ボブ・マーリー - 嘘八百のこの世界
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ボブ・マーリー カテゴリーの記事

「高波のときも凪のときもあなたの友達でいよう。 満ち潮のときも引き潮のときもあなたのそばにいよう」byボブ・マーリー

「CATCH A FIRE」BOB MARLEY and THE WAILERS


今日5月11日は、ボブ・マーリーの41回目の命日である。
ボブは36歳で他界しているので、生きていたら77歳だった。
よって追悼の意を込めて、1973年のボブのメジャーデビューアルバムである「CATCH A FIRE」を取り上げる。
厳密にはボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズではなく、ザ・ウェイラーズ名義のアルバムである。
2001年にボーナス・トラックを2曲追加して再発売されたものを聴いた。
個別の曲に触れておく。

「Concrete Jungle」
「今の自分には太陽が照らすこともない。黄色い満月が戯れることもない。
闇が光を覆い隠し、昼を夜に塗り替えてしまった。
愛はどこにあるのか?誰か教えてくれないか?
コンクリート・ジャングルなんかじゃない幸せな人生はどこにあるんだ?
コンクリート・ジャングルでお前は生きていくしかないんだ」と歌う。
「当時の冷たい社会」を嘆いたボブの視線が感じられる名曲である。


「Slave Driver」
「奴隷監督よ、テーブルはひっくり返される。
火を付けろ。お前は焼かれてしまうだろう」と歌う。
「自分たちが何故このジャマイカの地にいるのだ?」という疑問を持ち、先祖が奴隷商人に無理矢理連れてこられたという回答に正面から向かい合った、ボブの怒りの告発である。


「Stop That Train」
ピーター・トッシュの曲である。
「列車を止めてくれ。俺は旅立つんだ。
俺が正しかろうが間違ってようが、もう長くはない。
これまで俺はずっと孤独だった。
理解できない人々を教えてきた。
でもいくら頑張ったところで幸福を見つけることはできない」と歌う。
私の今の心境にこれほど刺さる曲はない。


「Baby We’ve Got A Date(Rock It Baby)」
「今夜は二人でロックしようぜ」と歌う。
「ロック」ってそういう意味だったんですね(笑)

「Stir It Up」
「俺の心をかきたててくれ、ベイビー」と歌う。
究極のラヴソングである。ボブ・マーリーの愛である。


「Kinky Reggae」
「風変わりなレゲエ、俺を連れ出してくれ、今すぐ」と歌う。
決して「近畿地方限定のレゲエ」を歌っているのではありません(笑)

「No More Trouble」
「トラブルはもうたくさんだ。そんなものもう要らない。
戦争も要らない。トラブルはもうたくさんだ」と歌う。
さらに言えば、「作られたトラブルはもうたくさんだ」と私は言いたい。

「Midnight Ravers」
「男か女かも見分けがつかない。彼らは同じ腐敗を身にまとっているからだ」と歌う。
意味深な曲である。

「High Tide Or Low Tide」
ボーナス・トラックとして発表された曲である。
ゆったりとした心を和ませる優れた曲である。なんでこの曲を当初発表しなかったのか?
「高波のときも凪のときもあなたの友達でいよう。
満ち潮のときも引き潮のときもあなたのそばにいよう」と歌う。
ボブ・マーリーの信仰する神の言葉を歌っている。




社会問題を訴える歌、反戦ソング、ラヴソング、信仰の歌、ボブ・マーリーは、デビュー当時から、多種多様な曲を歌いこなせるミュージシャンでした。
だからこそ、今でもトップミュージシャンや世界中の音楽ファンに愛され称えられる存在なのでしょう。
もしボブが今も生きていたならば、腐りきった今の社会を糾弾する歌を歌ってくれていたことでしょう。

「コロナなんて存在してないんだ。騙されるんじゃない!」と。

「ウクライナとロシアの戦争はやらせだ。騙されるんじゃない!」と。



評点:90点




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「Redemption Song」Bob Marley、Joe Strummer、Beyonce & Eddie Vedder 、Stevie Wonder 、Bob Marley

今日の1曲は、ボブ・マーリーの「Redemption Song」です。
ボブのラストアルバムである「UPRISING」に収められています。
「UPRISING」及びこの曲については、ここで触れています。
ボブは、こう歌っています。

「精神的に奴隷にされた状態から自分を解放するんだ」と。

このメッセージを見て聴いて、何か思い当たる節はないですか?
このアルバムを発表した翌年にボブは他界しているわけですから、ボブの「ラストメッセージ」と言っていいでしょう。
「今こそ我々は、ボブの「ラストメッセージ」を真剣に受け止め、自分なりに考え、行動に移すべきだ」と私は思います。



ジョー・ストラマーのヴァージョンです。


ビヨンセ&エディ・ヴェダーのヴァージョンです。


スティーヴィー・ワンダーのヴァージョンです。


最後にもう一度、ボブ・マーリーで〆ます。






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「どのような書にも、必ず知識の基になるものが込められている」byソウルマン

「日本崩落~この大不況は陰謀である~」③(最終回)宇野正美

前回に続く。以下、一部引用する。

*実は、長きにわたって「契約の聖櫃」はエチオピアにあるのではないかと言われてきた。
エチオピアは、アフリカの歴史の中で唯一、欧米列強の植民地にされなかった国である。
伝統あるエチオピア王家で、最後の王として国を治めたのはハイレ・シェラシュであった。彼の治世の時、エチオピアでも共産主義革命が起き、彼自身も世を去った。
ハイレ・シェラシュは自らのことを「ユダ族の獅子王、神の選びし者、エチオピア諸王の中の王」と称していた。すなわち、古代ユダヤの子孫を名乗っていたのである。
それは一体どういう意味か。
古代ユダヤの王ソロモンには多くの妻がいた。その中の一人がシェバの女王であった。ソロモンとシェバの女王の間に生まれたのがメエリク1世である。メエリク1世はエチオピアで育てられ、この子孫がエチオピア王家なのである。
メエリク1世は成人した後、自分の父親であるソロモンに会うためにエルサレムを訪ねた。ソロモンは大いに喜び、メエリク1世がエルサレムを去るとき、多くの宝物や自らの多くの家来を与えたと言われている。
・・・・・(中略)・・・・・
エチオピアの伝説はさらに続き、メエリク1世はエルサレムを去るに当たって、神殿の至聖所にある契約の聖櫃を見ることが許されたという。そしてメエリク1世はそのイミテーションを作って神殿に据え、本物を持ち去ったというのである。




(管理人)
メエリク1世をウィキで見てみる。



メネリク1世(Menelik I、エブナ・ラ・ハキム: Ebna la-Hakim, "Son of the Wise", 知恵の息子)は、エチオピア初代王。
古代イスラエル王ソロモンと、シバの女王の息子で、紀元前10世紀頃のエチオピアを統治したとされている。現エリトリアのハマシアン(英語版)で誕生、エチオピアへ「契約の箱」を運んだ後に、エルサレムで父ソロモン王に面談した。
紀元前5世紀に興ったアクスム王国、13世紀に興ったエチオピア帝国のいずれの王もメネリク1世の直系の子孫を名乗り、その地位の正当性に利用した。
エチオピア帝国では、国家事業としてエチオピア版『古事記』ともいうべき『ケブラ・ナガスト』を作らせた。上記はそのケプラ・ナガストの記述に基づく。もちろん伝説であり、史実として確定している訳ではない。旧約聖書に記されたシバの女王の出自については、エチオピア説とイエメン説があり、双方とも考古学的な裏付けが取れておらず、仮説に過ぎない。さらに旧約聖書には、ソロモン王とシバの女王の間に子供が生まれたという記述は無い。
メネリク1世を始祖とし、1974年のハイレ・セラシエ1世廃位に至るエチオピア帝国の王朝は、「ソロモン王朝」として、紀元前10世紀から3000年間存続した最古の王朝とされる。
ただし、あくまで伝説上であり、実際の歴史として確認できるエチオピア皇帝家は13世紀のイクノ・アムラクからである。エチオピア皇帝家は近代において断絶した時期があり、皇帝に実権が無く臣下が実権を握っていた時期もある。



次に、ハイレ・シェラシュをウィキで見てみる。


ハイレ・セラシエ1世(ቀዳማዊ፡ኃይለ፡ሥላሴ, Haile Selassie I, 1892年7月23日 - 1975年8月27日)は、エチオピア帝国最後の皇帝(在位:1930年11月2日(戴冠式が行われた月日) - 1974年9月12日)。アフリカ統一機構初代議長。
エチオピア南部のショア地方の貴族の子として生まれる。血縁上はアドワの戦いで名を馳せた英雄メネリク2世の従兄弟の子にあたり、古代イスラエルのソロモン王とシバの女王の間に生まれたメネリク1世の子孫であることを主張した。幼少の頃より聡明で、若くして各地の州知事を歴任した。記憶力が非常に優れており、晩年に至っても重要事項について全てを暗記していて、メモの類を一切必要としなかったという逸話が残っている。タファリ侯(ラス・タファリ)を称号とした。
1916年のクーデター後、メネリク2世の娘で女帝として即位したザウディトゥの皇太子・摂政となり、実権を掌握する。
1924年4月にはヨーロッパ外遊。エチオピアの国際連盟加盟を実現した。当時エチオピアに影響力のあったイタリア王国、イギリス、フランスに対抗するため、アメリカ合衆国、大日本帝国に接近した。
ザウディトゥの崩御後、1930年4月にエチオピア帝国皇帝に即位し、同年11月2日に戴冠式が行われた。1931年7月16日に大日本帝国憲法を範とし、7章55条から成るエチオピア帝国初の成文憲法たる「エチオピア1931年憲法」を制定した。しかしながら、実態は絶対主義的な欽定憲法であり、社会体制そのものの改革には手をつけず、ガバルと呼ばれる小作地制度も温存された。
1974年には皇帝自身による不正が発覚するなど、国内におけるカリスマ性は地に堕ち、同年2月には軍が反乱を起こし、帝政打倒の声が高まった。皇帝はエンデルカチュ・マコンネン(英語版)を首相に任命し、立憲君主制への移行や土地改革などを公約するが、時すでに遅く、民衆によるゼネスト、デモ、若手将校を中心とする改革集団「軍部調整委員会」の成立、軍部による政府要人の拘束などが公然と行われた。
同年8月19日、国軍が“皇帝が諸悪の根源だ“として公然と批判、8月26日は新聞が一斉に「皇帝を倒せ」と主張し始め独裁の地盤は崩れた。そんな騒然とした雰囲気の1974年9月2日早朝、皇帝はアディスアベバの宮殿内で陸軍のクーデターにより逮捕・廃位され、拘禁中の1975年に暗殺(犯人はメンギスツという説もある。また、1997年にエチオピア当局は廃位直後に射殺されたと発表)された。
ハイレ・セラシエ1世自身はエチオピア正教徒であったが、ジャマイカを中心とする黒人運動であるラスタファリ運動においては神ヤハウェ(ジャー)の化身であり、地上における三位一体の一部であると信じられている。
1927年、ジャマイカの汎アフリカ主義運動家、マーカス・ガーヴィーが「黒人の王が即位する時のアフリカを見よ。その人こそ救世主となるだろう。」と予言したため、その3年後に即位したハイレ・セラシエ1世は南北アメリカ大陸の黒人達から、アフリカ大陸を統一し、離散した黒人のアフリカ帰還を告げる救世主として崇められるようになった。ハイレ・セラシエ1世は即位前の名をラス・タファリ・マッコウネンと言い、この名前を取って崇拝者たちのことをラスタファリアンと呼ぶ。レゲエのボブ・マーリーを始めとしたジャマイカの音楽家にはラスタファリアンも多かった。
1966年にハイレ・セラシエ1世がジャマイカを訪れたときには民衆の熱狂的な歓迎を受け、皇帝自身が動揺するほどだった。
エチオピア南部の街シャシャマネのマルカウォディャ地区には、皇帝からその地を与えられたジャマイカ移民約200人が、エチオピア人のラスタファリアン約200人と共に住んでいる。





ハイレ・シェラシュのことを取り上げたのは、私の大好きなミュージシャンであるボブ・マーリーが信仰していたラスタファリズムにおいてハイレ・シェラシュは「生きる神」として信仰されていたからであり、本書に紹介されていたことを機会に調べてみようと思ったからである。
しかし「大日本帝国憲法を範とし、7章55条から成るエチオピア帝国初の成文憲法たる「エチオピア1931年憲法」を制定した」との記述には笑ってしまった(笑)


ラスタファリズムをウィキで見てみる。



ラスタファリ運動(ラスタファリうんどう、英: Rastafari movement)またはラスタファリアニズム (Rastafarianism) は、1930年代にジャマイカの労働者階級と農民を中心にして発生した宗教的思想運動である。
ラスタファリ運動の実践者は「ラスタファリアン」、または「ラスタピープル」、「ラスタパーソン」、もしくは単に「ラスタ」と呼ぶ。ラスタファリアンはこの宗教運動のことを「主義」(イズム、-ism) ではなく「人生観」(way of life) と考えるため、ラスタファリ運動 (Rastafari movement) と表現される。
ラスタファリ運動は聖書を聖典としてはいるが、特定の教祖や開祖は居らず、教義も成文化されていない。それゆえ宗教ではなく、思想運動であるとされる。基本的にはアフリカ回帰運動の要素を持ち、エチオピア帝国最後の皇帝、ハイレ・セラシエ1世をジャーの化身、もしくはそれ自身だと解釈する。名称はハイレ・セラシエの即位以前の名前ラス・タファリ・マコンネン(アムハラ語で『諸侯タファリ・マコンネン』の意)に由来する。 ラスタファリ運動には一握りのエリートによって支配され、社会的に抑圧されたジャマイカ市民による抵抗運動としてのメシア主義と、現実逃避的な千年王国思想の両面が垣間見える。
主義としてはアフリカ回帰主義(またはアフリカ中心主義)を奨励した。その指向は、ラスタの生活様式全般、例えば菜食主義やドレッドロックス、ガンジャを聖なるものとして見ることなどに現れている。 1970年代にレゲエ音楽や、とりわけジャマイカ生まれのシンガーソングライター、ボブ・マーリーによって全世界に波及する。全世界に100万人のラスタファリ運動の実践者がいると言われる。
なお、ジャマイカの多数派宗教はキリスト教(プロテスタント・バプティスト派)であって、ラスタファリズムを信仰するのは全国民の5~10%前後である。
18世紀にアメリカに誕生したバプテスト教会の黒人説教師たちは、聖書にある「エジプトから王が到来し、エチオピアは、神に向かって手を差し伸べる」(詩篇 68:31)など、黒人と聖書の結びつきを訴え、エチオピアを世界に離散した黒人の母国のように語った。この運動は伝道活動へと発展し、新世界の黒人の間に広まった。
19世紀の欧米に聖書から有色人種を排除する目的から、科学者の間で聖書に登場する人種を証明する論争が起こった。研究の過程で古代エジプト人と古代エチオピア人は黒人であり、同一の人種であるという説が浮上した。これらの説はアメリカ植民地協会のエドワード・ウィルモット・ブライデン(英語版)がさきがけとなって、エチオピアニズムとして体系化された。黒人の祖先が人類文明の起源を作ったという考えは、世界中の黒人の尊厳に影響を与えた。新世界の黒人の伝統では「エチオピア」とは北アフリカを含む全アフリカを指す言葉となっている。
1910年代、ジャマイカ生まれのマーカス・ガーベイはアメリカ合衆国に渡り世界黒人開発協会アフリカ社会連合(UNIA-ACL)を組織しパン・アフリカ主義を提唱した。当時、カリブの黒人社会に根強く残っていたエチオピアニズムを拡大解釈し、黒人に対してアフリカに帰ることを奨励した。ガーベイの主張はアメリカのみならず、カリブや南アメリカなどの多くの黒人の支持を得た。
カリスマ的な演説活動をするマーカス・ガーベイは、1927年に「アフリカを見よ。黒人の王が戴冠する時、解放の日は近い」という声明を発表する(この声明はラスタファリズムにおいては「預言」ととらえている)。これがラスタファリ運動出現へとつながっていく。
1930年11月、エチオピアの皇帝にハイレ・セラシエ1世が即位する。マーカス・ガーベイの信奉者にとっては、まさに預言どおりの奇跡が起こったのだ。この「神の啓示」をきっかけにして、ジャマイカの首都、キングストンでレナード・ハウエルを中心にガーベイ主義の布教がはじめられ、初期ラスタファリ運動が始まった。イギリスによる植民地支配と度重なる自然災害で、多くの黒人は疲弊していたこともあり、救いを求める下層階級の人々を中心に信者が増えた。1934年、運動に危機を感じた政府当局は弾圧を始める。この弾圧を逃れたラスタファリアンは山の奥地に逃げ込み、そこでコミューンを展開する。このコミューンでの共同生活によって、ラスタファリアン達はドレッドロックスや大麻による儀式などラスタファリズムの基本スタイルと信仰を確立した。
政府当局によるラスタファリアンの弾圧は断続的に続いたが、一方で、一般市民にも「ラスタファリズム」の存在が知られるようになる。1961年、ラスタファリアンであるラス・ブラウンが議員選挙に立候補し、政界に進出する。ここで初めて黒人知識層がラスタファリ運動の「主義」の部分に注目するようになる。1962年、ジャマイカは英国から独立。しかし社会情勢は不安定のままで、ラスタファリアンのアフリカ回帰の渇望は募るばかりだった。
1966年、ハイレ・セラシエ1世がジャマイカに来訪。ラスタファリアン達は熱狂的にセラシエを歓迎した。ここでセラシエは、「ジャマイカ社会を解放するまではエチオピアへの移住を控えるように」という内容の私信を主なラスタ指導者に送った。これによって、「ザイオン(アフリカ)回帰よりバビロン(ジャマイカ)解放」という新しい考えが定着し、どこか世捨て人風で厭世的なラスタ達を、社会へ参加させるという思わぬ効果も現れた。
当時のジャマイカの音楽シーンに目を移すと、1960年代半ばまではジャズやR&Bの影響を多大に受けたスカ、ロックステディが流行していたが、セラシエ来訪を契機にラスタの思想やメッセージを伝える手段としての音楽、すなわちレゲエへと流行が変遷していった。ラスタのミュージシャンやシンガーが、さまざまなラスタのメッセージを音楽に乗せ、国民の多数に支持されるようになるのだ。特にボブ・マーリーは国際的な名声を得るに至り、ラスタファリアンからも支持が篤かったため、1975年にハイレ・セラシエ1世が死亡するという悲報を受けても、ラスタファリ運動のモチベーションは決して下がることはなかった。むしろ、"Jah Live"(ジャーは生きている)と歌っていたのだ。少なくとも、1981年にマーリーが死亡するまでは、ラスタファリ運動は活発であった。






ボブ・マーリーは、長年ジャマイカを植民地支配してきたイギリス人及び白人に対する反発もあってラスタファリズムを信仰するようになったのだろう。
頭のいいボブは、ジャマイカがイギリスの植民地だった時代から押しつけられたキリスト教に疑問を持ち、「聖書の本当の神は白人ではなく黒人である」と唱えるラスタファリズムに魅かれるようになったのだろう。
「ソロモンの子供がメエリク1世である」とか「その末裔がハイレ・シェラシュである」といった話が真実か否かはどうでもいいことなのである。
自分の白人の父親は自分と母親を捨てて行方をくらませた人物であったことからも、ボブは白人を憎んでいたと思われ、自分自身黒人と白人のハーフでありながらも「自分のルーツは黒人のハートランドであるアフリカである」と考え、黒人を神だと唱えるラスタファリズムに「自分の信じる信仰はこの教えだ」と感じたのだろう。
以前から、ボブ・マーリーの歌詞に、「ザイオン」「バビロン」「エクソダス」といった旧約聖書的な言葉が出てくることを、不可解に感じていた。
ボブがこれらの言葉を歌詞にした曲を歌ったのは、旧約聖書というよりも、ラスタファリズムの教えから来ているのだろう。

3回にわたって本書の趣旨とは少々異なる読後感を記したわけだが(笑)、「どのような書にも、必ず知識の基になるものが込められている」と私は思っている。
著者は「「契約の聖櫃」はエチオピアにあるのではないか」という伝承が存在するという理由からハイレ・シェラシュやメエリク1世について触れたのではあるが、私はそれよりも自分の大好きなミュージシャンであるボブ・マーリーに対する想いから記した次第である。
しかし、「契約の聖櫃」にも少々ロマンを感じている。
本書には「エチオピアの王族が、契約の聖櫃は日本にあるかもしれないと告白している」と紹介されている。
その最有力候補地である剣山に、いつか訪ねてみたいと思っている。


評点:70点



Bob Marley & The Wailers - Exodus (Live At The Rainbow 4th June 1977)









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<リー・ペリー追悼②>「SMALL AXE」Bob Marley

今日の1曲は、ボブ・マーリーの「SMALL AXE」です。
1973年にウェイラーズでリリースされ、
ボブ・マーリーによって書かれたとされている。
さびの歌詞は、以下の通りである。


So if you are the big tree
We are the small axe
Ready to cut you down
To cut you down

お前が大きな木なら
俺たちは小さな斧だ
お前を切り倒す準備はできているんだ
できているんだ



先日聴いたピーター・バラカンの番組に、
この曲についてリクエストされた方の情報によれば。

ジャマイカの発音では「three」を「tree」と発音するため、
「the big tree」は「the big three」のことであるとのこと。
つまり、当時のジャマイカの三大プロデューサーである、
コクソン・ドット、ジョー・ギブス、デューク・リードを指しているとのことだ。
この3人はミュージシャンの曲が売れていてもそれを隠しており、
ミュージシャンに印税を払わず、自分たちは外車を乗り回して、
私腹を肥やしていたとのことである。
当時この3人の配下にいたリー・ペリーは、この3人の悪事を告発し、
「いつか自分自身が独立してジャマイカを代表するプロデューサーになってやろう」
という決意表明として、この曲を書いたとのことだ。
この曲の実際の作者は、ボブではなくて、リー・ペリーであるとのことである。
そういうわけで、ボブ・マーリーの「SMALL AXE」をどうぞ。








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「奴らに騙されるな。教え込まれるな。奴らはエリート中のエリートだけが生き残るのだと言う。何か言ってみろ。お前たちに愛される価値があるのか?」byボブ・マーリー

「UPRISING」BOB MARLEY & THE WAILERS

1980年1月録音の、ボブ・マーリーのラストアルバムである。
翌年1981年5月11日にボブは亡くなっている。
タイトルは、「反乱、暴動、蜂起、一揆」を意味する。
国民に「立ち上がれ」と、蜂起を促す意図で、アルバムタイトルにしたのだろう。
タイトル通りの凄い作品である。
特に気になった曲の和訳を一部記しておく。


「Coming From The Cold」
「システムに仲間を殺されていいのか」
「システムにまた頭を押さえつけられるのか」
「巨人だと思っていた奴らは赤ん坊にすぎないのさ」

「Real Situation」
「唯一の解決策は全滅であるようだ」
「誰にも止められないんだ」

「Bad Card」
「お前が俺の顔を見飽きたとしても、俺を追い出すことはできないぜ」
「お前は悪いカードを引くことになるだろう。俺がそう仕向けたのさ」

「Zion Train」
「世界を支配するために、お前の魂を失ってはならない」
「橋を架けるためには金銀よりも知恵が重要なのだ」
「2000年にわたる俺たち黒人の歴史は、そう簡単に拭い去れやしないのさ」

「Could You Be Loved」
「お前たちに愛される価値があるのか?」
「奴らに騙されるな。教え込まれるな」
「奴らはエリート中のエリートだけが生き残るのだと言う」
「何か言ってみろ。お前たちに愛される価値があるのか?」

「Redemption Song」
「昔、海賊どもは俺を捕え、奴隷商人の船に売り飛ばした」
「精神的に奴隷にされた状態から自分を解放するんだ」
「原子力を恐れる必要はない」
「奴らは時間を止めることはできないのだ」
「長い間、奴らは予言者を殺し続けた」
「今こそ、俺たちが予言の書を完成させるのだ」
「共に歌ってくれないか、自由の歌を」
「俺が今まで歌ってきた歌は、すべて救いの歌なんだ」
「自由を求める歌なんだ」



ボブは、明らかに「彼ら」と闘っていた。
「彼ら」の邪悪な正体を見抜き、命懸けで闘っていたのだ。
「彼ら」の邪悪な思考、優生学や人口削減思考を、見抜いていたのだ。
原子力が「彼ら」の支配下にあることも、見抜いていたのだ。
アフリカの部族のシャーマンである予言者を「彼ら」が殺し続けたことも、知っていた。
そして、自分たちの手で予言の書を完成させようとしていたのだ。
この世界の終末も悟っていたようである。
コロナ詐欺のことも見抜いていたのだろう。
コロナ詐欺を仕組んでいるのが自分たちの祖先をアフリカから奴隷として奴隷商人の船に売り飛ばした海賊どもの末裔であることも、見抜いていたに違いない。
今、我々はボブの意志を継がないといけない。
「救いの歌」「自由の歌」を口にし、立ち上がらなければならない。
邪悪な悪魔どもを打ち倒し、自由を勝ち取らなければならない。











評点:100点





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