歴史・宗教 - 嘘八百のこの世界

嘘八百のこの世界

この世界の真実を追究して行くための読後評を中心に書いていきます

HOME プロフィール 真実を追究するマロン

ソウルマンの娘のマロンです。お散歩大好きです。 

最新記事 最新コメント 月別アーカイブ カテゴリ
ランキング
にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村 ポチッと押してもらえると、明日への活力となります↑
ロック
頭脳警察、PANTA
RCサクセション、忌野清志郎
ブラック・ミュージック
広告
歴史・宗教 カテゴリーの記事

学校教育における日本の古代史=“偽史倭人伝” ?

「白村江≪古代日本の敗戦と薬師寺の謎≫」鈴木治


1972年(新装版は1999年)の書である。
本書を読んだのは、先日紹介した太田龍氏の書に紹介されていたからである。
以下、一部引用する。



*先頃発掘された「高松塚古墳」について、その中に現れたいちじるしい唐文化の影響が、当時いかにしてわが国にもたらされたかが論ぜられるにつれて、はからずも天智・天武・持統の三代30年間の長期にわたる遣唐使断絶の問題が浮かびあがった。このことは天智2年(663)、わが国は白村江において唐と戦い大敗を喫したにもかかわらず、その後両国の関係はしごく円滑で、わが国からはしばしば遣唐使が派遣されて、おおいに彼の地の文化を輸入し、ついに咲く花の匂うがごとき天平文化が現出した、という従来の通説をおおきくゆさぶることになった。
しかも多くの日唐交渉研究は、従来この問題をほとんど看過してきた。
近年私はたまたま薬師寺金堂三尊の建立が日唐30年の断交期間中に当るという意外な事実と直面するにいたり主として美術史の立場からこの問題の解決を試みて、これを「白鳳天平幻術の史的背景」(『仏教芸術』第73号)として発表した。今回それをさらに広い視野からパラフレーズしたのが本書である。
当時唐は朝鮮海峡を越えてわが国に上陸作戦を敢行するほどの力はなかったが、いやしくも白村江の会戦に勝った以上、むざむざ勝者の権利を放棄するはずはなかった。戦後数次の彼我交渉の後に、天智天皇崩御の前年にいたり、朝散大夫郭務悰に率いられ、47隻の船に分乗して大挙筑紫に渡来した2千人の大部隊は、軍隊ではないとしても、国内攪乱のための大規模な政治工作隊だったことはたしかである。そしてその跡引きつづいてわが国内に生じた数々の奇怪な事件は、唐のわが国にたいする内政干渉によって起ったものだったことはいうまでもない。壬申の乱をはじめとして、東大寺大佛建立その他の大事件は、すべてその中に含まれる。

*持統朝におけるもっとも大きなできごとは藤原京の建設と、それにつぐ薬師寺の建立だった。それは天武朝における大官大寺の建立に対比されるが、大官大寺の伽藍配置が、前記のごとくまだ百済系統の「法隆寺形式」であったのにたいして、薬師寺は左右に塔のある伽藍配置から見ても純粋の唐系の官寺とし画期的なものだった。

*藤原京の薬師寺は、伽藍配置の上からみて、わが国最初の唐系の官寺だったことはさきに記した。唐が「ポスト壬申」の対日政策として、天武朝以来、おおいに仏教の興隆につとめたことはいうまでもない。しかしそれと同時に難波の鴻臚館のほかに、大和におけるCIAの政治拠点として、純唐系の薬師寺が必要だったのだ。その初期の住職なども全然不明で、寺院としてよりも、むしろ政治色が強い。後に記すとおり、天平20年に異常の事態によって、突如聖武帝が退位してこの寺に幽閉されたことは、明らかにこの傾向を示している。

いずれにせよ、大宝律令なるものは、思いのほかの代物である。結局それは日本にたいして、大いに唐制をとり入れた親唐国家であることを要求し、それに日本が応じたものだった。
・・・・・(中略)・・・・・
(栗田)真人の一行が、3年間も彼地にいたことも普通ではない。おそらく彼はまず新製の大宝令を提出して、そこに示されているように、日本がすべてを唐朝に範をとった、立派な文化国家になったことを説明し、未来永劫白村江の戦ごとき大それたことをすまじきことを誓い、平身低頭して恭順の意を表したことであろう。それにたいして唐廷は一応承知したが、念には念を入れて、土佐衛門の足に石をしばりつける意味で、一層平和無抵抗主義の仏教をひろめて国是とし、さらに国力消耗策として、できたての藤原京から、もっと大きな平城京への遷都と、全国に国分寺・国分尼寺の建立が強要されたのだった。

*『続紀』によると、当時わが国にいた唐国人としては、つぎの4名があげられる。
・・・・・(中略)・・・・・
以上4人の唐人が奈良朝後半のわが宮廷内に延官として存在していたことは、有力な牒報源として無視することはできない。ことに仲麻呂が誅死した孝謙帝復位後の称徳朝において、4人がそろって重用されて昇位したことも見逃せない事実であって、彼らが大臣・参議などの高官でないからといって、これを軽視することは、実情を見誤るものである。しかしもっとも重要なことは、吉備真備がこれらと緊密に結びついていたに相違いないことである。

*思えば天智2年(663)白村江敗戦以来、寛平6年(894)の遣唐使廃止まで、じつに231年にして、はじめてここにわが国は唐の羈絆(きはん)から脱することができた。





(管理人)
とにかく読みづらい書であった。
ここに引用した文章を選んだ理由は、内容的に貴重な情報であると感じたことは当然だが、
本書の中では比較的判読しやすいという意味においても“貴重”であったことも、大きな要因であった(笑)
書かれている内容は貴重なものだということは理解できるが、「もう少し分かりやすい文体で書いてもらえれば、理解しやすいのにな」と、正直感じた。
古い本とはいえ、はっきり言って古典を読んでいるような気さえした。
内容的には「著者の指摘は基本的には正しいものである」と、感じた。
そうはいっても、本書が大変重要な日本の古代史の真相を紐解く羅針盤的存在であることは間違いないだろう。

白村江敗戦後の日本に郭務悰の大軍がやってきて実質上日本は唐の属国となったということは以前から理解していたが、本書を読むことでその想いは確信となった。
そもそも敗戦した国家が戦勝国に支配されなかったと判断すること自体が、どうかしているのである。
白村江敗戦以前から日本は中国や百済・新羅の強い影響下にあったわけだが、白村江敗戦以後の日本は、完全なる外国勢力の支配下となったのである。
この「決定的事実」を無視して語られる学校教育における日本の古代史は、全く意味をなさない。

嘘八百の日本古代史、“偽史倭人伝”である!

この「決定的事実」を無視する限り、平城京や平安京等の古代都市、古代寺院、遣隋使・遣唐使、古代の政変、天皇制等の古代史の真相は見えてこない。
逆に言うと、この「決定的事実」を正しく理解さえすれば、古代史の真相が見えてくるのである。

本書によって教えられたもの、ヒントを与えられたものは、多々存在する。
壬申の乱・薬師寺・大宝律令等、決して学校教育が教えない「真実の古代史」が見えてくる。
「何故にあれほど遷都を行ったのか」が見えてくる。
「何故に女性天皇が多かったのか」が見えてくる。

先日「テレビは嘘報道という前提で観ればいい」といったことを書いたが、学校が教える歴史についても、「嘘の歴史をであるという前提で聴いておけばいい」と、思う次第である。
「歴史の真実」は学校教育にはない。
ただ、「歴史の真実」を教えてくれる書は、数は少ないが存在している。
本書は、その数少ない貴重な書である。

「歴史の真実」を理解することは、あなたにとってはさほど重要ではないのかもしれません。
それは「戦争が八百長だろうと、そうでなかろうと、自分には関係ない」と思っている方の思考と似ているでしょう。
ただ、そのような方に私が言っておきたいことがあります。
それは「あなたの思考は、あなたの周囲の家族・恋人・友人・知人に必ず影響を与える」ということです。

あなたの無関心は、あなたの周囲の人まで無関心にしてしまうかもしれないのです。
場合によっては、それが取り返しのつかないことになってしまうかもしれないのです。

嘘の歴史を真実だと思ったまま何も調べずに死んでいくのか、自分の頭で「歴史の真実」を理解しようと努めた末に人生を終えるのかは、あなた次第です。


評点:80点






ポチッと押してもらえると、明日への活力となります
にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村

悪魔が存在しなければキリスト教が成立しない

「悪魔をつくったのは神である」



テレビを「白痴製造機」と呼んで否定している私だが、けっこうテレビを観ている。
ただ基本的には情報収集のために観ているわけで、
「今回はどんな嘘を垂れ流しているのだろう」と、懐疑心の気持ちで観ているのである。
私のような“屈折した心境”ではなく“素直な心境”でテレビを観るのなら、
すっかり「彼ら」の術中に嵌り、コロリと騙されてしまうので、
初めからテレビを観ることを拒否した方がいいだろう。

最近観たテレビネタを二つ述べておく。

まず、「やりすぎ都市伝説」である。
関暁夫がIOTやキャッシュレス社会やマイクロチップについて触れていた。
このような社会が現実に拡大しているのは事実なのだが、
これらを肯定的な視線のみで報道しており、
裏に存在する危険性には全く触れていなかった。
マイクロチップを人体に埋め込むことの利便性を強調するだけでなく、
その行為が時代の最先端な行為であり、
さも“オシャレな行為”であるかのように視聴者に思わせるように仕向けられていた。

マイクロチップを人体に埋め込むことの危険性には、一切触れられていなかった。

そして、最後に関は、自分自身にマイクロチップを埋め込んだのだ!
このような映像をテレビで公開した関暁夫という男は何者か。
先日この男がバランサーであるということを指摘したが、この想いは「確信」となった。
この世界の裏情報をテレビで語る「真実を語る人物」であるかのように信用させておいて、
確信の部分で「偽情報」を視聴者に信じ込ませること。
これがこの男に与えられたバランサーとしての役割である。

私の判断を信じるか信じないかは、あなた次第です(笑)

もう一つは、
NHKBSで放映されていた「世界神秘紀行 イタリア エクソシスト VS 悪魔」である。
バチカンでは「エクソシスト養成講座」というものがあるそうなのだ。
そして、「イエスは初代エクソシストである」と報じていた。
この番組を観て感じたこと。
その一つは、「エクソシストによる悪魔祓いの行為は嘘だ」ということである。
その根拠は、
「エクソシストによる悪魔祓いの行為が見られる国家が限られている」という事実である。
これらの行為が行われているのは、イタリアを中心とした欧米がほとんどであるだろう。
日本でこのような行為が行われた報道を聞いたことがない。
国家によってその行為の有無が存在しているというのは、どう考えてもおかしい。
キリスト教が浸透しているか否かがエクソシストによる悪魔祓いの行為の存在基準だというのなら、その悪魔に憑りつかれた人間は、深層意識に「自分が悪魔に憑りつかれている」と信じ込んでしまっているのだろう。
マインドコントロールされていると呼んでもいいだろう。
私は、「悪魔に憑りつかれている演技をしているケースもかなりあるのでは」と疑っている。
日本でも「悪霊に憑りつかれた」例はよく見かける。
これも実際に見たわけではなくテレビ映像を通して「観た」わけなので、
信用しているわけではないが。
仮に「悪魔=悪霊」だとするならば、「エクソシストによる悪魔祓いの行為が見られる国家が限られている」という問題が解決しそうだが、「悪魔に憑りつかれた西洋人」と「悪霊に憑りつかれた日本人」が憑依された時に発する発言内容は異なるわけであるから、その人物の信仰の違いによって“乗り移った存在”が変わってくるというのもおかしな話である。
これらの「悪魔や悪霊に憑依された」とされる現象の真実は、「悪魔や悪霊に憑依された」のではなく、「これらの人物の深層心理によるもの」か「単なる演技」であるかのいずれかであるだろう。

というわけで、私は重要なことを悟った。
それは、いずれ話したいと思う・・・

というのは冗談で(笑)、はっきりと言います。

「悪魔をつくったのは神である」ということです。

このようなこと(神=悪魔)は今まで何回も述べてきたが、今回は確信に満ちてきた。

「バチカンが公式にエクソシストを認めている」ということは、
言い換えれば、「悪魔が存在しなければキリスト教が成立しない」ということである。

キリスト教を作った勢力(「彼ら」)は、
「その信仰を広めるために、同時に悪魔を創作した」のです。
悪魔が存在していなければ、誰もキリスト教など信じないのです。
信者は、恐ろしい悪魔から自分や家族を守るため、キリスト教を信仰するのです。

キリスト教を作った勢力(「彼ら」)は、
イエスの存在以前に、悪魔の存在自体を問答無用に大衆に信じ込ませたいのです。

これが「バチカンが公式にエクソシストを認めている」理由なのでしょう。

そして、これが「彼ら」が世界中の人々を騙し続けてきた「キリスト教の真相」でしょう。

「彼ら」は悪魔崇拝主義者でしょうが、キリスト教崇拝者でもあるのでしょう。

ズバリ言って、「キリスト教崇拝者=悪魔崇拝主義者」なのでしょう。

勿論これは「彼ら」に関することであるので、
一般の善良なキリスト教信者のことを言っているのではありません。
一般の善良なキリスト教信者は、単に「彼ら」に騙されているのです。

この「敵対する勢力を自ら作り出して対立を演出する」という「彼ら」の常套手段は、
ここに起源があるのでしょう。

「宗教対立」、「資本主義と共産主義の対立」、「独裁国家と自由主義国家の対立」、
「国家とテロリストとの対立」等々。

ショッカーがいなければ、仮面ライダーは“正義の戦い”ができないのだ」という発想の起源も、「悪魔が存在しなければ、キリスト教が成立しない」というシナリオにあるのだろう。

さらに言えば、「癌がなければ、がん治療が存在できない」、「伝染病やウィルスがなければ、ワクチンが存在できない」という「彼ら」のオペレーションにも繋がっていくのだろう。

恐ろしい真実に気づいてしまった・・・

私の言説を信じるか信じないかは、あなた次第です(爆)





ポチッと押してもらえると、明日への活力となります
にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村

過去の歴史を正しく理解していなければ、現在・未来のことが見えてきません。

「ローマから日本が見える」塩野七生


2005年の書である。本書のタイトルは第9章のタイトルと同じものだが、この章以外には日本に関する記述はほとんどなく、古代ローマの歴史について書かれている。
第9章より本書のタイトルに関係する記述を一部引用する。




*ではいったいなぜ、改革は再構築であるべきなのか。
その答えはカエサルの次の言葉にあると私は考えます。
「どんなに悪い事例とされていることでも、それが始められたそもそものきっかけは立派なものであった」
・・・・・(中略)・・・・・
どのような政治システムであろうとも、最初から国民(市民)を不幸にしようと考えて生まれたわけではない。当初の動機は「立派なもの」、つまり善であったはずだし、事実、そのシステムでうまくいった時期もあった。だからこそ長期にわたって同じシステムが維持されてきたわけです。
しかし、その善(プラス)が時間を経るにしたがって悪(マイナス)に変わっていく。そこに問題があるのだというのが、カエサルの指摘であったのです。
・・・・・(中略)・・・・・
ではいったい、なぜ善から悪への転換が起きるのか。
その原因はシステムそのものにあるというより、外界の環境変化にあると私は思います。たとえシステムそのものは昔と同じく運営されていても、それを取り巻く環境が激変してしまえば、その効果も逆向きになってしまう。つまり国民を幸福にするためのシステムが、かえって国民を不幸にすることになるのです。
・・・・・(中略)・・・・・
現在の日本は、実にさまざまな問題を抱えています。
バブル崩壊以来、完全な再興の期待はいまだに持てない国内経済。国民を幸福にするどころか、かえって害悪をまき散らしている官僚制の問題。具体的に言えば、特殊法人や不良債権の問題だってあるし、教育問題も深刻です。
こうして日本の問題点を数え上げていけば、それだけで憂鬱になってしまうほどですが、先ほどのカエサルの指摘に戻って考えれば、こうした「諸悪」は最初から悪であったわけではない。
・・・・・(中略)・・・・・
たとえば今では「55年体制」と言われ、批判の対象となっている自民党の一党独裁にしても、すべてが悪であったはずがない。
いかに「経済一流、政治三流」とは言われていても、政治システムがそれなりに機能を果していなければ、経済発展などありえない話です。
すでに共和制のところでも述べたことですが、派閥政治などといった批判はあっても、当時の自民党が「人材のプール」としての機能を果たしていたからでした。
もっと具体的に言うならば、「総理にしてやるから、この政策を実現して退陣せよ」というシステムが当時は機能していた。たとえば吉田茂の場合は単独講和がそれだったし、また佐藤栄作の場合は沖縄返還、中曽根康弘の場合は国鉄民営化、竹下登は消費税といったぐあいです。それぞれの首相には、与えられた目的があって、それをこなすことが総理就任の条件だった。
その点では「総理とは党が作るものである」とした戦後日本と、「執政官は元老院が決める」とした共和制全盛期のローマとはよく似ているし、日本でもローマでも、こうした少数指導体制は右肩上がりの成長期には実によく機能していたのです。

*こうしたロ-マの改革を振り返っていくと、現代日本が長い混迷状態から抜け出すためには結局のところ、カエサルのような強力なリーダーが出てくるか否かにかかっているという結論になりそうです。

*現代の民主主義の観点から見れば、カエサルもアウグストゥスも独裁者に分類されるでしょう。しかし、彼らがいたおかげで最終的に得をしたのは、ローマ市民であり、属州の人々であった。そのことを私たちは、偏見にまどわされずに思い起こす必要があると思うのです。





(管理人)
前にも書いたが、私が著者の書を読んだきっかけは、イタリアに旅行したことにある。
著者に関する知識は全くなく、性別さえも知らなかったほどであったのだ。
今回の書を読もうと思ったのも、イタリア旅行に行ったことにある。
イタリア旅行はそれなりに勉強になったのだが、古代ローマに関する知識が皆無に近く、
少しは理解しておきたいとも思ったからなのである。
歴史の知識はそんなに簡単には得られるものではないだろうが、
なんにも知らないよりは少しでも知っておいた方がいいに決まっているのだ。
しかし、表に出てくる「公式の歴史物語」というものは、とても真実であるとは思えない。
日本史についてはそういった記事を書いてきているが、世界史も同様であることは、
調べなくても察しがついている。
確かに著者はイタリアの歴史に詳しい。
ただ私が思うに、著者が詳しいのは、あくまでも「表の歴史」なのではないのだろうか。
それほど著者の書を読んでいない私が結論を出すことはできないが、
数冊の著作を読んだ感想として、このように感じた。
恐らく著者はそれほど知識を持っていないと思うのが、
私がいつも書いているこの世界の支配者層を含めた「裏の歴史」についてである。
一言でいえば、秘密結社の歴史である。
著者はカエサルやアウグストゥスが「個人の人間」として政治を行ったように記しているが、私はその点には疑問を抱いている。
秘密結社は当時から存在していたと私は考える。
現代の秘密結社と同じだとは言わないが、
当時から秘密結社はそれなりに力を持っていたのではないのだろうか。
それならば、カエサルやアウグストゥスも、
それなりに秘密結社の影響を受けていただろう。
著者は、歴史書を見て古代ローマの歴史を知り、
「これが真実だ」と信じているのではないのだろうか。
日本における記紀が海外支配者による歴史偽造書であることが判明したように
古代ローマの歴史書もそのままオウムのように信じ込むのではなく、
疑いの目を持つ視点が必要であると感じる。
著者は本書でこのように言及している。

「史実をよく調べている」のは作家として当然のことであり、大事なのは、その史実を「どう使うか」なのである。そこに作家としての才能が問われると思っている。

確かに、おっしゃるとおりである。
著者が古代ローマの歴史をよく調べておられるのは感心するのではあるが、
その史実を「どう使うか」については納得できない部分もある。
その歴史書の背後に存在するものをさらに調べていれば、
古代ローマの実態はさらに見えてくるような気がする。
著者は自民党の政治家をそれなりに評価しておられるようだが、
残念ながら、彼らの背後にある存在に気づいていないようである。
そして著者は基本的に性善説に基づいた考えを持っているようである。

「政治家は国家・国民のための政治を行っている」という。

「総理にしてやるから、この政策を実現して退陣せよ」という言葉も、
ある意味、間違いではないだろう。
ただ間違っているのは、それを発しているのは党ではないということだ。
さらに言えば、性善説に基づくものではないということだ。

皆さん、私が何を言おうとしているかは、もう分かっておられますよね。
「総理にしてやるから、この政策を実現して退陣せよ」という言葉を発しているのは、
「彼ら」悪魔勢力であるということであり、当然ながら国家・国民のためではなく、
「自分たち悪魔勢力の利益」のためである、ということなのだ。
カエサルやアウグストゥスがどうだったかは分からないが、
この国の総理大臣の大半が、国家・国民のための存在ではなく、
「彼ら」悪魔勢力の僕としてその職を与えられた売国奴ばかりなのである。

「総理にしてやるから、この政策を実現して退陣せよ」という言葉は、
国家・国民のためどころか、国家・国民を抹殺せよという悪魔の命令なのだ。


著者は日本に「強力なリーダー」「独裁者」を待望しているようであるが、
このような日本の状況で「強力なリーダー」「独裁者」が登場するようになると、
恐るべき事態となることは容易に推察できるのである。
今の日本にカエサルやアウグストゥスは必要ない。
「彼ら」の僕として国家・国民の抹殺を企図する「強力なリーダー」「独裁者」の登場は、
御免こうむりたい。
この国に必要なのは、「彼ら」悪魔勢力の僕である「偽りのヒーロー」ではなく、
「彼ら」悪魔勢力の策略に対抗できる、真の意味で目覚めた国民が台頭することである。
古代ローマの歴史を学ぶことは勿論いいことだとは思うが、
日本国民は、まず「自国の真実の歴史」を学ぶべきだろう。
「自国の真実の歴史」も知らない人間が、古代ローマの歴史を学んでも仕方ないのである。
「自国の真実の歴史」が学校では教えられないことは、言うまでもないことです。
自分の頭で考え、調べ、理解しようとしてください。
本書で著者は、歴史について良いことを述べておられます。

「歴史が苦手」という人は、「人間が苦手」と告白していることになりますよ。
私にとっての歴史とは、人類がこれまで経験したすべてのことが入っている。
そんな歴史が面白くないはずはない、と私は思います。


「歴史が単なる過去の遺物ではない」ことは、言うまでもありません。
私は、歴史の重要性を、次のように感じています。

過去の歴史を正しく理解していなければ、現在・未来のことが見えてきません。
現在・未来を正しい方向に導いていくためには、
過去を正しく理解しなければならないのです。
その中でも特に重要なことは、過去の戦争の歴史を正しく理解することです。



評点:60点







ポチッと押してもらえると、明日への活力となります
にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村


「朝廷」=「朝鮮の宮廷」?

「検証! 捏造の日本史」松重揚江



2006年の書である。著者の書は初めて読んだ。
著者の情報は少なく、私もよく分からないのだが、大正14年の生まれである。
今も存命なのだろうか? 鹿島昇氏とも親交が深かったそうである。
鹿島昇といえば、太田龍氏も「鹿島史学勉強会」で講演していたぐらいだから、
著者は太田氏とも親交があったのだろうか?
以下、一部引用する。




*崇神と応神は江上波夫の「騎馬民族説」の柱になっているが、奈良県の石上(いそのかみ)神社に伝わる七支刀(ななさやのたち)銘文の「倭王旨(し)が百済辰斯(しんし)王である」ことには、まるで触れようともしていない。石上は「イソノカミ」と読み、伊祖の神(イスラエル神)を表す。
・・・・・(中略)・・・・・
奈良県天理市の天理教本部の裏手にある石上神社は、物部氏の氏神といわれ、武器についての伝承の多い神社であるが、この神宮におさめてある七支刀は、その銘文からおして、百済がこのときに奉った七支刀にあたるものと考えられる。
・・・・・(中略)・・・・・
この七支刀の金象眼の「銘文」に研究心を燃やした村山正雄氏は、近時撮影された写真によって「奇生聖音」などの字句を調べ直し、この文字の読み方は「奇しくも聖音に生き」が正しいとし、またその意味は「計らずも釈尊の加護に生きて」であるとする、次のような「新説」を発表して学会にセンセーションを起こした。
「・・・つぎに、『先世以来、未有比刃』というのは4字ずつの対句になっている。その次の『百済王世子、奇生聖音』は5字、4字と続く。
したがって、このあとも5字で切って読んでみると、『故為倭王旨』となる。
『故為倭王旨』というのはどういうことか。もちろん『故あって倭王旨と為る』ということで、百済王の世子が倭国の王になったということ以外にはない。(大体)こういったお目出度い文句は、漢文ではほとんどが対句になっているものだ。
対句を続けると『奇しくも聖音に生き、故あって倭王旨(し)と為る』となる。今後はこの読み方によって歴史を正しく解釈すべきであろう。」
この刀の表面には泰和4年とあり、栗原唯信氏は、泰和を東晋の太和であると考証したので、369年にあたるが、このころ、百済王家から倭の大王が選ばれていたことを示すものであり、その他の史料から考えて、その人は百済の辰斯(しんし)王ということになる。

*鹿島昇は、『歴史捏造の歴史②』の中で次のように述べている。
「大化改新のきっかけとなった入鹿殺しが、実は倭国(日本)ではなく、朝鮮で起こった事件であるということは驚くべきことである。してみると、646年(大化2年)のいわゆる『大化改新の詔』にしても、この内容がのちの『大宝令』を参考にして創作されたことは明らかであるが、全く架空のものではなく、そこに新羅史というモデルがあった。何故ならば、『新羅本紀』真徳2年(649年)の条に『はじめて中国の衣冠を用いることにした』とあって、このとき中国式の階級制度をとり入れたらしいからだ。
すなわち、『大化改新』の実態は、新羅の『政治改革』であった。

このような朝鮮半島史と『書記』の一致は入鹿殺しにとどまらず、大和国家の歴史書とされてきた『日本書紀』の主要部分は、朝鮮史の手のこんだ翻案にすぎない。
白村江以前、いくつかの小国家が九州と南朝鮮の両方に領土を持っていた。したがって、その頃の、朝鮮半島南部の歴史と九州の歴史とは不可分のものであった。中国史は、それらの国々を弁辰諸国と書いたり、倭国と書いたりしていたのだ。

*続いて『日本書紀』は、平壌→広東へ逃亡した豊璋(天智のモデル)のことには触れず、「668年、中大兄皇子は大津宮で即位し、天智天皇となった」と記している。
そして、「669年10月、病床の重臣中臣鎌足を見舞った。このとき、天智天皇から『大織冠(たいしょくかん)』を授かった中臣鎌足は『藤原姓』を名乗ることを許された。そして、鎌足臨終の側には(少年の)中臣不比等が座っていた」となっている。のちに記紀を作るとき、中臣鎌足(金庾信)の履歴を、藤原鎌足(郭務悰)の履歴につないで2人で1人の藤原鎌足に仕立てて、「国史」の英雄とした。そして、英雄鎌足の子・中臣不比等が跡を継いで「藤原氏」一族の祖となった、と修史したのである。
中臣鎌足の正体は、新羅花郎長官の金庾信(ヒッタイト人。当時56歳)であり、彼は673年の壬申の乱=百済熊津城陥落の後、倭国占領軍司令官の役目を終えて、本国新羅の都・慶州に引き揚げている。元来、金官加羅王であった金庾信の姓は、もともと中臣氏であり、もちろん、『日本書紀』のいうように死亡してはいない。このとき不比等は11歳の少年で、茨木の鹿島神宮(秦王国の分国の都)から秦王国の本国の都・奈良へ移り、卜部本家(中臣氏)の邸宅に到着したばかりであった。

668年 新羅は唐とともに漢城(平壌)を陥して、高句麗を滅亡させた。
670年 新羅は唐と対立するようになり、新羅花郎軍団の長官金庾信をはじめ地方貴族の活躍もあって、これを破るほどの勢いとなった。
672年6月 壬申の乱がおこった。この壬申の乱は「国史」のいうような近江朝廷=大津宮の滅亡ではない。実は、忠清南道の熊津(ゆうしん・錦川沿いの公州)にあった百済王子・隆らの百済都督府(ととくふ)が新羅の金霜林(きんそうりん・国史の高市皇子(たけちのみこ))の軍に攻められて滅亡し、百済国の武士や軍属ら約4万人が、雪崩を打って倭国(九州)へ亡命してきた事件(朝鮮で起こった事件)のことであった。
673年11月 壬申の乱ののち、新羅は本国の慶州に抑留していた唐務悰を洗脳し、改めて郭務悰として倭国(九州)へ赴任させた。そして、それまで新羅の占領軍司令官であった源花(げんか・花郎長官)の金庾信(倭名・中臣鎌足)を帰任させて、その代役とした。こうして新たに、鎮将郭務悰が倭国占領軍司令官として着任し、倭名を藤原鎌足としたのである。

また、諸国の農民たちを強制労働に駆り立てて建設した平城京とは、朝鮮の平壌の名を借りて命名したもので、全国の倭人たちから定期的に貢物を徴収する「新羅日本府」であった。これを人々に「朝鮮の宮廷」すなわち「朝廷」と呼ばせたのである。
学者たちは、朝廷への貢物につけられた木簡や竹簡の「荷札」が出土する度に、鬼の首でも獲ったかのようにマスコミに発表し、これが朝鮮人による植民地支配の証拠であることにはまるで触れようともしない。そして、字句の解釈のみを「卒論」や「博士論文」の対象にして、毎年『記紀』崇拝の皇国史観タイプの教師を多数輩出している。





(管理人)
著者の歴史観は著者独自のものなのか、鹿島昇の歴史観と相通じるものなのか、私にはよく分からない。
しかし、かなり真に迫ったものだということは、直感的に感じる。
ただ、文体が非常に分かりにくいのだ。
ここに紹介したのは、比較的分かりやすいもので、重要であると判断したものであるが、もう少し具体的に自説の根拠となるものを示してくれたらな、と思う次第である。
著者は、鹿島氏の著書から「大化改新のきっかけとなった入鹿殺しが、実は倭国(日本)ではなく、朝鮮で起こった事件であるということは驚くべきことである。」という文章を紹介している。
著者自身も、「大化改新の乙巳の変」が日本(倭国)で起きたものではなく、朝鮮で起こったことであると、思っているようである。
同じく「壬申の乱」についても、日本(倭国)で起きたものではなく、朝鮮で起こったことであると、思っているようである。
私は、この点については、現状では著者の説をそのまま支持はしない。
藤原鎌足及び郭務悰についての捉え方も、似ているようで異なる意見を持っている。


http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-475.html
中臣鎌足→藤原鎌足の真相は?
「大化の改新の謎 闇に葬られた衝撃の真相」 関裕二


最後に以前にも触れたが、中臣(藤原)鎌足の正体についての現在の私の考察を記しておく。私も中臣鎌足については、著者の主張している通り、百済王・豊璋であったのが正解であると思う。しかし、その後に変遷があったと感じる。
それは下記の通りである。

645年に中大兄皇子と中臣鎌足(=百済王・豊璋)によって大化改新・乙巳の変が起こされ、親百済政権となる。

663年に白村江の戦いに日本は百済救援に参加するが、唐・新羅に完敗する。

669年に唐の将軍・郭務悰(かくむそう)が来日する。同年、中臣鎌足が死亡する。

671年に郭務悰が2000人の兵とともに再来日する。同年、天智天皇(=中大兄皇子)が死亡する。

以上の歴史年表から推察すると、百済勢力が大化改新を起こして、百済救援の白村江の戦いに参戦するが敗れ、唐の占領軍として郭務悰が来日する。そして郭務悰は中臣鎌足を殺害し、自ら藤原鎌足となる。671年に郭務悰(=藤原鎌足)は2000人の大軍で再来日する。そして天智天皇を殺す。こうして唐に歯向かった百済勢力を倒して、新羅勢力である天武天皇を傀儡とする。しかし、天武崩御後、新羅と敵対関係となった唐は、天智天皇の娘である(ということは百済勢力)持統を天皇とし、自らの血族である藤原家を中心とした唐・百済連合政権使って、日本を傀儡支配する。

以上、私の独断と偏見に基づいた歴史考察である。



以上、引用終了。

著者の説と私の説のどちらの説が真実であるかを判断するのはあなた次第です。

ちょっとこのフレーズも古臭くなってきましたね(笑)


評点:70点






ポチッと押してもらえると、明日への活力となります
にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村

『沈黙‐サイレンス』が「沈黙」している歴史の真実とは?

「映画『沈黙‐サイレンス』を観て」



先日、映画『沈黙‐サイレンス』を観てきました。
この映画はいったん上映が終了したもので、映画館で観ることはできないと思っていましたが、アンコール上映の存在に気づき、観ることができたのです。
内容は江戸時代初期のキリシタン迫害をテーマにしたもので、マーティン・スコッセーシが監督をしています。原作は遠藤周作です。
私がこの映画を観た目的は、私の好きなミュージシャンであるPANTAが出演していることにあったのですが、PANTAは予想以上にほんの少ししか登場しませんでした。
基本的には秀作でした。
当時のキリシタンに対する拷問がどのように行われたものであったのかが、具体的に表現されていました。逆さ吊りにしたり、十字架にはりつけて海に放置したり、などです。
もちろん誇張もあるのでしょうが、ある程度は史実に基づいたものなのでしょう。

しかし、この話は史実を正しく伝えていません。

以前からの読者の方ならば、私が何を言おうとしているかは分かると思います。
この映画は秀作ではありますが、史実を隔たった視点でしか捉えていないため、
史実を捻じ曲げているとしか言えないのです。
ある史実を後世の人間に伝えるには、隔たった視点ではなく、
史実をあるがままに伝えなければならないのです。

この映画を観て、ある意味「似ているな」と感じた映画があります。
ある意味とは、「秀作だが、史実を正しく伝えていない」という意味です。
はい、『シンドラーのリスト』です。有名な映画なので、皆さんもご存じでしょう。
「ナチスがいかにユダヤ人を迫害したのか、シンドラーがいかにユダヤ人を救ったのか」
ということが、描かれています。

しかし、この話は史実を正しく伝えていません。

「ナチスによるユダヤ人迫害」という「ユダヤ人の過去の悲劇」のみを強調し、現在行われている「イスラエルによるパレスチナの人々に対する迫害」を無視しているからです。
自分たち(ユダヤ人、偽ユダヤ人)の悲劇の歴史を世に訴えたいならば、現在の自分たち(ユダヤ人、偽ユダヤ人)が、パレスチナの先住民の人々の土地・住居を奪い取り、迫害しているという事実を無視してはいけないのです。

『シンドラーのリスト』に関しては、少し思い出があります。
サラリーマン時代に、ある社員が社内で何らかの差別的な発言をしたのです。
このことが部落解放団体に伝わり、全社員が「教育」を受けることになったのです。
部落解放団体から女の人が講師として来ることになり、社員全員が話を聞かされることになったのです。
私は、当時、他人以上に「差別はいけない、部落差別はいけない」と思っていましたが、そういった発言・行動をしたわけでもない私が強制的にそのような教育を受けさせられることに不満を抱いていました。
その講師の女の人が素晴らしい映画として紹介したのが、『シンドラーのリスト』なのです。
ユダヤ人迫害を描いた素晴らしい映画だとして、彼女は紹介しました。
当時からこの映画の欺瞞を理解していた私は、文句を言いたい気分になりました。

「あの映画はユダヤ人迫害の歴史のみを強調していますが、現在イスラエルがパレスチナの人々に対して行っている迫害については沈黙しています。あなたはこの事実に対して何も思わないのですか!何も思わないのなら、あなたは自分の都合のいいことのみを問題視し、都合の悪いことは故意に目を閉ざしていることになります。そのような隔たった考えを持つ人間に、「差別はいけない」と人に指導する資格があるとはとても思えません」と。

しかし、私がこのような発言をすると、社内でさらなる問題になることは分かっているので、何も言いませんでした。
私は、彼女のようにさして知識もないくせに、さも知識人ぶって他人に説教する輩が大嫌いです。
もちろんユダヤ人差別も、部落差別も、絶対にしてはならないことだと思っていますが、「差別された」ことを「被害者特権」と化した特定の団体を組織し、必要以上に自分たちの主義主張を他人に無理強いすることには抵抗感を感じます。
そういった団体が必要以上の権力を手に入れることにも、不快感を抱いています。

『シンドラーのリスト』が史実を正しく伝えていない理由が、もう一つあります。
それは、「ナチス(ヒトラー)によるユダヤ人迫害という話自体が用意周到に準備されたヤラセであった」という事実を伝えていないということです。
この話は絶対的なタブーなので、伝えられるわけがないですけどね。
このタブーについては、当ブログでは、以前、記事にしています。


http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-192.html
ヒトラーの正体は?
「ヒトラーへの使者が暴露した超一級極秘資料
ユダヤ財閥がヒトラーを育てた 莫大な資金をいかなる方法で援助したか」
シドニー・ウォーバーグ 訳・監修 牛山火壱 第三回(最終回)




「こういった歴史の真実を知らないバカが、『シンドラーのリスト』について語るな!」と、私は言いたいです。

映画『沈黙‐サイレンス』に話を戻します。
映画を観る前から分かっていましたが、この映画が史実を正しく伝えていないと私が判断している理由は、下記のとおりです。

秀吉や家康がキリスト教を追放しようと決断した理由が、伏せられていることです。

このことについても、以前、記事にしています。



http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-28.html
殺すなかれという戒律はキリスト教徒だけに適用する
「イエズス会とキリシタン大名による日本人奴隷貿易の真実」




この事実を知らない人間は、この映画を観て、「江戸幕府はなんて卑劣な行為を宣教師やキリシタンに行ったのだろう」と、思うだろう。
「イエズス会を始めとした宣教師は偉大な人物であり、大いなる神の愛を伝えるためだけに遠く離れた日本に来てくれたのだ」と、思うだろう。

「実際のイエズス会を始めとした西洋勢力の目的が、キリスト教を手段として使った日本侵略・日本民族滅亡にあった」ことも知らないで・・・

「イエズス会宣教師の正体が、キリシタン大名に硝石を売ることの代償に日本人を奴隷として売り飛ばしていた奴隷商人であった」ということも知らないで・・・

「イエズス会宣教師が神社仏閣の破壊行為を行っていた」ことも知らないで・・・

「ストーリー・演出がいくら秀逸であったとしても、この史実に触れないで語られるこの映画及び遠藤周作の小説は、プロパガンダ映画・小説に過ぎない」と、私は断じます。

しかし、この映画・小説のタイトルは、皮肉なことに真実を語っています。
イエズス会宣教師の正体について、『沈黙‐サイレンス』を守り抜いているようですから・・・

「落ち」がついたようですが、他にも述べておかなければならないことがあります。
厳密にいえば、この映画はキリスト教を肯定的に捉えている単なるプロパガンダ映画ではないようなのです。決して幕府の圧力に負けて棄教した宣教師のことを、悪く描いていないのです。「頑なに信仰を守り抜いて神の愛を説くことよりも、宣教師自らが棄教して奉行の拷問から信徒を守ることの方が正しい行いなのだ」と。
私も基本的にはこの教えは「正しい」と感じますが、キリスト教の教えではないでしょう。
クリストヴァン・フェレイラのような棄教した元神父とともに、踏み絵を踏みつけ、十字架に唾を吐くことで生きのび、宣教師を売って奉行から金銭を得た“要領のいい日本人キリシタン”であるキチジローを、キリストを売ったユダに例え、決して非難するのではなく、彼の弱さを受け入れるように描いているのです。
この話も分からないではないですが、決してキリスト教の教えではないでしょう。
種明かしは、マーティン・スコッセーシの正体にあると、私は感じています。
遠藤周作も、上智大学に入学し、同校の講師をしていたようですね・・・


http://www.geocities.jp/gokyo_no_tate/diary2017/d-2017-01-09c.html


まぁ、キリスト教とフリーメーソンの違いと言っても、「今や同一の存在であるのでは?」と、私は感じていますけどね・・・






ポチッと押してもらえると、明日への活力となります
にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村

テンプレート説明

このテンプレートは、プラグイン1・2・3に対応しています。
背景はスライドショーになっています。

◎プラグイン説明

最上部のメニューバーがプラグイン1です。マウスオーバーで展開するメニューになっていますので、お好みでプラグインを設定してください。「HOME」のような普通のリンクも置けます。
←のエリアがプラグイン2です。有効範囲幅は180pxです。
このエリアがプラグイン3です。有効範囲幅は540pxです。
サイズの大きなプラグインに適しています。

※最上部メニューバーの上に隙間がある方

最上部のメニューバーの上にFC2検索バー用のスペースを設けています。
検索バーを表示しない設定にしている方は、cssの最上部メニュー.MegaMenuの中にあるtop:27pxをtop:0に変更してください。

◎背景スライドショー説明

random : 1, // ランダム 0:オフ 1:オン
transition : 1, // 0:単純画像切替 1:フェード 2~7:移動 8:ページ更新毎に切り替え
transition_speed : 1000, // 画像間の切替時間
slide_interval : 3000, // 1枚毎の画像停止時間
slides : [
{ image : '画像URL' } // 画像の追加・削除はここ

★テンプレート名で検索すると、作者のブログにより詳しい説明があるかも知れません。