”幼稚園児にカルト思想をたたき込もうとしていることです。

“何もわからない”幼稚園児を八百長戦争に巻き込もうとするんじゃないよ!

これらのカルト爺どもは、自らは戦場に行かないことは言うまでもありません。
すべては「彼ら」の指示に従って、自分たちの金儲けだけを目的として、
“何もわからない”幼稚園児を八百長戦争に巻き込もうとしています。
この国を、国民を、滅亡の道に誘導しようとしています。

「云々」を「でんでん」と発言したことは、全く問題ではありません
この異常な行動こそが、大問題なのです。
本当に呆れた首相です・・・
本当に呆れた首相夫人です・・・

このカルト勢力に乗っ取られた異常な国家は、決して北朝鮮ではありません。








「日本野球の父」=「日本フェビアン協会設立者」

「キリスト教=フリーメーソン=共産主義=フェビアン主義=優生学=新世界秩序」


先日、「昭和偉人伝」で賀川豊彦を取り上げていた。
ここに来られている方ならば、テレビが伝える「偉人」と呼ばれる人物の正体が何であるのかということは、当然、ご理解いただいているだろう。
私のような“ひねくれ者”は、「偉人」の裏の顔を考えながらテレビを見ているので問題ないのだが、
テレビの報道をそっくりそのまま捉えてしまう“普通の人”は、テレビを見ない方がいいだろう。
テレビが「彼ら」によって管理された、「国民を洗脳することを目的とした“白痴製造機”」であることを、
しっかりと認識している人間のみが、テレビを見るべきだろう。
以前にも触れたが、改めて賀川豊彦の正体を追って行こうと思う。
まずは、ウィキより。



賀川 豊彦(かがわ とよひこ、旧字体:豐彥、1888年(明治21年)7月10日 - 1960年(昭和35年)4月23日)は、大正・昭和期のキリスト教社会運動家、社会改良家。戦前日本の労働運動、農民運動、無産政党運動、生活協同組合運動において、重要な役割を担った人物。日本農民組合創設者。「イエス団」創始者。キリスト教における博愛の精神を実践した「貧民街の聖者」として日本以上に世界的な知名度が高い。茅ヶ崎の平和学園の創始者である。

兵庫県神戸市に、回漕業者・賀川純一と徳島の芸妓・菅生かめの子として生まれる。幼少期に相次いで父母と死別して、5歳の時姉と共に徳島の本家に引き取られるも、兄の放蕩により15歳の時に賀川家は破産してしまい、叔父の森六兵衛の家に移る。旧制徳島中学校(現在の徳島県立城南高等学校)に通っていた1904年(明治37年)、日本基督教会徳島教会にて南長老ミッションの宣教師H・W・マヤスより受洗。この頃安部磯雄・木下尚江の著作を読み、キリスト教社会主義に共感を覚える。またトルストイの反戦思想にも影響を受け、軍事教練サボタージュ事件を起こす。伝道者を志し、1905年(明治38年)に明治学院高等部神学予科に入学、卒業後の1907年(明治40年)、新設の神戸神学校(後の中央神学校)に入学する。

1914年(大正3年)に渡米し、アメリカの社会事業、労働運動を垣間見プリンストン大学・プリンストン神学校に学び、1915年(大正4年)にスラムでの経験を踏まえて『貧民心理之研究』を出版する。賀川はこの「穢多村の研究」で、犯罪の多い部落民が異人の子孫であるという人種起源説を主張した。後に、文中に差別思想があるとして部落解放運動関係者から批判されている。
1917年(大正6年)に帰国すると、神戸のスラムに戻り無料巡回診療を始めた。また、米国留学中の体験から貧困問題を解決する手段として労働組合運動を重要視した賀川は、鈴木文治率いる友愛会に接触し、1919年(大正8年)に友愛会関西労働同盟会を結成、理事長となった。同年日本基督教会で牧師の資格を得、麹町教会の牧師になる。
1920年(大正9年)に自伝的小説『死線を越えて』を出版、一大ベストセラーとなり、賀川の名を世間に広めた。印税はほとんど関与した社会運動のために投じられた。また同年、労働者の生活安定を目的として神戸購買組合(灘神戸生協を経て現・コープこうべ=日本最大の生協)を設立、生活協同組合運動にも取り組んだ。また、武藤富男らと共に、キリスト教系業界紙、キリスト新聞(発行元:キリスト新聞社)を立ち上げた。
1922年(大正11年)、協力者・杉山元治郎とともに日本農民組合を設立し、本格的に農民運動に取り組んだ。組合は急速に発展し、3年後の1925年(大正14年)末には組合員数は7万人を超えた。この間、1923年(大正12年)に関東大震災罹災者救済活動を行う。また無産政党運動にも積極的に関与し、1926年(大正15年)の労働農民党結成に当たっては執行委員に就任するが、同年末の左右分裂に際して党を脱退した。
1920年代後半以降は、社会運動から宗教活動へと比重を移していった。1925年(大正14年)に同志社大学で講義を行い中島重に影響を与え友誼を結ぶ。1929年(昭和4年)、日本基督教連盟の特別協議会は賀川の主導により「神の国運動」を議決、賀川は「百万人の救霊」を目標として、1932年(昭和7年)まで全国を伝道のため巡回した。また米国・中国・欧州等世界各国で講演活動を行う。1941年(昭和16年)4月、リバーサイド日米キリスト者会議でアメリカ合衆国のキリスト教会に「アメリカ教会への感謝状」をおくった。
第二次世界大戦に関しては国際戦争反対者同盟に属したが、1943年(昭和18年)11月の憲兵隊による取調べを境に同同盟を脱退、国際友和会日本支部を自ら解散している。太平洋戦争後期において(一説には太平洋戦争当初から)、多くの宗教家と同じく戦争に協力的な姿勢であった。終戦により中止となったが、1945年(昭和20年)8月16日には賀川も奨励者として名を連ねる、戦意昂揚音楽礼拝が日本基督教団戦時活動委員会の主催により予定されていた。
戦後は東久邇宮内閣参与や勅選貴族院議員を務め、日本社会党の結成にも参画した。民間人として初めてマッカーサーに会った人物であるとされている。終戦直後の目立った活動としては「一億総懺悔運動」への協力が挙げられる。マーク・ゲイン著『ニッポン日記』によると、東久邇宮稔彦王の後任首相として有力であったらしいが、戦時中の翼賛的な活動が原因で実現しなかったとの事である。同書には、一般に知られる賀川の人物像とかなり食い違う姿が記されており、またそこで書かれている様な賀川への批判が連合国軍総司令部 (GHQ) により封じられていたともある。幣原内閣解散後の吉田内閣組閣の難航に伴い、総理大臣候補として名が挙がった事もあるという。晩年は世界連邦運動に取り組み、1947年(昭和22年)と翌1948年(昭和23年)にはノーベル文学賞の候補となり(1947年は候補48人中、1948年は候補45人中)、1954年(昭和29年)から1956年(同31年)の3年連続でノーベル平和賞候補者として推薦された。
大宅壮一によると、賀川は労働運動・社会運動の指導者的立場ながら、昭和天皇・皇室の熱烈な支持者でもあり、社会における天皇制の存在意義を積極的に認めていたという日本社会党結党の際には、中間派の浅沼稲次郎らと共に中心メンバーとなり、結党大会で「天皇陛下万歳」三唱の音頭を取った事で、社会党左派との内部対立を引き起こした。
自身が結成した日本MTLを率いてハンセン病患者への宣教と慰問を中心に活動していたが、やがて、優生学に傾倒しハンセン病患者の淘汰を目的とした無癩県運動へと活動の重点を移していった。



興味深い点が多く、かなり多くの箇所を転載した。
まず、賀川が著作に影響を受けたという安部磯雄をウィキで見てみる。



安部 磯雄(あべ いそお、元治2年2月4日(1865年3月1日) - 昭和24年(1949年)2月10日)は、日本の社会主義者。キリスト教的人道主義の立場から社会主義を活発に宣伝し、日本社会主義運動の先駆者であった。また、日本における野球の発展に貢献し「日本野球の父」と呼ばれる。 早稲田大学野球部創設者でもある。

1884年同志社英学校卒業(在学中、新島襄より受礼)。その後、ハートフォード神学校(アメリカ)やベルリン大学に学ぶ。1895年に帰国後、同志社教授を経て1899年東京専門学校(早稲田大学の前身)の講師となる(1907年から教授)。

(1886年)
1901年、社会民主党を結成するが直後に禁止。日露戦争では非戦論を唱えた。公娼制度の廃止や産児制限など、初期の女性解放(フェミニズム)運動にも積極的に関与した
1924年に日本フェビアン協会を設立。1928年、第16回衆議院議員総選挙に社会民衆党から立候補し、衆議院議員当選連続5回。また東京市会議員も務めた。社会民衆党党首、社会大衆党執行委員長を歴任。



はい、「日本野球の父」らしいですね。
女性解放(フェミニズム)運動にも積極的に関与したそうですね。
ロックフェラーと繋がっていたんでしょうか?
極めつけは、日本フェビアン協会の設立者だということです。
「日本野球の父」=「日本フェビアン協会設立者」ということになります・・・




http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-153.html
元祖(偽者?)イルミナティ VS 偽(本物?)イルミナティ
「ムーンマトリックス[覚醒篇②]血筋のウェブ(蜘蛛の巣)、ユダヤではないロスチャイルド・シオニストだ」
デーヴィッド・アイク


*イルミナティの組織としては、フェビアン協会にも言及しておかないといけない。フェビアン協会は、「イギリスの知性派の社会主義運動。その目的は、革命ではなく、漸進的な改革を手段として、社会民主主義の原則を進展させること」と述べられている。別の言い方をすれば、1884年に設立されて以来、今日我々が目の当たりにしている世界に向けて、一滴ずつ「変化」のしずくを、ポタリ、ポタリと垂らし続けてきた組織である。
「フェビアン」という名称は、長時間かけて敵を疲弊させる作戦(持久戦)を採用し、良くも悪くも明白な結果をもたらす戦闘は避けるという慎重な作戦を採用したローマの軍人、クインタス・ファビウス・マクシマスの「ファビウス」に由来すると言われている。この戦術のことを、私は「全体主義者の忍び足」と呼んでいる。フェビアン協会の紋章は、羊の皮を着た狼であり、これが協会の手口をよく表している。
・・・・・(中略)・・・・・
フェビアン協会の中枢部は秘密結社であり、1900年にイギリスの労働党が結成されたときに、背後で動いていた勢力である。労働党は今日もなお、フェビアン協会のコントロール下にある。イギリスの首相だったトニー・ブレアもフェビアン協会であり、表社会で協会の策略をあからさまに推進する役目を果たしている。
・・・・・(中略)・・・・・
オーストラリアのクリス・シャハト上院議員(労働党)は、2001年6月に、政府の条約審理に関する共同常任委員会で、過去20年間にわたりフェビアン協会のメンバーだったことを語ったそうである。そして、「おそらく知らない人が多いだろうが、我々フェビアンは、CIA、KGB、MI5、ASIO(オーストラリアの諜報機関)、IMF、世界銀行、その他多くの組織を乗っ取っている」と付け加えたという。
・・・・・(中略)・・・・・
ジョージ・オーウェルの本「1984年」(1949年に発行)と、オルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」(1932年)を合わせると、現在イルミナティが地球社会に強要しようとしていることが、あらかた書いてある。そして、オーウェルもハクスリーもフェビアン協会のメンバーであるが、これが「偶然の一致」だろうか。私が何年も頑なに主張してきた通り、この二人の著作は、想像で書かれたものではない。未来に起きることを知っていたのである。だからこそ、異常なまでに正確な内容を書くことができたのだ。ジョージ・オーウェル(本名はエリック・ブレア)は、王室の子供が通うエリート学校のイートン校でオルダス・ハクスリーからフランス語を学び、二人は生涯の友になった。
オーウェルは、ハクスリーの紹介でフェビアン協会に入ったが、協会に幻滅した。そこで収集した情報を「暴露」したのが「1984年」である



賀川に話を戻す。
鈴木文治率いる友愛会に接触し、1919年(大正8年)に友愛会関西労働同盟会を結成、理事長となった、とのことです。
鈴木文治をウィキで見てみます。



鈴木 文治(すずき ぶんじ、男性、1885年9月4日 - 1946年3月12日)は大正・昭和期の政治家、労働運動家。友愛会創始者。日本の労働運動の草分け的存在といわれる。
1909年東大卒業後、秀英舎(現在の大日本印刷)を経て、1910年東京朝日新聞に入社。貧民問題の取材に取り組む。1911年ユニテリアン派の統一基督教弘道会(会長安部磯雄)に幹事として就職。「労働者講話会」等の社会事業に携わる。そして1912年、労働者の地位向上を目指して、14名の賛同者とともに「友愛会」を発足させた。



はい、友愛会創始者ですか・・・
東京朝日新聞にいたんですか・・・
ユニテリアン派の統一基督教弘道会(会長安部磯雄)に幹事として就職したんですか・・・ 
ここにも安部磯雄がいたんですね・・・
ユニテリアン主義をウィキで見てみます。



ユニテリアン主義(ユニタリアン主義 、ユニタリアニズム、英語:Unitarianism)とは、キリスト教で伝統的に用いられてきた三位一体(父と子と聖霊)の教理を否定し、神の唯一性を強調する主義の総称をいう。歴史的には、ユニテリアンはイエス・キリストを宗教指導者としては認めつつも、その神としての超越性は否定する。



これってフリーメーソンやグノーシスの思想じゃないんですか・・・



賀川に話を戻します。
戦後は東久邇宮内閣参与や勅選貴族院議員を務め、日本社会党の結成にも参画した、とのことですね。
東久邇宮稔彦王をウィキで見てみます。



東久邇宮 稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう、1887年(明治20年)12月3日 - 1990年(平成2年)1月20日)は、日本の旧皇族、陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は大勲位。功級は功一級。皇籍離脱後は東久邇 稔彦(ひがしくに なるひこ)を名乗った。世界連邦建設同盟(現世界連邦運動協会)名誉会長、第2代会長
貴族院議員、陸軍航空本部長(第10代)、防衛総司令官(第2代)、内閣総理大臣(第43代)、陸軍大臣(第34代)などを歴任した。千葉工業大学の創設者。
1948年(昭和23年)には、尾崎行雄、賀川豊彦、下中弥三郎、湯川秀樹と共に「世界連邦建設同盟」(現世界連邦運動協会)を創設した

1950年フリーメイソンに入会(=initiated)。1957年6月、東京の友愛ロッジにて「メイソン」になる



尾崎行雄、賀川豊彦、下中弥三郎、湯川秀樹と共に
「世界連邦建設同盟」(現世界連邦運動協会)を創設した、とのことです。
これってどう見ても新世界秩序のことですよね・・・
そして、メーソンだったとのことです・・・
皇族だった人間がフリーメーソンだったとは・・・
この世界の裏を暴いている私にすれば、驚くこともないんですが、
こんなにはっきりとウィキに記載されていていいんですかね? 宮内庁さん?
再度、賀川に話を戻します。
「神の国運動」とは何ぞや?




http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-290.html
ナチス製の広島原爆を「工夫して仕上げる手伝い」をした売国奴
「ユダヤ・フリーメーソンとキリスト教とコミンテルン(国際共産主義)の3つは三位一体のものである」


それゆえに、ユダヤ・フリーメーソンとキリスト教とコミンテルン(国際共産主義)の3つは三位一体のものであり、これらに対して日本(筆者注:渡部悌治たちの国際政経学会)は、すでに早くから敵の正体を見据えていたのだ。
  かつて国際連盟が開かれていたころ、その会合の開催される前日に必ずユダヤ会議が開かれ、その予備会談で決定されたとおりに本会議で議決されていた事実は、会議に参集していた各国の情報官によって伝えられている。
  ユダヤと利害をともにすることができなかった国家群が、国際連盟を脱退しなければならなかった原因もここにあった。
  キリスト教とユダヤ・フリーメーソンとコミンテルン――これらが歴史と伝統とを保持する国々に革命を起こして滅ぼし、敵対して自国と民衆との自立共存を念願していた国々を地上から抹殺しようとした理由もまた、この《主の道を直くする》ことの中に意図されていたのである。
  《主の道を直くする》というユダヤの教理は、その後も永くキリスト教伝道の基調になっていたが、日本における《神の国運動》もユダヤ王の再臨を準備するということであって、賀川豊彦らがアメリカ共産党からの資金によって主唱していたものであった。
  この運動も日本に敵国の内応者を養成する企みからなされたものだ。キリスト教の単なる信仰上の運動なら問題はなかったのだが、陰に隠された企みがあったのだ。この陰謀は、私が東北学院の神学生だったころ、御殿場の東山荘で開催されたキリスト教青年夏期講習会に出席し、講義内容と講師たちの密議から体験によって知りえたことである。

  「日本人がユダヤの王の前に立つためには、日本という国家を背負った奢り高ぶったままの姿であってはならない。悔い改めによって遜(へりくだ)らなけれぱならぬ。日本人はそう簡単には国を捨てない。国を捨てさせるには、国そのものをなくしてしまえばよろしい。それは戦争によって負かすしかないのだ。日本が戦争に敗れて打ちのめされて初めて遜るようになるのである。そうなれば天皇の神格も地に落ち、国民も拠り所を失う。それによって日本も共和国となりうる
  以上が御殿場の講習会で交わされた密議の主旨だ。……(中略)……
  賀川豊彦の近親の者が、《何が理由で収監されたのかわからない》と雑誌に書いていたが、(警視庁に)収監を進言したのは私だ。その理由は(前述の)密議の内容に基づいて、賀川が収監直前まで日本敗北の運動を鼓舞していたからだ。
  アメリカ共産党のユダヤ人サムエル・ゴンバースとの関係を保っていた賀川豊彦らが、日本を《反戦ではなく戦争によって敗戦させ、それによって革命を実現する》というユダヤ・フリーメーソンの敗戦テーゼに従ったものであった。賀川らがアメリカ系共産党員としての本性を発揮して、日本の敗戦を目指した《神の国運動》を展開し、日本の革命を図ったという理由での収監であった。……(中略)……
  日本覆滅の方策としてキリスト教フリーメーソンの立てた方策に、皇室にキリスト教を入れて日本国家を転覆させるという企てがあった。それには皇室内の関係者になるべく多くのカトリック信者を作り、四囲を固めて貞明(ていめい)皇后様を入信させるという陰謀だった。宮中をキリスト教で乗っ取る策謀である



最後に、賀川は優生学に傾倒していたようですね・・・
本当に困った「偉人」だったようですね・・・
賀川及びその周囲にいた人物の大半がキリスト教徒だったようですが、
彼らが本当に信じていたのが何かということは、説明不要ですよね。
キリスト教、フリーメーソン、共産主義、フェビアン主義、優生学、新世界秩序、
これらは名称が異なるだけで、全てが一本の線で繋がっているようですね・・・



http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-1172.html
幼児を持つ家庭が幼児のひとりに対して行うもっとも慈悲深いことは、それを殺すことです
「フェビアン主義=新世界秩序=優生学=人口削減=国民奴隷支配体制=マルクス主義」


テンプレート説明

このテンプレートは、プラグイン1・2・3に対応しています。
背景はスライドショーになっています。

◎プラグイン説明

最上部のメニューバーがプラグイン1です。マウスオーバーで展開するメニューになっていますので、お好みでプラグインを設定してください。「HOME」のような普通のリンクも置けます。
←のエリアがプラグイン2です。有効範囲幅は180pxです。
このエリアがプラグイン3です。有効範囲幅は540pxです。
サイズの大きなプラグインに適しています。

※最上部メニューバーの上に隙間がある方

最上部のメニューバーの上にFC2検索バー用のスペースを設けています。
検索バーを表示しない設定にしている方は、cssの最上部メニュー.MegaMenuの中にあるtop:27pxをtop:0に変更してください。

◎背景スライドショー説明

random : 1, // ランダム 0:オフ 1:オン
transition : 1, // 0:単純画像切替 1:フェード 2~7:移動 8:ページ更新毎に切り替え
transition_speed : 1000, // 画像間の切替時間
slide_interval : 3000, // 1枚毎の画像停止時間
slides : [
{ image : '画像URL' } // 画像の追加・削除はここ

★テンプレート名で検索すると、作者のブログにより詳しい説明があるかも知れません。