Category広瀬隆 2/4
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2019年07月14日 0
「持丸長者・日本を動かした怪物たち(戦後復興篇)」広瀬隆2008年の書である。前回に続いて発売当時に読んだものを再読した。以下、一部引用する。*このヤルタ会談に先立つ二カ月前、1944年12月19日には、日本占領政策を決定するために、アメリカの国務省・陸軍省・海軍省の三省調整委員会SWNCC(State-War-Navy Coordinating Committee)が設置され、国務次官ジョセフ・グルーが主導して、SWNCC主任にユージン・ド...
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「持丸長者[国家狂乱篇]~日本を動かした怪物たち」④(最終回) 広瀬隆前回に続く。以下、一部引用する。*さきほど、日本が最も危険な道を歩んだ時代に、軍需産業に融資をおこなった興銀総裁・河上弘一を紹介した。出自は、山口県の岩国藩士・河上又三郎の孫にあたる。又三郎のもう一人の孫が、日本におけるマルクス主義経済理論の先駆的な指導者であった。満州事変の翌年に共産党に入党し、1933年には治安維持法で検挙さ...
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「持丸長者[国家狂乱篇]~日本を動かした怪物たち」③ 広瀬隆前回に続く。以下、一部引用する。*初代満鉄総裁・後藤新平から、敗戦を迎えて悲惨な戦後処理を任された最後の17代目満鉄総裁・山本元幹(もとき)まで、どのような人間が満鉄総裁をつとめたか。・・・・・(中略)・・・・・満鉄創立者・児玉源太郎、三井家、住友家、岩崎家(三菱)はもとより、膨大な数の持丸長者と、藤田伝三郎、松形正義、広田弘穀、三井の大...
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2019年05月06日 0
「持丸長者[国家狂乱篇]~日本を動かした怪物たち」② 広瀬隆前回に続く。以下、一部引用する。*福島県会津藩士の息子・中野友礼(とものり)が、日曹(日本曹達)コンツェルンの母体となる苛性ソーダ工場を横浜市保土ヶ谷区に建設したのが、この1915年であった。中野はのちに五大新興財閥として台頭する。一方、石川県金沢藩士の息子・野口遵(したがう)が肥料の硫安の製造に乗り出して大きな利益を出し、五大新興財閥・...
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2019年04月23日 0
「持丸長者[国家狂乱篇]~日本を動かした怪物たち」① 広瀬隆2007年の書である。発売当時に読んだものを再読した。複数回分けて記す。以下、一部引用する。*読売と言えばジャイアンツを育てた正力松太郎のイメージが強烈だが、正力によって買収されるのは、はるか後年の1924年(大正13年)であり、それまでの読売は、子安を継いで社長となった本野盛亨(もとのもりみち)の一族によって代々発刊されてきた。本野は佐...