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嘘八百のこの世界

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「最後に、ロレッタさんにお願いしたい。 「コロナの嘘やワクチンの嘘も歌ってください」と。 そして、こう言ってくださいな。 「若い歌手が歌わないなら90歳の私が歌ってやる。アメリカ国民よ、騙されちゃダメよ。 政府やテレビが言ってることは全部嘘なのよ。政府の指示に従っていたら、みんな殺されちゃうわよ。コロナなんて存在していないのよ。存在しないコロナにいつまでも騙されていたら、今度は皆さんが存在しなくなっちゃうわよ」と」byソウルマン

「映画『歌え!ロレッタ愛のために(Coal Miner's Daughter)』を観て」


映画『歌え!ロレッタ愛のために(Coal Miner's Daughter)』を観たので感想を書いておきます。1980年のカントリー歌手ロレッタ・リンの半生を描いた伝記映画である。

けっこう良かった。

こんな映画が存在していたことも知らなかったし、ロレッタ・リンのことも名前ぐらいでほとんど知らなかった。

ロレッタ・リンのことをウィキからアレンジして記しておきます。

ロレッタ・リン(Loretta Lynn)は、1932年4月14日生まれの存命のカントリー歌手であり、現在90歳である。ケンタッキー州ペインツヴィル近くのブッチャー・ハローで、炭鉱労働者の父のもとで8人兄弟の2番目として生まれる。15歳で結婚し、すぐに妊娠、19歳の時までに3人の子を産んで、最終的に6人の母親となる。21歳の時の結婚記念日に夫のオリヴァー・ヴァネッタ・リン・ジュニア(通称ドゥー) が17ドルのハーモニー・ギターを彼女に贈ったことがきっかけで歌手になる。
1962年9月25日から50年以上グランド・オール・オープリー(アメリカ合衆国テネシー州ナッシュヴィルのラジオ局WSMの毎週土曜夜のカントリー・ミュージックの公開ライブ放送のラジオ番組であり、グレート・アメリカン・カントリー(GAC)ネットワークでTV放送化された番組。1925年11月28日からWSMで放送開始され、現在でも続いているアメリカ最古の番組)のメンバーであり続け、最も成功した歌手の一人である。1988年にはカントリーの殿堂入りを果たした。




ロレッタ役のシシー・スペイセクと夫役のトミー・リー・ジョーンズを中心として、ロレッタがカントリー歌手として成功するまでの人生が描かれている。
ロレッタと親交のあったパッツィー・クラインも、映画に登場している。
パッツィーは30歳で飛行機事故により亡くなっているんですね。
全然知らなかった。
ロレッタの父親役に、なんとザ・バンドのメンバーだったリヴォン・ヘルムが出演していた。この人俳優でもあったんですね。

ロレッタは、自分で曲もつくっているんですね。
炭鉱労働者の家に生まれたことや、労働者階級の女性問題や、浮気性の夫と愛人のことや、産児制限出産のことや、ベトナム戦争による寡婦のことも歌っています。
カントリー・ミュージックのラジオ局では、しばしばロレッタの歌を放送することを拒否し、彼女の曲のうち9曲を禁止しました。
保守的なカントリー・ミュージック業界では今までなかった社会的な歌を歌える歌手でした。
「放送禁止など気にせずアメリカの社会問題を歌うことができる骨太カントリー・シンガー」であるようです。

私はどちらかというとカントリーは苦手な方であまり聴いてきませんでしたが、この映画を観て「カントリーもいいもんだな」と感じるようになりました。
かといって、積極的に聴くようにはならないでしょうが(笑)
そして、「カントリー・ミュージックはアメリカの白人の中でも特に労働者階級の人に愛されているんじゃないかな」と思いました。
絶対に観るべき映画だとは言いませんが、音楽好きな人も、そうでない人も、一度は観ても損はない映画だと思います。

最後に、ロレッタさんにお願いしたい。

「コロナの嘘やワクチンの嘘も歌ってください」と。

そして、こう言ってくださいな。

「若い歌手が歌わないなら90歳の私が歌ってやる。アメリカ国民よ、騙されちゃダメよ。
政府やテレビが言ってることは全部嘘なのよ。政府の指示に従っていたら、みんな殺されちゃうわよ。コロナなんて存在していないのよ。存在しないコロナにいつまでも騙されていたら、今度は皆さんが存在しなくなっちゃうわよ」と。












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「「悪魔どもと違ってまだまだ人間らしい心を忘れていない我々普通の国民」は、このような「人間らしい他者を思いやる心」を今一度思い起こすべきだろう。 そして声を上げるべきだろう。 「子供に毒ワクチンを打つなど言語道断だ!絶対に許してはいけない!」と。」byソウルマン

「映画『きっと、うまくいく(3Idiots)』を観て」




ご紹介いただき映画『きっと、うまくいく(3Idiots)』を観たので、感想を書いておきます。2009年のインド映画だが、日本公開は2013年である。

めっちゃ良かった!

こんな素晴らしい映画をご紹介いただき、ありがとうございます。
正直言って1回目はさらっと観たのもあって内容がよく分からなかった。
2回観たら、よく分かった(笑)

実は私、インド映画をこれまで観たことがなかったのだが、「ここまで優れた映画をインドはつくっているんだな」と感心した。
笑いあり、恋あり、友情あり、人生訓あり、音楽ありのミュージカル調の人生ドラマである。観終わって心がとても晴れやかになる、明るく前向きな映画だった。
日本人が忘れつつある「生きることの意味」を改めて教えてくれる感動ドラマである。

登場人物を少しだけ紹介する。

主人公のランチョー役のアミール・カーンは、当時44歳だったらしい。
よく大学生の役を演じられたものである(笑)
ランチョーはメチャ頭がいいのだが、それ以上に人間性が素晴らしすぎる。
自分勝手な私とはえらい違いである(笑)
なんとなく「ゆず」の片方(名前は知らない)に似ていた(笑)

ランチョーに異常に敵対心を持っている通称サイレンサー(すかしっ屁を意味する)役のチャトル・ラーマリンガムは、芸能レポーターの井上 公造に似ていた。どーでもいいか(笑)

嫌な奴と言えば、ランチョーが恋心を寄せるピア・サハスラブッデー役のカリーナ・カプールと結婚する予定だったスハース・タンドン役(ややこしいな(笑))のオリヴァー・サンジェイ・ラフォントがいた。
この人物はやたらカネのことばかり口走るため、「値札」と呼んで嘲笑されていたところが実に愉快であった。どーでもいいか(笑)


バックで流れていたインド音楽も、けっこう良かった。インド音楽と言えば私はシタールをメインにした「いかにもインド」といった音楽の印象を持っていたが、このようなポップな曲もいいものである。

インドと日本では社会制度・宗教観・風習が当然違うわけだが、共感するところも多かった。ランチョーを中心とした3人組を中心にストーリーは展開しているのだが、この3人はインド工科大学に入学しているにもかかわらず就職するのに一苦労するシーンも描かれていた。大学での成績が就職にかなり影響するようである。
入学してからの試験や卒業が大変なのは受験がすべてで入ったら遊びほうけている学生だらけの日本と違うのは予想がついてはいたが。私も大学時代は遊びほうけていたので偉そうなことはとても言えないが(笑)

ランチョーの友人であるファルハーン・クレイシー役を演じたR・マドハヴァンが「実家は平凡な家庭で、産まれた瞬間からエンジニアにすると決められたが、本人は工学よりも動物の写真撮影の方が好きであり、写真家になりたいがそのことが父親になかなか言えない」というストーリーもあった。
カースト制の影響が大きいからかもしれないが、父親が産まれた時から子供が将来何の職種に就くかということを決めてしまう習慣があるということにも驚いた。
併せて「父親の権威が大きいだけでなく、親を大切にすることが当たり前になっている社会なのかな」とも感じた。
良い面悪い面両方があるだろうが、そのような習慣がほとんど皆無に近い現在の日本の社会では考えられないことである。
映画で描かれていた社会習慣がどこまで事実に基づいているのかどうかは知らないが、大なり小なりこのような日本では考えられない社会習慣が存在しているのは間違いないだろう。

特筆すべきはラストシーンだった。
アッと驚く展開であると同時に、ホッコリした気分にさせられた。

ランチョーの信条として「他人を追い落として成功を得るのではなく、自分自身が努力して実力を身に着ければ自然と成功するようになる」といった趣旨のことが語られていた。
これはインドに限らず日本でも言えることだろう。他人との競争を強いられる現代社会で「自分さえうまくいけば他人がどうなってもかまわない」といった悪習がはびこる中、「本当の意味での成功とは何か」ということを改めて考えさせられる内容であった。
映画の中にはこれ以外にも考えさせられる人生訓が散りばめられていた。

同じくランチョーの信条として、苦境に陥った時に胸を叩いて「きっと、うまくいく」と唱えることで苦境を乗り切ることができるということが語られていたが、その「きっと、うまくいく」のは自分のことだけでなく、周囲の人間に対しても「きっと、うまくいく」ようにという「教え・おまじない」なのである。
現実社会はそんなに甘いものじゃないという声も聞こえてきそうだが、日本では忘れられつつある「自分を犠牲にしてでも周囲の人間を大切にしよう」という尊い教えが感じられた。

人間は本来こうあるべきである。

「自分さえ良ければ他人がどうなってもかまわない」どころか「自分の私利私欲のために他人の命を奪うことを是としている」悪魔勢力及びその使用人の売国奴連中に聞かせてやりたい考え方である。
まぁそのような腐れ外道には今更何を言っても無駄だろうが(笑)

「悪魔どもと違ってまだまだ人間らしい心を忘れていない我々普通の国民」は、このような「人間らしい他者を思いやる心」を今一度思い起こすべきだろう。
そして声を上げるべきだろう。

「子供に毒ワクチンを打つなど言語道断だ!絶対に許してはいけない!」と。







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「本当に月に行ったのかしら?」byジュディ・デンチ

「映画『ベルファスト』を観て」



映画『ベルファスト』を観てきたので、感想を書いておきます。
この映画、3月ぐらいから上映されていたんですよね。
全然知らなかった。この映画が存在していたことも知らなかった。
マイナーな劇場で観たのだが、この劇場、昔の映画やちょっと前の作品を上映することが多いのである。私がこの映画を観たのも全くの偶然である。
以前からこの映画を理解し、観ようと思って観に行ったのではないのである。
実は別の映画を観に行こうとしていたのだが、車で映画館に向かっている途中で上映時間を間違えていたことに気づいたのである(笑)
「今からでは上映時間に間に合わない。じゃあ他に今から観れる映画は何がある?」と調べた結果、観賞可能な映画として出てきたのが本作だったというわけである。
結果として上映時間には十分時間があまってしまい、運転途中でたまたま目に入った喫茶店でゆっくりと時間を潰した後に映画を観に行ったのである。
その喫茶店もけっこうオシャレで、食事やデザートもけっこうおいしかったのだ。

やっぱ人生は計画通りよりも多少の間違いがあった方がいいのかもしれない(笑)

ちなみに行った映画館は、当初行くつもりだった映画館とは別の映画館である。
前置きはさておき、本題に入る。感想を書いておく。

めっちゃ良かった!

行く予定だった映画もそれなりに良かったとは思うが、本作は本当に良かった。
まず、音楽がいい。
アイルランド出身のヴァン・モリソンの曲が、全編を通して流れていた。
正直言って私はそんなにヴァン・モリソンは好きな方じゃないんだが、この映画にはヴァン・モリソンの曲はピッタリ嵌っていた。ヴァン・モリソンもいいもんだ。

もう一つ、不思議なことがあった。
本作の監督であるケネス・ブラナーだが、先日も彼の監督した映画を観に行ったのだ。
『ナイル殺人事件』である。
この映画も前もって行こうと思って観たのではなく、「たまたま時間があったので、ちょっと観といたろか」という軽い気持ちというか思いつきで観に行ったのである。

このように偶然観に行った二つの映画の監督が同じ人物であるとは、不思議なものである。

ナイル殺人事件』でも「この監督は音楽の趣味がいいな」と思ったが、今回も同じ想いだ。
映画の内容に戻る(笑)

映画の冒頭シーンである。
現在のアイルランドが映された後、1969年8月15日のベルファストに時代が戻る。
平和な日常が、突然、プロテスタントの武装集団によって一変する。
本作は北アイルランド紛争のさなかのベルファストで、明るく懸命に生きる「普通の家族」の日常を描いた作品である。

主演は、ジュード・ヒルが演じる10歳の少年バディである。
バディの目を通して、当時のベルファストの危うさが描かれている。
実は、バディは、ケネス・ブラナーの子供時代を演じているようなものなのである。
本作は、ケネス・ブラナーの自伝映画と言ってもいいだろう。
ケネス・ブラナーの幼少期の体験をもとに、本作はつくられているのだ。
ちなみに、バディの家族はプロテスタントである。

ところで、私自身、アイルランドのことも、北アイルランド紛争のことも、今の今まで理解していなかった。
今は理解したのかと言うとそうでもないが、ある程度は理解できるようになった。
現在アイルランドは南部のアイルランド共和国と北部の北アイルランドに分かれており、北アイルランドはイギリスに属しているのである。
本作のタイトルにもなっているベルファストは、アイルランドではなくイギリスの都市なのだ。

皆さん知ってましたか?大半の日本人はこのことを知らないんじゃないのだろうか?

知ってる人には「常識」なのだろうが、私は全然知らなかった。
さらに疑問が出てくる。
本作を観ると「北アイルランドの大半の人がプロテスタントなのかな」と思ってしまうが、なんと41%がカトリックなのである。これ、どーゆーこと?
「北アイルランド紛争はプロテスタントとカトリックの宗教間の対立じゃないの?」「宗教間の対立が原因で同じ領土なのに別国家になってしまったのとちゃうの?」と思ってしまう。
そもそもイギリスのイングランド国教会は、プロテスタントでもカトリックでもない。
プロテスタント国家であるイギリスが、カトリックが気に入らないからカトリックを弾圧して、北アイルランドをプロテスタント国家にしたというわけでもなさそうなのだ。
北アイルランド紛争というのはわけが分からない。
詳細は別記事で書こうと思ったが、大変そうなのでやめとく(笑)
遠因はピューリタン革命にあるのは間違いなさそうだが、相当の裏がありそうだ。

かなり脱線したが、本作に戻ろう(笑)
ジュード・ヒルに限らず、どの俳優の演技も素晴らしかった。
ほとんどの俳優が何らかの形でアイルランドにかかわった人物ばかりであった。
その中でも一番良かった俳優を上げろと言われたら、バディの母親役を演じたカトリーナ・バルマを上げたい。
バディが年上の女の子に無理矢理引っ張られてプロテスタントの武装集団の中に入れられてしまいスーパーを襲って洗剤を持ち帰るシーンがあるのだが、母親はバディを連れてスーパーに行って洗剤を返却させ、バディに「今度こんなことしたら殺すからね」と怒鳴ったのだ。バディを無理矢理この暴動に巻き込んだ年上の女の子に対しても、「今度こんなことしたらただじゃすまない」といった怒りの言葉を発していた。
まさに鬼気迫るシーンであり、私は本作で一番感動した。

本作が良かった理由の一つとして、これだけの悲惨な現実を描いているにもかかわらず、意外と具体的な殺戮シーンを観客に見せなかったことをあげたい。
そういった生々しいシーンを映し出すのも現実世界の恐ろしさを伝えるために大事なことだということは分かるが、どうしても観客の立場からすれば、映画の登場人物に感情移入してしまっており、できれば子供や母親が死んでしまうようなシーンは見たくないものなのだ。
現実の北アイルランド紛争では死者や負傷者が多数出ていることは言うまでもない。

もう一つ本作が良かった理由の一つとして、これだけの悲惨な現実を描いているにもかかわらず、登場人物がとても明るく生活している様を描いていることをあげたい。
笑いあり、音楽あり、ダンスあり、恋ありと、普通の人間の普通の日常生活を等身大の目線で描いているところが本作を心温まる作品にしている。

最後にネタバレになって申し訳ないが(これから本作を観るつもりの人は読まないでください)、本作の後半のジェイミー・バードンが演じる父親がバディに語るシーンを紹介する。

バディの家族はベルファストを出て行くことになる。
バディは恋心を寄せる同級生の女の子にさよならを告げる。
そして父親に訊く。「あの娘と結婚できるかな?」と。
父親が言う。「大丈夫さ、できるよ」と。
バディが言う。「あの娘はカトリックだよ」
父親が言う。
「カトリックだろうと、異教徒だろうと、反キリストであろうと、何も問題ない」と。

うろ覚えなので、あくまでも大まかな内容であることを断わっておきます。
私は、このシーンにケネス・ブラナーの本作に込めた想いを感じました。

「問題なのは宗教・宗派なんかじゃない。本人の心の中にあるんだ。」という想いを。

素晴らしい映画をありがとう。


P.S.
もう一つのケネス・ブラナーの想いが感じられるシーンの動画があったので、追加でアップしておきます。
バディのおばあさんのグラニーを演じたジュディ・デンチの台詞です。

「本当に月に行ったのかしら?」

ケネス・ブラナーは正直な男のようです。
こうやって、こそっと大衆に真実を伝えているんですよ。

「騙されてはいけない」と。

好感が持てますね。
ケネス・ブラナーは、何も「月面着陸の嘘」だけを伝えているのではないんですよ。
暗に「コロナの嘘」も伝えているんですよ。
私が偶然彼の映画を観ることになったのは、何らかの導きがあったのかもしれませんね。








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「That’s All 」「Up Above My Head」「Nobody's Fault But Mine」Sister Rosetta Tharpe「Stand By Me」The Staple Singers

『ナイル殺人事件』の映画を観てきました。思いつきで(笑)
同じアガサ・クリスティ の『オリエント急行殺人事件』も以前観たが、こっちの方が面白かった。
エジプトのピラミッドやルクソールの上空からの映像も使われていて、映画館で観ると壮大な感じがして良かった。

私らしからぬ「普通の感想」ですみません(笑)

この映画で一番良かったのは、使われていた音楽のセンスが良かったことである。
よく耳にする音楽だったのだが、誰の曲だったか出てこなかった。
後で調べたら、シスター・ロゼッタ・サープだった。
全6曲中の5曲がシスター・ロゼッタ・サープなのだ。
監督でありポワロ役を演じたケネス・ブラナーは、シスター・ロゼッタ・サープのファンなのだろう。
シスター・ロゼッタ・サープの「That’s All 」「Up Above My Head」「Nobody's Fault But Mine」です。







シスター・ロゼッタ・サープ以外で使われた唯一の曲が、この曲です。
ステイプル・シンガーズの「Stand By Me」です。
映画のラストで歌われました。
でも私、ずっとトイレを我慢してたんですが、我慢出来ずに劇場を立ち去ったので、最後までこの曲を聴けませんでした(爆)





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アリサが歌う「Respect」「Think」が訴えた「女性の自立」の背後に潜むものは?

「映画「リスペクト」を観て」



映画「リスペクト」を観てきたので、感想を書いておきます。
アリサ・フランクリンの伝記映画です。
アリサは私の大好きな歌手の一人なのだが、彼女がどのような人生を歩んだのかということはこれまでよく知らなかった。
一言で言うと、壮絶な人生であったようだ。

10代で子供を二人も生んでいる。
それも初めの子供は12歳で、二人目の子供は14歳で生んでいるのだ。
しかも、その父親が誰であるのかということは明らかにされていないようだ。
アリサは生涯4人の息子を生んでいるが、すべて父親は別人であるようだ。

これらの話はこの映画では語られていない。
映画の感想を書くにあたってネットでいろいろと調べていて分かったことなのである。
これは映画で語られていたことだが、初婚の相手が暴力を振るったりするどうしようもない男であったことに代表されるように、男運はあまりなかったようである。
彼女の人生は、その輝かしいソウルクイーンとしての音楽上の成功とは裏腹に、決して幸せとは言えないものだったようである。

先日映画「アメイジング・グレイス」を紹介したが、本作のラストは映画「アメイジング・グレイス」で紹介されていたゴスペル・コンサートシーンであった。
映画「アメイジング・グレイス」出演の頃のアリサは、まだ父親に従順な娘だったのだと思っていたのだが、本作を観て「全然そうではなかった」ことが分かった。
子供の頃から激動の人生を歩んでいたアリサは、映画「アメイジング・グレイス」出演当時、すでに大スターとしての地位を確立しており、父親から「子供の頃のように自分の説教(アリサの父親は全米でも有名な牧師であった)についてきて歌ってほしい」と依頼されたのだが、きっぱりと断っているのだ。
アリサは、映画「アメイジング・グレイス」出演当時、すでに父親から独立した、自分の考えをはっきりと主張できる、大人の女性であったのだ。

アリサを演じたのはジェニファー・ハドソンで、歌唱力が優れているのは言うまでもないことだが、演技もなかなかのものであった。
アラバマのマッスル・ショールズにおける「I Never Loved A Man(The Way I Love You)」の録音シーンは、目を見張るものがあった。
初めはアリサのバックを務めるマッスル・ショールズの白人ミュージシャンの音がけっこう大きめだったのだが、アリサが「音を抑えて私の声についてきて」と訴えることで曲調がガラッと変わり、曲に重厚感が出て、あの名曲が生まれたようなのだ。
まさしく世紀の名曲が生まれた感動のシーンだった。
本当かどうかは分からないが(笑)

「Respect」の誕生シーンも面白かった。
アリサがオーティス・レディングの「Respect」をレコードで聴きながら、姉と妹と一緒に踊りながら歌うシーンである。これをきっかけにアリサは「Respect」をカバーすることを決め、大ヒットするわけである。
本当かどうかは分からないが(笑)

「Respect」も「Think」も、映画「ブルース・ブラザーズ」でアリサ自身が出演して歌った曲なのだが、ともに「女性の自立」をテーマにした曲である。
オーティスが歌うのとは違って、女性が歌うとそのように聞こえるわけであるが。
この2曲だけでなく本作自体も、アリサの自伝映画でありながら、「女性の自立」をテーマにした映画であるようにも感じとれる。
どうしようもない男に振り回されながらも最終的には「自分の考えをはっきりと主張して成功した女性のサクセスストーリー」であり、「女性の自立」をテーマにした映画であった。
穿った見方で申し訳ないが、私には裏の意図が感じられて仕方がない。
「女性の自立」を前面に出すことで大衆をある一定の方向に持って行こうとする意図である。はい、「ウーマン・リブの背後にあった邪悪な意図」である。


http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-3358.html
西周→森鴎外→与謝野晶子→生田長江→平塚 らいてう→市川房枝→緒方貞子→?
「日本におけるフェミニズム、フェミニスト、ウーマン・リブ発生の背景を追う」




アリサほど「声だけで聴衆を最高の極みに到達させることのできるシンガー」は、そういないだろう。
しかし「彼ら」は、才能あるミュージシャンに巧みに取り入り、自分たちの邪悪な意図を成就させるために才能あるミュージシャンを利用することを“得意技”としてきた。
これは昔から「彼ら」が繰り返しやってきたことであり、「悪魔の操作術」である。
残念ではあるが、アリサも例外ではないように感じる。
このような発想は、音楽業界と、この世界の裏、この両方に関心を持っている私のような“風変わりな人間”(自覚症状があるだけマシか(笑))でないと、思い浮かばないだろう(笑)

最後に、本作で一番気になったことを記しておく。
それは、「デビュー仕立てのまだあまり売れていない頃のアリサがコンサートでダイナ・ワシントンの曲を歌おうとしたのだが、客席にいたダイナがアリサに対して「ビッチ!」と叫んでテーブルをひっくり返すほど怒りをあらわにした」というシーンである。
その後楽屋に逃げ帰ったアリサをダイナが訪れ、アリサに先輩シンガーとしての教訓・指導・助言を与えるのである。
「本当にダイナはこんなことやったんかいな?」と私は思った。
そして調べた。


https://www.musiclifeclub.com/news/2021028_01.html#wrapper
名門コロンビアからデビュー、しかしヒットが出ず苦しむアレサ。そんな彼女をダイナ・ワシントンが一喝……してない!?



どうやら、嘘のようである。
ダイナがこのような行動をとったのは事実のようだ。
しかしその対象は、アリサではなく、エタ・ジェイムズであった。
本作はエタ・ジェイムズの映画ではない。アリサ・フランクリンの伝記映画である。
映画制作者は映画を“売る”ためにこのような“演出”を入れたのかもしれないが、これはマズイだろう。嘘はいけないのである。
これが“単なる架空の歌手のサクセスストーリー映画”ならいいだろう。
しかし「実在するミュージシャンであるアリサ・フランクリンの真実の伝記映画」として公開しているのだから、嘘はいけないのである。
実在するミュージシャンの伝記映画に嘘を入れるということは、映画自体が偽りになるだけでなく、ミュージシャンの人生自体も偽ることになってしまうのである。
アリサの死後にこの映画を公開したのも、「このような“演出”を入れても、アリサから「私の人生を偽らないで!」というクレームが来ない」という判断があったからのことだろう。


いろいろと文句は言ったが(笑)、エンターテイメント映画としては良くできた作品であることは間違いない。
アリサのファンは勿論、そうでない人も、映画館に足を運んで観賞されることをお勧めします。
映画を通してアリサ・フランクリンという世界最高峰の女性ソウル歌手のエネルギーに触れることができるでしょう。
激動の人生を送りながらも、それに屈することなくソウルクイーンとしての偉大な実績を築き上げ、世界中の音楽ファンの魂を揺さぶった“本物のソウル”の一端を感じることができるでしょう。










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