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嘘八百のこの世界

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ペリー来航とジョン万次郎の帰国とグラバー来日は、「同じ目的」を持っていたのである

「持丸長者・日本を動かした怪物たち(幕末・維新篇)」広瀬隆


2007年の書である。発売当時に読んだものを再読した。
以下、一部引用する。



*うち、薩摩藩主の島津斉彬は、すでに土佐藩に先んじて、日本帰国上陸後の万次郎を薩摩藩が取り調べた折、この帰国者が日本最高の至宝であることをただちに見抜いて、薩摩に滞留させながら、家臣に万次郎から新技術を吸収するように命じていた。そこから得た知識を活用し、斉彬が全土に先がけて切り拓いた画期的な技術は、わが国で嚆矢(こうし)となる紡績工場の建設をはじめとして、鹿児島集成館の宝庫に山ほど偉業の足跡が残されている。
伊予宇和島藩主の伊達宗城は、ヨーロッパの知識を高く評価して、国外に追放された異人シーボルトが日本滞在中に日本人女性の楠本滝に産ませた娘イネを保護し、幕府に追われて逃亡中の蘭学者・高野長英を匿い、斉彬と競うように藩内に次々と新技術を生み出し、日本人の独力で蒸気船を製造させる。

*このようにゴールドラッシュ、捕鯨、奴隷貿易、綿花という四大産業にかかわる一族から出たペリー提督は、日本に出立する前に、すでに十年間も中国に滞在してもうひとつの大悪事「アヘン貿易」に携わってきた大商人ウォーレン・デラノ船長に会って、日本の港を開かせるにはどうすればよいかと事情を尋ねた。この麻薬商人デラノ船長の孫が、第二次世界大戦時の大統領フランクリ・デラノ・ルーズヴェルトである。
のち、ペリー提督の孫娘フレデリカが、そのデラノ船長の娘と義理の姉妹関係となるが、両家を結びつけた一族が、メイフラワー号でアメリカに上陸した名門ハラウンド家であった。天命のめぐり合わせほど、不思議なものはない。それが、漂流していた万次郎を救った捕鯨船ジョン・ハウランド号のオーナー一家だったのである。まったく同じ時期、ニューベッドフォ-ドで成人した万次郎が日本に帰国すると、その十一カ月後に、同じニューベッドフォ-ドの利権グループに属するペリー提督が、日本への派遣使節として任命されたことになる。そのような人物が日本に向かおうとしていたのだから、奇遇と言えば、これほどの奇遇もない。

*薩摩藩のイギリス攻撃は、薩摩藩主の父で、実質的な実権者だった島津久光の行列が武蔵国生麦村(横浜市)に差しかかった時、横浜在住のイギリス人四人が行列前方を乗馬のまま横切った。これを無礼と怒った薩摩藩士・奈良原喜左衛門が斬りかかり、イギリス人一人が死ぬという生麦事件がその前にあった。島津久光は名君・斉彬の弟であり、喜左衛門の弟・奈良原繁は明治時代に日本鉄道会社社長となり、その息子・奈良原三次は奈良原式飛行機を発明して日本航空界の草分けとして名を成した

*もうひとつ驚くことがある。勝海舟といえば、西郷隆盛と談判して江戸を無血開城に導いた偉人として名を残した。
・・・・・(中略)・・・・・
無能だったはずの勝海舟がなぜにこの最重要局面で幕府代表をつとめたのか。
それは、鳥羽・伏見の戦いから七日後、1月10日に朝廷側が、鳥羽・伏見の戦いに関係した幕府関係者の大名・旗本32人を「朝譴者(ちょうけんしゃ)」つまり朝廷の咎めを受けるべき人物として処罰するリストを発表したが、勝海舟がこの名簿を手に入れて、幕府内で優秀だった人間を粛正することに成功し、この権力闘争に勝ち抜いて頂点に立ったからである。


ここに勝海舟の行為を記述しなければならないのは、この男が幕府の誠実な有力者を大量に犯罪者に仕立て上げたからである。明治元年4月8日、長崎海軍伝習所指導者の永井尚志、蒸気機関の最高技術者である榎本武揚らを処分したばかりか、伝習所で図抜けた成績をあげ、勝海舟など足元にも及ばず、咸臨丸航海長をつとめた男、自分にとって邪魔者の小野友五郎という天才を無実の罪で伝馬町に投獄したのである。伝習所以来の自分の過去を知っている者を次々と粛正したわけである。榎本武揚が函館戦争に走った心情がそこにあった。

*廃藩置県は、それ以前から藩主たちが言い出していたとされるが、その建言・主張をおこなった代表者四人は鳥取藩知事・池田慶徳、徳島藩知事・蜂須賀茂韶(もちあき)、尾張藩知事・徳川慶勝、熊本藩知事・細川護久で、いずれも最後の将軍・徳川慶喜の近親者であった。彼らは、中央集権国家にしたあと、大蔵省に日本の金を全部集めて、それを一族で寄ってたかって食い物にしようという陰謀を企んだのか。徳川慶喜の息子・忠太郎は勝伊代子と結婚して入婿となり、勝精(くわし)と名乗って明治32年に三百代言・勝海舟の伯爵家を相続した。さらに勝精と伊代子の娘が、長州財閥の藤田伝三郎の孫と結婚しているのである。




(管理人)
皆さん、分かりますよね。
私がここに引用した本書の箇所の共通点が。

はい、「八百長明治維新の証明」です。

著者は、丹念に歴史資料を調べ、その結果として日本の持丸長者の実体を詳細に記したわけであるが、私の関心事はそれよりも「明治維新の真実」を追及することにあるのです。
本書には、私の関心事を満たすに十分なヒントが散りばめてありました。
本書を読んで改めて感じたことは、「八百長明治維新」にかなりの部分でジョン万次郎が関わっていたという事実である。
ジョン万次郎は、島津斉彬と関係を持っていた。
斉彬お抱えの武士であった西郷隆盛が明治維新の中心人物となったルーツは、斉彬とジョン万次郎の繋がりにあったことは間違いないだろう。
坂本龍馬がジョン万次郎の影響を受けていたことは、以前書いている
ペリー家とデラノ家を結びつけたのがハラウンド家だとのことだが、漂流していた万次郎を救った捕鯨船ジョン・ハウランド号のオーナー一家だったのが、ハラウンド家だったのだ。
著者はハウランド家と繋がりのあるペリーの来航のことを「奇遇と言えば、これほどの奇遇もない」と記しているが、これは奇遇なんてものではない。
ジョン万次郎の漂流は真実だろうが、ジョン万次郎をアメリカに連れて帰って育て上げ教育したのは、ホイットフィールド船長の単なる親切心ではないことは間違いないだろう。

ある目的故のことであったのだ。

それはハウランド家の意思であり、ペリー家の意思であり、デラノ家の意思であったのだろう。つまり、「彼ら」の意思であったのだ。

ペリー来航とジョン万次郎の帰国は、「同じ目的」を持っていたのである。

デラノ家が「アヘン貿易」に携わっていたのは有名な話である。
ところで「アヘン貿易」と聞けば、誰かを思い出しませんか?
はい、グラバーです。グラバーはジャーディン・マセソン商会の長崎代理店として「グラバー商会」を設立しました。ジャーディン・マセソン商会が「アヘン貿易」に携わっていたのは、ウィキにも記載されている有名な話です

ペリー来航とジョン万次郎の帰国とグラバー来日は、「同じ目的」を持っていたのである。

ウィキを見たついでに記しておきます。
グラバーは、井上聞多、遠藤謹助、山尾庸三、野村弥吉、伊藤博文の長州五傑のイギリス留学の世話をしています。

長州ファイブは、「アヘン貿易」に携わっていたジャーディン・マセソン商会によってイギリス留学したのです。
グラバーは、長州五傑、五代友厚(薩摩)、坂本龍馬(海援隊)、岩崎弥太郎(三菱財閥)等を支援しました。

長州ファイブ、五代友厚(薩摩)、坂本龍馬(海援隊)、岩崎弥太郎(三菱財閥)は、「アヘン貿易」に携わっていたジャーディン・マセソン商会によって支援されていたのです。

さらに記しておきます。
吉田茂の養父・吉田健三は、ジャーディン・マセソン商会横浜支店長でした。

吉田茂は、「アヘン貿易」に携わっていたジャーディン・マセソン商会によって支援されていたのです。

吉田茂の孫は誰でしたでしょうか?

はい、アホウです。
アホウが「日本の水道を民営化します」というトンデモ発言したルーツはここにあります。

水道民営化という謀略は、「アヘン貿易」に携わっていたジャーディン・マセソン商会によってなされようとしているのです。

ジャーディン・マセソン商会がロスチャイルド系列であることは、言うまでもありません。

かなり話が飛躍しましたが、本書の引用文に戻ります、
下関戦争が八百長であることは以前記事にしましたが、生麦事件もその可能性が高そうです。
イギリス人に斬りかかったという奈良原喜左衛門を調べると、死刑になっていないのです。
弟の奈良原繁をウィキで見ると、イギリス人を斬りつけたのは、兄の喜左衛門ではなく、弟の繁であると子孫から異議が申したてられているとのことである。
その奈良原繁は、明治になって日本鉄道会社の社長になったそうである。
何故に奈良原繁はそれほど出世できたのだろうか?
裏がないと思うこと自体、どうかしているだろう。
巨額な賠償金は、薩摩藩ではなく幕府が支払わされている。

次に、勝海舟である。
勝海舟が「彼ら」の手先であることはフルベッキ写真に写っていることで証明されているが、突然出てきたこの男が何故に幕府の代表になれたのかがこれまで分からなかった。
なるほど、幕府の誠実な有力者を大量に犯罪者に仕立て上げたからであるようだ。
勝海舟を抜擢したのが徳川慶喜であることは、間違いない。
勝海舟に幕府の誠実な有力者を大量に犯罪者に仕立て上げさせたのは、慶喜であるだろう。
二人とも、幕府のみならず日本そのものを「彼ら」に売り渡した売国奴である。
明治になって慶喜と勝海舟の子孫が親族関係になっているのには、呆れてものが言えない。

最後に、本書を読んで感じたことを記しておきます
これだけ詳細に家系図を調べ上げ、江戸時代から明治にかけての持丸長者を洗い出した著者の姿勢は立派であると思うが、許しがたき記述が一つだけある。
それは、「フルベッキ写真が偽写真である」と切り捨てた記述である。
それも何の根拠も示さずに。
著者は、「フルベッキ写真が偽写真である」と断言するならば、何故にそうであるかを示すべきである。
「偽写真であることの根拠を示すのと同時に、誰が何の意図をもって偽写真を撮影したか」を記すべきである。
坂本龍馬や勝海舟も加わった幕末の有名人物が一堂に会したこの写真が本物でないことを、根拠を上げて示すべきである。
本物でないというのなら、写真に写っているのは何者であるのかを、根拠を上げて示すべきである。
それもしないで一方的に偽写真だと論じることは、暴論である。
ジャーナリストであるならば、絶対にやってはならないことである。
そもそも広瀬さん、幕末の持丸長者をこれだけ調べ上げているわりに明治維新の中心人物と外国人勢力の関わりを指摘せずにいるのは不自然だと思われませんか?
私は、「広瀬隆は名著「赤い楯」を書いた本物のジャーナリストだ」と信じているからこそ、明治維新の中心人物と外国人勢力の関わりをスルーし続ける広瀬氏の姿勢に疑問を抱かずにはおられません。



評点:70点






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何故に西郷隆盛は勝海舟との話し合いで江戸総攻撃を中止するという決断(江戸無血開城)ができたのですか? 一介の武士に過ぎない西郷隆盛に?

「「大河ドラマ」→「たいがい酷いドラマ」?」


相も変わらず、『西郷どん』は酷い内容ですナ。
前回は、弟の吉二郎の戦死だけを大きく取り上げて、戊辰戦争で会津をはじめとした東北の人びとを惨殺した黒歴史を全く描かないという酷いストーリーでした。
都合の悪いこと(東北人の大量殺戮)には蓋をして、一部の悲劇(弟の吉二郎の戦死)だけを大げさに描くことで幕末史を完結させるという歴史歪曲がまかり通っている。
何も知らない視聴者は、これを観て「吉二郎が可哀想。でも明治維新を成功させるためには仕方なかったのかもしれないな」と「思わされて」しまうかもしれません。
本当はあまりに酷い歴史歪曲であることにも気づかずに・・・

東北の方はNHKに抗議するべきである。

「殺されたのは西郷吉二郎だけではない!」と。

「長州人に大虐殺され埋葬さえ禁じられた東北人のことを無視するな!」と。

薩長は最大の朝敵のくせに官軍に成りすました極悪人じゃないか!」と。

NHKの仕事は国民に正しい歴史を伝えることではありません。
NHKの仕事は歴史を隠蔽し、国民を騙すことである。
NHKは歴史を隠蔽するために国民から受信料をバイトを使って強奪しようとしているのだ。

ところで改めて、テレビ・新聞・学校教育が国民に伝えている明治維新というものが嘘八百のでっち上げストーリーである証拠を述べておきます。
「こういったことはこれまで何度も書いてるじゃないか」「私もバカじゃないのだから、テレビ・新聞・学校教育が国民に伝えている明治維新というものが嘘八百のでっち上げストーリーであるということぐらい「常識」として理解しているよ」ですか?

ありがとうございます。
当ブログの読者の方で普通の思考能力を持った方ならば、テレビ・新聞・学校教育が国民に伝えている明治維新というものが嘘八百のでっち上げストーリーであることは「常識」として理解されているでしょう。
だから今回は追加情報ということで手短に、小学生でも理解できる例を一つ挙げておこうと思います。

それは何かというと、「『西郷どん』を観ていたら誰でも気づくはず」なことです。
気づかないということは、既にテレビに洗脳されてしまっているということなのです。
あのドラマを観ていて「オカシイ」と思いませんか?

これだけ言ってもお分かりになりませんか?
ならば、お答えしましょう。

西郷隆盛は藩主ですか? 違いますよね。
単なる薩摩藩の一介の武士に過ぎませんよね。
なのに何故に藩主を差し置いて軍の指揮を執り、倒幕運動を起こしたのですか?
薩摩藩は倒幕を推進していたわけでもないのに、一介の武士に過ぎない西郷隆盛にそれだけの権限を持たせたのですか?
何故に西郷隆盛は勝海舟との話し合いで江戸総攻撃を中止するという決断(江戸無血開城)ができたのですか? 一介の武士に過ぎない西郷隆盛に?

すべてが嘘八百だからです。

薩摩藩自体も謀略の一味だったからでしょう。
この謀略には西郷隆盛をはじめとした薩長の武士や坂本龍馬だけでなく薩摩藩・長州藩自体も加わっています。そうでなければ一介の武士に過ぎない西郷隆盛にこれだけの権限を与えるわけがないのです。
この謀略に徳川慶喜が加わっていることは、言うまでもありません。

この謀略を裏で指揮していたのが、グラバーであり、フルベッキであり、パークスであり、サトウら幕末に暗躍していた外国人なのです。
この謀略の最大の証拠が、フルベッキ写真の存在なのです。
幕末に暗躍していた外国人を操っていたのが、ロスチャをはじめとした「彼ら」であることは言うまでもありません。

歴史を理解するのに深く考えすぎる必要はありません。
子供のように「何故?」「どうして?」「これオカシイんとちゃう?」と、素直に感じる気持ちがありさえすればいいのです。このような気持ちが起きてこないとすれば、知らず知らずのうちに洗脳されてしまっているということなのです。

この洗脳工作は明治維新に限ったことではなく現在進行形であることをお忘れなく!




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大政奉還とは、「一橋派(=南朝派)の工作員である慶喜」が「入れ替わられた明治天皇」に政権返上を奏上したということです

「殿様は明治をどう生きたのかⅡ」河合敦


2017年の書である。
本書には12人の殿様の生涯が記されている。
殿様ごとに気になった点を一部引用する。



(徳川慶喜)
*慶喜は、政治組織も大きく改めた。これまでは複数の老中たちの合議制で幕政が運営されていたが、これを現代の内閣制度に近いかたちにしたのだ。
将軍慶喜が政権の頂点に立ち、板倉勝静(かつきよ)を老中首座に抜擢して官房長官のように政治を補佐させた。将軍のもとには国内事務総裁、外国事務総裁、会計総裁、陸軍総裁を置いたが、これは現在の省庁にあたる。
さらに幕臣の西周や津田真道などに、新しい政治体制の立案を命じた。西周の『議題草案』と称する政治制度はその一つだ。

(伊達宗城(むねなり))
*宗城は初め、水戸藩主徳川斉昭の娘と結婚していたが、相手が死去したので縁談は破れた。
しかし、斉昭との親交は続き、その関係から土佐藩の山内豊信(とよしげ)や薩摩藩の島津斉彬が藩主に就任できるよう尽力してくれ、それが実現した後も彼らとの交流を深めた。ときの幕府の老中阿部正弘は、こうした雄藩の外様大名の協力を得て幕政を運営していった。

*幕府内は後継者をめぐって、一橋派と南紀派の二つに分かれて対立するようになった。
前水戸藩主徳川斉昭の子で、一橋家(徳川御三卿の一)に養子に入った聡明な慶喜を擁立しようという一派が一橋派だ。一橋派の大名としては、松平慶永(よしなが)、島津斉彬、徳川斉昭といった阿部正弘に協力した藩主たちが中心勢力になった。もちろん、このなかに伊達宗城も入っていた。

*宗城は宇和島に来航したキング提督やイギリス公使パークスと会談、同時にイギリス軍の練兵を観覧、これを機に銃隊をイギリス式に変え、さらに12月にイギリスの書記官アーネスト・サトウがアーガス号に乗って宇和島に来航したおり、藩主崇徳や側室、奥女中などとともに乗船している。このおり宗城は「我が国の政治混乱の収拾にイギリスも関与してほしい」と求めた。だが、サトウに「それは内政の干渉になるのでできない」と断られている。


(松平乗謨(のりかた))
*乗謨は同じく西洋の制度に関心を抱く将軍後見職の一橋慶喜に愛され、その支援を受けるかたちで翌年6月には老中格へとのぼった。

乗謨自身が勲章のデザインまで考えていたとは驚きである。いずれにせよ、日本の勲章制度は松平乗謨(大垣恒)が中心になって完成されていったのである。
明治10年に西郷隆盛が鹿児島で挙兵したことで西南戦争が勃発したとき、緒方洪庵の適塾で人命尊重の精神を学んだ佐賀出身の佐野常民は、敵味方関係なく負傷者を救う博愛社の設立を企画、これに全面的に賛意を示し協力したのが松平乗謨であった。

明治19年、日本政府がジュネーブ条約(赤十字条約)に加入したので、翌年、博愛社は日本赤十字社に改称し、現在にいたるまで多くの人びとを救い続けている。
さて、それからの松平乗謨である。明治22年に貴族院が設置されると、貴族院議員となって活躍、明治43年に72歳で死去した。
危篤となったさい、明治天皇はこれまでの勲功を鑑みて、乗謨を正二位に叙し、勲一等旭日桐花大綬章を与えた。




(管理人)
読者の皆さんは察しがついていると思われるが、私が本書を読んだのは幕末の殿様の人生が気になったからではない。ひとえに「明治維新の真実」を探るヒントを求めたためである。
引用した箇所も、その想いから選んだものである。

まずは、徳川慶喜である。
「西周や津田真道などに、新しい政治体制の立案を命じた」のは、慶喜であった。
私はこれまで慶喜も維新勢力と「協力」してこの国を外国勢力に売り渡した売国奴の一人であると書いてきたが、この事実から私の説が証明されたと思って間違いないだろう。
西周や津田真道がフリーメーソンであったことは陰謀でも何でもなく、ウィキにも記されている「既定事実」である
このような怪しげな人物に新しい政治体制の立案を命じた慶喜が何者であったのかということは、皆さんご理解いただけますよね。

慶喜がフリーメーソンであったかどうかは分からないが、少なくともフリーメーソンの「協力者」であったことは間違いないですね。

この怪しげな外国勢力に「協力」していた殿様は、慶喜だけではありません。
初めからか途中からかは分かりませんが、ここに記した伊達宗城や松平乗謨も「協力者」であったことは間違いなさそうですね。
幕末の殿様は一橋派と南紀派の二つに分かれて対立していたようですが、この怪しげな外国勢力に「協力」していた殿様が一橋派(=南朝派)であったことは疑いようがありませんね。

話は変わりますが、先日の『西郷どん』は酷かったですね。
冒頭の徳川家茂の死去の場面ですが、おかし過ぎますよね。
徳川慶喜はいやというほどドラマに登場するのに、徳川家茂は今まで全く登場せず、初登場が死去の場面であるという不可思議な番組構成。

「どんだけ歴史歪曲したら気が済むんだ!」
「これまでの徳川の将軍は一体誰なんだ!」ちゅー話ですよね。

この作為的な歴史歪曲から分かることは、「徳川家茂を登場させては困る勢力が現在も大河ドラマに強い影響を与えている」ということです。
この勢力は、国民に徳川家茂の存在を知らせたくないのです。
家茂には暗殺の噂が囁かれています。
この勢力は国民に徳川家茂の死に疑問を持たせたくないのです。

ということは、「大河ドラマに強い影響を与えている勢力は徳川家茂の死に関与した勢力と繋がっている」ということです。

NHKの役割は国民に歴史の真実を伝えることではありません。
NHKの役割は「歴史を偽造すること」そして「「国民を騙すこと」にあるのです。

こういった「常識」を踏まえたうえで、大河ドラマをご覧になってください。

養母である篤姫が「一橋派によって家茂は毒殺された」と信じていたようですが、このことを紹介してくれているブログ記事から転載します。



(ひすとりびあ)さん
http://historivia.com/cat4/tokugawa-iemochi/4344/
第14代将軍、徳川家茂。

次の将軍、徳川慶喜の陰に隠れて存在感の薄い彼ですが実は名君だったと言われています。
そんな彼には毒殺説があるのですが、いったい誰に毒殺されたというのでしょうか。
徳川家茂の死因と死に際の様子
徳川家茂は第二次長州征討の途上である大坂城で病に倒れました。
その報を聞いた義兄である孝明天皇は、高階経由と福井登という二人の医師を大坂城に派遣しました。
また、江戸城からも妻の和宮や養母の天璋院の侍医として留守を預かっていた、大膳亮弘玄院らが大坂城に駆け付けました。
しかし、これら複数の医師の看病の甲斐もなく、家茂は慶応2年7月20日(1866年8月29日)に20歳の若さで亡くなりました。
徳川家茂の死因は征討などによる過労と脚気だと言われていますが、その脚気の遠因となったのは虫歯だと言われています。
エナメル質の薄い体質に加え、大の甘党で虫歯が多かった家茂。その虫歯や偏食のおかげでビタミンB1不足になり、脚気になったようです。
また、医師たちの見解の相違も家茂の命を削ったのではないかとされます。(漢方医の高階家茂らは脚気説を、西洋医である幕府側の医師たちはリウマチだとした)
死に際して家茂は、次期将軍として田安亀之助(後の徳川家第16代当主・徳川家達)を指名しました。(その遺言は実現されず、徳川慶喜が継承しました)

家茂を毒殺する目的は!?

徳川家の菩提寺である増上寺の改修の際に行われた遺骨の発掘・調査によると、家茂は上記の通り病死であったことがわかりました。
しかし、家茂の暗殺説は昔からささやかれています。
ではいったい誰が暗殺したというのでしょうか。
家茂は孝明天皇の異母妹である和宮と結婚し公武合体の象徴とされてきました。そんな家茂を殺すことで、朝廷を倒幕に向かわせようとした長州藩士の策謀説。
または徳川慶喜を将軍にしたい幕府の一部勢力(または慶喜自身)の仕業という説などがあります。
いずれにせよ権力争いの果ての暗殺ということになりますね。ちなみに孝明天皇も家茂の後を追うように満35歳の若さで亡くなっていますが、この天皇も毒殺されたという噂もあります。

家茂は毒殺されたと信じ込んだ天璋院篤姫

徳川家茂の養母である天璋院こと篤姫は、家茂は毒殺されたと信じ込んだようです。それも徳川慶喜によって。
元々、天璋院は慶喜のことを嫌っていたと勝海舟が述べています。
そして、天璋院の夫である徳川家定にこそ毒殺の噂がありました。これは慶喜を擁する一橋派の仕業だと思いこんだ天璋院。
さらに大坂で若くして亡くなった家茂の遺体が江戸に戻ってきた時、その顔は毒を盛られたかのように黒ずんでいたと言います。それを見た天璋院は家茂までもが慶喜によって毒殺されたのだと思いこんだのです。
天璋院は自分が育てた徳川家達の娘にも「うちの家訓として家茂が毒殺されたということを子々孫々まで伝えよ」と言い伝えたようです。





(管理人)
「一橋派によって家茂は毒殺された」と信じていた篤姫の想いは正しかったでしょう。
養母であった篤姫は家茂を愛していたでしょうし、誰に家茂を暗殺する動機があったのかを一番理解していたと思われるからです。
恐らく、夫であった徳川家定の死にも疑問を抱いていたことでしょう。
家茂は孝明天皇の妹である和宮と結婚しており、孝明天皇と深く結びついていました。
攘夷を叫ぶ孝明天皇と共に家茂は、一橋派にとって都合の悪い存在であったことは容易に察しがつきます。
家茂は、次期将軍として田安亀之助(慶頼の子、後の将軍家第16代当主・徳川家達)の指名を遺言とした。
しかし邪魔な南紀派の家茂を暗殺したと思われる一橋派は、家茂の遺言も無視して慶喜を将軍に擁立します。
この勢力は明らかに維新勢力と結託していました。
この勢力が次に行ったことが「語られている史実」であることは、言うまでもありません。
もう一つ先日の『西郷どん』が酷かったのは、「鶴瓶が演じる岩倉具視が孝明天皇のお隠れを知って嘆き悲しむ」という場面です。

「よくも白々しくこのようなクサイ芝居ができるもんだな!」
「お前が犯人とちゃうんか!」と、心の中で叫ばずにはおられません。

NHKの役割は国民に歴史の真実を伝えることではありません。
NHKの役割は「歴史を偽造すること」そして「国民を騙すこと」にあるのです。

その後、慶喜が「予定通り」大政奉還を行いました。

大政奉還とは、「一橋派(=南朝派)の工作員である慶喜」が「入れ替わられた明治天皇」に政権返上を奏上したということです。

さらに慶喜は、鳥羽・伏見“八百長”戦争に敗れる「役」を演じ、大阪城から離脱して船で江戸へ逃げ戻るという「役」を演じきった。
その後に勝海舟と西郷隆盛によって行われたことにされている江戸無血開城なるものも、「一橋派(=南朝派)の工作員である両名(西郷は後にこの勢力に反旗を翻したので悪く言いたくはないが・・・)」によって行われた“クサイ芝居”であることは言うまでもありません。

ところでアーネスト・サトウさん、「それは内政の干渉になるのでできない」なんてよー言ったものですナ。おもいっきり内政干渉していたのはどこの誰ですか!

次に松平乗謨さん、あなたがフリーメーソンであったかどうかは知りませんが、あなたにはその種の匂いがプンプンしますね。
勲章制度を完成させただけでなく日本赤十字社の設立にも「貢献」したんですね。
日本赤十字社の前身は博愛社ですか・・・、分かりやすいですね(笑)
日本赤十字社の正体は、こちらでご確認ください。
これだけ「貢献」したのだから、明治天皇から勲章が授与されるはずですよね。

殿様の人生を振り返れば、さらに「幕末・明治維新の真実」が見えてきますね。
「幕末・明治維新の真実」は、殿様と維新勢力が結託して行ったもののようですね。
そしてこの勢力は、一橋派(=南朝派)であり、フリーメーソン・イルミナティ勢力に「支援」されていたようですね。

この物語は、決して単なる昔話ではありません。
この怪しい勢力は、いまだにこの国を「彼ら」の命令に従って支配しており、NHKの大河ドラマに強い影響を与えており、「国民を騙すこと」に日々勤しんでいることを、お忘れなく!




評点:60点






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夜は灯火を消して、闇の中で豆を投げ、棒で空を打って魔物を追いたてる。闇の中では悪魔のかわりに親しい友人や妻を叩き、その顔に豆を投げつけることもしばしばある。 by ヒュースケン

「ヒュースケン日本日記 1855-61」青木枝朗訳


1989年に出版された書である。
1858年に日米修好通商条約調印の際のアメリカ側全権使節ハリスの通訳兼書記として活躍したヒュースケン(1832-1861)の日本滞在日記である。
幕末のアメリカ人が残した日記に何か“隠された歴史の一面”が書かれているかと思って読んだのだが、特にそれらしき箇所は見当たらなかった。
ただ、幕末期の日本の自然・文化・習慣について記されており、外国人から見た幕末期の日本の姿を感じ取ることが出来たため、少しは読む価値があったかもしれない。
その幕末期の日本の自然・文化・習慣に関する記述を記しておく。



*谷間におりて、天城の山頂に去来する雲から外に出ると、田畑がひらけてくる。やわらかな陽ざしをうけて、うっとりするような美しい渓谷が目の前に横たわっている。とある山裾をひと巡りすると、立ち並ぶ松の枝間に、太陽に輝く白い峰が見えた。それは一目で富士ヤマであることがわかった。今日はじめて見る山の姿であるが、一生忘れることはあるまい。この美しさに匹敵するものが世の中にあろうとは思えない。

*日本の宮廷は、たしかに人目を惹くほどの豪奢さはない。延臣は大勢いたが、ダイヤモンドが光って見えるようなことは一度もなかった。わずかに刀の柄に小さな金の飾りが認められるぐらいだった。シャムの宮廷の貴族は、その未開さを泥臭い贅沢で隠そうとして、金や宝石で飾りたてていた。しかし江戸の宮廷の簡素なこと、気品と威厳をそなえた延臣たちの態度、名だたる宮廷に栄光をそえる洗練された作法、そういったものはインド諸国のすべてのダイヤモンドよりもはるかに眩い光を放っていた。

*しかし、明日からは日本の祭日で、その日には豆を投げつけて悪魔(鬼)を追い出さねばならないので、委員たちはこられない。夜は灯火を消して、闇の中で豆を投げ、棒で空を打って魔物を追いたてる。闇の中では悪魔のかわりに親しい友人や妻を叩き、その顔に豆を投げつけることもしばしばある。



今回は、皆さんが期待していただいているような記述ではありません。
全く持って私らしからぬ“普通の感想”で申し訳ないですが、これぐらいにしておきます。




評点:40点






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「新聞・テレビ・学校が絶対に伝えない、明治維新の真実」とは?

「倒幕の南朝革命 明治天皇すり替え」加治将一


『ビジュアル版 幕末 維新の暗号』(2012年)を大幅に加筆・修正し、新書版として再編集した2018年の書である。
著者は、明治維新を語るのであれば絶対的に触れなければならない最重要事項に正面から取り組んでいる。
明治維新を語るのであれば絶対的に触れなければならない最重要事項とは何か?
勿論、「語られている史実」と「幕末に暗躍していた外国人」についてです。
この最重要事項に正面から取り組んでいるだけでなく、写真を多く使用して、ビジュアル的にもより分かりやすく解説している。
その最たるものが、あの「フルベッキ写真」である。
この写真と著者のコメントが週刊誌に取り上げられていたようなので、リンクを貼っておきます。
この写真が週刊誌に取り上げられるということは、この歴史隠蔽国家にも真実の光が差し込んできたのかな?
本当の意味での「文明開化」がやってきたのかな?


http://www.nextftp.com/tamailab/photo/article02.htm


まさに、「百聞は一見に如かず」です。
あれこれ理屈を言わずとも、ここに「明治維新の真実」が現れています。
真ん中にいるのが大室寅之祐こと“偽明治天皇”であることは、言うまでもありません。
何故に明治維新のオールスターが一同に会し、写真に写っているのでしょう。

明治維新のオールスターは、一つの目的の下に結集していたのです。
その目的が何であるかは説明不要ですよね。
この国に革命・大改革を起こす、ということです。
この大改革を成功させるためには手段を選ばない、ということです。

この写真は、この革命・大改革を成功させるための“決意表明の証”なのです。

この写真に岩倉具視の息子が加わっていることは、大変重要です。
岩倉具視がこの計画に加わっていたことの証拠となるからです。
さらには、勝海舟が加わっていることも、大変重要です。

この計画は維新勢力だけではなく幕府勢力も加わっていたことの証拠となるからです。
このことは、以前証明しています。



http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-707.html
たとえ徳川家が滅亡に追いやられても、武士の魂だけは決して忘れてはならない
「幕末・明治維新の真相、歴史の裏舞台に“貢献”したフリーメーソン・工作員の正体を暴く②(徳川編)」



この写真には写っていませんが、「徳川慶喜も間違いなくこの計画に参画している」と、私は思っています。
徳川慶喜は水戸藩出身です。水戸藩といえば、水戸黄門こと徳川光圀が頭に浮かぶ。
徳川光圀が編纂を命じたのが『大日本史』であって、これを水戸学という。
水戸学を一言で言うと、「南朝を正統とした南朝再興のための学問」である。
その水戸藩出身の慶喜が南朝思想であることは、容易に察しが付く。
薩摩藩が水戸藩と繋がっており薩摩藩が慶喜を将軍にしようとしていたのは、ともに南朝思想であったからである。
西郷隆盛は勿論、大久保利通、佐久間象山、吉田松陰、桂小五郎、高杉晋作、伊藤博文、坂本龍馬、勝海舟等、すべての維新演出者が南朝思想の持ち主であった。

慶喜が大政奉還を演じたのも、慶喜の意志などではなく、すべてが計画であったのだ。

この南朝信奉者を操って計画を立てていたのがフルベッキであり、グラバーであり、パークスであったのだ。
その背後に「彼ら」がいることは、言うまでもない。
ところでフルベッキは、オランダ改革派教会に属していたらしい。
オランダ改革派教会とは何か? ウィキで見てみた。



(オランダ改革派教会)
カルヴァン主義は、スイスから西方のフランス・オランダ・イギリス・アメリカへ広がった。
オランダ改革派から、カルヴァン主義の予定説に反対し、ヤーコブス・アルミニウスとその後継者によってレモンストラント派(アルミニウス派)が現れた。オランダのカルヴァン派では予定説をめぐって、救済の予定が人間(アダム)の堕落の前とする堕落前予定説と、堕落の後とする堕落後予定説との論争が起こった。堕落前予定説では人間の自由意思の余地は全くない。
ヤーコブス・アルミニウスの死後、1610年に、彼の支持者たちが、自分たちの信条を定めた『建白書』(Remonstrantie)を提出、アルミニウス主義の認可を政府に求めたため、1618年にドルトレヒト会議がもたれた。 1619年、改革派はドルト会議において、アルミニウス派を異端として排斥した。 アルミニウス主義の思想は、後にメノナイト派、ジェネラル・バプテスト派(普遍救済主義のバプテスト)、メソジストのウェスレー派などに継承された。
この会議では、ドルト信仰基準が決められた。その基準は、長老派、改革派といったカルヴァン主義の特徴を五つの特質として明確にしたことで神学史上大きな意味がある。

全的堕落(Total depravity)
堕落後の人間はすべて全的に腐敗しており、自らの意志で神に仕えることを選び取れない。
無条件的選び(Unconditional election)
神は無条件に特定の人間を救いに、特定の人間を破滅に選んでいる。
制限的贖罪(Limited atonement)
キリストの贖いは、救いに選ばれた者だけのためにある。
不可抵抗的恩恵(Irresistible grace)
予定された人間は、神の恵みを拒否することができない。
聖徒の堅忍(Perseverance of the saints)
いったん予定された人間は、最後まで堅く立って耐え忍び、必ず救われる。
この頭文字をとって「TULIP」の神学と呼ばれる。



この文面から理解できるのは、「オランダ改革派教会は、基本的には神を否定している」ということだ。
神に対して不平不満を持っている、ということである。
この思想には、フリーメーソン・グノーシスに近いものを感じる。
「キリスト教を偽ったユダヤ教」と言ってもいいだろう。
本書の中でも、フルベッキが大のカトリック嫌いであったことが記されている。
本書の中で著者は、フリーメーソンのシンボルの意味を解説している。

「Gはゴッドとジオメトリィ(幾何学)の略だが、「神」が直角定規とコンパスという「科学」の中にある、言い換えれば科学が優先するということで、神を優先するカソリックとは昔は対立する運動だった」と。

著者の指摘は正しいだろう。
フリーメーソンのシンボルは「科学が神を閉じ込めている」ということであり、言い換えれば「人間が神に優先する」ということを示しているのだろう。

明治以降に皇室にキリスト教が浸透したことは、以前書いた。



http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-203.html
日本は神道である。しかし神道は本来ユダヤ教である?
「天皇の信仰する宗教の変遷及び、日本における宗教戦争の歴史を探る」




ここでも書いたが、皇室に浸透したキリスト教は「キリスト教を偽ったユダヤ教」であった。
本書には、「フルベッキの講義を明治天皇は受けていた」と記されている。
フルベッキの思想を理解すれば、私の説が正しかったことが理解できるだろう。
ちなみにフルベッキは、開成所(後の東京大学)の教師(事実上の校長)となったらしい。
この事実から、東大がどういった組織であるのかが見えてきますよね。

さらに言えば、明治以降に日本に伝わったキリスト教なるものは本来のキリスト教ではなく“フリーメーソンの教え”のようなものであったとも言えるだろう。
キリスト教を擁護するつもりなどさらさらありませんが、「フリーメーソンの教え」が正しいなどと言うつもりも毛頭ありません。
私は、カトリックもプロテスタントも「彼ら」の“両建て作戦”だと思っています。
どちらの信仰を信じようと、結局は「彼ら」の掌で泳がされているということなのです。
さらには、キリスト教もフリーメーソンも「彼ら」の“両建て作戦”かも知れませんね。
「神も悪魔も根は同じ」ということか・・・

「明治維新の裏に売国奴あり」
「売国奴は維新側にも皇室側にも幕府側にも配置されていた」
「売国奴を操っていたフルベッキが属していたオランダ改革派教会は、キリスト教を詐称した反キリスト勢力であり、“フリーメーソンの教え”そのものであった」

これが、「新聞・テレビ・学校が絶対に伝えない、明治維新の真実」であるようですナ。


評点:90点






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テンプレート説明

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◎プラグイン説明

最上部のメニューバーがプラグイン1です。マウスオーバーで展開するメニューになっていますので、お好みでプラグインを設定してください。「HOME」のような普通のリンクも置けます。
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サイズの大きなプラグインに適しています。

※最上部メニューバーの上に隙間がある方

最上部のメニューバーの上にFC2検索バー用のスペースを設けています。
検索バーを表示しない設定にしている方は、cssの最上部メニュー.MegaMenuの中にあるtop:27pxをtop:0に変更してください。

◎背景スライドショー説明

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