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ナチスや満州国を最初に承認した国家=ヴァチカン市国

「ローマ教皇とナチス」大澤武男



2004年の書である。
「ナチスのユダヤ人虐殺を知りながら止めようとはしなかった、当時の教皇ピウス12世~エウジェニオ・パチェリ」の行動に迫った書である。
以下、一部引用する。



*1919年4月18日付、国務長官ガスパリに宛てた書簡で、パチェリは次のように報告している。
「ミュンヘンで政権を握っている革命家M.レヴィエンの詰所は、筆舌に尽くし難いほど入り乱れていて、全く混沌としています。その汚さは吐き気をもよおさせるほどです。
・・・・・(中略)・・・・・
その革命家のレヴィエンは30から35歳ぐらいのロシアから来たユダヤ人で、顔は青白く、不潔で、薬の不正常用か目は赤く、喫煙中毒者のようなガラガラ声で、下品であり、いや気がさすような人物です・・・」
また同年4月30日付の報告では、「残酷なユダヤ系ロシア人革命家の暴政にバイエルンの首都は苦しんでいる」と記している。
これらの発言から明らかなように、パチェリはユダヤ人革命家への嫌悪をくり返し強調している。ここには、当時のドイツ社会でしばしば主張されていた「ユダヤ人はボリシェヴィキ革命の張本人である」という見解がはっきりと表明されている。

*おりしも屈辱感と窮状にあえぐドイツ国民のもとで、反ワイマール体制、反共、反ユダヤ主義を掲げたヒトラーの国粋主義宣伝は、急速に支持者を獲得していった。
このように第一次大戦後におけるパチェリのミュンヘン時代は、右翼・ファシズム運動が高まっていった時期であったが、他方、多大な犠牲者と破綻をもたらした戦争の惨状に対する反省は、人々の心に宗教的なもの、永遠なるものへのあこがれと情熱を喚起した。
・・・・・(中略)・・・・・
そして4月のワイマール議会は、1872年以来ドイツにおいて禁止されていたイエズス会の活動を認めた。恐慌に絶対の忠誠を誓い、宣教と宗教教育活動に専念するインテリ修道士の集まりであるイエズス会がドイツでの活動を再開したということは、ドイツにおける教皇の首位権の確立とドイツの教会の中央集権体制を実現しようとするパチェリにとって、大きな背後の支えとなったのである。

*1933年7月20日木曜日の午前、教皇庁の国務長官エウジェニオ・パチェリとヒトラー内閣副首相フランツ・フォン・パーペンは、ヴァチカンの国務長官室にて政教条約=コンコルダートに署名した。
・・・・・(中略)・・・・・
コンコルダートの締結により、ヴァチカン市国は、国際社会の中で、過激で危険なナチ政権を公認した最初の国家となった。

*ちなみにヴァチカン市国は、日本が中国東北部に建てた満州国(1932年。溥儀の皇帝即位は34年3月)も、ドイツやイタリアより早く(34年4月)承認している。




(管理人)
教皇ピウス12世をウィキで見てみる(抜粋)。



ピウス12世(Pius PP. XII、1876年3月2日 - 1958年10月9日)はローマ教皇(在位:1939年3月2日 - 1958年10月9日)、第260代ローマ教皇。本名はエウジェニオ・マリア・ジュゼッペ・ジョヴァンニ・パチェッリ(Eugenio Maria Giuseppe Giovanni Pacelli)。第二次世界大戦前後という未曽有の困難な時代に教皇庁の外交担当や教皇を務め、その間の対応には批判的な評価もある。ピオ12世とも表記される。
ローマで「黒い貴族」の家系に生まれる。パチェッリ家は教皇領政府で要職を代々占めた名門であり、祖父マルカントニオは副内務大臣を務め、バチカンの日刊紙『オッセルヴァトーレ・ロマーノ』の創刊に関った。父もローマ教皇庁の顧問弁護士であった上に、伯父はレオ12世の財政顧問だった。
パチェッリは1899年4月に司祭叙階され、ピエトロ・ガスパッリ枢機卿の下で働いた後、ヴァイマル共和政下のバイエルン州や中央政府に対する教皇使節を務めた。1917年にピウス11世によって枢機卿にあげられると、すぐ枢機卿国務長官(英語版)の地位に就いた。外交分野で活躍し、プロイセンやオーストリア、ドイツ諸邦との政教条約締結に大きな貢献をし、ヨーロッパやアメリカを頻繁に訪問した。また第一次世界大戦の終戦時には、ベネディクトゥス15世の意を受けて平和工作を行っている。
その中で、1933年7月20日にパチェッリの主導で教皇庁がアドルフ・ヒトラー率いるナチス党政権下のドイツと結んだライヒスコンコルダートは、ナチス党政権下のドイツにお墨付きを与えたものとして後に大きな批判を招くことになる。ただし条約の下交渉自体は大半が共和制時代に行われており、この条約は現在でも有効とされている。
バチカンの戦争中のユダヤ人への対応については賛否両論がある。
賛同者はピウス12世は積極的にユダヤ人を保護していたという。実際、イタリア敗戦に伴ってドイツ軍がローマを占領すると、多くのユダヤ人がバチカンで匿われ、バチカンの市民権を得ることができた。これによって戦後、イスラエル政府は「諸国民の中の正義の人」賞をピウス12世に贈っている。ヒトラーもカトリック教会やピウス12世を快く思っていなかった。イタリアの降伏(1943年)後、ヒトラーはピウス12世の拉致を計画したが、イタリアに進駐していた親衛隊大将カール・ヴォルフは悪影響が大きすぎるとして実行しなかった。
日本では大澤武男が批判的な立場にたった著作『ローマ教皇とナチス』においてピウス12世がナチス党政権下のドイツのユダヤ人迫害をはっきりと批判しなかった理由として、
• 教皇自身がドイツ赴任中にドイツ人への好感を培っていた
• キリスト教会の伝統的な反ユダヤ感情
• 宗教を否定する共産主義に対する防壁としてのナチス党政権下のドイツへの期待
• ナチス党政権下のドイツの暴力が無防備なカトリック教会に向けられることへの恐怖
を挙げている。ただし、『ローマ教皇とナチス』の大半はアメリカのジャーナリスト、ジョン・コーンウェルの著作『ヒトラーの教皇(Hitler's Pope)』を無検証に引き写した粗雑な取材に基づいており、研究者の間では一級資料とはみなされていない。






ウィキは分かりやすいね。
黒い貴族でしたか・・・
「イスラエル政府は「諸国民の中の正義の人」賞をピウス12世に贈っている」ですか・・・
この人物の正体は明らかですね。
この時代の教皇にこの人物が選ばれたのは、決して「偶然」ではないでしょうナ。
ヒトラーと同じく「役者」の一人に間違いありませんナ。
しかし、各々の「役者」がどこまで「真実」を知っていたのかというのは謎ですね。
「ユダヤ人はボリシェヴィキ革命の張本人である」という「真実」(厳密には偽ユダヤ人ですが)を語っているのですが、「その「ユダヤ人によって操られた共産主義」という奴も、あんたの出自である黒い貴族が作ったものじゃないのかい?」と、私は言いたいです。
分かっての発言なのか(=芝居)本当に知らなかったのかは微妙なところでしょう。
ところで、M.レヴィエンとは何者なんでしょうか?
あのレーニンとは別人のようですが、両人とも偽ユダヤ人であることは共通しているようですナ。

イエズス会がパチェリをバックアップしていたようですね。
まぁイエズス会も黒い貴族も似たようなもんですけどね。

最後に、ナチスも満州国もヴァチカンが最初に承認した国家なんですね。
ヴァチカンがどのような存在であるかは、これで分かりますよね。
あの戦争が八百長であったことも分かりますよね。
何?まだ分からない?
これまで八百長戦争については腐るほど証拠を上げていますので、適当に見返してみてください。
それでもご理解いただけない方には冷たいようで申し訳ないですが、以下のように述べるしかありません。

ご愁傷様です・・・


評点:60点





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何故に西郷隆盛は勝海舟との話し合いで江戸総攻撃を中止するという決断(江戸無血開城)ができたのですか? 一介の武士に過ぎない西郷隆盛に?

「「大河ドラマ」→「たいがい酷いドラマ」?」


相も変わらず、『西郷どん』は酷い内容ですナ。
前回は、弟の吉二郎の戦死だけを大きく取り上げて、戊辰戦争で会津をはじめとした東北の人びとを惨殺した黒歴史を全く描かないという酷いストーリーでした。
都合の悪いこと(東北人の大量殺戮)には蓋をして、一部の悲劇(弟の吉二郎の戦死)だけを大げさに描くことで幕末史を完結させるという歴史歪曲がまかり通っている。
何も知らない視聴者は、これを観て「吉二郎が可哀想。でも明治維新を成功させるためには仕方なかったのかもしれないな」と「思わされて」しまうかもしれません。
本当はあまりに酷い歴史歪曲であることにも気づかずに・・・

東北の方はNHKに抗議するべきである。

「殺されたのは西郷吉二郎だけではない!」と。

「長州人に大虐殺され埋葬さえ禁じられた東北人のことを無視するな!」と。

薩長は最大の朝敵のくせに官軍に成りすました極悪人じゃないか!」と。

NHKの仕事は国民に正しい歴史を伝えることではありません。
NHKの仕事は歴史を隠蔽し、国民を騙すことである。
NHKは歴史を隠蔽するために国民から受信料をバイトを使って強奪しようとしているのだ。

ところで改めて、テレビ・新聞・学校教育が国民に伝えている明治維新というものが嘘八百のでっち上げストーリーである証拠を述べておきます。
「こういったことはこれまで何度も書いてるじゃないか」「私もバカじゃないのだから、テレビ・新聞・学校教育が国民に伝えている明治維新というものが嘘八百のでっち上げストーリーであるということぐらい「常識」として理解しているよ」ですか?

ありがとうございます。
当ブログの読者の方で普通の思考能力を持った方ならば、テレビ・新聞・学校教育が国民に伝えている明治維新というものが嘘八百のでっち上げストーリーであることは「常識」として理解されているでしょう。
だから今回は追加情報ということで手短に、小学生でも理解できる例を一つ挙げておこうと思います。

それは何かというと、「『西郷どん』を観ていたら誰でも気づくはず」なことです。
気づかないということは、既にテレビに洗脳されてしまっているということなのです。
あのドラマを観ていて「オカシイ」と思いませんか?

これだけ言ってもお分かりになりませんか?
ならば、お答えしましょう。

西郷隆盛は藩主ですか? 違いますよね。
単なる薩摩藩の一介の武士に過ぎませんよね。
なのに何故に藩主を差し置いて軍の指揮を執り、倒幕運動を起こしたのですか?
薩摩藩は倒幕を推進していたわけでもないのに、一介の武士に過ぎない西郷隆盛にそれだけの権限を持たせたのですか?
何故に西郷隆盛は勝海舟との話し合いで江戸総攻撃を中止するという決断(江戸無血開城)ができたのですか? 一介の武士に過ぎない西郷隆盛に?

すべてが嘘八百だからです。

薩摩藩自体も謀略の一味だったからでしょう。
この謀略には西郷隆盛をはじめとした薩長の武士や坂本龍馬だけでなく薩摩藩・長州藩自体も加わっています。そうでなければ一介の武士に過ぎない西郷隆盛にこれだけの権限を与えるわけがないのです。
この謀略に徳川慶喜が加わっていることは、言うまでもありません。

この謀略を裏で指揮していたのが、グラバーであり、フルベッキであり、パークスであり、サトウら幕末に暗躍していた外国人なのです。
この謀略の最大の証拠が、フルベッキ写真の存在なのです。
幕末に暗躍していた外国人を操っていたのが、ロスチャをはじめとした「彼ら」であることは言うまでもありません。

歴史を理解するのに深く考えすぎる必要はありません。
子供のように「何故?」「どうして?」「これオカシイんとちゃう?」と、素直に感じる気持ちがありさえすればいいのです。このような気持ちが起きてこないとすれば、知らず知らずのうちに洗脳されてしまっているということなのです。

この洗脳工作は明治維新に限ったことではなく現在進行形であることをお忘れなく!




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大政奉還とは、「一橋派(=南朝派)の工作員である慶喜」が「入れ替わられた明治天皇」に政権返上を奏上したということです

「殿様は明治をどう生きたのかⅡ」河合敦


2017年の書である。
本書には12人の殿様の生涯が記されている。
殿様ごとに気になった点を一部引用する。



(徳川慶喜)
*慶喜は、政治組織も大きく改めた。これまでは複数の老中たちの合議制で幕政が運営されていたが、これを現代の内閣制度に近いかたちにしたのだ。
将軍慶喜が政権の頂点に立ち、板倉勝静(かつきよ)を老中首座に抜擢して官房長官のように政治を補佐させた。将軍のもとには国内事務総裁、外国事務総裁、会計総裁、陸軍総裁を置いたが、これは現在の省庁にあたる。
さらに幕臣の西周や津田真道などに、新しい政治体制の立案を命じた。西周の『議題草案』と称する政治制度はその一つだ。

(伊達宗城(むねなり))
*宗城は初め、水戸藩主徳川斉昭の娘と結婚していたが、相手が死去したので縁談は破れた。
しかし、斉昭との親交は続き、その関係から土佐藩の山内豊信(とよしげ)や薩摩藩の島津斉彬が藩主に就任できるよう尽力してくれ、それが実現した後も彼らとの交流を深めた。ときの幕府の老中阿部正弘は、こうした雄藩の外様大名の協力を得て幕政を運営していった。

*幕府内は後継者をめぐって、一橋派と南紀派の二つに分かれて対立するようになった。
前水戸藩主徳川斉昭の子で、一橋家(徳川御三卿の一)に養子に入った聡明な慶喜を擁立しようという一派が一橋派だ。一橋派の大名としては、松平慶永(よしなが)、島津斉彬、徳川斉昭といった阿部正弘に協力した藩主たちが中心勢力になった。もちろん、このなかに伊達宗城も入っていた。

*宗城は宇和島に来航したキング提督やイギリス公使パークスと会談、同時にイギリス軍の練兵を観覧、これを機に銃隊をイギリス式に変え、さらに12月にイギリスの書記官アーネスト・サトウがアーガス号に乗って宇和島に来航したおり、藩主崇徳や側室、奥女中などとともに乗船している。このおり宗城は「我が国の政治混乱の収拾にイギリスも関与してほしい」と求めた。だが、サトウに「それは内政の干渉になるのでできない」と断られている。


(松平乗謨(のりかた))
*乗謨は同じく西洋の制度に関心を抱く将軍後見職の一橋慶喜に愛され、その支援を受けるかたちで翌年6月には老中格へとのぼった。

乗謨自身が勲章のデザインまで考えていたとは驚きである。いずれにせよ、日本の勲章制度は松平乗謨(大垣恒)が中心になって完成されていったのである。
明治10年に西郷隆盛が鹿児島で挙兵したことで西南戦争が勃発したとき、緒方洪庵の適塾で人命尊重の精神を学んだ佐賀出身の佐野常民は、敵味方関係なく負傷者を救う博愛社の設立を企画、これに全面的に賛意を示し協力したのが松平乗謨であった。

明治19年、日本政府がジュネーブ条約(赤十字条約)に加入したので、翌年、博愛社は日本赤十字社に改称し、現在にいたるまで多くの人びとを救い続けている。
さて、それからの松平乗謨である。明治22年に貴族院が設置されると、貴族院議員となって活躍、明治43年に72歳で死去した。
危篤となったさい、明治天皇はこれまでの勲功を鑑みて、乗謨を正二位に叙し、勲一等旭日桐花大綬章を与えた。




(管理人)
読者の皆さんは察しがついていると思われるが、私が本書を読んだのは幕末の殿様の人生が気になったからではない。ひとえに「明治維新の真実」を探るヒントを求めたためである。
引用した箇所も、その想いから選んだものである。

まずは、徳川慶喜である。
「西周や津田真道などに、新しい政治体制の立案を命じた」のは、慶喜であった。
私はこれまで慶喜も維新勢力と「協力」してこの国を外国勢力に売り渡した売国奴の一人であると書いてきたが、この事実から私の説が証明されたと思って間違いないだろう。
西周や津田真道がフリーメーソンであったことは陰謀でも何でもなく、ウィキにも記されている「既定事実」である
このような怪しげな人物に新しい政治体制の立案を命じた慶喜が何者であったのかということは、皆さんご理解いただけますよね。

慶喜がフリーメーソンであったかどうかは分からないが、少なくともフリーメーソンの「協力者」であったことは間違いないですね。

この怪しげな外国勢力に「協力」していた殿様は、慶喜だけではありません。
初めからか途中からかは分かりませんが、ここに記した伊達宗城や松平乗謨も「協力者」であったことは間違いなさそうですね。
幕末の殿様は一橋派と南紀派の二つに分かれて対立していたようですが、この怪しげな外国勢力に「協力」していた殿様が一橋派(=南朝派)であったことは疑いようがありませんね。

話は変わりますが、先日の『西郷どん』は酷かったですね。
冒頭の徳川家茂の死去の場面ですが、おかし過ぎますよね。
徳川慶喜はいやというほどドラマに登場するのに、徳川家茂は今まで全く登場せず、初登場が死去の場面であるという不可思議な番組構成。

「どんだけ歴史歪曲したら気が済むんだ!」
「これまでの徳川の将軍は一体誰なんだ!」ちゅー話ですよね。

この作為的な歴史歪曲から分かることは、「徳川家茂を登場させては困る勢力が現在も大河ドラマに強い影響を与えている」ということです。
この勢力は、国民に徳川家茂の存在を知らせたくないのです。
家茂には暗殺の噂が囁かれています。
この勢力は国民に徳川家茂の死に疑問を持たせたくないのです。

ということは、「大河ドラマに強い影響を与えている勢力は徳川家茂の死に関与した勢力と繋がっている」ということです。

NHKの役割は国民に歴史の真実を伝えることではありません。
NHKの役割は「歴史を偽造すること」そして「「国民を騙すこと」にあるのです。

こういった「常識」を踏まえたうえで、大河ドラマをご覧になってください。

養母である篤姫が「一橋派によって家茂は毒殺された」と信じていたようですが、このことを紹介してくれているブログ記事から転載します。



(ひすとりびあ)さん
http://historivia.com/cat4/tokugawa-iemochi/4344/
第14代将軍、徳川家茂。

次の将軍、徳川慶喜の陰に隠れて存在感の薄い彼ですが実は名君だったと言われています。
そんな彼には毒殺説があるのですが、いったい誰に毒殺されたというのでしょうか。
徳川家茂の死因と死に際の様子
徳川家茂は第二次長州征討の途上である大坂城で病に倒れました。
その報を聞いた義兄である孝明天皇は、高階経由と福井登という二人の医師を大坂城に派遣しました。
また、江戸城からも妻の和宮や養母の天璋院の侍医として留守を預かっていた、大膳亮弘玄院らが大坂城に駆け付けました。
しかし、これら複数の医師の看病の甲斐もなく、家茂は慶応2年7月20日(1866年8月29日)に20歳の若さで亡くなりました。
徳川家茂の死因は征討などによる過労と脚気だと言われていますが、その脚気の遠因となったのは虫歯だと言われています。
エナメル質の薄い体質に加え、大の甘党で虫歯が多かった家茂。その虫歯や偏食のおかげでビタミンB1不足になり、脚気になったようです。
また、医師たちの見解の相違も家茂の命を削ったのではないかとされます。(漢方医の高階家茂らは脚気説を、西洋医である幕府側の医師たちはリウマチだとした)
死に際して家茂は、次期将軍として田安亀之助(後の徳川家第16代当主・徳川家達)を指名しました。(その遺言は実現されず、徳川慶喜が継承しました)

家茂を毒殺する目的は!?

徳川家の菩提寺である増上寺の改修の際に行われた遺骨の発掘・調査によると、家茂は上記の通り病死であったことがわかりました。
しかし、家茂の暗殺説は昔からささやかれています。
ではいったい誰が暗殺したというのでしょうか。
家茂は孝明天皇の異母妹である和宮と結婚し公武合体の象徴とされてきました。そんな家茂を殺すことで、朝廷を倒幕に向かわせようとした長州藩士の策謀説。
または徳川慶喜を将軍にしたい幕府の一部勢力(または慶喜自身)の仕業という説などがあります。
いずれにせよ権力争いの果ての暗殺ということになりますね。ちなみに孝明天皇も家茂の後を追うように満35歳の若さで亡くなっていますが、この天皇も毒殺されたという噂もあります。

家茂は毒殺されたと信じ込んだ天璋院篤姫

徳川家茂の養母である天璋院こと篤姫は、家茂は毒殺されたと信じ込んだようです。それも徳川慶喜によって。
元々、天璋院は慶喜のことを嫌っていたと勝海舟が述べています。
そして、天璋院の夫である徳川家定にこそ毒殺の噂がありました。これは慶喜を擁する一橋派の仕業だと思いこんだ天璋院。
さらに大坂で若くして亡くなった家茂の遺体が江戸に戻ってきた時、その顔は毒を盛られたかのように黒ずんでいたと言います。それを見た天璋院は家茂までもが慶喜によって毒殺されたのだと思いこんだのです。
天璋院は自分が育てた徳川家達の娘にも「うちの家訓として家茂が毒殺されたということを子々孫々まで伝えよ」と言い伝えたようです。





(管理人)
「一橋派によって家茂は毒殺された」と信じていた篤姫の想いは正しかったでしょう。
養母であった篤姫は家茂を愛していたでしょうし、誰に家茂を暗殺する動機があったのかを一番理解していたと思われるからです。
恐らく、夫であった徳川家定の死にも疑問を抱いていたことでしょう。
家茂は孝明天皇の妹である和宮と結婚しており、孝明天皇と深く結びついていました。
攘夷を叫ぶ孝明天皇と共に家茂は、一橋派にとって都合の悪い存在であったことは容易に察しがつきます。
家茂は、次期将軍として田安亀之助(慶頼の子、後の将軍家第16代当主・徳川家達)の指名を遺言とした。
しかし邪魔な南紀派の家茂を暗殺したと思われる一橋派は、家茂の遺言も無視して慶喜を将軍に擁立します。
この勢力は明らかに維新勢力と結託していました。
この勢力が次に行ったことが「語られている史実」であることは、言うまでもありません。
もう一つ先日の『西郷どん』が酷かったのは、「鶴瓶が演じる岩倉具視が孝明天皇のお隠れを知って嘆き悲しむ」という場面です。

「よくも白々しくこのようなクサイ芝居ができるもんだな!」
「お前が犯人とちゃうんか!」と、心の中で叫ばずにはおられません。

NHKの役割は国民に歴史の真実を伝えることではありません。
NHKの役割は「歴史を偽造すること」そして「国民を騙すこと」にあるのです。

その後、慶喜が「予定通り」大政奉還を行いました。

大政奉還とは、「一橋派(=南朝派)の工作員である慶喜」が「入れ替わられた明治天皇」に政権返上を奏上したということです。

さらに慶喜は、鳥羽・伏見“八百長”戦争に敗れる「役」を演じ、大阪城から離脱して船で江戸へ逃げ戻るという「役」を演じきった。
その後に勝海舟と西郷隆盛によって行われたことにされている江戸無血開城なるものも、「一橋派(=南朝派)の工作員である両名(西郷は後にこの勢力に反旗を翻したので悪く言いたくはないが・・・)」によって行われた“クサイ芝居”であることは言うまでもありません。

ところでアーネスト・サトウさん、「それは内政の干渉になるのでできない」なんてよー言ったものですナ。おもいっきり内政干渉していたのはどこの誰ですか!

次に松平乗謨さん、あなたがフリーメーソンであったかどうかは知りませんが、あなたにはその種の匂いがプンプンしますね。
勲章制度を完成させただけでなく日本赤十字社の設立にも「貢献」したんですね。
日本赤十字社の前身は博愛社ですか・・・、分かりやすいですね(笑)
日本赤十字社の正体は、こちらでご確認ください。
これだけ「貢献」したのだから、明治天皇から勲章が授与されるはずですよね。

殿様の人生を振り返れば、さらに「幕末・明治維新の真実」が見えてきますね。
「幕末・明治維新の真実」は、殿様と維新勢力が結託して行ったもののようですね。
そしてこの勢力は、一橋派(=南朝派)であり、フリーメーソン・イルミナティ勢力に「支援」されていたようですね。

この物語は、決して単なる昔話ではありません。
この怪しい勢力は、いまだにこの国を「彼ら」の命令に従って支配しており、NHKの大河ドラマに強い影響を与えており、「国民を騙すこと」に日々勤しんでいることを、お忘れなく!




評点:60点






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夜は灯火を消して、闇の中で豆を投げ、棒で空を打って魔物を追いたてる。闇の中では悪魔のかわりに親しい友人や妻を叩き、その顔に豆を投げつけることもしばしばある。 by ヒュースケン

「ヒュースケン日本日記 1855-61」青木枝朗訳


1989年に出版された書である。
1858年に日米修好通商条約調印の際のアメリカ側全権使節ハリスの通訳兼書記として活躍したヒュースケン(1832-1861)の日本滞在日記である。
幕末のアメリカ人が残した日記に何か“隠された歴史の一面”が書かれているかと思って読んだのだが、特にそれらしき箇所は見当たらなかった。
ただ、幕末期の日本の自然・文化・習慣について記されており、外国人から見た幕末期の日本の姿を感じ取ることが出来たため、少しは読む価値があったかもしれない。
その幕末期の日本の自然・文化・習慣に関する記述を記しておく。



*谷間におりて、天城の山頂に去来する雲から外に出ると、田畑がひらけてくる。やわらかな陽ざしをうけて、うっとりするような美しい渓谷が目の前に横たわっている。とある山裾をひと巡りすると、立ち並ぶ松の枝間に、太陽に輝く白い峰が見えた。それは一目で富士ヤマであることがわかった。今日はじめて見る山の姿であるが、一生忘れることはあるまい。この美しさに匹敵するものが世の中にあろうとは思えない。

*日本の宮廷は、たしかに人目を惹くほどの豪奢さはない。延臣は大勢いたが、ダイヤモンドが光って見えるようなことは一度もなかった。わずかに刀の柄に小さな金の飾りが認められるぐらいだった。シャムの宮廷の貴族は、その未開さを泥臭い贅沢で隠そうとして、金や宝石で飾りたてていた。しかし江戸の宮廷の簡素なこと、気品と威厳をそなえた延臣たちの態度、名だたる宮廷に栄光をそえる洗練された作法、そういったものはインド諸国のすべてのダイヤモンドよりもはるかに眩い光を放っていた。

*しかし、明日からは日本の祭日で、その日には豆を投げつけて悪魔(鬼)を追い出さねばならないので、委員たちはこられない。夜は灯火を消して、闇の中で豆を投げ、棒で空を打って魔物を追いたてる。闇の中では悪魔のかわりに親しい友人や妻を叩き、その顔に豆を投げつけることもしばしばある。



今回は、皆さんが期待していただいているような記述ではありません。
全く持って私らしからぬ“普通の感想”で申し訳ないですが、これぐらいにしておきます。




評点:40点






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「新聞・テレビ・学校が絶対に伝えない、明治維新の真実」とは?

「倒幕の南朝革命 明治天皇すり替え」加治将一


『ビジュアル版 幕末 維新の暗号』(2012年)を大幅に加筆・修正し、新書版として再編集した2018年の書である。
著者は、明治維新を語るのであれば絶対的に触れなければならない最重要事項に正面から取り組んでいる。
明治維新を語るのであれば絶対的に触れなければならない最重要事項とは何か?
勿論、「語られている史実」と「幕末に暗躍していた外国人」についてです。
この最重要事項に正面から取り組んでいるだけでなく、写真を多く使用して、ビジュアル的にもより分かりやすく解説している。
その最たるものが、あの「フルベッキ写真」である。
この写真と著者のコメントが週刊誌に取り上げられていたようなので、リンクを貼っておきます。
この写真が週刊誌に取り上げられるということは、この歴史隠蔽国家にも真実の光が差し込んできたのかな?
本当の意味での「文明開化」がやってきたのかな?


http://www.nextftp.com/tamailab/photo/article02.htm


まさに、「百聞は一見に如かず」です。
あれこれ理屈を言わずとも、ここに「明治維新の真実」が現れています。
真ん中にいるのが大室寅之祐こと“偽明治天皇”であることは、言うまでもありません。
何故に明治維新のオールスターが一同に会し、写真に写っているのでしょう。

明治維新のオールスターは、一つの目的の下に結集していたのです。
その目的が何であるかは説明不要ですよね。
この国に革命・大改革を起こす、ということです。
この大改革を成功させるためには手段を選ばない、ということです。

この写真は、この革命・大改革を成功させるための“決意表明の証”なのです。

この写真に岩倉具視の息子が加わっていることは、大変重要です。
岩倉具視がこの計画に加わっていたことの証拠となるからです。
さらには、勝海舟が加わっていることも、大変重要です。

この計画は維新勢力だけではなく幕府勢力も加わっていたことの証拠となるからです。
このことは、以前証明しています。



http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-707.html
たとえ徳川家が滅亡に追いやられても、武士の魂だけは決して忘れてはならない
「幕末・明治維新の真相、歴史の裏舞台に“貢献”したフリーメーソン・工作員の正体を暴く②(徳川編)」



この写真には写っていませんが、「徳川慶喜も間違いなくこの計画に参画している」と、私は思っています。
徳川慶喜は水戸藩出身です。水戸藩といえば、水戸黄門こと徳川光圀が頭に浮かぶ。
徳川光圀が編纂を命じたのが『大日本史』であって、これを水戸学という。
水戸学を一言で言うと、「南朝を正統とした南朝再興のための学問」である。
その水戸藩出身の慶喜が南朝思想であることは、容易に察しが付く。
薩摩藩が水戸藩と繋がっており薩摩藩が慶喜を将軍にしようとしていたのは、ともに南朝思想であったからである。
西郷隆盛は勿論、大久保利通、佐久間象山、吉田松陰、桂小五郎、高杉晋作、伊藤博文、坂本龍馬、勝海舟等、すべての維新演出者が南朝思想の持ち主であった。

慶喜が大政奉還を演じたのも、慶喜の意志などではなく、すべてが計画であったのだ。

この南朝信奉者を操って計画を立てていたのがフルベッキであり、グラバーであり、パークスであったのだ。
その背後に「彼ら」がいることは、言うまでもない。
ところでフルベッキは、オランダ改革派教会に属していたらしい。
オランダ改革派教会とは何か? ウィキで見てみた。



(オランダ改革派教会)
カルヴァン主義は、スイスから西方のフランス・オランダ・イギリス・アメリカへ広がった。
オランダ改革派から、カルヴァン主義の予定説に反対し、ヤーコブス・アルミニウスとその後継者によってレモンストラント派(アルミニウス派)が現れた。オランダのカルヴァン派では予定説をめぐって、救済の予定が人間(アダム)の堕落の前とする堕落前予定説と、堕落の後とする堕落後予定説との論争が起こった。堕落前予定説では人間の自由意思の余地は全くない。
ヤーコブス・アルミニウスの死後、1610年に、彼の支持者たちが、自分たちの信条を定めた『建白書』(Remonstrantie)を提出、アルミニウス主義の認可を政府に求めたため、1618年にドルトレヒト会議がもたれた。 1619年、改革派はドルト会議において、アルミニウス派を異端として排斥した。 アルミニウス主義の思想は、後にメノナイト派、ジェネラル・バプテスト派(普遍救済主義のバプテスト)、メソジストのウェスレー派などに継承された。
この会議では、ドルト信仰基準が決められた。その基準は、長老派、改革派といったカルヴァン主義の特徴を五つの特質として明確にしたことで神学史上大きな意味がある。

全的堕落(Total depravity)
堕落後の人間はすべて全的に腐敗しており、自らの意志で神に仕えることを選び取れない。
無条件的選び(Unconditional election)
神は無条件に特定の人間を救いに、特定の人間を破滅に選んでいる。
制限的贖罪(Limited atonement)
キリストの贖いは、救いに選ばれた者だけのためにある。
不可抵抗的恩恵(Irresistible grace)
予定された人間は、神の恵みを拒否することができない。
聖徒の堅忍(Perseverance of the saints)
いったん予定された人間は、最後まで堅く立って耐え忍び、必ず救われる。
この頭文字をとって「TULIP」の神学と呼ばれる。



この文面から理解できるのは、「オランダ改革派教会は、基本的には神を否定している」ということだ。
神に対して不平不満を持っている、ということである。
この思想には、フリーメーソン・グノーシスに近いものを感じる。
「キリスト教を偽ったユダヤ教」と言ってもいいだろう。
本書の中でも、フルベッキが大のカトリック嫌いであったことが記されている。
本書の中で著者は、フリーメーソンのシンボルの意味を解説している。

「Gはゴッドとジオメトリィ(幾何学)の略だが、「神」が直角定規とコンパスという「科学」の中にある、言い換えれば科学が優先するということで、神を優先するカソリックとは昔は対立する運動だった」と。

著者の指摘は正しいだろう。
フリーメーソンのシンボルは「科学が神を閉じ込めている」ということであり、言い換えれば「人間が神に優先する」ということを示しているのだろう。

明治以降に皇室にキリスト教が浸透したことは、以前書いた。



http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-203.html
日本は神道である。しかし神道は本来ユダヤ教である?
「天皇の信仰する宗教の変遷及び、日本における宗教戦争の歴史を探る」




ここでも書いたが、皇室に浸透したキリスト教は「キリスト教を偽ったユダヤ教」であった。
本書には、「フルベッキの講義を明治天皇は受けていた」と記されている。
フルベッキの思想を理解すれば、私の説が正しかったことが理解できるだろう。
ちなみにフルベッキは、開成所(後の東京大学)の教師(事実上の校長)となったらしい。
この事実から、東大がどういった組織であるのかが見えてきますよね。

さらに言えば、明治以降に日本に伝わったキリスト教なるものは本来のキリスト教ではなく“フリーメーソンの教え”のようなものであったとも言えるだろう。
キリスト教を擁護するつもりなどさらさらありませんが、「フリーメーソンの教え」が正しいなどと言うつもりも毛頭ありません。
私は、カトリックもプロテスタントも「彼ら」の“両建て作戦”だと思っています。
どちらの信仰を信じようと、結局は「彼ら」の掌で泳がされているということなのです。
さらには、キリスト教もフリーメーソンも「彼ら」の“両建て作戦”かも知れませんね。
「神も悪魔も根は同じ」ということか・・・

「明治維新の裏に売国奴あり」
「売国奴は維新側にも皇室側にも幕府側にも配置されていた」
「売国奴を操っていたフルベッキが属していたオランダ改革派教会は、キリスト教を詐称した反キリスト勢力であり、“フリーメーソンの教え”そのものであった」

これが、「新聞・テレビ・学校が絶対に伝えない、明治維新の真実」であるようですナ。


評点:90点






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